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学園長室を出た千雨は、寮に寄った後『迷宮街』へと向かった。
久しぶりに見た『迷宮街』に不思議な感情が沸く。憐憫と懐古。あの辛い日々がありながらも、迷宮は〝あの少女〟との日々でもあったのだ。
『迷宮街』は広い。石造りで二階層になった地下街ながらも、ここは地下街だけで約二万人の生活を賄えるように作られている。空間拡張などの魔法の恩恵なのだろう。
制服姿で歩きながらも余り注視はされない。
千雨は久しぶりに迷宮街用の端末を起動させ、ガイドマップをダウンロードした。
目指すはギルド組合の麻帆良支部。
肩に掛けたデイバッグがガチャガチャと音を鳴らした。バッグの中には金属製の篭手、ガントレットが入っている。
『業火の迷宮』を埋めた後、千雨はほとんどの装備を処分してしまったが、この篭手だけは処分出来なかった。
ガントレットは千雨の戦いの日々をずっと共に戦ってきた相棒でもあった。金色だった塗装は幾度も剥がれ落ち、大きな修理痕も沢山ある。
それでも機能は落ちていない。千雨のアルケミストたる矜持が全て詰まっているのだ。
端末で確認しながら数分歩けば、ギルド組合の建物が見えてきた。
入り口脇には組合が提供するATMへ行列が出来ている。それらを横目に見つつ建物へ入れば、地下街とは思えぬ高い天井のフロアに迎えられた。
フロアにはびっしりと受付のカウンターがあった。そのどれもが鉄格子の様な厳重な敷居が置かれ、受付と客の間を仕切っている。
そして、そのどの受付もが人で溢れていた。
おそらく『迷宮』資源の買取の窓口なのだろう。
市場に直接流す方が価格は高くなるものの、入手した迷宮資源の全てを買い取ってくれる人間は少ない。
反面、ギルド組合では探索者が得た資源の全てを買い取ってくれるのだ。
そのためギルド組合の窓口が混みあうのは常であった。
千雨は手馴れた様に人の波を掻き分け、目当てのカウンターに向かう。
ポツンと空白が出来ている場所こそが、千雨の目指す所だった。
『探索者受付窓口』。
探索志望者などを受け付けている場所だ。そこの窓口にドカリと端末を置いた。
「休養申請していたんだが、探索者としての復帰手続きをお願いしたい」
受付嬢は眠たそうな目をしながら、千雨を見定めた。どこにでもいる様な地味な子供、おそらくそんな印象を持ったのだろう。
「はい、復帰申請ですね。では端末をお預かりして確認させて頂きます」
女性はそう言いながらも、渡された端末が四年程前の旧式なのと、その汚れ具合に驚いていた。千雨が渡した端末は衝撃吸収様のフレームにまでヒビが入り、細かな傷など数え切れないものだ。
「あと、出来れば端末の方を新品で欲しいんだ。幾つかリスト見せて欲しいんだけど」
「はい、了解しました。ですが端末となりますとご予算によっては機種が限られてしまいますが、どの程度のご予算をお持ちですか?」
女性としてはいつも通りの対応であった。目の前の子供が大金など持っているはずが無い、と言う先入観があった。
「予算は特に問題無い。出来れば一番良い奴を適当に見せてくれ。凍結してあった口座からの引き落としでたのむ」
「はぁ……」
一番良い端末がどれ程の値か知っているのか、と女性は言いそうになるが堪えた。最新の探索者端末には、魔法世界の協力の元、様々な道具や物資を電子端末に魔法で収納出きる高級品まである。
一個一個ハンドメイドのため、その値段は一般の端末とは値が数桁違うのだ。
女性は千雨の渡した端末を機器に繋げ、そのユーザー情報を照会していく。
そしてその口座残高を見た時に目を丸くした。
「――え?」
「ん、どうかしたか?」
「い、いえ。何でもありません!」
口座に出た金額は、探索において一流と言われる〝パーティー〟の資産と同じくらいなのだ。
女性は慌てて復帰申請に入っていく。
「あ、あのお名前をよろしいでしょうか?」
「あぁ、長谷川千雨だ」
「ハ、ハセガワ!」
女性は更に驚いた。
ギルド組合に数年勤めた人間で、その名前を知らぬものはいない。
たった二年でギルド組合が提供してきた『アルケミスト』という職の概念を変えてしまった異端。
組合は彼女に大金を融通した上で、その技術提供を願ったものの、提示された技術の余りの難解さに、結局は匙を投げてしまったという逸話は真偽はともかく流布している。
名前を語ったイタズラか、と女性は思ったものの、その後の指紋と網膜照合で本人と認定された。
個人情報の規制が激しい迷宮業界に置いても、「長谷川千雨」の名は大きかった。
カウンターから聞こえた「ハセガワ」の声に、周囲の人間も千雨を注視し始めた。
慌てた受付の女性の背後に、幾らか年配の女性が立った。
「あなたは下がってなさい」
「あ、支店長~」
女性は藁にもすがるといった感じで支店長に声をかけるも、厳しい視線で諌められ、肩を竦めた。
支店長が女性と入れ替わる形で千雨の前に立った。
「申し訳有りませんでした長谷川様。復帰手続き、及び端末のご購入などは別室で承りたいと思います。申し訳ないですがこちらへ――」
「わかった」
そのまま千雨は人込みから遠ざけられる様に別室へと案内され、そこで探索者としての復帰手続きと、新しい端末の購入をするのだった。
◆
「ふーん。今はこんな機能まであるのか」
最新型の電子端末をポチポチと適当に弄り、五分ほどで千雨はある程度の機能を理解した。
この電子端末は『迷宮街』に置いて個人証明にもなる大事なものだ。物の売買に置いても必須であり、ここにやってくる人間で端末を所持していない人間はいないと言っても過言ではない。
千雨は端末を弄り、ある画面を表示させる。
「しっかりと認証されてるみたいだな」
英字だらけの画面。それを訳すなら『迷宮探索許可証』とでも言えるだろう。ギルド組合が発行する『迷宮』への入場許可証だ。
「とりあえず行ってみるか」
千雨の姿は軽装だ。未だ装備すらまともに整えていないが、それでも低層ならば問題無いという確信があった。
『迷宮』は深く潜れば潜る程、その厳しさは指数関数の様に跳ね上がっていく。深層に一度潜った探索者ならば、例え低層で昼寝していても死ぬ事などまずありえないのだ。
それは油断では無い。紛れも無い自信。
あの過酷な迷宮探索を潜り抜けた自負は、確かに千雨の中に根付いているのだ。
千雨はバッグからガントレットを取り出し、内部にギルド組合で購入した出来合いの薬品を入れていく。
バッグを貸しロッカーに押し込み、千雨は『迷宮』の入り口に向かった。
迷宮への入り口には守衛が二人立っていた。
彼らの役割は不法な探索者の侵入を防ぐ事、そして内部からモンスターが出てくるのを止める役割も持っている。
モンスターに対し近代兵器の効果が薄い事から、守衛の姿もさながら中世ヨーロッパの騎士を思わせる格好だ。
千雨は電子端末を取り出し、入場ゲートにスキャンをかける。
開いたゲートをくぐり、守衛の横をすり抜けた。
守衛二人は千雨の軽装に驚くものの、わざわざ止めたりなどはしない。
千雨の手に持つガントレットの数多の傷が、彼女の戦歴の多さを示していたからだ。
ゲートの先にあったのは細い石造りの階段。これを降りていけばまもなく『迷宮』の地下一階に着くはずだ。
階段の下からムンとした湿気と、濃い緑の匂いがした。
「へぇ」
どうやら情報通りの迷宮らしい。
かつて探索した『迷宮』よりは遥かに潤いがある場所の様だ。
階段を降りた先には、陽光降り注ぐ森が広がっていた。
地下とは思えない空間の広がり方に、千雨は懐かしさを感じてしまう。
「戻ってきちまったか」
薄々予感はしていた。
この残酷な世界に一度身を浸してしまった自分が、温和な世界にじっとしていられるはずが無いのだ。
「そうだ。そうなんだよな」
千雨が呆然としていると、それを油断と見たのか、この地下一階でも最弱のモンスター、体長四十センチ程の『森ネズミ』がキーッと奇声を上げながら飛び掛ってきた。
それに気付いて避けるも、千雨は頬に小さな傷を付けられてしまう。
「――ッ。ククク。あぁそうだ。油断してない、なんて思いつつ私は何を見とれていたんだ」
その小さな傷が千雨の探索者としてのスイッチを押した。冷えていく思考。目の前のモンスターを殲滅する事だけを考えていく。
今の千雨にはブランクがあり、かつての実力には程遠かった。
それでも――。
「キィッーー!」
再び飛び掛ってきた『森ネズミ』を手で鷲掴みにし、地面に叩きつけた。
『森ネズミ』は断末魔の悲鳴すら上げずに、光の粒へと戻り、『迷宮』の持つ循環機構へと取り込まれていく。
「この感覚、そうだこの感覚だ」
左手首、腕時計の下がズクズクと鈍く脈打つ。
森を睨み付ければ、そこには低層とは思えない程のモンスターの群れがあった。
低層で一度に襲ってくるモンスターがこれ程沢山いる事は稀だ。
千雨はその姿を見て、ニヤリと笑う。
「どうやら私を〝歓迎〟してくれてるみたいだな」
再び左手首が脈打つ。
千雨はそのまま、まるで散歩でもするかの様な気楽さで地下二階への階段へ向けて歩いた。
そのまま二階へと降り、そこでの〝歓迎〟も事如くを跳ね返す。
彼女の通った道には、モンスターが残した血の痕と、大量のドロップアイテムが残されていた。
千雨は地下三階への階段を降りていく。
体にはまだ熱さが残っていた。
『迷宮』の〝歓迎〟が、体を火照らせている。
そして地下三階へ降りた千雨が見たものは、狼の群れに襲われたクラスメイトの姿だった。
「あれ、お前らは――」
途端体の芯が冷えていくのを感じた。
千雨の冷静な部分が、その場での状況や打算を計算していく。
――君は彼女達がモンスターに襲われているの見つけてしまった。
――彼女達に救いの手を差し伸べるのも、このまま見捨てるのも君の自由だ。
――どうしますか?
千雨の選択は――。
第0階層 END
あとがき
読了感謝です。
今回の千雨さんも色々ありますが、コンセプトは最強系という感じです。
作者は『世界樹の迷宮』の1しかやってないので、他シリーズは知らないのですが、この1でのアルケミストの立ち位置を色々な意味で魔改造したのが今回のです。
1でのアルケミさんは、序盤から属性攻撃が出来て強い反面、後半になると他職業のスキルの伸びなどから、決定力不足で頭打ちになっていく職業な様です。wikiなどから察すれば。
ちなみに作者は四階層で止まってますが、その時点でもアルケミさんの頭打ちはヒシヒシと感じられました。
この千雨さんも同じく、『業火の迷宮』なる、明らかに火属性に偏ってる迷宮で頭打ちに陥った設定です。ちなみに氷属性が得意なのもやはりその迷宮のせい。
レベルカンストで頭打ちになった千雨さんが取った行動は、スキルの発動条件の見直しでした。メタファー視点で見れば、コードの改造、いわばチーター的な行動です。
その結果、多大なリスク(スキル発動不安定など)を背負いながらも、第一線で活躍出来るまでに返り咲きました。
作中の時点では、一度休養してるためレベルが下がり、多少伸び白が戻った状態で復帰しています。
と、そんな感じに完璧くさい千雨さんですが、反面性格的にはかなり酷く捻くれかえってます。
おそらく作者が完璧超人が嫌いために、ここまで酷く歪んでしまいました。
ここまで歪むからには、階層ごとクリアしていくなんて、まっとうな探索するとは思えません。
いや、本当にどうやって最下層にまで行くんでしょうね。誰か続きかいてくれないかなー。
そんなわけでおしまいです。