●6
「――今後のためにも色々聞いておきたいのです」
夕映の言葉を受け、千雨は笑いが堪えきれなくなっていた。
(ぷはッ! 死者が五十名? コイツら馬鹿なのか?)
視線を走らせれば、呑気な馬鹿面をしている四人が並んでいる。
(五十人? それぐらいの死体、私はしょっちゅう見てたっつーの)
千雨は口元を押さえつつ、必死に思考する。
(死者云々は組合の勧誘の謳い文句だろ。『迷宮街』である程度の伝手が出来ればすぐ分かるだろうに。こいつら組合の口車に乗ってるばかりで、全然分かってねぇ。完全に初心者――カモだわ)
ギルド組合は公表上、迷宮探索者の死者数を毎年五十名前後と発表している。しかしそれは組合が〝死者〟と認めた場合だけなのだ。
この場合の死者とは、遺体があり、身元が確認され、蘇生不可能な者を指す。それ以外は全て『行方不明者』として扱われる。
迷宮探索は過酷だ。その中で一週間連続で活動出来れば上級者として認められるだろう。そしてその中には更に例外がいるのだ。かつて迷宮探索に赴いた人間で、一年余を迷宮内で過ごして生還した人間がいた。
ギルド組合はそれを盾に取り、迷宮に入ったまま戻らない人間を『行方不明者』として扱っている。
強力無比なモンスターがばっこする迷宮では遺体が残る事の方が少ない。モンスターの餌にされ、迷宮内の食物連鎖に組み込まれるのが常だ。
そんな『行方不明者』は年間およそ数千名、多い年だと数万人に及ぶ。おおよそ探索者の三割から五割が命を落としている計算になる。
それでも探索者の総数は減らない。成功すれば得られる莫大な富と名声、それに引かれて毎年『行方不明者』以上の人間が探索者になるのだ。
(クラスメイトだから面倒で助けたが……)
昨日学園長から受けた依頼のため、下見のつもりで千雨は迷宮に赴いたのだ。往年の感覚を確認するため、低層を散歩していた時、夕映達と遭遇してしまった。
見過ごす選択肢もあったが、クラスメイトが行方不明になったりして、自分の身の回りが慌しくなるのを嫌ったのだ。
ふと、視線を周囲から感じた。まるで自分を観察しているような――体を舐め回される感覚。恐らくこの場所の会話は麻帆良側に見張られている。
(ハッ、ジジイ。昨日の私の言葉を早速忘れたのか)
千雨は笑みが怒りに変わり、口元は少し釣りあがり微笑している様な表情になった。
「あの、長谷川さん」
「ん。いや、すまない。分かった、そういう事なら協力しよう」
快諾した傍ら、ある程度の打算も含んでいた。
(こいつらがどの程度育つか分からないが、囮ぐらいにはなってもらいたいもんだ)
迷宮には幾つものルールがあり、迷宮探索のパーティーは六人以上だと不利になるというものがある。
探索者が身に着けた力やスキルは、ルールに則り迷宮が付与するものだ。
六人以上で探索する場合、それを大幅に削られてしまう。
そのため、五人以内で探索するのは探索者にとって常識であった。
しかし抜け道はある。六人以上での探索はルールに触れても、別のパーティーと探索中に遭遇する分には問題無い。実際問題無いどころかパーティー同士での殺し合いや、人間を狙う強盗紛いの探索者もいるのだ。
よって、複数のパーティーが別行動を取りながら同じフロアを攻略するというのも行なわれている。その場合、利益の分配などで良く揉めたりするのだが。
千雨が考えたのはそれだ。
探索に置いて味方を作っておく事は、時には強いアドバンテージになる。
千雨に与えられた猶予は一年。それ以内に迷宮最下層にいる主の首を討てばいいのだ。
(そう。こいつらがそこそこに削ってくれた上で、私が討ち取ってもいい)
肉の壁。そんな言葉を思い描く。夕映達への対応は決まった。
(あとは――どっかから見てる監視者か)
どうやって制裁するかを考えながら、千雨は夕映に問いかけた。
「で、何が知りたいんだ?」
「……率直に聞くのですが、長谷川さんの探索職はアルケミストで間違い無いのですよね?」
「そうだ」
「では、昨日の《帰還の術式》やあの巨大な炎の術式は何なのですか」
夕映の質問に千雨は感心した。
(へぇ、単なるマヌケってわけでも無さそうだ。一応頭は回ってるな。今一歩足りてないが)
内心ほくそ笑みながら、無関心を装い問い返した。
「あれがどうかしたのか?」
「私達は組合で探索職について講義を受けました。探索職の役割や、それぞれが取得出来る《スキル》まで。特に自分の職の《スキル》については把握しています。その上で、私はあの炎の術式を知らないしですし、あの時点で《帰還の術式》の発動条件を満たしていないはずです」
夕映の言葉にハルナ達がぽかんとなる。
「え、あれって《大爆炎の術式》の術式じゃなかったの?」
「そういえば私も《帰還の術式》について聞いたかも」
「確か《迷宮磁軸》に転送する、やったっけ」
三人は各々言葉を口にして相談している。
夕映はそんなハルナ達に構わず、じっと千雨を見つめて言葉を続けた。
「探索職の《スキル》は全て判明しており、おそらくこれ以上増える事は無いだろう、と私は教えられました。しかし、長谷川さんの《スキル》は明らかに《スキル》のルールを逸脱しています。もしかしてあのスキルは新しいスキルなのではないですか?」
《帰還の術式》とは文字通り、自分が探索開始した場所へと帰還するスキルだ。
しかしその発動条件は幾つかあり、その大前提には《迷宮磁軸》に転送されるというものがある。
《迷宮磁軸》は迷宮の五階ごとに置かれているワープポイントだ。地上と深層を繋げており、探索者はこれを活用して深部へと向かう事となる。
そして《帰還の術式》は自分が利用した《迷宮磁軸》へ戻るのであって、夕映達や千雨は《迷宮磁軸》を利用せずに探索をしていたため、術式の発動条件を満たしていないはずなのである。
「仮にそうだとしたらどうするんだ。それを教えろ、って言うのか?」
千雨の目がまた鋭くなった。
「探索のノウハウや技術は命を削って得るもんだ。私の術式だって1万G$でも安すぎる。綾瀬、お前はそれだけ払えるのか?」
「あ、あう……いや、その……」
口をぱくぱくとする夕映。千雨はこれ見よがしに溜息をした。
「まぁいいさ。どうせ意味無いだろうから答えてやる。私のスキルが新しいスキルか、だったな。答えはノーだ。私のスキルは断じて『ルールを逸脱していない』」
「そ、そんな。それじゃどうして……」
こちらを監視している視線に注意する。せっかくなので目の前の夕映達を利用しよう、と決断した。
「おまけで教えといてやる。アルケミストの《術式》にはそれぞれ骨子がある。安定した術式の行使のために色々と肉付けされてるが、骨子だけでも発動可能だ。意味は分かるか?」
千雨の言葉を吟味し、夕映はしばし考えた。
「……骨子。無駄な物を削る、そういう事ですか」
「そうだ。それぞれの《術式》を最低限まで削れば、応用の幅が広がる」
「それでも《帰還の術式》が使える説明にはなりません!」
「なるさ。《帰還の術式》が《迷宮磁軸》にしか転送出来ないのは、それ以外目印が無いからだ。私は迷宮に入る時、入り口に薬品でマーキングを作る様にしている。まぁ簡易的なものだから半日あれば消えてしまうがな。術式を最低限まで削り、対象を《迷宮磁軸》から自分のマークに変える。それだけで可能なんだよ」
この一ヶ月余で得た知識がガラガラと崩れていく音を夕映は聞いた。
ちなみに千雨はサラリと言うが、その《術式》に成功しているのは現在世界で千雨だけである。
千雨はバッグを漁り、一本の試験管を取り出した。
「これが何か分かるか?」
「それは……アルケミストが習う標準術式用薬品Aかと」
「あぁ、確かにそんな名前だったな。Aなんて付いてるが、これだけで術式は全部使えたりするんだがな」
試験管のコルク栓を取り、千雨は目の前にあるティーカップへトクトクと試験管の中身をスプーン一杯分程入れた。
「うわわ! そんな事やって大丈夫なの?」
ハルナが慌てて言う。ハルナにすれば、あの薬品が燃えたり爆発したりをしょっちゅう見ているのだ。目の前の行いを見て慌てるのは当たり前であった。
「大丈夫だよ。ほらな」
スプーンでクルクルと紅茶と薬品を混ぜ、千雨はティーカップを一気にあおった。
「ん、味はまぁまぁだな。ほら、舐めてみろよ」
薬品が残ってる試験管を、ポイと四人に投げた。四人は恐る恐る試験管の中身をソーサーに垂らし、指先で舐めてみる。
「あれ、甘い」
「ハチミツに似てるかも」
「ホンマやわぁ」
夕映も驚いていた。薬品そのものが人体に影響無いとは聞いていたものの、まさか普段戦闘で使っている物体に、こんな甘さがあるとは思わなかったらしい。
「たいそうな名前で言ってるが、そいつは迷宮産の資源で合成した甘味料みたいなもんなんだよ。実際それが燃えたり凍ったり毒になったりするわけじゃない。その薬品がアルケミストの術式発動の〝ルール〟であるだけだ」
そう言いつつ、千雨は先程紅茶を介して摂取した薬品が体内に回ってきているのを感じていた。
(頃合だな。《千里眼の術式》)
メガネのブリッジを上げる素振りをしながら、《千里眼の術式》を発動させる。瞳が淡い光を灯したが、誰もそれには気付かなかった。
本来なら迷宮内で周囲の強力なモンスターを探知する術式を、千雨は街中で使った。
(どこだ。誰が見ている)
このオープンカフェを見下ろすように、千雨の視界は広がった。
視点を移動させながら、注意深く周囲の人間を点検していく。
(いた。背後、五席ほど離れた位置に座る黒人。確か教師の、ガンドルフィーニ、だったか?)
風貌が目立つため覚えていた教師だった。
ガンドルフィーニは新聞を何気なく読みながら、オープンカフェで寛いでいる。だが千雨からすれば彼の注意がこちらに向いている事は明白だった。
長谷川千雨は〝男の視線に敏感〟なのだ。
(――虫唾が走る)
位置は分かった。それならばやり様がある。釣り上がりそうな口元をどうにか押さえ、無表情を装った。
「私達アルケミストはわざわざその薬品を自分で調合したり、出来によって階級付けしたりするが、薬品によっての術式の効果には差が無い。粗悪だと術式が発動しなかったりするが、ルールに沿った最低限の調合率ならば問題無い。ヘタに調合するより、組合の窓口で売ってる規格品を買った方が良かったりするぜ」
「え……そうなんですか?」
夕映はまたショックを受けた。ホームに調合器具まで揃え、チマチマとビーカーで量りながら調合してきたが、その意味がほとんど無いと言われればショックではあるだろう。
「そう、迷宮が提示するルールは敵では無い。そしてルールに沿ってさえいれば、迷宮探索で応用が効くって事だ」
千雨はハルナ達から試験管を返してもらい、バッグに仕舞うフリをしながら中に残った薬品で術式を発動する。
先程千雨は《帰還の術式》の発動条件を話していたが、千雨はもっと応用の効く発動も出来るのだ。
それは『視界の届く場所に人や物体を転送出来る』というものだ。
本来、探索職のスキルや力は迷宮でのみ発揮される。それは『迷宮』自身が持つ力を探索者に貸与しているからだ。
例外的に迷宮に隣接して作られる『迷宮街』では、その力の余波によりスキルを扱える様になる事が多く、酒場では喧嘩の種になってたりもする。
しかし千雨は違った。限界まで《術式》を軽量化したため、『迷宮街』だけで無く余波の薄い麻帆良市内でも発動可能だった。
それは傍から見れば無謀な術式だろう。
四輪車のパーツを分解して一輪車に変え、なおかつ平坦なアスファルトの道路では無く、緩く張られた細いロープの上を走るようなものなのだ。
かつてその《術式》の秘密を、ギルド組合の嘆願により莫大な対価と引き換えに提供したものの、余りの無謀さに組合がそのノウハウ会得を放棄した程の代物だ。
(《帰還の術式》)
テーブルの下で術式を発動させ、ガンドルフィーニのカップの中への入り口を開く。
そして――。
(《毒の術式》)
指先に紫色の雫が出来上がった。それを《帰還の術式》を使い、ガンドルフィーニのカップの中に落とした。
(完了、っと)
これでガンドルフィーニがカップに口付けをしたら、毒が発動するはずだ。直接命を脅かす程の毒では無い。一時間程体を痺れさせる程度の、千雨からすれば〝柔〟な毒だ。
「とりあえず私が教えられるのはこんな所だ。探索せいぜい頑張ってくれ。――あと、ごちそうさま」
千雨はそう言って立ち上がった。夕映達が何か言いたそうにしていたが、気付かないふりをして立ち去る。
未だ《千里眼の術式》は発動していた。
そして去り際、ガンドルフィーニがカップに口を付けたのを、千雨はしっかりと確認した。
◆
足早にオープンカフェを離れた千雨は、人通りの少ない路地裏へと入っていた。
《千里眼の術式》で見ている限り、ガンドルフィーニは少し離れて追いかけて来ている。
だがその足取りは危うい。
(効いてるみたいだな)
ポケットから手袋を出してはめた。
「さて、やるか。《帰還の術式》」
千雨の頭上に空間の歪みが出きる。そこに千雨は手を突っ込み何かを掴んだ。
そして――。
「よっと!」
一気に引き抜く。
千雨が掴んだのは人間の足首。それは千雨を監視していたガンドルフィーニのものだった。
「ぐ、な、何だ!」
突如地面に吸い込まれ、次の瞬間に空中に放り出されたガンドルフィーニは慌てた。彼はそのまま地面に叩きつけられる。
「がッ……」
本来の体調であれば防御の仕様もあったのだろうが、今の彼は毒により体の自由を侵されていた。
痛みと毒により地面にうずくまるガンドルフィーニを、千雨は見下ろした。
「おいおい、教師がさぁ、ストーキングとかってマズイんじゃないのか」
「ぐ……」
「なぁ、何とか言えよ! なぁッ!」
足を振りかぶり、爪先をガンドルフィーニの腹にぶち込んだ。
「がッ!」
「おい、何とか言えって言ってんだよ!」
ガンドルフィーニの顔や肩、腰や足なども次々と蹴り飛ばしていく。その度にガンドルフィーニの鈍い呻き声が漏れた。
「ぐ……長谷川千雨。君は一体……」
ガンドルフィーニが腫れた目蓋から視線を千雨に向ける。
男に見られている、それだけで千雨の神経は荒れ狂った。ある程度の耐性は出来たものの、視線に敵意が含まれれば千雨は敏感に反応してしまう。
長谷川千雨は男に恐怖していた。
普段から肌の露出はしない。制服を着るときもスカートの下に黒タイツを履き、私服も長袖とパンツルックがほとんどであった。先程も男に触れるのが嫌で、手袋まではめた。
それでも男の視線は彼女を恐怖させる。おぞましい記憶が彼女の視界に明滅して映し出された。
薬品すら使っていないのに、千雨の右手には氷の膜が出来ていた。それらが形を成し、ナイフへと姿を変える。
氷のナイフをガンドルフィーニの首元に当てながら、千雨は言った。
「おい! あのクソジジイから聞いているんだろ。もう一度言うぞ、私に干渉するな! 次は無い、次は殺す!」
ガンドルフィーニからすればその時の千雨の表情は不可思議でしかなかった。
狂気と怒りに塗れながらも、千雨の瞳は揺れていた。自分の娘が泣きながら癇癪を起こす様を思い出す。
こういう状態の人間には論理などが通用しない。
ガンドルフィーニは搾り出すように「わかった」と返した。
千雨はその言葉を聞き、ガンドルフィーニに嘲るような視線を送った後、汚物を扱うかの様に手袋を脱ぎ捨て、路地裏から消えた。
取り残されたのは傷だらけのガンドルフィーニだけであった。