しょーりゅーけーん。
いやもう、何と言えばいいのだろうか。フェブラリウス市関連株がこう、ね。爆上がり。もうご老体じゃ登れなさそうな坂を描いて連日ストップ高なのである。
つい先日プラントから発表されたS2型インフルエンザのワクチン開発の報によって、フェブラリウスとそれと直接取引のあるプラント理事国医療機関の株価は軒並み上昇するという現象に見舞われていた。世間ではブルーコスモスちっくなコーディネイター陰謀論が囁かれている中であるが市場は正直である。
まあ、その影響なのだろうがコーディネイターに関わっている、あるいはトップがコーディネイターである企業の株は値下がりを続けている辺り、経済という魔物の凶暴性が垣間見えると言うものだ。勿論、儲けさせていただきました。ええ。
そういうわけで、此処のところユウナの部屋からは途切れることなく奇声が発され続けることとなった。いつもの通り使用人はドン引きし、カナードは泣き叫び、エレンは真剣に自分の選択に後悔の念を募らせている。
あの後、エレン・シフォースは正式にオーブへ移住してくれることとなり、現在はプラントから呼び寄せたナチュラルのご両親とセイラン別邸で暮らしていた。ユウナやヴィンスの口利きによって現在はセイラン傘下の医療機関で研究を続けている。なお本人たっての希望により、カナードはシフォース家の養子として引き取られることとなった。もっとも彼女やご両親も忙しいので一日の殆どをセイラン本宅で託児所よろしくあずかっているので、こちらとしてもあまり言うことはない。
恋人旦那の前に子持ちになるか、と言ったら本気でぶんなぐられた。あの小柄というか気弱な気性からは想像もできない強い膂力は、やはりコーディネイターすげえと言わざるを得ない。ガッデム。
ダフト・エルスマンはプラント帰参の意思は変じていないようだが、こっちはもう放っておいてもオーブに残ってくれそうだから放置している。何故かと言うと、そのうち我らがお世話係、ユリー嬢が綺麗に狩ってくれそうな感じだからだった。狩りである。アプローチとかモーションとか、そんなちゃちなレベルでは断じてない。あの目は獲物を捉えた狩人の瞳である。
哀れなダフト・エルスマンが文字通り丸裸にされようが割と知ったことではないのだが――羨ましすぃッ! 妬ましすぃッ!――オーブに残ってくれるのならばそれは朗報だ。ユリーが寿退社しないよう説得するという新たな苦労は残るものの、全体的には喜ばしいことである。
その他にも、ユウナにとって慶事が続いていた。
「これはマジですかい?」
「マジでございます」
家令のヴィンスが持ってきたリストはセイラン傘下企業に就職した――つまりオーブに亡命を決めてくれたコーディネイターたちの氏名が明記されたものである。それをぱらぱらと流し読みしているうちに、ユウナの記憶にある名前が出てきたのである。
「工学博士ジャン・キャリー……これはまた」
元地球連合のエースパイロット、煌めく凶星J。彼の名を見つけた瞬間思わず飛び上がってしまった。何せあのイザーク・ジュールと互角に渡り合えるパイロットであり、優れた工学者でもあるのだ。これほどの人材を抱え込めたことは僥倖といって差し支えないものだろう。
まあ戦争始まったら連合軍に入る危険性もあるが、そこら辺はOHA☆NASIすれば思いとどまってくれるはずだ。うん、多分。
他にもそれなりの数のコーディネイターを抱え込めたこともユウナの機嫌を良くしていた。考えてみれば当然であろう。今まで宇宙で暮らしてきた者たちならばともかく、生まれてずっと地球にいたものがプラントへ渡るとなると、相当な覚悟が必要なはずだった。迫害という物理的社会的な強制力があったればこその移住であるが、逆に考えれば迫害さえなければ必ずしも宇宙に出ることをよしとする者たちばかりではないのである。
特に第一世代は両親や家族の多くがナチュラルだ。ジャン・キャリーのように今回のインフルエンザでその両親を亡くしたものは勿論いるだろうが、移住希望者にはそれなりの数でナチュラルも存在していた。彼らにコーディネイターの巣窟とも言うべきプラントへの移住はそれなりに含むところがあって当然であろう。
そんな中でオーブの一部がコーディネイター保護及び誘致を行っていれば、わざわざプラントまで行かなくてもいいのではないかと思う者たちが出てきてもおかしいところはない。それは勿論、コーディネイターが多数住まうとてオーブ国民の大多数はナチュラルである。それ故迫害や差別が全くないというのは、情けないことながら断言できない。が、それでも他国よりはよっぽどましなのは確実と言えた。
「とはいえ、今回のワクチン開発でまたぞろコーディネイター排斥論が活発化するのも事実。再度大量のプラント移住者が押し寄せてくるんですね、わかります。つーかはっきり言って前回のそれとは比較にならん大脱出だと思うよ。どうしようか」
「そこはウナト様に全てお任せすればよろしいかと。本日の首長会で例の件を提案なさるおつもりのようでしたよ」
「頑張ってもらいたいねえ。あれが通らなきゃ、こっちの用意も全部無駄になっちゃう」
ユウナは執務机の上に散乱した書類の一枚を手に取って広げた。それはある建物の図面である。とんとんと紙面を指で叩き、少年は大きなため息を吐いた。
「ま、いずれにせよダミー企業を嗅ぎまわっているところには特に注意してね。いつかはばれるにしても遅ければ遅いほど体制も強固になるから」
「承知しております。幾人か情報屋が嗅ぎまわっているとの報告もございますが、今のところ特筆すべきことは起っておりません。引き続き警戒を怠らぬように致します」
何このチート爺。どんだけ有能なの? 古くからセイラン家の家内一切を取り仕切ってきた家令の力量にユウナは内心舌を巻いた。ていうか情報屋って誰よ。ルキーニさん家のケナフ君じゃああるまいな。嫌だよ、あんなのと情報戦するの。
「セイラン傘下企業の株式保有率も調整しないと…ぼろはだしたくないねえ。お金は使うとなくなるんだよー。無限の財宝せっせっせー」
図面の上に書かれた文字をすっとなぞる。そこには大きくこう描かれていた。
即ち、モビルスーツ開発研究所と。
濃紫の服の男たちの呻きが部屋に満ちていた。
窓から入る日差しは強く、十一月の空は透き通るように晴れ渡っている。ウナト・エマ・セイランが座す位置からはその光景が広く見え、さっと流れているだろう爽やかな風に思いをはせた。この室内に蔓延する重々しい空気をそれと入れ替えたくて仕方がない。ふうと野太い息を吐く。
だからと言って窓を開けて空気を入れ替えるといった贅沢はここでは許されなかった。そんな真似をして、もし何らかの危険物を投げ込まれたらその瞬間オーブ連合首長国は崩壊の危機を迎えるだろう。冗談ではなく、ここに集まる者たちにはそれだけの価値があった。
枢密院首長会。オーブ連合首長国の最高意思決定機関であり、五大氏族を中心とした国内有力家の集まりである。現代表首長にしてアスハ家当主、その子息であり次期代表と目されるウズミ・ナラ・アスハ、サハク家当主コトー・サハク、そしてセイラン家の自分。他にもマシマ家、トキノ家、キオウ家と名だたる家柄の当主たちが各々の席に座していた。
あるものは腕を組み、あるものは瞑目し、そしてあるものはウナトと同じように外を見て心を養生させている。しかし各人で異なる仕草をしているものの、その表情だけは全会一致を遂げていた。無論、これはどちらかと言うと喜ばしくない方向のものである。
中でもウナトのそれは首長会一と言っていいだろう。何せこの苦い沈黙の原因は他ならぬ自分の提案によってもたらされたものだからだ。
「しかし、ウナト・エマ。これはいくらなんでもやりすぎなのではないか?」
マシマが困惑と疑惑をない交ぜにした表情で口を開いた。代表、ウズミ、コトー以外の首長たちも動作の大小はあれど同意を示している。
「左様。確かにこの件は以前より問題となって入るが…しかし」
「これではあまりにも世論を刺激しすぎる。利点は理解するが、被るであろう被害を考えればおいそれと頷くわけにもいかぬ」
「貴家やサハク家が個々に行う分には構うまい。が、これを政府で主導するとなると話は違ってこよう。考え直すべきではないか?」
口々に否定の言葉が宙を飛び交う。ウナトはサングラスをかけ直してその言葉を耳に入れた。内心だけで苦笑する。彼は鼓膜を震わせる言の葉全てに聞きおぼえがあったのだ。そしてそれに対する回答もまた、福々しい腹の内で練り込まれている。
「方々のおっしゃることはごもっとも。しかしながら、これは我が国にとって大いなる好機であることも事実でありましょう。実際、先の試験的な動きによってオーブの各種産業は飛躍的な発展を見せつつある。それはお手元の資料をご覧いただければ一目瞭然でしょう。
現在、地上から大勢のコーディネイターが迫害を恐れて宇宙へと逃げ伸びています。ですが、感情に流され裏も取れぬ噂に流された結果起ったこの出来事が、世界経済にどれほどの打撃を与えたか。方々は御存じでしょう? 各種産業の衰退、技術の停滞と流出、品質劣化と生産効率の悪化。優れた工業製品を手に入れられるプラント理事国は良いでしょう。ですが我らや大洋州連合といった非理事国の受ける影響は計り知れない。今ここで手を打たねば、理事国と非理事国との格差は埋められぬほど広がり、我がオーブは工業生産国から単なる一南洋の景勝地へと転落してしまいますぞ。
方々はそれでよろしいのか?」
「…それは理解している。だがそうだとしても、この動きはあまりに急進的すぎる。下手をすれば国内にテロの火種を抱え込みかねんのだぞ」
「そのための警察。そのための国防軍でしょう。それを抑えるために彼らはいるのです」
「いかな軍とて全てに対応することなど不可能だ! それこそ神でもなければな」
キオウが資料を机に放り投げた。がしがしと頭をかき、吐き捨てるように呟く。
「コーディネイター移民の大規模受け入れと、都市開発計画など。諸国が知れば何と言うだろうな!」
「下手をすればオーブは外交的に孤立するぞ!」
「…既にしているではないか」
揶揄するような台詞にマシマの柳眉が逆立った。ぎっと切り裂くような眼で発言者――コトー・サハクを睨みつける。しかし睨まれた方は飄々とした雰囲気を隠そうともせずせせら笑った。
「もとより我が国はコーディネイターの居住を許可している。今更少々増えた所で目くじらを立てんでもよろしかろうに」
実際、S2型インフルエンザ蔓延と例のテロ疑惑以降オーブに対する風当たりは強くなる一方だ。地球の一国家でありながらコーディネイターを保護するなど、ある種の人間からすれば裏切り以外の何物でもないらしい。問題はその種の連中が面倒なほど権力を有しており、世論操作にたけているというところにあった。
おかげで昨今のオーブは悪役そのものである。そのうちオーブ製品の不買・打ちこわし運動にまで達するのではと国内では懸念されていた。
そこへきて、これである。貿易中継点として栄えてきたオーブにとって、製品が売れないなど悪夢以外の何物でもないだろう。マシマの言うことはこの場の総意に近いものがあった。
ただまあ、対策はある。
「少々どころではないから言っているのだ! 概算でも数十万、下手をすれば百万の大台に乗る数をどうさばくと! 移民を受け入れることによる弊害は御存じであろうに!」
「何のために我らがここにこうして集まっておると思うのだ。それをどうにかするためであろうや。できぬのは怠慢、給料泥棒と言うものよ」
「コトー殿!」からからと笑うコトーにキオウが憤怒の炎をあげた。それをアスハ代表のしわがれた声が鎮火する。
「まあ、双方の言うことも理解できる。ウナト殿、それらへの対策はどのようなものはあるのかの?」
「確かに、彼らの受け入れにともない各国からの非難あるいは明確なテロ行為が行われる可能性は否定できません。ブルーコスモスなどの厄介な存在もあることですしな」
ウナトは唇を湿らせて言葉を紡ぐ。苦笑が表に出ないよう必死に顔の筋肉を制御する。何から何まで先日のやり取りと一緒だった。そのことへの滑稽さと、自分だけではないという奇妙な安堵感がウナトの胸を満たしていった。
言うまでもなかろうが、もともとこの案件はウナトの脳細胞から生じたものではない。家令のヴィンス・タチバナから上がってきた計画である。恥ずかしいことに何を考えてるんだと声を荒げてしまった。しかしびっしりと書きつづられた内容と起るであろう未来予測、そしてヴィンスによる補足説明によってあっさりと丸めこまれてしまった。
コーディネイター移住計画。恐ろしい危険が伴うものの、その利益は計り知れないことを理解してしまったのである。いかな親大西洋連邦派たる自分といえども、セイラン家当主として、何よりもオーブ首長の一人として、自家の利と国益になるのならばそれを実行するに否やはない。
しかし、とウナトは胸の内の笑みを深くした。この計画を立案した人物は一体何を考えているのか。愛しさと心配が絶妙に混ざった感情が喉までこみ上げた。ヴィンス自らが考え出したものでないことくらいウナトは初めから察しているし、おそらくあの子も隠す気はないのであろう。ある時期からウナトの愛し子は他人の前でも子供の猫を被らないようになってきていた。「人的資源の補充減少でプラント涙目! くやしいのうくやしいのう!」と笑っている辺り、もう少し隠ぺいしてほしいと思ったのは秘密であった。
ただまあ、親として予想以上に早く独り立ちを始めたことに対する寂しさはある。妻などは露骨に息子の成長を嘆き、その反動か最近我が家に出入りしている研究者の子息にかまい始めた。なかなか人見知りが激しい赤子であるが、むしろ手のかかる子ほど可愛いと言わんばかりに手をかけている。おかげで教育方針の違いから実の息子と冗談みたいなやり取りをすることも多くなっていた。
ウナトや妻は職務上滅多に家に帰れないが、それでも帰宅するたびに「母上は厳しすぎ!」「ユウナさんは甘やかしすぎです!」と楽しそうに議論を戦わせている様は、息子との距離感に悩む父親としては羨ましい限りであった。
…今はそんなことどうでもいいか。
「それを避けるべく、開発する都市はタケヨリ島を考えております。本島に建てるには少々危険でありましょうからな」
「タケヨリ島というと、貴家の私有地ではありませんか」
「あの島が一番適していると考えた結果です。面積、火山熱による発電のしやすさ、湾口部の形状、新都市には最適と言えるでしょう」
コトー・サハクの唇がにい、とつり上がった。しかし言葉を発しようとはしていない。
これが新都市をセイラン家の影響下に置くための措置であることは語るまでもないことだった。そしてそれと同時に、都市の治安その他に関する責任の一切をセイランが負うという宣言でもある。
主導権は握られるものの、憎まれ役をセイランに押し付けたままコーディネイター関連の恩恵にあずかれるというのは首長たちにとっても大きな利益と言えた。彼らももろ手を挙げてとまではいかずとも、消極的な賛意を得ることは可能であろう。
「何よりも、移住自体はコーディネイターのみを対象にしていないということです。新都市にはナチュラルも多く居住することとなるでしょう」
「…ウナト・エマ。貴殿の言っていることが理解できぬのだが。これは迫害を受けるコーディネイターを我が国に誘致するための政策であろう?」
「左様です。しかしお忘れではないですかな? プラントはともかく、地球に住まうコーディネイターの家族はその大半がナチュラルなのですぞ?」
はっと首長たちが瞠目した。ウズミやアスハ代表に至っては苦笑を隠そうともしていない。
「表向きはコーディネイターが家族にいるナチュラルのための政策とします。コーディネイターのせいで謂れなき迫害を受ける同胞を救済するための措置としてね」
「…詭弁だな」
「当然でしょう? 政治など詭弁を金で包み込んだものなのですから」
コーディネイター排斥論の渦巻く地上においてその建前は重要である。例えそれが紙きれ一枚分の薄さしかないものであっても、それを盾にして押しきればいいのだ。幸いオーブにはそれを可能とする政治的土壌があった。
「確かに成功すれば、その利益は計り知れないでしょう」
黙していたウズミが張りのある声をあげた。その瞬間、ウナトは何かにのみ込まれるような感覚を味わう。この男が立ち上がる、ただそれだけのことなのに彼から目が離せなくなる自分がいる事に気付いた。
「またオーブは、その法と理念を守るものであれば誰であろうとも入国、居住を許す国です。彼らが我が国の民となることを望むのであれば、我らは彼らに対し相応の誠意を見せねばなりますまい」
「では、ウズミ殿。貴殿は本件に賛成すると?」
「然り」コトーの言葉にウズミは深く頷く。「我らが望むのは平和と安定。そのために必要であるならば私に否やはありません」
「では、アスハ代表。採決をお願いしたい」
そう言いつつも、ウナトはこれが通るであろうことが簡単に予測できた。何故なら、自分を含め此処にいる皆がウズミの発する何かにのみ込まれていることに気づいていたからである。
採決。十二人の内賛成八、反対三、棄権一。都市開発計画はオーブ政府によって可決、実行に移されることが決まった。