株、株、株である。
窓の外から流れ入るさわやかな空気とは対照的に、ユウナの周囲はおどろおどろしいオーラによってどす黒く変色していた。くくく、と口から含み笑いが漏れるたびに、南洋の煌めく陽光は途端に回れ右して天へと帰る。部屋の隅でいつものお世話係嬢がドン引きしているような気もするが、今のユウナにはそれすらも面の皮を貫くには至らない。
室内に備え付けられたコンピュータに羅列された数字が動くたびに、自分の顔から心に至るまでがつられるように躍動した。それは時折愕然としたものも混じるが、全体的には愉悦に属する者の方が多い。実際ユウナは――見かけはともかく――ひどく上機嫌であった。
何をしているのかといえば、先ほど連呼した代物をしている。つまり株である。三歳児のするこったねえ、という意見は聞かない。あちらの世界ですら株でお年玉を稼ぐぜ、という猛者的小学生がいらっしゃったのだ。より未来のこちらなら、三歳がやってもおかしくはないはずである。
まあ、両親から家令に至るまで「子供がんなこったするでねえだ!」というご意見であったのだが、幼児特有の駄々攻撃と高音波爆撃によって力づくで確保したのは御愛嬌だった。ウナトなど最後の方は福々とした頬をこけさせ、見るも無残な姿になっていたような感じもするが、気にしてはいけない。
ともかく、ユウナは資金も潤沢に頂き――といってもセイラン家資産からしてみれば文字通り子供の小遣い程度であるが――自由裁量も確保した。世間知らず、我がまま御曹司等のあだ名を頂くことなど、このことの対価としてなら激安である。証券会社? セイランの名前が出た瞬間平身低頭トップ御自らが接待してくださいましたが何か?
しかし経済大国オーブの首長家というのは本当に並みはずれた資産を持っているらしい。アフリカでどこぞの獅子姫のためにアスハ家がとんでもない額を使ったことといい、今回の自分のことといい、跡取りに甘い事だ。一般庶民的ユウナは鼻血を吹きだしそうだった。それを利用した自分が言うことではないのは自覚している。
さて、何故ユウナがこうした事を始めたかというと、簡単にまとめれば自分の自由にできる資産が欲しかったのであった。世の中金、これは真理である。
ユウナの記憶によれば、これから先、世界は間違いなく戦乱の焔に包まれることになる。そうした中で必要になるのは純然たる力、即ち軍事力だ。
オーブは現在でも高水準の軍事力を有し、世界でも一目置かれる技術大国である。しかしそれはあくまで従来の軍事ドクトリンに沿ったものであり、新体系のドクトリン――端的に言えば、モビルスーツを中核とした有視界近接戦闘には対応していない。当たり前だ。プラントにおいて世界初の実用モビルスーツ「ザフト」がロールアウトするのがC.E六五年、今より十一年も先のことであった
さらに述べるなら、オーブがモビルスーツを実戦配備し始めるのはヤキン・ドゥーエ戦役が激化した後なのだ。おまけにその開発自体も地球軍の技術盗用によるところが大きいときている。
困る。それでは非常に困る。ユウナはそう考えた。確かにオーブは二度の大戦では諸国と比べても優秀なモビルスーツを配備した。することができた。その結果オーブは冠たる軍事技術をこれでもかと全世界に見せつけて――オーブ解放戦争で敗北したのだ。
つまり、C.E七一年から始まった軍事力整備では、大西洋連邦の物量作戦に対応しきれないことが明らかになっているのである。
そうならない為にはどうするか。答えそのものは単純にして明快だ。即ち改善するしかない。そしてそのためには、早期のモビルスーツ開発と運用実績の蓄積、技術の向上を行わなければならなかった。
つまり金がいる。それはもう、鼻血を吹きだしそうなほど金がいる。現在の軍事常識からすれば、モビルスーツなど一笑にふされて仕舞であろう。つまり国から予算を頂くことは絶望的な状況ということだった。であれば、どこかから笑いたくなるような規模の資金を調達するしか道はない。
家長がウナトである以上、次期当主といえどセイラン家の資産は使用不可。というかいかな五大氏族であろうとそれだけの金を使えば破産するに決まっている。ならば多少悪どい手を使ってでも、金を得ておかねばならないのだ。
そしてその方法というのが、経済の魔物たる投資だった。ユウナはこれより起り得る事件を大まかであるが知っている。それはこの世界において、何にも勝る武器であった。
「今年はS2型インフルエンザが大流行するはず……となればマスクや医療関連の株は確保。それとプラントのフェブラリウス市関連の株は最優先しないと。ああもう、プラントは理事国を経由しないと参入もできないから面倒だよ、ったく……」
インサイダー? 何それ、美味しいの? ユウナはまた含み笑いをあげた。お世話係がますます引いていくが、気にしてはいられなかった。こちとら命がかかっているのである。
そう、ユウナは自らの死亡フラグ打破の方策をずっと考えてきた。どうすればあのカオスな状況で生き残ることができるのか、ない脳みそを振り絞って知恵熱出しながらも必死になって頭を働かせてきたのである。その結果、一つの結論に達することができた。
ユウナ起死回生の一手、それは即ちオーブの獅子ウズミ・ナラ・アスハの生存である。ユウナはウズミの事を政治家として高く評価していた。あの泥沼の中で中立を維持し続けられたのはひとえに彼の政治手腕によるものであったし、ヘリオポリスでの地球軍モビルスーツ開発の醜聞で、オーブがザフトから明確に敵視されなかったのもウズミの力が大きかったからといえよう。オーブ解放戦争での判断ですら、状況自体がもはやどう足掻いても生存不可の詰みゲー状態であった以上、仕方のないことだとユウナは考えていた。というかどうしろと、あんなの。
少なくともウズミが死ななければ、カガリの代表就任とセイランによる大西洋連邦との同盟も回避できるはずである。実際彼は、大西洋連邦からの最後通告時で親連合派を押さえて中立を貫きとおした。それだけの能力をウズミは有しているのだ。
カガリも有能な人物である以上、経験さえあれば父ウナトとも渡り合えるだろうとは思うのだが、残念ながら時間は彼女に成長を許さなかった。あの金髪の娘には、未だ親の庇護が必要なのだ。
「地獄の沙汰も金次第ー、と。後はコーディネイター作成企業の株は全部売っとかないと…。トリノ議定書が採択されてからじゃ遅い遅い」
そのためには、何が何でもオーブの崩壊を防がなければならない。そうすると必然的に軍事力が必要になって、やはり金の問題となる。お金は大事だよー、あったらあっただけこまらないー。
できる事ならC.E.六〇年までにはモビルスーツ開発の下地を作っておきたい。あとビームの小型化とか、フェイズシフト装甲関連とか、ナチュラル用OSとか、飛行用ユニットとか、ニュートロンジャマー・キャンセラーとか、実用化しなければならないものは山ほどある。ついでにそのための人材確保として、予想されるコーディネイターの地球大脱出に際し有能な人材を少しでも多くオーブに勧誘する仕事も残っているし。
ちょっとだけ泣きたくなったのは秘密だった。