重く鈍い音が、腹の底まで響くかのようだった。
勿論、実際にそれを己が身で感じ取ったわけではない。しかし目から飛び込んできた情報は、本来あり得ないにもかかわらずユウナの身体を振り動かすことに成功していた。
まさに圧巻。見学用に作られたスペース、その中央の席に座りながら、強化ガラスに隔てられた光景を見て、ユウナは何度も頷いた。
アストレイ研究所第一実験場に、巨人の姿があった。
くすんだ灰色の装甲にツインアイ、ツインホーン。姿そのものは非常に簡素でスマートである。しかし彼から放たれる迫力は、ともすれば味気なさすら覚えるような外装を補って余りある、一種異様な魅力を醸し出していた。
C.E六〇年、三月。アストレイ研究所は遂に初の試作モビルスーツ『ハウメア』の開発に成功した。足がけ三年。鼻血を吹きだしそうなほどの予算と労力を注ぎ込んだ集大成が今、目の前にある。武装はない。装甲も単なる鋼材で、試作も試作、文字通り丸裸の機体だけであるが、それでもモビルスーツであると断言できる代物だった。
ユウナはほう、と息をつき、ちらりと周囲を見渡した。所長ジャン・キャリーをはじめとして、三爺以下主だった研究者たちが固唾をのんで見守っている。いずれも緊張と期待に目を輝かせ、実験の開始を今か今かと待ち望んでいるようだった、
「それでは、起動します」
進行役のエリカ・ローレンスの台詞と共に、メンテナンスベッドの拘束部が外れ、ハウメアの瞳に光がともった。ゆっくりと腕とマニピュレータが動作を開始する。おお、とセガワ博士の歓声が漏れた。
記念すべき一歩。ハウメアにしても、これよりさらに加速するだろうモビルスーツ開発にしても、これは大きな意味を持つ。ユウナはわれ知らず息をつめて、その動作を見守った、機体が右足を踏みだし、その巨体に力をかけて。
――右ひざをついた。
「は?」
次いで左ひざをついたが、かかる力をさばききれないのか重心が定まらず、腕を緩慢に振り上げる。どうもバランスを取ろうとしているらしいが、全くもって上手くいっていない。やがてハウメアは両膝をついたまま、こちらにまで聞こえてくるような盛大な音とともに、実験場の大地に転がった。もうもうと埃が立ち上る様を、どこか他人ごとのように見つめる。
…ど、土下座ガンダム! アフリカ辺りで一人の少年が見せた愛憎溢れる一発芸が、ユウナの眼前に広がっていた。
『いやっほおおおおおおおおおおおう!』
盛大な歓声が鼓膜を破りそうになった。白衣の研究者たちは、ユウナの混乱を余所に、お互いの肩をたたき合ったりと健闘をたたえているかのようだ。
「やりましたな、皆さん」
「うむ、よもやあれだけ動けるようになっていたとは思わなんだ」
「というよりも、きちんと立っていられたことがまず素晴らしい」
「当然じゃ。あのOSはわしが組んだんじゃからな」
窓外のモビルスーツ(笑)に消火剤が吹きつけられた。瞬く間に膨らむ白煙は、まるで彼らを祝福する花火のようにあでやかだ。
え、何これ。一緒になって喜ぶべきなの?
「えっと…ジャン博士。これって成功…なんだよね?」
「勿論です。見ましたか、ユウナ様? 自重で崩壊することもなく、バランスよく直立できたのですよ。さらに腕部、脚部の動作も異常なし。初の試作機にしては上出来ではないですか」
えー、そうなのー。白皙の顔を珍しく紅潮させたジャンに、ユウナはあいまいな笑みを返した。この碩学がここまで感情をあらわにしていると言うことは、実入りのある実験だったということなのだろうが。
「ユウナ様が、それなりに歩けて、それなりに動ける機体を想像されていたのであれば、ご期待を裏切る結果になったのでしょう。ですが、新規開発にかかる手間と労力を考えれば、これはむしろ順調なほうです」
「や、わかってんだけどね。基礎技術の発展に時間は不可欠だってことは」
そう言う意味では、わずか二年ちょっとで実践モビルスーツを開発してしまったプラントが、どれほど化け物じみているのかが嫌という程分かった。そりゃブルーコスモスも躍起になるわ。
ジンという基礎ベースがあったにもかかわらず、地球連合、史実オーブがのたうちまわってようやく完成させたことから考えても、妥当と言ってしまえばそれまでなのだが。ハイぺリオン等の少数の実験機を除いて、実際に量産までこぎつけられたのがわずか三国だけという意味がユウナに重くのしかかる。
甘く見ていたつもりはなかったのだ。けれどそれでもこれはいささか以上に予想外だった。下手をすれば、量産できるようになるのは開戦前夜、なんてことにもなりかねない。
モビルスーツに搭載する武装やらなんやらは、遅々としているもののそれなりの進歩を見せているのが、せめてもの救いであった。特にフェイズシフト装甲は、その理論提唱者たるヘリオポリス工科カレッジの教授、モーリス・ゲール博士指導の下、一番開発の進んでいる分野である。
ていうか、フェイズシフト装甲理論ってオーブ発祥なのに、史実であんだけ開発に手間取るってのはどうなのよ。いやまあ新機軸の技術って、自国では見向きもされなかったから、よしおいちゃん海外で一旗あげちゃうぞー、と海外流出するのはよくある話なので、さほど不思議でもなんでもないのだが。ライト兄弟や八木博士も草葉の陰で笑っていよう。
ともかく、ゲール博士の頬っぺたを札束で叩いて研究チームを立ち上げて、特許関連も全部抑えたから、少なくとも大西洋連邦に流出する可能性は減ったはずである。ざまあ、マリュー・ラミアスざまあ。でもうちに来てくれるのなら超高待遇を約束する。いや本気で。モビルスーツといいフェイズシフトの実用化といい、彼女は本当に優れた技術者なのだと思い知っているのだ。正直言って来てくれるのなら土下座しても良い。
ちなみにカトウ教授にも一部を委託しているが、何だかんだで大西洋連邦ともつながりがあるっぽいので、さほど深入りさせる気はなかった。変に拘わらせて技術流出とか洒落にならない。
「…やっぱり、もうちょっと考えるしかないかなあ」
さすがに完成まで五年も十年もかかるのは勘弁してもらいたい。ある程度荒稼ぎしているものの、そろそろ資金的にも乏しくなりつつあるのは避けがたい現実だった。一応先のL5宙域の艦隊駐留、クライン・ザラ両名の最高評議会員選出、アメノミハシラ建設開始等で多少資産を増やしてはいるものの、増加以上に減少速度の方が速いため、正直このままでは早晩破たんしかねない。まっかっかの自転車操業である。
一応、銀行の融資は取り付けてあるので――本当に五大氏族の名前は社会的信用があるものだ――即座に倒産ということはないが、それでも開発時間は短ければ短いほどいい。
「ある程度収益を得られなきゃいけないよねえ。ジャン博士、造船部門の技術習熟はどんな感じ?」
「部門長によると、どうにか一定水準に達したと。ですが相当無理をしたようで、実際に使い物になるのかは未知数でしょう」
造船は非常に高い技術力がいる。特に宇宙船などその最たるものだ。いずれモビルスーツ運用を前提とした艦を作るため、プラントで造船業に携わっていた者たちを中心にして一部門を早くから組織していたのだが、それでもまともに動くようになるまでかなりの時間を費やした。適材を適所に移し、各技術力を一定化し、人間関係やら事務仕事やら設備投資やらを行い、やっとのことでここまで来たのだ。
「んじゃ、もうしばらくしたら、セイラン傘下の企業からいくつか仕事もらってくるよ。まずは実績作りからだね」
どこの業界でも、実績がなければ信用されない。特に宇宙というシビアな世界で、命を預けることになる品物となれば、信用の必要性は筆舌に尽くしがたいものだ。はい、今日から僕たち御船作ります。どうか依頼してね。そんなことで仕事がもらえりゃ苦労しないのである。
目指せイズモ級。いずれは軍から戦艦建造の依頼を受けられるようになればいい。まあ、造船でどうにか収入が得られるようになってもらわないと、自転車の車輪が外れてしまう。是が非でも成功させねばなるまい。
となると、早々にウナトと意見調整をした方がよいだろう。ユウナはぱっと扇子を取り出し、ひらりひらりと空を仰ぐ。
あの夜からもう六ヶ月。一時はウナトとの絶縁すらも覚悟していたのだが、不思議な事にそれまでと全く変わらない関係を維持していた。割と色々カミングアウトしたし、正直追いだされても文句を言えない立場だと自覚していたユウナにとって、これは非常に驚くべきことだ。…否、頭の片隅では、こうなることも計算に入れていたため――我がことながら正直吐き気がする。しかしだからといってどうしようもない――ある部分では受け入れているものの、それでもどこかしらしっくりこないものを感じている。
何せ。全部ぶちまけた後の、ウナトの反応の一切を、ユウナは覚えていないのだから。
いや、原因はわかっている。ブランデー、あの魔性の飲み物のせいだ。芳醇な香りと強いながらも豊かな甘みを感じさせてくれる、彼の一品がユウナから思考力と記憶を奪ってしまった。
はい、酔っぱらって途中から何にも覚えていません。
故にウナトがどのような決断を下し、それを自分に告げたか、ユウナにはさっぱりわからないのだ。翌日以降、これまでと全く変わらない形で接してくれていることから、そこまで悲惨な印象を抱かれていないとは思うのだが。否、ひょっとすると表に出していないだけなのかもしれない。
回答のない悩みであれば、いっそ本人に聞くというのも一つの手ではある。しかしいざそうしようとしても、どこかで怖気づいてなあなあで済ませようとする自分がいた。もしも拒絶であったら、と考えると思考が停止するのである。
「金、金、金。地獄の沙汰すらこれで何とかなるんだもの。おっそろしいよねえ」
ハウメアの回収作業を眺めながら、しみじみと呟いた。
その後、諸々の手続きや実験を眺めたユウナは、アストレイ研究所の玄関に止めていたリムジンに戻る。黒塗りの高級車の脇に立つ人影を見やると、苦笑しながら小首を傾げた。
「お待ちどうさま。帰ろっか、アビー」
はい。と淡々と返す少女は、すっとドアを開けてユウナを車内に招き入れる。アビー・ウインザー。御年八才の美少女は、さっと自分の隣に腰掛け、シートベルトを締めた。
どうしてこうなった。もはや百どころか千を越える回数を共にした言葉を呟き、ユウナはまた苦笑する。なんかこう、気が付いたらこうなっていたのだ。僕は悪くない。
どうなっていたかと言えば、それは彼女の服装を見れば一目瞭然――多分――だろう。さらりとした金髪の上にのったカチューシャ、白いフリルのあしらわれたエプロン、紺色の、所々に花が描かれた着物。赤と金の蒔絵が見事な下駄。
メイドだった。しかも和服メイドとかいう、非常にコアな代物である。誤解のないよう言っておくが、彼女に関する一切のことは、ユウナの関わりない部分で進められている。美少女の和服メイドとか何その御褒美、とか思いはしたが――口にしたら顔面に蹴りを入れられた後後頭部を踏みぬかれた――断じて自分は関わっていない。無実、無実なのだ。
何故か知らないが、彼女はセイランの――もっといえば自分の近従としてセイラン邸に上がり、産休を終えたユリー・エルスマンの補佐として働いているのだ。唐突にヴィンス爺から「今日から彼女がユウナ様のお世話を致します」とか言われた時の自分の顔は、さぞや見物であったろう。後でアビーがわざわざ引きのばした写真を見せてくれた。ブログに乗せて全国展開したと聞いた時、ちょっとだけ泣けたのは秘密である。
一体全体、彼女にどんな心境の変化があったのだろうか。あちらのご両親様も、是非にと仰られていたし、本人の希望であればそこまで強く反対する気もなかったからこうなっているが、本当に何があったのだろう。
ていうか、社交界でナダガとリンゼイの総領たちの視線がものすごく痛いのは余談である。恐怖と嫉妬と憎悪の素晴らしい混合で睨まれるのも楽ではない。そんな目で見られても自分にはどうしようもないのだからなおさらだ。
まあ、それはいいとして。
「どうぞ」
と差し出された半透明の板――情報端末に目を丸くし、ユウナは眉をひそめた。何これ、と聞くと、お手紙です、と端的かつ明快な回答が戻ってくる。
「それほど多いというわけではありませんが、可及的速やかに返信された方がいいと思われるものをご用意しました」
「そいつはありがとう。でもどう考えてもプライベートな代物も混ざってるのは気のせいかな? ユウナさんのヒ・ミ・チュ。というか、探られると痛いどころじゃないものも混じってる気がするんだけど。いたいけなお嬢さんからのラヴレターとかあったらどうするつもりなの?」
「混ざってるんですか? …いえ、すみません。そうですよね。ご無礼いたしました」
「やめて。超やめて。そんな憐憫百パーセントの微笑みなんか見せないで。悲しくなるから。すごく悲しくなるから」
何かこの娘最近、精神肉体問わずに僕を痛めつけてくるんですけど。え、最近の若いお嬢さんって皆こうなの? やっぱすごいなこの世界。
深く考えると色々悲しい事実に気付きそうだったので、ユウナは端末を操作し、いくつかのメールを開封する。一通目は量子通信システム共同開発を依頼した、アクタイオン・インダストリー担当者からのものだった。内容自体は意見調整に難航しているものの、協力自体には前向きとの事。アストレイ研究所は新興で実績もないが、人員は優秀だしセイランが背後にいるという点を考慮してくれたのだろう。世の中やはりコネである。
二通目は、大西洋連邦のフレイ・アルスターからだ。文脈やら文法は滅茶苦茶だが、メールだけあってどうにか解読は可能なのが救いだった。要約すると、またカナードを連れて遊びに来い、とのことである。ユウナを指す名詞が下僕二号というのには、著しくプライドを傷つけられるが、そこは大人の意地で顔には出さなかった。どうしてこの世界の女性と言うのは、こうも自分を泣かせるのが上手いのか。
三通目、ムルタ・アズラエルから。経済条約機構に関する諸々がその内容であったが、最後の方には私信が織り込まれている。行間の端々からいかにも不本意ながら書きました、という感じが読み取れて、何とも幸せになれる手紙だった。何だかんだでこちらに付き合ってくれるのだから、根は良い人と言わざるを得ない。男のツンデレも以外と悪くないね。
四通目はトダカ一尉のご両親様からの御礼状である。何故に彼の親御さんからそんなものが届くのかと言うと、あの真面目軍人がやらかしてくださったからだった。
あの野郎、きっちりエレンにフラグ立ててやがった。
いやまあ諸々の理由があったとはいえ、エレンやトダカ一尉にちょっかいかけたり旅行だのなんだのに振りまわしているうちに、自然とそういう仲に発展していったそうな。何となく面白そうだから、と彼らの意識を誘導したのが良かったのかもしれない。ちなみにエレンの夫になるというのはカナードの養父になるということでもあるので、子供の扱いや養育等々で徹底的に話しあったのは極々最近のことだった。ま、彼ならいい父親になりそうだから、いらぬお世話だったやも知れないが。
ま、なんにせよ目出度いことである。結婚式ではセイラン家諜報部が総力をあげて調べ上げた、トダカ一尉黒歴史を延々とスライド付きで語る予定なので、色々な意味で楽しみであった。
そして五通目は――
「…そっか。もうそろそろなんだ」
さっと内容に目を通し、色濃い苦笑を浮かべた。そのまま端末を閉じ、しばし車窓の外を眺めて頭をからっぽにする。
「…そんな顔をなされるのなら、最初から考慮しなければいいのではないですか?」
「とはいってもね。これが僕の考える中で最善手だから。勿論、あの子が嫌がるのなら――」
「あの子は賢い子ですから。嫌がっても、表に出すわけないじゃないですか。そういうの、卑怯ですよ」
「…本当に、容赦なく痛いところをついてくるよね、君は」
「性癖ですので」
「性分の間違いでしょ。…間違いだよね、ね?」
はあ、とこれ見よがしに大きなため息をついたら、わき腹に思い切り肘を入れられた。肺から息が吐き出され、鈍い悲鳴が口から洩れる。どうでもいいけど本気で痛いんですけど。
「エレンさんとトダカ一尉をうちに呼んで。僕から話すよ」
「既に通達済みです」
どんだけ仕事早いのこの娘。ていうかユウナが何をどうするかをきちんと洞察した上で行動するって、この年でできることなのだろうか。悔しいのでぐう、と音を出してみたら足の甲を踏みにじられた。何故か汗が瞳から出た。
「それにしても」
ぼろぼろと涙をこぼして足をさすっているユウナの頬を思い切りつねりながら――これ仮にも従者としてやっていい行動なの?――アビーはふっと視線を落とす。
「寂しくなります」
その言葉をしばし噛み砕き、ユウナもまた大きな息を吐き出した。そうだね、と同意しそうになりながらも、最後まで口に出すことはなかった。
それを強要する側が他人事のような台詞を吐く、そんな恥知らずな真似だけはしたくなかったのである。
ユウナ・ロマ・セイラン様
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コペルニクス幼年学校経営企画部広報課長 ロルフ・アーネン