――僕は、僕の秘密を今明かそう。
それはかつて、希望に満ち満ちた門出に際し、送られた言葉。
――僕は、人の自然そのままに、この世界に生まれたものではない。
人類最初のコーディネイター、ジョージ・グレン。数々の偉業を成し遂げ、当時の人類に人の可能性をまざまざと示した男は、この世界に三つの変革をもたらした。
――僕は受精卵の段階で、人為的な遺伝子操作を受けて生まれたもの。その詳細なマニュアルを、今、世界中のネットワークに送る。
一つは、木星探査船ツォルコフスキー発進後、未曾有の混乱と共にこの世界に姿を現した、人の可能性の一つ、コーディネイター。
――今、この宇宙空間から地球を見ながら、僕は改めて思う。僕はこの母なる星と、未知の闇が広がる広大な宇宙とのかけ橋。そして、人の今と未来の間に立つ者。調整者、コーディネイター。そのようにあるものなのだと。
一つは、この十四年後に人類が接触した、初の外宇宙生命体、その化石。宇宙クジラの名でも知られるエヴィデンス01。
――僕に続いてくれるものがいてくれることを、切に願う。
そして、三つ目は――
吸い込まれそうなほどの暗い闇と、砕けた真珠の輝きが眼前に広がっていた。
木星探査船しょうりゅうの乗組員、瀬野渡瀬は分厚い強化窓の外を、飽きることなく見続けていた。もう二十五とそれなりの年齢に達した男であるが、否、男であるからこそその光景から目を離すことができない。彼は感情が見えにくい、と知人に言われる瞳は、今この時、はっきりと興奮の赤を虹彩の奥に湛えていた。
「何か面白いもんがあったか?」
宇宙の深淵と一体化したかのような高揚は、唐突に加えられた衝撃と豪快な笑い声によってたちきられた。ばんばんといささか以上に強く叩かれた背中に、思わずむせそうになりながら、渡瀬は若干顔をしかめてその人物に目を走らせる。
「宇宙が見えます」
「いや、おめえ。そりゃここで宇宙以外が見えたら問題だけどよ」
見かけは四十を過ぎたあたりだろうか。短く刈り上げた茶髪に無精ひげ、がっしりとした体つきは、男の精悍な面立ちと相まって、非常に頼もしさを感じさせる。この男がしょうりゅうの船長、竜園辰五郎だった。
「ほら、こう、何か他にもあんだろ? うおおおお! とか、ぬひょおおおお! とか。ぐつぐつとたぎってくるっつー奴? お前さん若いんだからよ」
「何でも若さのせいにするのは年上の方の良くない点だ、と俺は思います」
「あまりの醒めっぷりに俺の心がブロークンだよ」
「こればかりは性分ですので。船長こそ、もう少し落ち着きを持たれてはいかがですか? 奥さまはともかく、息子さんはかなり引いてましたよ」
「おい部下。お前何でうちの家庭事情知ってんだよ」
「言ってませんでした? ていうか、息子さんとか本郷博士とかから聞いてないんですか? 俺、龍之介君の一年上だったんですよ、高校」
「聞いてねえ。超聞いてねえ」
無理もないですね。とあえて言わなくてもいいことを渡瀬は口にした。さらなる衝撃を受けたのか、辰五郎が暑苦しい筋肉を躍動させて盛大に落ち込む。
「ひょっとしてあれか? 俺息子に信頼されてないとか?」
「今日は良い天気ですね。洗濯物が乾きそうだ」
「ありえない話だなそれ。ていうか露骨な話話題転換も肯定になるって、じっちゃんが言ってた。うわ、マジ。マジなの?」
実際、彼の息子である竜園龍之介はこの親から生まれたとは思えないほどまともかつ素直なので、父親を疎むとか、そういう思春期的な思考をしないヒトであるから大丈夫なのだが、それを告げるのも面倒なので放置することにした。
見てると色々愉快だし。
「それにしても、船長。ブリッジにいなくてもいいんですか? 一応そこはかとなく船長なんですから、いないと困ったりすることも、ありえないこともないかもしれないじゃないですか」
「どんだけ否定されてんの、俺。…ま、基本的に木星までは殆ど指示も必要ないかんな。俺の出番は、あっこに着いてから。それまでは部下と交流できる程度には暇なんだよ」
「さすがですね。船長。沈没フラグを着々と立ててますよ」
「立ててねえよ!」
まあ、この船長が言っているのだから、そうなのだろう。どれほど技術が進化したとしても、宇宙はシビアな世界、些細な事が死に直結する場所であることを、彼が忘れているわけがない。その辺りは非常に有能なので、乗組員としては安心できる要素だった。
「それにしても、木星ですか」
「ああ、木星だ。ジュピター、変革の星って奴だろ」
「そんな所に行って、何が見つかるっていうんでしょうね。またぞろ謎生物の化石とか、超エネルギーとか、古代遺跡とかがあるとか?」
「さあな。ゆーきの奴は、あまりよろしくない反応とか言ってたし、多分あんまり愉快な発見にゃならんと思うぞ」
「恋愛フラグは見逃す癖に、こんなとこだけ目ざといって何なんでしょうね、本郷博士って。そりゃ助手さんも切れますよ」
「あー。まさかの逆レとか、さすがに予想できんかった。正直引いたぞ、俺」
「おまけにロリコン疑惑まで持ち上がるとは。さすがですね、博士は」
ねーよー、と辰五郎は心底ありえないとばかりに首を振った。個人的にあれだけの美人に迫られるなんて何その御褒美、と思わなくもないが、男の尊厳の代価がロリコンの名というのは確かに泣いても良いかもしれない。
「とはいえ、あいつがこの調査に相当力を入れてんのはわかってるだろ? 長い付き合いだが、あいつがこれだけ準備を整えるときは、決まってすんげえことが起こったりするからな。お前さんも気ぃつけとけよ」
「それはもう。アレを預けられた時点で嫌という程思い知ってますよ」
渡瀬は幾つもの隔壁によって隔てられた先――例のものが設置されている方を向いて苦笑を洩らした。
科学者本郷裕貴によって作られた最新鋭コンピュータ。それを搭載した同じく最新鋭の調査船。そんなものを預けられて、ただののんびり木星漫遊記と考えられるほど、渡瀬の脳はお花畑ではない。
そしてそんなものを投入してまで調べなければならないこととは何なのか。あまりにもきな臭くて、渡瀬は小さくため息をついた。
「おいおい、そんなんじゃ幸せが逃げちまうぜ? もっとこう、スマイルスマイル」
「船長スマイルなんて浮かべたら、奥さんに逃げられてしまうじゃないですか」
「逃げてねえよ! 単身赴任でアメリカ行っちまってるだけだから、逃げられてねえよ!」
あ、まだ逃げられてなかったんだ。パチクリと瞳をしばたたかせる渡瀬に、辰五郎の悲鳴じみた抗議が幾つも降り注いだ。
どこか、とおくにて。