先ほどに比べれば幾分改善されたが、それでも場の空気がとても悪いとです。ユウナです。
殆ど神速と言って過言ではない機敏さでリムジンを実家から呼び出したユウナは、流れるようなのどかな風景につい意識の大半を逃がした。広々とした車内には座席が向かい合わせになる形で設置され、ユウナとカナード、エレンが進行方向側に。名も知らぬ少女たちが相対するように腰をおろしている。トダカはとっとと助手席に座ったため完全に背を向けることでこの沈黙から離脱に成功していた。
ついさっきのナガダ・リンゼイ両氏族のバカ息子どもとの喧嘩ほどではないものの、少女らの顔には色濃い警戒とそれ以上の緊張がありありと浮かんでいる。それはおそらくセイランの名を持つ自分に対してであり、またたたみかけるようにこんな車に押し込められたことへの不安に見えた。まあ、あんなことがあったのだから無理もない反応であろう。
「ま、とりあえず御名前を聞いていいかな? ちなみに僕はユウナ。ユウナ・ロマ・セイランね。こっちの子がカナードで、そのお母さんのエレンさん。ついでにロリコンのトダカ三尉だよ」
「ユウナ様、殴ってもよろしいですか?」
「やっべ。何か今日一日で明らかに対応が変ってるんだけど。え、扱い悪くね?」
仮にも護衛対象に殴るとか。エレンもそうだが、ちょっと優しさがなくなっていないだろうか。おかしくない? 何がそんなに彼らを変えてしまったのだろうか?
「まー、とりあえずトダカ三尉の性癖話は置いておくとして。お嬢さん方の御名前は?」
鋭い殺気が飛んできた様な気もするが、きっと何かの間違いだろう。そもそも武道の達人でもあるまいし殺気などという不確かなものを感じ取る技能はユウナにはなかった。
少女らは互いに顔を見合わせると、おずおずといった様子で口を開いた。コーディネイターと言われていた、自分と同世代の金髪の娘がびくりと怯えを滲ませる。
「…あ……アビー・ウィンザー……です」
何かすごく聞き覚えのある台詞が来たんですけど。まじまじと少女を見詰め、ユウナは内心だけで呆けた。アビーとは、あのアビーのことであろうか。ザフト軍艦ミネルバクルーの、アビー・ウィンザー。何故彼女がプラントではなくオーブにいるのだろう? そんな疑問が瞬く間に脳を埋めつくす。
一瞬瞳が飛び出しそうな感覚に見舞われると、ユウナはなるべく動揺を表に出さないよう心がけて栗色の少女に視線を向けた。こちらはやはりそれなりの年齢だけあってしっかりとした答えが返ってくる。
「エリカ・ローレンスと申します。セイラン様」
エリカ? ローレンス? ぱちくりとユウナは瞳を瞬かせた。エリカ。エリカ。栗色の髪、美人。女性のエリカ。苗字はともかく名前の方にものすごく聞き覚えのあったユウナはしばしじっと彼女を観察した。記憶にあるあの女性を幼くしたらきっとこうなるだろうと思えるほどにそっくりな容姿である。
そう言えば、あの女性の苗字は結婚した後のものだった。とすれば、嫁入り前は異なるファミリーネームなのは当たり前なのではないか。思わず小首をかしげてしまった。
ユウナの反応に戸惑ったのだろう。隣のエレンが何事かを尋ねてきた。そのことに頭をかきつつ苦笑する。
「いや失礼。ちょっとばかり聞き覚えのある苗字だったから。ええと、ローレンス、さん?」
「エリカで結構です」
「……私も、アビーと」
「ありがとう、エリカさんアビーさん。じゃあ僕のこともユウナと呼んでくださいな。それでエリカさん。ひょっとして貴方の御両親って、エンジニアのローレンス夫妻だったりしちゃったりする?」
少しだけ鎌をかけてみる。もしもこれに肯定するのであれば、この栗色の少女が彼の技術者、エリカ・シモンズであることの証明に繋がるだろう。果たして帰ってきたのは、驚きを交えた肯定であった。
「……両親を御存じなんですか?」
「おおう」
どんぴしゃである。自然と苦笑が浮かび上がってきた。よもや予期せぬ所でこんな相手と出会えるとは。思わず小躍りしたくなったが、車内なので自重することにした。代わりに栗色の少女に小さな微笑みを向ける、返答は訝しげな表情だった。
そこでユウナはおやまあ、という感想を抱いた。彼女の表情その中にかすかな、しかし隠しきれない動揺の色を見出したのである。ユウナはさらに苦笑を濃くした。彼女が何に怯えているのかは想像がついていたからであった。
「ちょっと仕事柄優れた技術者の情報を集めておりまして、ローレンスご夫妻の事はその折に、ね。本当に惜しい方々を亡くされた。お悔やみ申し上げます」
「…ありがとうございます。ユウナ様のようなお立場の方にそうまで評価していただけて、きっと両親も喜んでいると思います」
「それと、貴方の事に関しても口外するつもりはないんで。安心していただいて結構ですだよ」
ぴくりと彼女の肩が震えた。きゅっと唇をかみしめ、彼女は睨むようにこちらをじっと見据えてくる。まあユウナの知る来歴の通りならば、この反応も致し方あるまい。内心だけでため息を吐いた。
エリカ・シモンズは幼少期に受けた迫害から、自身がコーディネイターであることに屈折した思いを抱いていた。両親がS2型インフルエンザで他界した後オーブへ移住してきた彼女は、コーディネイターであることを隠しナチュラルとして振る舞っていたのである。
エリカがどんな風に生きて、どうしてその答えに行きついたのかは所詮他人でしかないユウナには理解できない。それ故に彼女の行動指針に対しては一切の口出しをする気はないし、その権利もなかった。他人様の権利を侵害しない限りにおいて、その人の行動は何にも抑圧されるべきではない。ユウナの数少ない持論である。
「ありがとう、ございます」
「何の何の。あ、そうだエレンさん。アビーさんの洋服なんだけど、どこで買えばいいかなあ? 僕あんまり服飾とか興味なかったから」
「え? あ、ああ、そうですね」
急な話題転換に戸惑ったものの、エレンはすぐさま求めていた回答をはじき出してくれた。といっても店名言われてもユウナにはさっぱりわからない。もともと服にはさほどこだわりがなかった上に、せいぜい子供服くらいしか見たことがないのだから当然と言えよう。
「ついでにカナードも服とか見ておこっか。このくらいの子はすぐに大きくなるから、候補くらい見ておいても損はないと思うよ」
「…ふくよりはなのほうがいい」
残念ながらこの幼児もさして衣装に気を配っていないようだ。きっとこれからも彼の服はエレン辺りが見繕ってくるのだろう。このフラワージャンキーめ。
「あの、そんな。私は別に。…いいですよ、そんなの」
「その格好で家に帰るわけにもいかないでしょ? クリーニングするにしても、替えのものぐらい買っておかなきゃ。生憎うちには女の子がいないもんで、君くらいの子供服っておいてないんだよねえ。あれば直帰もできたんだけど」
「でも私、お金」
「大丈夫大丈夫。うちの連中が迷惑かけたおとしまえ付けるくらいのお金はあるから」
「でも……若様方のあれは……いつものことですし」
「…いつものこと?」
わずかに声のトーンが下がった。それを明敏に察知したのか、アビーの顔色も比例して青白くなる。エレンから非難がましい視線を送られて、さっといつもの空気を維持した。
「そういえば聞いてなかったけど、アビーさんはあの子息たちとどういった関係で?」
コーディネイターといっても外見だけで判明するという事例はあまり多くない。彼らの大半は非常に美しい容姿をしているが――勿論例外はある――それだけで出自が分かると言うわけでもなかった。大抵は人づてに広まるか、その圧倒的な能力によって露見するものである。
「おとうさんとおかあさんが…若様のお家で働いてて…だから、その…御当主様も…」
ぽつぽつと途切れがちに話された内容を要約すると、次のようになる。もともと彼女はプラントで生まれ育った第二世代コーディネイターだったが、とある理由で地上に移り住むこととなった。彼女の祖父母――これは父方母方両方であるという――が地球へ帰りたい、土の上で死にたいと言い出したのである。
ウィンザー夫婦は困惑した。両親の気持ちはわかる。しかし今の地上はコーディネイター排斥で盛り上がっており、一度降りれば身の安全の保証はない。何度も翻意を促したが、彼らは頑として聞き入れようとはしなかった。しまいには子供夫婦に迷惑はかけられないから自分たちだけで行くと言いだしてしまい、実際に荷づくりまで始めてしまったそうである。その決意の固さにウィンザー夫婦もついに折れ、共に地上への移住を決定した。両親からの愛情を一身に受けてきた彼らには、年老い弱った彼らを放っておくという選択肢はなかったらしい。
そしていざ地球へ降りようとしていた折、同じようにナチュラルの両親を持つコーディネイターがオーブへ移住するという話を聞いたのだ。移住に際する職業支援を含め各種補助も充実しており、なおかつ新たに建設される都市はその多くの住人がコーディネイターであるという。ウィンザー夫妻はこれに飛びついた。
かくて彼女ら一家はオーブへ移り住み、両親はとある企業からの熱烈なオファーを受けて無事就職、順風満帆かと思われたの――だが。
「…なるほど。そこは確かリンゼイが運営している会社だね」
企業名を聞いた瞬間、内心思い切り叫びたくなった。
畜生あの野郎ども他人様の金づるにちょっかいかけやがった! 感情を表に出さなかったのは良い判断だったと思う。これ以上この金髪の娘に怖がられるのは不本意極まりなかった。
そりゃあ、いくらワムラビに関する諸々がセイランの権益であったとしても、全てを独占するわけにはいかないのが世の中というものである。そんなことをすればいかな五大氏族といえどもただでは済まないのだ。故に、ある程度のおこぼれは仕方がない。実際セイラン主導でコーディネイターの就職支援――要は各家傘下の企業体への橋渡し。ハローワークみたいなものである――を行い、それらに対応してきたつもりであった。それなのに、ああそれなのに。
うち通さずに直接勧誘するなんて何考えてんだリンゼイ!
未だ過渡期でありセイランの支配権が確立していない段階でそれは明らかなルール違反である。確立していないからこそ狙ってきたのだろうが、この手のお話は無秩序に見えてそれなりの決まりごとがあるのだ。だいたいである。こっちがどんだけ犠牲を払ってえっちらおっちら街作ったと思っているのか。あのど汚いサハクですら――否、汚いからこそその手の礼儀には気を払っているのだろう――こちらとの繋がりを大事にしているというのに。
これは一度ちゃんと落とし前をつけなければならない。勿論ウナトがである。
ユウナは頭に上った血を数度の深呼吸で下へと戻した。割と洒落にならない展開ではあるが、生憎と今この時に限って言えば関係ない話である。心を落ち着けて続きを促す。
アビーは言った。両親はリンゼイでもかなり厚遇されており、事あるごとに一家丸ごと本宅へも呼ばれて歓待されていたと言う。そのせいで総領ファンフェルトとの知己を得ることとなったというのだが。
「その…若様はあまり……コーディネイターが好きじゃなくて……その、いつも私に…いじわるを」
おや? とここでユウナは小さな違和感を覚えた。具体的ないじわるの内容を吟味するにつれ、それは大きくなり次第に明確な形をとって心内を圧迫し始める。
いわく、蛇の玩具を髪に投げつけられる。いわく、物をよく隠される。いわく、スカートをよくめくられる。いわく、悪口を言われる。
あれ、あれ?
普通ならば憤る展開なのだが、何故だかユウナにはその気が起きなかった。エリカやエレン、トダカらはそうしているというのに、妙に引っかかるのだ。ユウナの他人様よりちょっとばかり長い人生経験が何がしかを囁いている。
「…ね、アビーさん。答えづらかったら答えなくてもいいんだけど。あの若さん方に、何か直接的な暴力をふるわれたりとか…なかった?」
「い…いいえ。そこまでは……」
「…………やっべ」
思わず声が漏れた。途中からまとわりついていた違和感が一つの確度の高い推測へと姿を変え、罪悪感という針でもってユウナの心臓をつつき始めた。
――ひょっとしてそれって、気になるお嬢さんへちょっかいかけてただけなんじゃね?
アビー・ウィンザーは美少女である。それはそれは将来性を感じさせる整った容貌で、あまり人の美醜に頓着しない自分をしてそう思わせるものを持っていた。同年代の――しかもあちらで言う小学校低学年くらいの年頃ならば惹かれない方が珍しいお嬢さんと言えよう。
もしかして僕のやったことって子供のじゃれあいにマジ切れした単なる道化なんじゃないの? そう思い当った瞬間頭を抱えた。褒められないとはいえそんなほのかな想いにも気づけず殺気叩きつけるとか、大人気ないとかいうレベルではない。文字通り飛び降りて何もかもをなかったことにしたくなるほどの衝撃であった。
どうしよこれ。謝った方がいいのだろうか。いやしかし実際言っちゃいけないということもあるわけだし。ユウナは思い切り頭を抱えた。
エレンが何事かと尋ねてくるので、ご本人に聞こえない声量でそのことを伝えた。
ものすごい微妙な顔が返事だった。
「よ、よよよよーしおじいちゃん何でもおごっちゃうぞー! エリカさん、君も何でも買いなさいな。服でも宝石でも迷惑料代わりに何だって買っちゃうぞ!」
「え? は? わ、私もですか? しかし…」
「そうだ。どうせなら夕飯とかも御一緒しない? ここ最近は父上も母上も行政府内の首長官邸から帰ってこなくて、さびしいんだよねー。アビーさんの御家族も誘って、ね!」
「わ、いいですね。うちの両親も呼んで大丈夫ですか?」
声がひきつっているとか言うなかれ。現実逃避したっていいじゃない。
「当家は誰でもウェルカム。ついでにエルスマン夫妻も招こうか。トダカ三尉の御家族もどうぞ」
「は? いや、ユウナ様?」
あまりにも唐突な展開にトダカが疑問の声をさしはさんだが華麗に無視する。こういうのは勢いが大事なのだ。それにこんな予期せぬ良縁、無駄にして成るものか。
「ぱーてぃ? おいしいものいっぱい?」
「そうだよ。カナードの好きなもの、一杯作ってもらおうねー」
「おさかな、おさかながいい」
カナードの黒髪を優しく撫でる。子供の無邪気さが今はとても心地よかった。
「どうかな、お二方。勿論都合が悪ければ遠慮せず断ってもらってもかまわないんだけど」
「その、いきなりすぎて何と御返事すればいいか……私みたいな平民がセイラン邸にお邪魔するなんて、いいんでしょうか?」
「家人が招待してるんだから、良いに決まってるじゃないですか」
「…でしたら、その。お言葉に甘えさせていただいても?」
エリカの顔に小さな苦笑がひらめいた。少しは警戒を解いてくれたのだろうか。ユウナは扇子で口元を隠して微笑んだ。次いでアビーの予定を尋ねる。しかし彼女の方は変わらず俯きがちで、こちらを見ようとはしていなかった。
「…あー、ひょっとしてもう予定が入ってる、とか?」
「…いいんですか?」
あまりに声が小さすぎて一瞬内容が理解できなかった。次いでそれが許諾を問うているものだと把握すると、ユウナはもち当然と言おうとした。しかしその前に吐かれた台詞によって言葉は紡がれることなく舌で転がる。
「……私、コーディネイター……ですよ? ズル…した化け物……なんです」
エレンとエリカの表情が強張った。彼女らが慌てて口を開こうとしたのをユウナは片手をあげる事で抑え込む。非難の声が上がりかけるが、それはユウナの一瞥によってすぐさま鎮火した。俯き震えるアビーをじっと見つめ、彼は扇子で口元をゆらゆら扇ぐ。
「ねえ、アビーさんは第二世代なんだよね?」
「……は、はい。そうです」
「なるほど。では遺伝子調整されたのは貴方ではなく御両親、もっといえば祖父母方というわけだね」
ならば話は非常に簡単だ。ユウナは肩をすくめる。
「アビーさん、ズルしてないじゃない」
そもそも遺伝子操作をズルと認識すること自体に異論があるが、そこは置いておこう。根本的な問題として、コーディネイターは自身がそれと選んで生まれてきたわけではない。第一世代ならば両親の意思で、第二世代に至っては両親がたまたまコーディネイターであったというだけではないか。いわば家が金持ち、血筋がいい、それと全く同じだった。
「僕がセイランに生まれたことは僕の意思ではない。アビーさんが今の御両親から生まれてきたことも貴方の意思ではない。どこにズルの要素があるね? それ言っちゃうと五大氏族の僕なんてもっとズルでしょうよ」
本当に、何の因果でこんな異世界に来てしまったのか。仮にこの事態を引き起こした何がしかがいるのならば一発ぶんなぐってやらなければ気が済まなかった。自然と苦笑が湧き上がる。
「遺伝子操作って便利な言葉だよね。コーディネイターが生まれる以前から容姿や才能なんかの格差は厳然と存在したのに、今やその一言で全ての感情が集約されてしまう。実に人間的な状況じゃない」
くくっと喉で笑った。ユウナは思う。結局のところ、コーディネイターは人類にとって最高の生贄であると。
遺伝子操作以前から、世界は格差に満ち満ちていた。家柄、容姿、才能、本来であればどれ一つとして比べる意味のないものが、社会という共同体にとって「有用か否か」という基準で判断される。幼少期、運動ができるものがよくモテた。勉強ができるものがいい学校に進め称賛を浴びた。高い能力を持っているものが良い企業に就職して所謂勝ち組なるものになることができた。
無論、これは本人のたゆまぬ努力があったればこその結果であろう。けれど多くの凡人にとって、彼ら才あるものと同じことをしたとて誰一人同じ地にたどりつくことはできまい。生まれ持った才。たったそれだけのことがありとあらゆるものの運命を決めてしまうのだ。努力していないのではない。努力が結果に結びつかないのだ。
それははるかな昔、人間が社会共同体を構成した瞬間より連綿と続く事実である。その不満、妬み、行き場のなかったあらゆる負の感情がその矛先を見出してしまった。これこそコーディネイター最大にして最悪の不運といえよう。
「僕は凡人だからね。はっきり言って僕よりも優れている人間は、コーディネイターとナチュラルを問わずごまんといるわけだ。そこに是非はないよ。遺伝子操作しようがしまいが、それだけは絶対に変わらない。
そしておそらく、それはアビーさんも、エリカさんも。エレンさんやトダカ三尉、カナードにとっても同じこと。貴方方より優れた存在は世界に満ちている。否、世界を越えたその先にすらね。そんな中でコーディネイターだから嫉妬する、なんて虚しくない?
ズルも何も、世界ってそういうものだと僕は思うよ、どうしようもなくね」
もっとも、それを知るが故に世界に喧嘩を売った人間もまた存在するが。ユウナはエレンと、そしてカナードを見て苦笑を濃くした。
「ま、妬む人間は何もしてなくても妬むもんよ。たまたま貴方方は格好の攻撃材料を持ってしまったというだけさ。ズルとかそうじゃないとか、遺伝子操作そのものは実際あんまり関係ないと僕は思うよ。
まあ、簡潔に述べてしまうとだ。僕はアビーさんやエリカさんと仲良くなりたい。むさ苦しいロリコンや曲がり角よりも若くてぴちぴちした美人さんとお近づきになる方が断然いいに決まってるさ常識的に考え痛い痛い痛いー!」
凄まじい殺気と共に耳に激痛が走った。何だかとても良い笑顔のエレンが口元をひきつらせて、ものすごい握力をユウナに知らしめている。
「嫌ですね、ユウナ様ったら。私、まだ二十二歳ですよ? ぴっちぴちの若者です。曲がり角なんて、もう、いけない子ですね?」
「でもあと八年で三十ほぎゃー!」
足が砕け散りそうなほど痛かった。思い切り甲を踏まないで! とてもとても痛いから!
「ねえアビーさん。ユウナ様は性悪で根性無しでどうしようもないおバカさんですけど、コーディネイターだからって理由だけで人を嫌う方ではないですよ? 実際、私もコーディネイターですが、ユウナ様にはとてもよくしてもらっていますし。ね?」
あれ、これ普通に泣いてもいいんじゃない?
「そう思ってるならお腹ぐりぐりしないで、あ、ちょ、やめて!」
アビーとエリカが目を丸くした。驚きにしまった視線はエレンからカナードへと移り行く。彼女がコーディネイターであるということは、その息子である黒髪の幼子もまたコーディネイターあるいはハーフと思い至ったらしい。まあ厳密にはやや異なっているものの結果は同じなので何も言わなかった。
「だから自分がコーディネイターだからという理由だけで、誰かを拒むことだけはしないでください。勿論中にはどうしようもない人もいますけれど、それだけじゃない人もいますから。ここは、そういう国です」
ね、トダカ三尉? エレンの優しい言葉に実直な軍人は笑みと共に肯定の返事を返した。しばしの沈黙が車内を支配する。それを破ったのは静かな、しかしとても熱い嗚咽だった。
金髪の少女から流れ落ちる雫。それをユウナはとても綺麗だと思った。ほんの少しだけ笑みを浮かべる。
と、唐突に袖が何かに引っ張られた。おやと思いそちらを見ると、カナードがじっと色の見えない瞳でこちらを注視していた。
「どうしたの、カナード?」
何か気になったことでもあったのだろうか。小首をかしげるユウナに、黒髪の子供は深く深く、とても強い感情を込めた声で一言呟いた。
「でざーとは、ぷりんがいい」
「その発想はなかった」
よもやこの空気でそんな発言ができるとは。大物、恐ろしいほどに大物である。ユウナは慄いた。何この子、もともと物静かだからそんなに気にしていなかったが、ひょっとして今の空気の中でずっと晩御飯のことを考えていたのだろうか。すげえ。色んな意味ですげえ。
くすりと、さえずるような笑声が浮かんだ。頬を濡らした幼い少女がこらえきれぬという様子で口を手のひらで押さえていた。知らずユウナの顔もほころぶ。やはり娘さんは笑顔の方がきれいである。
ユウナは意図せず最大の功労者となった少年に小さく笑いかけた。労働には対価を、資本主義の原則である。
「うん。プリンだけじゃなくて、パンナコッタも付けてあげる」
「ぱんなこった? それおいしい?」
美味しいとも! ユウナはカナードの黒髪を撫でてそう言った。