文字通り弾丸となった冴が地を駆ける。
触れる物は纏めて貫くとばかりの気迫を漲らせながら突進するその様は下手な猛獣すら凌駕していた。
繰り出すのは渾身の右。それも拳ではなくスパイク。
渦巻く爪が確実に相手の装甲を削り抜く一撃が―――必勝を期してノーブルヴァーチェを貫いた。
(獲った……!)
確信する。
一瞬の隙、それを掴むことが出来たのだと。
だがその直後―――それは誤りだったと思い知らされる。
(……ッ、手応えが……!?)
無い。
貫いた感触も、装甲を削る感触も音も何も無い。
そこに有るのは虚構。
この場に居る自分達以上に不確かな、0と1で編まれた幻影―――ホログラムだった。
(しまった、フェイク―――!?)
―――ジルベール・ジルベルトは狡猾な男である。
被造子としてありがちな、典型的な人格破綻者でありセカンド嫌い。というよりもAIそのものを忌避しているきらいがある。
傲慢であり自らを選ばれた人間として憚らずに奢るその様は愚者と言って差し支えが無いだろう。
だが、彼が戦乱渦巻く世界を今の今まで生き残ってきたのは紛れもない事実である。
つまり、彼には生き残るだけの力と知恵が最低限備わっているのだ。
それを失念していた訳でもない。まして油断していた訳でもない。
学生時代には甲や仲間がこれでもかと世話になったのだ。それを失念することなどなく、警戒など十をしてもまだ足りない。
この状況はつまり―――ジルベルトの知恵が空の一つ上を行った。
ただそれだけの結果に過ぎない。
「終わりだ、水無月ィッ!!!」
貫いた幻影の一歩後ろ―――幻影に身を重ねて隠していた本体が唸りを上げる。
ネット空間を軋ませる情報の奔流。積み重なる処理が一瞬だけ世界の動きを止める。
フォースクラッシュ。
シュミクラムの持つ一撃必殺の武装が始動する。
(―――)
視界が明滅する。
怒りか、不甲斐なさか、焦りか、悔しさか、それとも別の何かか。
感情が堰を切ったように溢れて氾濫し、頭の中でぐちゃぐちゃに渦巻いて思考を乱す。
止まった思考。動く思考。
致命的な隙を晒しながらも身体が生き残るための動きを取るために、無駄と分かっていても動き出す。
だが間に合わない。
致命的なまでに初動に差が出ている。不意を打たれた者と打った者の差は歴然だった。
「中尉―――ッ!!」
相棒の声が遠く響く。
コマ送りのように推移する視界の中、死神の鎌が首元に迫る。
絶命が、死がやって来る。
その絶望の瞬間。
(ふざ、けんじゃ……ない)
その只中で、彼女の中を占めていたのは絶望などではなかった。
もっと激しく、荒々しく、それでいて凶暴な熱さを伴った感情。
思考を真っ赤に染め上げて、一つの感情が急速に膨れ上がる。
(ふざけるんじゃ、ない……!)
―――怒り。
自らの不甲斐なさに、ただただ彼女は怒りを上げる。
何が油断はしていないだ。何が失念してはいないだ。見ろ、結果は目の前に示されている通りだ。
最後の最後で一手を誤ったがゆえに絶命の縁に立たされているこの間抜けさは何だ?
総てを投げ捨ててまでここまで来たのは何のためだ?
真実を追うと、彼の仇を討つと誓ったのはいったい誰だ―――?
彼が、生きているかもしれないのに……
だというのに―――ここで?
(こんな所で、死ぬなんて)
そんなことは、絶対に認められない。
(ふざけるんじゃないわよ―――!!)
だが世界は止まらない。
針が進むように、時計が回るように、時間は無慈悲に前へと進む。
―――そして、莫大な衝撃が彼女へと襲い掛かった。
第十三章 遭遇 -unexoected-
「空……! って……あ、れ」
「おはよう。帰ってきて早々に凄い言葉ね。逢引でもして来たのかしら」
「え、あ……リアル、か……」
目覚めて早々、クリスから毒を貰いここがリアルだと認識する。
辺りを見ればとある寂れたビルの一室―――コゥが没入した場所そのままだ。
近くの窓からはまだ演説中の米内の声が聞こえてくる。どうやら暗殺自体はまだか、あるいは失敗したらしい。
「それで、どうだった? 何か目立ったものでもあったかしら」
「特には。強いて言うなら俺達がここを張っていたことをドミニオンの連中に読まれていたことか。
向かってきた奴らは全員片付けておいたが、増援が来るとも限らないのでその時点で離脱してきた」
「なんだ、使えないのね」
「悪かったな逃げ帰ってきて」
とはいえ、あの辺りが水際だっただろう。あれ以上あの場に残っていると言ったように新たな増援が送られてくるとも限らない。
離脱妨害装置など仕掛けられ続けると消耗戦を強いられる羽目にもなる。流石のコゥもそれは厳しい。
だからこそ戦略的撤退を選択したのだが、そのことについてクリスに一言二言貰うのは必要経費だと割り切った。
それよりも、彼が気になっているのは別のことだ。
(空……)
離脱の間際、カゲロウの肩に腰掛けていた少女。
彼女を見間違うことなどあるはずはない。あれは確かに水無月空そのものだった。
―――少なくとも、姿形は。
(あれは本当に、おまえなのか……?)
ネットで姿形を偽ることは出来ない。AIの観測からネットでの姿が組まれているが故の不可分の法則だ。
だからネットではありのままの自分を曝け出すことになる。どんな人間であれ、そのままの自分でその世界に入るしかないのだ。
しかし―――それについても例外があると、他ならぬコゥは知っている。
模倣体。
シミュラクラと呼ばれるそれは、元となった人物と寸分違いない姿を持っている。
そして空は、知らずその被験者とされていたのだ。クゥという名を持つ、彼女の分身の。
だがしかし、だからといってあれをクゥだと決めつけることもコゥには出来ないでいた。
(あれがクゥだとしても、それなら尚更に説明がつかない。
俺の知っているクゥはあそこまで流暢に言葉を操ることは出来ていなかったし……)
もう一つ。
彼にとって、看過の出来ない一抹の不安。
(そもそも、何であんな場所にいたんだ)
幻影、幻覚の類だと切って捨てるのは簡単だ。
だがそういう理屈では説明のつかない、直感の部分であれは確かにあったのだと確信している。
しかしそれ以上に、あの場に居た不自然さはいったい何なのか。
戦いなど縁無い少女だったはずだ。
空もクゥもごく当たり前の少女として日常を生きて、過ごしていたはずなのだ。
だというのにあの場に現れたのは、いったい何故だ? 何の目的があってあんなタイミングで姿を見せた?
考えれば考えるほど分からなくなる。
そもそも、仲間であった彼女に対してここまでの疑いを持つことが既におかしいというのに―――
「……コゥ?」
「っ、何だ?」
「何だ、じゃないわよ。上の空で……何かあった? 文字通りに心ここに在らずって感じだったわよ」
彼女にしては珍しい、気遣わしげな目が向けられる。
何か思うところでもあったのだろうか。余程呆けてしまっていたに違いないと気持ちを切り替える。
「……いや、大丈夫だ。それよりもまだ演説が終わった訳じゃないし、肝心の爆弾の内容も分かっちゃいない。
最後まで気を抜かずにいくぞ」
「それ、さっきまでの貴方が言えることなのかしら」
いつも通りのやり取り。
その通過儀礼をもって彼の精神は戦場へと回帰する。
チリチリと、この場に燻る暴発しかねない何かを感じ取りながら―――
『―――じゃあ』
何故、あの時、あの瞬間に。
『またね、甲』
その言葉を聞いた瞬間、彼女の顔を見たその時に感じたもの。
(―――気のせいだ、きっと。あんな場所に、空がいるはずがないんだから)
言いようのない不安と、不気味さ。
彼女の声と表情に何故そんなものを感じたのかという疑問は、それを否定する意思で意識の下に押し込められた。
◇ ◇ ◇
その瞬間、襲い掛かった衝撃は―――ジルベルトの手によるものではなかった。
雷撃。
戦場を蹂躙する絨毯爆撃のように、突如として無数の雷の矢が流星群となって敵味方を問わずに降り注いだ。
「がぁッ、あぁぁああああぁぁあああああああ!!?」
「きゃぁあぁあああああああああああああああ!!?」
響く叫びは空とジルベルトと、離れた個所からはレインのものも聞こえてくる。
着弾し、炸裂し、スパークする雷の流星群。
連続するショート音の合唱が一帯を揺るがす轟音となって聴覚を麻痺させる。
だが、空にそんなことを気にする余裕などなかった。
衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃、衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃衝撃。
絶えること無く雷が身体を貫く。衝撃が機体を揺らし、弾ける雷撃が意識を明滅させ思考が白へと染まっていく。
「あああぁぁぁぁぁあああああああああぁぁあああああああああああああああああああッッ!!!」
一瞬が永劫へと引き伸ばされる感覚。
スタンする身体と意識が時間の感覚を狂わせる。
続く衝撃、次ぐ衝撃、終わらぬ衝撃。
もはや自分の口からまともに声が出ているのかさえ分からない。
(だ、め……死―――)
痛覚が麻痺する。
夢か現かの判別がつかない。
視界が無くなる。思考が途絶える。
何も無い空間を真っ逆さまに落ちていく感覚に恐怖だけが募り―――やがてそれすらも麻痺した。
そうして一瞬か、数秒か、数分か……どれだけ時間が経ったのだろうか。
気がつけば……彼女はボロボロになった機体で膝をついていた。
(……生きて、る)
最初に感じたのはまず何よりも疑問と驚愕だった。
確実に死んだと思った。何をどう足掻こうが避けられないものが来ると思った。
しかし、結果はこれだ。
ほぼ瀕死に近い重傷だが、自分はまだ生きている。
(どう、して……)
動こうにも身体が麻痺して動かない。
声も出ず、思考もまだ碌に働かない。
ただ茫然と目の前に広がるウイルスの残骸群を眺めるしかなかった。
レインも、ジルベルトも、同じように機体を損傷させながら地に膝をつけている。
―――その最中。ただ一つ、こちらに近づいてくる反応があった。
(な、に……?)
ぶれる視界の中―――それを見上げる。
漆黒の鎧に、紅いライン。両手に装備された特徴的な刃。
そして、酷く見覚えのあるマシンデザイン。
一歩ずつ、ゆっくりとこちらに近づいてくるその威容。
アイカメラを緑の色に発光させ、君臨者のように場を睥睨するその機体。
それを見て、空の思考は完全に停止した。
「黒い……冴……」
いつか見た漆黒の機体。
それが空の目の前に姿を現していた。
「んー、なっさけないなあ。あんな子供騙しに引っ掛かっちゃうなんて、ちょっと抜けてるんじゃないかな」
そして響く、聞き覚えのある声。
自分の発したそれとは聞こえ方が違うが、間違いない。
同じ声だ。
寸分の違いも無く、気が狂う程に酷似した音が流れている。
「そう思わない? ねえ……空」
ありえない、と否定する声。
しかし現実にそれは目の前に存在し、つい先程までも自分はありえないものを目にしていたのではなかったのか。
目の前に立つ黒い冴。
発せられる自分と同じ声。
―――条件に合致する人物など、この世界に一人しか存在しない。
「……クゥ」
「せいかーい」
声と同時に、視界の片隅に窓が開いて無邪気な笑顔が映し出された。
自分と瓜二つの顔が屈託なく笑っている。
クゥ。水無月空のシミュラクラ。
彼女を模倣した存在が今、現実の場で彼女の目の前に立っている。
「貴女……なんで、ここに」
「さあ? 何でだと思う?」
無邪気に、悪戯っぽく同じ顔が笑う。
まるでこの状況を楽しんでいるかのように。いや、実際楽しんでいるのだろう。
こちらに余裕はないというのに、あちらの余裕綽々という態度が少しばかりイラつく。
状況くらい察しろと言いたくなるのは仕方ないだろう。
「あのね……私達、ふざけている余裕はないのよ。米内議員が潜脳を受けないようにここをガードしていたんだけど」
「ああ、それね」
それを聞いて、まるで今思い出したとでもいうように指を立てる。
なんということはないと、そんな風に。
「無駄だよ? ここでダーインスレイヴを止めても、どうせ別口で暗殺されるし」
そんなことを、口にした。
「……は?」
「だから、無駄なの。無駄。
米内議員の持っている情報はスキャンダルなんてものじゃないし、公表されると阿南市長だけじゃなくてもっと方々が困るのよね。
なので、彼はここで確実に始末されるの。潜脳を止められたくらいじゃ彼の殺害は止められないわ」
気軽に、世間話のように、人死の話をしている。
まるで関係のない他人事。取るに足りない些末事。
ああ確かにそうなのだけど―――クゥは、空シミュラクラは、そこまで気軽に人の死を話すような人間だったか?
笑顔で、自分は語れるのか?
「あん、た……何、言ってるの……」
「ん?」
まるでそっちこそどうしたのか、のような顔を向けられる。
同じ顔をしているというのに決定的な齟齬がある。
違う。
何かが致命的なまでに違う。
言葉に表せない、言いようのない違和感。
彼女は本当に―――少し前に言葉を交わした人物と同じ人物なのか?
「―――貴女は、誰」
「誰もなにも、貴女のシミュラクラのクゥよ。何ならIDでも見てみる?」
表示されるID―――合致。亜季から渡されたクゥのそれと寸分違わず一致する。
けれど違う。
何か深い所で警鐘が鳴っている。
これは違う。
「……まいったなあ。嘘は吐いてないんだけどなあ」
「悪いけど、今の私は結構疑心暗鬼なの。少し前に貴女と会って、今また貴女と会って、印象が違い過ぎよ。
どっちが本当でどっちが嘘なのか、分からない以上は両方とも疑って掛かるしかないでしょう」
油断はできない。
状況が不鮮明な今、その原因をなんの根拠もなく信じることは出来ない。
そんな空の反応が意外だったのか、クゥは少しばかり首を捻って……
「―――なるほど、ねえ。つまり空は既にそっちの私に会ってたんだ。
失敗したなあ。もうちょっと早めに私が会いに行ってたらあっちの私を警戒してくれたんだろうけど、後の祭りかあ。
潰し合ったりしてくれたら面白かったんだけどなあ」
何か、不吉なことを言った。
「まあ、過ぎたことを悔やんでも仕方ないか。別の手段を考えようっと」
「貴女……何を……」
「あれ? まだ気づかないの? 鈍感なのか、それとも分かりたくないのか……別にどっちでもいいけど、あまり分からず屋だと痛い目を見るよ?」
「……っ!」
―――本当は分かっている。
明確な違和感の正体。言いようのない不安の原因も、分かっているのだ。
ただ、それを口にすることはどうしても躊躇われた。
何かが決定的に壊れてしまう……そんな予感がして。
だけど、
「ま、仕方がないから、分からず屋の空に私が分かりやすく言ってあげるよ」
彼女は。
「私は」
目の前にいる写し身は。
「私は、貴方の敵だよ。水無月空」
はっきりと、揺るぎなく、空に敵対を突き付けた。
笑う。否、嗤う。哂う。
くすくすと、空の顔を見た彼女が笑う。
いったい自分はどんな顔をしているのだろうか?
見るとつい笑いたくなるような顔をしているのだろうか。だったら、鏡でも見れば自分は久々に笑えるだろうか。
茫然と、そんなことを考えて……
「ほんと、我ながら情けないなあ。こーんなことで茫然自失としちゃってさ?
暫く会ってなかった人が敵になる、なんてその業界じゃ日常茶飯事だと思うんだけどなあ」
思考が上手く回らない。
あまりの事態に反応と感情が追いついていない。
いったい何がどうなっているのか、私の出来の悪い頭じゃ分からないよ……
これは夢? それとも現実?
こんなおかしな出来事、夢でないと信じられない。
だけど、おかしいというなら―――どうして自分は、たったこれだけのことで、こんなに茫然自失としているんだろう?
自分と瓜二つが敵対宣言をしたから? 姉妹のような彼女が刃を突き付けてきたから?
違う。似ているようで、だけど理由はそんなものじゃない。
もっと何か別の、深い所で燻っている何かが信じられないと叫んでいる。
信じられないと叫んで、可能性を見て絶望し、先を見て悲嘆に暮れる。
表現すればそんな、自分でもどこかおかしいと感じる程のショックを空は受けていた。
茫然自失。文字通り彼女は我を忘れて思考を放棄している。
「だけど……なら、それはそれでいろいろと好都合かな」
だけど、そんな状態でも。
彼女の声は絶えず耳に届く。感情を揺さぶってくる。
「どうやらアレも認めたくないみたいだし……だったら、今の内に片付けちゃった方が楽かな?」
「……ぇ」
何を言うつもりなのか。
分からない。
分からないが―――とても嫌な予感がした。
茫然としていた中でさえ反応せざるを得ない不吉さを感じた。
それを見てクゥは笑う。
無邪気に、無慈悲に、無垢に。
笑いながら、言う。
そして、
「AIの虎の子の片割れ、私達とは切っても切り離せない彼……空が認めないなら、別に今から始末しても構わないよね? 邪魔になるだけだし」
その言葉に、空の奥底にある何かが瞬時に噴火した。
「―――ッッ!!」
痛みなど忘却した。悲痛も絶望も彼方へと置き去りにする。
今はただ、この熱だけを感じていればいい。
駆け、振り抜く。
加減など一切ない、全力の一閃が閃光となって黒い冴を襲う。
「あはっ」
それをクゥはこともなげに受け止めた。
刃と刃が鍔競り合い、ギリギリと耳障りな金属音を火花と共に撒き散らす。
そんな中で、クゥはやはり笑っていた。
その笑いが―――空の熱を更に上昇させていく。
「クゥ、貴女は―――ッッ!!!」
「あっはは! 認めたくなくても、分からなくても、それでもそこは絶対に譲れない一線なのかな?
いいよ、楽しくなってきた。ほら空、私を楽しませてくれないと―――どうなっても知らないよ!!」
熱が上がる。
熱が上がる。熱が上がる。熱が上がる。熱が上がる。
ふざけるなと、冗談ではないと、奥底の叫びが目の前の存在を否定する。
絶対に認めない。
何があろうとも、それだけは何があろうとも絶対に―――!!
「貴女は、ここで潰す―――ッ!!」
「おいで。遊んであげるよ空―――!!」
そして。
誰にも望まれない、鏡合わせの姉妹による死闘が―――幕を開けた。
◇ ◇ ◇
そして、リアルでも状況は変化を見せようとしていた。
「私は議会に巣食うAI主義者達―――彼らの重要なスキャンダルを握っております」
米内がいよいよこの演説の本命に触れる。
いきなりの爆弾発言に聴衆は戸惑い、場の空気は目に見えて変化した。
「さて、いよいい本日のメインイベントがやって来たのだけど……釣れるのは果たしてどこかしらね」
「ネットでやられた場合はログアウトした手前、お手上げだな。あれ以上はフェンリルが抑えてくれるのを期待するしかない」
「まあそこはそう期待しておくとして……情報はどうするのかしら?
スルーするのか、それとも見過ごさずに始末するのか」
情報は発した途端に一気に拡散するだろう。
人の口に戸は立てられないと言うが、今の時代はまさにそれだ。
あの中に一人か二人ほど第二世代がいるのならば情報は即座にネットにばら撒かれることだろう。
本当に情報を隠しておきたいなら米内が発言するより先に完全に口を封じる必要がある。
さあ、どこから仕掛ける。
全体を俯瞰する位置からクリスと甲が獲物を狙う獣のように目を光らせる。
「このスキャンダルを彼らは隠蔽できないでしょう。
彼ら―――こと、阿南市長に司法の手が及ぶのもさほど遠く……」
その瞬間だった。
視界の片隅で赤い光がほんの一瞬だけ瞬く。
ともすれば見逃してしまいそうな、ほんの小さなものだが―――確かに見えた。
そして、続けて起こった変化も。
「やりやがったな―――!」
演説していた米内が突如として倒れた。
動く気配は無く、周囲の黒服や聴衆も離れているここから分かるほどに動揺している。
程なくして大暴動が起こるだろう。
それに紛れて、米内を暗殺した者も姿を眩まそうとするに違いない。
「クリス!」
「しっかり見えたわ。ここからそう遠くはないわね……上手くいけば顔くらいは拝めるかもしれないわ」
「末端だろうけどな……さて、突いて出るのは鬼か蛇か」
一瞬だけ見えた赤い光。そして倒れた米内議員。
音が鳴っていないところを見るとおそらくはレーザーライフルだ。狙撃手は任務を達成しその場を離れているはず。
クリスが先導して部屋を飛び出す。
コゥがそれに続いて階段を駆け下り、廃れたビルを出た途端―――壮大な喧騒に見舞われた。
「どこだ、エイリアニスト―――!」
「探せ!」
「まだ近くにいるはずだ! 絶対に逃がすな!!」
「エイリアニストを殺せ!!」
「エイリアニストに死を!!」
「汚らしいんだよ塵めらァ!!」
もはや収集はつきそうに無いほどに場は混沌としていた。
たがの外れた暴徒が津波となってそこらじゅうを破壊している。
上空ではCDFのVTOLが蟻のように駆けまわってひっきりなしに警報を鳴らしていた。
「酷いもんだな……が、おかげで流れが出来てる」
「流れと狙撃手がいたビルの位置から考えて―――こっちよ」
濁流のように流れる人の波を掻き分けてクリスとコゥは駆ける。
人込みを抜け、裏道に入り、逃げるために都合の良い経路へ先回りしていく。
道を曲がり、ビルの間を抜け、突き当りを跳び越えて―――
そうやってどれだけ走り続けただろうか。
細い小道に出たその時、コゥは人とぶつかった。
「つっ―――」
「ちっ……アンタら、どこ見て走ってんだい」
ぶつかった相手から暇も惜しいとばかりに文句が飛んでくる。
フードをかぶって顔は見えないその人物は短く言うだけ言って甲の脇を通り抜けようとして―――
「コゥ、狙撃手はそいつよ!」
「っ!」
同じく飛んできた言葉に、思考よりも早く身体が動いた。
通り抜けようとしていた人物は図星を突かれたからか動きが鈍い。
反応されるよりも早く片付ける、と近くにあった足を即座に払った。
「しまっ―――」
「遅いッ!」
倒れるよりも早く、クリスがフードの人物に跳びかかる。
フードの人物は重さと勢いのままに地面へと叩き付けられ、短い呻きを上げた。
高い声や低めの身長からしておそらくは女性なのだろう。
クリスは叩き付けた女性をそのまま組み敷き、関節を固めて動きを封じる。
「くそ、離せっ……!」
「っ、とんでもない馬鹿力ね貴女……ちょっとコゥ、見てないで押さえるの手伝いなさい。
貴方、か弱い女性一人にこんな荒事任せる気なの」
「俺以上に荒事慣れしている奴が言うなよ……じゃあ失礼して」
持ち合わせのロープで両手足を結び、固定していく。
フードの女性がもがくように抵抗したが、全てクリスが関節を抑えて無力化した。
そうして暫くして―――地面には手足を結ばれた女性が転がることになった。
「こうして見ると実に犯罪的な絵ね……薄暗い細道で縛られた女性に忍び寄るケダモノの魔の手、なんて」
「冗談を言えなくしてやろうか」
「あら怖い」
全くそんな素振りを見せずにクリスは飄々と受け流し、近くに転がったフードの女性の鞄を開いた。
中から覗いているのは金属の光沢を見せる黒い様々なパーツだ。見る者が見れば一目でそれが高出力レーザーライフルの物だと分かるだろう。
予想通り、とほくそ笑みながらクリスはその鞄を持ち主に見えるように持ち上げる。
「さて……こんな物騒な品、早々手に入るものじゃないと思うのだけど。どうしたの?」
「―――」
「あら、だんまり? 会話のキャッチボールくらいやっても罰は当たらないでしょうに。声すら聞かれたくないとか?」
「―――」
女性は答えない。
顔を背けて、ただひたすらに沈黙を守っている。
動く様子もなければ何かをしている様子もない。
いや、動けなくとも何をしなくとも……出来ることなら一つある。
「―――直接通話、かしらね」
「だろうな。こっちに関わっているのなら持っていてもおかしくはないだろ」
同じように、相手に気取られないように小声で推測を立てる。
直接通話―――チャントは思考をダイレクトに相手に伝えるためのツールだ。
表層意識を読み取って送信する技術、といえば単純だがその内容自体は複雑だ。作った者の正気を疑うレベルで。
ただ、有利性に優れているこれにも欠点はある。
それは表層意識しか伝えられないということであり―――
「じゃあ……邪魔してあげましょうか」
思考を乱されれば、まともな通話など出来ないということだ。
「ん―――」
「んむっ……!?」
クリスの唇が彼女の唇と重なった。
そのままんーっ、むーっ、と声を上げる相手の女性。少ししたらビクンビクンと身体が反応していた。
コゥは当然のように耳を塞いであらぬ方向を向いている。
暫くして、堪能したとばかりにクリスが彼女から離れていった。
「ふう……ごちそうさま」
「いきなり何しやがるっ!?」
ガーッ、と思いっきりがなり上げる女性。
クリスのつやつやした満足顔を見て怒りのボルテージは更に上昇を見せている。
と、そこでコゥは気付いた。
……何やら、この声に聞き覚えはないだろうか。
もしやと思いフードの女性の見えない顔を見つめる。
「っ……」
「あら」
視線に気づいた彼女は露骨に顔を背けた。
その反応にコゥの中の疑問は膨らみ、クリスの加虐心が刺激される。
「あら、あらあらあら……そんなに彼に見つめられるのが恥ずかしいの?
まあ彼、顔だけは十分に女殺しよね。童顔していて可愛らしいもの」
「おいコラ」
「だけどね、話をするときはちゃんと相手の目を見ないとね。という訳でご開帳―――」
「っ、この、止めろ―――ッ!」
静止の声も聞かずにクリスの手が彼女のフードに掛かる。
頭を振って抵抗しようとするものの、その手の抵抗には慣れきっているクリスの方が一枚上手だった。
頭を振るタイミングと方向を見切って逆方向に引っ張ることで実にあっさりと彼女は顔を晒すこととなった。
「あっ―――」
そして、コゥは顔には出さずに内心で苦虫を噛み潰す。
現れたのは肩まで掛かる桃色の髪をポニーテールで纏めた、活発そうな女性の顔だ。
その顔を知っている。
その顔を覚えている。
その顔を思い出した。
そう、コゥは―――門倉甲は彼女を知っている。
「へえ、意外と可愛らしい顔をしているのね」
「くっ……」
コゥの視線から逃げるように顔を背けた彼女の名は―――渚千夏といった。