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No.29132の一覧
[0] [習作]BALDR SKY -across the destiny-[ジエー](2014/05/06 21:13)
[1] 前章 始まり -prologue-[ジエー](2011/08/25 01:49)
[2] 前章 喪失 -always loss-[ジエー](2011/08/25 01:49)
[3] 前章 邂逅 -encounter-[ジエー](2012/03/17 11:51)
[4] 前章 決意 -decision-[ジエー](2011/08/25 01:49)
[5] 後章 追逃劇 -passing each-[ジエー](2011/08/25 01:49)
[6] 後章 研究所 -drexler-[ジエー](2011/08/25 01:49)
[7] 後章 干渉 -re start-[ジエー](2011/08/25 01:49)
[8] 第一章 覚醒 -awake-[ジエー](2011/08/19 08:58)
[9] 第二章 背反 -contradiction-[ジエー](2011/08/25 02:20)
[10] 第三章 魔狼 -fennir-[ジエー](2011/09/01 02:24)
[11] 第四章 既知 -know-[ジエー](2011/09/23 20:10)
[12] 第五章 幼馴染 -childhood friend-[ジエー](2011/10/12 19:05)
[13] 第六章 不安 -uneasy-[ジエー](2011/10/26 15:22)
[14] 第七章 情報屋 -edy-[ジエー](2011/12/01 10:43)
[15] 第八章 悪夢 -nightmare-[ジエー](2011/12/16 17:35)
[16] 第九章 医者 -doctor-[ジエー](2012/01/20 21:55)
[17] 第一〇章 アーク -arc-[ジエー](2012/03/17 11:54)
[18] 第一一章 接触 -connect-[ジエー](2012/08/19 23:11)
[19] 第一二章 影 -shadow-[ジエー](2012/08/19 23:14)
[20] 第十三章 遭遇 -unexoected-[ジエー](2013/03/11 03:05)
[21] 第十四章 模倣体 -sard-[ジエー](2013/08/29 15:52)
[22] 第十五章 暗躍 -underground-[ジエー](2013/10/11 17:03)
[23] 第十六章 潜入-bootlegger-[ジエー](2014/05/06 21:19)
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[29132] 前章 喪失 -always loss-
Name: ジエー◆7693fe4e ID:d78737a8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/25 01:49
 「さて……真君は見つからないが、代わりに妙な患者を拾ってしまったな」




  白衣を羽織った少女がディスプレイに映されている数々のデータに目を走らせる。

  そこには一般人が見ても何を意味するのか全く分からない情報が流れていた。

  専門家が見ればそれと分かるであろうデータの羅列は、患者の身体を診察した際に得たものだ。

  彼女はそれを睥睨しながら目を細める。

  外見に似つかわしくない近寄りがたい雰囲気が彼女の周囲に満たされていく。




 「被造子の少女に第二世代の少年……だが、彼のコレは何だ?」




  言って、視線を移したのは彼の脳内情報だ。

  より正確には、彼の脳と半ば融合しているチップのモニタリングデータである。

  第二世代にとっては生命線の一つとも言えるそれである彼の脳内チップは大きく破損していた。

  そのデータの意味を読み取りながら、少女は唸るように呟く。




 「損傷の仕方が尋常ではない……クラッシュ、いやオーバーロードか? 何にせよ、グングニールの煽りを受けただけでこうなった訳ではあるまい」




  それは直感ではなく確信だ。

  脳と半ば融合しているチップだけを外部干渉によって物理的に破壊する事など、現代ではまず不可能だ。

  破壊したいのならば物理的ではなく、電子的に干渉を行う必要がある。

  ネットを介してのアプローチならばそれこそ手段はいくらでもあるだろう。だが、だからこそ言えるのだ。

  この少年の脳内チップは、衛星砲ではなく別の要因によって破損したのだと。

  しかも、損傷具合から見て壊れたのはつい最近。

  おそらくはグングニールによる掃射の前後―――そこで、この少年の身に何かが起こった。




 「まったく、面倒だな……一体何が起こっているというのだ」




  ネットを調べただけで今回の事件の顛末は簡単に理解できた。

  ドレクスラー機関の開発していたナノマシン、アセンブラの流出。

  それによる汚染被害を食い止めるために掃射されたグングニール。

  一説にはAIが独断でグングニールを使用したとも言われているが、真実は定かではない。




 「どこぞの誰かといい、ドレクスラー機関といい、少年といい……頼むから私の生活を壊してくれるなよ」

























  前章<02> 喪失 -always loss-

























 「……」




  少女―――水無月空はぼんやりと、ベッドの上から空を眺めていた。

  青い空と、白い雲。太陽が眩しく世界を照らし出し、人々は今日を生きている。

  世界は常に動いている。そして、常に悲劇で満ちている。

  今この瞬間にも、世界のどこかで多くの人々が嘆き、悲しみ、怒り、絶望し―――命を失っているのだろう。

  彼女もまた、その只中に放り込まれてしまった一人だ。

  今や『灰色のクリスマス』と呼称されるようになったクリスマス事件。

  流出したアセンブラによって多くの人々が生きながらに融解され、直後にグングニールの掃射により全てが灼き払われた。

  統合は当初、掃射範囲を限定していたらしいが管理システムの暴走により無差別の全力掃射が開始。結果として蔵浜市は壊滅した。

  だが『その程度』の悲劇、世界を覗けばどこにだって転がっている。

  世界から見れば『灰色のクリスマス』と呼ばれるこの事件もありきたりな世界の悲劇の一つでしかない。

  しかし、彼女は―――水無月空は、そんな風に考える事などできはしなかった。




 『ですから、何故アークは情報を公開しないのですか? やればそれだけで全てが解決するというのに』

 『言っているようにこちらにはそのような記録は存在しないのです。全てがアークにあると思うのは止めていただきたいのですが』




  テレビから流れるコメンテーターの言葉が病室に響く。

  しかし空にとってそれらは一切の意味を持たず、全てが右から左へ流れていく。

  全てに意味が見出せない。

  全ての景色から色が消え失せている。

  彼女の胸にあるのは、そんな絶望と喪失感だ。




 「……甲」




  呟いた名前に、胸が酷く締め付けられた。

  甲―――門倉甲。

  彼女と恋仲であった同僚で、あの日は一緒に夜を過ごすつもりだった。

  街に繰り出し、店を覗いて、食事をして―――最後は寮に帰って、友人たちと楽しく夜を明かす。

  そんなありきたりな毎日を過ごすはずだった。




  だが彼は、空の目の前で生きながらに融解していった。

  流出したアセンブラに汚染され、体中から出鱈目に臓器や器官を生やし、潰し、人ではない何かに成り果てて……死んでいった。

  その光景は、今も彼女の頭に焼き付いて離れない。




 『そ、ら……に……げ……』




  おそらく、本能的に危機を察して放ったであろうその言葉。

  それは助けを求めるものではなく、状況に混乱する言葉でもなく、ただひたすらに空の身を案じるものだった。

  そして同時に、それが彼の最後の言葉でもある。




 「何で、よりにもよって……そんな言葉を残すのよ」




  残酷過ぎる、と。そう思った。

  助けを求められたのならきっと助けに走った。状況に困惑していたのなら一緒に困惑していただろう。

  だが、受け取ったのは身を案じる言葉。

  直後に訪れたのは、直視したくない永遠の別れ。

  泣きたくなった。いや、実際泣いていた。

  周囲を顧みず、流れる人の波に逆らって、泣きながら走り続けた。

  だが全てが光に飲み込まれたあの瞬間、自分の意識も身体も吹き飛ばされて―――




  気が付けば、友人に背負われて荒野を彷徨っていた。




  直前に見た光景全てから目を背けて、目が見えなかった事を言い訳にして、友人に騙され続けていた。

  自分を助けてくれた友人は自身を甲と偽り、互いに励まし合いながら荒野の街を生き延びた。

  おそらくああやって騙してくれなければ自分は生きる努力を速やかに破棄していただろう。

  ただ状況に流されるままに目を閉じて、いずれ訪れるその瞬間まで無感動に死体となっていただろう。

  自分を助けてくれた事には感謝して然るべきだ。

  だが、素直に礼を言えるほど精神に余裕はない。

  どうして自分を助けたのか。何故自分が死ななかったのか。何で自分を騙したのか。

  そんな自分勝手な感情だけが浮かんでは消えていく。




 「空さん、失礼します」

 「……レイン」




  だから、友人―――レインとは今まで碌に会話をした記憶もない。

  平和な日常に生きていた頃、どうやって甲を振り向かせるかで親睦を深めあった中にも拘らず……暗い感情が邪魔をしていた。




 「食事を、持ってきました」

 「……いい」

 「けれど、食事を採らなければ栄養は摂取できません」




  彼女自身、想い人を失って辛いはずなのだ。

  それにも拘らずこんな状態の自分を甲斐甲斐しく世話をしてくれている。

  それが酷く申し訳なく―――同時に、腹立たしくもあった。




 「いい。食欲がないの」




  だから冷たく突き放してしまう。

  いっそ恨み辛みの言葉で罵倒されればどれだけ楽だったろうか。

  自分は恨まれたとしても、こうも甲斐甲斐しく世話をされるような資格はないのに。

  もっと自分自身に素直になっても良いのに、それをしない。




 「……そう、ですか」




  空の言葉を受けてレインは気落ちした様子で食事の乗ったトレイを下げた。

  その表情を見て空は自己嫌悪に陥る。

  しかし、このやりとりも一度や二度ではなかった。




 (ほんと、最低だ……私)




  こんな時、彼ならばどうしたのだろうか。

  同じように絶望しただろうか、それとも素直に礼を言っていただろうか。

  分からない。

  今の空には彼の明るい笑顔はただ痛いだけだった。




  そんな時だった。




 「……?」




  彼女が、一通のメールを受け取ったのは。

























                    ◇ ◇ ◇

























  ―――ここに来て数日が過ぎた。

  あの少女―――ノイと名乗る人物は自身を被造子だと言い、正式な医療免許も提示してきた。

  クリスとしては年下に話しかけていた気分だったので少々気まずい思いもしていた。自分自身も同じ境遇だというのに気付かなかったのは盲点だと言える。

  彼女自身にも何か事情があるらしく今現在は雲隠れの最中らしい。

  これで闇医者の仲間入りか、とどこか自嘲気味にぼやいていたのをクリスは覚えている。

  そしてもう一つ。




 「クリス、入るぞ」




  彼が目を覚ました。

  自分を助けた彼はトレイの上に食事を乗せてベッドまで運んでくる。




 「ありがとう」

 「そう思うならもう少し腹に物を入れろ。いい加減栄養失調に陥るぞ」




  そう言われても喉を通らないのだから仕方がないじゃない、とクリスは声に出さずに反論する。

  ここ数日、クリスの体調は決して良いものとは言えなかった。

  度重なる精神的ショックと激しい体力の消耗により随分と疲労している。

  彼女が半ば生きる事を放棄しているのもその一因だった。

  しかし、それでも彼女は生きている。

  自分を助けてくれた少年と、治療してくれた少女の手によって、生きている。




 「戻してしまうよりは余程ましでしょう」

 「あのなあ」

 「それより、貴方の方こそどうなのかしら」




  言いかけた言葉を遮ってクリスは逆に問いかけた。

  確かに自分が油断ならない状況なのは確かだ。それは自分自身が良く理解している。

  だがそれ以上に、




 「記憶、未だに戻らないのでしょう」

 「……まあ、脳チップが破損しているからな」




  少年は記憶を失っていた。

  何らかの要因で破壊された脳チップ―――それが所謂エピソード記憶を喪失させていた。

  自分が何者で、今まで誰とどのようにどこで過ごしていたのか。

  そういった人生の日記がどこかへと消えてしまっていた。

  ノイによって治療用ナノマシンが注入されて脳チップの修復が進んではいるが、少年の記憶が回復する兆候はない。

  更に、




 「ネットに繋げないのは痛いよな……IDとか分かったら少なくとも自分が何者か程度は分かるのに」

 「接続部までは損傷が及んでいたのだから仕方がないでしょう。数日中には修復できるのだから我慢しなさい」




  脳チップによって二四時間常時ネットに接続していた第二世代にとって、それを失うのは手足をもがれるのに等しい。

  情報観覧やネットへの接続すらできないほどに損壊したチップは医者であるノイをして『これは酷い』と言わしめるほどだった。

  治療のための手術は徐々に進んでおり、数日中にはチップも元通りになるはずである。

  一応、身元を調べるだけならDNAから個人を特定するという手段もあるにはある。

  だが追われている身のノイとしてはそのような公共のデータベースにアクセスするのはリスクが高かった。

  つまるところの手詰まり、というやつだ。

  名前すら思い出せない少年はそれでも前向きに今日を生きている。




 (……それは同時に、『灰色のクリスマス』という地獄を忘れたという事よね)




  それは少し、羨ましくもあった。

  あんな地獄はできるなら一生見ない方が良い。

  もし自分が記憶喪失になったのなら……そんな考えすら浮かんでしまう。




 (……何を考えているんだか)




  考えて、同時に酷い自己嫌悪を感じる。

  記憶を失くすという事はつまり、今まで積み重ねてきた自分というものが消えて無くなるのだ。

  それはある種『死』と同意義である。

  記憶を失くした後に存在するのは、そこから新たにゼロから積み上げられた別の存在でしかない。

  失ったものを取り戻さない以上それはもはや別人と変わらないのかもしれないのだ。

  そして、彼は今現在そのような状況に立たされている。

  もしも家族や友人と再会した時、彼は何を思うのだろうか。同じように彼の周囲の人物は何を思うのだろうか。

  それは彼本人にしか分からない事だし、軽々しく分かって良いものでもない。

  だから記憶喪失を羨むという行為はそのまま彼の痛みになる。

  少々サドっ気があると自覚しているクリスではあるが、そのような状態の人間を好んで追い討ちするほどの冷血でもないつもりだった。




 「食べるように努力はするわ。その後に戻すかどうかは別として」

 「だから戻すなよ……まあいい。ここに置いておくからな」

 「ええ、お願い」




  カチャリ、と音を立ててトレイがテーブルの上に置かれる。

  トレイに乗せられているのは病院食―――ではなく、最低限の栄養摂取を目的とした簡易合成食だ。

  『灰色のクリスマス』によって混乱している情勢に加えてノイ自身の境遇もある。これでもまだまともな食事なのだろう。

  ひょっとしてあのまま瓦礫の街で伸びていた方がもっと境遇の良い人に拾われたのではないだろうか、と考えるのは仕方がない事だと思う。

  そんな事を論じても特に意味はないのだが。

  今はこうやって生きている現実に感謝するべきなのだろう。

  だが、そうやって生きるのは良いとして、目下最大の問題がクリスの目の前に横たわっていた。




 「……これからどうしようかしら」

 「何だよ、いきなり」




  人生について真剣に悩んでいた。

  六条家は跡形もなく吹き飛び、家族もおそらく死に絶えた。

  親戚を頼る術もなく文字通りの天涯孤独と化した訳だが……残った財産を狙って今更親戚が掌を反してくる可能性も否定できない。

  が、それに乗ったところで先の結末は目に見えている。

  場所によっては『アセンブラに汚染されている』などという眉唾な噂を信じて追い出しすらしているのが現状だ。

  元々腫物扱いされて親戚をたらい回しにされたクリスがどうなるかなど想像に難くない。




 「自分の身の振り方を考えていたのよ。私も考える事が多いの」

 「大変そうだな」

 「ええ、ほんとに大変よ。まあ、まずは身体の調子を戻さないと話にならないのだけれ、ど……」




  と、そこで不自然にクリスの動きが止まった。

  身体を起こしたその姿勢のまま固まって、その横顔から何かに驚愕している雰囲気が見て取れた。




 「どうした?」

 「あ、いや……別に、大した事じゃないわ。本当に、些細な事なの」




  そこまで言って、クリスは先程口にした言葉を反復する。

  『身体の調子を戻す』と、確かにそう言った。。

  『身の振り方を考える』と、そう言った。

  それはつまり、生きるという事。

  つい先日まで全てに絶望して自身の命すらどうでも良かった彼女が、生きる事を選択していた。

  自覚すらなくその選択をしていた事が、何より彼女を驚かせていたのだ。




 「……」




  原因を考えてみるが、心当たりはない。

  強いて言うならばこれまで付きっきりで世話をしてくれた二人だろうが……

  どうやら、自分は思っていた以上に生き汚い性格をしているらしい。




 「とはいえ、それで問題が解決するかというとそうでもないのよね……」




  問題は山積している。

  『何故生きる方向に目を向けたか』という事に関しては、既に気にしなくなっていた。

























                    ◇ ◇ ◇

























  中継界、という場所がある。

  一般にイーサと呼ばれるそこはネットワークの中継点であり、ネットに接続した第二世代が最初に訪れる場所でもある。

  言葉では言い表しにくい造形をグリッドが描き出し、柔らかな青い光に包まれた世界。

  ここを訪れた者は接続されている回線を通ってネットに存在する各エリアへと移動してい

  だから本来、この場所に長居するような人物はそういない。精々が密会の場所として使われるくらいだ。

  そんな人があまり訪れない場所に、水無月空は立っていた。




 「メールで指定された場所は、ここ……」




  小さく呟くその表情は焦燥に染まりきっていた。

  急いで来たために呼吸は上がり、心臓は早鐘を打ち、肩も大きく上下している。

  もしかすると『灰色のクリスマス』以後、一番気持ちが昂っているかもしれないと空は思う。

  本当ならば、こうやって行動する事はなかっただろう。

  メールで呼び出されても無視を決め込んでベッドで身を削る日々を送っていたに違いない。

  そんな彼女が呼び出しに応じた理由は唯一つ。




 「……ふう」




  大きく息を吐いて呼吸を落ち着かせる。

  焦ったところで良い事はない。一旦気持ちを落ち着けて―――改めて周囲を見渡す。

  空がここに訪れた唯一の理由を探し求めて。




 「―――どこにいるの。私はちゃんとここに来た。だから、姿を見せて」




  呼びかける。

  自分以外誰も存在しない中継界の中央で、姿を見せない呼び出し人へと。

  空の声が誰もいない中継界に響き渡り、やがて中空に溶けて消えていく。

  そして。




 「……お姉ちゃん」




  呼び出し人―――が、その姿を現した。

  空はゆっくりと、声のした方向へと振り向いていく。

  見えたのは、小柄な女の子だった。

  頭に特徴的な髪飾りを付けている、紫色のショートヘアーを空が見間違える事はない。

  彼女こそが空がこの呼び出しに応じた唯一の理由―――彼女の妹である、水無月真なのだから。




 「まこちゃん……!」

 「うん……久しぶり、お姉ちゃん」




  数日ぶりに見た妹の姿に感極まり、空は思わず真に抱き付いていた。

  抱き締めている身体が幻ではないという事を確認するかのように自然と腕に力が入る。

  真もその腕を背中に回す事で空に応えていた。

  彼女―――水無月真は『灰色のクリスマス』以後、門倉甲を除けば空の住んでいた寮のメンバーで唯一の行方不明者だったのだ。

  他のメンバーは奇跡的にも全員生存が確認されている。

  須藤雅、西野亜季、若草菜ノ葉の三名は特に被害を被ったという情報はない。

  渚千夏も居場所までは分からないが、生存はしているという事だけは分かっている。

  だがその中で、空の恋人であった門倉甲は死に、妹である水無月真は行方知れずだった。

  その彼女が、今目の前にいる。

  生きているのだ。

  その事実が、空の頬に小さな滴を流させる。

  妹に情けない姿を見せまいと声を押し殺すのが精一杯だった。




 「馬鹿……無事だったなら、ちゃんとお姉ちゃんに報告しなさいよ。ほんとに、心配、したんだから……っ」

 「ごめんなさい。早く無事を伝えたかったんだけど、ちょっとトラブルに巻き込まれちゃったんです」

 「トラブルって……」




  一体何の事、と聞こうとして―――空はふと気付いた。

  先程から、彼女ははっきりと自分の言葉を口にしてはいないか……?




 「まこちゃん、貴方言葉が……!」

 「うん。ちょっとショッキングな事があって、そのおかげかちゃんと喋れるようになっちゃいました」

 《ただ、電脳症の方は相変わらずみたい》




  笑顔の言葉と共に彼女の別の声が直接頭に響いてくる。




  ―――水無月真は電脳症と呼ばれる病気を患っている。

  正式名称『電脳性自我境界線喪失症』。cybernetics ego boundary disorderを略してCEBDとも呼ばれるその病気。

  これはAIとの親和性が高すぎる人物が事故の脳チップとネットワークの境界線を失ってしまうというものだ。

  その症状は人それぞれで、幻覚を見る事があれば他の電子体のデータを読める事もある。

  真の場合は『無意識に障壁をすり抜ける』『自身の思考が周囲の人間に漏れる』といったもので、弊害としてまともに言葉を発する事ができなかった。

  電脳症は現在の技術での治療は不可能で原因さえも不明な難病である。




  そんな病気の症状の一つを克服した事を真が何でもないようにさらりと口にしてきた事は、空に驚愕を覚えさせた。




 「いや、ショッキングって、」

 「だけど私が喋れるようになった事は、この際どうでもいいの。私がお姉ちゃんをここに呼んだのは、話したい事があったから」




  空の言葉を遮って真は自分の用件を切り出してくる。

  その有無を言わさぬ迫力に空も自分の言葉を引っ込めてとりあえずは話を聞く体勢になる。

  真は小さく『ありがとう』と呟いてから、本題を話し出した。




 「お姉ちゃん……私はこれから、久利原先生を追います」




  そしてそれは、空を驚愕させるには十分すぎる内容だった。

  そのあまりに突拍子の無い内容に空も一瞬言葉を失う。

  だが次の瞬間には再起動し、そして一気に考えがこんがらがった。

  何故今まで行方不明になっていたのか。『灰色のクリスマス』で何があったのか。まともに会話できるようになったのは何故か。久利原先生を追う理由は。

  一度に多くの疑問が押し寄せてきて、言葉にするのも難しい。




 「なっ……待って、待ってまこちゃん。どうしていきなり久利原先生を追うだなんて」

 「……今先生を止めなかったら、きっととても悲しい事が起こってしまう。ううん、止めるべきならもっと前にそうするべきだった。

  だけどそれはもう過ぎてしまった事、変えられない事だから。だから私は、これ以上が起こらないように先生を追いかける」

 「まこ、ちゃん……?」




  空は思わず自分の目を疑った。

  目の前で流暢に言葉を話す真は、今まで彼女が見た事のないほど真剣な表情をしている。

  生半可ではない決意と覚悟―――それが滲み出ていて、はっきりと感じる事ができた。

  だが、だからと言って、いきなりそんな事を言われても混乱するだけだ。

  当然『はいそうですか』と首を縦に振れるはずもない。

  たった一人の妹が危険に飛び込んで行く事など納得できない。




 「……駄目。そんな事をしてどうなるか分かっているの? 先生―――ドレクスラー機関はアセンブラが原因で世界から追われている。

  それを追いかけるっていう事は否応なく戦いに巻き込まれてしまうんだよ、そんな危ない事―――」

 「それでも、誰かがやらないといけないの。このままじゃきっと『灰色のクリスマス』が繰り返される……ううん、たぶんそれだけじゃ終わらない。

  そうなってからじゃ何もかもが遅すぎるの。だから私は、先生を止めに行く」

 「……何でよ……何で、そこまで……」




  長い付き合いだからこそ、空には分かる。

  この短いやり取りでも真は決して意見を曲げる事はないという事が、嫌でも分かってしまった。

  妹が危険に向かって歩いて行こうとしている。

  恋人は危険に飲み込まれて帰らぬ人となった。

  自分はまた、大切な人を失うのか?




 「っ、嫌!!」




  気付けば、空は再び真を抱き締めていた。

  さっき以上の力で強く、絶対に離さないように。

  突然の行動に真も驚いて声を上げる。




 「お、お姉ちゃん?」

 「嫌、嫌よ! 絶対に嫌!! まこちゃんをそんな危険なところには絶対に行かせない!!」




  真の言葉を疑う気は空にはない。

  だが、同時にそんな訳の分からない事で妹が危険に踏み込んでいくのも納得がいかない。

  そもそも具体的な事を何一つ話さずに納得しろというのが無理な話なのだ。

  そして、




 「やだよ……甲が、死んじゃって……まこちゃんまでいなくなったら、私、どうしたら……やだぁ、やだよぉ」

 「……お姉ちゃん」




  文字通り心が悲鳴を上げていた。

  大切な人が次々と自分の周りから消えていく―――こんな事を現実だと認めたくない、と。

  無論、この気持ちが自分一人だけのものだとは思っていない。

  もっと大勢の人が同じ気持ちを抱えているだろう。いや、自分以上の人もいるかもしれない。

  酷い我儘だというのは分かっている。誰にも、個人の意思を邪魔する権利は存在しない。邪魔するものがあるとするならそれは人のエゴに他ならない。

  だが、それでもそう思わずにはいられないのが人なのだ。

  大切な人を失いたくない。

  そのために行動する事を、誰が否定できるというのか。




 《……駄目なの、お姉ちゃん。私が一緒にいると、きっとみんなにも被害が及ぶから》

 「―――ぇ?」




  だが、それを否定したのは他ならぬ真自身の言葉だった。

  その言葉の意味を理解するのに少し時間が掛かってしまう。

  まこちゃんが一緒にいると、みんなに被害が及ぶ……?




 「まこちゃん、それって一体……!」

 《ごめんなさい、詳しくは話せません。追っ手は全て撃退するか煙に巻いてきたけど、監視されている可能性は否定できないの》

 「な……」




  その言葉に、愕然とした。

  何だ? その言葉は。

  それではまるで、『真が危険に追われている』ようではないか……?




 「なん、で……」

 《理由は私にも分からない。だけど、どこかの組織が私を狙ってきて、ノイ先生がこうして私の電子体だけは逃がしてくれたの》




  真の一言にある情報量に空はまた少し理解に時間を要した。

  今の真の言葉を纏めると、こうなる。

  おそらく、真とその主治医であるノイは一緒にいた時にどこかの組織によって拉致された。

  その理由は不明。だがその狙いは真にあるらしい。

  今ここにいる真の電子体は、ノイができる最大限の抵抗だったのだろう。

  つまり今現在、真は実体に戻る事が許されない上に、主治医のノイもどこかに拉致監禁されている可能性が高いのだ。




 「何よ……何よ、それ」

 「……だから、私はみんなと一緒にいる訳にはいかないんです」




  あまりにも残酷な状況に空の腕から力が抜ける。

  真は、優しくその腕を解いて離れていく。




 「っ、待って! アークの保護を受けたら、聖良おばさまに頼めばきっと……!」

 「今の状況でそんな事をすれば、きっとアークは今よりもっと不安定な状態になる。それは結果的にみんなの迷惑になってしまうから」




  駄目だ。

  届かない。掴めない。

  いくら手を伸ばしても、その手を掴もうとしてくれない。




 「やだ……まこちゃん、行かないで……」

 「……私は、実際に甲先輩の最後を見た訳じゃないから、こんな事が言えるのかもしれないけど」




  離れていく。

  大切な存在がまた、自分の手の届かない場所に行こうとしている。

  真は今にも泣き崩れそうな空の顔を真っ直ぐに見つめて、柔らかく微笑んだ。




 「私は真実を知りたいんです。だから、先生を直接問い詰めてきます」




  その言葉を最後に移動(ムーブ)プロセスが起動し、真の姿が幻のように揺らぐ。




 「まっ……!」

 「じゃあね、お姉ちゃん。……お元気で」




  次の瞬間、真の姿は最初から何も無かったかのように消えていた。

  空の手を伸ばした先には、何も無い。

  何も、無かった。




 「ぅ、ぁ……あぁ、うぁぁ……」




  視界が滲む。

  輪郭がぼやけて、景色の判別がつかなくなる。




 『じゃあね、お姉ちゃん。……お元気で』




  最後の言葉が嫌に頭の中で響いている。

  そうして理解した。




  自分はまた、大切な人を、失くしてしまった。




 「うぁああ……、うわああああああああああああああああぁぁぁ……っ!」




  一度堰を切った防波堤はもう役に立たなかった。

  次々に熱いものが目から溢れてきて頬を濡らしていく。

  悲しさが、辛さが、枯れたはずの涙を流させる。




 「わ、たしっ……ど、したら……! わかっ、ない……分かんない、よぉ……こぉ……!!」




  少女の泣き声が、中継界の中で空しく響き渡った。

  助けを求める声に応える者は、いない……


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