「ようこそ、アーヴァルシティへ」
やって来た空達を出迎えたのはそんな一言だった。
ガイド用のNPCー見た目も声も、門倉甲にそっくりなそれがそこいらじゅうに溢れている。
いろんな意味で目を引く光景だった。
「話に聞いてはいたけど……いい気分にはなれないわね」
「そこばかりは私達が口出しできる領分ではないかと」
「分かってる。分かってるけど、ね……やっぱり、複雑だわ」
レインも真も、それ以上は何も言わない。
適当にNPCを追い払ってからアーヴァルシティを歩き出した。
目的の人物の所在は予め聞いてある。電子の地図が示す通りに、のどかな風景の中を進む。
「……それにしても」
再現度が凄まじい。空は素直にそう感じた。
降り注ぐ柔らかな日差し、時折吹き付ける優しいそよ風、生えている草花、桜並木。
ぱっと見て感じただけでは現実のものと遜色無いだろう。それだけの完成度がここにはある。
「あー、なんだかRPGの人の気持ちが分かる気がします。現実が物騒な今のご時世、ネットに安息を求めてもおかしくないですし」
「本当に。突き詰めるところまで行ったのならいったいどうなるのでしょうか」
「さあ? 少なくともそれは私達が判断する事でもなければ、体験する事でもないでしょう」
まあこの再現度には舌を巻くけど、と改めて辺りを見渡す。
軽く整備されただけの、自然の色を強く残した小道。右手は緩やかな傾斜になっていて、そこに緑の芝生と桜並木が広がっている。
左手の傾斜を下ったところには大きなグラウンドが広がっていた。
「懐かしいわね……千夏がよくあそこで駆け回ってたっけ」
「千夏先輩、サッカー大好きだったもんね。よくここからそれを眺めて……」
在りし日の光景が思い起こされる。
如月寮で過ごした日々。出会った仲間と、大切な人。
みんなで協力したり、時には喧嘩したり……まるで家族のようだった。
亜季、菜ノ葉、千夏、雅、真、そして甲。もしかするとレインも。
あの頃は夢のように楽しくて、充実していて。そんな日々が続くと何の疑問も抱かずにいた。抱かずにいられた。
だけど、それはあの日を境に変わってしまって……
「あの……中尉? 真さん?」
「あ……ごめん。なんか思い出に耽っちゃったわね」
「いえ、それは構わないのですが……ここを、懐かしいと仰いましたか?」
「……へ?」
何の事だと空と真は二人して首をかしげる。
そういえば、確かにさっきそう言ったはずだ。目の前に広がる懐かしい光景に郷愁の念にかられて―――
「「……あ」」
そこで、ふと気が付いた。
今、自分達はどこにいるのだったか……?
「っ、まこちゃん」
「合点です!」
「ちょ、お二人共!?」
レインの声を無視して、二人は全力で走り出した。
その中でも周囲の観察は怠らない。
走り抜ける中で過ぎ去っていく光景に、どれもこれも見覚えがあった。
桜並木も、グラウンドも、脇道も、草花も、建物も、空も、雲も、太陽も、全部。
忘れるはずもない光景。だからこそすぐには気付けなかった違和感。
亡くしたはずの日常の風景に、知らず鼓動が高なる。
「はっ、は……っ」
信じられない。似過ぎている。
だから、ありもしない期待に駆られてしまうのだ。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。感情だけが先走って自分でも何を考えているのか分からない。
だから走って、走って走って、走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って―――、
「……ぁ」
見つけた。
記憶のまま変わらない、懐かしいあの場所を。
たくさんの思い出がある。数え切れないほどの想いがこの場所には詰まっている。
もう二度と見ることのない物だと、そう思っていたのに―――
あの場所が、如月寮が目の前に建っている。
「わあ……」
「これは……」
遅れて来た二人もその光景に息を呑んだ。
あるはずのない光景―――それに目を奪われていると、中から声が聞こえてくる。
「んー、味付けはこんなところかな?じゃあ後は盛り付けて……」
懐かしい声。
おそるおそる、寮のドアに手を掛ける。
記憶と変わらず、やはりスライドの手動式だった。懐かしさを感じながら、靴を脱いで床に上がる。
「食器はこれで良いかな。。とはいえ流石に一度に全部持っていくのはきついかも……」
聞こえる。聞き間違えるはずのない声が。
未だに現実味の欠ける気分で、しかしうるさいくらいに脈打つ心臓を理解しながら―――
「菜ノ葉、ちゃん……?」
「え……?」
数年ぶりに、可愛い後輩と再会した。
第一一章 接触 -connect-
「亜季先輩、雅先輩! 大変です、緊急事態です!! 重大検案発生です!!」
空達を出迎えた菜ノ葉は大袈裟すぎる物言いであっという間に奥の居間まで走り去っていった。
そこまで驚くようなことか、とも思うが、数年も音沙汰のなかった友人がいきなり訪ねてくればこんなものかと納得しておく。
程なくして、菜ノ葉の走り去った方から慌ただしい足音が三つに増えて帰ってきた。
懐かしい面々がどっと押し寄せてくる。
「わ、ほんとに空だ」
「よう、久しぶり」
「ええ……久しぶりね」
そつなく、ありきたりな言葉しか出てこなかった。
もっとも雅だけは久しぶりと言うには語弊があるのだが……向こうは『この場で偶然再会した』ということひしたいらしい。
空としても余計な厄介事を起こす気など更々ないので、一応はそれに乗っておいた。
それに続けて、今度は空の後ろからひょこっと顔を出した真に二人の視線が移る。
「おおっ、真ちゃんじゃないか! 久しぶりだなあ」
「雅先輩こそ、お元気そうで何よりです」
「というより真。来るなら来るって連絡の一つくらい欲しい」
「えへへ、すみません。忙しくてその間がありませんでした」
ぺろり、と可愛らしく舌を出して再会を喜ぶ妹の声にはやはりというかなんというか、多少の悪戯すぴりっとが紛れている。
こんな時でも我が妹は絶好調らしい。
ここ数日ですっかり見慣れてしまった様子にひっそりと溜め息を吐く。
「ていうか、ちゃんと喋れるようになったんだな」
「はい。それはもうペラペラです。絶好調です」
「わあ、なんだか新鮮。よかったね、真ちゃん」
年下同士が手を取り合って喜びを表現している。
歳が近いだけに共感することもあるのだろう。素直に喜んでいる真というのもここ最近では珍しい気がする。
それだけ嬉しいのだろうと考えて―――
「―――先輩、少しいいですか」
空は、亜季に向き直った。
対する彼女もおおよその事情は聞いているのか、空の視線を真っ向から受け止める。
「聞きたいのは、シミュラクラのこと。違う?」
「はい。開発者である先輩なら詳しい話が聞けると思って」
重い空気が流れる。
対面する二人のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、喜びあっていた三人もピタリと動きを止めた。
少しの沈黙のあと、亜季がいつになく真剣に尋ねる。
「理由、聞いてもいい?」
「―――なら、最低限二人きりで盗聴の危険の無い場所でお願いできますか。
できるなら、誰にも聞かれたくないですから」
特に、ここにいる二人には。心の中でそう付け足しておく。
成り行き上でレインと真は知ることになったが、よけいな情報で混乱させるつもりはないのだ。
淡い希望など、裏切られた時の傷が余計に深くなるだけである。
だから話さない。絶望するのは自分だけで十分だ。
「―――分かった。なら、私のプライベートエリアに行く」
「ありがとうございます」
亜季はそう答えを返し、目を閉じると私有空間へと転移した。
ややあって空にもアドレスが送られてくる。
「それじゃ、行ってくるわ。そう時間はかからないと思うから」
「おいおい、せっかくの再会だってのに忙しいな。もう少しゆっくりしてもバチは当たらないと思うんだが」
「時間っていうのは待ってくれないの。特にこういう時期には、ね。分かるでしょ?」
空の問いに、雅から返ってきたのは苦笑だった。
今の時期がどういう危険性を孕んでいるのか、彼も重々承知しているらしい。
そんなやりとりを交わす二人を、寂しそうに菜ノ葉が見つめる。
「空先輩―――亜季先輩と仲違いしたり、しませんよね」
「……流石にそれは酷くないかしら」
「あっ、ご、ごめんなさい! そういうつもりじゃ……!」
「いいわよ。我ながら無愛想に切り出したなと思ってるし」
その答えに菜ノ葉は余計に悲しそうな表情になる。
……本当に、とことん無愛想になった。空は改めてそう思う。
以前の自分ならあんな表情をさせないためにいろいろと苦心しただろう。たとえば、適当な事を言って場を和ませようとしたかもしれない。
だけど、今の空にそれはできない。
あんな表情をさせてしまった罪悪感はあるが、それでも目的に向かってただ進む。そんな人間になってしまった。
こんな自分に後輩を笑顔にできるなどとは欠片たりとも思ってはいない。
「それじゃ、行くわね。二人とも後はお願い」
「「了解」」
返答を確認すると、真とレインに後を任せて自分も亜季の待つ場所へ転移した。
景色があやふやになり、一瞬の浮遊感が襲う。まるで紙芝居のように目の前の景色が入れ替わる。
次の瞬間、目の前に広がっていたのはおよそ独創的の範疇を越えた奇抜な光景だった。
「……ここに来るのも、随分と久しぶり」
ここが亜季のプライベートスペース。
クゥと甲が出会った場所で、その絆を育んだ世界。
それを通して自分も随分と恥ずかしい思いをしたのだが……どれもこれも、過去の話でしかない。
つい最近に疑似体験したばかりでも、やはり思い出を遠くに感じる。
「来たね、空」
「はい。お待たせしました、亜季先輩」
声のした方に振り替える。当然、そこにいるのは西野亜季。
空は、彼女から聞かねばならない事がある。
シミュラクラ―――あの時現れた甲の模倣体を名乗るNPC。
同じ模倣体であるクゥとは関係があるのか。甲はその存在を知っていたのか。そもそも、今シミュラクラはどうなっているのか。
「それじゃあ……聞かせて、空がシミュラクラにまた関わろうとする理由」
「分かりました」
知るために、見聞きしたこと全てをぶちまける。
途中、亜季は何度か驚いたように硬直したものの、それでも最後まで口を挟まずに聞き続けた。
そうして全てを語り終えて―――
「……そう。甲のシミュラクラが」
噛み締めるように、そう絞り出した。
「確かに、甲に対応するシミュラクラは存在する」
「だけど、シミュラクラはリンクが生きていなければ起動しない」
「そう、だからこれは緊急事態。誰かがマスターデータを元に作ったデッドコピーか、根本的に別の存在なのか……」
どちらにしても放置はできない。
シミュラクラなどを悪用されたら洒落にならない事態を引き起こしかねない。
自分の身で空はそれをこれでもかと理解している。
しかし、先の言葉に気になる点が一つ。
「マスターデータを元にって……亜季先輩、今シミュラクラのデータは……?」
「……誠に遺憾ながら、気付けばいつの間にか無くなっていた。セキュリティ諸々綺麗さっぱり反応がなくて、行方の手掛かりはゼロ」
申し訳なさそうに、悔しそうに、亜季はそう締め括る。
彼女はシミュラクラの産みの親とも言える人物であり、しかもそれが弟のような存在にまで関わっているのだ。
その心中は簡単に察することができないし、出来ていいものでもないだろう。
「甲のシミュラクラは確かに存在する。だけどそのデータはクゥ共々忽然と消えてしまった。
そして、モデルとのリンクなくしてシミュラクラは決して起動しない。
今の私に分かるのはこれくらいだけど、他に聞きたいことは?」
「いえ……十分です」
事実確認になったが、不確定な情報を確かなものにできた。それだけでも来た意味はあっただろう。
謎だらけな状況はまるで変わっていないが……
と、亜季が唐突にデータを空に送ってきた。
開いてみれば、何かのIDがそこには記されている。
「これは?」
「甲と空のシミュラクラが持つID。もし見かけたならまずはこれで判断して欲しい」
とはいえ、これは気休めでしかないだろう。
肝心なことが何もかも分かっていないうちには決定打にならないとは二人とも理解している。
が、しかし無いよりは格段にマシだ。
「ありがとうございます。いきなり押し掛けたのにここまでしてもらって」
「空は後輩、私は先輩。後輩は先輩を頼るもの。何もおかしなことはない」
「そう……ですね」
そう笑って言ってくれる亜季に、空はちゃんと笑い返せた自信がなかった。
亜季も、歪に強張った空の微かな笑い顔を見て痛ましげな表情になる。
「空、笑わなくなったね」
「……最後にちゃんと笑えたのがいつなのか、もう覚えていません」
あの日から、空はずっと戦いの中で生きてきた。
非情な現実の只中に飛び込んで、数え切れない死を見てきて―――気付けば、笑い方を忘れていた。
好戦的に笑ったり、相手を嘲笑ったりすることはある。
しかし反面、心から純粋に笑うという行為ができなくなっていた。
だから、忘れた。自分の中から笑い方がいつの間にか綺麗サッパリ抜け落ちていた。
「……悲しいね」
「そうでもしないと、生き残れませんでしたから」
それが良いのか悪いのか、今の空にはそれすらも分からない。
目的以外が麻痺してしまった、まるで人形のような生き方。酷く歪なその在り方は空の置かれた状況を端的に表していた。
「……戻ろう。あまり遅いと二人が心配する」
「そうですね」
これ以上話せる事はなく、ここに留まる意味もない。
二人は同時に転移して―――
「ハロー、空、亜季。久しぶりー」
ありえない光景を目にする事になった。
◇ ◇ ◇
「で、約一話ぶりに出番なわけだけど」
「何を言ってるんだ?」
「気にしちゃ負けよ」
コゥとクリスは廃ビルから眼下に広がる光景を眺めていた。
一台の車を囲むようにして集まっている人々の群れ―――それがよく見える。
視線は例外なく中央に停まっている一台の車に向けられており、主賓の登場を今か今かと待っていた。
ざわめきや喧騒が秒増しに高まっていく。
「結構な数だな」
「この街の将来に関わってくるのだから住民が気にするのは当然でしょう。野次馬気分のギャラリーもそれなりに混じっているでしょうけど。
さて、そんな中に紛れている勢力はどれだけいるのかしらね……?」
この二人はこれからここで行われるであろう米内議員の演説など正直どうでも良かった。
目的は別。政治的アクションによって現れるであろう影響と、それを見極めるために集まる各勢力の偵察だ。
ここに集まる者達はそのほとんどが組織的集団のはずである。大してこちらはたった二人のみ。
何の事前情報も無しにその争いの中に介入する気など持ち合わせてはおらず、これはそのための労働である。
「大体のポイントを眺められるポイントに陣取ったけど、中々釣れないわね」
「現れるとしたら直前だろうな。米内を始末するとして、狙撃するならその後の撤退が迅速でなければならない上に目立ってはいけないから持ちこめる物も限られる。
潜脳でもするならネットで覗けば十分だろうし、流石に護衛に刺客が紛れていたり爆弾が仕掛けられていたらお手上げだが」
情勢が極めて不安定なこのタイミングで動く以上、米内には何かがある。おそらくは阿南側にダメージを与えるものが。
当然、向こうも指を加えて見ているだけではないだろう。何かしらの対策をこの場にこうじるはずである。
それが暗殺であれ誘拐であれ、またはもっとろくでもない何かであれ、それを確かめるため誘蛾灯に誘われる蛾のように各勢力はこの場に現れる。
様々な思惑が交錯することになるだろう。予想もつかない出来事があるかもしれない。
それだけの勢力が集中している清城市。間違いなく、今まで経験してきた戦場の中でも最大級に危険なものだ。
知らず、コゥは手を握る。
それを知ってか知らずか、クリスも現状を確認するように口を開いた。
「そろそろ時間ね。どこから誰がちょっかい出すのか楽しみね」
「じゃあ、俺はネットの方を見てくる。何かあったら呼び掛けるか、暇がないようならアポートしてくれ」
「暇がないなら、むしろ見捨てて逃げるかもね」
もちろん冗談だ。クリスはコゥを見捨てる気などさらさらない。
一昔前の自分が見ればどう思うのだろうか、などと詮無いことを考える。おそらく奇妙な生き物を見るような目で見られたに違いない。
「その時は夜な夜な枕元に化けて出てやる」
「で、愛でも囁いてくれるのかしら。それとも睦言? いつもは味気ないからあっちで語彙を増やして来てくれれば嬉しいのだけど」
「そんな仲かよ、俺達」
軽い冗談も戦場に向かう互いを鼓舞するための一種の儀式だ。必ず生きてまた会おうと、そう確約するための宣誓。
それを終えて、不敵に笑ってからコゥはネットに没入した。
糸の切れた人形のように倒れた彼の身体を窓の視界から隠すように移動させる。
意識の無い成人男性を庇いながら何かしらのアクションを起こすのはリスクが高い。
気分としては大きな爆弾を抱えているようなものである。少しでも衝撃を与えてしまったなら何が起こるか分からない。
加えて、万一に備えて強制離脱できるように有線での没入だ。こちらにも細心の注意を払わなければならない。
だから、ただじっと時を待つ。
状況が明確に変化するその瞬間を。
「……来た」
そうして眼下の光景を眺める中、とうとう状況が動き出す。
米内議員。
阿南市長とはAI関連で対立している反AI派。この場での演説の目的は問うまでもなく阿南への一手だろう。
政治的な戦いにおけるこれは先への布石か、決定的な一打か。
どちらにせよ、状況は動く。
複雑に絡み合ったそれぞれの思惑がこの一手で確実に動き出す。
「鬼が出るか蛇が出るか、だったかしら、この州の諺」
変化する。
加速する。
それぞれの思惑など知らず、聞かず、物事は激流のように移り行く。
それをもたらす彼が、演説用の車へと上がった。
起爆剤。
ダムを決壊させるための爆薬が、今―――
「さあ、見せてもらいましょうか。貴方はその言葉でいったい何をもたらそうというのか……」
そして。
起爆のスイッチが、押し込まれた。
◇ ◇ ◇
目の前の光景が理解できない。
ありえないものを目にして空と亜季の動きが停止する。
それほどの驚愕があり、それへどの疑問があった。
何故、どうして、今このタイミングで、図ったように現れるのか。
一卵性双生児、ドッペルゲンガー、世界に似た顔が三人。そういった言葉が浮かんでは消える。
しかしそうではない、どれも違う。
目の前で佇む存在―――彼女を言い表すならこの一言をおいて他にはない。
模倣体―――シミュラクラ。
モデルケースとのリンクによりクオリアを獲得し、最終的には対象と同じ心を持つまでに至る特殊なNPC。
現状、確認できるシミュラクラとしての個体は二基のみ。その中で空とリンクを結んでいるものなど、世界中を探しても一基しかない。
すなわち、
「……ク、ゥ?」
「あれ、反応が鈍いなー。私としてはちょっと予想外の方向から唐突に再会を演出した方が喜ばれると思ったんだけど」
んー、失敗したかなー、などと目の前のそっくりさんは気楽に呟いている。
そのさも当然とでも言うように喋っているのをようやく認識して、気付けば空は思わず叫んでいた。
「あっ、貴女、何で動いて!? ていうか凍結とか、そもそもプログラムは行方知れずなんじゃ……!」
「あー、うん。いろいろ聞きたいことがあるのは分かるけど、まずは落ち着いたら? 亜季もほら、ポカーンと口を開けてないでさ」
「あ……うん……」
開いた口が塞がらないとはこのことか、とその時の二人は心底思った。
クゥだ。記憶のままの、今の空と比べたなら少しばかり幼く見え、懐かしい学生時代に愛用していた私服を着こんでいる。
だが決定的に違う。
今と昔とでは『クゥ』に差がありすぎる。
「むう、やっぱり反応が薄い。やっぱり少し狙いがあざとすぎたのかな? 素直に如月寮に突撃訪問でもした方がインパクトあったかしら」
「いや、どっちも大差無いと思うけど……」
「え? 何で?」
今の受け答えで二人の中の差異がより明確に浮き彫りになる。
やはり、違う。
昔のクゥは感情こそあれ、どこか子供っぽくたどたどしい言動が目立った。
だが今のクゥはそうではない。しっかりと会話によるコミュニケーションを成立させ、どこか成熟した言動が見られる。
まるでー学園生時代の空を見ているようだった。
「……貴女、本当にあのクゥなの?」
「む、それは失礼するわね。確かにあの頃は上手く言葉を話せなかったけど、それはただ単に勉強途中だったというだけで」
「なら、何? 睡眠学習でもしたの?」
「似たようなものかな? 私が凍結されてもそれでシミュラクラのリンクまで切れた訳じゃないから、寝ている間もずっと空を通して勉強してたんだから」
一応、理屈は通っていた。
亜季に視線だけで問い掛けると肯定が返ってくる。どうにも本当にそういうことはできるらしい。
「……なーんか、視線が疑わしい。やっぱり信用されてなかったりする?」
「生憎と、急に出てきてご本人ですと言われたところですんなり信じられるほどお目出度い頭をしていないの」
「あれぇ……? 私なら嬉々としてすんなり信じそうなんだけど、違うのかな……? ある意味同じなんだから空も同じように感じてくれると思ったんだけどなあ」
「わあ……」
亜季が唖然と言葉を洩らすと同時にピキリ、と空のこめかみに青い筋が浮かんだ。
間違いない。目の前の瓜二つ、確実に私に喧嘩を売っている。
まあいーやとこちらの気持ちも知りもせず能天気にのたまうクゥが、空には何故だか無性に腹立たしかった。
いっそ文句の一つでも言ってやろうと思い、口を開こうとして。
「じゃあ、時間もないから手短に話すね」
その真剣な声と瞳に出鼻を挫かれた。
「空、『私』に気を付けて」
そして、その言葉も全く意味の分からないものだった。
「は? 貴女、何を言って……」
「私はまだこのポジションから動けない。舞台を演出する舞台装置、役者を導く狂言回し、その位置からの脱却はまだできない。
だけどあいつは違う。大きく状況も動いているこの世界で、あいつも白痴のように一手を講じてきた。今の私にはそれに明確な助言を与えるだけの余力が無いの。
ああもう、ほんとにもどかしいわねこの状況。できるなら今すぐにでも横っ面をぶっ飛ばしに行きたいのに」
不満たらたらといった風に愚痴を洩らすクゥ。しかし、対して空はよく分からない助言に頭を混乱させるだけだ。
内容が不透明な語彙が多すぎる。舞台、舞台装置、役者、狂言回し、あいつ。どれもこれも抽象的で具体的な意味が掴めない。
しかも、聞いていると足元が揺らぐような内容だ。もしこれを鵜呑みにするならば、全ての状況は誰かの掌の上ということになりかねない。
ありえないと思いながら、しかしそれでもぐらつく足元。
自分は、いったい何に対して恐怖を感じているというのだろうか?
「言ったように、今の私に言えるのはこれだけ。だから私の要件はもう終わったんだけど……」
「待ってクゥ。貴方は今どこにいるの? 甲のシミュラクラごと消えたのは何か理由が? それとも誰かに持ち出されたの?」
「ぶっちゃけ分かんない。今の状況に至るまでの過程は不明だし、はっきりしているのはやらなくちゃいけない事だけ。
甲の方は……やっぱり直接会った事はないから分かんないなあ。たぶん、似たような事をやってるとは思うんだけど」
あまりにあっさりと、甲のシミュラクラの活動が肯定される。
シミュラクラはモデルケースとのリンクが無ければ活動できないプログラムだ。
だというのに甲のシミュラクラは起動して、活動している。つまり、それは―――
「ちょっと待ってよ! じゃあ何、あいつは生きているとでも言うの!?
私は確かに見たのよ。あの日、あの夜、あの場所で! あいつが、甲が―――ッ!!」
「ほんとに?」
え……、とクゥの一言に言葉が詰まる。
何の事だと問いかけるよりも先に、やはりクゥは先んじた。
「ほんとにそれだけ? 空の中にある光景は、本当にそれだけ?」
「な……何、を」
フラッシュバックする。
二つの光景。二つの記憶。クリスマス・イヴに起こった灰色のクリスマス、その二つの結末。
「そんなややこしい状況になったのは一方的にこっちが悪いんだけど、だからこそ言わせてもらうわよ。
既にヒントは十分すぎるほどにあるんだから、あとは信じられるかどうかだけだと思うんだけど」
「ッ、そんなの―――!」
急に言われて信じられるものかと。
カゲロウを見た。過去と変わらず、そこよりもより洗練された動き。統一されていない多種多様な兵装。
記憶を見た。灰色のクリスマスで一緒に逃げていた甲が、グングニールの煽りを受けて離れ離れになった。
だから、甲は生きている。
そんな楽観的に―――考えられるはずもない。
「まったく、仕方ないなあ。今度会う時までに答え合わせが済んでいればいいんだけど」
「待ちなさいクゥ! まだ聞きたい事は」
「残念だけど時間切れ。そろそろ始まるから、行くなら急いだ方が良いわよ」
「だからっ、」
話はまだ終わっていない。
そう口にするよりも先に―――
「じゃあ、近いうちにまた会おう。頑張ってね、空」
もといた空間へと強制的に弾き出されていた。
如月寮と、置いて行った四人が目の前に現れている。
傍らには共にいた亜季も急な景色の変化に目を瞬かせている。
「お帰りなさい……って、二人ともどうしたんですか? 鳩が豆鉄砲でも喰らったみたいな顔をしてますよ」
「それ、どんな顔なのよ……」
状況が目まぐるしく推移して状況が上手く掴めないが、とりあえずは元の場所に戻って来たらしい。
未だに先程の光景に現実味が持てないが……
思わず白昼夢でも見たのかと思ってしまうが、隣の亜季の様子から察するにそれもなさそうだ。
何かあったのかとレインと真が見てくるが、何でもないと返しておく。
と、不意に雅が宙を仰いだ。
「……雅?」
「……あー、悪いな。急で仕事が入ったから行かせてもらうわ」
「そう。CDFも大変ね」
「まあな。けど市民の平和を守るためだし、俺は粉骨砕身働いてきますよっと」
そう言って、雅はコートを翻して玄関口に向かう。
CDFが動くという事は、何かしらの事件があったかそれともこれから起こるのか。
どちらにせよ、状況に一石を投じる事になるのは変わりない。
ならばこちらも動くべきなのかと考えて―――
「―――お姉ちゃん。おやっさんから通信です」
これから起こるであろう波瀾を予感し、先程の邂逅の意味を頭の隅に追いやった。