「特ダネ?」
「ああ、特ダネ」
フェンリルに保護され護衛付きで清城市を脱出する事になったエディは、去り際に空にそんな事を耳打ちしてきた。
「あらかたの情報はあっちと共有しちまっただろ? だからまあ、これは俺なりの誠意ってもんだ」
「貴方ね……」
慣れないのか照れているのか、彼はばつが悪そうに頭を掻いている。
それがなんだか可笑しくて、同時にあの状況でまだ情報を隠し通す図太さに呆れた。
「貴方が誠意って、正直似合わないわよ」
「けーっ、珍しくしおらしい態度をとってみりゃコレかよ。もうちっと柔らかい反応できねえのかよ鉄面皮」
「悪かったわね鉄面皮で。それで、特ダネっていうのは?」
催促するとエディは『はいはい』と言いながら一つのデータを送りつけてきた。
見ろ、と視線で促してくるので受信したそれを開く。
どうにもそれは動画ファイルらしいく、開くと視界の一部に映りこんで再生が始まった。
「まあ特ダネつってもお前さん以外には特ダネでもなんでもないんだけどな」
「ちょっと」
「そう焦るなって。続きで面白い物が見れるから」
薄暗い空間―――そこによく分からないどこか生物的なものを感じさせる壁が見えた。
映像にはノイズが掛かっていて見辛いが、空にはそれが内蔵のように見えてしまった。
そして、断続的に響く鋼を断つ音と重苦しい銃声。
間違いなく、これは戦闘の映像だ。
「これは?」
「情報を釣ってる最中に見つけたもんだ。ドミニオンの戦闘記録ってとこだな。
実際はドミニオンの構造体に踏み込んだ奴が命からがら持ち帰ったやつだそうだが」
映像は続いていく。
音は時折小さくなったり大きくなったりを繰り返し、ノイズも酷いもので安定しない。
ただ―――そこに一つの影が見える。
おそらくは戦闘を行っているシュミクラム。
その動きは素早く、並大抵の機動力でない事が窺える。
「ほら、そろそろ面が拝めるぞ」
いつの間にか同じ動画ファイルを見ていたエディがそう言った、その時だった。
カメラの目の前に重々しく影が降り立つ。
黒を基調とした鋼の装甲に、紅い文様が禍々しく映えている。
流暢ながらどこか毒々しい雰囲気を見せるフォルム。その機体。
それを見て、空の目はありえない物を見たように見開かれていた。
事実、それはありえない。
「ちょっとエディ……これはいったい何の冗談?」
「これが困った事に冗談でもなんでもないんだよな。間違いなく、この映像は本物だ」
空はその機体を知っていた。
いや、知っていない方がおかしい。他でもない自分が見間違える事などありえないのだから。
だから驚愕する。
目の前に移り込む機影は―――
「カゲロウ、ですって……?」
カゲロウ・冴。
色彩こそ違えど、彼女の愛機に他ならなかった。
第九章 医者 -doctor-
「で、やっぱりすぐには動かないのか」
「当然でしょう?」
コゥとクリスは拠点にしているホテルの一室に戻ってすぐに打ち合わせを始めた。
内容はドミニオンの本拠地襲撃。それにおける具体的な手段とプランの模索である。
情報を手に入れ、それを防ごうとした者達を全て返り討ちにした以上は相手もこちらが情報を手に入れているという事は分かっているはずだ。
だからこそ電光石火。防衛網が敷かれるなり拠点が移されるなり何らかの形で対処される前に攻める必要がある。
時間を置けば置くほど不利になるのがこの手の戦いの法則だ。
しかし、それを知っているはずのクリスやコゥはすぐに攻める事を選択しなかった。
「私達の他にもドミニオン―――というよりはそれにくっついてるドレクスラー機関だけど、彼らを狙っている者達がいるのなら利用しない手はないわ」
「あわよくば騒動に乗じて深部まで一気に潜り込んで神父を叩く、か。合理的ではあるな」
幾度となくドミニオンに二人だけで挑んできたが、決して相手の戦力を過小評価してはいない。
むしろ最大限に警戒して、慎重に慎重を重ねて戦い続けてきた。そうでなければ、今頃生きてはいない。
だからこそ、使えるものは最大限に利用する。
「その方針に特に異存は無いんだが―――相手方も同じ事を考えてる場合もある」
「ああ、そっちは心配ご無用。そうならないように多少なりと煽りはしておいたわ」
「……お前な」
また誰かに何か変な事を吹き込んだのかと名も知らぬ誰かに心の中で謝罪を述べておく。
クリスもクリスで、出会った二人の事を思い出していた。
桐島レインと、その相方であるカゲロウの使い手。
大方の予想はついたものの、それをあえてコゥに教えないのは彼女なりの意趣返しだ。
多少の役得はあって然るべきだろう。少なくとも数年間離れずに付き添った身としては。
「しばらくは時間があると思うから、それまでにもう一つの方を片付けましょう」
「米内議員の件か」
近々行われる彼の演説に反応する形で噂されている不穏な動き。
ドミニオンが演説の妨害に入るのではないかと言われているが、その実態は阿南による妨害工作だと二人は見ている。
阿南がドミニオンを騙る理由は先の一件で理解したし、十分な情報も手に入れた。
もはやそちらの方面で自分達が米内の件を気にする理由は無いが……それとは別に気になる事がある。
「こんな噂が流れている以上は、他の連中も黙っていないでしょう」
「全てとはいかなくても他の勢力の尻尾を掴めるかもしれないからな」
ドミニオンやドレクスラー機関、アークなどが絡んでくる可能性は低いだろうが、例えば最近清城市入りで話題のGOATなどはどうだろうか?
もしも出てきたとして、何らかの情報を掴めたのならそれは今後の行動の指針になるだろう。
二人は傭兵ではあるが、既に非合法な手段に何度も及んでいる。
クリスが敢えて表に出さずに裏側で暴れさせているコゥはともかく、クリスはそれなりに手配が回っている。
もっとも、それも社会の裏側にとって都合が悪い事をしでかしたからであって表沙汰に出回っている訳ではないのだが。
それからいくつかの細かい摺合せを済ませて、二人は息を吐いた。
「……今のところは、こんなとこか」
「そうね。これ以上は打ち合わせするような事も無し……久しぶりに時間を持て余したかしら」
腰掛けていたベッドに二人して倒れ込む。
体重を受け止めたスプリングが軋み、何ともいえない虚脱感に襲われる。
「はあ……何か疲れたわね。マッサージしくれないかしら」
「何でそうなるんだ」
「良いじゃないの。私の身体なんて早々揉めるものじゃないわよ?」
「はあ……分かったよ」
何だかんだと言いながらもコゥはクリスの要求に応える。
うつ伏せに寝かせてから背中や肩を触って、ここ数年でクリスに仕込まれたマッサージ技術を駆使する。
「ん、ここ堅いな」
「あー……、そこ良いわ」
「そりゃ良かったな」
ゆったりと流れていく時間。
最近は動いてばかりでここまでゆっくりと過ごすだけの暇など存在しなかった。
それだけに妙な空白が二人の間に横たわる。
なので、
「ねえ」
「何だよ?」
「犯していいかしら」
「待てこら」
クリスはその空気を思いっきりぶっ壊してみた。
「会話の前後に繋がりがなさ過ぎて違和感しかないんだが?」
「気にする事はないわ。気まぐれで気持ち良くなれるのなら前後の脈絡なんて些末事よ」
「明らかに理屈が噛み合ってないだろ。ていうか、そのパターンは碌な展開になる気がしないから断固拒否する」
「ふふふ……さあ、どうかしら?」
「頼むから否定してくれ……!」
危機感を感じて即座にベットから跳ねるように離脱するコゥ。
が、悲しいかなそこは第二世代。身体能力自体は一般人と大差はなく、鍛えたと言ってもその程度だ。
だから被造子である上にきちんと鍛えてしまったクリスの身体能力に及び付くはずもない。
コゥが離れた瞬間に文字通りに跳ね起き、二メートル級の跳躍力を駆使して一気に室内の端へと逃げる獲物へと跳びかかる。
「このっ、無駄な事に才能発揮しやがって!」
「無駄とは心外だわ。せめて役得と言って欲しいわね」
「なんのだよっ!」
無意味に不敵な笑みを浮かべながら雌豹のように素早くコゥを部屋の隅にまで追いつめる。
しかし大人しく黙っているコゥではない。これまでの付き合いから彼女の手を読みしつこく逃げ回る。結果として実に不毛な追いかけっこが始まった。
どったんばったんがらばきずがーんぼかーん。
言葉にすればそんな感じの音を立てながら室内を駆け巡る二人。ここが一番下の階で端の部屋だからと実に遠慮がない。
「ほらほら、心行くまで虐めてあげるから大人しくしなさい」
「俺はどっちかっていうと虐めたい方だから遠慮しとくよ!」
逃げるコゥと追いかけるクリス。
この不毛な追いかけっこは二人の体力が尽きるまで続けられる事となったのだった。
◇ ◇ ◇
その頃。
「…………………………」
「ちゅ、中尉……?」
「……ごめん、ちょっと待って。目の前の光景を整理したいから」
空とレインは永二に紹介された『腕利きの医者』の元を訪ねて―――空は思いっきり頭を抱えていた。
裏路地に入り、何度も角を曲がっていき、辿り着いた先は交差点に立つ一軒の店。
間違ってでも医者の住む場所ではない―――所謂、アダルトグッズのショップである。
もしかして親父趣味に嵌められた? いやいやだったらレインが気付くはず。じゃあ素で間違えた? うわ、これが一番可能性高そう。
何か頭の片隅に引っ掛かってる気がするけど、きっと気のせいだ。気のせいったら気のせいだ。
と、いい感じに混乱した頭でもう一度目の前の店を見てみる。
変わらない不変不動の現実だけがそこにあった。
「ぐっ……数ヶ月前の思い出したくもない記憶が無理やりリフレインさせられる……っ」
「ああ……フィラデルフィア・ドミニオンですか……」
「言わないでよっ! 思い出さないように努力してたのに!」
ぐあーっ! とあの時の光景を頭の中から剛速球で放り投げる。
あんな特殊すぎる羞恥プレイを楽しむような趣味も無ければ性癖も無いのだ。自分は到ってノーマルなのだと信じたい。
だから邪魔なのだ。こんな記憶は黒歴史として消去したい。
……近頃、再会した姉に対して結構容赦のない妹とかには、決して知られたくないのだ。
「レイン……後で覚えてなさい」
「ええっ!?」
「分かってるわよ。けどこれは理屈じゃないのよ、理屈じゃないの……っ!」
「そんなシリアス風味に言われても!? というか、私だって妙な事を疑われて参ってるんです!」
「私なんてあんな変態ヌーディスト集団と同列に扱われたのよ! あああああ自分で言ってて悲しくなる……
教徒限定とはいえ何で衆人観衆の面前で裸にならないといけないのよ……」
『へえ、そんな事があったんだ』
「「っ!?」」
急に降ってきた声に思わず口論を中断して二人して周囲を見渡す。
だが、違う。これは肉声ではなく脳内にネットを介して直接送られてきた音声。
つまり―――直接通話、チャントだ。
そしてつい最近にまたよく聞くようになったこの声の主は―――
「まっ、まこちゃん!?」
『はーい』
パッ、と空とレインの面前に空間パネルが展開し、そこに仮想にいる真が投影された。
小さいながらも門倉運輸の制服を着こんだ少女は可愛らしく舌など出していたりする。
空としては、それだけで会話を聞かれたと悟らざるを得なかった。
苦し紛れに苦虫を噛み潰したような表情で真に問いかける。
「いつから?」
『お姉ちゃんとレインさんが一緒にベースから出かけた時からです』
「要は最初からじゃないのっ!!」
からかうにしてもここまで回りくどい事をするか普通……我が妹ながら実に分からない、と空はがっくりと項垂れながら他人事のように考える。
恨みがましく画面を睨むものの、当の相手はテヘペロで返してくる始末。質が悪いとはこの事か。
あまりにも話が脱線したのを自覚して、一度頭を振ってから思考を切り替える。
とにかく、目の前のアダルトショップが件の医者の住居……なのだろうか。
「ねえまこちゃん、ほんとにあそこで合ってるの?」
『あはは……お姉ちゃんがそう言いたくなるのも分かりますけど、現実は揺るぎませんよ? というよりむしろ、私は納得してます』
「はい……?」
妹の不可解な物言いに思わず疑問符を浮かべるものの、本人は悪戯っぽく笑うばかりで答える気はないらしい。
しかし目当ての医者があの店にいるという事は妹曰く確実らしく……どうにも、腹を括ってあそこを訪ねなければならないらしい。
「仕方ない……行くわよ」
「はい……」
耐性の無いレインが赤面のまま空の後に続く。
―――後に空は語る。どうしてこの時『たかだかアダルトショップ一つに入る程度にここまで警戒していたのか』という事に疑問を持たなかったのだろうかと。
「ごめんくださーい」
カランカラン、とドアと連動して取り付けられたベルが鳴る。
いかにも古風な仕掛けの向こう側には―――やはり如何わしい品ばかりが陳列されていた。
店内の品棚やショーケースに並べられている物は性行為に関する道具ばかり。いつの日かとある少年が未成年に扱わせるなと言った品の数々である。
レインは顔を真っ赤にし、真は電脳空間から顔を赤らめながらも好奇心の視線を送り、空は露骨に嫌そうな顔をした。
そして、
「おや、お客かね? いらっしゃい、ここではどれだけ如何わしい品でも手に入……る、ぞ?」
声がした。
反射的に背筋が伸び、身体の動きの一切が硬直する。特に首など錆びついた鉄のように感じた。
ああ知っている。この声には聴き覚えがある。それはもうこれでもかと言う程にはしっかりばっちり記憶に残っている。
とても緩慢かつ鈍い動きで、首が動く。
徐々に、徐々に動いていく視界の中―――ついに捉えた、ゴスロリ装束を着込んだ少女。こちらを見て驚きに目を見開いている。
見覚えがある。記憶に焼き付いているその姿と彼女は一切変わりなく、あまりに一致しすぎていて―――本能的に、空は危機を感じた。
「それでは、私はこれで」
「まあ待ちたまえ」
踵を返した途端に驚くべき速度で自分よりも頭身の低い少女に襟首を確保される。
声自体は穏やかなものだった。だがその裏に込められた意味と言外のプレッシャーが空の動きを束縛する。
空と少女の反応に付いて行けないレインが困惑する中、仮想にいる真だけが可笑しそうに笑顔を湛えていた。
「やあ、久しぶりじゃないか空君。ここ数年の間、主治医の治療をほったらかすどころか連絡一つも寄越さないとはどういった了見かね?」
そう、彼女は主治医。
数年前まで彼女とその妹の治療を請け負っていた一人の名医。
空の天敵とも言える人物であり、あの事件以降は連絡がぷっつりと途絶えた人物の一人。
そうして彼女はようやく理解した。自分がたかだかアダルトショップを見ただけで露骨に警戒していた、その本当の理由を。
医者と、性行為趣向者。この二つを結び付けたくなかったのだと。
「……お久しぶりです、ノイ先生」
彼女の名はノイ。
とある事情でアンダーグラウンドに身を潜めた知る人ぞ知る名医である。
「ええと……二人はお知り合いで?」
『はい。私とお姉ちゃんの主治医で、件のノイ先生ですよ』
レインの疑問に答えながら空間にパネルが表示され、そこに再び真の姿が投影される。
そちらを見て、ノイは本日二度目の驚きに目を見開いた。
「真君じゃないかっ。無事だったのだね」
『はい、おかげさまで私はこうして元気にやっています。あのときは本当にありがとうございました』
「……おや、何やら雰囲気が変わったかね?」
空そっちのけで再会の会話に花を咲かせる二人。
意外なところで無事を確認できたのはいいのだが、このあとの展開を想像すると背筋が寒くなった。
「なるほどな……しかし、偶然というものはあるものだな」
『はい。まさか隊長が好意にしていた闇医者がノイ先生だったなんて、ビックリです』
とりあえず、いつまでも会話に花を咲かせてないで襟首を放してはもらえないのだろうか。
空のそんな気持ちはいい加減に話が進まないと感じたレインの仲裁が入るまで察せられる事はなかった。
◇ ◇ ◇
「はあ……」
若草菜ノ葉は悩んでいた。今までの人生の中でもこれでもかというくらいに悶々と頭を悩ませていた。
悩みながら、しかし手に持つお玉の動きには一切の淀みが無い。
コトコトと音を立てて煮詰まる鍋からは良い匂いが立ち昇っている。
そして、何に悩んでいるかなどわざわざ問いかけるまでもない。
死んだはずの―――しかしその実は生きていた、と思われる自身の幼馴染、門倉甲についてである。
「はあ……」
再び溜息。
再開した幼馴染らしき人物は記憶の中の姿より幾分か逞しくなっていたものの、特徴的な童顔は変わっていなかった。
性格も、変に不器用なところなどまさに自分の知る彼のものだったし、無意味に異性を連れいているところなどちっとも変っていない。
(……あれ、何か思い出したら腹が立ってきた)
ぐぐぐっ、とお玉を握る手に思わず力がこもる。
思えばあの朴念仁な幼馴染はいつもいつも女の子と仲良くなるのが病的に上手かった。
ノイちゃんと知り合っていたのには驚いたが、隣の銀髪美人さんにもいたく驚いた。もうどこで引っ掻けてきたのかと小一時間ほど問い詰めたい。
……しかし、だ。
(甲が来ていた服って……あれって、軍服だよね……)
軍服。つまりは軍に服役する者が身に纏う仕事服。
別に軍服を着ている全ての者が服役している訳ではないが、それに関わっている事は確実だろう。
あの、軍や戦争を―――何よりも傭兵を忌避していた幼馴染が。
「まあ、まだ確実にそうだと言い切れないんだけど……」
彼は、明言する事はなかった。
自分が甲だと、安心して涙を流せるような言葉を投げかける事はなかった。
だから確信を持てないでいる。彼が真実、門倉甲なのだと言い切れないでいる自分がいる。
希望に縋る事がどれだけの絶望を呼び込むか、これでも分かっているつもりだったんだけど……
それでも、希わずにはいられない。幻想のように露と消えてしまった宝物を見つける事ができたのだと信じたい。
そして同時に、ずるいとも思う。
死んだと思っていたのに、いきなり出てきて何も話さずにふらっと消えて……何か事情があるのなら話せばいいのに、と菜ノ葉は思う。
頼られないのが悔しくて、彼らしいのが嬉しくて、隠されているのに憤って、言葉を交わせた事実に胸が震えて。
だから、
「……甲のばーか」
微笑みながら、それでも愚痴を言うくらいは許してほしい。
もし確信が持てたのなら……その時は、寮の二人と一緒に盛大に叱ってやろう。
と、そんな時だった。
不意にガチャリと扉が開け放たれ、キッチンに白衣を着こんだ長身の男が入ってくる。
見間違えるはずもなく、彼女の恩師である久利原直樹だった。見れば目の下に隈があり、いかにも眠そうに頭を掻いている。
「ううん……おーい菜ノ葉君、何か食べられる物は無いだろうか」
「あー、先生。また徹夜で研究していましたね? 何度も何度も口を尖らせて健康第一って言っているはずですけど」
「あ……いや、菜ノ葉君、これはだね?」
「いやもこれもなにもありません。さあ……何度言っても分からないのなら何度も言って聞かせるまでです」
たらり、とらしくない冷や汗を流す久利原。
親に夜更かしがばれた子供の如く―――思わず一歩後ずさってしまう彼に、菜ノ葉はにっこりと微笑んだ。
「先生は研究チームの責任者なんですから、体調には人一倍気を付けてくださいっていつも言っていますよね?」
「しかしだね、私が休んでいては逃亡生活を強いている皆に申し訳がないというか……」
「それを行動で示すのは何も悪い事ではないと思いますけど、だからと言って無茶をして挙句の果てに倒れる羽目になったらどうするんですか。みんな困りますよ。
というよりぶっちゃけてここの責任を取ってるのは先生なんですから有事の際に動けないじゃもっと困ります。責任者なら責任者らしく腰を下ろして構えてくださいよ」
「だが一刻も早くアセンブラを完成させなければ……世界を救うためにも、もう時間がないのだ」
「ええ、ええ。世界を救うって凄く立派ですよ、誰もそれについては反対してませんよ。ですけど身体にもうちょっと気を使ってくださいっていう話です。
先生が中心になっている以上、もし倒れでもしたらそれだけで凄く研究は停滞すると思うんですが。もしも早く仕上げたいのなら動ける時に動いて休む時は休むべきです。
で、ここまで言っても分かりませんか? つまるところそんな無茶をされるとみんなが心配してしまうのでさっさと寝てください」
「ぬ、ぐ……」
息継ぐ間もないマシンガントークがそこにはあった。
情け容赦なく反論の余地すら挟ませずに相手を糾弾しながら出来上がったシチューを器によそってスプーンと一緒に渡すなど、どこかの刑務所染みている。
結果、先に折れたのは久利原。
いつものように『はい、すみません』と謝ってしょんぼりしながらベッドの中へと潜り込む事になった。
ドレクスラー機関―――その構成員の中で、縁の下の力持ちである若草菜ノ葉に健康事情で逆らえる者は、誰一人として存在しない。
※全く懲りずに本編とは全く関係ないパロネタ
神父「素晴らしい、その一言に尽きる。いやそれすら足らぬな。弁には自負があったのだが、言葉に出来ぬ、出来ていいものではない。したくない。
識者の仮面を被り、あの葛藤を形にするのは神聖さに泥を塗る行為だ。見守っていたい、久々に思ったよ終わって欲しくないとさえ。
ああ、君達は本当に、どこまで私の瞳を焦がすのだ。
ああ、もどかしい。歌い上げたい、詩に書き留めたい、本へと綴り後世へと伝えたい、希うよ留めたかったほど。
いとしき子よ、さあ立ち上がりたまえ。敵が来るぞ、君から何もかも奪った敵だ。
女神と剣を取りたまえ。残った矜持を振り絞るのだ。そうだとも、まだ全てが終わったわけではない。
一つでも大切なものが残っている。ならばやるべき事など決まっていよう。戦うのだ、己が全身全霊を賭けて。打倒せよ、奪い去ったその尽くを。
弔いのために再起せよ、取り戻すのではなく突破するのだ。最高の鎮魂歌を聞かせてはくれぬか。
失われた君の全てに。取り残された君自身に。これから失われる我々のために。それこそが君にできる唯一の歌劇。
なくしたものは戻らないと知っているから。
だから、さあ、薙ぎ払いたまえ。新世界のために、旧世界へ居座る頑愚蒙昧万象、遍く総て、その絶叫で―――
この偽りの世界を淘汰するのだ」