数日後。
「お姉ちゃん、そっち!」
「任されたっ!」
真の放ったビットから逃れた有象無象のウイルスを空がその神速を以て瞬く間に切り刻んでいく。
それでもなお押し寄せるウイルスの群れ。数は一〇と七。
再びネージュ・エールが宙に舞う。
「当たって!」
機体から放たれるのはボミングビット。
押し寄せる群れの上空まで飛行し、上空から大量の爆弾を撒き散らしていく。
轟く爆音。
固まっていたウイルス達が爆発によって散り散りに吹き飛ばされる。
そこを駆け抜ける紅い影、カゲロウ・冴。
「逃がさないっ!」
ソニックショットで吹き飛ばされている敵を蜂の巣にしながら接近していく。
自身の間合いに入ったところで繰り出されるクロスイリュージョン。神速の三連斬が瞬く間に新たな轟音を響かせた。
まだ終わらない。
少しは慣れた場所にいる敵をエアレイドスラッシュで追い打ちをかけ、そのままメテオアローで更に遠くにいる敵を撃ち抜く。
そこで、空はもう一段階ブーストを吹かせた。
上空へと跳び上がり、ある武装へ余剰のエネルギーを一気に叩き込む。
フォースクラッシュの前兆に仮想空間が軋みを上げる。カゲロウ・冴が竜巻のような回転を始め―――
「纏めて吹っ飛べ!!」
エネルギーの弾丸がこれでもかと吐き出された。
炸裂型の光弾が視界を蹂躙する。同時にそれが残ったウイルスへと一気に殺到して……一斉に弾けた。
視界が全て白一色に染め上げられる。
一瞬音という音が全て消し飛び、次いで炸裂音と爆発音が絶え間無く世界を埋め尽くした。
白の爆発が収まった後には……ただ、ウイルスだった物の残骸が無造作に転がっているだけだった。
『状況終了だ。よくやったな、二人とも』
「恐縮です」
「私とお姉ちゃんが組むんですから、これくらいは当然です」
モニター越しに聞こえてきた永二の称賛に律儀な反応を返す空と、姉とは対照的に得意げな笑みで答える真。
フェンリルはつい今さっきまで現実と仮想の両方からどことも知れぬ相手からの攻撃を受けていたのだ。
現実側の攻撃は全て防ぎ切り、仮想側も空と真の奮戦で事無きを得た。
真の言葉にそうか、と永二は笑って返す。
『そろそろ清城市に入る空嬢ちゃんはこっちに戻ってくれ』
「了解。それじゃあ、まこちゃん」
「うん、また後でね」
真の笑顔を最後に、空は1と0の空間から引き上げられる。
その最中、仮想と現実の間で彼女は思う。
(……ドレクスラー機関とドミニオン、アークにCDF。ジルベルトのダーインスレイヴにフェンリルもこの街に来た。もうじきGOATもこの街に介入してくる)
状況が錯綜としている。
空も長らく傭兵として様々な戦場を渡り歩いてきたが、ここまで大規模な組織が一ヵ所に集うのを見るのは初めてだ。
嫌な予感がしてならない。
この数ヶ月で清城市の情勢は大きく変わりつつある。それが、何か大きな異変の前兆に思えてならない。
(……だとしても、関係ない。私の目的は変わらない)
だがそれでも、空が揺らぐ事はない。
何があろうと戦い続けるだけだ。真実を手にする、その時まで。
そうして、空とレインはフェンリルと共に再び清城市の土を踏む。
行きつけの情報屋から緊急の連絡が入ったのは、それから暫くしてからだった。
第七章 情報屋 -edy-
「ドミニオンの動向を掴んだわ」
開口一番、クリスがそう言った。
今さっきネットから帰ってきたばかりのコゥも同じく口を開く。
「奇遇だな。俺もそれらしき連中が動いている話を耳にした」
「あら、なら同じ情報かもしれないわね」
悪戯っぽく笑うクリスに呆れながら、コゥは自分の仕入れた情報を話した。
最近、ある情報屋がばらまいた情報がある。どうにもその中にドミニオンとしても見過ごせない情報があったらしく、その情報屋の始末のために動いているそうだ。
まだあまり出回っていない話だが、アンダーグラウンドの耳の早い連中は別だった。少し金に色を付ければ大抵の事は話してくれる。
話を聞き終わると、クリスも呆れたように肩を竦めた。
「私の情報も同じよ。ただ、裏で更にダーインスレイヴが動いているとか」
「悪名高い私設傭兵団か……できれば相手にしたくないな」
「同意するわ。私もあの手合いとはあまり関わりたくないもの」
言って、クリスはついこの前に偶然にも再開したダーインスレイヴのリーダーの顔を思い浮かべる。
身内に優しく、外部に苛烈を地で行く男。
反AI主義であるあの男がドミニオンと与するとは考えにくいが……
「まあ、今そっちはどうでもいいわ。重要なのはドミニオンが放っておけない程の情報があるという事」
「そうだな。上手く行けば、そこからあいつらの喉元に食い付けるかもしれない」
コゥの言う通りだった。中々尻尾を見せようともしない奴らへと迫る、これはまたとないチャンスだ。
その情報、なんとしても渡す訳にはいかない。
だからこそ―――二人の次の行動は全くの同一だった。
「行くぞクリス。奴らの鼻を明かしてやる」
「そうこなくちゃね。精々派手に暴れてやりましょう」
情報から察するに、件の情報屋が襲撃されるまでもう時間はない。
手早く装備と情報を整理し、目的に適した没入ポイントを探し出す。
それから数分後。準備を終えた二人は互いに軽く拳を打ち付けて……戦場に向かい、歩き出した。
向かう情報屋の名をエディ。スマック・ジャック・エディという男だった。
◇ ◇ ◇
『よお中尉、俺だよ俺……』
通話を受け取り、網膜に投影されたモヒカンの男の顔は怯えと焦燥に引き攣っていた。
『すまん、すぐに来てくれ……えらい事が分かっちまったぜ』
明らかにいつもと違う様子。
よほど碌でもない何かを知ってしまったのかもしれない。
『いつものアジトじゃないぜ? 清城の方だ』
わざわざ、ネットではなくリアル側の根城を指定してきた。
ということは、つまり―――
「……着いた」
そうして、空は情報屋―――エディのリアルにおける根城の前に立った。
スラム街の一角に建つ今にも崩れ落ちそうな雑居ビル。エディの根城はその地下だ。
目の前にある扉を叩き、中に居るであろうエディへと声を掛ける。
「エディ、居る? 水無月よ」
返事は無い。だが扉越しに怯える人の気配だけは感じる。
待つ事暫く―――エディが返事を返してきた。
「中尉、か……? 誰か、仲間とか連れて来てるのか?」
「ええ、一人ね。けど安心しなさい、入るのは私一人だけだから」
「……」
再び沈黙が流れる。
エディに言った通り、空はレインを連れてこの場を訪れていた。
フェンリルの誰かを連れてくる事も考えたが、用心深いこの男の事だ。見知らぬ人物をそう易々と自分の根城に入れるとは思えない。
故に空はレインを近辺の警戒に当たらせている。だからこの場にいるのは空一人だ。
エディもそれを分かっているのだろう。少しの間だけ考えてから素直にロックを解除した。
「入ってきな」
「お邪魔するわ」
部屋の中に足を踏み入れる。
中央には大きなカプセル型のコンソールが設置されており、そこから延びるケーブルがそこいらじゅうの機材に乱雑に繋がれていた。
空程度の知識では一見しただけでは何の装置かも分からない。精々が情報屋としての武器である、と推測を立てる程度か……
そして、その部屋の主は、こちらと一定の距離を開けて立っていた。
「よく来たな、中尉」
「……よっぽどの大物が釣れたみたいじゃない、エディ?」
「はっ……まったくだ。タイを釣り上げるつもりがサメを釣っちまった気分だぜ」
返す言葉は弱々しい。
実際に見た彼の顔はより酷いかった。目の下に隈ができており、顔は青ざめて血色が悪い。確実に消耗している。
刺青だらけの細い腕には油断なく拳銃が握られており、彼の余裕の無さを物語っていた。
エディはこちらを見て、恨み言のように愚痴を洩らす。
「とんでもねえ事に巻き込んでくれたよな、ったく。おかげで夢見は最悪だ」
「悪かったわ。けどそれは貴方を信頼しての事だけど」
「けっ、こういう時でも口は上手く回るのな。そういうとこ、嫌いじゃないがね」
ヒヒッ、と下卑た笑いがエディから漏れる。
調子が少しは戻ったのか、彼はそこから手にした情報を話してきた。
ドレクスラー機関を匿っていたのが阿南市長だという事。
その阿南がNPC密造業者と繋がりを持っており、ドミニオンはその繋がりを利用して阿南に科学者を紹介したらしいという事。
つまり、阿南はドミニオンを経由してドレクスラー機関を繋がりを持った事になる。
「じゃあ、私がこの前に襲撃した施設は」
「阿南の私物だ。あそこで密造ナノを作らせていたらしいんだが……連中、阿南にも黙ってとんでもねえ代物を作ってやがった」
「……言うまでもないか」
「ああ、その通りだよ」
もはや口に出すまでもなかった。
『灰色のクリスマス』を経験した者には半ばタブーともなっている、とあるナノマシンの名称。
ドレクスラー機関が阿南に対しても秘密裏に製造していたそれの名前は―――
「アセンブラ……ドミニオンの連中、かなりヤバい事を企ててやがった」
「ドミニオンね……狂信者連中が考える事なんて碌な事じゃないだろうけど、何?」
ふう、とエディが息を吐く。
次の一言を吐き出すための準備。それ程、重い何かを彼は抱えてしまっている。
彼の様子から、その重さを空は認識した。
重たい空気の中、ゆっくりとエディが口を開く。
ドミニオンが企てている計画の、その実態を。
「連中の計画はアセンブラを汎用ナノマシンに紛れさせて世界中にばら撒き、ある日に一斉に起動させるってもんだ。
要は、全世界規模での同時多発テロ計画だな」
「っ……、冗談じゃないわね」
思わず苦い顔で舌を打つ。
彼らの計画はつまり、『灰色のクリスマス』の再現である。
アセンブラが起動すれば全てが融解され死に絶える。そうでなくとも、汚染された区域はグングニールに薙ぎ払われるだろう。
「ま、それを知った阿南の野郎はおったまげてな。だからこそ真っ先にドレクスラー機関の連中を消しに掛かったんだろう」
「それが、先日のドンパチって訳ね」
「そうだ。阿南とドミニオンとの間で科学者の取り合いになってな、連中を連れて行ったのはドミニオンだ。
んで、阿南は証拠の隠滅のために」
「施設の爆破に踏み切った、と」
空は無意識のうちに頭に手を添えていた。
あの時から頭の中に時折再生される不可解な記憶―――記憶の一時的な混乱か、もっと別の何かなのか。彼女自身も分からない。
そんな空の様子を訝しみながらもエディは話を続ける。
「で、本題はここからだ。中尉からもらったデータを流したらドレクスラー機関の連中の居場所……ドミニオンの本拠地が分かってな」
「……なるほど、それはとんでもない大物を釣り上げたわね。察するに、それが原因で狙われたのかしら」
「御明察。代わりに俺の存在が連中に割れちまってな、ここいらが仕舞い時だと思ったんだよ」
肩を竦めておどけるエディだが、その表情にはやはり余裕がない。
自分に連絡を入れるのもおそらくかなり苦渋の決断だったのだろう。できる事ならば誰にも知られずに姿を消したかったはずだ。
「私に頼みたいのは清城市脱出までの護衛、ってとこかしら」
「話が早くて助かる。で、どうだ。受けてくれるか?」
「ドミニオンの本拠地の情報と引き換えにならね」
商売上手なこった、とエディが呟く。
だが空としても今まで戦場の中を生き抜いてきた目的が目の前にある以上、譲る事はできない。
「まあ、もう少し色目を付けてくれりゃこっちとしても文句はないさ。そうだな……」
「身体とか言ったら、容赦なく撃つから」
「ん、んな訳ねえだろ。信用ねえな……」
焦るエディにどうだか、と空は溜息を吐く。
同時に、
『中尉、気を付けてくださいっ!』
頭の中に部下の警告が大音量で響き渡った。
瞬間、部屋の奥の扉が勢いよく開け放たれる。
フードで顔まで隠した黒衣の男が銃を構えて部屋に突撃してきた。
「なっ、」
「ちい……っ!」
引き金に指が掛かる。発射されるまで残りゼロコンマ一秒。
視界に映る全ての動きがスローになる。懐に持つ銃に手を伸ばすが、間に合わない。
こちらが銃弾を放つ前に男は確実に銃弾を放つ。狙いは、間違いなくエディだ。
あまりに手遅れな初動に歯噛みする。空では男を止められず、エディは突然の事態に頭と身体がついて行っていない。
そして、先を決定付ける一発の銃弾が―――
「伏せなさいッ!!」
放たれる事はなかった。
突如として乱入してきた男に続くように響いた大音量の凛とした声。
その気迫に一瞬だけ男は動きを止め、空はその間に本能的にエディを引き倒す。
その次の瞬間、ゴガンッ!! という鈍い轟音と共に男が勢いよく吹っ飛ばされた。
「な……」
あまりにも馬鹿げた光景に流石の空も絶句する。
あの瞬間、空が見たのは男の頭に直撃する鉄パイプだ。それが勢いよく男を吹っ飛ばしたのだ―――この部屋の反対側まで。
正直、どこまで出鱈目な力で放り投げられたのか考えたくもない光景だった。
唖然とする二人。だが空はすぐさまエディを庇うようにして開け放たれた扉の前に立った。
「そこに居るのは誰。姿を現しなさい」
「そうカリカリしないでくれるかしら。言われなくとも姿くらいは見せてあげるわよ」
打てば響くように返事は返ってきた。
その返事が嘘ではない、とでも言うかのように一つの足音がこちらに近づいてくる。
やがて、扉の奥から声の主が姿を現した。
腰に届く程に伸びているウェーブの掛かった銀のロングヘアーに薄緑の瞳。
空と同種の黒い軍服を身に纏った女性―――その姿に、空は見覚えがあった。
正確にはデータベースで見た覚えがある。
「貴方……六条クリス?」
「あら、私と貴方は初対面だと思うけど。どこかで会った事があるのかしら」
空の言葉に女性―――クリスは蠱惑的な目で応える。
どこか挑発的な目つきだったが一々それに取りあう必要もない。
油断なく、銃を突きつける。
その銃口をクリスは物怖じする事無く見返した。
「物騒ね。仮にも彼を助けたのは私なのだけれど」
「そうね、だとしてもいきなり現れた人間を信用しろっていうのは無理な話よ。タイミングがタイミングなだけに、余計にね」
「まったくその通りだわ」
事もなげにクリスは言い捨てた。
同時に反対側からレインが部屋の中へと突入してくる。
「申し訳ありません! アクティブウイルス……探知妨害で察知が遅れました!」
「こっちは大丈夫よ。妙な介入をされてね」
「介入……、って六条さん!?」
「こんにちは桐島さん。つくづく縁があるらしいわね、私達」
何故ここに、という懸念がレインの表情にありありと浮かぶ。
エディへの襲撃と、それに対応するかのように現れた六条クリス。
彼女はこれまでにもドミニオンが関与していると思わしき場所で遭遇してきた。今回もドミニオンが絡んでいる以上、偶然とは思えない。
空は銃を向けたままに問い掛ける。
「答えなさい。貴方の目的は何?」
「本当にせっかちね……もう少しお喋りを楽しんでも良いと思うんだけど、しょうがないわね」
まるで子供に向けるような目で見られる。
そんな小さな動作に、空は何故かとてつもなく神経を逆撫でされた。
彼女の場合、元々が他人の神経を逆撫でする性質なのかもしれない。
空としてもまともにとりあう気はないのだが、どういった理由からかどこか鼻持ちならないのだ。
そんな敵対心たっぷりの視線を受けてもクリスは変わらない微笑を浮かべる。
「じゃあ私が現れた目的だけど……目的自体は貴方達も察しが付いているんじゃないかしら」
「……それは、彼の持つ情報?」
空の言葉にクリスは不敵な笑みを浮かべる。
どうやら、当たりらしい。
「そう……私は彼の持っているドミニオンに関する情報の全てが欲しい。
命を救ってあげた代価としては破格だと思うのだけど、どうかしら」
言葉こそ穏やかなものの、有無を言わさぬ迫力がそこにはあった。
話さなければ命は無い―――そう言っているかのように錯覚してしまう。
それは多くの人を殺めてきたからこそ分かる、静かな殺気だった。
「良い趣味とは言えないわね。事実を盾に脅しかしら」
「さあ? どう取るかは貴方達次第じゃないかしら。ただ……」
クリスはそこで視線を宙にやる。
空もつられて宙を見るが、別にそこに何かがある訳ではなかった。
代わりに、クリスの笑みがより一層深くなる。
不吉な予感が奔る。
傭兵としての勘がその感覚に警戒するよりも先に―――
「ここにネット経由で幾つかの部隊が向かっているみたいね。
その内の一つは私の相方が相手をしているのだけど……流石に全てには手が回らないでしょうし、どうしようかしら」
「っ……、交換条件のつもり」
やられた、と今更ながらに思った。
彼女は向かっている電脳部隊の一つを自分の相方が止めていると言った。
それは裏を返せばいつでも相方を退かせて自分達だけでは対処できない数にする事ができるという脅しだ。
『レイン』
『遺憾ながら事実です。シュミクラム一機が他大多数の反応と交戦中―――また、別方向からも多数の反応が向かっています』
加えて、この場に居るのは互いに信用のならない人物。
クリスが出向けば空達はフリーになり、その間にエディを連れて逃げられでもすれば本末転倒だ。
彼女は、この状況下で空達に動く事を強要している。
(フェンリルの同行を断ったのがこんなところで裏目に出るなんて……)
動くしか、ない。
そうでなければエディが死に、ドレクスラー機関に繋がる情報を失う事になる。
だが、それでもまだ踏ん切りがつかなかった、その時、
「あのなあ……勝手に盛り上がるのは良いんだが、当の本人をおいてけぼりってのは酷くねえか」
と、今まで口を開かなかったエディが動いた。
顔はまだ青いものの、いつもの彼らしさが戻ってきている。
状況に追い詰められたか、逆にそれで肝が据わったのか。どちらにせよ、彼はあっさりと身の振り方を決めた。
「悪いな中尉、行ってくれねえか。俺もまだ死にたくねえし、この場を丸く納めるにはこれが一番だろう」
「……分かった」
エディが決めた以上、空がとやかく言う事はできなかった。
瞑目は一瞬。
目を開けると同時にコンソールへと駆け寄り、ケーブルを自身と繋ぐ。
「あら……貴方が行くのね、カゲロウ使いの傭兵さん」
「何を白々しい……こうなるのも貴方の考えの内でしょうに」
「さあ? ご想像にお任せするわ」
まともに取りあわないクリスから視線を外し、コンソールへと意識を向ける。
『没入』
馴染み過ぎているプログラムを起動させる。
意識が引っ張られて0と1の海の中へと埋没する瞬間―――
「次に会う時には是非とも名前を教えて欲しいわ。彼を知る者として、友好関係くらいは築きたいもの」
そんな訳の分からない言葉を最後に、空の意識は現実から切り離された。
◇ ◇ ◇
銀閃が奔る。
機体の中程に突き込まれたそれは、一瞬の後に巻き戻るようにして攻撃の主の元へと帰っていく。
当然、突き刺さったままの機体を無理矢理に引き摺って。
「ふっ……!」
そして機体が射程に入った瞬間、再び別の閃が奔る。
ビームソードーエネルギーの刃が敵を胴から両断した。
爆発が起こり、破片が周囲に撒き散らされる。
だが、止まらない。
「この、悪魔めがぁぁああああぁああぁぁああ!!」
「くそっ、次から次へと……!!」
キリの無い戦いに心から辟易した声を上げるコゥ。
相対する敵、ドミニオンの信徒は死など恐れる事無くコゥへと挑みかかってくる。
実力差など百も承知。自身の身体を、骸を、命を以て少しでも動きを止めれば良い。そうして生まれた隙がいつかあの悪魔の最後になる。
狂信故の自身の命すら顧みない、死んだとしても神が自分達を導いてくれると信じる者達の、文字通りの特攻だった。
確かに死を厭わない彼らの攻撃は驚異だ。気を抜けばその瞬間に狂気の大波に呑まれて容易く押し潰されてしまうだろう。
それは確かな実力者であるクリスにして凄腕と呼ばれるだけの腕を持つコゥとて変わらない。
だが、悪魔とは凡百の信徒程度に脅かされる存在ではない。
悪魔は、いつであろうと教義や神に喧嘩を売っているからこその悪魔なのである。
「……頃合いか」
次々と襲いくる信徒を捌きつつ、彼は視線だけを空へ向けた。
変わり映えの無い仮想の空。くすんだ雲があちこちに流れている、その中に。
コゥは、一つの影を認める。
(今……!!)
時間が無い事を察したコゥは即座に対応に移る。
実体化させるのはダブルサブマシンガン。二丁の小型機関銃を前方に群がる敵の集団へと突き付ける。
そして戸惑い無く引き金が引かれ、無数の銃弾が敵シュミクラム群へと襲い掛かった。
一発毎の威力自体は大したものではないが、数があるとなれば話は違う。
絶え間無く放たれ続ける弾幕を前に信徒達は動きをその場に縫い付けられ―――
そして、それがやって来た。
「っ、何だ……?」
信徒の一人が近づいてくる影に気付き、空を見上げた。
見えた訳ではない。この場に無かったはずの異質な音を微かに聞き取った故の行動だ。
それは徐々に大きさを増していき、確実に接近しつつある事を示している。
そして、その影を見た信徒は―――
「オイ……何だ、アレ」
茫然と、呟いた。
それにつられ、傍に居た別の信徒も胡乱気に視線を追って空を見上げる。
視界に飛び込んでくる仮想の空と、その中を高速で突っ切ってくる黒いシルエット。
いや、それは既にはっきりと形状を認識できる距離にまで近づいていた。
空気を裂く大きく広げられた二枚の翼。
そこに取り付けられたブースターから吐き出されるエネルギーが音速に近い速度でそれを押しやっている。
下部に取り付けられているのは大量の爆撃用弾頭。
戦場の只中へと最高速で飛翔してくる、黒光りのボディを持つ機体の名は―――
「まずい―――!?」
「おせえよ」
信徒の一部が動揺した隙にコゥは武装にフォースを叩き込み、その性能を一瞬だけ限界を超えて強化する。
フォースクラッシュ、スペクトラルミサイル。
大量のミサイルが一瞬にしてカゲロウの周囲に吐き出される。
圧倒的な物量による徹底的な爆撃体制。それを前に信徒達が色めき立つ前に、
「吹っ飛びな―――ッッ!!」
衝撃と爆音が戦場を叩き潰した。
前方より放たれるスペクトラルミサイル。上空より放たれるスカイハイトローグ。二つの爆撃が容赦の無い破壊をもたらしていく。
響き渡る破砕と断末魔の叫び。
だが、それら一切すら含めて爆撃は全てを吹き飛ばしていく。
ビルが吹き飛ぶ。地面が破壊され、木々は跡形もなく焼き尽くされていく。
その破壊の只中にあり、傷一つすら負っていないカゲロウ。
この惨状を生み出した仇敵の、堂々たる姿を目にし、信者の一人は畏怖を覚えた。
「……悪魔め」
直後に、意識の全てにが白に染まる。
また一人、信者の命が跡形もなく消え去った。
◇ ◇ ◇
同じ頃、迫りくるウイルスの群れを掃討していた空は突如として響いた周囲一帯を揺るがす震動と轟音に思わず気を取られた。
有り得ないことだが、まるで仮想の中で地震を体験しているかのような気分だった。
異常の事態。この原因を空は探ろうとして……、襲い掛かってきたウイルスをまた一体切り裂いた。
「ったく、そんなにエディが邪魔なのかしらね……!」
目の前の一体を袈裟斬りに始末し、そのままコマのように回って背後に迫っていた一体も両断する。
続けて放たれるスプレッドショットが近場の敵を遠ざけ、あるいは破壊していく。
戦闘を開始してから既に十体はウイルスを始末していた。それでもまだ、増援が尽きる気配はない。
また一体、ウイルスを切り裂きながら空は状況を分析する。
(さっきの震動と轟音……方向からして彼女の言っていた相方、かしら)
それとも新たな敵か、はたまた単なる事故か。
前者の場合はエディの身の安全がかなり保証できなくなってくる。
「気になるわね……レイン、あっちの商況はどうなっているか分かるかしら」
『少々派手に暴れているようですね―――、一体のシュミクラを取り囲むように部隊が展開しているようですが、反応が少ないです』
突然の呼び掛けにもレインは淀み無く応えてくる。
今でもクリスと睨み合っているであろう状況でそこまで把握できているのは、流石と言う他無いだろう。
「なら、向こうは問題無いと見て良いのね」
『断定はできませんが、おそらくは。たった一機のシュミクラムが周りのドミニオンと思われる反応を次々と潰しているので』
「そう、なら良いわ」
どうやら、向こうの腕はかなりのものであるらしい。
自分が今相手をしている数に負けず劣らずの規模を相手取って圧倒しているのだから。
張り合う事に意味は無いのだが……
「これは、こっちも本腰を入れなきゃね」
両腕に装備されているブレードを展開する。
一度間合いを調節するためにブーストを吹かせて距離を取り―――
「それじゃ、派手に暴れるわよ!」
溜め込んだ力が、一気に爆発した。
気合いという名の起爆剤を得た空は先程まで以上の勢いでウイルスの群れを突っ切っていく。
すれ違う敵には例外無くブレードを振り抜き、爆発四散させながら縦横無尽に敵陣の真っ只中を駆け巡っていく。
カゲロウ・冴が通過した一瞬後に、幾つもの爆発音が同時に鳴り響いた。
その爆発が収まるよりも前にまた新たな爆発音が生まれていく。
「次ッ!!」
止まる事の無い暴風の如くウイルス群を蹂躙していくカゲロウ・冴。
その勢いは押し寄せていた敵を確実に削り取っている。
その中で、カゲロウ・冴に近づいては返り討ちにされていくウイルスの群れ……ドミニオンの物に偽装されているその機体の一つ一つに、見覚えがあるのに気付いていた。
(確かこのウイルスは、ダーインスレイヴが好んで使っているタイプだったはず)
私設傭兵部隊『ダーインスレイヴ』。構成員が全てデザイナーズチャイルドという一風変わった傭兵団だ。
そして、ある意味フェンリル以上に悪名高い組織でもある。
というのもその素行に問題があるからであり、依頼を達成した途端にその依頼主へ牙を剥いた事もあるらしい。
別口の依頼でその依頼主を始末するように言われていたという噂だが、その真偽は定かではない。
時として手段を選ばず、自らの利益を追求するダーインスレイヴ。その組織の在り様は、リーダーの在り方を如実に示していた。
目の前のウイルスを一刀の下に纏めて薙ぎ払う。
「……ジルベルト、いい加減に出てきたらどうかしら。いい加減にウイルスの無駄遣いだって気付かない?」
「フン……忌々しいが、確かに無駄らしいな」
呼びかければ、そいつはあっさりと姿を見せた。
紫を基調とした細身のボディで、刺々しいデザインが本人の性格を窺わせるシュミクラム―――ノーブルヴァーチェ。
ジルベール=ジルベルトの持つシュミクラムが、目の前に現れた。
「あら、随分あっさりと姿を見せたわね。いい加減に決着をつける気にでもなった?」
「単に埒が明かんというだけだ。貴様如きに俺様が出る羽目になるのも忌々しいが、これ以上かかずらっている訳にもいかんのでな」
本当に忌々しいと負の感情を隠す事もなくこちらに向けてくるジルベルト。
空としても、そうやって明確に悪意を示してこちらに向かってくる敵とはやりやすいのでありがたい。
これならば手加減する必要もなければ良心も痛まない。
何より―――学園生時代に自分の仲間に危害を加えた奴を、空は決して許さない。
「それで、今回はどこに何を隠しているのかしら。通用しないのは分かってるんだからとっとと出したらどう」
「口だけは達者だな。その減らず口、二度と叩けないようにしてやる」
「出来るもんならやってみなさい」
互いの圧力が強まる。
仮想であろうとも感じ取れるプレッシャーが戦場の空気を生み出していく。
「さあ、這い蹲らせてやる! 無様に命乞いをする姿を見せてみろ……!!」
「上等……! ここでアンタとの因縁も終わりにしてやるわ、ジルベルト!!」
その怒号を合図に、二つの機体は跳び出した。