脳内に響くコールで目が覚めた。
「まったく……誰よ、こんな時間に」
世界は既に暗がりが支配しており、時間を見れば深夜帯だった。
空はぼんやりとした頭で届いたメールを開く。
中空にモヒカン頭の男の顔が映し出された。
『よぉ、中尉、俺だよ俺』
男の名はスマック・ジャック・エディ。
空が個人的に頼りにしている情報屋である。
『中尉の推測、ビンゴだったよ。すげぇねぇ、いや、マジ流石』
「……推測?」
何の話だったか……と考えて、空は何度目になるか分からない衝撃を覚える。
また思い出せない。
エディに対して何かを調べるように頼んでいたのは覚えているのだが、それが何だったかを正確に思い出す事ができない。
ドレクスラー機関残党が潜伏していたはずのあのアジトの件に関する何か、というところまでは覚えているのだが……
『もうちょい詳しい事を掴んだら、また連絡すっからよ。こいつは、どでかいスキャンダルになりそうだ。
へへへ……。上手いこといったら、また一杯奢ってくれよな、中尉殿』
メールはそこで終了した。
いくら考えても思い出せそうにないと判断した空はエディと連絡を取る事にする。
彼がわざわざ連絡を寄越してきたという事は何らかの動きがあったという事だ。それを聞けば、きっと何を頼んでいたかも思い出せるはずである。
空は折り返しでエディへと通話を送る。
短いコールが何度か響いたあと―――通話が繋がった事を示すダイアログが表示された。
「エディかしら? さっきのメールの件だけど、とりあえず分かっている事だけでも教えてくれないかしら」
『おう、中尉殿。いいからこれを見てくれよ』
同時に、エディから結構な量のデータが送られてきた。
空はそれに順に目を通していき、それを見ているかのようにエディの解説が入ってくる。
『まずアジトを含んだ構造体の持ち主だが、名目上はとある中堅会社って事になっているが実態は違う。
その会社ってのは密造業者(ブートレガー)だったんだよ』
……やっぱり、あのアジトに関する事ね。
声に出さずに空は思う。
この狡猾な情報屋の事だ。記憶が不十分だと知れば追加で情報をやる代わりに更に金を要求してくる事が空には容易に想像できた。
が、しかし……ここは躊躇している場合ではないかもしれない。
『で、その会社の役員なんだが……やれやれ、中尉が調べていた例の男らしい。
まぁ清城市の議員と密造業者が癒着しているのは公然の秘密なんだから、当然と言っちゃ当然の事なんだけどよ』
「……その議員っていうのは?」
『そう焦るな。話は順序立ててやっていくもんだぜ、中尉殿。
大体、怪しそうな複数の議員から搾り込めって言ったのは中尉だぜ』
そんな事まで忘れていたのか、と空は表に出さず焦りを募らせる。
これは、想像以上に忘れている事があるかもしれない。
しかしそれをおくびにも出さず、エディに話の続きを促す。
「そうだったかしら? 忘れてたわ」
『冗談言っちゃ困るぜ、まったく……。まあいいや……、中尉、それについては俺の送ったデータを見れば一目瞭然。
……と言いたいところだが、その業者の役員も複数の議員の連名だ。確実に一人に絞るにはもう少し証拠がいる』
エディの話を聞きながら空はデータに目を通していく。
そこには確かにAI派の市議会議員達が名を連ねていた。同姓同名の赤の他人、という事は流石にないだろう。
もしかすると、この中の誰かがアジトの爆破を指示したのかもしれない。
それは同時に密造業者との繋がりが表に出ては困るような人物、という事でもある。
『しっかし、今回は結構危ない橋を渡ったんだぜ……? 正直、報酬とは別に何かを要求したいくらいだ』
「それはお互い様じゃないかしら。私だって、ついさっきまで直接そのアジトに乗り込んでドンパチしてたのよ」
『ほっ、てぇことオイ! データベースから何か金になりそうブツを引っこ抜けたって事かい!?』
流石に喰い付きがいいわね、と苦笑する。
だがここからは駆け引きの時間だ。情報を安売りするような気は、さらさら無い。
「エディでもこの情報を渡すわけにはいかないわね。何せ文字通り命がけで手に入れた情報だし……釣り合わないわね」
『そこはギブ・アンド・テイクってやつだ……それに、俺に情報を預ければ必ず利子がついて返ってくるぜ?』
「……さあ、どうしようかしら?」
『ドレクスラー機関の噂ともなれば犬のクソの切れッ端だってそれなりの値段で取引できそうなもんだぜ!?』
「じゃあ……その犬のクソを纏めてプレゼントしてあげようか?」
空は手に入れたデータからアセンブラに関する具体的な記述を除いて、当たり障りのない部分を纏めてエディに送りつける。
しばらくして、エディから歓喜の声が返ってきた。
『へぇ、こいつはすげぇや! 汎用ナノの設計図にしてもエリート学者様の書くコードは凄いもんだ!』
「そんなに気に入ったのなら、周囲に見せて回って自慢したらどうかしら? エビでタイが釣れるかもしれないわよ」
『へへっ……そいつもいいかもな』
これで何らかの情報があればこちらに回してくれるだろう。
とりあえずは上手く事が運んだと空は思う。
あとは、エディがどこまで情報を集めてくれるかなのだが……
『しかしまあ……、俺も灰色のクリスマスを生き残った身として、商売抜きであいつらが何をしてたか、興味があるんだ。
なんつーか……害の無い実用的なナノを作ってくれるといいんだけどな』
エディの言葉に、どこか寂しげな雰囲気が混じる。
空にもその気持ちは良く分かった。気楽にそう思う事ができれば、どれだけ良かっただろうか。
『すまねえな、中尉』
「気にしないで。それよりも、とっとと続きの情報を調べて頂戴」
『ああ、根性入れて早めにやっとくぜ。
何しろ、統合政府がいよいよGOATを送り込んできたからな……』
GOAT。その言葉を聞いて、空は最近見たニュースを思い出した。
「そういえば、最近どこかのニュースで聞いたわね。GOATの分遣隊が清城市に駐留する事になった、って」
『GOATの一部は強権だ。ドミニオン教団討伐を名目にCDFの仕事のやり方にもあれこれ口を出しやがるかもしれない。
あいつらに目こぼししてもらっている俺らとしちゃ色々やりにくくなっちまうしな……早速始めるとするわ』
「ええ、お願い」
そして通話が切れた。
空はエディとの会話の中身を思い返して……思わず溜息が出てしまう。
清城市、CDF、ドミニオン―――ドレクスラー機関をあと一歩のところまで追いつめたのに、下手をすれば別の紛争に巻き込まれてしまいそうだ。
これから、どうするべきなのか。
「……」
ふと、レインの寝顔が目に入る。
「……貴方は、本当はどう思っているのかしら」
ハウリング。
シミュラクラとそのモデルの間で生じる共振現象。
空と甲は、それがきっかけで付き合う事となった。
ただそれは同時に、当時の自分が手助けしていたレインを裏切ったという事で……
同じように甲の死に囚われながら、それでも彼女は空に尽くしてくれていた。
恨まれたとしても仕方のないような事をしでかしたにも拘らず、今までずっと自分を支えてくれていた。
おそらくは、傷を舐め合うような関係。
たがそれも、もう終わりにするべきなのかもしれない。
彼女は空と同じく、甲の仇を討つために戦い続けてきた。
その原因は間違いなく灰色のクリスマスだが、きっかけを作ったのは間違いなく空自身だ。
あの時、空が傭兵になると言い出さなければ……あるいは、付いてこようとするレインを強引にでも止めていれば、もっと違う生き方もあったはずだ。
彼女の人生を狂わせたのははたして灰色のクリスマスか、それとも自分か。
どちらにせよ―――
「一度、きちんと考えさせた方が良いのかもね……」
これからの戦いは、きっと今までのものとは比較にならないほどの辛いものになる。
自分にはドレクスラー機関を追う事しかない。だが彼女なら……今の自分にはできない生き方でも、きっと生きていける。
「地獄の道行きは私だけでいい。元々、貴女を巻き込む気はなかったから……
悪く、思わないでね」
覚悟は決めた。
その言葉を最後に、空は静かに部屋を後にする。
「エディから連絡があるまでしばらく暇ね……」
深夜の街に繰り出して、行く宛もなく足を動かす。
そのうち、彼女は自然と―――ある場所を目指していた。
蔵浜市。
まるで導かれるように、彼女は全ての始まりの地へと向かっていた。
第三章 魔狼 -fennir-
「「「いただきます」」」
朝。
ノイの診療所の一角から平和な挨拶が響いた。
実に数年振りの三人が共にする食事。ほんの数日とはいえ、あの頃の記憶は三人にとってはかけがえのない暖かな思い出だ。
そして、再会を祝する記念すべき朝食のメニューは……
「いつもと代わり映えしないレーションって……もう少し何かなかったのかしら」
「仕方ないだろ。このご時世でまともな食糧が入ってくる訳がない」
「情けない。それでも男かね」
「俺はれっきとしたホモサピエンスのオスですよ」
味気の無い缶詰のレーションを黙々と平らげていく。
世界恐慌真っ只中なこのご時世、真っ当な食事を摂れる者などごく一部だけだ。
レーションをつまらなそうに頬張りながらノイは問い掛ける。
「それで、君達は清城市を見て回るのかね」
「彼の記憶を刺激する何かが意外とあるかもしれないから。それと、情報収集に敵情視察ね」
「後半二つが本音だろ、お前」
コゥが半目になって突っ込むが当の本人はそ知らぬ顔を崩さない。
内容そのものは物騒極まりないが、気持ちとしては二人とも穏やかなものだった。
こんな気分で食事をするのも随分と久しぶりである。
「一体私を何だと思っているのかしら。
貴方が一人で良い夢を見ている間に分かった事なんだけど、GOATの連中がもうこっちに入るわ」
「GOATが?」
GOAT―――Globak-union Observation Artifical-intelligence Team、統合軍対AI対策班。
かつての大戦で世界を統治した統合政府の対ネット実動部隊で、名の通りネットに対抗するために生み出された部隊である。
それ故に、構成員は反AI派の人間が大多数を占めているとコゥは記憶していた。
「そりゃ、頭が痛くなるな……」
「でしょう?」
二人揃って溜め息を吐く。
ドミニオンにドレクスラー機関だけでもお腹一杯だというのにまだくるか……という心境だ。
下手をすると余計な争いに巻き込まれてしまうだろう。
……いや、おそらく巻き込まれる。
クリスには、目の前の馬鹿が何かと厄介事に好かれる体質だという事をこの数年で身に染みて思い知らされていた。
今回も同じように厄介事が降ってくるのだろう。
その手始めがあの論理爆弾だと思うと、先の事が思いやられる。
「奴らへの足掛かりがまた消えてしまった訳だから、それをなんとか見つけなきゃいけないでしょう。
しばらくは情報収集に専念するわよ」
「分かった、異存は無い。喰い終わったら行くか」
そうと決まれば手早く食事を済ませよう、とコゥは合成食料を片付けに入る。
が、そこでノイから声が上がった。
「待ちたまえ」
「どうしたんですか、ノイ先生」
「いや何、君達には少々私を手伝って欲しいと思っていたのだよ。出かけるのはそれからでも良くないかね?」
「私達はできるだけ早く動きたいのだけど……」
何か厄介事を押し付けられそうな気がして渋る二人。
そんな二人に、ノイはニヤリと笑いながら言い放った。
「彼の遅延分の治療なども含めると治療費は相当なものなのだが……知り合いのよしみで今回分の通常料金だけで済ませてやろうと思ったのだがな?
そうか、普通に全て支払ってくれるのか。私としては財布が潤って喜ばしい事だな」
「……人の足元を見て」
「で、どうするかね」
人を食ったような笑みを浮かべるノイを前に、二人は重く溜息を吐くしかなかった。
そんな選択肢など在って無いようなものである。
クリスは実に渋々と、ノイに返事を返す。
それを聞いたノイは満足そうに頷いて残りの食事を掻き込んだのだった。
◇ ◇ ◇
電車の揺れる音が断続的に耳に届く。
あの後、空は自然と蔵浜市―――かつてそうだった場所に向かっていた。
理由などない。あえて言うならば……決意表明、みたいなものだろうか。
最後の戦いになるであろう今回の一連の事件の前に、今一度自分自身の決意を固めるために。
意味があるのかどうかと問われれば、そんなものはないのだろうけれど。
「……レイン、怒ってるわよね」
メールや通話の着信経歴はいつの間にかレインの名前だけで埋まっていた。
置き去りにした意図をちゃんと書置きなりメールなりで伝えておいたはずなのだが。
彼女はそれでも自分と共に行こうとしたのだろうか。
それは空としてもかなりありがたかったりするのだが……やはり、彼女には真っ当な人生を送ってほしいと思うのだ。
随分と、身勝手な願いだというのは分かっているが。
『次は、蔵浜市。蔵浜市』
「……そろそろ、か」
暫くすると目的地へと電車が辿り着いた。
持ってきた手荷物を手にして、電車を降りる。
そして―――見渡す限りに広がる廃墟が、視界に飛び込んできた。
「……実際に目にすると、結構くるものがあるわね」
急ごしらえの駅舎の前に数件のバラックが押し固められたように立ち並んでいる。
駅からすぐ先にはフェンスが張り巡らされ、向こう側は廃墟と瓦礫しか存在しない。
ドロドロとした感情が胸の内から這い上がってくる。
同時に、脳裏にあの悪夢がフラッシュバックした。
自分の恋人が―――門倉甲が、生きながらにしてアセンブラに融解される光景。
無意識のうちに空は拳を握りしめて……もう一つのクリスマスの光景も、フラッシュバックした。
「……っ、だから何だっていうのよ」
ズキリ、と頭に鈍い痛みが奔る。
これは本格的に医者に掛かった方が良いのかもしれない……
そう思った時だった。
背後に、人の気配を感じたのは。
「誰っ!」
振り向いて、銃を構える。
こんな普通は来るはずのない場所にいて、更には自分に悟らせずに背後を取る時点で普通ではない。
よって、空は最大限の警戒心を以てして相手に対応した。
「初めましてだな、水無月空中尉」
「……質問に答えなさい。貴方はどこの誰で、何が目的で私に接触したのかしら」
空から見たその人物の第一印象は―――雌豹、だった。
肩で揃えた銀の髪と褐色の肌。鋭く細められた紅い目と肉質な笑みは肉食獣のそれを連想させる。
ただ、羽織っているジャケットの左胸の辺りに刺繍されているコミカルなマスコットキャラクターがそれらを台無しにしているのだが。
警戒を緩めないまま銃を構える空にまったく動じる事無く、女性は言葉を続ける。
「質問は一度に一つにしておけ、答える方もそれなりに苦労する。
ではまず、自己紹介から始めようか」
空は答えない。
女性は気にせずに語る。
「私はシゼル・ステインブレッシェル。階級は少佐で、所属はフェンリルだ」
「フェンリル……っ」
空としてもその名は当然のように知っていた。
フェンリル―――統合の認可を受けた正式なPMCの一つ。
南米千人殺し事件などで悪名高く、金さえ払えばどんな任務もこなすと言われている。
ほとんどの国はフェンリルの名を出すだけで入国拒否をしてしまうという噂まである程で、同業者にとっては畏怖の対象でもある。
当の空もその例に漏れず、フェンリルの挙げた数々の戦果を見た時はレイン共々舌を巻いたものだった。
そんな組織の人間が自分に接触してきている。
間違いなく、何かがある。
「あの悪名高いフェンリルが私に何の用ですか」
「簡潔に言えば入隊を誘いに来たのよ。傭兵協会の中でも凄腕として知られている君をな」
「理由になっていませんね。今このタイミングでわざわざ少佐階級の人間が直接接触を図るような事じゃないはずですが」
「……なるほど、中々に鋭いな」
ただの入隊誘いなら部下でも寄越せばいいし、最悪メールでも良かっただろう。
用がそれだけならばもっと簡単かつ安全に済ませられる手段は数多く存在する。
それでも接触してきたとなると―――本題は別にある。
「とはいえ本題を語ったとしてもさして変わりはしないのだがな……
では中尉、今回の部隊編成はスムーズにいったと思わなかったか?」
その一言だけで言わんとしている事は理解できた。
つまり、
「そう……最初っから筒抜けだったって事ね」
「ええ。君達二人が清城市に入ってからずっと、動向は監視させてもらっていた」
「私をマークする理由となると……フェンリルの狙いはドレクスラー機関かナノテク、といったところですか」
「悪いがこれ以上は語れん。知りたければ入隊する事だ―――私達のトップも君達の入隊を望んでいる」
どうする、と目線で問われて……空は少しの間だけ思考する。
彼女は、一般の理由とは他に一つ―――フェンリルの事を知っている理由があった。
フェンリルのトップ、門倉永二。
階級は大佐で、南米千人殺しを行った張本人と言われている。
その腕前は並みの凄腕すら軽く凌駕しており、個人としては最強の一角ではないかとも噂されているほどの実力者。
そして、門倉甲の実の父親でもある。
その部分だけが、空を戸惑わせていた。
しかし、目的を履き違える気はない。
自身の目的はあくまでドレクスラー機関であり、甲の仇を討つ事だ。
それに以前、彼女は統合軍に一時的に所属していた際に組織故に不自由性に悩まされた経験がある。
「申し訳ありませんが―――」
断ろう。
レイン一人だけを置いて組織に所属するのは何だか虫が良いような気もして、空ははっきりとそう決めた。
だが、
「妹に関する情報も、欲しくはないか」
その一言で、今度こそ大きく揺れた。
「なっ……!」
「何故、という質問は受け付けない。それで、どうする中尉。
君とその部下のレインは野に迷わせるには惜しい人材だ。私としても君達二人の腕と得た情報を買っている。身柄も『門倉運輸』が保障しよう。
悪い話ではないと思うが?」
話を聞きながら、空の内心は酷く揺れている。
何故彼女達が妹の―――水無月真の情報を手にしているのか。
今まで自分が散々探しても少しだって掴めなかった情報を。
(まったく、的確な餌の投げ方ね……こっちの気を逸らさないために継続的に別方向の情報を提示してる)
こうなると他にも興味が惹かれそうな情報がないとも限らない。
しかもこれは相手のペースだ。このままでは無条件に入隊を承諾させられかねない。
流されてはいけない。
空はそう考えて……一つの賭けに出た。
「……私の腕を買っている、と言いましたよね」
「ええ、言ったわ」
「だったら、実際に見てもらえますか? その手の有名どころからの評価がどういうものか、少しは気になっていたんですよ」
「……良いだろう。君が勝てば私は諦めるし、妹の情報も渡そう。負けたその時は我々の部隊に入ってもらう。良いな?」
どうやらあちらはこちらの意思をでき得る限り尊重してくれるつもりらしい。
何でここまで譲歩してくれるんだか、と思いながらも空はそれに縋るしかない。
つい先日再会したばかりの妹。
今までこれっぽっちも尻尾を見せなかった彼女の情報がこうして知れているという事は……何かしらの危険が迫っている可能性もある。
元々、彼女は追われる立場の存在だ。
その情報をフェンリルが掴んだとしても何らおかしくはないだろう。
「分かりました」
「良い返事だ。どこまでやれるか見せてもらおう、中尉」
場所を移すぞ―――シゼルのその言葉に従って少し歩き、外れにある小さな森に着いた。
周囲を軽く見渡すと、先導していた彼女は空へと向き直る。
「ここならば邪魔は入らないだろう。相手はこれから指示するアドレスに用意してある―――ダイブしろ」
「随分と準備が良いですね?」
「私としても不本意だがな……」
どうにもシゼル本人がお相手、という訳ではないらしい。
ということはウイルスか何かだろうか……それともフェンリルの別の隊員?
空は色々と考えてみるが、答えは出ない。
まあ何が相手であろうと倒すまでだと意気込んでダイブしようとして……少し気になった事を言ってみた。
「私がダイブしている間に実体を取り押さえ、とかやりませんよね?」
「流石にこの状況でそれはやらん。私が直接相手をするのなら、ウイルスを当てつけている間にそれくらいの事はやるかもしれんがな」
「そうですか」
何にせよ、これで懸念事項の一つは消えた。
あとはとにかくこれから戦う相手に勝ちさえすればいい。
空は今度こそネットへとダイブするために没入プロセスを起動させる。
その間際、
「中尉……まあ、頑張る事だ」
微妙に気の毒そうな彼女の声が、嫌に耳に残った。