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No.28471の一覧
[0] 【ネタ】名前のない怪物【人外オリジナルファンタジー】[Jabberwock](2011/07/17 09:51)
[1] 02[Jabberwock](2011/06/24 00:59)
[2] 03[Jabberwock](2011/06/24 00:58)
[3] 04[Jabberwock](2011/07/03 00:52)
[4] 05[Jabberwock](2011/07/11 00:30)
[5] 06[Jabberwock](2011/07/11 00:41)
[6] 07[Jabberwock](2011/07/18 01:48)
[7] 08[Jabberwock](2011/08/04 21:14)
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[28471] 07
Name: Jabberwock◆a1bef726 ID:fc037197 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/07/18 01:48
「試し斬りですか」
「ああ、やはり実際に斬ってみないとな」

 そう言って怪物は陽光にかざした斧槍をうっとりと眺めた。
 時刻は午前六時、子鬼たちもチラホラと起きだして街路に現れ出す時間帯だ。
 レギオーと怪物の二人組は時折出会っては深く叩頭する子鬼たちの間を抜け、都市の一角に向かって歩いていた。

「巻藁でも斬るんでしょうか」
「いや、生き物を切らないと、こう言うのは駄目だ」
「はぁ……では野獣退治でも」
「ははは、まあ、見ていろ」

 そう言って笑う怪物についていくと、やがて二人はがっしりとした石造の建物にやってきた。
 入口横の守衛室らしきところには、青銅製の鎧と鎖帷子で全身を覆った子鬼が何人か詰めていて、二人の姿を見るなりそのなかの一人が飛び出てくる。
 子鬼は二人の前で敬礼すると、バシネットの目庇を跳ね上げた。

「カミサマ! ここ家畜小屋、何しに来た?」
「か、家畜小屋だと言ってますけど、ほんとにここですか?」
「ああ、三匹ほど潰してもいいかと聞いてくれ」
「ええと、三匹ほど家畜を潰してもいいかと……」

 そうレギオーが伝えると、番兵の子鬼は目庇の蝶番がカタカタというほどの勢いで首を縦に振ると「ちょうどいい、こっち!」と二人を案内する。
 子鬼いわく「家畜小屋」を進みながら、レギオーは首を傾げていた。
 どうにも、ただの家畜小屋にしては警備が物々しい。曲がり角ごとに歩哨が立ち、よくよく見れば通路の途中に一定間隔で落とし格子戸が天井に設置してある。
 家畜小屋の警備をここまで厳しくして何の意味があるのだろう?
 そんな考えは、案内された場所で見た「家畜」を見た瞬間に吹き飛んだ。

「さっき一匹つぶそうとしてたとこ! 飢えてる! 気をつけて!」
「おお、これは元気が良さそうだ」

 レギオーの顔面から血の気が引き、引きつった喉が言葉にならない言葉を吐き出す。

「こ、ここ、こ、こここ、こ……ッ!」
「コケコッコー!」
「うむ、にわとり」


 これを、鶏と、言い張るつもりか……ッ!?
 レギオーは戦慄に凍りつく。
 そこにいたのは、およそ一切の博物誌にも登場し得ない……いや、生物学者であろうとその描写を躊躇うような、名状しがたきおぞましい生物がそこに鎮座していた。
 全体の造形としてみれば、なるほど鳥に見えなくもない。
 だがしかし、レギオーは己の持つ全ての知識を総動員して「これが鳥のはずがない、いやさ、これが尋常の生き物のはずがあろうか」と必死に否定をしていた。
 その胸部はまるで夏場の海辺に放置された腐乱死体のように張り詰め、かと思えば下半身は蟻の腹部のような形で、三本の爪を持つ鷹の足に似た脚部がそこから生えている。
 両腕は人間のものに似ているが、やはりこちらもその指の数は三本で、恐ろしい鉤爪が生えている。
 頭部は鳥と人間と蝙蝠を合わせたような、吐き気を催す造形で、全体的に人間のような作りを仄かに残しているせいでそのおぞましさはいや増した。
 両肩からは蝙蝠の翼をもっと強靭にしたようなものが生えており、その薄い皮膜からは想像も出来ないほどの頑丈さを備えているようである。
 子鬼はこの生き物の鳴き声を「コケコッコー」と描写したが、レギオーがどう好意的に解釈してもその鳴き声は「ギヒィィ! ギピョルピィ!」としか聞こえなかった。聞いていると、頭がくらくらしてくる。

「こ、これの何処が、鶏かッ!!」

 レギオーは激怒した。
 必ずやこの無知蒙昧の輩共の蒙を開き、命名学の何たるかを教えねばならぬと決意した。

「どうしたカミサマ? ニワトリ気に入らなかったか? ヤギの方が良かったか?」
「何を憤っている? 庭で飼えるように改良した鳥だから「ニワトリ」なんだろう?」
「ご、語源はともかくとして、アレの何処が鳥に分類されると言うんです! それに、ええと、山羊もいるんですか?」
「いる! ヤギがいる! クロヤギのカミサマが俺達にくださった、くろいやぎ!」

 そう言って、子鬼は彼の傍らでそびえ立つ怪物を仰ぎ見た。
 レギオーの戦慄が加速する。
 この怪物に由来する、「ヤギ」……だと?
 たとえそれが彼らの勘違いだとしても、最早これ以上「にわとり(仮称)」に続いて「やぎ?(未識別)」のような宇宙的恐怖を感じさせる生物を見るのは耐えられなかった。
 いや、もしかすると彼が記憶するところの真っ当な山羊が出てくる可能性もある。ある、が、それはあまりに低い確率だと直感が囁いていた。
 彼の決意はあまりにもあっけなく雲散霧消する。

「い、いえ、それはまたの機会に……。あ、あの、本当にアレと戦うおつもりですか」

 意地でもその生物を鶏と呼びたくないのか、レギオーは個体名を呼ばずに「アレ」とだけ呼んだ。
 にわとりは今やその両足で立ち上がり、歯ぎしりをしながら威嚇をしている。
 その体長は怪物と同じか少し大きいほどもあり、巨大で、あまりにも凶暴な有様だ。
 だが、彼のそんな懸念を他所に、怪物は面白そうに凶暴な笑みを浮かべる。

「ああ、初戦の相手としてもちょうどいい。これの切れ味を確かめたいからな」
「……分かりました、ご武運を」
「ああ」

 そう短く答えて、怪物は首元のチンガード(顎と首を守る装甲板)をなにやらいじった。
 すると、まるで魔法のように現れた蛇腹状の装甲板がチンガードから飛び出すと、その顔面から後頭部にかけてを、目元のスリットだけ残して完全に覆った。
 驚き固まるレギオーに、恐らく怪物はニヤリと笑ったのだろう。「なかなか面白い作りをしているだろう?」と誇らしげに言い放って、子鬼が空けた厩舎の扉をくぐり抜けて檻の中へ踊りこんだ。

「キィィィィイイイッィィィイィ!」
「その意気や良し! さあ、かかってこい!」

 まるで円形闘技場のような檻の中、にわとりが四肢をついて威嚇の奇声を上げる。
 かみ合わさった牙の間からだらだらと涎を垂らしながら、その巨体からは想像もつかない俊敏な動きで真正面から怪物に飛びかかった。

「であぁ!」

 気合の声と共に、こちらもまっすぐに突き込まれた斧槍の穂先が怪物の胴体に突き刺さる。
 が、何の痛痒も感じないような勢いで更ににわとりが突っ込むと、怪物は穂先に相手が突き刺さったまま振り回して檻に叩きつけた。その勢いで、突き刺さっていた穂先がすっぽ抜ける。
 金属と石で補強された頑丈な檻が軋む。
 青色の血をまき散らしながら、にわとりが憤怒の声を上げて地面をひっかく。
 怪物はその手に持った斧槍を構えると、今度はこちらの番とばかりに地面を蹴った。
 遠心力を十分に生かした戦斧の振り下ろしは、咄嗟に飛びすさったニワトリの片腕を切り飛ばし、その勢いのままに地面に突き立った。
 それを好機と見たのか、残った片腕を振りかぶってニワトリが怪物に跳びかかる。

「甘い!」

 地面に突き立った斧槍と、その鋭い蹴爪でしっかりと身体を支え持つ右足を軸に、素早く繰り出された前蹴りがニワトリの胴体を蹴り飛ばす。
 息の詰まるような悲鳴を上げて、ニワトリはまたしても檻に叩きつけられた。
 全身から血を滴らせ、しかしそれでもニワトリは狂ったように金切り声を上げながら怪物に挑みかかる。
 それを真正面に迎えて、怪物が吠えた。

「おおっ!」

 厩舎全体が揺らぐかと思うほどの雄叫び。
 怪物の全身が膨張したかのような錯覚をレギオーは覚えた。
 常人には持ち上げることすら叶わぬほどの重量があるとは思えぬ速度で、斧槍の戦槌が「ぶうん」と重々しい音を立てながら振り下ろされる。
 巨人の肉叩きがニワトリの頭部を叩き潰し、ぐちゃりと飛び散った血潮と脳症が周囲に飛散する。
 首が胴体に完全に埋まった状態で、ニワトリはふらふらと二三歩進んだ後、どうと地面に倒れ伏して血の池を作った。
 最後の一撃はかなりの威力だったのか、倒れた瞬間に海綿状になった肌から血が溢れ出し、屠殺というよりも惨殺といった方がいいような情景が広がった。

「勝った! カミサマが勝った! 凄い! 一人で正面からニワトリを殺した!」
「ふぅ……もう少し振り回してみないとな。おい、レギオー、次を出すようにいってくれ」
「つ……つぎを……だしてください……」
「おお! 分かった! …………カミサマ、顔色悪い、ハラ減ったか?」

 青ざめた顔つきのレギオーに子鬼が心配そうに声をかける。
 鼻元にツンと突き刺す刺激臭は、まさか、このにわとりの血が匂っているのだろうか?
 一度だけ錬金術師の工房に入ったことがあったが、そこで嗅いだ覚えのある匂いで、つまりどう考えても身体に悪そうな劇物の匂いだった。
 必死に吐き気を抑えつつ「休憩したいんですけど」と子鬼に伝えると、どうやら次のにわとりを放つように伝声管で指示を出していた子鬼が振り返った。

「分かった、案内させる、付いて行って」
「はい、ありがとうございます」
「カミサマ、細い! もっと食うといい!」
「……」

 もしかして、あのにわとり(?)を食べさせられるというのか。
 戦慄と共に首を横に振りながら、現れた雌の子鬼に支えられながらふらふらとレギオーはその場を後にした。
 背中に、あの背筋が凍るようなにわとりの奇声と、怪物のウォークライが響いていたが、後2回もあれを見続ける度胸はなかった。

「かみさま、お茶用意してます、お気を確かに」

 雌の子鬼が浮かべる気遣いの微笑に慰められる。
 雄と何から何まで全く違う雌の子鬼に体を支えられながら、よろよろと通路を歩く。
 どうやら子鬼たちは雄は頭の天辺から爪先まで戦闘種族として、雌は高度な知能と手先の器用さを伸ばしてきたらしい。
 心なしか、雌のほうが雄よりも背が高い。雄は恐らく筋肉を詰め込みすぎて成長が阻害されているのだろう。
 最も、この場に限って言えば雌の高身長は有りがたかった。
 子鬼の雌とレギオーの身長はそう変わらないので、支えて歩いてもらう際にはこっちの方がいい。

「こちらにどうぞ。お茶をお持ちします」

 休憩室らしき部屋へ通され、椅子に座って一息つく。
 案内してくれた子鬼は恭しく一礼してから通路を奥の方へ入っていった。

「アレが、ニワトリ……」

 未だにショックから立ち直れず、レギオーは呆然と暫し窓の外を眺めていた。
 いつの間にか時間が立っていたのか、窓の外では中点に登り始めた太陽に照らされて、町並みと遥か遠くにそびえ立つイスカラルト大山脈が見えた。
 彼らが今いる、辛うじて人智の及ぶ辺境と、最早人類の手の届かぬ秘境との境に存在する大霊峰を眺めながら、今後ここで出される肉料理は口にすまいと心に誓う。
 と、その時お盆を両手に持った子鬼の雌が帰ってきた。
 雄と違ってその頭部にはちゃんと毛が生えており、顔の造形も整っている。灰色をした髪は眉の上と首筋でまっすぐ切り揃えられており、本当に人形のように可愛らしい。
 優雅な手つきで茶器の用意をする彼女を見ながら、やはり何処から見てもあれと同じ種属には見えないなとレギオーは小さく溜息をつく。
 すると、今まで流れるように動いていた子鬼の手つきが一瞬だけ止まる。
 直ぐに再開したものの、一体どうしたのかとその横顔をみると、クリーム色をしたその頬がほんのりと桜色に染まっていた。

「……準備が出来ました、ごゆっくり」

 そう言ってそそくさと退室しようとした子鬼の背中に、レギオーは「あ、ちょっと待って」と声をかけた。
 振り返った子鬼は、レギオーと視線を合わせないように眼差しを落として、お盆で口元を隠した。

「な、なんでしょうか」
「少しお話ししたいんだけど、時間はある?」
「え? え、と、そ、その、ええと……」

 焦った様子でキョロキョロと周囲を見回して、その視線が背後の通路の奥にチラリと向けられる。
 気にしない風を装ってレギオーもそちらにさっと視線をやると、数人の雌の子鬼が物陰からこちらを見ながらなにやら手振りで示している。
 レギオーにその意味は分からなかったが、目の前の子鬼は理解したのか、こちらに向き直ってコクリと一つ頷いた。

「あ、の、分かりました、わたしで、宜しければ」
「ああ、有難う。さあ、座って」
「はい」

 緊張のためか真っ赤になった子鬼と向き合って座りながら、さて一体何から聞こうかとレギオーは思案するのであった。







――――――――――――――――






 休憩室でレギオーが雌の子鬼を口説き落としているちょうどその頃、辺境で野戦陣地を構築している王国軍。それを率いる将軍ティメイアスのテントの中で二人の男が話し合っていた。
 一人は、このテントの主、ティメイアス。
 もう一人は、彼の副官であるデスピン。
 二人は地図上に敵の進行予想路や、斥候が報告してきた新しい拠点などを書き込みながら口を開く。

「ヴァルターリッジに敵が出城を築いているな。放置すると厄介だ」
「では、本隊への侵攻を遅らせて先に出城を始末しましょうか? 幸いにも森が直ぐ近くで材料には苦労しません。簡易弩砲と攻城塔を作らせれば直ぐでしょう」
「ナフサと松脂はまだ残っているか?」
「ええ、指示通り。あと5会戦分は準備してありますよ」
「上出来だ。…………ふん、こんな時、シャリアンがいれば、な、と思ってしまうな。いかん、知らずに楽を覚えてしまった」

 そう言って、苦笑いを浮かべながらその隻腕で、己の刈り込んだ髪を撫でる。
 それを見ながら、こちらも苦笑いでデスピンが答えた。

「いればいたで、どうにも粗さに目がつきますが、やはり居なくなるとどうにも寂しいものです」
「ふん……魔法使いなど、どいつもこいつも気まぐれ者よ。さあ、手元にない戦力を物欲し気にああだこうだ言うのは止めだ。とにかく現状、義務を果たす」
「了解です。ところで、例の騎士たちはどうするおつもりですか?」
「戦時特例447号」
「戦地徴用? しかしアレは民間人だけでは」
「騎士は軍法に乗っておらん。アレは民兵(ミリティア)扱いだ。正確には、俺が削除させた」
「……ははぁ……なるほど」

 デスピンが意地の悪い笑みを浮かべる。
 戦時特例で組み込まれた軍属は、現場の指揮官が了承するか、最高司令官の免状がないと解放されない。
 乱発すると非常に凶悪な法律なので、その使用には最新の注意とややこしい書類が必要になってくるが、そこはこの世界で数十年飯を食ってきた人間だ、いくらでも抜け穴は知っている。

「ああ、しかし戦時特例447号よりも王族発行の収集礼状のほうが効力は上だ。それを持って来られたらどうしようもない」
「なるほど、それで例の四人を哨戒任務に」
「デスピン、任務に出したのはあくまで二人だ。間違えるな」
「おっと、これはしまった。そうそう、公式には二人だけでしたな」

 魔法使い二人は不意に軍から抜けだして、脱走扱いにならないように将軍が退役申請を出した……と言うことになっている。
 魔法使いという生き物は生来一処に留まらない輩が多い。
 事情を知らない人間が聞いても特に不審がらないだろう。

「では、出城を攻略する部隊を抽出して――」

 そこまで言ってから、デスピンは将軍の視線が一瞬だけあらぬ方を見て緊張するのを感じた。
 彼は口を閉じ、「では、決まり次第……」とだけ呟いてテントを出た。
 あの様子の時の将軍が余人に立ち入れぬ思索を始めると、デスピンは信じていたからだ。
 一人テントの中に残されたティメイアスは、椅子にどっしりと腰を下ろしながら苦々し気に顔を歪めた。

「幻覚め、こんなタイミングで出ずともいいだろうに」

 そう呟いた彼の正面に、過日の美貌もそのままに、今は亡き彼の妹が現れていた。
 イソラとお揃いのローブ姿で、魔女アリステアは困ったように笑った。

「兄さん、私は幻覚じゃないのよ」
「俺以外に見れず触れず聞けず、気配も感じぬ存在が幻覚以外のなんだというのだ」
「違うんだってば」
「黙れ、俺はたしかにあの日以来狂ってしまっているが、それを自覚している限り正気を保ったように見せて、義務を果たさねばならんのだ。俺の邪魔をするのはやめろ」
「違うわ、兄さんは狂ってなんかいない」

 そう言って先程までデスピンが座っていた椅子に腰を下ろす幻覚に、ティメイアスは鼻で笑う。

「なるほど、世に溢れる狂人共はこうやって自己肯定しているわけか。貴重な体験だ」
「……はぁ、頑固者」
「ああ、そうとも。だが分かり切っていることをわざわざ言っても意味はないぞ。さあ、いつものように俺が自分でも気づいていないような事を知らせてくれ、俺の中の俺」
「…………もう、そういう事でいいわ、はいはい、それじゃあ昔みたいに作戦会議といきましょうか、兄さん」
「ああ。だが、本当にこんな辺境域に味方がいるのか?」

 そう言って、彼は疑わしげに辺境の森の中に緑色の旗を置いた。
 イソラ達を派遣する前にこうやって幻覚と話し合ったが、未だに彼は半信半疑であった。

「以前、兄さんにもいったでしょう? こういう時の保険はあるって」
「たしかに、以前どこかでこういう話をアリステアから聞いたことがあるような気がするが……一体何年前の話だ。ううむ、流石に思い出せん。ふん、こういう時は、幻覚も便利なものだ」
「はいはい、便利な幻覚さんですよーっと……ええと、今から10日後にここに到達して。全軍揃って、よ」

 そう言って指さされた場所は、騎士隊がハマール城に辿りつく途中の道で、西側を鬱蒼とした森林に覆われ、東側はすり鉢状のなだらかな斜面が続く場所であった。
 ティメイアスが思わず唸る。

「10日? ギリギリだな……ほんの少しタイミングがずれただけでハマールに駆け込まれるぞ」
「大丈夫、兄さんなら出来るわ」
「俺に言われても安心できんわ。だが……まあ、アリステアの信頼する救援なら、上首尾に終わらせているだろうな」
「そうそう、私を信じて!」
「だから、俺は俺が一番信じられんのだ」
「いや、そうじゃなくてああもう! とにかく! 出城がどうのこうのとかいうのは正規軍は最小限にして、とにかく移動の準備!」
「待て待て。斥候の報告では結構な規模だぞ。これを放置は出来んし、押さえにするにも最小限ではな」
「指揮官はフォン・ベックにして、傭兵を雇うのよ。工兵だけ連れて行って、簡易弩砲が二台もあれば落とせるわ」

 フォン・ベックは元々傭兵隊長から成り上がってきた男で、傭兵を率いらせればたしかにこれ以上の人材はない。だが、それでもティメイアスは首をかしげた。

「何を根拠に。かなり堅固な出城だぞ」
「見た目はね。中身はお寒い限りよ。あのフォン・ベックがやって来たと聞いたら二日と持たずに白旗が上がるんじゃないかしらね」

 ウルリッヒ・フォン・ベックはかの悪名高きマルデブルグの大虐殺に直接関わったと言われている。包囲戦の前には3万もいたと言われる住民がたったの3千人しか生き残らなかった言うのだから、その熾烈な戦いを思わせる。
 本人が特に否定もしなかったため、ウルリッヒ・フォン・ベックの名前は冷酷無比の傭兵隊長として知れ渡っていた。

「………………よし、それでいこう」
「傭兵隊は身軽にね。いざとなったら強力な後詰になるわ」
「そんな事はいちいち言わんでもよろしい」
「あら、ごめんなさい。でも兄さんのうっかり忘れを防止するのも私の役目だもの。いつだったか、うっかり私の旅行鞄を職場に持っていったことがあったでしょう? あの時私は着替えるものがなくって困ったわぁ……それに、兄さんが私の下着の入った袋を間違えて皆の前に出したって聞いた時には……」
「アリステアっ! 黙らんか!」

 真っ赤になってそう怒鳴ってから、ハッと我に帰ってティメイアスは咳払いを一つ。
 幻覚相手に怒っても何の意味もない。
 それに、これはアリステアではない
 彼にしか見えず、彼にしか聞こえず、彼にしか認識できない狂気の産物なのだ。

「用事は済んだろう? ほら、とっとと消えろ」

 シッシッと虫でも追い払うように手を払う彼に、苦笑を漏らしながら幻覚はそれでも消えない。
 いつもはこれで消えるのに、と訝しげな顔をした彼に妹の姿をした幻覚が話しかける。

「ねえ、兄さん」
「なんだ」
「私のこと、今でも怒っているの?」
「……」

 彼は押し黙り、しばしたってから口を開いた。

「わざわざ自分で自分に問いかけるか……俺も大概馬鹿野郎だな」
「……」
「俺は怒っちゃいないさ、ただ、残されたイソラが、あまりに不憫だ」
「兄さん……私……」
「ああ、やめろ、これ以上お寒い一人芝居をさせんでくれ。消えろ、幻覚。俺は可愛い姪後の幸せのために働かねばならん。残った片親がどう仕様も無い阿呆なのでな」
「……ミューズは、あれが本質というわけじゃないのよ、ただ、あの人は……」
「黙れ。アリステアが生きていた時と、状況が違うのだ。無意味な回顧に浸らせるのはやめろ」
「…………ごめんね、兄さん」

 そう呟いて、漸く幻覚は消えた。
 こんどこそ一人テントに残った将軍は、辺境に立った緑の旗を取り上げて、己の掌で転がした。
 妹は死んだ。
 神代の太古から転生を繰り返してきた魔女は、彼女の代で死んだ。
 永遠を生きるはずの魔女が、とうとう本当の死を迎えたのだ。
 その死で、全てが変わった、そう、全てが変わってしまったのだ。

「…………数千年の記憶は、重荷だったろう、捨てたくもなる。俺は怒っちゃいないさ。アリステア……」

 悲しげに、将軍はポツリと呟いて、フォン・ベックを呼ぶように従兵に伝えた。
 その目には、束の間浮かんだ悲哀の色は、もう見えない。











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