怪物は己の隠れ家にレギオーを通し、干し草に麻布をかぶせて作ったクッションに座らせると、自分はこの廃墟に最初からあった崩れかけの石の玉座に腰掛けた。ちなみにこちらにも子鬼たち謹製のクッションが乗っている。
レギオーは興味深そうに辺りをキョロキョロと見ながら腰を下ろすと、大きな溜息をついた。
その服装は鉄檻から助けだした時のまま、灰色の貫頭衣の上から黒地に赤く複雑な幾何学模様が織り込まれた外套を羽織っている。
その足元は元々外を歩かせることを想定していないのか、実用性皆無の絹製の部屋履きであった。
ぞろぞろと伸びていた髪の毛は自分で頭の後ろで一つに編みこんで、ボールのように纏めてしまっていて、その様子を見ていた怪物はいずれ自分もやってもらおうかと考えていた。
「思ったよりも小奇麗な場所ですね。驚きました」
「最初はひどかったな。そこら中に苔や黴やキノコやらが生えて、おまけに白骨がゴロゴロ転がって汚らしい有様だった」
「ご自分でここまで?」
「内装は自分で整えた。掃除は、目隠しして道が分からないようにしてから連れてきた小鬼どもにやらせた」
「子鬼?」
訝しげな顔をするレギオーに、怪物はそう言えば子鬼たちの説明をしていなかったなと納得すると、石畳が剥がれて下の地面が露出している場所へ、16本の指を使って子鬼たちが槍を振り上げながら大騒ぎをしているさまを流れるように描いた。
「こんな奴らだ」
「す、凄い……」
「何だ、珍しい種属なのか?」
「あ、いえ、そっちではなくて……何処でこんな描き方を学んだんですか? 以前にブルカブルクの大聖堂で見たフレスコ画みたいです」
その言葉に、怪物は笑った。
「私が偉い学校を出たように見えるか? だとしたらお前との付き合い方を考えないとな」
そう言ってカラカラと笑う怪物の前で、レギオーは恥じ入ったように俯いた。
肌の色のせいで分かりにくいが、どうやら耳の先まで真っ赤になっているようだ。
一頻り笑ったあと、怪物は「さて」と一息ついてから己が描いた子鬼たちを指さす。
「で、どうだ。こいつらの本当の名前はなんて云う?」
「……リージェナーの奉仕種属に似ていますが、彼らはこんなに……その、なんというか、活発な質ではありません。創造性も皆無ですし、そもそも自分たちだけで集団生活を行うということが出来る生き物でもありません。……この生き物、他に特徴は?」
「それなりに大きな集落を作っているな。鉱山から鉱物も掘っているらしいし、家は日干し煉瓦と木造が半分ずつといった塩梅か。ああ、それと雄と雌で全然顔身体つきが違うな」
レギオーがハッと何かに気がついたような顔をする。
「そう言えば、辺境域で……いや、でもそんなお伽話みたいな話が……?」
「見当がついたか?」
「リージェナーの奉仕種属という、支配層に売り買いされる奴隷種族がいるのですが、彼らは元々太古の昔、人間がこの大陸に来る前に大きな都市国家連合を形成していたと言われます。統一王国が打ち立てられたときにその殆どは捕らえられ、奴隷としての人生を運命づけられます。ただ、物の本によると辺境域に近い場所にあった少数の都市国家は統一王国がやってくる前に樹海へ逃げ、人跡未踏の奥地で今も生きているとか……。まあ、お伽話のたぐいです」
「ふむ。しかし信憑性は高いじゃいか? 現にいるぞ」
「そうなんですよね……しかも彼らの特徴は「男は小柄だが全身にみつしりと筋肉が詰まり、醜い顔立ちである。女は同じやうに小柄だが、男よりもよほど身体に丸みがあり、豊かな肉(シシ)置き、そして卵型の愛らしい顔つきをしている」と物の本にあります。男性は肉体労働の奴隷に、女性は……その、そういった趣味を持った男性の奴隷として今は流通しています。元はこういう一つの種族だったのが、今は長年の品種改良でそれぞれ別個の種属となってしまっています」
「……ほう」
「そ、そんな目で見ないでください。私が考えついたわけじゃありません」
とは言うもののどこか恥じ入った様子で顔を伏せたレギオーを見て、怪物はそう言えばレギオーも奴隷のように鎖に繋がれていたことを思い出し、この話題は此れ以上触れないことにした。
「で、大昔のそいつらの名前はなんて云う?」
「……すみません、文献が散逸して、よくわかっていないんです。しかも残っているのは統一王国が残した一方的なもので、彼らは「小人族」と呼称していたようですが、それも数ある呼び名の一つだったようです。ちょうど私の種属が「一角人」とあだ名されるような、正式な名前ではなかったと思います」
「ふむ……では子鬼でいいか」
そう、あっけらかんとした口調で言い切った怪物をじっと見つめた後、レギオーは「そうですね」と笑って頷いた。
「じゃあ、このクッションなんかも子鬼たちが作ったんですか?」
「ああ、なかなか手先が器用な奴らだ。絵心は残念ながらなかったが」
レギオーはクスクスと笑った。
「察するに、こういったものを提供してもらう代わりに彼らを外敵から守るという事ですか?」
「まあ、そうだ。そうそう、そう言えばつい先日なんだが……」
そう言って怪物が先日あった壮絶な死闘とその顛末を語って聞かせると、レギオーの顔色が加速度的に悪くなり、ご存知のような顛末となったのだった。
――――――――――――――――
しばらくしてレギオーが落ち着いて、二人は子鬼たちの集落を訪ねてみる運びとなった。
長い間囚われの身となっていたせいか、足腰の弱っているレギオーを怪物が抱き上げ、片腕と両足、そして尻尾を使って木々の間を飛ぶように進む。
如何にも硬そうな枝葉がとんでもない速度で二人の周囲をカッ飛んでいく。
その間レギオーは恐ろしい速度で通過する景色に顔色を無くし、まるで親にしがみつく幼子のように怪物身体に顔を押し付けて視線を伏せた。
「高いところは苦手か」
「そういう訳ではありません、が、この速度は少しスリルがありすぎます」
「いい経験だろう」
「ええ、一度で十分です」
震える声でそう答えるのを他所に、怪物はレギオーを慮って今後この移動方法を自粛するか、あるいは相手に慣れてもらうほうがいいか頭の中で計り、最終的に後者を選んでいた。
まあ、すぐに慣れるだろう、とあっさり片付けて怪物は子鬼たちの集落の直ぐそばで地面に降り立った。
「着いたぞ」
「お、下ろしてください」
「いいのか?」
「え?」
「立てそうにないが」
笑いを含んだその言葉にムッとした顔でレギオーは視線を彼女の方に向けた。
「立てますッ」
「分かった」
「あっ、きゃっ」
ひょいと予告なしに腕を離され、垂直に落ちたレギオーは地面に積み上げてあった干し草の山に落下して体中を干し草まみれにした。
「な、なにするんですか!」
「はは、は、ほら、立てると言ったろう、行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って下さい、今行きますから」
ノシノシと先に歩き出す怪物に、レギオーは慌てて追いすがった。自分で言ったとおり、少なくとも腰が抜けて歩けぬということはないらしい。
二人でそのまま先に進むと、丁度怪物の背丈と同じくらいの高さをした石壁が目の前に現れる。
突然視界に現れたそれにぽかんと呆気にとられるレギオーを他所に、怪物が門扉に近づくと見張り塔に控えていた子鬼がけたたましい音を立てて鐘を鳴らし、樫製らしい頑丈そうな扉がガラガラと巻上機の音と共に跳ね上がっていく。
完全に扉が開くや否や、一匹の子鬼が走り寄ってきて怪物に何かをまくし立てた。
が、当然ながらその言葉を理解出来ない怪物は、丁度後ろに来ていたレギオーを振り返った。
「頼む」
「え、あ、はい」
怪物の影からひょいと顔を覗かせたレギオーを見て、子鬼は仰天した。
「おぉ! お前誰! カミサマの友達?」
「か、神様? 彼女のことですか?」
「おお、言葉通じる! そう、俺達のカミサマ、黒い山羊のカミサマ、女の姿で、大きい、つよい、無貌のカミサマ、しゅーぶにっぐらうす」
「しゅ、しゅーぶ、なんですって?」
「おお! お前も角ある! 神話にある、カミサマのつがい、昨日と明日をみるカミサマ、全て知る者、よーぐそっとほうと?」
「……いえ、我々は神ではない」
「知ってる」
「えっ」
思いも掛けない切り返しに唖然とするレギオーに、子鬼はしたり顔で頷いた。
「カミサマは自分でカミサマ言わない。神話にそうある。いつもいきなり現れて、いつの間にか去っていく」
「――はあ、じゃあ、そういう事で」
「そういうこと、そういうこと」
うんうんと嬉しそうに頷く子鬼を前に、脱力したレギオーは適当に返事をした。いちいち相手をするのが面倒になったということもあるが、こういった扱いをされたことがなく、持て余したという面もある。
「こっち! こっち! カミサマの鎧できた! 武器も出来た! こっちこい!」
「行きましょう。あなたの鎧と武器が出来たそうです」
「おお、早いな」
そう言ってノシノシと歩き始めた怪物と並走すると、怪物はちらりとレギオーを見て首をかしげた。
「不思議なものだな、お前の言葉は私の言葉に聞こえるのに、子鬼と会話をしていた」
「われわれ全言語交渉士の特徴です。その気になれば子鬼の言葉だけを話すことも、話している相手以外には戯言にしか聞こえないように会話することも可能です」
「ほう、そいつはまた後暗いやつばらには重宝される特技だ」
如何にも不愉快そうに、怪物は鼻で笑って眉間にシワを寄せる。
ひんやりと背筋に走る怒気に首を竦めながら、レギオーは気を紛らそうと周囲を見渡し、驚く。
たしかに怪物は日干し煉瓦と木造の家屋が半分づつといったが、レギオーが想像していたそれらとは全く趣が違う。日干し煉瓦は石柱でしっかりと骨組みが作られ、眩しいほどに真っ白な漆喰で塗り固められている。
木造の家屋は今までレギオーが幾多の書物、絵画、挿絵、或いはその目で見てきた建築様式と一つも合致しない。無理に当てはめるならば古代ピリティズム様式にどことなく似ていたが、それとこれを一緒の物だと抗弁はできなかった。
これはもっと優雅で、実用的で、何よりも全体に足された緑が目に優しい。
全体的に丸みを帯びた建て方で、どうやら半地下になった一階と植物の生い茂った二階部分で構成されているようだ。
どう見ても現在には絶えてしまった、古代の建築物である。生まれて初めて触れる「失われた知識」を目の前に、レギオーは興奮していた。
そしてふと、その視線が足元に落ちる。
三人が進む道はスレート板に良く似た弾力のある謎の物質で舗装されており、部屋履きで歩いているレギオーはその滑らかな歩き心地に驚くとともに、怪物の鋭い蹴爪で引っかかれて傷一つない様子に更に驚いた。一体、如何なる製法でこのような物質が産まれるのか?
レギオーは此処に来るまで、怪物が使う「集落」という言葉に騙されていた。
いや、怪物に騙すつもりなど微塵もなかったろう。ただ単に彼女の貧弱な語彙能力がその言葉を選択しただけで、罪はない。
ただ、レギオーは目の前に広がる望外の光景を見ながら、心の中で叫んでいた。
頑丈で分厚い城壁。
一定間隔で歩く警邏の兵士たち。
等間隔に建てられた見張り塔。
宗教建築と思しき、大理石造りの立派な建物。
これは……集落というよりも……。
どう見ても、都市国家である。
――――――――――――――――
「これ! これできた! カミサマの鎧!!」
「おおっ」
「わぁ」
熱気と活気の渦巻く精錬所の直ぐ近く、ずらりと武器防具が並ぶ倉庫の中で見せられたそれに、怪物とレギオーは二人して唸った。
怪物の大きさに作られた人形に着せられたその鎧は、甲殻類の装甲が瓦屋根のように重なりあうように、身体の可動域をなるべく制限しないように作られていた。
レギオーが近づいて装甲同士の繋ぎ目を見てみると、生糸でも革でもない、何かよく分からない伸縮性の物質と細い鋼の糸によって繋ぎ合わされている。やはり、先ほどの床材と同じくさっぱり理解出来ない物質であった。
「おお? 青銅じゃないぞ。どうしたんだこれは」
「どうして青銅じゃないんですか?」
「魔女たち、荷物捨ててった! 中に鉄の鎧あった、鉄の武器も、溶かして叩いて、作り直した」
何でもないように言い放つ子鬼を前に、レギオーは戦慄に震えた。
彼らは青銅時代で文明が止まっているわけではないのだ。文明レベルは遥かに高い次元で完結している。が、それを活かすだけの物がここにはなく、そしてまた彼らもそれらを無理に手に入れて生活を向上させようなどと微塵も考えていない。
もし彼らがもっと獰猛で野心的で、更には狡猾な種属であったなら、古代王国が滅んだ途端に人類は彼ら子鬼による壮絶な復讐戦を挑まれていたやもしれなかった。
そして、もしそうなっていたら、人類は負けていただろうとレギオーは直感する。
レギオーの学んだ歴史によれば、古代王国の崩壊と同時に大混乱に陥った人間諸国は、今でいう都市国家レベルまで細分化されていたらしいからだ。
「貴女の戦った騎士たちが落として行った荷物から鉄製品を回収して、溶かして打ち直したそうです」
「ほほう、なかなか乙なマネをする」
そう言って怪物は鎮座する鎧をコツンと拳で叩いてからニヤリと笑って「いい塩梅だ、気に入った」と呟いた。
「か、カミサマなんて言った? 褒めたか? 嬉しいか?」
「気に入ったそうです」
そう通訳すると、子鬼は歓声を上げて如何にも嬉しそうに踊り出すと、そのまま跳ねるような足つきで倉庫の奥に駆けて行く。
「ちょっとまて! いま武器もってくる! すぐもどる!」
扉の向こうに消えた子鬼を他所に、怪物は早速用意された鎧を身につけようとしていた。
が、鎧にいつもならある留め具やベルトが見当たらずに首をかしげた。
「レギオー、これ、どうすればいいと思う?」
「えっ、私に聞くんですか」
「お前なら知っているんじゃないかと思ってな」
「ちょ、ちょっとまってください」
近くにおいてあった子鬼用の踏み台を使って鎧の隅々迄を眺め、レギオーは驚愕と感嘆の溜息をついた。
「とんでもない代物です。見ててください」
そう言って鎧の首もと後ろにある突起を引っ張ると、重々しい金属音と共に鎧が背骨の線を中心にガバリと開いた。
鎧の裏側には鎧下も兼ねるのか、これもまた弾力性のよく分からない物質で覆われている。
これを見て、怪物もどうやって装着するのか理解したのか、目を輝かせた。
「どうやったんだ?」
「分かりません。全く理解不能の技術です」
「ははぁ、まあ、細かいことはどうでもいい。早速試着だな」
言うが早いか怪物は服を脱ぎ捨てると、まるで顎を広げる様に鎮座する鎧の中に体を滑り込ませる。
あっと声を上げる間もなく、再度口を閉じた鎧が怪物の体を覆う。
閉じた瞬間に「うっ」と小さく呻いたものの、立ち上がった怪物は驚きの顔つきで身体を動かしている。
鎧は怪物用に作ってあるために、人間からすればおかしな作りだった。
まず、両腕の装甲は肘から先の半分ほどまでしかない。手首から指先までは丸出しだが、そもそも怪物の腕のその部分は黒く固く変質しており、装甲は必要ない。むしろあったほうが武器が握りにくくなり、しかも爪による攻撃が不可能になってしまうのである。
両足の装甲はやはり膝までしかなく、その膝から下は人外の荒々しさを持ったそれがむき出しになっている。やはりこの足にまで装甲で覆ってしまえば、せっかくの利点が殺されてしまうのだろう。
そして、人間には絶対に無い物。黒く強靭な尻尾のために穴が開けてある。
「こいつはいい。想像以上だ。まるでもう一つの肌になったみたいに感じる」
「すごく滑らかに動きますね。拡大したサメの肌みたいです」
「サメ?」
「鋭い牙を持った大きい人食いの魚です」
「人か、そう言えばまだ食ったことはないな」
「ふ、普通に返さないでください! 食べる予定があるんですか!?」
「ふふ、ふ、冗談だ、そう怯えるな」
「貴女が言うと冗談に聞こえません」
そう言って二人でじゃれあっていると、ガラガラと台車を転がす音が近づいてくる。
視線を向ければ、子鬼たちが10人がかりで長い台車を押してくるところであった。
台車が二人のところまで到着すると、その中に据えられたそれを見て二人はハッと息を呑んだ。
「これ、カミサマの武器! 最高傑作! 斬る、突く、叩く、全部できる!」
果たして、台車に載せられていたのは長い穂先に大戦斧の刃、そして如何にも重厚な戦槌の頭部が合わさった長柄武器。俗に斧槍(ハルバード)と呼ばれる武器であった。
だが、その大きさが尋常ではない。
槍の穂先はショートソード程も長く、戦斧の刃は1000年を経た大木でも切り倒すように肉厚で、戦槌はそれだけでバランスを狂わせるのではないかと疑うほど巨大で、その平面にはびっしりと肉たたきのようなスパイクが生えていた。
余りにも巨大で、余りにも無骨。
「武辺者」とでも銘打ちたいような、荒々しい武器である。
呆気にとられるレギオーの横で、新しい玩具を与えられた子供のように怪物は喜んだ。
「こいつはいい! なにより頑丈そうなのが気に入った!」
「あーえー、カミサマはとてもそれがお気に召したそうです」
わあわあと文字通り狂喜乱舞する子鬼たちの横で、うっとりした様子で斧槍を捧げ持つ怪物。
そんな混沌とした空間のなか、子鬼の踏み台に腰掛けたレギオーは未だかつて抱いたことのない感情が胸の奥から沸き上がってくるのを実感していた。
「この怪物のつがいですか。まあ、性別的に間違ってはいませんけどね」
苦笑いをしながらも、何やら嬉しそうにそう呟くレギオーであった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
レギオーは男の娘