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No.28390の一覧
[0] [習作]Steins;Madoka (Steins;Gate × まどか☆マギカ)[かっこう](2012/11/14 00:27)
[1] 世界線x.xxxxxx[かっこう](2011/06/17 21:12)
[2] 世界線0.091015→x.091015 ①[かっこう](2011/06/18 01:20)
[3] 世界線0.091015→x.091015 ②[かっこう](2011/06/28 21:37)
[4] 世界線0.091015→x.091015 ③[かっこう](2011/06/22 03:15)
[5] 世界線x.091015 「巴マミ」①[かっこう](2011/07/01 13:56)
[6] 世界線x.091015 「巴マミ」②[かっこう](2011/07/02 00:00)
[7] 世界線x.091015 「暁美ほむら」[かっこう](2011/08/12 02:35)
[8] 世界線x.091015 「休み時間」[かっこう](2011/07/10 22:08)
[9] 世界線x.091015 魔女と正義の味方と魔法少女①[かっこう](2011/07/19 07:43)
[10] 世界線x.091015 魔女と正義の味方と魔法少女②[かっこう](2011/07/26 14:17)
[11] 世界線x.091015 魔女と正義の味方と魔法少女③[かっこう](2011/08/12 02:04)
[12] 世界線x.091015 魔女と正義の味方と魔法少女④[かっこう](2011/09/08 01:26)
[13] 世界線x.091015→χ世界線0.091015 「ユウリ」[かっこう](2011/09/08 01:29)
[14] 世界線x.091015→χ世界線0.091015 「休憩」[かっこう](2011/09/22 23:53)
[15] χ世界線0.091015「魔法少女」[かっこう](2011/10/29 00:06)
[16] χ世界線0.091015 「キュウべえ」 注;読み飛ばし推奨 独自考察有り[かっこう](2011/10/15 13:51)
[17] χ世界線0.091015 「アトラクタフィールド」[かっこう](2011/11/18 00:25)
[18] χ世界線0.091015 「最初の分岐点」[かっこう](2011/12/09 22:13)
[19] episodeⅠ χ世界線0.409431「通り過ぎた世界線」①[かっこう](2012/01/10 13:57)
[20] episodeⅠ χ世界線0.409431「通り過ぎた世界線」②[かっこう](2011/12/18 22:44)
[21] episodeⅠ χ世界線0.409431「通り過ぎた世界線」③[かっこう](2012/01/14 00:58)
[22] episodeⅠ χ世界線0.409431「通り過ぎた世界線」④[かっこう](2012/03/02 18:32)
[23] episodeⅠ χ世界線0.409431「通り過ぎた世界線」⑤[かっこう](2012/03/02 19:08)
[24] episodeⅠ χ世界線0.409431「通り過ぎた世界線」⑥[かっこう](2012/05/08 15:21)
[25] episodeⅠ χ世界線0.409431「通り過ぎた世界線」⑦[かっこう](2012/05/10 23:33)
[26] χ世界線0.091015 「どうしてこうなった 前半」[かっこう](2012/06/07 20:57)
[27] χ世界線0.091015 「どうしてこうなった 後半1」[かっこう](2012/08/28 00:00)
[28] χ世界線0.091015 「どうしてこうなった 後編2」[かっこう](2012/11/14 00:47)
[29] χ世界線0.091015 「分岐点2」[かっこう](2013/01/26 00:36)
[30] χ世界線0.091015「■■■■■」[かっこう](2013/05/31 23:47)
[31] χ世界戦0.091015 「オペレーション・フミトビョルグ」[かっこう](2013/12/06 00:16)
[32] χ世界戦0.091015 「会合 加速」[かっこう](2014/05/05 11:10)
[33] χ世界線3.406288 『妄想トリガー;佐倉杏子編』[かっこう](2012/08/06 22:26)
[34] χ世界線3.406288 『妄想トリガー;暴走小町編』[かっこう](2013/04/19 01:12)
[35] χ世界線3.406288 『妄想トリガー;暴走小町編』2[かっこう](2013/07/30 00:00)
[36] χ世界線3.406288 『妄想トリガー;巴マミ編』[かっこう](2014/05/05 11:11)
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[28390] χ世界線3.406288 『妄想トリガー;巴マミ編』
Name: かっこう◆a17de4e9 ID:57be8a05 前を表示する / 次を表示する
Date: 2014/05/05 11:11




真っ暗な見滝原の街のど真中、交差点の中心で一人の魔法少女が叫ぶ。
また、仲間の反応が一つ消えてしまった。

「おいおい嘘だろ畜生ッ」

普通に考えて、在りえない。

「ふざけやがって・・・・・デタラメすぎんだろーが!」

赤の魔法少女佐倉杏子は現状に対し強い不快感を隠さない。声を大にして叫ぶ。
手に持つ赤い槍を大きく振って鎖による多重結界を展開、さらに地面から無数の槍を召喚し己に有利なフィールドを創り上げる。
杏子を中心に球状に広がっていく鎖はチェーンソーのように触れたコンクリートの壁や道路を切り刻み、地面から生えた槍は一斉に矛先をただ一点へ向けて銃弾の如く発射された。

「・・・」

それに対し、杏子の正面にいた少女は焦ることなく身を晒したまま突っ立っていた。
鎖にも槍にも杏子の本気の魔力が宿っている。手加減抜きの冗談無し、直撃すれば間違いなく殺せる必殺の攻撃。
高速で回転しながら接近する鎖は回避を後ろにしか許さず、槍が鎖の回転の穴を埋めるように隙間から発射される面と点の攻撃、シンプル故に強力で、シンプルだからこそ攻略法が少ない。

それを少女は片手を前に突き出すだけで攻略した。

バチュンッ

少女の足元から昇った光が鎖も、槍も、その攻撃の最中自らも跳び込んで放った渾身の一撃すら―――弾き返された杏子は舌打ちした。

「チッ」

奥歯が砕けそうなほど口を噛みしめる。力の差が有りすぎる。こんな事が在っていいのか?感情の強さが魔力を強化する以上、気分一つで魔法への影響が絶大になるのは知っている。しかしだからと言ってコレはありえない。
相対者の強さは知っている。本気の本気で戦ったなら自分はきっと勝てないだろう・・・しかしだ、絶対ではない。十回に一回、いや今なら三回や四回やれば一回は勝てるかもしれない。

「オオッ!!」

光の壁が消えた瞬間に槍を高速で叩き込む。突き、薙ぎ、叩き、刺し、打つ――――時に槍を多節根へと変えて連撃の速度を上げ、幻惑魔法で刃を増やして迎撃のタイミングをずらそうともした。

ガガガガガガンッッ!!

全て捌かれる。元は攻撃手段がないと言ってもいい魔法少女だったのに、今も攻撃の要は遠距離による射撃なのに自分の近接戦闘についてくる。
コレと言った魔法を使用せず、ただ武装を盾に槍を受け止め、体術のみで魔法によって現実離れした動きをするこちらの攻撃を捌き切る。
むしろ押し返してくる。最初から防御ではなく迎撃だった動きが徐々に前へと出てくる。それは攻撃だ。

「単純ゆえに強靭で、単純だからこそ柔軟、そこに視覚をわずかに狂わす幻惑魔法。高速近接戦闘で使われれば確かに脅威だわ――――でもね」

ガンッ

多節根と鎖を同時に弾かれた勢いで両腕が上へと打ち上げられ――――

「私にはもう貴女の魔法は通じない」

ヒュガッ!と周囲の鎖が少女を捕縛しようと一気に迫るが、少女が右腕で持っていた銀色のマスケット銃を回転させれば周囲の鎖を絡め取り――――ドン!とマスケット銃ごと地面へと縫い付ける。
流れるような動きで左手で持っていた銃を突きつけられても、杏子は反応出来なかった。

ズドン!

バスケットボールを無防備にお腹に喰らったかのような感触、貫通はしていない。弾丸はゴム弾のように粘りがあり重い。口から内臓が跳び出しそうな衝撃なのに後方へはぶっ飛ばない、その場に膝から崩れ落ちる。
絶妙な調整をされた威力。意識が跳んでいないのが不思議だ。気絶した方が断然マシな気分の悪さだが、上から聴こえた声に杏子は意地でも気を失う事を拒否する。

「貴女の魔法だからこそ通じない」

意味は判る。長年の付き合いだ。こちらの癖や行動予測はある程度できると言いたいのだろう。そして腹立たしいことに、完全に読まれている。
一度は教えを請いた身、それに再会してからも隣で一緒に鍛え上げた魔法だ。ならば仕方がない。

だが―――癇に障る。

「なめてんじゃッ、ねぇ!」
「舐めてないわ」

左腕に持っていたマスケット銃に黄色のリボンが巻き付き、光が灯った瞬間には銃身には厚みがあった。形が変わっている。中身が違っている。
細身の長銃から三連結された銃身。弾丸が新たに込められたのはもちろん、今さっき受けたモノより威力が過剰に込められているのは明白だ。
大人の男ですら持ち上げるのには苦労するであろうそれを、少女は視線を杏子に向けたまま片手で軽々と――――天へと向けた。

「――――ッ」

杏子は冷や汗を流した。そして叫ぶ。

「駄目ださやか!」
「上空からの奇襲、35点」
「うわぁ!!?」

黄金の輝きが銃から放たれた。それは上から流星の如く振ってきた青の魔法少女美樹さやかを迎撃した。
杏子の叫びにとっさに反応、なんとか攻撃態勢から姿勢を横へと移動させたが僅かに掠ったのか、さやかはキリ揉み状に少女の後ろに落下した。鈍い音が響く、着地とは言えない落ち方。

「佐倉さんを囮にするのは関心するけど、自分が失敗した時の反応が遅すぎるわ。だから迎撃をかわせないし墜落もしちゃう」

鎖を縫い付けていた右腕に持ったマスケット銃にもリボンが巻きついて、一瞬の輝きを放てば鎖と地面を爆砕――――右腕を包み込むような大砲が少女の手にはあった。

ガキン!

それを頭上へと掲げれば衝撃音、パイルバンカーによる刺突を防ぐ。
さらに左手の銃から手を離せば小型拳銃を速攻で召喚、後頭部を蹴りつけようとした足先を受け止める。

「両サイドからの追撃に――――」

ドスッ

少女の胸から三本の暗い爪が生えた。背中から貫かれた。

「死角からの攻撃」
「うぇ!?」
「ハァ!?」
「ゲッ!?」

キュイ――――

飛鳥ユウリ、杏里あいり、呉キリカ、三人の魔法少女によるタイミングをずらした死角からの攻撃を受けた少女はその真の姿を表す―――リボンの塊だ。
全身が一気にリボンへと変わる。人の輪郭は失われユウリのパイルを受け止めた大砲も、あいりの蹴りを止めた小型拳銃も、背中からキリカに貫かれた少女自身も全てリボンへと変質した。
一瞬の刹那に彼女達が見たのは、解けていくリボンの塊の中心で輝く魔力の爆弾だった。

「40点」

――――ドカン!

爆発を中心に五人の魔法少女達が円状に吹っ飛ばされていき、爆発した跡地に無傷の少女が空から降り立つ。
何処に、いつのまに囮に変わっていたのかまるで見当もつかない。
しかしその瞬間までは『観えていた』。

「オラクルレイ!」
「ディスパーションショット!」

ビルの五階ほどの位置にある窓ガラスを内側から突き破り、二人の魔法少女が上空から挟撃する。既に攻撃準備は整っている。
白い魔法少女の美国織莉子は自分の周囲を旋回している宝玉と、他のビルや自動販売機、植木鉢や下水道、信号機の裏などに設置していた宝玉全てに突撃命令を下す。
桜色の魔法少女鹿目まどかは五本の矢を速攻で放つ。それぞれがジグザグに雷の如く宙の軌跡を刻んでいく。一撃が百撃する魔法を五本同時にだ。


「バロットラ マギカ エドゥ インフィ二ータ」


宝玉と矢が全て、その絶大な効果を発揮される前に破壊された。

「え?」
「まさか!?」

今まで数多の魔女を倒してきた自分達の魔法を一瞬で駆逐した。一瞬だ。魔法を展開し発射した刹那に全てを撃ち落とされた。
宝玉も矢も、双方ともに魔力を大量に注ぎ込んでいた。生半可の魔法では破壊不能だ。しかも数は多く、それぞれが独立した起動をみせていたのに防御でも回避でもなく攻撃によって防がれた。おまけに――――

「トッカ・スピラーレ」
「「!」」

少女の両手から黄色のリボンが螺旋を描きながら二人に向かって放たれる。リボンとはいえコレは攻撃魔法だ。肉体を貫くには十分な強度と速度を内包している。
織莉子は宝玉を足元に創りだし蹴って跳躍、リボンを回避した。しかしまどかは正面からドリル状の魔法を受けてしまう。

「あっ!?」

バシュン!

リボンはまどかの体を貫く事はなかったが、リボンは瞬時にまどかを拘束する。

「ふあ!?」

瞬きする暇もない。拘束され空中で身動きの取れないまどかは地面へと叩きつけられた。

「あゥッ」
「この―――」
「予知能力者を相手に戦う時の鉄則――――織莉子さんの場合、観測させなければいい」

黄金の魔力光が世界を染める。

「―――――!?」
「チェック」

トン、と瞬時に織莉子の背中に回った少女は織莉子の頭に手を添えて軽く魔力を放つ。

「それだけで避けきれないほどの制圧射撃も、強力で巨大な一撃もいらない」

気を失った織莉子が堕ちる。

「おいおい、マジでどうしちまったんだよ・・・・・マミの奴」

織莉子が地面に激突する瞬間にリボンがネット状に広がり柔らかく受け止める様を杏子は痛む体を起こしながら見ていた。
ああ、在りえない。無茶苦茶だ。巴マミが強いのは知っていたが強すぎる。五号機の多重結界の中の見滝原で戦闘を開始して10分、半分以上のラボメンがマミ一人に敗北している。それも連携したうえで、だ。
限定状態ならマミよりも強い上条恭介も、異質な強さを誇る天王寺綯も既に戦闘不能にしている。
魔法の源は感情で、魔力の質は気持ち一つで大きく変動する。だから魔法少女の力がたった1日、たった数時間、ただ一瞬で化け物になることも・・・前例がないわけではない。
だけどそれにしたって限度はあるだろう。限界はあるだろう。
因果を捻じ曲げる魔法少女だけど、それはあくまで契約時だ。摂理に反する力を行使する最大の瞬間は魔法少女になった瞬間だ。無限の可能性を秘めている魔法の使い手でも、魔法少女になった後には許容できる、内包できる奇跡には限度がある。
今の巴マミはそれを超えているのではないか?

「だけどな」

ヂ、ヂィイイイイイ・・・・

ゼンマイが巻かれるような音が杏子の耳に届いた。

ガキン

世界の音と臭い、色が停止した。



カチン



この音が聴こえた存在は世界中で十にも満たない。停止していた時間が動き出す。
相対者の少女、巴マミからすればそれは一瞬にも満たない時間、時間と言う概念が存在しなかった間に包囲は完成されていた。
彼女視点では堕ちた織莉子を魔法で作ったリボンのネットで受け止め、残った敵に意識を傾けようとした瞬間だった。
目の前に確かにあった景色が消滅し、テレビのチャンネル操作のように今まで倒してきた魔法少女が全員―――前から後ろから右から左から、そして上からも攻撃態勢を既に完了している状態、そんな世界に切り替わっていた。

「いくそマ―――!」
「暁美さんの魔法は確かにすごいけど、だからこそ警戒しないわけがないでしょう」

それでも慌てない。前後左右に加え頭上まで抑えられていながら精神的怯みを見せない。観えない。
それを誰よりも先に実感したのは未来視を持つ織莉子ではなく、マミを上から攻撃しようと空高く跳んでいた杏子だった。
ゾゾッ、と背中越しに圧を感じる。ヂリヂリと産毛を焼くような何かを宙にいる自分よりもさらに上、高くて遠い上空からそれはくる。

「度重なる囮と連撃、迎撃した私が自分から倒した彼女を介抱した瞬間に時間停止による包囲、だけど――――足りないわ」
「ぁ――――」
「80点」

上から下へ、マミが指先を動かせば空から雲を突き破って黄金の雨がマミを取り囲んでいた者達に降り注ぐ。

ズドドドンッ!!!

爆音と灼熱がマミの周囲を飾る。一瞬で包囲され、一瞬で制圧した。

女神に至れる可能性を秘めていた鹿目まどかも
時間停止という神紛いの力を得た暁美ほむらも
多様な攻撃方法を持っている杏里あいりも
回復魔法では右に出る者がいない飛鳥ユウリも
爆発力と突破力は随一の美樹さやかも
時間遅滞の魔法を駆使する呉キリカも
未来を観る事が出来る観測者美国織莉子も

たった一人の魔法少女を相手に地に伏せていく。

「後は・・・・・一人――――」

今のは完全に決まった。上空から降ってきた二十四丁のマスケット銃を翼のように背中に浮遊させ、マミは歩き出した。
これでラボメンは戦闘訓練を辞退した一人を除けばあと一人――――?

ギュィ

「―――!?」

聴こえた音に振り返る。

「油断」

振り返った先には倒れていくラボメンの姿、さやかだ。

ィイイイイイッ

しかし今の声はさやかのものではない。彼女はマミの砲撃によるダメージを受け喋れる状態ではない。
今の声はもっと幼く、しかし確かにさやかの所から聴こえてきた。

「マミおねえちゃん」

まさに油断していた。そう―――まだ彼女が残っていた。忘れてい訳じゃない。既に一度、倒していたから、それに今の天壌から砲撃で完全に“彼”以外との決着をつけたと残心を疎かにしてしまっていた。
ゆっくりと倒れていくさやかの白いマントの中、彼女は既に攻撃準備を整えていた。

「―――――――0点!」

ラボメン№08.千歳ゆま。

「インパクト!」

直撃した。




だけど

「ふぅっ、危なかった」
「・・・・え・・・?」

ラボメン最年少でありながらマミを後一歩で倒せるかもしれなかったが―――届いたが、決定打にはならなかった。
直撃と言っても、ゆまの魔力が込められたハンマーは両手のマスケット銃と背後に控えていた銃を盾に、さらに多重に巻かれたリボンの簡易アーマーによって威力の大部分を削られていた。
それでも昨日までなら多大なダメージを与えていただろう、だが今のマミには出鱈目な魔力が漲っていて強化された加護と身体能力も合わさって油断からの直撃とはいえダメージを殺し切っていた。

「・・・・えー・・・・」
「残念」
「・・・・・インチキだよマミおねえちゃん!!」
「ごめんね」

ぽこ、と小さな可愛らしい音と共にゆまはコテンと倒れたのだった。



「これで、ホントにあと一人」

マミは呼吸を整えながら倒れているラボメンから離れ疑似世界の空を見上げる。
生き物はいない無機物だけが完全再現された見滝原の中心、高層ビルが立ち並ぶこの場所からは本当の見滝原からは見えない大きな紋章が空に描かれている。
色違いの二匹の蝶が寄り添うような紋章。魔女結界とは違い悪意はないが善意もない世界。綺麗で、透明すぎて怖い世界。

―――遠くの空に、若草色の光が見えた。

「きた」

誰かを好きになる事は素晴らしい事だ。誰かを好きになる事で世界は広がる。同時に傷つく事も確かにあるが“それ”を自覚し“それ”に恋をしている間は少なからず幸いを感じる事は出来るだろう。
誰かを想う事で強くなれる。感情を力の源とする魔法少女にはうってつけの刺激だ。人は一人では生きていけない。誰かと繋がる事で世界には色と音が産まれる。誰かといる事で世界を認識できる。頑張れる。戦える。
しかし立場が“逆”の場合はどうだろうか?逆に、誰かに好意を抱かれた、向けられた場合。他人から理解不能、制御不能の“それ”を告白された時だ。
思う、考える。そんな理不尽な想いを勝手に抱かれたら?私は怖い。だから思うのだ。好意を向けられる事に恐怖を抱いた事がある人は、実は多いのではないだろうか?自分ですら制御できない“それ”を他人が向けてくる・・・・・怖いに決まっている。
それに告白してくれた人を振るのは、かなりの精神力を、気をつかう。目に見えない感情が怖い。何故と不安になる。どうしてと強張る。何を求められて何を欲されるのか。
嫌いなわけでもない相手からなら尚更だ。ただ好きでもないだけで、想われる事がただただ憂鬱へと繋がっていく。応える事ができないから。好きでもないのに応じたら――――だから、嫌だ。

傷つくのも傷つけられるのも、生きていれば普通の事だ。

そう言ったのはあの人で、きっと何度もその痛みを実感してきたのだろう。麻痺した心で、疲れ切った精神で、色褪せた感情で。
だから私は怒ったんだ。ずっとずっとただ一人を想い続け、そして成し遂げてきたあの人に怒りを抱いたんだ。

なんで、そんな貴方が簡単に私達の想いを無かった事にできるの?

貴方が想うように、私達も貴方の事を想っていた。それは恋とは違うかもしれない。愛と呼ぶに幼すぎるかもしれない。だけど本当に大切だった。
私も貴方の事が大切だった。その関係を壊したくないほど、時間を止めたいほど、大事で、傍にいたくて本当に本当に大切だった。一緒に居る時間が大好きだった。

だけど今の貴方は大嫌いだ。

私は今が本気で好きだった。大好きだった。だから許さない。許せない。悲しくて悔しくて恥ずかしくて自分の想いも『無い』ことにしたかったのに、それが絶対にできないと自覚できるほどに大切なのだ。
大事だったんだ。壊したくなかったんだ。守りたかったんだ。
“それ”なのかと、考えて触れたくて・・・だけどそれすらも躊躇われるぐらい大事だった。
私は覚えている。私は忘れない。私は離さない。

私は、この想いを隠さない。



―――諦める事は決して不幸なことではない。負けではない。逃避ではない。



何故なら懸けた時間、抱いた想いを振り払い、それを良しとするのは、それが出来るのは時に諦めず抗い続ける事よりも困難で勇気のある行為だからだ。
誰にでもできる行為ではない。自分にしかできない。己でしか決められない。
誰かを想い続ける事と、誰かに抱いた想いを枯れさせることなく捨て去る事は総じて覚悟がいる。

忘れない。ずっと憶えている岡部倫太郎はどっちだろうか?

例えその想いが自らの意思だったとしても、その想いは呪いになっていないだろうか?

足掻き続ける事と想い続ける事は誰にでもできる行為ではない。
だけど同じように縛られないために、前に進むために想いを過去にする事もまた、誰にでもできる事ではない。
捨てなかったのか、捨てきれなかったのか。岡部倫太郎、鳳凰院凶真の想いは結果的には・・・しかし、それは結果を観測できた時点での話。

その過程では?

もしできなかったら?

どっち?

私にはもう出会えない、触れ合えない、声を聞けない人を想い続けることなんかできない。だけど彦星が織姫を想うように、岡部倫太郎が牧瀬紅莉栖を想い続けるように。

私も誰かをの事を、それが届かない事を知った上で想い続けてしまったら・・・どうしよう。



―――若草色の光を纏った彼が目の前に降り立つ。





「「オープンコンバット!」」







『妄想トリガー;巴マミ編』




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生きてきた中で“最高の日”。
人生で“一番幸せな瞬間”。
絶対に“忘れられない思い出”。

多少のニュアンスの違いはあれ、その言葉が思い浮かぶ事が幾度かあったのは確かだ。
親友と出会えた日や仲直りしたとき、沢山の仲間と一緒に未来を勝ち取ったときなど、これまでの人生で何度もそのフレーズが浮かんで思い出となった。
だから、もしかしたら、きっと今日この日のことも遠い過去となり、やがて薄れて色あせてしまうかもしれない。

だけど――――

「僕と、結婚してください」

それでも、今日は最高の日になった。
それでも、人生で一番幸せな瞬間だった。

「うれしい、ありがとうっ」

震える声で、涙が零れそうになりながらも――――私は笑った。

いつの時代も、どの世界でも、女性にとってプロポーズされた事実は嬉しいものだろう。まして相手が最愛の人なら一生涯忘れられない思い出になるのではないだろうか。
雰囲気のいいレストランで、いつもより高いワインと料理に舌鼓を打って、もしかしたらという期待を抱いて、それが現実になって私は世界で一番幸せ者だと感じた。
正面に座る彼が用意していたリングは私のセンスにもバッチリで、左手の薬指に通されたそれを私は滲んだ風景の中で誇らしげに掲げた。

「お式は洋風?それとも―――」
「両方でも、それにどんな式を挙げても君は綺麗だろうね」

身近な人達にも伝えなければならない。準備も覚悟も挨拶も沢山あって課題は山積みだ。
しかしそれらを苦労とは思わない、ただただ幸福感で笑みが止まらない。食事はこれまで食べてきた中で最高においしいと感じて、正面の彼と顔を合わせて言葉を交わせばそれだけで未来に期待が持てた。
そして夢想する。いつか、と幼い頃に抱いていた夢を。
もう、と両親を失った時には諦めかけた夢を。
式を挙げている情景を、周りに祝福され、彼に愛されながら真っ白な衣装に身を包む自分を。
きっと嬉し泣きしている自分を優しく見つめて、同じように真っ白な衣装に身を包んだ最愛の人が―――


―――マミ


「―――ぁ」


『白い姿』。それはいつも白衣に袖を通すあの人のトレードマーク。


―――君は、みんなから愛されているよ


『白い姿』で思い浮かべてしまったのは将来の自分ではなく、白い衣装を着こなす友人でもなく、正面にいる最愛の人でもない。

「―――――――」

このとき、私は不意に気づいてしまった。
このとき、私は絶対に気づいてはいけなかった。

本当に、今日は最高の日だった。
本心から、人生で一番幸せな瞬間だった。

それなのに、そうだったはずなのに終わってしまった。
最悪な日にも、最低な瞬間にもなってしまったのだ。


どうして今日の、この瞬間に気づいてしまったのだろう。











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中学生の頃、よく耳にする噂の類の一つに

「オカリンってさ、マミさんのこと“好き”だよね?」

と、いうのがある。
時期が卒業を控えた三年生というのも手伝ってか、この手の話題は盛り上がりやすく興味も持たれやすい。立場が逆なら自分も積極的に参加したい話題の一つだ。
当事者である私自身に直接向けられないこの質問に対し答えるのは、受け答えができるのはいつも彼だ。この話題は彼のモノだからだ。

「“大好き”だが?」

あっさりと、いつも彼はそう答える。照れず、悩まず、詰まらず、躊躇いも焦りも見せずに問うてきた相手に隠さずに伝える。
彼の名前は倫太郎、岡部倫太郎。白衣を纏い梳かされた黒髪には花柄のヘアピン。同じクラスの男の子で一時は同じ屋根の下で一緒に生活していた中学三年生。血の繋がりはない他人の彼、友達と呼ぶにはやや込み入った事情を抱える少年。
学生の身でありながら未来ガジェット研究所を設立し、私達にとっての秘密基地兼憩いの場をあっけなく産み出した狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真を自称する優しい人。

「ふーん」

ラボのソファーに寝そべりながら新聞を読んでいる彼のそのすぐ傍で、組んだ腕を枕にしながらテーブルで頬を膨らませているのは最近髪形をツインテールからポニーテールに変えた少女だ。
鹿目さん、鹿目まどか。一つ年下の可愛い後輩の一人。小さくて愛らしい女の子、最初の頃は引っ込み思案で自分に自信が持てない子だったが、今ではラボ内きっての意思の強さを持って積極的に―――

「なんだ?」
「じゃあ杏子ちゃんのことは好き?」
「は?ああ、もちろん好きだよ」
「織莉子さんのことは?」
「好きさ」
「じゃあ、私のことは?」

うん、積極的になった。昔は・・・・・彼女の成長は先輩として嬉しいけどちょっぴり寂しいとも思ってしまう。この分だと頼りになる先輩でいられる時間は後僅かしか残されていないのかもしれない。
でも本当に嬉しいのだ。そんな彼女と一緒に切磋琢磨に毎日を謳歌することは楽しくて、自分と違う視点を持つ彼女が新しい発見をして、いつも私に刺激を与えてくれる。
いつの頃からか、きっとあの時からか、彼女はより笑い、前を向いて謳う。そのせいか彼女の行動、とくにこういった台詞に時折ドキッとさせられることも増えてきた。

「ラボメンはみんな、好きだよ」

彼は苦笑しながら手を伸ばす。テーブルに突っ伏している少女の髪をくしゃくしゃと撫でる手つきは優しげで、多少の誤魔化しを絡ませた答えに不満げになりながらも少女は気持ちよさそうに目を細めた。
彼も、彼女も意味深な会話の応酬に戸惑いをみせない。直接関わっているわけでもないのにドキドキしてしまった私とは大違いだ。
彼も彼女も私服姿でゆっくりしている。休日で、ラボは彼らの安息の場所なのだから当然と言えば当然なのだが、異性を相手に気を許している。心の底から、見ているだけで気が緩んでしまいそうなほどに。
ラボだから、と言うのもあるが、何よりも二人が醸し出す空気がよりいっそう緩い。ほんわかとした雰囲気を産み出している。しかし外野で見ているにもかかわらずドキマギしてしまうのは・・・きっと私だけじゃないと思う。絶対に。
最初は倫太郎が鹿目さんのことを避けていて、仲良くなれたのもラボメンの中では最後だった。だけど今はこうして手の届くくらい近い位置で過ごせている。喋って、触れて、喧嘩して、自然体で隣にいる事が出来ている。
羨ましいと、何度も思った。それは私だけじゃない、言葉にはしないが他のラボメンもきっとそうだ。彼に対しても、彼女に対しても、その関係が羨ましいと。

「知ってる。それで私のことは?」

・・・これ以上は聞いてはいけない。アコーディオンカーテンの隙間から覗く彼らの姿から目を逸らし、私は毛布を被りなおして耳を塞ぐ。
彼らはカーテンで遮られた隣の寝室のベットで横になっている私が眠っていると思いこんでいて、なのに私がまるで聞き耳を立てていることに、実際のところ盗み聞きになってしまっていることに気づいていない。

「うん?」
「だから、私のこと、どう思ってるの?」

本当に彼女はいろんな意味で強くなったと思う。面と向かって訊くことができるのだから、他の誰かではなく自分自身のことを彼に問うことができるのだから。私にはそんな勇気、ない。彼はラボメンのみんなが好きだと言っているが、だからといって自分のことをどう想っているかなんて怖くてとても訊けない。
嫌われていない、と思うことはできる。好かれている、と自惚れてもいいと思う。それを自覚できる程度には繋がっている自覚はある。でも、きっと私は私のことを彼に、いや・・・彼だけじゃない、誰にも訊けないと思う。

だから私は倫太郎のことが羨ましい。だから私は鹿目さんのことが羨ましい。好きな人に、大切な人に素直に好意を伝えきれる事が出来る彼が、彼女が心の底から羨ましい。
彼がラボメンのみんなを好いているのは既に知っているのに、欲しい答えを聴きたいのに、もしかしたら嫌われているという可能性に怯えてしまう。本当に臆病だ。

「だからラボメンはみんな好きだよ」
「・・・オカリンはいっつも誤魔化す」

見えない、聞こえるだけ。すぐ隣にいる二人のやりとりが頭の中で簡単に映像化できる。
座布団から少しだけ腰を上げた鹿目さんが不服そうに彼を半目で覗きこみ、彼はやはり苦笑しながらも鹿目さんの髪を撫でているのだろう。
いつものように。距離があったはずの二人なのに、気づけば誰よりも一緒にいるのだから不思議だ。

「正面からは言ってくれないよね」
「面と向かってそうそう言えるはずないだろう?」
「む~」
「まどか」
「なに?」

それはそうだろう。私もそうだ。それに彼は不器用に真面目だから。

「君は俺のことが好きか?」

自らのことを問うことは出来ても、“みんな”と言う囲いでなら答える事には慣れているようだけど、たった一人に対して“それ”を向ける事をしない。誤解されないように、彼なりに注意して、その言葉の大切さを理解しているから。
それでも彼の口からその言葉を訊きたいのなら間接的に、今のような偶然を装って誰かが彼に訊いてくれなければならない。それなら、それしか、彼の口から名指しからの好意を訊けない。
普段は大きな声で自信満々に演説や説明をしている肝の太い性格の癖に、“それ”に関しては物凄く奥手と言うかなんなのか、本当に分かりづらい人なのだ。
拒絶を恐れずに訊けるくせに、本心を言えるくせに、分かっているくせに誤魔化すのだ。

「えっ?う、えーと・・・・・」
「ほら、お前も面と向かって言えないだろう」

こうやって誤魔化す。いつものようにいつものやり取り。

「うん・・・・そうだね」

だからこそ鹿目さんも訊くことができるんだと思うが、やはりそれでも羨ましいと思う。

「ごめんなさい」
「いい、謝る事じゃない」

安心して、無意識での信頼があっての――――

「あっ、でも私はオカリンのこと好きだよ?」

・・・んん!?鹿目さんそれは、その答え方はどうなのだろう?

「知っている。俺もだよ、まどか」

きっと意識せずに、深く考えずに鹿目さんは口から零れてしまったのだろうが、それに対し優しく応えることのできる彼も、ほんとに何なのか。これで『恋人でも想い人でもない』と言うのだから、ほんとに、もう、だ。
恋愛感情を挟まない、含まないのは互いのことを知っていて、かつ会話の前後を思えば当然なのだろうけど、それでも本人達すらきっと不意打ち気味に発生したそれに勘違いも意識もしない。
これが別のラボメンなら違った反応があっただろう。私が鹿目さんの立場なら真っ赤になって、それこそ誤魔化すだろう。嘘じゃないけど“そう”じゃないと、必死に、一生懸命に。
上条君が倫太郎の立場なら、鹿目さんと二人揃って慌てただろう。例え互いにその台詞が恋愛ではなく親愛を語ったことだと分かっていても、照れや気恥かしさから・・・。
この二人の場合には無い。この組み合わせの場合には無い。信頼か、なんなのか、よく分からない。ただ繋がっている事は解る、共有している事は分かる。

「じゃあマミさんは?」
「もちろん“大”好きだ!・・・・・・なんだ?さっきも言ったよ、な?」

しかし彼のその答えに鹿目さんが、いやラボメンの誰だろうが動かずにはいられないだろう。私だって包まった毛布の中で声が漏れないように耐えている。
べしべしと、ペちペちと可愛らしい音が聴こえてくる。そしてやはり閉じた瞳の向こう側の光景がありありと頭の中に浮かぶ。

「なんっっっでオカリンはいつもそうなの!!」
「・・・ん?」
「『・・・ん?』―――じゃないよ!」
「いや、急にどうし―――いたた!?こらやめろまどかっ、まだ途中までしか読んでいないから―――」

バシバシと聞こえ始めた音は彼の読んでいた新聞紙が鹿目さんの攻撃に悲鳴を上げているからだろう。

「今は私がいるんだから私の相手をしてよもうっ!さっきからずっと新聞読みながら・・・ちゃんと相手の事を見ながらお話ししないと失礼だよっ」
「むぅ、新聞もタダではないのだが・・・・・・まあいい、それでなんだ突然騒ぎ出して?」

横になっていた体を起して彼は不思議そうに四つん這いの状態で攻撃してくる鹿目さんと視線を合わせるが、突然でも急でもないだろう、本気で気づいていないのか、わざとなのか、彼の態度からは判断しにくい。
それは彼と対峙している鹿目さんですら――――

「分かってるよね」

あれ・・・?

「オカリン、解って言ってるよね」

違う、の?鹿目さんは分かって、分かって、解って、判っているの?

「オカリンはマミさんが好きすぎるよっ」

ああ、だけど違う。でも違うよ鹿目さん。そんなことはない。“それ”はないよ。
近くにいて、傍にいる事が出来て、触れて支えてお喋りして喧嘩して解り合っているあなただけど、それは違う。
表面上、私のことを他の人よりも意識しているように言う彼だけど、内心の意図を暴露しているように振る舞う彼だけど、彼は私のことを特別視していない。

「ちょっ、大きな声で何を言っている隣で寝ているマミに聞こえたらどうするんだっ」
「ふんだっ・・・・・なに、問題でもあるの?」
「変に意識されて嫌われたらどうする・・・泣くぞ」
「だからなんでマミさんの時だけそんなに必死なのもうっ、マミさんの事ばかり気にして!」
「べ、別に気にしてなんかないぞっ?」

本当に“何も変わらない”。彼にとって巴マミは、私と言う存在は他の子達と何も変わらないのだ。
特別でも、例外でもない、皆と変わらず愛する同じラボメンでしかない。
そこに愛はあっても恋はない。他と同じように。
そこに親愛があっても恋慕はない。皆と変わらず。
それは嫌なじゃない、むしろ嬉しいのだ。
それは不満じゃない、むしろ安心できるのだ。
みんなと同じと言う事は、みんなが愛されているように私も愛されているから、羨ましいと思えるほどの愛情を私にも向けてくれているという事だから。
なら、と、どうして私の事に対しては分かりやすい態度をとるのか、それを深く考える意味はない。

きっと、意味などないのだ。

「ふーん、動揺しているようにみえるけど・・・」
「し、してないぞっ、ただ最近はマミの将来(アイドル化計画)について考えることが増えて気づけば事あるごとにマミの姿を探してしまうことが度々ある程度なだけであって特に深い意味はないんだ!」
「マミさんのこと大好きすぎるよね!?」
「織莉子とサプライズ計画を立てているのを知られるわけにはいかない!」
「織莉子さんまで巻き込んでるの!?」

アコーディオンカーテンの向こうから聞こえてくる音と、取っ組み合いの際に発生する振動が届くから私は焦ってしまう。解ってはいても少なからず意識されれば照れる・・・・しかし焦るのは何も会話の内容に動揺しただけはない。
焦る理由はいくつかあるが、一つに私は起きて彼らの元に行かなければならないという事だ。これだけの騒ぎ、寝たふりはもう出来ない。あえて寝たふりを続ければ不審に思われる。
この状況下で起きたくはないが、まして『どうしたの二人とも?』なんて今まさに起きましたよ、といった演技をしなければならず気が滅入るがタイミングを逃せば事態はもっと危険な、今の会話を聞かれていたと悟られないためにも起きなければならないから辛い。

「うぅ・・・」

もぞもぞと、毛布を丸めながら立ち上がり、身だしなみを心持ち整えながら私は騒がしい向こう側へ、カーテンを開けて表面上はいつものように困った顔で、内心はもっと困ったまま声をかける。

「あの、どうかしたの二人とも?」

その声に、私の声に二人は互いの腕をガッチリと組んだ状態で、力比べをしているような体制のまま顔を向ける――――そこに焦りや照れはなかった。純粋にじゃれあっているつもりなのだろう。
少女が少年を組み伏せるという一般的には稀に見ない絵面だが、犯罪性は皆無だ。事件性はありそうだが。
急な、二人にとって私の登場は予想できても突然に感じたはずだ。じゃれ合いに夢中で気づけなかったから、その態勢が年頃の男女にしては近すぎる距離だから普通は何かしらあるべきで―――

「おはようございますマミさん!」
「おはよう、マミ。少しは休めたか?」

だけど鹿目さんは笑顔を向けて、彼は年下の少女に力負けし組み敷かれたにも関わらずそれを恥じるプライドは無いようで、いつものように鹿目さんと一緒に優しい声をかけてきた。
動じない。いろんな意味で、それは共通認識からくるものだろうか?その態勢を私に見られても構わないと?いや違う、誤解されない、勘違いされないと思っている。そもそもそこに至るまでの思考が彼らの中には無い。
学校にいる時よりも断然強気な態度の鹿目さん、構図的には情けない姿を晒す倫太郎、二人はつまり私の事を許しているのだろう。曝け出せる相手として、受け入れて、受け止めて、飾らず隠さずに晒してくれる。
信頼の証明、親愛の証拠といえば聞こえはいいが、まるで家族のように接していると思えば嬉しいが、それはそれとして、ちょっとは慎んでほしいと思うこともある。
これがラボメン以外なら違う対応をとるのだろうが、相手がラボメンなら“今更”なこととして、もはや気に留める必要がないと・・・そんなことはないのに、彼らはそうだと判断している。

「騒いじゃってごめんなさい、オカリンが―――」
「休んでいたところにすまん、まどかが―――」

傍から見れば、見ている方が恥ずかしくなるような行動をとっているのに自覚が無い。

「「こっちの台詞だ(よ)!」」

その光景にも慣れてきた自分たちラボメンですら時には無糖コーヒーを求めたり気恥ずかしさを感じてしまうのだ。
しかしそんな二人の間に色恋は無い、少なくとも二人はそう言える。こんなにも仲が良いのに無いと断言する。
友情と呼ぶには違和感があり、愛情と表現するには行き過ぎで、異性だけど垣根が低い、気になるけど特別じゃない。
どんな関係だろうか。どう表現すればいいのか、私には分からない。知らないのだから解らない。

「ふふ、鹿目さんと倫太郎はいつも仲良しね」

その台詞に責任を擦り付け合う二人がピタリと動きを止めて、それは一瞬だけど、その間に二人の間に見えない意思疎通があって、息の合った二人はやはり仲良く声をハモらせる。
いつものように笑って見せる私に、先ほどまでの会話を聞いていなかった振りをする私に、私の台詞を否定しないまま、むしろキチンと受け入れ自覚することができている。
照れず隠さず飾らず偽らずに他者との関係を肯定する。疑わずに、不安を抱かぬまま自信を持つ必要性すらないほどに、自分達の関係を、私の言葉を肯定する。

「「うん、まぁ・・・」」

それを羨ましいと感じる私はなんだろうか。

「でもマミさんと私の仲には負けますけどね!」
「尤も俺とマミの間柄には劣るがな」

それが■ましいと感じる私はなんだろうか。

「「・・・」」
「えっと、ふ、二人とも?」

そんな私に気づくことなく、笑顔のまま二人は睨み合うという器用なことをやってのけると同時に行動を開始した。
バッと立ち上がった二人は私に詰め寄ると左右から手を引いてテーブルの前に座らせる。この時の息の合いようもなかなかで、彼が冷蔵庫から飲み物を取りに行けば鹿目さんがコップを準備する。
言葉も視線もいらない。自分のやるべきこと、相手のすべきことを完全に把握している無駄のない動きだった。
二人はテーブルを挟んで私の正面に並んで座り、組んだ両手の上に顎をのせる某指令のポーズ、真剣な視線が私を射抜いた。

「マミさんファンクラブ会員鹿目まどか」
「え?」
「ファンクラブ名誉会員鳳凰院凶真」
「ほぇ?」

そして聞きなれない単語を発した。

「これから私達はマミの良いところや好きなところを順番に答えていきます」
「君は我らの発言に疑惑や不満を感じたら遠慮なく言ってくれ――――全力で否定するから」

おまけに何やらイジメが発生しようとしている。

「え・・?なっ、何が始まろうとしているの!?」
「戦争です」
「己の意思を貫くための戦いだ」

そうは言うが、きっと貫けるのは私の精神だ。貫くというより砕ける感じだが。

「どれだけ私がマミさんの事を好きか、そしてオカリンに負けないぐらい仲良しなのかも証明しますね!」
「ふぅ、愚かな小娘だ。いずれマミは俺の娘となる存在・・・我が足元にも及ばぬ事を教えてやろう」

自信満々に笑顔を向ける鹿目さんと妄言を放つ彼に私は逃げるタイミングを逃してしまった。



そして―――一時間が経過した。

「マミさんはいっつも格好良くて頼りになってそれから――――!」
「心、技、体、戦闘だけではなく日ごろの生活面からも分かるようにマミは――――!」

困惑する私を無視して本気で語り始めた彼らに、まさかの一時間超過に及ぶ精神的辱めを受けた私は体中を真っ赤に火照らせテーブルに突っ伏すしかなかった。
鹿目さんも倫太郎も真面目に私の好きなところ、ここがいい、ここもいいと互いが自信を持って嬉しそうに語るから何も言えやしない。

「わ、私はそんなんじゃ―――」
「スタイルも抜群で成績も優秀、人当たりもいいし家事も完璧じゃないですか!マミさんはもっと自信を持っていいと思います!」
「君は謙遜が過ぎる。マミ、俺は君ほどよくできた女性を知らないぞ?自立した私生活に魔女退治、将来の目標に日々のケア、全てをこなしながら他人のフォローまで・・・君は本当にすごい」

それでも反論しようものなら二人がかりで説き伏せに来るのだから非常に困る。
ディベート形式に戦うはずの二人はいつしか手を取り合いながら私を誉め称え続けた。文字通り一時間以上も。

「う、ううぅ」

人一人の褒め言葉を一時間以上、それも二人がかりにも関わらず実行できるのも、反論を封殺する言葉責めも実に見事で呆れるほど関心出来るけど、愛してくれるのは本当に嬉しいけど―――限界だ。
当たり前だが人間、こんな状況を許容できるはずがない、耐えきれるはずがない。罵倒ではなく褒め言葉でも過剰に投与続ければ毒にもなる。

「も、もうやめてぇぇぇぇ」

泣きたくもなる、と言うか泣いた。

「涙目のマミさんも可愛いですよ!ねっ、オカリン!」
「まさに死角なし!まったく・・・君は恐ろしい子だ」

だけど二人は手を取り合いながら、なおも私を褒め続けた。泣き顔が可愛いと、困り顔も好きだと、何をしても、どうなっても大好きだと力説する。
どうしたらいいのだろうか?いや、そもそも何がどうなってこのような状況になった?
確か鹿目さんと倫太郎が互いに自分の方が私と仲良しだと口論しそうになって、それで――――・・・?

「――――・・・・ぁ」

私の正面で彼らは仲良く並んでいた。
・・・・・・ああ、これは、と気づいてしまったら、そうなんだと思ってしまったら一時間に及ぶ辱めを受けて火照った体から熱が消えていく。
苦笑してしまう。彼らの姿に呆れたわけではないし、負の感情に襲われたわけでもない。ただ―――

「ほんとうに、仲良しなんだから」

なんだか、自分が■■に思えた。

「「マミ(さん)には負けるけどな(ね)」」

照れていたことが、その勘違いが恥ずかしかった。

「・・・・・もう、困っちゃうなぁ」

私の事が好きだと言ってくれる彼らだけど、それが本当の事だと分かってはいるが、少しだけ悲しかった。
それを疑うなんて、それを否定する理由なんて無かったはずなのに、私は最悪な事に、最低な事に、彼らの言葉と想いを信じ切れなくなりそうだった。
だって、二人は私の事を大好きだと口にしながら並んでいた。
だって、二人は私の事を凄いと褒めながら隣にいる相手と一緒だった。
だって、二人は――――

「二人は私のこと・・・・その、好き?」

初めて訊けた私の言葉に、二人は即答する。

「大好きです!」
「大好きだよ」

嬉しい筈で、嬉しいのに。

「オカリンがまた大好きって言った!?」
「ハッ!?」

それで私は満足していたのに、それだけで幸せだったのに。

「なんでマミさんには言えるのに私には・・・・じゃなくて他のみんなには言えないの!!」
「このままではマミに避けられるっ―――――過去を改変しなくては!ほむらは何処だ!?」

どうして悲しいと感じたのだろうか。寂しいと思ってしまったのか。

「また無視するっ、なんでそこまで必至になるか説明を求めてもいいかなぁオカリン!!それに冗談でも言ったら駄目だよね今の!!」

好きな人たちに愛されて、想われて、それ以上を求めるのは傲慢だろうに。

「くっ、この世界線を無かったことにするのは些かアレだが・・・・これがシュタインズ・ゲートの選択か、世界はまだ俺に抗えというのかっ」
「何を本気で悩んでいるのオカリンのバカ!!」
「バカとはなんだっ、マミに万が一にでも避けられてみろ!もう・・・・・駄目かもしれんだろ?想像するだけで魔女化する」
「前回の世界線では大丈夫だったんでしょ!」
「毎日浄化作業の連続だったがな、いや危なかったホントに、ある意味最も危険な世界線だったな」

ああ、もう、ほんとにこの二人は悩んでいるのが虚しくなるくらい近い。

「その必死さを少しは私達にも向けてよ!」
「ああ、このままではマミを養子にする計画が・・・・・」

普段から仲良しで、喧嘩も多いけど微笑ましくて。

「~~~~もうっ!!何度も言っているけど同じ年の女の子を養子にしたいなんて変態さんだよ!」
「くそぅ、ゆまもお父さんではなくお兄ちゃんと呼ぶし・・・・・一体どこで俺の計画が崩れてしまったんだ?」
「オカリンの歪んだ愛情からだよ!」

素直に本音をぶつけて、躊躇わず踏み込んで。

「まどか助けてくれ、マミに避けられたらどうしよう・・・・今後のモチベーションに多大な影響が出るのは避けたい」
「知らない!マミさんに直接訊けばいいでしょっ」
「HAHA・・・もし嫌いとか言われたらどう責任をとるつもりだまったくっ」
「まったくって何さっ!?呆れているのはこっちだよ!」

そんな関係の二人が羨ましくて、私は思ってしまうのだ。


―――大好きです!
―――大好きだよ


暖かくて優しい、嬉しくて堪らない二人の想いに、小さな声だけど漏れてしまった。


「    」


私は、嫌な言葉を零してしまった。





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―――早く眠りたい

自宅付近の公園で私は車から降りる。

「ここで大丈夫、送ってくれてありがとう」

家まで送るよと言ってくれた彼にお礼を告げて、少しだけ一人で風に当たっていたいと理由を述べて別れた。
遠ざかる車の姿が完全に見えなくなるまで手を振って見送る。

―――考えたくない、泥のように眠って忘れてしまいたい。

そのはずなのに寒空の下、私は一人で夜の街中を歩き続ける。星を見上げれば自らの内心と違い星空は今日も綺麗に輝いていた。
大通りから逸れた道に入れば月と星、街灯と自動販売機の光だけ、周囲の建物に明かりは無く冷たい外気と相まって小さな孤独感に包まれた。
寂しいと感じて、だけど一人になりたかったのは本当で、帰れば一人なのだから途中で降りる意味は無いはずだが、今は冷たい風に当たりたかった。

「そろそろ、雪が降る頃かしら」

独り言。吐く息が白くて手袋無しの両手はポケットに入れたまま。私は唯一窓から明かりをさしている建物へ足を向ける。周囲の建物は空き家が多くて真っ暗だからその建物は目立っていた。
三階建てのテナントビル。中学三年生の頃からよく通うようになった場所。最近はあまり顔を出していない場所。私は顔を伏せたまま建物の外側にある階段を上り二階へ。明かりの点いていた三階へは絶対に行ってはいけない。

―――なぜ?

クリーム色のコートからストラップの付いた一つだけ他のとは分けられている鍵を取り出す。

―――そもそも何故、私は此処に来た?

鍵穴に差し込んで気づく、扉は、鍵は開いていた。

―――早く帰って寝るべきだ。

ノブを回せばカチャリと、簡単に『ラボ』は私を迎いいれた。

―――幸福な思い出だけを抱いて、気づいてしまった事柄をさっさと忘れてしまうべきだ。

外からは三階しか・・・いや、ボーとしていて気づかなかっただけか、または無意識に誰かがいる可能性を排除していたのか。室内に目を向ければ台所にだけ電気が点いていて、そこに居た人物と視線が合った。
上の階に住んでいる住人であり、この場所の持ち主、私にここの鍵を与えてくれた人。
コーヒーの在庫が切れたのか手元には封の開けられたインスタントコーヒーのラベルの入ったゴミが見えた。
同じ年代の異性で数年来の付き合いがある人。

―――・・・最悪だ。

今現在、私が最も会いたくなかった人だ。

「―――ん?マミか、こんばんは。それに“おかえり”」
「・・・・“ただいま”」

ここは私の自宅じゃない、それでも彼はここが私の居場所でもあるように言葉をくれて、私はそれに応える。ずっと前からそうだった。最初から、そうだった。
突然の訪問に驚くことなく私に優しく『おかえり』と言葉を投げてくれた人は、最近は顔を合わせる機会が減っていた人は、それでも私に笑顔を向けてくれた。
ここは大切な私の居場所であり、大切な人達が集う憩いの場。いつしか皆が自宅のようにくつろげる自由で気楽に過ごせるようになった古びた雑居ビル、呼び名は『ラボ』。

―――彼が居なければ、安心してくつろげただろう。

困ったとき、落ち込んだ時、相談事や悩みを抱えている時はここに足を運んでしまう。絶対的な味方がいる場所だからだ。今日はそれが裏目に出た。深夜とはいえ彼と鉢合わせする可能性があったのに気づけば来てしまっていた。
私は彼に微笑んで見せるが、それはぎこちない笑みになってはいないだろうかと、今の気持ちが伝わってしまったらどうしようかと不安になる。
帰りたい。逃げ出したい。すぐに扉を閉めて振りかえらずに駆け出したい。それが――――できると思っていた。そうすると思っていた。弱い私はきっとそうするのだろうと・・・だけど幸か不幸か、ここまで培ってきた社会人としての経験と目の前にいる彼との思い出が逃走の動作と態度を奪っていた。
嫌な気分だ。最低な気持ちだ。返し切れないほどの大恩がある彼に対してなんて失礼な想いを抱いているのか、本来なら逃げるという選択肢なんか存在しない人なのに。

「上のコーヒーをつい切らしまって、取りに来たんだ」
「やっぱり、人に任せっぱなしにしちゃダメだって忠告しておいたのに」
「いや、ほらコレは・・・な?」
「『な?』じゃないわよ。それにこんなに寒い中薄着で・・・風邪でもひいたらみんな心配するわよ」
「気をつけるよ」

肩をすくめて降参する彼に私は表面上いつも通りの会話で応える事が出来た。泣く事もなく、逃げ出す事もせずに、まるで悟られないように。
良かったと、思う。顔を合わせた瞬間に逃げ出したりしていたら彼は心配し追ってきて、それに対し私は全てをぶちまけて、全てを台無しにしてしまうかもしれなかったから。

―――つい数時間前に、気づかなければ何も変わらなかったのに。

自分で言ったように薄着のままの彼がこのままでは風邪をひいてしまうので室内に入り扉を閉める。本当は帰りたい気持ちでいっぱいだが、それでは此処に来た意味が不明で行動が不自然すぎる。
顔を合わせないようにしながら、もっと正確にいえば体がぶつからないように彼の横を通り過ぎ、バックを置いてコートとマフラーを脱いで背中を見せたまま伸びをして時間を稼ぐ。
あわよくば、用事を済ませた彼がそのまま現在の住居にしている三階へと戻る事を願って。しかし普段はデリカシーのないように振る舞う彼だが、実際には気を使える彼だけに私の雰囲気から何かを察したのか――――

「マミ」

と、優しく声をかけてくれる。

「席を外そうか?」

それとも話を聴こうか?と言外に伝えてくる。

「・・・・ちょっとだけ話、いい?」

ああ、私は自分がなんて信じがたいバカなんだと思いながら彼の方に向き直り微笑んで見せた。
どんな表情だろう?たぶん今の私はきっと困ったような、泣きそうな顔をしていると思う。きっと彼に心配をかけたくなくて、そのくせあざとくも彼の気を引こうと苦笑しているのだろう。
怖いくせに、情けないことに逃げるということすら今の私にはできないのだ。愚かにも、解りきった結末をわざわざ確認しようとしている。したくもない事を、気づかれないままで終わらせることができるのに、自ら馬鹿な事をしようとしている。
彼はちゃんと逃げ道を作ってくれたのに、強制もしていないのに、プライドか何なのか、私は彼を引きとめた。引きとめてしまった。後悔しながら、俯きながら。

「コーヒー?」
「うん。貴女と同じものでお願い」

いつも優しい彼を引きとめた。温かくていつも私やその周りの人達を最優先で考えてくれる人を、こんな気持ちのまま、何も後先を考えきれないままで。
私は周囲をそれとなく見渡す。室内には他に誰もいなくて、彼の様子から上にも誰もいないと予想した。

「・・・・・」

ふと、最愛の人にプロポーズされたばかりなのに他の男性と一緒にいるという事実が罪悪感を抱かせる。
数年前、学生時代ならまだしも、もうお互い成人しているのに。その気はなくとも良い気分ではない。無意識だったとしても嫌な気持ちは拭えない。それなのに――――

「それで夜分遅くにどうした?今日は確かデートじゃなかったのか?」

ソファーに座る彼の横に、私は並ぶように座った。

「デート、だったよ?」
「なぜ疑問形・・・何かあったのか?」

気遣い越しの言葉に、心配そうな顔を浮かべる彼と視線は合わせないまま、私は彼がいれてくれたコーヒーに口を付ける。
そして何様なのか、良くない事があったのかと心配する彼に、まるでもったいぶるような間を開けてから私は口にする。


「ううん、心配しないで―――――嬉しい事があっただけなの」



そして私は、平気で嘘をついた。






■sideB-2



高校生になってから、私も周りも色々と変わった。

「――――だから美国の奴に言っておいてよね!」

例えば対人関係。進学しても基本的に周囲は見滝原中学からの生徒が多くて劇的な変化はあまり見られなかったが、学校の外での出会いは沢山増えた。
その一人、隣で元気にしているのは浅古小巻さん。美国織莉子さんと同じ学校の彼女とお友達になれた。事情が事情なだけに出会い方はやや普通とは違うかもしれないが、こうして一緒にお出かけをしているのだから一般のそれと変わる事は無い。出会い方はどうあれ今をこうしていられるのだから。
ちなみに今の彼女は口調こそ怒っているように叫んでいるが、まるで織莉子さんの事を悪く言っているように聴こえるがそんなことはない。口調は荒く喧嘩腰な彼女だが、本人は否定し怒るが織莉子さんのことを心配し不器用ながらも忠告しているのだ。
初見では分かりにくいが彼女は優しい女の子だ。正義感もあり友達思い、不格好なまでに真っ直ぐで可愛い気の強い少女。知り合いの子達に良く似ているだけに、すぐに仲良くなれた。

「そういうのは織莉子さんに直接伝えた方がいいんじゃない?」
「言って訊くようなタマなら苦労しないわよ!」

人前でもガーッ!と感情を露わにする様子は可愛いと私は思う。感情表現豊かな子は大好きだ。
ちなみに周囲の視線が恥ずかしいと思う事は学校のクラスメイトがアレなだけに耐性が出来上がりつつあるのか、最近では余程の事が無い限り怯む事がない。

(・・・・・マズイわよね?)

たぶん、きっとそれに関しては今後考えなければならないかもしれない。

「―――しっかし、美国もあんたも“あんなの”の何処がいいわけ?」

そんな私の内心を知らぬまま、彼女は視線の先にあるお店に指を刺した。いきなりの話題切り替えにも私は動じない。慣れたものだ。彼女と出会う前からこの手の会話には。

「あんなの?」

彼女の示した場所、オープンテラスのあるカフェに一人の少年・・・否、青年がぐったりとテーブルに突っ伏しながら携帯電話を弄っていた。浅古さんの声が聴こえなかった事から解るように彼はまだこちらの存在に気づいていないようだ。ボンヤリと暇そうにしている。
浅古さんが『あんなの』と言うのも、まあダラケ具合から否定しづらいが私はそれを簡単に容認するわけにはいかない。彼が知り合いだからというのもあるが、彼はアレでいいのだから、そんな風に言ってほしくなかった。
いつも気を引き締めて、いつも難しい事を考えていて、いつも悩んでいる彼だからこそ、ああやってボンヤリ過ごしている時間は貴重で重要なのだ。何も知らずに彼の事を悪く言わないでほしい。

「小巻さん、あんなのって言っちゃダメよ」
「はぁ?人前であんなんなのに?今から私達アレと合流するのよ?ただでさえ人目を引くのに」

金髪の自分と、腰まで伸びる綺麗な黒髪の二人がオープンテラスでグータラしている何故か白衣を纏っている少年の元に行けば・・・・・確かに目立つ、目立たなくとも好奇の視線は避けられないだろう。

「えっとね」

知らないまま彼の事を悪く言わないでほしい・・・・つまり知っている私やあの子たちが後で説教するので見逃してほしい。今回は一時間ほど説教でいいだろう。

「あ、あんなのでも実は可愛いところもいっぱいあるのよっ!」
「“あんなの”とか言ってるけど・・・まあいいや、で?何処らへんが可愛いの?」

両手を振って必死にフォローしようとすれば彼女は半目ながらも一応確認しに来てくれた。よかった、大抵は速攻で否定されるから話を聴いてくれるだけでもありがたい。
そもそもこの待ち合わせは、今日の目的は彼、倫太郎と小巻さんを仲良くさせようと思って組んだのだ。フライング気味だが彼の良いところを教えても良いだろう。

「えっとね、倫太郎はあんなんだけどいつも私や織莉子さんの事を考えてくれてるのっ」

そう、彼はいつも私達の事を考えてくれる優しい人なのだ。私や織莉子さんがこうして小巻さんと友達として一緒にいられるのも彼の尽力が大きい。何も彼が命の恩人と言う訳でもないが、そうであってもおかしくはなく、彼は私達に『今』を与えてくれたのだ。
いつも見えない所で誰かを助けていることを私は知っている。気づかれぬまま、自力で解決できるように陰ながらサポートしている。それは目の前にいる小巻さんも例外ではない。
彼女のように知らないだけで、いつのまにか救われている人たちがいる。多くの人達が彼と、彼の協力者によって救われている。
日常風景だけを見れば誤解されがちだが、それだけじゃない本当の彼の事を知ってほしいと思う。きっと彼女も仲良くなれるはずだから。

「・・・・・他には?例の可愛いところとか」
「えっと・・・・・こうっ、するの」

だから彼の事を気に入ってもらえるよう可愛いところを教えてあげた。

「ぱぁっとして、はっとして、むっとして、くわっとするから!」

両手を大きく振ってどれだけ可愛いかをアピールする。

「・・・・・・・・ん?」

が、伝わらなかったようだ。

「あ、あれ?」
「いや、なに?」

おかしいと、首を傾げる。彼の可愛さを最大限に伝えきれるジェスチャーをしたがどうやら彼女には少しも伝わっていないらしい。今まで幾人もの人を虜にしてきたモノだが・・・・・彼女には実際に見せないと駄目なのだろうか?
そうなると他にどうすれば限られた僅かな時間で彼の愛らしさを伝えることができるだろうか?

「う~ん」

ムムム、と私が思案顔になっていると彼女が助け船を出してくれた。

「いやさ、あんた『ぱぁ』『はっ』『むっ』『くわっ』だけじゃ意味わかんないんだけど?」
「え?」
「え・・・って、いきなり言われてもマジで」

小巻さんは気まずそうに頬をかきながら私に忠告してくれた。抽象的すぎて、擬音だけでは理解不能だと。

「・・・・・・・・・」

ああ、あれか、“また”やってしまったと私は反省した。イメージだけが先行し言葉足りずの説明不足、自分はしっかりと伝えたと思っているが実際には手振り+擬音のみで状況を解説していなかった。
これではいけない。理解を求めるのは間違っている。キチンと話して、聞いて、確かめる。それは大切なことだと教わったのに、仲間の事になるとどうも普段の冷静さ、整理された対話術に綻びが出てしまう。
解り合う事、誤解される事、それだけで世界に可能性は拡散していく。良き事にも悪しき事にも。どちらも可能性を生んでしまうのなら、せめて本当の事を知ってほしい。例え真実が残酷でも、嘘でも何でもないモノなら、それとはいつか向き合わなければならないから。
今回の件は、真実は残酷な事でも誰かが傷つくものでもない。むしろ知る事で誰かと誰かが仲良くなれるのなら、その人たちが良い人同士なら決して間違ってはいないはずだ。

「ごめんなさい」

だから素直に謝る。その大切さを知っていて、それを実感してきてなお“また”失敗してしまったのだから。キチンと伝えきれなかった小巻さんと、キチンと伝えきれない不甲斐ない自分のせいで誤解されたままの彼に対して謝る。
この程度の事で、と思うかもしれないがそうはいかない。小さなミスが後に大きくなるから、というわけではない。私は彼を含めた『みんな』のことで妥協したくないから、こればっかりは自分を許せない。許さない。

「別にいいわよこれくらい、でも珍しいわね?あんたがそんなに必死になるなんて」

知り合ったばかりの人からすれば、そうかもしれない。しかし実は多々あるのだ。普段はしないような失敗をよく、それこそ直そうと思って意識しているがいかんせん、どうやらまだ私には制御できないらしい。
私は、私の近くにいる人たちの事が絡むと・・・・こうなる。こうなって、伝えきれないから歯痒くて悔しい。もっとちゃんとしたいのに、もう一年以上も経つのに成長というか、進歩の様子があまりみられない。
視線を遠く、未だにこちらに気づかずグータラしている彼に移せば、胸の内に飛来するのは申し訳なさと――――――

「うん。小巻さん!」

それ以上に頑張れと、自分を鼓舞する気持ちが湧いてきた。

「え、なになに私なんか怒らせた!?」
「ううん、そんなことない」

嫌われても誤解されても粘って頑張って最後には解り合っていったあの背中を思い出せば勇気が湧いてくる。

「今度はちゃんと伝わるように頑張る!」
「え?あ、うん?」

少し戸惑った様子の小巻さんに私はもう一度、今度こそ伝わるように説明する。

「今から私達が倫太郎に声をかけたらね、きっと彼が――――」

倫太郎。岡部倫太郎が可愛い人だと伝わるように。小巻さんに、すぐそこでグータラしている人を好きになってもらえるように。
いつか、私がしてもらえたように。彼が誰かに、愛してもらえるように。

「――――すっごく可愛く見えるから!」

不思議そうな顔を浮かべる小巻さんに私はさっきのように抽象的な、だけどキチンと表情を加えたことで先ほどの意味不明な説明よりも“やや”伝わりやすい彼の可愛らしさを表現した。

「こう、ね?最初は『(( °ω° ))パァ』って笑顔になるのっ」

伝えきれない自分の表現不足が悔やまれるが、できるのはこれが精一杯で、だけど今まではコレで最後には伝える事ができたのだ。顔芸をするようで少しだけ恥ずかしいがこれも彼を好きになってもらうためだ。

「え、笑顔ってあいつが?」
「そうっ、カフェでケータイ片手にグータラしてよれよれの白衣を白昼堂々着ている倫太郎が!」
「・・・・この子さりげなくディスったんじゃ?」

なにやら小声で小巻さんが呟いたが私はそれを聞き流す。キチンと話して聞いて確かめる。それは大事なことだが物事はやはり臨機応変に、だ。
彼もそう言っていたからきっと大丈夫だ。言うのは決まって鹿目さんに怒られている時だが、きっと大丈夫だ。そのはずだ。

「笑顔になる理由は私達が無事に到着したからよ」
「?」
「ああ見えて心配性なの」
「うん?」

その意味を理解できない小巻さん。まあそうだろう。まさかただ“集合時間に遅れそう”なだけで心配するなんて過保護すぎる。
だけど彼はそうなのだ。今までが、これまでが辛すぎて平穏を惰性で過ごす事が出来ない。だらけているようで、気を抜いているのに考えきれる危機に対し何かしらの対策を練っている。
休んでほしいと思う。休んでいると思う。表面上はきっと休養はとれているのだろう。
しかし疲れていないだろうか?疲れていると思う。内面は自分でも把握できないところで疲弊していないだろうか?
もし彼を安心させることができるなら率先して行おう。もし、こうして無事な姿を見せるだけで彼に安らぎを与える事が出来るなら早く会いに行こう。もし、私が彼に幸福を与えることができるなら――――それはきっと私にとっての幸せにもなるだろう。

「それでね、最初は笑顔を向けてくれるんだけど・・・それに気づいて『Σ(゚д゚;)ハッ!?』ってするの」
「笑顔を向けた事に気づいて・・・・ってこと?」
「そう!倫太郎ったら身内以外には仏頂面ばっかりしているから外で笑顔を出すのを恥ずかしがっちゃって」
「へー、内弁慶みたいなもん?」
「ふふ、そんな内気なものじゃないけど、それでね?誤魔化すように一度視線を逸らしてから『( ̄へ  ̄)ムッ』って表情を強張らせてね」
「ふんふん」
「そして赤くなった顔を悟られないように怒った風を装って 『遅い!L(゚□゚ L)クワッ』  って怒鳴るの」
「・・・・・ガキじゃん、どこが可愛いの?」
「でも毎回そうなのよ?実際に見たらその可愛さがよく分かるわ」

半信半疑な彼女に証明するために私はグータラしている・・・・・いつまでもダラケテいる倫太郎に向かって両手を拡声器のようにして名前を呼んだ。

「りんたろー!」

そして私がぶんぶんと手を振りながら笑顔を向けた先で、まるで飼い主の呼び声に反応した飼い犬のようにガバッと体を起こした倫太郎は周囲を見渡し、すぐに私を見つけてくれた。
そして小巻さんに説明したとおり『(( °ω° ))パァ』っと表情を輝かせる。純粋で、無垢で、真っ直ぐな瞳は見た目よりもずっと幼い男の子に見える。

「マミ!」

ぶんぶんと、向こうもこちらに向かって手を振ってくる姿は可愛いと思う。周囲の視線を気にしない、気づけないくらい意識を向けてくれる。
うん・・・毎度のことだが、そんなに嬉しそうな顔をされると嬉しいが照れる。全然全く悪くはないが最初の頃は真っ赤になったものだ、主に顔が。今でこそ頬が少しばかり桜色に染まる程度だが、やはり人前ゆえに意識してしまうと恥ずかしい。

「っ、と」

しかし私の隣に小巻さんがいることに気づいたのか『Σ(゚д゚;)ハッ!?』と動揺したかのような表情を浮かべて、しかし一瞬後には『( ̄へ  ̄)ムッ』とした。予想通りに。いつものように、説明通りに。
となりで小巻さんが面白そうにしていた。私の言ったことがそのまんまで、文字通りゆえに可笑しいのだろう。
こうなることは分かっていたが、遅刻しそうになるとこういった反応をとってしまう彼だが、心配させてしまうことを重々承知している私だが・・・・・これが困ったことに私の楽しみになっていたりする。
趣味と言えば聞こえは悪く、それはもう悪趣味なのだろうが、彼には悪いが、知られたくないが、これは紛れもなく否定できない事実なのだ。

「遅い!」

そして彼は恥じらうように、誤魔化すように『L(゚□゚ L)クワッ』として叫んだ。

「ぶふぅっ!」

小巻さんが噴出していた。私も気づいた当初はそうだった。事前に知っていた情報と余りにも一致していて、現実と想像のギャップが皆無すぎて逆に面白い。
結果、その仕草が愛おしく感じる。その様子を見る事が出来る自分達は特別なんだと思える。誰も知らない秘密を知っているみたいでちょっと嬉しい。

「もうっ、かわいいなぁ」

倫太郎には聴こえないように、私は小さく呟いた。
小巻さんに視線を向ければ、彼女は口元を押さえながら爆笑しないように耐えている。私の呟きに同意してくれているのか、震える体でコクコクと頷いてくれる。
私の伝えたいことが伝わったんだと、彼の可愛いところを知ってもらえたんだと嬉しくなった。
自分の好きなもの、好きなこと、好きな人を同じように思ってくれる。興味を持ってもらえるのは幸いなことだ。自分が大切な人たちを想うように、同じように想ってくれている人がいるなんて素敵じゃないか。
こうやって彼のことを好いてくれる人が増えてくれると嬉しい。ましてそれが友人なら是非もない。

小巻さんが倫太郎のことを好きなって、倫太郎も小巻さんのことを――――

「ね?倫太郎って可愛いでしょ」
「まあ、うん・・・悪くないんじゃない?」

目尻に浮かんだ涙を擦りながら小巻さんは苦笑し、同意してくれた。小巻さんが軽く挨拶代わりなのか片手をヒラヒラと振れば彼は応えるように振り返した。
互いに険悪な雰囲気はない、表情も穏やかだ。きっと大丈夫だろう、再会は間違っていなくてセッティングは幸を成したと思ってもいいかもしれない。
少しは彼の役に立てただろうか?ちょっとだけでも彼に対する誤解は解けただろうか?私は彼のために何かできただろうか?
これは彼にしてみれば大きなお世話で、実はありがた迷惑かもしれない。

「うん、倫太郎は可愛いのよ」

そう考えたら嫌われるのかもしれないと不安になるけれど、こちらに向かって歩を進める彼の表情を見ればその思考は霧散した。
私と小巻さんが一緒にいる。一悶着あった小巻さんとだ。それを見て、その様子から何を悟ったのか優しい表情を浮かべているから、その安心しきった雰囲気が伝播して私の負に関する感情も思考も流されていった。

「おまたせ、遅れちゃってごめんなさい」

簡単に不安も戸惑いも吹き飛ばしてくれるから私は安心していられる。
いつも気にかけて考えてくれるから私は信頼してしまう。
どんな時もいてくれて、何があっても傍にいてくれるから頼ってしまう。

「さあ、今日は三人で一緒に楽しみましょう!」

私の思いに答えてくれて、私の想いに応えてくれる。
真っ直ぐで誠実だ。優しくて温かい人だ。
そのくせ悪者ぶって皮肉屋を気取る。

そんな友人である岡部倫太郎のことを、私は可愛いと思った。





(――――まったく、可愛いのはあんたもでしょうよ)

と、その様子を隣で観察していた小巻は心の中で苦笑した。

(『ほら言った通り可愛いでしょ!』みたいな顔、尻尾振ってる犬みたいよね)

こちらの袖を引きながら ね?ね?と同意を求めるような瞳を向ける様は、この少女の頭とお尻にゴールデンレトリバーの耳と尻尾を幻視させるには十分なものだった。
岡部倫太郎が可愛い奴だと言うマミの言葉に小巻は同意するが、楽しそうにその男に話しかけるマミは本当に可愛かった。岡部の可愛さが薄れるくらい、面白い反応を見せてくれた岡部の印象が上書きされるくらい、今のマミは愛らしかった。

(嬉しそうにしちゃって、織莉子の奴もだけど、あんな男・・・・ホントどこがいいんだか)

今のマミは自分と一緒にいる時よりも、とても女の子らしかった。






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―――考えちゃいけない

最悪だ。

―――気づいたらいけない

最低だ。

―――・・・思い出したらいけない

「嬉しいこと?」

不器用ながらも、私達は上手くやってきた。

―――忘れて無かったことにしなくちゃいけない

それとも上手くいきすぎていたのか、衝突も対立も数年の付き合いの中で数える事が出来る程度しかない。それだってちょっとした口論レベルのものばっかりだった。
喧嘩も少ない仲良しで、喧嘩してもすぐに仲直りできた。一緒に住んでいた頃は二人っきりの時間を共にしていたけど・・・だけど見えない壁があったのかもしれない。
近いから、親しいから踏み込んではいけない境界に気づき、互いを理解してるがゆえに見て見ないふりを気遣いからしてきて、結果的に“何もなかった”。

―――意識してはいけないのに

「・・・うん、嬉しいこと」
「そのわりには浮かない顔のようだが」
「それはっ、嬉しすぎて・・・・・戸惑ってるだけなの」
「・・・一応確認するが俺が聞いても大丈夫なのか?」
「もちろん聞いて、ほしい」

―――どうして今更、気づいてしまったの

彼に相談できないことなんか何もなかった。困った時は何でも相談したし頼ってきた。むいている、むいていないに関係なく、大きくても小さくても悩んだ時には相談してきた。
そこに躊躇いや葛藤はさほどなかったはずだ。信用し信頼し頼りたかったから、これまで彼には色んな事を素直に打ち明けてきた。
だけど今日、私は少しだけ躊躇ってしまった。今までになかったこと、あからさまな言葉の詰まり。それだけで私は嫌な汗をかいてしまった。悟られる事を恐れた。
彼に、岡部倫太郎には知られたくないと怖くて震えた。同時に、知ってもらいたかった。反応が観たかった。

「・・・・そういえばマミ、デートはどこに?」
「え・・?あ、えっとね―――」

一瞬のブレ、私の弱さに彼はすかさずフォローを入れてくれた。

「ドライブと食事だけだったんだけどねっ、いつもの所じゃなくてワングレードアップした感じの―――」

いつものように、どんなときも気遣い護ってくれる。

「そうか、しかし景色が一望できるということはワンアップではなく―――」
「それはね、実はそのレストランは―――」

緊張をほぐすかのように、話せるようになるまでの時間を稼げるように話題を振って合わせてくれる。
普段のデリカシー皆無の反動か、こうゆうときの彼は鋭く見逃さない。
話して、聞いて、確かめる。誤解のないように、誤解しないようにキチンとこちらの話を聞くために。

だから少しだけ困ってしまった。

(もう、逃げられないな)

私はもう、止まれない。
彼に、伝えるしかない。

「あのね、今日―――」

それは後付けで、ホントは逃げる事も出来るのに――――私の精神は耐えきれなかった。

「プロポーズ、されたの」

いつかは告げなければならないのなら、と

―――だけど

「倫太郎。私・・・・私ね、結婚するかも」

―――もしも貴方が

「・・・・・本当なのか?」

―――傷ついて、くれるなら

「マミ」

―――まだ、間に合うだろうか?


だけど、貴方は私に気づいてくれない。


「おめでとう!!なんだ本当に吉報じゃないか!」


彼は嬉しそうに声を上げた。


自分のことのように、私の幸せを喜んでいた。


本心から、結婚を祝福していてくれた。






―――ああ、馬鹿みたいだ

「・・・・・ずっと前から、判っていたのに」

後悔すると分かっていて、覚悟なんかできてなかったくせに傷つくことを選択してしまった。ふっ切るためでもなく、すっきりするためでもなく、ただ逃避からさらなる悲嘆へと。
こうなる事が分かっていて、そんなこと言ってほしくなかったくせに私は黙っている事ができなかった。
どうして今日になって気づいてしまったんだろう。もっと早く、もっと後ならどうにかできたのに・・・私達は上手くやれていたはずなのに、これからもそうであってほしかったのに、どうして、どうして今更なんだ。

「――――」

ぽす、と隣に座っている彼に体重を預ける。

「マミ?」
「・・・うん」
「どうした?やはり疲れているのか?」

夜中に二人っきりの状況でありながら警戒はもちろん期待もされない。

(当たり前よね)

結婚すると言ったばかりだ。彼に邪な思考が発生するはずがない。勘違いなんてするはずがない
一緒に住んでいた時もそうだった。出会ったときから彼は何も変わらない。私に向ける想いは変わらずに、色あせることなく彼は私を愛し続けてくれた。
恋慕はなく、親兄妹友人知人に向ける親愛だけを捧げ続けてくれた。いつも笑ってくれた。手をつないで抱きしめてくれた。いつだって愛をくれた。

「おめでとうマミ。それで式はいつ頃の予定だ?」

『女』として認識されるはずがない。

「他のみんなには?確実に予定を開けるためにも事前の準備を・・・・・ああ、君のドレス姿は楽しみだなっ」

そんなの、私だって同じだ。私も彼と同じだった。



私はいつまでも貴方と、同じでいたかった。







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彼が私の相談に乗ってくれたように、私も彼の相談に乗った事は多々ある。
その中の一つ、たった一度だけ彼が主体になった恋愛関係のモノがあった。

「気づいていたんだ」

その時の彼は自己嫌悪で吐くように言葉を吐きだした。

「俺は誰かを本気で愛せないんじゃないかって、そう思う」

視線を合わせないまま、疲れた雰囲気を隠せないほど落ち込んでいた。

「俺にはもう“それ”は無理なんだろうなって」


苦笑する姿は、自虐する発言をする人は泣いていないのに――――泣きじゃくっているように見えた。

もう、自分は本当に終わっていると、岡部倫太郎は達観してしまっていた。





大学生の頃、『彼の失恋』を慰めたことがある。

「・・・・・倫太郎?」

その日、いつものようにラボへ向かえば外に放置してあるベンチで彼が呆けていた。

「・・・・ん?ああ、マミ。大学はもう終わったのか?早いな」
「もう夕方よ。それと風邪ひいちゃうから中に入った方がいいんじゃない?」

サクサクと踏みしめることができる雪道から分かるように今は冷える季節、厚手のコートとマフラーを付けているからといっても頭に雪が積もるまで茫然としていては不味いだろう。
傘を刺した逆の手で彼の頭の上に乗っかっている雪をぱっぱと払い落とし、彼を室内へと催促しつつも彼の隣に腰を下ろした。

(っ、冷たい)

ベンチは融けた雪で若干濡れていた。傘を彼と私の中間に差して苦し紛れの防寒対策を行うがお尻の方は諦めるしかないようだ。

「・・・マミ?俺はもう少し頭を冷やしたいから―――」
「付き合うわ」
「・・・」
「迷惑?」
「いや・・・・・助かる。ありがとう」

弱々しく礼を言うその姿に何とかしなくちゃと思った。同時に嬉しさを感じたのは決して勘違いじゃない。私は誤魔化さない。いつも護ってくれた人だから、いつも一人で背負ってしまうお人好しだから、どんな内容かは分からないけど精一杯出来るだけのことをしてあげようと思った。
何度も助けてきておいて何も受け取ろうとしない人だから、普段から頼ってくれないからこうゆうときは不謹慎ながら嬉しかったりする。彼に頼られている、求められていると、そう思えるから。
彼に恩を返せるなら少しずつでも、微々たることでも力になりたいと、きっと周りにいる誰もが思っているはずだ。それだけのことを“されてきた”。

「頼み、いや相談というかなんというか――――」
「承るわ」
「・・・まだ内容は話してない」
「何でもいいわよ?」

本当に、彼の力になれるなら際限なく惜しみなく力になりたい。

「・・・・・・・」

だけど

「?」
「・・・・どうしようか悩んでる」
「悩んでるって、なにを?」
「相談すべきか」
「・・・・・・・してくれるんじゃないの?」

踏み込ませない。

「いや、これはその・・・個人的すぎてどうだろうかと、君にはいつも頼ってばかりだし・・・」
「個人的相談以外の相談って逆に難しいわよ。だいたい普段から貴方は誰にも頼らないじゃないの」
「そう、か?君には常日頃世話になっている気がするが」
「なら今日もそうしなさい」

彼は自分一人で全てを解決できると自惚れてはいない。だけど自分一人の力で解決できれば最善だと、傲慢にもそう考えている。
頼る事を知っている。その大切さを身に染みて経験してきたはずだ。だから彼は無理せず周囲と協力して私達の抱える問題を幾つも解決に導いてきた。彼は確かに頼るし相談もしてくれる。無理せず無茶せず良好な関係を構築しつつ問題を解決していく、最後にはみんなが手を繋げていられるように。
だけど彼は自分自身のこととなると、自分だけの問題になると口を閉ざす。私達が関わらない問題に関しては一人で対処しようとする。私たち以外の誰かにしか・・・私達には頼ってくれない。
自分自身の問題だからと、私達を関わらせてくれないのだ。

「たまには私にも、貴方を助けさせて」
「うん?」
「自覚ないのね」

だから積極的に攻める。
いつだって助けてくれた人を助けるために。
その重みを一緒に背負えるのなら。
軽くできるのなら。

「たまにも何も、だから君には――――」

でもこの人はいつもそれに気づいてくれないから、気づいていても関わらせないから強引に踏み込む。

「そうじゃなくてっ」

困惑し、ようやく顔をこちらに向けてきたから言い訳と戯言を吐く唇に指先を当てて無理矢理にでも台詞を閉ざす。

「私は、倫太郎の力になりたいのっ」

正直な気持ちを乗せて喋れば彼はキョトンとした表情で私を見つめ返して――――そして笑ってくれた。

「だからいつだって、頼ってくれると嬉しいわ」

こちらを馬鹿にした失笑ではなく、呆れた苦笑でもない、安心したような優しい笑顔だった。
暖かくて柔らかい、私の好きな表情だ。
口元に添えられた指先を、彼は右手で包み込むようにしてそっと唇から離す。

「ありがとう、マミ」
「どういたしまして」

勇気を出したかいはあったみたいだ。声は裏返ってしまったが最後まで台詞を吐き出したのは間違いじゃなかったようだ。力になれるだけでなく笑顔も見る事が出来た。目に見えて落ち込んでいた彼の表情からそれを引き出せたのだから。

彼のこの笑顔を見たのは久々かもしれない。

最近は顔を合わせる事も減ってしまったのでいっそう嬉しく思う。高校生になってからも付き合いは変わらないが中学生の時と比べればやるべきことが多くて時間が取れない事がややある。
結果的に彼を含めたラボメンとは――――高校生活にまだ不慣れだからかもしれないが・・・・・きっともうすぐ今の生活にも適応できて以前のように皆と一緒にいられるだろう。

「いつも世話をかける」
「そんなことないわ」

昔はこの笑顔をよく向けられていたのに、今では滅多に見る事が出来なくなっていた。
それは私生活の変化によって時間を取られていたのもあるが、何よりも彼があの人に―――――ああ、そうだ。


倫太郎に恋人ができてからは、ほとんど独占されていたから。


(独占なんて、嫌な表現。なにも、誰も悪くないのに)

顔を合わせる機会が減ったのは何も私だけが原因じゃない。生活の変化から時間を取られてしまった私だが、彼は文字通り人付き合いから時間の大半をあの人に捧げた。
岡部倫太郎には過去に一人、現在に一人、恋人がいて、いるのだ。仲間内から『愛することはあっても恋はしない』がキャッチフレーズな彼にも恋人と呼べる相手が過去に居たのだ。そして今現在も居るのだ。
過去、高校に進学したばかりの頃に鹿目さんの紹介で二週間ほど付き合っていた子が居た。
そして今現在、誰の紹介でもなく彼自身から求めた人がいて、一月前にその人と晴れて結ばれた。
どこにもいかないと思っていた岡部倫太郎には、誰のモノにもならない鳳凰院凶真には、自分達のことを最優先にしてきた彼には今――――恋人がいるのだ。

(きっと幸いなこと、彼が幸せなら私達も嬉しい・・・)

それは良いことだと、喜ばしいことだと思っている。当初は意外に思って困惑もしたが彼が誰かと恋仲になること、それは何かを間違えているわけでもないし反対する理由もない。
そもそも愛しても恋はしない、できないと思われていた彼にもまだそういう感情が残っていたのだと、恋人ができたことを歓迎し祝福してあげるべきだろう。それが仲間、友達というものだ。

(びっくりはしたけどね)

交際の報告を受けた時は私を含め最初は誰も信じなかった。彼自身から告げられた言葉を鵜呑みにする身内はいなかった。誰もが倫太郎もこの手の冗談を言うんだと、たいして面白くもない、むしろつまらない事を言っていると―――――本気で相手にしなかった。
倫太郎に気になる異性がいるという事実は少なからず皆が知っていたが、その相手との年の差が割とあったのと相手はあまり乗り気じゃない様子もあり、振られることはあっても結ばれることはないと高をくくっていたのだ。そもそも岡部倫太郎という男に告白する気概と根性は無い、と。
が、現実はそうはいかなかった。これまで恋愛に関しては枯れて乾いて腐っていた岡部倫太郎は積極的にアピールを繰り返し、私達の知らないうちに口説いていた。口説きまくっていた。
最早別人だ。私達は驚いて、唖然とした。誰もが言葉を失い思考が停止した。そして誰もが冗談や嘘だと思い彼を問いただし、しかし返事が変わらない事に業を煮やして相手の女性に直接確かめに行く蛮行を犯し、ようやく倫太郎の言葉が嘘でも冗談でもない現実で真実だと―――――

「だがマミ、あまり勘違いされるようなことはしないでくれ」
「え?」
「君は見た目も性格も良いから心配だよ」
「?」

倫太郎が考え事をしている私を急に褒め始めたから首を傾げる。

「えっと、急に何の話?」
「君の話だ」

同時に倫太郎の彼女について考えるのをやめた。意味がない、あの人はここにいないのだから。
倫太郎が落ち込んでいる時に隣にいないのだから考えても無駄だ。今は私が居る。きっともうすぐ皆もくるから。

「俺や上条が相手なら・・・・・いや上条が相手でも駄目だと思う。鋼の精神力を持つ俺だからこそ勘違いしないのだ!」
「・・・?」
「いやだから・・・異性を相手に過度なスキンシップはどうかと、な」

右手で包んでいる私の手を彼は意味深に振って見せた。

「 ・ ・ ・ 」

彼の右手に包まれた私の手は目の前に、視線は指先へ。今の今まで異性の唇に触れていた私の指。

「ふぁ?」

あっ、と彼の言わんとしている事が分かった瞬間に顔に熱が、苦笑している彼の表情に鼓動が、包まれている感触に恥ずかしさがそれぞれ上がって昇って思考が乱れる。
自分はもしかすると、いやいやもしかしなくても自分はとんでもなく恥ずかしいマネをしたのではないだろうか?

「っ!?ぁっ、その!?」
「ああうん、悪かった。落ち着いてくれ」
「だっ、だだだだって!?」
「どうどう」
「わっ、わたしは馬じゃないわ!」

慌てふためく私を笑いながらも宥めようとしてくれた。私は恥ずかしさから顔を逸らすが駄目だ、目を閉じない限りどうやっても彼の姿が視界に入る。右手は傘を差していて、左手は彼の右手に包まれているから身動きはとれず、しかし態勢は体を横向きにして彼と正面から向き合う形になっているから恥ずかしさは収まらない。
目を閉じれば見えているとき以上に緊張してしまうから閉じる事も出来ない。顔が紅潮していくのが分かる。熱をもっていくのが自分でもわかるだけに目の前の相手からは一目瞭然で、そう思ったら、気づいてしまったからもう爆発してしまいたい。
恥ずかしくて逃げ出したいけど体が動いてくれない。オロオロと視線を逸らすばかりでベンチから立ち上がれず、傘を差した手と包まれた手は動かせず焦りと恥ずかしさが上昇を続けるばかり。

「ああ、マミはマミだ」

可笑しそうに笑うから、それでいて優しい声だから困る。恥ずかしいのに、顔を見られたくないのに隠せず、おまけに涙まで滲んできたからどうにかなってしまいそうだ。
酷い、と思った。倫太郎は何も悪くない筈だがそう思ってしまう。理不尽だろうがしょうがない。こっちは切羽詰まっているのだ。
そもそも何故に今日はそんな意地悪を言うんだ―――意地悪でもないむしろ忠告なのだろうが―――普段は言わないくせにスキンシップがどうこう言うなんて酷いじゃないか、変に意識してしまって大変だ。
昔から何も言わなかったくせに、私もみんなもそのせいで慣れてしまって最近は学校で大変な目にあっているというのに自覚がないのか、上条君もそうだが倫太郎も少しは女性陣のことを意識してほしい。

「上にいこう」
「ふぇ?」

変な声が出た!も、もう死んでしまいたい。

「冷えてきたからな、風邪でも引いたら大変だ」

そう言って手を引いて立たせてくれた。自分の意志では動けなかった腰はあっさりと、わざとやっていたんじゃないかと思えるほど簡単に、彼の助力を得れば彼が望むように動く。
倫太郎は引いてくれた手を離して傘をかわりに持ってくれた。
自由になった両手がなんだか寂しい、私は左手を右手でなんとなく包んでしまう。特に意味はない、ただ先ほどのことを思えばそのまま頭を抱えてしまいたい衝動に囚われそうで――――

「二階じゃ誰かが乱入してきそうだから三階に・・・・そういえばマミは初めてだよな?」
「えっ?あ、うんそうそう初めて、かも」

それを寸でのところで止めてくれた。

「え・・・入っていいの?」

だけど彼の言葉の意味を思えば別の問題が浮上する。

「まあ今回はちょっと聞かれると困ると言うか、いや皆にも伝えないといけないのはあるんだが・・・・」
「・・・・えっと、ほんとに倫太郎の家にお邪魔しても?」
「ああ」

その返事を受けて、今の今まであった気恥ずかしさが別の意味にモノとすり替わる。理由はもちろん話題に上がった『三階』のせいだ。この建物の三階に今からお邪魔するからだ。目の前の青年岡部倫太郎の自宅へ“初めて”招いてもらったからだ。
いや「?」マークを浮かべる気持ちは理解できる。今日まで『ラボ』で寝泊まりしたことは沢山あるし、何より一緒に住んでいたことのある女が急に何を言っているだと関係者は思うかもしれないが違うのだ。私が今から行くのは正確には『ラボ』ではない、彼の『自宅』なのだ。
『ラボ』ではなく『自宅』だ。ラボメンですらほとんど敷居を跨いでいない未知なる空間。
鹿目さんのお母さんが大家である三階建ての雑居ビル。そこを丸ごと貸し与えられているのが岡部倫太郎だ。彼はここに『未来ガジェット研究所』を設立し私達の憩いの場兼秘密基地とした。
以後、私達は頻繁にここに集まり騒いで遊んで過ごしてきた。建物の二階、主な活動場所にして唯一の生活の場、彼の寝床にして私達の第二の家、仲間全員に配られた鍵は宝物だ。出入り自由のオープンさは開放的で、何よりも大切な人たちが居てくれる場所だから嬉しかった。
通称『ラボ』。この建物全体を差しているが実際には『一階と二階部分』が“それ”なのだ。彼の自宅でありながら私達の場所でもある『大切な居場所』。
・・・・・少し前までは“そう”だった。今も変わらず大切な居場所だが彼の『自宅』ではなくなった。
彼の『自宅』は物置になっていた三階部分へと移動、お引っ越ししたのだ。そしてその引っ越した先の鍵は二階の鍵とは違い少数の者しか持っていない。『自宅』の鍵を複数人が持っていたらおかしいのが当たり前なのだが、それが普通なのだが、それでも貰えるものだと皆が思っていた。
現に二階の『ラボ』の鍵はラボメンを含めれば十人以上が所有している。しかし『自宅』となった三階の鍵は家主の彼と大家の鹿目さんのお母さん、それと――――

「ほら、いつまでもテンパってないで行くぞ」

ぽんぽんと、頭を撫でるように手を乗せられてようやく私は足を動かし始めた。今は“彼女”に関して考えるのは止めよう。
考えるべき事は他にもあるのだから。例えば私の緊張は彼に伝わっているだろうか?私がドキドキしているのに気づいていないだろうか?彼の背を追って階段を上る。建物の外側にある階段を、二階と三階の玄関と屋上へと続く階段を上る。緊張してしまう。少しだけ怖くなってしまう。
それは『岡部倫太郎の自宅に入る』からではない。それは『男の子、異性の部屋に入る』からでもない。ましてそれは『初めてお邪魔する家』だからでもモチロンない。私が緊張し怯えているのは今からお邪魔する彼の自宅が生まれた経緯のせいだ。
彼が誰もが出入りできる二階から三階へと引っ越したのはその・・・・あれだ、伏字にすべき事柄が原因で、ようするに誰もが避けて通れない生物として当然の仕組みゆえのあれやこれやが要因なのだ。
あえて文字にするならあれだ、岡部倫太郎は男の子で、若いのだ。倫太郎は高校生なのだ。意味は分かるだろうか?理解はしてもらえるだろうか?
誤解しないでほしいのは何も彼が私達女性陣に欲情してしまうから引っ越したわけではない。もしそうなら出入りを禁止、またはお泊りを禁ずればいいのだ。そもそも彼は私達に“そういう意味”での興味をまるで(失礼なことに!)感じていない。
良い意味で鋼の精神力を持つ紳士であり、悪い意味で枯れ果てている隠居人である岡部倫太郎ゆえに、その手の心配は皆無であった。その気はなく、考えもしない、完全にこちらを子供としか見ない。同じ年齢でありながら十も二十も離れているかのような扱いをする。

だがやはり彼も若い男の子、性欲はある。

勘違いしないでほしい。それが爆発しそうになったわけではない。いや近いのだが、そんなことは一度もなかった。少なくとも私が知る限りでは皆無である。
それはそれで異常だと思うが日々を運動や趣味の研究で頭を使う事で発散しているので彼的には問題は無かった。誰かの問題になりうるのかは不明だが、とにかく性欲による問題は無かったのだ。

では何が問題だったのか?

それは性欲ではなく、しかしそれと密接な関係にある・・・・あれだ・・・・【毒素】のせいだ。性欲は発散できても毒素は溜まっていく・・・らしい。
本人の意思に関係なく日々ストックされていく男の子の【毒素】は性欲と違い運動等で発散されることなく、いつか“必ず”爆発してしまう・・・・暴発だったか、詳しくは知らないが“そうゆうもの”らしい。
特に朝方は危険で本人の意思に関係なく起こり得る現らしく、そのさいに私達女性陣が寝泊まり等で居合わせた場合は大問題になる、ということで、そんなこんなで議論が続き結果、お引っ越しの話題がでたのだ。
それに気づいたのは誰だったか、その話題が出たのはいつだったか、覚えてはいるが詳しくは明記しないでおこう。なんだか、その、覚えているのは恥ずかしいと言うか誤解されそうなので何があったのかを記載しよう。



―――それはいつかのラボでの会話だ。



「ねえねえオカリン!」
「なんだ哀戦士?俺は世紀の大発明に忙しい、ゆえに急用でないのなら―――――ってぇ!?危ないから後ろから抱きつくな!!」

高校に上がって少しばかりたった頃、いつものように休日は皆で集まって何をするわけでもなく各々が勝手に過ごしている時、突然キリカさんが倫太郎の背中に飛びついた。
真後ろからの奇襲だ。ひ弱とは言わないが屈強とも言えない高校生である倫太郎は同学年の女子一人支えきれるだけの筋力とバランス能力を所有していないので

「ちょ、ちょっと!?」

不意打ちなのだから当然、倫太郎はふらついて一瞬後には倒れるだろう。だけど倒れる前に向かいにいた暁美さんが体を支える事でなんとか踏ん張る事ができたようだ。

「と、とと、すまん」

暁美さん、暁美ほむらさん。普段の彼女ならきっと支えずに避けていただろうが『岡部倫太郎記憶喪失事件』の後だからか、それとも開発中のガジェットのためか、珍しくも倒れ込む倫太郎の体を支えている。

「っ、さっさと離れなさい!」
「ぐはっ!?」

と、思いきやアッパーカット。倫太郎の顎が跳ね上がる。脳を揺さぶる攻撃は控えてほしいと思うが口にするほどじゃない。
なんだかんだ、これがいつも通りで優しいと思うから。

「え、なに!?」
「わっ?」

「おぅ」
「ぐふ」

結局倫太郎はキリカさん共々後ろ向きに倒れた。傍でカードゲームをやっていた鹿目さんと上条君がいきなり倒れ込んできた二人に驚いて悲鳴を上げる。他の皆もそれに驚いてラボ内の視線が倒れ込んだ二人に集中した。
ちなみに、そんな状況になりながらもキリカさんは倫太郎の背中にくっ付いたままだった。しっかりと首に腕を、腰に足をからめているので身動きは取れずにいて倒れた衝撃は倫太郎の分も全て彼女一人が受け止めたようだ。
まあ彼女が不用意に抱きつかなければ彼は倒れる事も暁美さんに殴られる事もなかったので何とも言えないが――――とにかく彼女は笑っていた。

「キ、キリカさん何してるんですか!?」

抱きついたまま、彼の後頭部に胸を押し付けるようにしながら。

「ふっふっふっ、まどか、私は気づいてしまったんだよ!」

鹿目さんに注意されながらもニヤニヤと笑みを浮かべながら楽しそうにしている。

「ん~?なになに楽しい事?」
「今度は何を思いついたんだこの先輩は・・・」

そこに昼食を作っていた飛鳥さんと杏里さんが身につけているエプロンで手を拭きながら近づいてきた。飛鳥ユウリさんと杏里あいりさん、別の町に住む後輩でラボでの家事を一手に引き受けいれくれる頼もしい子たち。
この二人、基本的家事能力が非常に高く私生活において倫太郎を最も助けている。また自宅もラボメンの中では遠い事もあってかラボでの寝泊まりも多い、というか休日の前日にはほぼ確実に寝泊まりセット持参でやってくるので彼女たちの私物がラボには数多く存在している。
たまに「あれ?これってヒモじゃ?」と頭を抱えている倫太郎を目撃するが下手な慰めや優しさは真実を暴くきっかけになるので見なかったことにしている。何も真実が幸いに繋がるとは限らないのだから。

「さあオカリン、お姉さんに素直に告白するんだ!」
「誰がお姉さんだ!お前のような姉は要らんからさっさと放せ!」
「おおっと、そんな強気でいいのかな?記憶喪失の時にお世話してあげた私に?」
「記憶にないっ」
「恩知らずだなぁ、それじゃあモテないよ?」
「必要ない」
「どうかな・・・・必要だよ、少なくても“対象”は」
「は?」
「求まなくても望まなくても必要なモノだと思うんだ。例えそれがキミであってもね」

対象とは“それ”の事だろうか?恋愛とか思慕とか、色恋関係の話だろうか?最近は聞かなくなっただけに皆も興味を引いたのかキリカさんへの注意はそこそこに視線と耳を傾ける。
岡部倫太郎は恋をしない。それが私達の共通認識だ。何をしても女の子との出会いに繋がる上条君には劣ってしまうが、それでも異性との繋がりは多い彼だ。その手の話題が何度も上がる彼だが彼は誰にも恋心を抱かなかった。愛しても、恋はしなかった。
私達に対しても愛情を注いでくれているが、そこに恋は芽生えなかった。上条君とは違い鈍感ではなく、きちんと応えてくれるが結ばれた子を見た事がない。
上条君は気づかない。倫太郎は受け入れない。
分かってはいるがこの手の話題には興味があるから私達は毎回この二人に振り回されることになる。それに彼らは知らないだろうが逆恨みされたことも実はある。
無駄な被害や迷惑な誤解を受けたくなければ放っておけばいい、距離をおけばいいのだが、二人が押しに弱いことを知っているだけに気になってしまう。困った事に放っておけない。

「なんだいきなり?俺には“それ”がないことは知っているだろう・・・さっさと放せ」
「はいはい、でも枯れたこと言わないでよ。せっかく若いんだからさっ」
「・・・・・・・・・・・・・・おい」
「ふふふ、この距離ってちょっとエッチだよね?」

もぞもぞと億劫そうに起き上る倫太郎に合わせるようにキリカさんも一度は離れて鹿目さんと上条君の遊んでいたカードゲームの上から移動し――――しかし何故か、今度は正面から倫太郎に抱きついた。
胡坐をかいていた倫太郎の正面から、だ。身軽さから自然に、止める間もなく腕を首に、足を腰の後ろに回すようにして抱きついた。

「ふっ、ふっ、ふっ」
「・・・・・」

挑発すように回した腕に力を込め互いの距離をさらに縮めるキリカさん。ビシッと空気が固くなり引き攣った表情を見せる倫太郎。
度々思うのだがキリカさんは積極的というか過激すぎると思う。無害な倫太郎が相手だとはいえ異性にその身を許しすぎだと思う。その気がなくとも“反応”は生理現象として起こる事があるのだから。
しかし倫太郎も倫太郎だ。露骨に迷惑そうな顔をしているが、本気でそう思っているのだろうがキリカさんは仮にも女の子だ。普段の態度や素の性格から下方修正されているが間違いなく美少女なのだ。そんな少女に抱きつかれ、少し動けばキスができる距離にありながらもその態度、いろんな意味で心配だ。
岡部倫太郎は実は男色・・・・ホ・・・・BLな人なのでは?と一部の熱烈ファ・・・・魔法少女達から期待・・・・じゃなくて疑われている。
一応、彼には異性の想い人がいるらしい。あまりにも遠くにいて二度と会えないと言っていたが、それが本当なら疑いは晴れるがいかんせん、会えない以上、確かめきれない以上可能性は残るわけで、今現在彼のBL疑惑は俄然上昇中だ。主に身内の犯行によって。

「でね、オカリン。私は気づいてしまったんだよ!」
「はぁ・・・・・もう好きにしろ」
「いいの!?」

ん~、とキスをしようとキリカさんは唇を寄せる。それを冗談だとは分かってはいるが、冗談でもやりかねないだけに倫太郎はキリカさんの顔面に手を押し付け周りの人はキリカさんの体を押さえつける準備にはいった。
前科があるだけに油断は出来ない。織莉子さんのファーストキスはこうやって奪われたのだから。ちなみに上条君は倫太郎に奪われた、私と暁美さんはキュウべぇに、美樹さんと杏里さんはゆまちゃんに・・・・・・・・なんだろうこのカオス、軽く塞ぎこみたい心境だ。

「むぎゅっ?ちょ、ちょっとオカリン女の子の顔面を鷲掴みってどんな性癖してんのさっ!」
「少なくとも顔面が悲惨な状況になっている奴には興味がないのは確かだな、さっさと離れろ俺は忙しい」
「自分でやっといて・・・・・おおっ?これがヤリ逃げってやつかな!?」

ぶすっ

「目があああああああ!?」

相変わらず容赦のない目潰しだ。倫太郎はこの辺キリカさんに容赦しない。加減はしていると思うが音が鈍いだけに心配だ。
ともあれキリカさんは床をゴロゴロと転がって部屋の隅まで移動(退避)したので自由になった倫太郎は立ち上がってずれた身なりを整え始めた。

「まったく、それで結局なんなのだ?」
「おおぅっ、オカリンってば私に対して最近厳しいんじゃないかな?他の子と比べて身体的処罰が多い気が―――」
「お前はあれだ・・・・やりやすいんだ」
「安い女だと?失礼な、人を尻軽でチョロイン扱いとは・・・・そんな月三万円でどこぞの№03の所有物になった女と一緒にしないでくれるかな!」
「言っていない。どこぞの№03のように俺が女を買う訳ないだろう」

おずおずと、上条君が手を上げて二人の話題に介入する。

「さりげなく僕の風評被害をばら撒くの止めてくれないかな?誤解だからね?あの子が勝手に言ってるだけだからね?僕は無実で――」

相変わらず話題のそれる会話だった。キリカさんの会話は本題になかなか入れないので忍耐が必要だ。
会話自体は苦行ではなく、思い返してみれば楽しいのだが第三者視点で聞いていると聞き捨てならないワードが飛び出して当初の内容を後回しにしてしまうこともしばしば。本命の話題に入れないまま終えてしまう事もある。

「恭介・・・」
「上条君・・・」
「ひぃい!?」

倫太郎と上条君が逃げ出したり倫太郎と上条君が捕まったり倫太郎と上条君が折檻されたり倫太郎と上条君が尋問されたり倫太郎と上条君が――――

「キリカ、それで?」
「いやさ、キミそろそろ限界だろ?私は常々そう思っていたんだ」
「うん?」
「そう思って、だけどもう一年以上だ。もし私の勘違いだったなら心の底から同情するよ。本当に枯れているんだからね」

話を戻そう。閑話休題で会話再開だ。
上条君は美樹さんと志筑さんに連れて行かれたのでリタイヤ。二人の会話に耳を傾けるのは私を含めラボに残っている六人、全員で八人の人間が狭い室内で危険かもしれない話題に集中している。
彼女は何を話そうとしているのだろうか、“それ”は訊いては駄目なモノじゃないのか?

「限界・・・とは何の事だ」
「限界は限界さ、文字通り」

器用に機敏にキリカさんは転がっていた体制から胡坐をいて床に座る。座ったままでは距離がるとはいえ倫太郎に見下される形になる。

「・・・・・」

それに対し彼はそれを嫌がるようにキリカさんに手を伸ばす。へらっ、と彼女は笑いながらその手を取った。
倫太郎は基本的に(子供扱いもあるのだろうが)視線を合わせて会話してくれる。特に正面を向きあっての会話ではそうだ。本人は意識しているのかしていないのか、話をするときは必ず相手の近くによる、または傍に来るように促す。
癖なのかどうかはあまり気にしない。だってそれが岡部倫太郎なのだから。私達はもちろんキリカさんも知っているはずだ。それを承知でキリカさんは動かなかった。床に胡坐をかいて彼が自ら近づいてくるように仕掛けた。

「キリカ、分かるように言ってくれ」

差しだされた手に摑まって体を起こしたキリカさんは―――やはり彼に抱きついた。
何故だろう。どうしてだろう。先ほどの冗談やからかいを感じない。抱きしめるその姿は倫太郎のことを想っていた。
そう観えた。そう感じた。慰めるように、癒すように、優しく背に手を回す。

「・・・・・でも、みんなの前で言ってもいいのかなぁ」

口調は軽いが、そこに不真面目な印象は感じられない。

「・・・・・」
「じゃあ・・・もう一度訊くよ。キミは限界だ。それを一人で抱え込んでいたんじゃないのかい?誤魔化さなくてもいい、本当のことを教えてよ。それを一番実感しているのはキミだ。キミの事なんだからね」
「・・・キリカ」
「正直に教えてほしい。これは私達も無関係ではいられないんだから」

何の話だろう。いったい何に気づいて何の話をしているのか、先ほどまで会った雰囲気は霧散し緊張に近い張りつめた雰囲気になってきた。あまり聞きたくない。それが本音だが確かめたいという気持ちもあって私は動けなかった。何も言えなかった。
私だけじゃない。周りにいる皆もキリカさんの言葉の続きを待っていた。黙って、腕を組んで、意味深に耳を傾ける。
『限界』。何が“そう”なのか、彼の何が、だからどうなのか、“そう”だとしたらどうなってしまうのか、それが怖くて仕方がない。
普段はふわふわしているキリカさんが真剣な表情をしている。『私達も無関係ではいられない』と言っただけに嫌な予感が膨れ上がる。

「ねぇ」
「なんだ」

深く、真剣に真っ直ぐにキリカさんは倫太郎を見つめながら重々しく口を開く。キリカ。呉キリカ。ごく稀に物事の本質を、他人の悩みを、簡単に越えられない境界に踏み込んでいく少女。
気づきたくない事に気づき、訊けない事を訊いて、見たくない事を確認し、忘れていい事を無かったことにしない。絶対に譲れないモノを持っている強い少女。岡部倫太郎に認められた女の子。
そんな子が恐れずに彼に問う。私達ならきっと直接は問う事が出来ない何かを。私は怖い。彼女が何に気づいたのかは分からないが倫太郎の危惧している“それ”だった場合―――――彼はここから居なくなってしまうんじゃないかと、私達を置いてある日、突然、あっさりと姿を消してしまうんじゃないかと・・・・。

だから誰も訊けなかったのに、キリカさんは踏み込んでしまった。

止める事は出来ない。資格がない。だってキリカさん以外の全員は目を逸らし続けてきたから。いつかは訊かなければならない、訪ねなければならない、確かめなければならないモノだった。
例えそれが彼との決別の始まりになろうとも、無かったことにすればそれこそ全てを失ってしまうのに、分かっていながら何もしなかった以上、私達には誰もキリカさんを止めきれない。
訊きたいのは、確かだから。でも自分の言葉が原因で今ある関係が壊れてしまう可能性が、変わってしまう可能性があるから、私達はそれが怖くて口を閉ざしてきた。
自分じゃない誰かが、と勝手に期待して、間違ってしまった場合それを背負いきれないがために。

「私だけじゃない、他の子も気づいているよ」

やめて!と、それ以上は言わないでと叫びそうになり、それでも何も言えない自分が嫌いになりそうだった。嫌になりそうだった。嫌な役目を誰かにやらせている。
怖くて自分から問う事は出来ないくせに、だから他の人が訊いてくれた事に安心しておいて、それが原因で倫太郎がいなくなったらどうするんだと、彼に気づいていた事をばらさないでと、心のどこかで身勝手にキリカさんを責めようとしている。
ああ・・・自覚させられる。自分が嫌な子だと、外見、上っ面を取り繕う卑しい奴だと。強がって頼りにされたくて、だけどボロを出してしまうのを何よりも恐れている臆病で情けない奴だと卑屈になってしまう。
いつも肝心なときに大切なことができないのだ。必要な行動をとれない、重要な言葉が思いつかない、いつも誰かが代わりにその役を担う。


「オカリン――――――岡部倫太郎、キミは限界だったんだ。でもだからと言って私達に頼るわけにはいかなかった」


また、今日も私は踏み込めなかった。
また、彼との距離を縮めることはできなかった。
また、誰かに押し付けて、奪われたと馬鹿な事を思った。
また、何もせず、何も言えなかった。
また、見ているだけで全てを任せてしまった。
また、嫌われたくないから伝えきれなかった。

私は、どうしてこんなにも臆病なんだろう。

「正直に話してよ、きっと私達は――――少なくとも私はキミの力になれるよ」

私は、どうしてこんなにも弱いのだろう。

「・・・キリカ、気持ちはありがたいが―――」
「拒否ったらキスするよ」

距離を置こうとする彼にキリカさんはさらに踏み込んだ。両手で彼の顔を挟んで顔を近づける。
その姿に羨ましいと、確かに私は感じた。物理的にじゃない何かを確かに縮めきれた彼女が羨ましかった。

「ん~ッ」
「ええいやめんかっ」

顔をホールドしていた両腕を惜しまれる事もなく、あっさりと解除されたキリカさんは再び顔面を彼に鷲掴みにされる。
が、それでもその表情には笑みがあった。キリカさんにも、倫太郎にも。

「まったく、お前はいつも――――」

それはそうだろう。だって倫太郎の口調には呆れたようなニュアンスは含まれているが、その表情には嬉しそうな笑みが有った。
時に人はプライバシーを考慮しない接触を、遠慮のない問いを、加減しない踏み込みを歓迎する。

「―――」

ああ、と思う。もし勇気を出していれば、私でもその表情を引き出せる事が出来たのかなと、いつものように後悔する。
いつも助けてくれる彼の力になりたいと思っていた。いつも背負ってくれるその肩の荷を下ろせるような人物になりたかった。いつも何かを抱え込んでいるから癒してあげたかった。

「それで、なんだ」

それをできる機会を、それができる機会をまた逃してしまった。

「答えてくれるのかい?」
「特別だ・・・・・応えよう」

力になりたいと思いながら、慰めることのできる大人になりたいと思いながら、いつものように何もしてあげられなかった。
キリカさんのように、私は何も―――



「じゃあ訊くよ――――――――オカリンさ、私達には内緒で外に女がいるでしょう!!それもエロい関係の!!!」






あ、何もしないでいいみたい。

「オカリンそれって誰のこと!!」
「まどか落ち着けッ、そんな者はいな―――」
「倫君また?昨日の今日って恭介と同じじゃん、見損なうな~」
「あいつと一緒にするな!だから―――」
「はぁ、上条恭介もアレだけど、男ってクズしかいないのね」
「ほむほむ貴様ッ」
「おい!二度としないって私に誓ったよな!」
「ちょっと待てあいりっ、君まで俺を・・・・・っていやいや落ち着けお前達!嘘に決まっているだろうが冷静になれっ!まったくいつも簡単に騙されおってからに・・・・いいかげん話を最後まで聞く俺のような器の大きな人間に成長しろ!」

やれやれと、結局いつものキリカさんだったから倫太郎は安心して、冷静になれたようだ。
幻滅し激高し始めたラボメンに余裕を持って対応する。いつものやり取り、いつもの人間関係、彼はニヒルに笑って見せた。


「ちなみに昨日、ゆまちゃん同じクラスの男子生徒に告白されたんだって」
「何だと!?許さんぶっ潰してやる!!」
「えー↓」
「「「冷静になれ、器が知れる」」」

いつも通りのキリカさんと、みんなの様子に安心した。

何も変わらない、そう思いこもうとしている自分が、目を逸らし続ける自分がやっぱり嫌いだった。

「ねぇ先輩、なんで倫君に女がいると思ったの?」
「ん?だってラボって臭くないじゃん」
「・・・・・・・・・何の話だ?」
「いやだってオカリン、性欲は発散できても【毒素】はどうしようもないでしょ?」
「「「「「ぶっ!!?」」」」」
「ここがイカ臭かった事なんか一度もないし、だから外で発散してるんだなぁって」

真顔でNGワードを解き放つキリカさんに戦慄した。恐ろしい、異性を相手になんたる爆弾発言。別に二人っきりでもないのに、周りには私達もいると言うのに彼女には恥じらい及びその他が無いのか。
その距離で、そんな態度で、この状況でなんということを言うのだ。年頃の女の子が簡単に出していい単語ではない、恥じらいが欠如しているわけでもないだろうに躊躇いがない。
一瞬、彼女の発言は自分が聴き間違えてしまったと思いこもうとしたが―――

「おまっ、お前は何を言っているんだ!?」
「いや真面目な話でさ、キミは溜まった【毒素】を意図的に・・・・ようするにオナ――――!」

ここ、未来ガジェット研究所で、憩いの場である大切な私達の居場所で、キリカさんは致命的な単語を紡ごうとした。


「――――――キリカァアアアアアアアアアア!!!」
「へぶはッ!?」


その時メゴッ!とキリカさんの名前を呼ぶ叫び声と一緒に外から鉄球のようなモノが飛んできて彼女の横顔に直撃した。
ここは『ラボ』。二階だ。いまの剛速球が外、一階の所から放たれた物なら、その投手はかなりの腕前だ。

ズダダダダダダダダ!!!

と階段を駆け上ってくる音にビクリと体を震わせる一同、ラボの閉ざされている玄関の扉を破壊するかの如く開け放ったのは腰まで伸びる亜麻色の髪、上品なノースリーブシャツにミニスカート姿の美国織莉子さんだった。
かなりレアな姿に普段なら写メの一つ、記念に残しておきたかったが残念なことにそんな余裕が無かった。
綺麗と言う言葉は彼女にピッタリで、可愛いと言う言葉も彼女にはよく馴染む。最近では格好良い姿と愛らしい姿を良く見せてくれるそんな彼女は現在、半泣き状態で半死状態のキリカさんに―――追撃の一撃を叩きこんだ。

「キリカッ・・・・あなたって子は!こ、こここんな場所でなんて破廉恥な――――!」
「ごふぅ!!?げほッ・・・・って織莉子?あれ、外まで聞こえてた?」
「 き・こ・え・て・ま・し・た !」
「ふむん」
「キリカ!」
「でもでも織莉子、オカリンにも言ったけど真面目な話だから」
「どこがですか!!」
「かなり危機的状況だよ?オカリン的にね。あ、男の子的にかな?」

かなり怒っている織莉子さんに、いつもなら土下座して許しをこうのにキリカさんは口を閉じない。己の弁を続ける。

「だってさ、オカリンの意思はどうあれ生理現象なんだから回避しようがない」

キリカさんにとってこれは間の抜けた会話ではないらしい。真面目に、真剣らしい。変に意識している私達には・・・・いや、これは変に意識もするだろう。
ともあれ彼女は続ける。倫太郎も織莉子さんも内容が内容なだけにキリカさんを止めようとするが――――

「言ったよね。私達にも関係があるって、このままじゃ事故るよ?オカリンだってそれは防ぎたいでしょ?いいや、防ぎたいはずだ。絶対に。キミはそうすべきであり、キミならそうする」

キリカさんは断言した。

「私達の知っている岡部倫太郎ならそうする」
「・・・?」

あまりにも堂々と宣言するものだから二人は抑え込もうとする手を止めてしまう。
なにかあるのではないかと、本当に危機が迫っているのではないかと、話は脱線したけど本来の話は深刻なものかもしれないと、一瞬悩んだ。
キリカさんは言った。『限界』と『みんなに関係のある話』、『私達、私なら協力できる』。いつものようにキリカさんの冗談やからかいであってほしいと願うが、岡部倫太郎という人物を知っているだけに『限界』という単語には不安がよぎる、嫌な予感が浮かんでしまう。
私達は知っている。身をもって知ってしまった。彼はボロボロだ。見た目は普通の高校生だけど中身は平均的学生とはかけ離れている。肉体的にも精神的にも疲弊しきっている。日常の中では感じられない、感じる事が出来ないほどに終わっている。
それを彼が口にした事は無いけれど、今まで誰も言わなかったけど――――ずっとずっと前から知っている。

「たぶんだけど、あいりとユウリ」
「え?」
「なに?」
「それにまどか」
「はい?」

キリカさんに呼ばれ三人の後輩達が少しだけ体を固めた。

「キミ達は既に目撃している可能性が高い。それに――――マミ」

私の名前も呼ばれた。何を、私達が見たと言うのだろうか。
覚えがない・・・?それともまた見て見ぬ振りをしてしまったのか?だとしたら――――

「恩人たるキミがオカリンと住んでいたのは初期の数日だけ、だからキミは大丈夫だと思うけど、これから先は分からない」

私は彼を――――

「お、おい説明しろよ!」
「先輩。私達が倫君に何かしたっていうの?」
「違うよ」

不安そうに杏里さんが問えば、不満そうに飛鳥さんが尋ねればキリカさんはそれを否定した。

「えっと、じゃ・・・・じゃあ私ですか?私がオカリンに―――」
「もちろん違う」

鹿目さんの言葉も否定する。

「誤解しないで、キミ達は悪くない。どちらかといえばキミ達が被害者になりかねない事なんだ」
「キリカ、倫太郎さんが何かすると言うの・・・」
「いや・・・・・でもこれはオカリンの意思でどうこう出来るもんじゃない」

その言葉に嫌な汗が背中を撫でる。岡部倫太郎は諦めない人だ。鳳凰院凶真はやり遂げる人だ。
それを知っているキリカさんが『できない』と言った。彼の異常とも呼べる執念をまじかで見てきたキリカさんが、そう言った。
想像できる範囲でのあらゆる困難を、思考を越える絶望を撥ね退けてきた彼でも不可能だと彼女は言うのだ。

「キリカ・・・君は一体なにを言おうとしている」
「言うのはキミだよ。鳳凰院凶真、キミは悪くないけど――――キミが原因なんだから」
「俺から・・・」
「そう、みんなもキミの口から聴きたいはずだよ」

その言葉に倫太郎は顔を伏せて何かを考えるように沈黙した。

「・・・・しかし、キリカ。それとお前の言う女とは・・・何の関係がある」

・・・そういえば『外の女』とは何だ?

「関係あるよ。私はそれが聴きたいんだからッ!だってそうじゃないとおかしいじゃないか」
「・・・・・君はいったいどこまで把握している」

皆が見守る中、倫太郎には何か思い当たる節があるのかキリカさんに尋ねた。
キリカさんと倫太郎の考えている問題が同じなら通じているのだろう。何も分かっていない、見て見ぬふりをしていた私達には分からない事を共有して。
情けないのか、悔しいのか分からない。私はやはり辿り着けないのだろうか。普段は頼りにされていると思えても肝心な時は何も出来ない。させてもらえない。当たり前だ、分かっている気になっているだけの私に相談も何もないだろう。
一緒に考える事も、悩む事も導くことも、彼の為に私は何もかもできない。






「だからさ、溜まったものは出さないとまずいでしょ?男の子って大変だよね」

できないが・・・・今回はそれでよかったかもしれない。何度目のやりとりだろうか。

「いや待てキリカ・・・・・ちょっと、確認してもいいか?」

いやほんとに確認してほしい。

「うん?なにさ?」
「お前の言う限界とは―――――ようするにその、男の生理現象の事か?それとも俺の体の特異性についてのことか?」

おずおずと、言いにくそうに小さな声で倫太郎はキリカさんに訊いた。
いつも通りのキリカさんの冗談だったならシリアス感を漂わせた間抜けになってしまう。
しかし実は真面目な話だった場合、それはそれで彼は異性の前でとんでもない勘違いをしたとして自殺するかもしれない。

「うん、特異性と言えば特異性だよ?男の子特有の生理現象の事なんだから当たり前じゃないか」

ようするに、非常に困ったことに肯定されても否定されても頭を悩ますことになる。
冷静になって考えてみれば彼は複数の異性の前で赤裸々な事実を語られていることになる。内容は誰にだってある生理現象とはいえ苦行だろう。
周りにいるのは顔見知りの者だけに後が悪い。多感な時期、年頃の異性で日々顔を合わせる間柄、それも朝昼晩関係なく一緒に過ごす相手、気心が知れていて、知りすぎているだけに衝撃的すぎる。
しかも慰めになる同性である上条君は幸か不幸かここにはいない。彼は完全にアウェーの状況で独り、その身を晒されている。

「愛戦士・・・いや、キリカ」
「ん?」
「説明しろ」

頭が痛いのかお腹が痛いのか、きっと両方だろ。倫太郎はぐったりしながら、それでももしかしたらキリカさんの話には続きがあって、『限界』とは彼の懸念する何かかもしれないと、ある意味望みを託してソファーへと座った。
織莉子さんからは同情の眼差しを、他も似たような反応だ。私も・・・私は?もしかしたら安心したのかもしれない。彼の懸念している内容じゃない事に、彼がいなくなる可能性が薄れたことに、そして・・・“私だけじゃない事に”。
倫太郎とキリカさんが解り合っていなかったことに・・・最低な事に、卑屈な事に、分かっていないのは自分だけじゃないと安堵した。
キリカさんは皆を見渡し一気に説明してくれた。顔を赤くして困ったように慌てる者、止めなければと思うものの動き出せない者、未だに良く解っていない者、顔を背ける者など反応はそれぞれだが、私を含め結局キリカさんの口を閉ざす者はいなかった。

「ほらオカリンって私たちみたいな女の子に囲われているのに性欲ないじゃん?
 でも知識が無いわけじゃない、体に異常があるわけでもない。ただ日々の運動や研究で発散しているだけだ。
 それでよかったのかもしれない。でも性欲はともかく【毒素】は溜まってしまう。
 ここまではいいよね?」

キリカさんの問いに誰も返事はしないが、沈黙は肯定と同義だとしてキリカさんは続ける。

「で、それで問題になるのが暴発だ」
「・・・暴発?」
「うん。その予兆をまどか、キミは目撃している可能性が高い」
「・・・・?」
「ラボによく寝泊まりするユウリ達にも言えるけど、キミの起こし方は大胆だかね。毛布越しの彼女達と違って致命的だ。予兆で済めばいいけど最悪の場合はちょっと、ね」
「起こし方?」
「キミは寝ている相手の毛布を剥ぎ取って起こすだろ?」
「あ、はい。ママ・・・・じゃなくてお母さんを起こす時もそうだから――・・・・・・
ふぇぁ?」
「まどか?」

そこで鹿目さんの言葉は止まる。暁美さんが声をかけるが返事は無い、その顔は徐々に赤く、口は半開きのまま姿勢は後ろに倒れそうだ。

「~~~~~!?あッ、ちが、私はッ!!?」

あわあわと、焦っているのが分かる。気づいてしまった事柄が致命的にまずい事だと、その動揺を見ているだけで私達には伝わってしまう。

「あッ、あのキリカさん!!」
「んー?」
「わ、あのその私はオカリンを起こそうとしただけで別に狙ってしたわけではなくて――――!!」
「あー、うんうんわかってるよまどか。むしろキミがびっくりしたんじゃないかな?」
「違うんです私はただ何時まで経っても起きてくれないからママにやってるみたいに起こそうとしてソファーで寝てるオカリンの毛布を剥ぎ取っただけで変な意図は微塵にも砂塵にもニッチにもマックにもマクロにもミクロにも無くて作った朝ご飯を温かいうちに食べてほしかっただけで決して狙ったわけじゃなくそもそも普段ならすぐ起きてくれるのに遅くまでよく分かんない書類作ってたオカリンにも非があるわけでむしろ合間に『カレーアイス』と『カブトガニバスター』を作って上げた私はオカリンの体調を気遣ったので許してください――――!!」
「まどか落ち着いて、何もキミを責めているわけじゃないんだ。一緒に寝食を共にしてる以上いつか起きる不可避な出来度だったんだよ・・・・・ところで『カレーアイス』ってなに?ありそうで今までにない発想の商品だよね?あと『カブトガニバスター』って攻撃力がありそうなんだけど食べ物なの?」
「オカリンごめんなさいごめんなさい見てないから私は何も見てないから嫌いにならないでワザとじゃないのホントだよ嘘じゃないよぉ!!」

キリカさんの声が届かないほど鹿目さんは必死だった。顔は真っ赤で涙目で、しきりに頭を下げて懇願する姿は何故だろう、嗜虐心を沸々と呼び起こす。既に暁美さんと飛鳥さんが鹿目さんの慌てっぷりに良い表情をし始めている。
あ、これは不味いと思いつつも下手に介入しては危険だと経験から口を閉ざしてしまう。たぶん暁美さんも混乱や戸惑いからいつものように接しようとしている。キリカさんの話す内容は多感な彼女達にはちょっと重い、だから誤魔化すというか、意識を少しでも裂きたいんだろう。
飛鳥さんは――――

「・・・・・・・ねえ、ユウリ」
「なに?一緒にまどかをからかう?」
「可哀そうだよ・・・・ねぇ、まどかはどうしてあんなに慌ててるの?」
「「「えっ?」」」

口調と見た目に反して純情少女な杏里さんに問われていた。会話の流れから原因は予想できそうなものだが彼女は未だに理解できていないらしい・・・・・乙女だ。
ある程度の知識が有れば、彼女にもその知識はあるはずだが記憶の引き出しに引っかからないあたり本当に純情だ。今も錯乱している鹿目さんを心配している。

「・・・・・知りたい?ねえ知りたいっ?」
「え?う、うん。アイツとなにか関係あるんでしょ?」

鹿目さんと同じように錯乱する事をまだ知らないあたり――――飛鳥さんの表情は嬉々として杏里さんにすり寄る。ニマニマと、モミョモミョと口元を「ω」として杏里さんが逃げださないように腕を絡めた。
内容がアレなだけに彼女の中にある杏里さん専用の嗜虐心は表に浮上してきている。たぶん暁美さん同様、飛鳥さんも意識を少しでも別に移して紛らわせたいのだろうが、完全にとばっちりなだけに杏里さんには同情する。
私と同じように彼女はこの手の話題にすこぶる弱い。ラボでの寝泊まりは多いが、それをネタにからかう相手は基本的に飛鳥さんだけ、おまけに学校は私達とは別だから知っている相手も少なく、ゆえに話題にも上がりにくい。耐性がまるで育っていないのだ。

「ふーん、あいりは倫君のことが心配でしょうがないのかなぁ~?」
「え!?」

ビクリと体を硬直させ、次いで誤魔化すように距離を置こうとするが飛鳥さんは絡めた腕に体をくっつけて放さない。

「ちがっ、違うよユウリ!」
「え~」
「ほ、ほんとだよ!ただまどかを困らせてる原因はあいつにあるんだから―――!」
「原因をあいりは知らないんでしょう」
「だからっ、そ、それを教えてってユウリに訊いたのにっ」

少しだけ涙目になっている。可愛いと思うが本気で困っているのでそろそろやめておいた方が良いだろう。拗ねた姿も可愛いが彼女は泣くほど困っているのだから。
以前、限界以上にいじられた彼女は家出(?)した。そのときの飛鳥さんの抜け殻状態は記憶に新しい。あそこまでいくと誰も幸せになれないので線引きは十分に、引き際は正確に、だけどこの手の話題のボーダーラインはあやふやだから危険。

「飛鳥さん、杏里さんも困ってるからその辺で」
「はいはーい、恍惚としたほむほむには言われたくないけどリョーカイ了解!じゃああいり―――――教えてあげるから耳、かしてね」
「え、えっと変なこと・・・しないでよ?」
「その表情と上目遣いで若干苛めたくなったけど・・・大丈夫だよ!」
「え!?――――ひゃんっ」
「ほらほら耳プリーズ!」

絡めた腕を引いて杏里さんの体を屈ませ、飛鳥さんは少しだけ桜色になっている耳元に口を近づけた。
吐息がこそばゆいのか身を少しだけ震わせた杏里さんは、それでも飛鳥さんの言葉に集中する。
きっと事態を把握したくて、置いていかれたくなくて、みんなと、そして彼を理解してくて戸惑いながらも・・・私と同じように。

「あのね、今まどかが困っているのは見ちゃったのよ」
「見てって・・・何を?」
「私達も見た事あるよ?まあ毛布越しだけどね」
「・・・・毛布?なんのこと?」
「朝、寝起き、男の子、生理現象・・・・・」
「?」
「・・・・ほんとーに、あいりは可愛いねぇ!」

ガバッと突然杏里さんの頭を胸で包むように抱きしめた飛鳥さんは、そのまま髪の毛にキスをし始めた。

「ふわぁ!?ユウリなに急に!?」
「もーっ!あいりは可愛いなってッ、純情で大好きだぞコノヤロー!」
「え、ええ?」

困惑する杏里さんの首に腕をまわした飛鳥さんは、そのまま抱きしめる力を強めてその頬に口づけをした。
真っ赤に染まる杏里さんと飛鳥さん。微笑ましくて愛らしい、その様子をもっと堪能していたいが視線を少しだけ横にすれば―――――倫太郎が顔面蒼白で震えていた。

「ちょっと待ってくれ・・・・まさか、俺は・・・・?」
「うんうん、そうそうオカリン!その様子からキミは大丈夫だと思っていたみたいだけどさすがに無理だよ。キミは若くて普段から四六時中私達と共にいる」
「いや、しかしっ」
「ラボの様子からキミは自ら発散はしていないようだ。その原因は私達にあるのかもしれない。だって“いつ、どのタイミングで私達が現れるか分かんないもんね”」
「まてキリカっ、いや待ってくださいこれはちょっとシャレにならな―――!」
「ラボメンのほとんどが女の子ってのも考えもんだけど、鍵を全員に渡したキミもなかなかだと思うよ。基本オープンオールオッケー」

同情するように倫太郎の肩に手を置いたキリカさんの表情は珍しく慈愛に満ちていた。が、彼はそれどころではないのか体の震えは次第に大きくなってきている。そろそろ救急車を呼んだ方がいいのではないかと思えるほど顔色が悪い。もしかしなくてもここまで彼が追い詰められているのは初めて見る。
ゆえに、必然的にパニックに陥っている鹿目さん以外の目は彼に集中するが、例えそれが身を心配する視線だとしても今の彼にとっては拷問に近かった。きっとこのまま世界から消えてしまいたいはずだ。冗談なしに、きっとこんな経験は今までに無かったはずだから。

「えっと、ユウリ?」
「んー・・・・倫君やばそうだねぇ、まさかここまでショックを受けるとは予想外かも」
「だからユウリっ」
「え、なに?」
「何があったの?アイツがあんなに落ち込んでるとこ・・・・見たことない」
「えーっとね、教えてあげたいのは山々なんだけど・・・・・でも言っていいのかな?」

状況が予想外だったのか、杏里さんの心の底から心配そうな問いに、さすがの飛鳥さんも少しだけ頭を悩ましていた。
つい先刻まではいかに純情な彼女に面白おかしく真実を伝えようかと・・・しかし倫太郎の精神は飛鳥さんが思う以上にダメージを受けているから彼女は悩んだ。

「ん~、あいりまで・・・・まどかみたいになっちゃったら倫君どうなるか分かんないからなー」
「ユウリ!」

そんな飛鳥さんに杏里さんは強い口調で言った。

「私なら大丈夫だよ!」

仲間思いの彼女の事だ、飛鳥さんが懸念するように自分が鹿目さんのようになったら倫太郎をさらに追い込んでしまうかもしれないと怯えているはず・・・・だけどそれ以上に、落ち込んでいる彼を放ってはおけないのだろう。
蚊帳の外でいることが、何もしないまま何も知らず何も出来ない事が嫌で、力になれないかもしれなくて、他のみんなが気づいているなか一人だけ気づけていない現状に我慢できなくて、悔しいのかもしれない。
そんな心境を理解してか、はたまた珍しく強気に詰め寄る杏里さんに圧倒されてか飛鳥さんは口を開く。

「えぁっと、うん・・・・・あのね、あいり?」
「うん!」
「キリカ先輩が、私達が見ちゃったって言っているのはね?」
「うん!」
「ようするにまあ、今倫君が落ち込んでいるのはね?」
「うん!」
「男の子の朝の生理現象なの」
「う、うん?」
「一昨日の朝のこと覚えてる?」
「お、一昨日?」
「そ、一昨日の朝」
「えっと確かいつも通りに朝ご飯をユウリと一緒に作って、それからソファーで寝てるアイツを――――――――ひぁっ!?」

その後ろで倫太郎が「ちょ、ホントやめて・・・っ」と力なく覇気なく手を伸ばしているが虫の羽の音よりも小さな懇願は届かなかった。
今になって思う。何故私達は止めきれなかったのだろうか、いかに場の雰囲気に呑まれたからといっても流石に放置はいけなかった。せめて彼が居ない所で杏里さんに教えておけば・・・・いやもっとずっと前のタイミングで話題を変えておけば未来は変えきれたのかもしれない。
もっとも変えなければ後日に大変な事故が起きたかもしれないし、やはりいつかはそうしなければならない時期が来るはずだったので絶対に間違っていたわけではないが、それでももっとやりようはあったはずで・・・・・・でもまあ、今回はどうしようもなく、どうすることもできなかった。

「そうそう、倫君の【ディソード】が【TRANS‐AM】しちゃってる場面だね」

間違いなく、誤魔化すことなく顔に赤みが差した。キリカさんと倫太郎を除く全員の顔に。
言った本人である飛鳥さんも、固まっていた織莉子さんも、我関せずを貫こうとしていた暁美さんも、そして私も――――倫太郎は死にそうな青白い顔をしていたがフォローに回れるはずが無かった。
みるみる顔を紅潮させていく杏里さんと、伝えるべき事を伝えきってスッキリした飛鳥さん。ラボ内の時間が停止したのは一瞬ですんでいたのか、今になっても分からない。とにかくそれを壊したのは二人の少女の叫び声だった。


「「きゃだぁああああああああああああああああああああああああああ!!!」」


甲高い叫び声が響いた。

「『きゃあ』+『やだ』かな?」

冷静に分析することができたのはキリカさんだけだった。

「でね、外に女が居ると私が判断したのには理由が有るんだよ」
「わあ、ようやく最初の問題に入れたけど犠牲は大きいなぁ」

キリカさんの言葉に飛鳥さんがツッコミを入れるがまさにその通りだ。室内を見渡せばかつてない混沌と化している。
鹿目さんと杏里さんはもちろんだが、暁美さんは言葉なく何故か皆に背を向けていて、織莉子さんは――――赤くなった顔を隠すように俯いているが真っ赤になっている耳が丸見えだ。

「あはは、仕方がないとはいえ災難だったね倫君」
「・・・・・・・」
「あ、あれ?倫君大丈夫?」

平気そうに振る舞うが飛鳥さんもやはり赤い、先ほどから気になっていたんだが彼女の体は震えていような気がする。実は強がっているだけで彼女も恥ずかしいのかもしれない。私が、そして彼女自身が思っている以上に。
ソファーに座っている倫太郎の前でオロオロとしている姿は稀に見ない姿、表情も余裕がないのかしょんぼり気味だ。彼女にしても今回の件はアレだったようだ。

「一人では【アプリポワゼ】はできない。っていうかしない。私達に気を使ってるのもあったのかもね、現にオカリンは一年以上そうしてきた。でもそんなオカリンにも性欲は制御できても生理現象たる【TRANS‐AM】は制御できないわけであって、つまりその先にある――――」

皆が皆、いっぱいいっぱいで大変だ。叫んだり塞ぎこんでいない者がいても心中は穏やかではない。あの倫太郎ですら言葉なく項垂れているのだ。ある意味未来ガジェット研究所ができて一番の混沌とも言える。
にも拘らず、誰もが限界だと言うのに、これ以上は求めていないと言うのにキリカさんは話を続けた。続けたも何も紛れもなく今までが逸れていただけで本命の話題に戻っただけなのだが、戻りつつあるのだが、先刻のダメージ大きすぎて余裕がない。
キリカさんの気づいたと言う疑問疑惑疑いは次回に回してほしい、それがきっとこの場にいるキリカさん以外全員の意思だと感じた。しかしキリカさんにはその思いは通じず、また誰も余裕がなかっただけに、今以上の爆弾発言を止める事は出来なかった。

「寝ている間に、それこそ起きた時には事故ったあとの祭り状態の【TRANS‐AM BURST】は我慢した分だけ起きる可能性は高まってしまうわけだ」

・・・・・絶対に日常では聞かない単語を発せられた。自宅でも学校でもラボでも魔女戦の渦中でも決して聞かない単語を。
待ってほしい。誰か彼女を止めてほしい。何故に彼女はこうも堂々とNGワードを宣言できる?

「それを解消するためにオカリンは私達には内緒で外にエッチな女の子と知り合っていると私は推理する!」
「「・・・・・・・・・・うきゅぅ」」
「まどか!?」
「あいり!?」

鹿目さんと杏里さんがオーバーフローを起こし倒れてしまった。暁美さんと飛鳥さんが二人を介抱する。

「話を最初から整理しよう。オカリンもその可能性には気づいていたはずだ。ではどうするか?【TRANS‐AM 】ならまだしも【TRANS‐AM BURST】を“見られた”日には自殺もんだ」

いや、まるで理解者のように語ってはいるが既に倫太郎は死にそうだ。キリカさんが倫太郎を殺しに来ている。
このままでは彼はあと数分もしないうちに突発的自殺をしかねないのだが、キリカさんは遠慮なく自身の予想を語る。

「もっとも、それぐらいの甲斐性(?)があればハーレムルートとは言えなくても恋人ぐらいできていてもおかしくはない。でもいない・・・では何故暴発していない?どこかで発散しているのさ!」

その理屈には肯定しかねるが、とりあえずもう口を閉じてほしい。
そう思うも私と織莉子さんはキリカさんを止めきれない。考える事は出来ても行動に移せない。赤くなった顔を上げる事が出来ないのだ。
動けなくて声も出せない。下手に何かを言おうものなら変なことを口走りそうで怖い。近くにいる倫太郎を見るのも、見られるのも恥ずかしくて何も出来ない。

「あっ、一応だけど安心してよ。たぶんだけどラボで【TRANS‐AM BURST】は“まだ”してないと思うんだ。“全然臭わないし”、だからこそ外で処理してるんだろうと思ったんだけど」

ようやく彼女がそのアッパー思考に辿り着いた経緯を知る事は出来たがほんとうに、ほんっっっっっっっとうに困る!!
安心してよと言われてもどうしろと!?もうまともに彼の姿を見ることすらできない状態だ。
鹿目さんと杏里さんは倒れ、暁美さんと飛鳥さんが内心では動揺しつつも二人を介抱しなければならずストッパーたる織莉子さんも内容がコレでは、此処まで来てしまってはどうしようもないのか俯いて震えている。倫太郎に至っては何やら遺書らしきものを書き始めていた。
散々でどうしようもない状況だ。誰かのフォローに回るだけの余力もない、逃げる事も向き合うこともできやしない展開に顔を伏せる以外の何が出来ると言うのか。
・・・・そもそも向き合うとか逃げるとはなんだ?何を考えればいいのかも分からなくなってきた。このままでは意味不明のままキリカさんに論破されてしまいかねない。
それは嫌だ。それだけは回避しなくてはいけない。真実がどうあれこのカオス空間を構築した論議(?)を認めるわけにはいかない。何か、何とか否定しなければならない。きっと皆もそう思っているはずだ。例え倫太郎が塞ぎこんでいる時点でキリカさんの予想の半分は証明している可能性が高いとしても、だ。
このままでは今まで通りの付き合いに支障がでる。少なくとも此処で絶望とか気絶とか焦っている『六人』は今後に関わるので何とかしなければならない。最悪、今後はラボに入れなくなるかもしれない。
そう、だからこそキリカさんを除いた、倫太郎を含めた『八人』全員が力を合わせて彼女の予想を―――・・・?

“八人”?

「・・・あれ、一人増えてる?」

“八人”?美樹さん達が上条君を連れて外に出て行った時点で、“キリカさんを除いた時点で既に七人いた”――――そこに織莉子さんが加わって八人だ。
キリカさんを合わせたら今現在、ラボには九人の人間がここにいる。おかしくはない、おかしくはないが――――――

「ねえねえオリコおねえちゃん」
「・・・・・え?」

くいくい、とスカートの裾を引っ張られてキョトンとする織莉子さんの視線の先に『彼女』はいた。
今の今まで発言をしていなかったので、会話の内容が内容なだけに知識が無いから黙っていたからか、また内容がアレすぎて意識が『彼女』には・・・・・失態だ!

「よく分かんないけど、大丈夫?」

織莉子さんも私も息が止まった。思考が停止した。

「おにいちゃん、すっごく落ち込んでるけど病気なの?まどかおねえちゃん達も変だし、もしかして今のお話し大変なの?」

倫太郎も、暁美さんも飛鳥さんも同様に停止した。

「みんな大丈夫?どこか痛いならゆまが治すよ!」

室内にいるメンバーは後から参加した織莉子さんも合わせて『九人』いる。

岡部倫太郎。
鹿目まどか。
暁美ほむら。
飛鳥ユウリ。
杏里あいり。
美国織莉子。
呉キリカ。
私、巴マミ。

そして――――

「あと【TRANS‐AM】とか【TRANS‐AM BURST】ってなに?」

千歳ゆま―――――まだ小学生の女の子である。


「「「「「「「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」」」」」」






はい、パニック再び。

鹿目さんがゆまちゃんの耳を塞いで暁美さんが視界を遮り杏里さんが口を閉ざして教育的立場から情報をかなり遅いだろうがゆまちゃんから汚れた外界をシャットダウン。
一方、飛鳥さんが窓を開けて倫太郎がキリカさんを打撃、よろめいた所を織莉子さんが掴んでそのまま外へと放り投げた。

いろいろと手遅れで、だからコレがきっかけになった。

誰も彼もが不思議がるゆまちゃんを誤魔化し有耶無耶にしようと必至で、誰が自分が皆が何を言ったのか全然覚えていない。
ただ混乱し錯乱した状況下で今回の件を反省して、かつ原因であるアレコレの問題を解決するために叫ぶようにして倫太郎が宣言した。
その言葉だけは覚えている。むしろ、その言葉のせいで他の全てを忘れてしまったのかもしれない。

「そもそもラボを自宅として扱っていた俺が悪い」

この時の彼は混乱から叫んでしまったのかもしれないが、その内容は私達を動揺させるには十分なものだった。

「確かにラボは重要かつ大切な場だが、この狭い空間でプライベートの確保など既に不可能だ」

その意味を瞬時に理解して、その先の台詞が容易に象像できるから「不可能なんかじゃない!」と誰かが言ったが、それはこれまではそうだっただけ、と否定された。

「現に俺はキミ達に不快な思いをさせてしまった・・・・上に立つ立場でありながらあまりにも配慮不足、情けないっ。キリカが言うようにいつかホントに最悪な場面を見せるかもしれない」

本当に悔しそうに、唇を噛みしめて吐き出された言葉は私達の心に冷たい刃を突き刺した。
ラボへの出入りを規制するとか、事前に連絡を入れるとか、きっと話し合えばどうにかできたはずなのに彼は答えを出してしまった。
提示してしまった。

それは前々から考えていた事でもあったんだろう。

だってそうでなければ彼がこんな事を言うはずがない。混乱と困惑から抜け出せない状態でも、決して。



「俺は――――ここを出て行く!!」



何を言われたのか、“何を言わせてしまったのか”、私達は誰もがその言葉を否定してほしくて次々に詰め寄った。
言葉を投げて、その腕を取って、だけど彼は決めてしまっていた。

「オ、オカリン待ってよそんなの急すぎるよ!?」
「急じゃない、前々から考えていた事だ」
「でもッ―――」
「今回の件はさすがに・・・・駄目だ」
「あ、私謝るからそんな―――」
「違う!謝るのは俺の方だ。すまない、お前にまで不快な思いをさせていたなんて思いもしなかった」

鹿目さんが泣いても、彼の意思は変わらない。

「岡部、まずは落ち着いて話を聞きなさい。これじゃ・・・・さすがに」
「ラボを無くすつもりもないし鍵も返さなくていい。ただ俺が出て行くだけだ」
「だけって、本気で言っているのあなたっ」
「ああ、もっと早く決断すべきだった」

暁美さんに非難されても動じない。

「ちょっと倫君いくらなんでも早計過ぎると思うよ!?」
「そうじゃない・・・遅すぎたんだ。本当は高校進学前にはここを離れる予定だったのに、今の暮らしに満足していて楽な道を選んでしまった。そのツケがコレだ」
「で、でもほら倫君生活能力ないし絶対餓死しちゃうから!」
「さすがにそれは――――いや、心配してくれているのは嬉しい、だけど決めたんだ」

飛鳥さんの切羽詰まった声にも折れない。

「相談も無しにいきなり言われても困ります!」
「織莉子?」
「確かに貴方の意思が最も尊重されるべきなのは当然です、でもっ・・・私達は!」
「・・・すまない」

織莉子さんが手を取って訴えるが、彼はその手を握り返さない。

「・・・・・ほんとに出て行くの?」
「ああ」
「――――っ、お前が、お前が私にここに来いって言ったのに・・・・な、なのにお前がここを出て行くのかよ!!」
「きっと、それがいい。このままじゃいけないのは分かるだろう」

杏里さんが弱々しく、だけど放さないように白衣の裾を引っ張るけど彼は考えを曲げない。

「ヤー!お兄ちゃんが此処からいなくなるのダメー!!」

ゆまちゃんが腰の飛びついて泣きじゃくっても少し躊躇っただけで、考えは覆らない。

「や~~だーーーーーー!!」

純粋な泣き声が響く。きっと外にまで漏れたこの叫びは寂れたとはいえ無人地区ではないゆえに、多くの住人の元にまで届くだろう。
わんわんと、泣き叫ぶことができるゆまちゃんが羨ましい。それだけ感情を表に出せたなら、思いを態度で示せたならどんなに良かったか。私は未だ言葉を、何も言えないでいるから。
でもきっと私が何を言っても、私が何をしても彼は変わらないのだろう。

「・・・・」

鹿目さんが泣いても、暁美さんが非難しても、飛鳥さんが困惑しても、織莉子さんが訴えても、杏里さんが引っ張っても、ゆまちゃんが飛びついても変わらないのだ。私がどうこうしたところで何も変わらない。
だから、と私は何も言えなかった。ただ茫然とショックを受けている態度をとっているだけで、言い訳を並べて何もしない。
分からなくて、怖くて何も出来ない。いつものように、大切な時に私は何も出来ない。すぐ隣で大切な人たちが困っているのに、肝心な時に私は何の力にもなれなくて逃げ道ばかり探している。言わなくていい理由を、動かなくていい理由を。
私はいつも皆に任せて傍観している。力になりたいと願っておいて、何とかしたいと祈っておいて・・・・・・私はいったいなんなんだ?

私は、いったいどうすればいい。どうしたら、皆のために生きていられる?此処にいてもいいのだと。そう、思えるようになれる?

私は、こんな私こそ此処から――――――


「いや~死ぬかと思った!しかも戻ってきたら何やら深刻そうな感じだし大変だね!」


頭から血を流しながらキリカさんが外から戻ってきた。周囲の雰囲気に呑まれることなく飄々と、倫太郎の言葉は聴こえていたはずなのに何も思う事は無いのかいつも通りだ。
この状況になった責をまるで感じない様子に、何を意味するのかをまるで悟っていない様子に非難交じりの視線を受けるが―――やはり動じない。

「ねえねえオカリン、何やらここを出る予定があるみたいだけどいいの?」
「いいも何もない。このままじゃいつか事故る。君の言う通りだ」
「ふーん、まあ言い出しっぺの私はもちろんそれには同意かな」

その言葉にキリカさんに送られていた視線の密度が増した。

「普通に考えて、目撃されたら最悪だもんね」
「ああ、そんなことになれば顔向けできない」
「ラブコメどころじゃないもん、現実は残酷でどうなるか分からない」
「事前に回避できる。今回はお手柄だぞキリカ」
「連続での名前呼びきましたー!でもオカリン、礼ならハグがいいな!」

キリカさんは冗談で言ったんだろう。

「お?」

だけど彼はいつも通りのキリカさんの冗談を真に受けて、彼女を抱きしめた。

「お、おう?」

テンパっているキリカさんに苦笑し、彼はあっさりと固まった彼女を解放し私達を見渡した。

「さて、荷物の整理でも始めるか」

私達の前で、誰もが呼びとめている最中にキリカさんを抱きしめておきながら当然のように話しかけてくる。別に何も間違っていない筈なのに裏切られたと感じてしまったのは何故だろう。
住いの移転も彼の意思が最優先だ。問題を解決のために動きだすのも当たり前だ。キリカさんを抱きしめるのも前々からあった。ただ―――私達の願いを聞き入れてくれないだけで裏切られたなどと、勝手だ。
だけど、嫌だけど駄目だけどどうしても考えてしまう。見捨てられたと、今回の件はきっかけにすぎないけれど、前々から私達の元から去りたかったんじゃないかと邪推してしまう。
・・・私が悪い。みんなはそうじゃなくても私は悪い。私は間違っている。だって一度も呼びとめていない。言葉でも態度でも示していない。伝えていない。何も、全然してない。
何してこなかったのに、だから相談もされなかっただけなのに大切なことは話してくれないと嘆く。私は気になるけど彼は気にも留めないと落ち込む。
彼にとって、岡部倫太郎にとって私、巴マミはその程度の存在なんだと――――

「でもオカリン、高校に上がって恩人と若干の距離ができちゃったのに、ここで引っ越したら今以上にできちゃうと私は思うよ?」

キリカさんがへらへらと笑いながらそう言えば、彼はキリカさんに振りかえった。「ん?」と意外そうな顔で、それが何だという顔で。

「――」

私はこのときキリカさんを恨んだ。どうしてここで私の名前を使うのかと、酷く恥ずかしくて泣きそうだった。確かにまだ私だけ意見も何もしていないけど、まるで罰のように今言わなくてもいいじゃないか。
それで何か変わるはずがないのだから、わざわざ傷つくだけじゃないか。一蹴されて無碍にされて終わり。
鹿目さんが泣いても、暁美さんが非難しても、飛鳥さんが困惑しても、織莉子さんが訴えても、杏里さんが引っ張っても、ゆまちゃんが飛びついても変わらないのだ。
だから――――

「学校でも人気あるんだから、きっと恩人に近寄る男の影が――――」
「―――中止だ!!」

一転してしまった。

「え?」
「あははは!相変わらずオカリンは恩人が好きだなー」
「そうではない・・・・そうではなくて一度皆と話しあってからと思ってな」
「それ、私達も言ったわよ」
「うむっ」
「『うむっ』じゃないよね?倫君おかしいよね?」
「まあ待て、いかに引っ越し先が上の階とはいえ直接お前達に相談しなかったのは俺の落ち度だ」
「本当ですよ!いいですか倫太郎さん、貴方は――って上!?まさか三階のことですか!?」
「え、うん」
「近!?」
「前に見た時には床一面埃だらけ・・・掃除が大変そうなんだ」
「・・・お兄ちゃん、なんでわざわざ深刻そうに言ったの?」
「深刻?・・・・・そうだったか?」
「待ってよ!じゃあ私達必死に引き止める意味なかったよね!?っていうかオカリンなんで言わなかったの!!」
「正直、既に伝えていたものかと・・・・・ミス・カナメには了承済みだったから」

先ほどまでの重い雰囲気が一掃された。駆逐されてしまった。

「いやー、それよりも恩人のことで引っ越しを中止にしようとした意図を聴きたいよねー」

さらにニヤニヤと、キリカさんが問えば―――

「そうだよオカリン!私達の時には止めなかったくせに!」
「あからさますぎでしょう」
「酷イト思ウナー、許セナイナー」
「言い訳は聞きますよ?聞くだけですけど」
「・・・・おい、正直に言えよ」
「噛むよー、思いっきり噛むよー」

皆が彼を問い詰めれば――

「だってほら・・・・・マミと今以上に距離が出来たら寂しいだろ?」
「「「「「「歯ァ食いしばれコラァァアア!!!」」」」」」




それが数年前の会話で、まだ高校生だった頃の私達だ。
彼の自宅が三階へ移る過程で、そんな酷い流れが有ったりもした。今思うと失笑ものだが当時の私達は本当に混乱していて、何よりも幼かった。
当たり前にあるモノが永遠に続くものだと、優しいゆえに失うことは絶対にないのだと勘違いしていた。
元より大所帯となりつつあるラボだったから移転する予定は大分前から決まっていたそうだが、ただその契機となった話題が話題だけに、また鍵をくれなかった腹いせから三階は『ヤリ部屋』とか『スーパー賢者タイム専用』等と比喩されることもあった。
だからか、変に意識してしまう。だってこの部屋は“それ”が起こったときも大丈夫の部屋であり、そのための部屋でもある。意識したくなくてもしてしまう。視界に映る物も、耳が捉える静寂も、個人特有の部屋の感覚も、あと・・・・・匂いとか。
また昔はプライベートが皆無であった彼の私生活そのものが反映される場所なだけに新鮮だ。ずっと一緒にいたけれど、それは多くの人達と共同で彼個人の色は何処か薄かったから。
机の上に乱雑に置かれた洋書と書きかけの論文、中途半端に畳まれてテーブルの隅に積まれている洋服、冷蔵庫に沢山張られた書き置きメモに中身が溢れそうなゴミ箱、シートの上に並べられた機械類に傍にある箪笥の上には皆で撮った写真。
こうしてみれば普通だ。意外と思える物が特に無い――――彼らしい部屋だと思った。

「あー・・・・・あったな、そんなことも」
「他の人には話せないわね」

現在彼の『自宅』で私達は昔話に困ったような苦笑を零した。

「あの時の言葉、みんなショックだったのよ?大変だったんだから」
「すまない、気が動転していて言葉足らずだったのは反省している」
「ほんとよ」

私達はソファーに並んで座り昔話に花を咲かせていた。青春特有の可笑しくてくだらない、だけど大切で輝いていた時代を懐かしみながら―――――内容はやや下ネタに溢れていたが、今は成長したから大丈夫だろう。もう子供じゃない。
出会ったのは中学生の時、そこから高校生になりその過程であった出来事を語り合っていた。印象深かったことやそうでないこと、思い出を補完し合うように。

「まさか引っ越し先が真上だなんてね」
「ミス・カナメには既に連絡は澄んでいたからつい」
「本当に驚いたのよ」
「ああ、でも本当はもっと・・・そう、理想的には高校進学前にはしておきたかった。ただ真上ってこともあってガジェットの開発やバイトを優先していた結果、見事に疎かにしてしまっていた」
「そのせいで散々な目にあったわね、お互いに」
「まったくだ」

今でこそ笑い話にできるが当時は本当に大変だった。実際に引っ越すときも、鍵の事も、出入りに関しても問題が多発した。
ラボは変わらず自宅そのものだったから毎日出入りしていたし、彼は生活能力が低かったこともあって最初の頃はどうしても慣れるまで時間が必要だった。

「ユウリ達には特に世話になっていたから急がなくは、と感じてはいたんだがなぁ・・・油断していた。あれだ、若さゆえの過ちというものだな」
「まったく、あの頃の貴方はヒモって呼ばれたりしてたけどあながち間違ってはいなかったわね」

と、冗談交じりに言えば―――

「・・・・・・ごふっ」

倫太郎は吐血して倒れた。

「ええ!?」
「マミに・・・・マミにもそう思われていたんだ。やっぱり・・・・・・・・死のう」
「嘘うそウソだからしっかりして大げさにダメージを食らいすぎよ!?」
「ふふ、いや分かってはいたんだ・・・あの頃、違うと言ってくれたのはキミの優しさだろ?すまない、不甲斐なく甲斐性もない俺はこのまま誰にも看取られないまま消えるのがお似合いだ」
「ええっと・・・どうしたの倫太郎?昔からよくわからないタイミングで鬱になるわよね?」
「・・・不思議なことに君が関わると俺はメンタルが弱いらしい」
「もう、何よそれ」

可笑しそうに、貴方は笑った。くたびれた姿で、床に這いつくばりながら私の伸ばした手を取って立ち上がる。
いつもそうだったように、今までがそうだったから躊躇いも不安も抱かずに触れて受け入れる。中学生のときも、高校生のときも、大学生になっても変わらずにこうしてきた。今だってそうだ。
だから安心したんだと思う。緊張は緩んだ。初めてお邪魔する彼の自宅に少なからずの緊張をしていた体は彼のいつもの様子に解れた。

「でもなんだかんだ綺麗・・・なのかしら?」

雑多な風景だが散らかっているわけではない。所々納めるべきものが収まっていないが一応あるべき所に置かれていて、ゴミ箱も回収日を逃しただけでキチンとまとめられている。
男の子の部屋はもっともこう、それも大学生ぐらいの年頃なら散らかっているイメージがあったので、それも私生活においてはだらしないのを知っているから感心した。少なくとも予想よりは、だが。

「ああ、その・・・・掃除にはちょこちょこ来てくれていたから」

しかしそれもつかの間、彼は気まずそうに頬を掻きながら苦笑い。

「掃除にって・・・杏里さんや鹿目さんが?」

どうやら未だに誰かに支えられているらしい。支えられたうえでコレでは評価は下落だ。関心し始めただけに落胆もする。
あと彼が何だかんだ自宅に誰かを招き入れていたという事実に思う事が・・・少しあるかもしれないが、それはわざわざ言うほどでもないだろう。
それに長年の付き合いだ。今日の私のようにその誰かも最初は入室を断られていたが何らかのきっかけで訪問し、それでなし崩し的に、っと言ったところか、しょうがないと思うがそれはそれで彼らしく、私達らしいと思ったからかまわない。
教えてくれなかった事には少しだけ残念に思うが、それを知ったら「じゃあ私も!」と出てくる可能性があるから彼も簡単に打ち明けるわけにはいかなかったんだろう。
もしそうなれば自然に鍵を、それこそラボのように皆の手に自宅の鍵が渡ってしまう。正直それでもいいなぁと思う私がいる。過去に懸念した事件に遭遇する可能性が再び浮上するが気をつければいいだろうと、今はそう思う。
だからここの鍵も欲しいと、その代わりに料理や掃除と言った家事の手伝いをしてあげよう。そんな風に図々しくも思ってしまう。

(提案してみようかな?)

今なら少しは考えてくれるかもしれない、それに鍵のことは冗談でも気軽に遊びには来れるようになるかもしれない。彼は引っ越してからも全然ここには招待してくれないから、きっと他のみんなも歓迎・・・喜んでくれるだろう。
ラボには、未来ガジェット研究所にはいつだって岡部倫太郎という人はいてくれた。嬉しい時も楽しい時も辛い時も悲しい時もいつだって迎いいれたくれた。稀に出かけている事もあったが基本的に彼は此処にいてくれた。
嬉しかった。だけど引っ越してからはやや事情が変わった。同じ建物にはいるが自宅で作業をしていたり論文を書いていたりしていて、居るのに会えない事が増えたのだ。ラボで寝泊まりする相手の事を考えて上で作業をする、そんな場合が増えてしまったのだ。
気を使ってくれるのは嬉しいが彼は思い違いをしている。みんな疲れてようがうるさかろうがラボに泊るときは隣にいてほしかったのだ。ボーとしながらでも、焦りながらでも、疲れて横になりながらでも、だからこそ彼の背中を見て安心したかった。
きっと彼は知らないだろう。いつも前に立って歩くから、その背中が変わらずにいてくれるから落ち着いて、安心していられることを。
だからそう悪くない提案だと思う。今だって掃除に誰かを招き入れているのだ。同じラボメンなら断る理由にはならない筈だ。彼は押しに弱いしここは強気に攻めれば苦笑しながらも認めてくれ―――――

「いや、その■■がたまにだが来てくれて、な」
「――――――」

トン、と胸に、それはもしかしたらギュッとした何かかもしれない。
彼の口から照れながらも告げられた名前に私は言葉を、提案しようとした何かを引っ込めた。

「そう何度もってわけはないが、お互い暇なときは“ここ”で時間を潰すんだが――」

普段見せない顔で、声で彼は語る。彼女の事を、今現在付き合っている人の事を私に話す。
彼がここに連れてきた人は付き合っている彼女だ。だから問題も疑問もありはしない。彼女が彼氏の自宅に掃除にくるのに理由なんかないだろう。手料理を振る舞いに来るのもいいし時間を過ごすのも悪くない。
むしろ彼氏の家に遊びに行く、彼に手料理を振る舞うと言ったイベントは憧れていたりするから解る。

「そ、そういうときはデートしたほうがいいんじゃないかしら?ただでさえあまり時間は合わないんでしょう?まったく、倫太郎は相変わらず女心が分かっていないわねっ」

なにも、誰も悪くないし間違っていないのに彼の台詞に被せてしまった。
まるであの人の名前を呼ばせないように、そういう意図があったかもしれないと感じた自分に嫌気がさす。

「最近は時間の合わせ方が分かってきたからそうでもないさ、それに此処に来るのはいつも■■が提案してからだから問題ない」
「―――」
「他のラボメンと鉢合わせすると気まずい空気になるかもしれない、と最初の頃は思いもしたがそうでもなかったしな」

本気でそう思っているのなら彼は上条君以上に抜けている。本当に“そうでもなかった”と思っているのだろうか?
あの人と倫太郎が一緒にいる場面を見て彼女達が何も思わないと、本気でそう思っているとしたら彼は根本的に――

「・・・・ああ、そうだ。マミ、相談とは■■のことだ」
「え?」

一転。彼の口調が変わった事で、何よりも倫太郎が真っ直ぐにこちらを直視してきたから意識は切り替わった。
初めての訪問にドキドキして、彼の部屋の様子に新鮮さを感じ、惚気話に思う事があったが本題はそれだ。此処に来たのは彼の相談に乗る事だ。
内容がどうやら件の彼女に関する事なのが残念だが、やる気が一定値堕ちてしまったが彼の力になりたい気持ちに嘘偽りはない。

(・・・・・・・・・残念?)

そこまで考えて私は今、何を残念に思ったのか、彼の出してくれた温かいコーヒーに口を付けて疑問符を浮かべる。
下のベンチで落ち込んでいた彼を慰めたかった。だから此処まで来て、これからその悩みを聴こうとしている。原因を知らなければ対処できないからだ。一緒に考える事も悩む事もできやしない。
だから今は相談事の序盤も序盤、始まりであり決して残念といった概念が発生するタイミングではない。
何が残念というのだろうか?せっかく彼の力になれるチャンスだと言うのに・・・・心の中で首を傾げながらコーヒーを含んだ口元からカップを遠ざけて―――



「相談と言うか、報告だな――――実は今日■■と別れた」
「ぶふぅっ!!?」



その言葉の意味に、口の中身と一緒にコーヒーをブチ撒けた。









■sideA-4



―――私に婚約相手ができたと知った今も、貴方は変わらずにいる。

なんとなく、彼はみんなが言うように私の事が好きなのかな?と自惚れた時期があった。そこに意識した恋慕はなくても、無意識に私の事を女の子として見てくれているのかな?と、そんなことは無いと分かっていながら期待してしまった。
結局そんなものは勘違いでしかなかったが、こうして見れば本当に彼は私に興味が無いんだと自覚させられるから少し寂しい。想ってくれているのに“それ”が無いなんて不思議だ。
私が彼や周りのみんなに向ける想いと変わらない筈だからおかしくもないし納得もできるはずなのに寂しいと、悲しいと胸の奥底から叫んでいる。

―――そういうものだろう?それなりに身近にいた人なのだから、ずっと傍にいてくれて支えてくれた人なんだから。

しかしもう、手遅れなのだから。考えても悩んでもどうしようもない。
なにが手遅れなのか、それを考える事すらもう・・・駄目なのだから。

「ねえ、倫太郎」
「ん?」

私はお代りのコーヒーを入れる彼の後姿に問い掛ける。最初の頃はまったくと言っていいほど訊けなかった事を、だけどいつしか確かめるように訊けるようになった事を、その背中に向かって、私は彼に訊く。
きっとその行為は間違っている。婚約を受け取ったばかりなのに・・・あまりにも愚かな問いかけだ。してはいけない、してしまうのはおかしい。
分かっている答えを、判り切っている答えを、変わる事が無い応えを求めるのは間違っている。

「貴方は私のこと、好き?」

私は、何がしたいんだろう。

「は?」

キョトンとした表情を向ける彼の視線から顔を逸らすことで逃げる。直視できない、座ったままの姿勢で両手をギュッと握った手は汗をかいていて小刻みに震えている。
なんて事を訊いてしまったんだと後悔して、何を言われるのかと想像して怖くて泣きそうになった。
自分で結婚の申し出を受けるかもしれないと言った口から、同じ声で好意を確かめようとした。まだプロポーズされて数時間も経たないうちに、最低な悪行だ。

「好きだよ、マミ」

だけど彼はそう言ってくれた。

「・・・私も、倫太郎が好きよ」

―――だから、私は彼の言葉を信じたくない。

「でも、私は私が嫌い」

―――こんな私を愛せる人だから。

「む?マリッジブルーと言う奴か?」
「そうかも・・・・・いいえ、きっとそうよ」

ちゃんと笑えているだろうか?心配そうに視線を送る気配がするが横を向いたまま顔を両手で隠す。
どうしよう、分かってはいたが体の震えが抑えきれない。抑え込もうとすればするほど込み上げてくる何かに――。

「っ・・・ぅ・・・」

ついに嗚咽が漏れ出してしまって彼が慌てて駆けつけてくる。

「お、おいマミっ?」

コーヒーの入ったカップを二人分、テーブルに置いてオロオロと私の前で屈んで倫太郎の両腕は宙を泳ぐ、両手の隙間から覗く彼の表情は困っていた。
昔なら、それこそ私に相手がいないなら理由が分からずとも抱きしめたりして慰めていただろう。でも今はできない、ついさっき私が言った言葉が彼の行動を止める。
何も変わらないと思っていたら、なんだ・・・・変わったじゃないか。距離が、できてしまった。当たり前にあった、僅かながらにも存在していた少しだけ他の人とは違う距離感を失ってしまっていた。
私が壊した、私が無くしたんだ。それでも恐る恐る、彼の手が震える背中をぽんぽんと叩いてくれる。気遣って優しい手つきで安心できる・・・・そうだったはずなのに、今はただただ―――――

「ぅ、うぅ~っ」
「マミ、マミ大丈夫だ」

慰めてくれる、優しくしてくれる、心配してくれるのに私は酷く悲しくて寂しかった。
ひ、つ、と喉が震えてうまく呼吸が出来なくて苦しい、ポロポロと涙は零れて、それを両手で拭うけど止まらない。
そして気づけば私の手は大きな手に摑まっていた。泣き顔なんか見られたくないのに、だけど彼になら今更と、心のどこかで思ってしまう。
何度もこすって赤くなった目元を覗き込むようにして貴方は優しく微笑んでいた。安心しろと、大丈夫だと笑って無防備に安心を与えようとする。
それが今の私を揺らしてしまうことに気づかずに、いつも以上に温かいから涙は止まる事は無かった。

「私・・・・好きなの」
「ああ、“彼も”同じ気持ちだよ」

伝わらなくて良かったはずなのに

「うぅ、うぅぅぅぅっ」
「大丈夫、大丈夫だよマミ」

伝わらなくて、泣きやまない私をあやすように抱きしめてくれたけど―――涙はやっぱり止まらなかった。







■sideB-4



あの時、倫太郎がベンチに腰掛けて呆けていた理由には驚いた。

―――倫太郎が彼女と別れた。

「わ、別れたって■■さんとっ!?」

初めての『自宅』訪問による緊張は完全に霧散した。

「そう・・・なんだよ」

机に額を落としたその落ち込みようと言ったら半端なく、再び生気が失われ、少しは回復したと思った覇気がまた下落した。
彼女と倫太郎の関係に最初は皆が驚いて、しかし時間の経過と共に受け入れて祝福したのを昨日のように覚えているだけに意外だった。
倫太郎は普段はアレだがきっと彼女を大切にしてあげるだろうし、■■さんも明るくてサバサバしているその性格は彼を力強く引っ張っていくから末永く、それこそ結婚という単語が浮かんでしまうぐらいお似合いだった。
■■さんはずっと年上の女性だ。そのせいか最初の頃は友人としてはともかく倫太郎は“そういう”相手としては見られてなかったが、倫太郎の意外な積極性と真剣さからお付き合いが始まり―――――

「なにかあったの?」
「あったと言うか、無かったと言うか・・・・・初めからあったようで無かったんだ」
「??」

落ち込んでいる倫太郎を慰めようと思っていた。励ましてあげようと思ってもいたがいかんせん・・・私は思った以上に動揺しているようだ。

「えっと・・・・別れたのよね?」
「あ、ああ」
「■■さんと?」
「そ、そうだ」
「あんなに仲が良かったのに?」
「・・・・うむ」
「『うむ』じゃ分からないわね、いったい何があったのか訊いてもいいかしら?」
「えっと、ですね・・・」

振られたのが今日なら・・・昨日まで普通だったのできっと今日なのだろうが、だとしたら今の彼にこのピンポイントの話題は非常に辛いはずだ。
それを心のどこかで気づいているはずなのに私は無遠慮に配慮なく問い質してしまっていた。

それも一時間。

「ハッ!?」

経過時間に気がついた時には若干手遅れだった。

『( ゚Д゚)』

魂が口から脱出し天に昇ろうとしている。度重なる傷口を抉るような質問攻めに燃え尽きて茫然と口から魂の抜けている倫太郎がいた。
考えてみれば振られてまだ数時間も経っていない筈で、寒い中茫然とベンチで呆けて、そして追撃の質問攻め・・・配慮不足どころじゃない、あまりにも酷い所業だ。慰めに来た筈なのに傷つけてしまった。相談に乗るはずだったのに悲しませてしまった。
・・・・・否、それどころじゃない。私は彼が一人で悲しむ時間すら奪ってしまっていた。一人で泣いて、悲しんで傷ついて、辛い気持を受け入れるために実感する時間をお節介で奪ってしまったのだ。
それを清算する意味合いを持つ行為、相談相手になれていればまだしも、これではいったい何のために彼の自宅に来たのか、ただ苦しめるためではないか。

「ごっ、ごめんなさい倫太郎っ」
「い、いやいいんだ・・・・うん、俺の、その・・・悪かった部分を再確認できたから、キミは、悪くない」

ヨロヨロと、視線は泳いだまま隠しきれないダメージを背負った倫太郎はこちらを擁護した。非常に気まずい、罪悪感で押しつぶされそうになる。
彼は自分の悪かった点を教えてくれたと言ってくれるが、私は最悪な事に彼にあれだけ質問攻めしておきながら内容をほとんど憶えていなかった。ただ闇雲に疑問に思った事を口にしてしつこく、嫌がらせのように繰り返し問い詰めただけなのだ。
私にとっては鬱憤や憤りに近いよく分からないあやふやな感情を晴らすためだけに彼は一時間以上も―――――

「ぅ、私っ、もう――――」
「マミ」

卑怯なことに、私は逃げ出そうとした。彼を休ませてあげようと、私じゃ何も力になれない、むしろ傷つけるだけだからと、さんざん引っかき回しておいて言い訳を並べてこの場から逃げようとしたのだ。
それを先読みしてか・・・・・何を馬鹿な、倫太郎がそんなことをするはずがない。きっと偶然重なっただけだろうが私はドクンと心臓が跳ねた。
怒られはしないだろうが嫌われてしまうのではないかと恐怖した。もうここには来るなと言われるんじゃないかと、そう言われなくても二度とここには招いてくれないんじゃないかと不安になった。
自分が悪いのは分かっているが、それでも・・・だって言ったじゃないか――――別れたと、あの人と別れたと。気になってしまうのは当たり前だ。
そんな自分勝手な自己弁護に、私は嫌気がさして―――――

「付き合ってくれ」
「わかったわ」

彼の言葉の通りにしようと思った。例え出入り禁止されても、絶交されても私のしたことは簡単に許されていいものではないのだから、だから―――――・・・・・ん?

「・・・・・・・・・・・ぇ?」
「すまない、そう言ってもらえると助かる。ありがとう―――マミ」
「・・・・・・・・・・・ぇ?」
「君にはいつも、今日もいきなりで迷惑ばかりかける」
「そんなこと・・・・ぇ?あれ?今なんて―――」
「では早速だが付き合ってくれ」

立ち上がった彼に手をひかれて私は引き寄せられるように倫太郎の胸にポスンと収まって――――

「えっ!?はい!!?」

肩を抱かれながら急な展開に思考はパニックに陥った。
講義が午前中で終わって。
ラボに寄ったら倫太郎が落ち込んでいた。
相談に乗ると言ったら初めて自宅に招待されて。
昔話に花を咲かせた。
倫太郎があの人とわかれたと告白し。
理由と経緯を一時間掛けて問い質して彼を傷つけた。
それで逃げようとしたら告白された・・・?

「・・・・・え?」

パニックに陥りながらも残った理性を総動員し現状を振り返ってみたが、やはり分からない。何故今、よりにもよって私は告白されたのか、どうしてこのタイミングなのか理解が及ばない。
抱かれた肩に、胸に押し付ける形になった頬に、とっさに背中真に回した腕に熱が蓄積されていく。視線を上げれば目が合って顔は瞬時に真っ赤に染まった。口は半開きで、きっと今の私は情けない顔をしているだろう。
そんな顔を、今の自分を見られるのが恥ずかしくて顔を伏せるが、それでは再び倫太郎の胸元に顔を埋めることになって―――――ぶしゅう!と顔から湯気が出そうになる。もしかしたら既にでているかもしれない。

「あっ、あの・・・!」
「うん?」

だめだ、ダメだ、駄目だ!

こんなのは駄目だと心が叫んでいる。今の倫太郎は傷心から前後不覚になっているだけだから流されてはいけない。こんな形で結ばれるのは間違っている。
私がしっかりしないといけない。先ほどのように失敗してはいけない、これは絶対に後になって後悔するし今後の関係を左右してしまう。それは私達だけじゃない、周りにいる近しい間柄である彼女達にとっても大切な事だから、だからもっと真剣に――――

「そのっ、嫌じゃないの、でも―――!」

嫌じゃないってなんだ。ハッキリと宣言しないといけない場面で何を躊躇しているのか、自分のことながら呆れてしまう。
さっき傷つけてしまったお詫びとか、それで癒せるならと・・・楽な道に逃げては決していけないと自分に言い聞かせる。

「急すぎてっ、わかんないの・・・だからっ」

顔を胸に埋めたまま、肩を抱かれたまま、顔を赤くしたまま告げた。
それが精一杯で限界だった。

「そう、か」

伝わったと思う。良かったと、届いて本当に良かったのに倫太郎が私の答えに気落ちした気配が伝わるから胸が締め付けられた。
でも耐える。ここは絶対に流されてはいけないから、例え懇願されても応えてはいけないのだ。
だから――――

「確かに急だったな・・・・・君にも予定がある。すまない」

そう言って、私から倫太郎は離れて――――

「ま、まって!」

だけどそれを引き止めてしまった。いけない、駄目だ、やめなきゃと心が絶叫を上げる。
熱くなっていた体が離れた事で思いのほか冷たく感じたからか、赤くなった表情を見られないためにか、私は離れようとした彼の腕をほとんど跳びつくようにして抱きしめた。
抱きしめて、固まった。自分のしてしまった行動に血の気は引くのに瞬時に再沸騰して頭の中がぐらぐらする。

「マミ?」
「ぅ、その・・・違くてっ」

何が、どれが違うのか説明できない。私自身が己の行動に戸惑ってしまって混乱しているからうまく言葉にできないし、そもそも舌がまわらない。
体は固くなってしまいギュッと倫太郎の腕を抱きしめる形で硬直してしまった。状況がマズイと、雰囲気が危険だと心の奥底で警報は全力で鳴っているが打開策がまるで浮かばない。
しかしこのままでは数秒後に爆発してしまうと何処かで確信している。

「わっ、私は・・・私っ」

今を耐えきれなくて口から言ってはいけない何かが零れそうになるのを感じる。
だけど状況に変化がなければ狂ってしまいそうで、雰囲気に身を任せないと壊れてしまいそうで、抗えば抗うほど苦しくて、だから―――言ってしまった。

「だ、大丈夫・・・だよ?」

きっとこの言葉は誰かを裏切り、誰かを傷つけてしまう。傷心で弱ったところをたまたま通りかかっただけのぬけがけで、この行為は卑怯であり取り消さなければならない。
だが何が?と返されれば、きっと私は死んでしまう。
私の放った言葉はこれまでの関係を揺るがすには十分な威力(?)がある。彼が先に、だけど応えたのは私だから責任はある。
その意味を分かってもらっては困るのに、無かったことにしてほしいのに誤魔化されたり曲解されたら私は羞恥心から命を落とすだろう。

「――――」

倫太郎は顔を伏せた私の体を、肩に手を置く事で起こした。手を置かれたときビクリと震えたのはきっと伝わってしまっている。
怖くて青くなってしまったと思っていた顔は赤く、強い熱を放っている。どうなるか分からなくて何を言われるのか怖くて仕方がないのに、それ以上に恥ずかしさが勝る。
自分のしてしまった重大性を理解していながらも、私は放った言葉を取り消さず誤魔化さず倫太郎の答えを今か今かと待ち望んでいる。

「マミ――――」
「は、はいっ」

必ず後悔することは分かっていた。
絶対に今日の事を恥じる時が来る。

「ありがとう」

私はそれを覚悟しなければならなかった。

そしてその機会は思いのほか早くやってきた。




数時間後、私と倫太郎は観覧車の中にいた。

あれから一緒に雑貨屋や本屋、服屋を見て回り映画を見てカフェでお茶して、町をぶらついて目に付いた観覧車に乗って・・・夕日が沈み始めた見滝原の町並みを背景に談笑している。
そこに暗い雰囲気は無かったが私はとてもとてもとても気まずかった。許されるなら逃げ出したいほどに。
そんな私の心情に気づいてか知らずか、いつもより口数の多い倫太郎は対面のシートに寄りかかりながら私に礼を言った。

「ありがとうマミ、俺の“気晴らしに付き合ってもらって”」
「いいえ、ど う い た し ま し て 」

付き合ってくれと言われた時から気づいていましたよ?ホントですよ?もちろん愛の告白をされたなんて勘違いなんかしていませんでしたよ?
だから私の勘違いしたかのような発言や、それによって悩んでしまった思想や感情は無かったことにしなければならない。悟られれば死ぬ。死んでしまう。
人間、恋ができなくても死ぬことはないが羞恥心で死ぬことは割とあるのだ。

「いや、ほんと助かった。予定とか入っていたらどうしようかと」
「いいえ、なにも無かったから問題ないわ。ほんとうに、何 も 無かったわよ」
「うん、その・・・ありがとう」
「いいえ、私も気晴らしになって良かったわ。気晴らしに誘ってくれてありがとう。いい気晴らしになったわ。ホント、お互い良い気晴らしになって良かったわね」
「ええっと、そう・・・だな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・怒ってる?」
「いいえ、そんなまさかありえないわ。良い気晴らしになったって言ったでしょう?」
「お、おう」
「いいえ、良い気晴らしになったわ」
「え!?」
「いいえ、今日は誘ってくれてありがとう」
「ん!?マ、マミ?」
「いいえ、景色が綺麗よね。夕日に照らされていろいろと投げ出したくなるわ」
「あの・・・?」
「いいえ、きっと投げ出したいのは世界そのものかしら、きっとそうね。そうあるべきよ・・・・ねぇ、そうよね?」
「は、はいっ」

おや?気づけば倫太郎は小刻みに震えている。トイレだろうか?大変だ、一周三十分かかる観覧車だからあと十分前後は降りられない。しかし乗る前に済ませたはずだから大丈夫だろう。
それよりも先程まで話題を提供してくれていた倫太郎が、まるで怯えるように縮こまってしまったからゴンドラ内が静かになる。
困った。気まずい雰囲気を誤魔化すには現状会話ぐらいしかないのに彼が黙ってしまっては緊張から何を口走ってしまうか分からない。何でもいいから条件反射的に何か話題を作らないと耐えきれない。
彼は今回なにも悪くないのだから責める内容にならないよう配慮しつつ、気弱になっているので怖がらせてはいけない口調で安心と信頼を築けるクリーンでセーフティーな話題を投げなくては・・・・おや?口を開こうとしたら彼が怯えたような?
きっと気のせいだ。うん、たぶんしゃっくりか何かだろう。まるで私に何を言われるのか戦々恐々しているように見えたが錯覚だろう。今の私は彼の息ぬきと気晴らしに付き合ってあげているただの普通のいつも通りの仲間なのだから。

「夕日がきれいね」
「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ!」
「・・・・?倫太郎どうしたの?」

急に、突然脈絡もなく倫太郎が器用に座席で土下座をしはじめたからビックリした。

「私はただ夕日が綺麗だなぁって・・・いったいどうしたの?」
「え・・・?あれ、怒ってない?」
「なんのこと?」
「あれ・・・ん?」
「?」

変な倫太郎だ。まるで今までの会話で何か怯えるような事があったかのような振る舞い。・・・失礼だなぁと、私は彼に対し普段なら思わない感想を抱いた。
今日の彼はやはり弱っているのだろう。私が彼にそんな感想を抱かせた事なんてこれまでに数回しかない、つまりそれだけ今の彼は凹んで、弱って、落ち込んでいる。
いつも前向きな倫太郎も、さすがに彼女に振られた当日は堪えるらしい・・・いや、彼はなんだかんだ打たれ弱いと言うか繊細と言うか、ヘタレ属性があるだけにダメージは見た目以上に深く重いのかもしれない。

優しくしてあげよう。もともと励ますつもりで今日は付き合っているのだから。

「それで?」
「え、なんだ?」
「振られた原因は倫太郎にあったってことでいいのよね?」
「ごふっ」

苦しそうに胸を抑える彼に首を傾げる。

「どうしたの?」
「い、いや癒えぬ間もなく追撃が来た事で少しくるものがあっただけだ」
「そう・・・・それで?」
「え?」
「別れた理由はなんだったの?」
「・・・・・・oh」

ず~ん、と顔を伏せるから心配になった。気分が悪いのだろうか?しかし観覧車が下に降りるのはまだ先だ。残念、だから仕方がない。キリカさんも言っているように時間は無限に有限だから大切に効率よく使用しなくてはいけない。限られた時間でできるだけ彼には癒されてほしい。辛い気持ちを乗り越えてほしい。
しかしだ。慰めようにも励まそうにも原因と要因、理由を把握しなければならない。ここは心を鬼にして問い質すべきだ。へたな慰めは本人のためにはならないし、知ったかぶって励まされても良い気分ではないだろう。
だから仕方がないのだ。傷心していようが落ち込んでいようが今はしょうがない。今日の私は倫太郎の息抜きに付き合っているだけのただのアドバイザーゆえ必要不可欠の問いかけであってコレは決して彼を責めるためのモノではない。
うーん?文法というか思考が“やや”おかしいような気もするが・・・きっと気のせいだろう。今は振られたばかりの彼を慰めなければならないのだ。自分の事は後回し、いつも彼が私達を優先してくれたように今は彼の事を第一に考えるべきだろう。
だから――――

「それで?もうちょっと詳しく今日の出来事を説明してくれるかしら」
「それ何度目の・・・・・うあっとっ、マミもう下に着くから話はまた今度というかせめて降りてか―――」
「周りに聞かせてどうするのよ?そのまま二週目に行くわよ」
「・・・・・・・・・・・マミ、君はいつからそんなSになったんだ?」
「エス?なんのことは分からないけど問答次第じゃ三週目もあるから早くしましょう。限られた時間、今日は私が慰めてあげるからね」
「台詞自体は嬉しいはずなのに何故だろうな、体の震えが止まらない」
「そんなに喜ばなくても・・・それとも照れてるのかしら?でもほら、これでも私達の付き合いって長いじゃない。たまにはお姉さんに頼っても罰は当たらないわ」
「え?これってそうゆう震えなのか・・・・なんか違うような、こう・・・・正面から感じる負の気配が」
「え、別に私は怒ってないわよ?」
「そうだよ、な?マミが怒るはずが・・・うん、きっと気のせいだっ」
「そうよ。ふふ、可笑しな倫太郎ね」
「だよな!いやなに、万が一にもマミに嫌われたら―――」
「だから早く相談を再開しましょうか、今は貴方を慰めなきゃいけないんだから」
「・・・・う、うん?」
「そのためにも今は何があったのかを知らなければならないわね」
「え・・・いや、え?それは散々話して既に俺のライフがガリガリと削られているので正直もう泣きそうなわけなんだが・・・」
「え?そうだったかしら?」

そうだったようなそうでもないような。そんな話もしたような気もするが息抜きを間に挟んだからそうでもないような気もする。
つまり振りかえりで予習が必要だ。あれだ、話して訊いて確かめる。倫太郎がいつも言っているように誤解や勘違いをしないためにも、確認のためにもう一度・・・何やら倫太郎の様子がおかしい。泣きそうな顔だ。
気にしなくてもいいのに、私は私の意思で息抜きに付き合っているのだから・・・・感涙するほど嬉しがってくれるとは、ここはやはり力になってあげなくては―――つまり詳しく訊き出さなくてはいけない。

「マ、マミ下に着いたから――――!」
「あ、もう一周お願いします」

倫太郎が立ち上がって・・・ふむ、今日は私が励ますのだから彼はゆっくりすればいい、彼を座席へと座らせ、代わりに係員の人に声をかける。

「――――」

倫太郎は何か言いたそうにしていたがゴンドラは二週目に入る。

「さ、続けましょうか」
「oh・・・」

何やら口元をひくつかせているが私もここで彼を甘やかすわけにはいかない。
これも倫太郎の為、心を鬼に。■■さんと別れた原因を探るために粘り強く問い質さなくては―――例え振られてまだ数時間であろうとも仕方がない。

そして気づけば夕日は完全に沈んでいた。

実に重農な時間だった。男女の別れる原因は多々あれど、大まかで雑多な理由な一つに互いの不仲、擦れ違いがあるのでそこを重点に話し合ったのだ。
まあ主に倫太郎の悪いところを延々と長々と語る事になってしまったが、反省し今後に生かさねばならないので仕方が無かったのだ。
しかしあれだ―――――ゴンドラが“五週する間ずっと”そんな話だったからか、さすがの倫太郎も心が折れかけている。

(´°ω°)チーン

うん・・・反省、時間をかけすぎてしまった。一旦落ち着いて、休憩を挟まないと真っ白に燃え尽きている倫太郎の体力が持たないかもしれない。
もうすぐ夜景が一番綺麗な時間帯だが流石に六週目は厳しいだろう。込んでいないから大丈夫かもしれないが、係員の人にも怪しまれてしまう。

「とりあえず降りましょうか」
「――――――――――――――――――ハッ!?お、おおおおおそうしよう!!」

その台詞に意識と言うか魂が戻ったのか、倫太郎は大きく頷いて同意してくれた。
よほど堪えたのか、嬉しいのか、その目元には涙が浮かんでいた。

「・・・ぁ」

ここにきてようやく気づいたのだが、本来なら相談に乗った時に気づくべきことなのだが私はかなり冷静ではいられなかったようだ。思った以上に彼らの別れ話に動揺していて、あと勘違いで自爆した事が原因で。
冷静になったとはまた違う。目を逸らしていたことにようやく目を向けた感覚。彼を責めて、反論を許さずに言い負かす・・・これは相手が反論できない事を知っていた一方的な糾弾にほかならない。
彼は今日、まさに数時間前に■■さんと別れたのだ。その事に配慮しなければならなかったのに、最初はその事を考慮していたのに気づけば彼の傷口を抉り続けていた。

「・・・でもあれよね」
「ん?」
「倫太郎の悪いところは沢山あるけど、一杯で雑多に及ぶけど――――」
「す、すみません・・・・今後は気をつけます」

そして今も、まだ続けている。
自覚してもなお、私は――――意地悪なままだった。
慰めたかったのに、わざわざ私は彼の心を傷つけていく。

「それは■■さんも知っていたから、知っていたはずだから今更それが原因で別れたりするかしら」
「・・・・ん」

嫌われても仕方がない事をずっと、この狭い個室で繰り返してきた。恨まれても・・・きっと彼は笑って許すかもしれないが―――それを知っているだけに自分が許せない。
倫太郎は優しい。信じられないくらいに、怒りたくなるくらいに。そんな彼を自分は傷つけて落ち込ませて泣かせてしまった。
傷心の彼を責め続けたのだ。傷ついたのは彼なのに、もし私が第三者の立場だったなら今の自分を叩いていただろう。何を考えているんだと、何をしているんだと、少しは彼の気持ちを判ってやれと。
なのに、まるでその気持ちに気づかないように、気づいた事を勘づかれないように彼に話題を振っている。
浅ましくて情けない。恩を仇で返す自分にほとほと呆れた。日頃の感謝はどこえやら、抱いた情は何だったのか、今日一日で自分のことがこんなにも嫌いになってしまった。

「きっと・・・・彼女はわかっていたんだ」

なのに、それでも一緒にいてくれる。怒鳴らず拒絶しない。こんな私を傍におく、手を伸ばせば届く位置で微笑む。
酷くて情けない私を今でも倫太郎は愛してくれる。
観覧車から並んで降りたとき、あの人は一緒に乗った事あるのかなと思うと嫌な気持ちになった。
そして最悪な事に、私は思うのだ。傷つけると分かっていながら

「――倫太郎は■■さんのこと、まだ好きなのね」

思うだけでなく言葉に出してしまった。
訊けばきっと傷つくんだろうな、傷つけばいいんだ、そう思いながら。

「・・・・・」

それに沈黙で応えて、倫太郎は笑った。

―――私は、なんて酷い奴なんだろう。

苦笑。何度も見た事あるけれど、今まで一番痛々しかった。

「・・・・・・不思議だな」

視線を逸らし、暗い空を見上げながらそう呟いた倫太郎の横顔と声に胸が痛んだ。そうさせたのは自分の癖に、ほんとに・・・嫌な子だ。
心臓がキュゥと縮んでしまうかのような、冷たい針を通したような、それでいて中々引いてくれない鈍痛な痛み。
暗くて重いのに、倫太郎につられて見上げた夜空には星がたくさん輝いているから、とても綺麗だったから涙が出そうになった。

「今日は冷えるな」

ふぅ、と倫太郎が吐いた吐息は白くて今は冷え込んでいるのだと意識させられる。コートの襟元に首を引っ込めるようにして外気に触れている個所を少なくした。
同時に身を小さく、隠すように俯く。どうして、こうなってしまったのかわからなくて、こんな自分を見られたくなくて無駄な抵抗だと分かっていながら――――。

「マミ」

だから名前を呼ばれて顔を上げれば、隣にいたはずの倫太郎が正面に回っていたことに驚いた。
ぶつかりそうになり慌てて立ち止まれば彼はその様子に微笑み、私がずっとしていた勘違いを正してくれた。

「一つ教えてなかった。別れたのは本当・・・・・だけどお互いのことを嫌いになったわけじゃないんだ」

私は今日、倫太郎が振られたんだと思っていた。だってそうじゃないとおかしいから、■■さんに交際を申し込んだのは彼だったから。
彼から■■さんを振るはずがない。なら必然的に■■さんが彼を捨てたんだと思い込んでいた。
そうじゃないのか?なら・・・どうして?なにか、誰か、なんでと私は訳が分からなくなった。

岡部倫太郎は愛する事はあっても恋はしない。

だから誰もが安心していられた。いつも傍に居てくれて、いつだって味方で、いつまでも隣にいる事が出来たからみんな幸せだった。
そんな倫太郎が突然一人の女性に積極的に関わりを持とうと行動を起こし、かつ告白までしたのだ。それも何度も、断られながらも諦めず何度も何度も想いを伝え続けた。
あの奥手の彼が、鈍感な彼が、女の子に興味が無いと思っていた彼が、枯れていたはずの彼が、近くにいる私達には抱かなかった“それ”を彼女にだけ―――――



「別れようと言ったのは俺なんだ」



―――なのに、どうして?

「ぇ・・・・あ、貴方がフったの!?■■さんを!?」

信じられない。いや信じたくない、だろうか。彼らの交際を知ったときの混乱を思い出せば勝手ながらも叫びたくもなる。あの時の私達の受けた衝撃は、突然の宣言は彼の思っている以上に皆に動揺を与えたのだ。
それこそ私生活に影響が、これまで築いてきた関係がバラバラになるかもしれなかったほどに。
そして彼の知らない水面下で色んな事が合って受け入れきれるようになって―――祝福したのだ。皆で、彼の幸せを心から願ったのだ。

―――なのに、どうして裏切るの?

本当に勝手なことに、私は心の底からそう思ってしまった。
男女交際は彼らの自由意思だ。彼らの意思が最優先されるべきで彼らの勝手だ。彼らのモノだ。彼らだけの・・・・・だから付き合うのも、別れるのも彼らの意思が大切であり横から口を挟むものではない。
本当に今日の私はどうしてしまったんだろう。自分が自分じゃないみたいで気持ち悪い。

「ええっと・・・・そうじゃない」
「え?どうゆうこと!?」

わからない。ただ彼の言葉を聞き流さないように精一杯だった。

「彼女は気づいていたんだ」

わからない。意味を整理しようと躍起になってしまう。

「ふ、二股されたとか!?」

もしそうなら許せないと、怒りが沸く。

「違う、そうじゃない」

否定されて、もしそうなら良かったのにと思っていたことに気がついて、また自分が嫌いになった。


「『好きなのかどうか、もうわかんない』―――――そう言われた」


―――なんだそれは

彼女に対して抱いた事のある感情が、封じ込めようとしていた怒りが沸いてくる。

「初めから■■はそんな気持ちに挟まれて苦しんでいたんだろうな」

“それ”の感情は確かに■■さんのものだ。告白されたのも■■さんだ。彼が求めて彼女が応えた・・・だから決定権も彼女にある。
でも!だとしても!理不尽で勝手でも我慢できない!
倫太郎にそんな言葉を放った■■さんにも、今も■■さんを想い申し訳なく思っている倫太郎にも怒りが込み上げて、鏡がなくても分かる。今の私は酷い表情をしている。
なんで!どうして!そう叫ぶ寸前で、倫太郎は言った。私を止めるためにじゃなくて、本当に当たり前のことのように。

「俺が■■のことを本当に好きなのかどうか・・・・・・悩んでいたことに、彼女は気づいてたんだ」

なんだそれは・・・、何を言っているんだ。
つまり彼は■■さんのことを本当は好きじゃなかった?好きだったかもしれないが、そうじゃなかったかもしれないと告白したようなものじゃないか。
真剣に真面目にいたあの頃から、実はあやふやなまま、その程度の気持ちで貴方はあの人と恋人になったのか?

「俺は“紅莉栖”に――――」







パンッ

と乾いた音がして、赤くなった頬をそのままに倫太郎は言った。

「君にぶたれるのも、仕方がないな」

やっぱり苦笑して、やっぱり引きずっていて――――やっぱり、傷つけられたことに対しての言い訳はしなかった。

「気づいていたんだ」

代わりに、その時の彼は自己嫌悪で吐くように言葉を吐きだした。

「俺は誰かを本気で愛せないんじゃないかって、そう思う」

視線を合わせないまま、疲れた雰囲気を隠せないほど落ち込んでいた。

「俺にはもう“それ”は無理なんだろうなって」

苦笑する姿は、自虐する発言をする人は泣いていないのに――――泣きじゃくっているように見えた。
もう、自分は本当に終わっていると、岡部倫太郎は達観してしまっていた。
言葉でなじられた事、突然ビンタされた事に対しては自分が全面的に悪いと思っているから反論も、言い訳もしなかった。
だからこれは倫太郎にとってはただの確認で再認識、当たり前で当然の事として口にしているだけで言い訳を述べているわけではない。

「そうじゃ、ないでしょっ」
「・・・・マミ」
「そんなこと、ないっ」

それが悲しくて、そうじゃないと言ってしまう彼が寂しそうで辛かった。

「だって今の倫太郎泣きそうじゃないのっ」

そんな顔をさせることができたあの人が、きっと羨ましかった。

「・・・・・俺が落ち込んでいるのは、■■を好きになって何度も告白して両想いになれたはずなのに」

ただ傷つける事しかできない自分が嫌でたまらなかった。

「自分の気持ちが分からなくなって、おぼつかなくて、嫌いになったわけでも他に好きな女が出来たわけでもないのに・・・・」

伏せられた視線は地面を向いて、かつて見た事が無いほど落ち込んでいるのが伝わってくるから倫太郎が小さく見えた。

「■■に言われて自覚してしまったからなんだ。好きかどうかわからない・・・・そんな事をあっさりと、簡単に納得できたんだ」

自分の両手を睨むように、そしてまるで何かが零れないように眼と手をギュッと閉じながら吐き出すように言った。

「マミ」

それは私達が相手なら、きっとそこまでは悩まないもので。


「だけど俺はさ・・・一方的にフられてもいいから、彼女を好きでいたかったよ」


だけどあの人が相手なら、辿り着ける感情。

「好きで、いたかったんでしょう」

その言葉に顔を上げた倫太郎と視線が合った。

「なら・・・・・それは好きだってことじゃないの?」

それに倫太郎は反論した。だけど――――

「・・・・違うよ」

そう小さく零した倫太郎の目が赤かったのを私はずっと憶えている。






■side―last



「落ち着いたか?」

私は何かを変えたかったわけじゃない。ただ気づいてほしかっただけだ。
我が儘で矛盾している事は知っている。でも気づいてしまったから、貴方が『岡部倫太郎』だから、だからこれからも変わらないでそれでお終い・・・なんて完結した関係にはなりたくない。
いつだって彼は優しかった。声をかけてくれて手を握ってくれた。助けてくれて引っ張ってくれた。抱きしめて励ましてくれた。泣いて傷ついて支えてくれた。
ずっとずっと愛してくれていた。だけど、そこから先を見せてくれる事は決して無かった。
私はそれを求めたのかもしれない。せめて気づいてほしかったのかもしれない。

―――なら、私はやっぱり何を壊して変えたかったんだ。

泣いて、ぐずった私はアコーディオンカーテンを挟んで設置してある簡易ベットに腰掛けていた。
人前であんな風に泣いたのはいつ以来だろうか、落ち着くまで抱きしめてもらえたのも・・・目も鼻も真っ赤で今更ながら恥ずかしくなってくる。
ベットまで移動して落ち着いて、やはり他には誰もいないのだと思うと意識してしまう。手を伸ばせば触れられる位置に倫太郎はいる。思えばいつだって彼は傍にいてくれた。
今だってそう、無意識に伸ばされた手は白衣の裾をしっかりと握っている。

「・・・マミ?」

でも倫太郎は私を受け取らない。

―――貴方が悪い

倫太郎は私を求めない。

「どうした?やはり今日は泊っていくか?」

―――笑って『おめでとう』なんていうから。

受け取って、求めてくれたらいいのに。

「幸い今日は誰もいない。ゆっくり休んでいくと良い」

―――傷ついてくれないから。

求めてくれたら、私は捧げきれたのに。

「俺は上に戻るから、何かあれば呼んでくれ」

―――いつか、私以外の誰かの手を取るから。

欲してくれたら、私は安心できたのに。

「マミ、大丈夫だ」

―――全部、言いがかりだって解ってる。

『おめでとう』なんて言わないで。

―――自業自得だって、知っている。

「今は不安な気持ちで一杯かもしれないが絶対に大丈夫だ」

―――だけど

だけど


「君は愛されているよ」


立ち去ろうとする倫太郎の手を引いて、私は彼をベットの上へ押し倒した。

「―――――マミ?」
「・・・・・」

驚いた倫太郎は唖然としていた。それを無言で見つめる。この状況化で、貴方はまだ何も思わないのかと訴える。
驚いたような、でもそれはキョトンとしたものでしかなくて、いきなりの転倒にも接触にもなんら脅威も恐怖も抵抗も存在しなかった。

―――貴方が悪い。

「・・・?まだ酔いが残っているのか?」

覆いかぶさるようにしているのに、それでも一瞬後には純粋に心配してくる。

―――貴方がいけないんだ。

「それとも――――」

残酷だ。先が無いんだから、貴方は考えた事もないだろうから。でも私は違う。貴方とは違う。これまで頭の隅に浮かんだ感情を何度も消してきた。
知らないでしょう?私はそんなもの考えたくもなかった。だって仕方がないじゃないか、答えは分かっていたから知りたくもなかった。だからその感情は必要なくて、それを抱く可能性すら無いほうがよかった。
気づかないうちに打ち消して、意識する前に無かった事にして、何度も繰り返して忘れて新たな出会いを待ち続けてきた。

―――なのに、いつだって貴方は優しい。


「泣いているのか?」


伸ばされた手が優しく頬を撫でる。私のとは違ってゴツゴツした手、かたくて荒れているけど・・・その手つきは優しくて温かった。
酷いと、心の奥底から思う。残酷だと、本心から思った。
貴方は知らない。考えもしない。思いもしないし抱かない。だって貴方にとって私は愛する内の一人であって恋焦がれる相手ではないから・・・なんて不思議で酷い人。
愛されているのに辛いと感じる事がくるなんて、ほんとどうしたらいいのか。愛とは何だろう、欲し、求めるから愛しているのではないの?何故、貴方は愛しておきながら求めない?
不安にもなる。ずっと前から不安だった。だって愛していると口にする貴方は求めてこないから、唯一他の大勢と違い特別を与えてくれる言葉なのに、それすらも信じきれなくなりそうで恐かった。

―――気づいた時にはどうしようもなく手遅れで。

「大丈夫、大丈夫だよ」

―――意識した時には既に終わっていた。

「心配するな」

―――何度封じ込めても思い出してしまう。

「泣かなくてもいい」

―――死に損ないもこの『■』を

「マミ」

―――愛するように許すから



「俺も君を―――――――」


































■『現実』


皆が息を殺すように聞き耳を立てる中

「――――って言う内容の劇を学芸会でやるの!」

千歳ゆま。ラボメン№08の少女が得意げに台本を置きながら『えっへん!』と胸を張った。

「ちなみに今のが過去と現在を交互に演じて魅せる前半!後半はマミおねえちゃんの婚約者とおにいちゃんの元カノの登場で混乱具合に拍車がかかるの!」
「「「小学生の学芸会でそんな内容の劇やるの!?」」」
「ゆまと■■■が主演女優なんだよー」
「「「「って言うかなんでキャストを私達に設定したの!?」」」」
「親近感を持ってもらおうかなって、判り易く伝わるように?」
「「その結果がコレだよ!!」」
「おかげで伝わったでしょ?」
「「「「「それはもう過剰なほどに!!!」」」」」

皆が叫び、皆が戦慄した。
何となくだが、これ以上の物語の進行は不味いと本能が訴えている。
有りえないと思うが、無視するには登場人物のマッチングが高すぎる気がして落ちつかない。
今の今まで語られた物語は創作だ。

だけど何だろう。この話は、この流れは、いつかのどこかの世界線に繋がっている気がした。





『妄想トリガー;巴マミ編』


χ世界線3.406288



「うーむ。なんと言うか・・・・とんでもない内容だよね」

此処は岡部倫太郎が何か辿り着いてしまった平和で可能性に満ち溢れた世界。この世界のラボで皆が叫んだが少女は嬉しそうにニコニコとしている。
事の始まりは休日のラボにて、いつものように皆で集まり各人が好き勝手過ごしていると突然ゆまがカバンから取り出した本を朗読し始め、その内容に自分達の名前が出てきたので興味本位から聴いてみればこの有り様だ。
途中から不穏な単語が出てきて危険を察知するも、微妙に先の展開が気になり止めきれずにいたら悲惨な結果になった。
杏子は妹分のゆまの口からNGワードが連発で出てきた事にショックを受け頭を抱えている。織莉子もまた内容が内容だけにPTA子供相談窓口に、または学校側に抗議の電話をかけるべきかを迷っていた。
上条は地に伏し、さやかはそんな上条を介抱している。あいりとまどかは岡部をボコる手を止めて謝罪。ユウリは誰よりも真っ赤になってテーブルに伏しているマミの背中を撫でながらフォロー。
中々の混乱ぶりだ。幸いにもボケ担当よりもツッコミの性質が高い人物が多かったので―――。

「みんな大好きキリカちゃん参上!!今日も斬新な問題を皆に届けにきたよー!!」

しかし無常にも、世界は混沌を彼らの前に召喚した。
ラボの扉を勢いよく開け放ったのはラボメンの一人呉キリカ、寒くマフラーが必要なこの時期も素足を出してくれる女の子だ。

「「「「「ああもうッ!よりにもよってキリカ(さん)が来ちゃったよ!!」」」」」
「あはははは、何だいみんなして歓迎の言葉ではなく残念そうな叫び声を上げて・・・・・卑猥な声を大声で叫んじゃうぞ!」
「「「「「だからだよ!!」」」」」

不服そうに暴れるキリカを皆で抑え込んで鎮圧する。扱いがやや厳しいと思われるが自業自得なので容赦はしない。彼女自身言っていたではないか、『今日“も”斬新な“問題を”届けにきた』と。
キリカ、呉キリカ。昨日も一昨日もその前も先週も先月も予想しない問題を運んでくる見滝原三年生の魔法少女。彼女の最近の押し売り系話題問題の内容は思春期男子なら興味深々で女子でも興味ありありの『性』に関してのモノばかりなので、正直ゆまが語った内容がアレゆえにハーフタイムが欲しかった。
つまり今は少しの時間を置いてからじゃないと色々と・・・・・色々なので疲れると判断しキリカを拘束、ついでに先程の学芸会(?)で演じられる劇の内容を隠すために布団で簀巻き状態にして放置することにした。彼女に知られたら内容を蒸し返されてしまう。

「ぬぁー、なんだいなんだいみんなして酷いじゃないか!私はまだ何もしてないのにっ」
「ごめんなさいキリカ、今はちょっと・・・・・教育委員会に電話すべきか悩んでいるの」
「教育委員会?なんでまた?」
「えっと、ゆまちゃんの学校で学芸会があるのは知ってるわよね?」
「もちろんさ!なにせ私達の可愛い妹分であるゆまちゃんが舞台の上で劇をするんだろ?絶対に見に行かなくちゃね!」
「でもキリカおねえちゃん、その日って補習があるんでしょ?」
「ま、まだ決まったわけじゃないよっ」
「追試に合格すればいいが・・・・・哀戦士は基本的に脳が足りてないから」
「オカリンは下半身が足りてないけどねー」

無言で簀巻き状態のキリカに岡部が全力の跳び蹴りを叩き込むが・・・悲惨な事に貧弱な岡部では無抵抗であろうとも魔法少女の耐久力の前にはまるでダメージを与える事ができなかった。

「あっはっは、くすぐったいよオカリン!」

目測でお尻の方にいきなり蹴りを喰らったにも関わらずキリカは可笑しそうにケラケラと笑った。
このMが!と罵倒しようとも思ったが喜ぶだけなので岡部はやるせない気持ちのまま追撃を諦めた。周囲の目線は同情なのか生温かい。

「はぁ」

当たり前の事だが大人数の前で枯れているとか言われるのはかなりクルものがあるので勘弁してほしい。
まして周囲にいるのは年頃の女の子達だ。劇の内容にも度々無視できない台詞が多数含まれていたし、もしかしたら自分は皆から不能と思われているのではないかと不安になる。
思われたところで、そうであったところで劇的な問題が発生するわけでないが・・・切実なる精神的問題は発生するかもしれない。

「それでなにがあったのさ?なんで恭介とオカリンはボロボロなの?」

キリカの言う通り、岡部はボロボロで上条はズタボロだった。

「えっと・・・」
「それは・・・・・うん」

キリカの疑問にあいりとまどかが気まずそうに口ごもる。

「ゆまの話を最後まで聞かずに襲いかかってきたんだ」

そんな二人に対し岡部はブスッとした顔で面白くないような口調で言った。
話を聞く、話す、確かめる。その三つは岡部がラボメンに求める数少ない約束であり契約、最初に伝えいつも大切にしている事。あいりとまどかはそれを無視した。
ゆまの読む台本に思う事があったのか、岡部が何を言っても聞き入れず折檻を行った。一応、彼女達も最初から内容が創作物であることは理解していたが――――。

「だって・・・・ゆまちゃんにリーディング・シュタイナーが発動したのかなって」
「お、お前いつもマミ先輩の事になると変になるから現実味あるし、それに―――」
「だからってなぁ、暴力で訴えるのはどうなんだ」
「「うぅ・・・・ごめんなさい」」

ションボリと顔を伏せて反省する二人だが岡部は簡単に二人を許すことは出来ない。怒っているわけではないが二人は度々こうゆうことがあるのでいいかげん学んでほしいのだ。
ちょっとした事で魔法を使ってしまう。魔法は感情と密接に関係があるので感情の上下が激しい時期の彼女達をただ責めるのは・・・しかしそうも言ってられない。
今は冗談として、傷を治せる魔法の使い手がいるからそれでもいい。しかしそれは理解者である自分達だけしかいないこの空間限定ならではだ。
今後、外での生活で似たような事が合っては絶対に駄目だ。理由は明記しなくとも分かっている筈、彼女達も。
外ならしない、さすがにそんな愚かなことはしない、と口にして覚悟も決めても簡単じゃない。現に彼女達は理解していながら我慢できなかったのだから、相手が岡部倫太郎とはいえ、だからこそ我慢できる器量を発揮しなければならないのに彼女達は魔力を解放した。

「しかも何だ?劇中の俺に彼女がいてマミを蔑ろにしていたなどと、そんな荒唐無稽な絶対にあり得ないであろう理由で蛮行に走るとは・・・・」
「だって、オカリンはいつも私達を振りますから・・・・・・・カッとなって」
「ゆまは最初に学芸会の台本と言っていただろう」
「で、でもこの台本ってオリジナルだろっ、もしかしたらRSが発動してゆまが無意識に別世界でのエピソードを文章にしたかもしれないじゃないか」
「そうそう発動するものじゃない。そもそも確認もしていないのに・・・・・それで傷ついた人間がいるんだぞ」

だから下手なフォローはもうしない。
いつまでもこのままでは危険だから。
意識して決意してもらわないと困る。
いつまでも隣にいられないのだから。

「あいりおねえちゃん、これ全部ゆまの友達が書いたの」
「そっか・・・・うぅ、またこんな失敗ばかり」
「私も、オカリンをまた傷つけちゃった」

岡部のその思いが伝わったのかは不明だが、あいりもまどかも真剣に悩み苦悩している。彼女達とて理解しているのだろう。このままでは駄目だと、きっと誰よりも危惧している。
そんな二人を、そして思案顔の岡部を外野から見ている内の一人に巴マミはいた。彼女はゆまの語った赤裸々な内容の物語のキャストのメインに自分が採用された事により茹でられたタコのように成り果てながらも周囲の様子を観察していた。
語られた物語は創作で、出てきた名前は適当のはずなのに恥ずかしくて爆発してしまいたい。それでも周りに耳を、目を向けきれるのは単純に慣れのおかげだろう。似たような出来事は今まで沢山あったから爆死はせずにすんでいるだけだ。
ユウリに背中を撫でられながらマミは今の会話の中で一つ気になる事があった。

(ゆまちゃんの友達って・・・・同じ学年よね?なのにこんな内容の作品執筆しちゃったの?)

とまあ、この惨状を作り上げたであろう人物のことだ。ゆまと同じ学年とすればなかなか考えさせられる事態ではないだろうかとマミは思うのだ。先ほど語られた内容は三角関係なのかなんなのか、不倫なのか浮気なのか、愛とは、恋とは何なのかちょっとだけ考えさせられた。
それをオリジナルで書いたのは小学生だとすれば『最近の子はおませさんだなぁ』ってレベルではない、どうしてその年頃でドロドロした恋愛物を手掛けてしまったのか、普段どんな友好関係を結んでいるのか少しだけ気になる。
しかし今作品がその友人のものであって本当によかった。その事にマミは心の底から神様に感謝し、ゆまがそれの執筆に関わっていない事に安堵を感じていた。
だって万が一にでも、少しでも作品の内容にゆまが関わっていた場合一つの疑惑が発生する。可愛い後輩二人が創作物の物語に過剰に反応してしまった原因に成ったものだ。

RS。『運命探知の魔眼【リーディング・シュタイナー】』。別世界線の記憶を保持する能力と説明されたが、これは別世界線の記憶を思い出した場合も使用されている。

疑惑とはこの能力によってゆまが何処かの世界線記憶を微かに思い出してしまい、この作品には“ゆまが思い出した実際にあった世界”の真実が含まれているんじゃないかと、そう思われてしまったのだ。
ゆまにその気が無くても、意識も意図も関係なく執筆中の友人と何気なく会話をしている中で頭をよぎった記憶の欠片を零してしまい、この作品の完成に僅かながらでも関与してしまったのではないかと恐れたのだ。
だってそうだった場合、真実かどうかは別として、本当にあったかもしれないと・・・つまり婚約していながら別の男に想いを寄せて過去を振り返りながら誘惑して――――?

「・・・・・・きゅぅ」
「あれ、先輩?ちょ・・・・先輩!?せんぱーい!!」

なんてことを考えただけで再びマミは茹でタコとなってテーブルに突っ伏す。ユウリが回復魔法をかけるが効果はいまひとつのようだ。

「まあ、反省はしているようだし今回はもういい」
「うん、ごめんねオカリン」
「ご、ごめん」
「次からはちゃんと確認しろよ。俺達はもう初対面じゃないんだ。話す時間も確かめる機会も沢山あるんだからな」

岡部が二人の髪をわしゃわしゃと撫でれば二人は素直にもう一度謝った。髪のセットは崩れるが特に抵抗は無く―――――それで終わりだった。岡部の予想ではそうなるはずだったが二人はそうではなかった。
それは他のみんなも同じだ。話は終わらない、終えてはいけない。それは再び高熱で突っ伏したマミにも分かる。分かっていないのは岡部だけだ。
話を聞く、話す、確かめる。その大切さを説いた彼であり、それを教えてもらったから皆はこのままではいられない。岡部倫太郎に伝えなければならない。

「うん・・・」
「でも・・・」

確かに二人は早まった。誤解し、勘違いして岡部を攻撃してしまった。それは謝って簡単に許されてしまっていいものではない。
それは自覚している。そうあるべきで間違ったときは正してほしい。だから怒られた事に納得しているし反省した。

だが

「ねえオカリン」
「なんだ?」

「オカリンが上条君を攻撃したのっていつだっけ」




まどかの言葉に岡部の体は固まった。




「あれだな・・・・・確か『僕と、結婚してください』の『僕の―』部分で既に先制攻撃の初動モーションは完了していたな、偶然にも・・・・うん」

「「「「「「「「「早いよ」」」」」」」」」

話を聞く、話す、確かめる。そんな約束契約はどこえやら、まさかの最初の台詞、物語が始まって最初の数行目で岡部倫太郎は上条恭介を攻撃していた。

「・・・・あのねオカリン?」
「う、うむ」
「なんで攻撃したの?」
「ゆまにリーディング・シュタイナーが発動したと思って・・・・・」
「それだけか?」
「・・・・・上条のこれまでの実績からほぼクロだと思いまして・・・・・」

まどかとあいりの問いにタジタジになる岡部がここにいた。

「だからって不意打ちはどうなの?」
「だっていつも上条は・・・・・・すまん、カッとなって」
「だからって暴力は駄目なんじゃないか?」
「その・・・・完全オリジナルにしては登場人物の行動に重なる所が見られたからもしかしたらの可能性を考慮して―――」
「「それで確かめもせずに攻撃したんだ」」
「・・・・・・・はい」

いつの間にか立場が逆転し、少女二人から正座で怒られている少年がいた。悲しい事に自らの言葉がモロにブーメランとなって突き刺さっている。

「オカリン自分がなんて言ったか覚えてる?」
「はい」
「じゃあ何で攻撃したんだよ」
「カッとなって」
「ふーん」

冷たく見降ろされて少年は小さく背を丸めた。自分が矛盾している事は彼とて気づいていた。が、それはそれ、これはこれ、中身は大人でも今は中学三年生の男の子、感情に身を任せるのも子供の特権である。
確かにどの世界線でも男女関係の問題は上条少年が提供し、またラボメンガールズのほぼ全員がそれで死にかけたり魔女化しかけたりする悪夢がどの世界線でもあったわけだが・・・それは別の世界線のことであり、今ここにいる彼には関係ない筈だ。
きっとそれを弁えているであろう岡部倫太郎だが、世界は繋がっているのでもしかしたら罪は引き継がれてもいいんじゃないかとか都合のいい事を考え始めてきた。せっかくの平穏を彼のフラグ体質で崩壊させるわけにはいかない。
というよりも、この世界線での主な事件、戦闘は魔女を除けば彼の持ち込んでくる“それ”がほとんどなので正直岡部としては上条にさっさと身を固めてもらいたいと思う今日この頃、中学生に何言ってんだと思わなくもないし、その手の話を上条に全て投げ出してきたので責任を感じなくもないが頻繁すぎるので最近は匙を投げ始めてきている。

あ「まあ・・・・確かにあいつは毎度女連れてきて問題を誘発させるけどな」
ま「上条君は何もワザとやってるわけじゃないでしょ?・・・・・・ただ週一で魔女化しそうな子が出てくるのは困るけどね」
キ「恭介は一昨日も隣町の女の子を泣かせてたしねー」
織「悪気はなかったようだけど・・・・それでも思えば頻繁すぎるわね」
恭「――――ん?あ、あれ・・・?復帰したら何故か僕に対するバッシングが始まっているような?」
さ「あ、あたしは恭介を信じるよ!」
恭「さやか・・・・」
ゆ「ゆま昨日キョースケと一緒にその子のお家に遊びに言ったよ!」
さ「あ、もしもし仁美?・・・うん・・・・そう、“また”だよ。うん、待ってるから」
恭「さやか!?信じてるんだよね!?何の事かよく分かんないけど信じてくれているんだよね!?何で志筑さんに電話したの!?」
岡「お前・・・昨日の今日でどうしてそう関われるんだ?せめて俺達に連絡はしろとあれほど・・・・」
恭「で、でも凶真あの子は危険なんかじゃ――」
岡「そう信じて、結果前回の大戦にまで発展してしまったんだぞ」
ユ「ううん・・・・それを何度も体験してきた倫君の気持ちが少しだけ理解できるねー」

過去の世界線漂流で数々の問題を産み出してきた少年とは関係ないと言わないでもないが、この世界線でもたいして変わらない上条恭介だった。どの世界線でも彼は変わらずに上条恭介だった。
幸か不幸かはそれぞれが決めればいい。ただ断言できる。神様でも悪魔でも魔王でも、上条恭介は岡部倫太郎にとって代わらないでいてくれる少年でいてくれた。それは大変で迷惑で面倒で・・・それでいて幸いなことの一つだった。
そして岡部は思う。このまま話題が上条の制裁に移ってくれればいいなあと、普通に仲間である上条の不幸を心の中で祈った。

「・・・・・」

岡部がいつものように騒がしく、しかし幸いを感じていられる日常を少年を生贄にする事で良しと考えている時に、真っ赤なトマト状態のマミは思った。

(でも・・・・それって倫太郎もよね?)

上条恭介には劣るが岡部倫太郎と言う人物もまた恋愛の有る無しに関わらず色んな問題を持ちこんでくる。魔法少女に魔女、怪奇現象に摩訶不思議、FGの『雷ネット』を駆使して様々な情報を元に活動を休まず行っているから繋がりと問題を増やしていった。
それでいて上条恭介よりも恋愛関係で揉め事を起こさないのは経験と対処法を知っているからなのか、最大の理由は見た目以上に成熟した精神と体験から心得ているからだろう。
最も、その対処法の一つに相手の魔法少女の心の視線を上条に向けるように振る舞っている点が見え隠れしているのを知っているだけに、それに関して思う事はある。
口にはしないが、伝えればどうなってしまうのか分からなくて恐いから、だから伏せられたままの顔をゆっくりと動かし視線を唯一“それ”に関しては卑怯な人と思っている相手に向ければバッチリと――

「ぁ・・・・」
「む・・・・」

とっさに逸らした。

「!?」

ガーン!とショックを受けたような気配が感じたが、きっと自意識過剰なだけだと真っ赤に染まった耳を隠すついでに髪を整える振りをしながら表情と焦りも隠した。
なんだかんだ話は逸れていたような気がしていたのにやはり駄目だ。今の私は語られた話の内容によって彼を意識してしまっている。だから彼は今の話を・・・・ゆまちゃんの読んだ台本についてどう思っているのだろうかと気になった。困っているのは判るが、それだけじゃなくて自分と絡められた事に対して、まるで私が“それ”を向けているような内容だったから―――

「マ、マミに目を逸らされた・・・・っ」
「うーん・・・・・ダメージ受けすぎじゃないかなぁってアタシは思うんだけど、倫君ってほんと先輩のこと好きだよねぇ?」
「逆に考えるんだ。むしろマミの事が嫌いな奴が存在するのか?」

聴こえない。私は何も聴こえない。変に意識してしまいそうなので聴こえなかった振りに徹する。

「うん?何の話・・・・・って言うかいい加減に教えてよ皆が騒いでいたこと」
「ゆまが持ってきた劇に使う台本・・・・そのキャストを私達に当てはめて読んでもらったんです」
「むむ、興味があるね。どんな内容だったのか三行で」
「婚約、浮気、不倫・・・・ハッ?」
「今のフリに完全な回答を感謝するよあいり後輩」

キリカさんが簀巻きのまま疑問を提示すれば杏里さんが答える。何だかんだで優しいあいりさんだが出来れば今回だけは黙っていてほしかった。
杏里さんはナチュナルにネットスラングに対応してみせた事を恥ずかしがっているが今さらである。彼女が@ちゃんねらーなのは既に周知の事実、必死に誤魔化そうとする姿は可愛らしいが暁美さん同様無駄な努力である。しかしどうして彼女達は誤魔化すのだろうか?
そもそも・・・不味いのは私の方だ。杏里さんの言葉に皆が劇の内容を再び考え始めてしまい、その主役である私がいつまでも伏せているから気まずい雰囲気を醸し出してしまった。
・・・居たたまれない。なんとなく、無遠慮な視線は感じないが意識されているのはチクチクと感じる。せっかく話題が逸れたのに、赤くなっている顔を隠しているのに注目を浴びている気がしてドキドキしてきた。
勘違いしないでほしいのは、このドキドキは誰かに恋する素敵なドキドキとはかけ離れている冷や汗的なものだと言う事だ。美樹さんや志筑さんが羨ましいと心の底から思った。

「なにそれ面白そう!誰が婚約後に速攻で浮気まがいの心理状態のままで誰をどれだけ誘惑したのかな!!」
「キリカさん実は聞いていたりしてませんよね?」
「なんのことかな!さあさあ私にも教えておくれよ!」

ぐいぐいとキリカさんが拘束を解いて鹿目さんに詰め寄る。

「さあ誰が!誰を誘惑したんだい!」

彼女の中ではすでに登場人物がドロドロとした関係を構築している事に成っている。間違ってはいないが違うのだ。矛盾しているが、そう叫びたいが顔を上げきれない。
キリカさんはどこまで予測しているのだろうか?登場人物は私達、つまり彼女の予想している愛憎劇だった場合、そのドロドロした関係を行うのは創作の中とは言え私たち自身なのだ。その中にはキリカさんも含まれる。
彼女は楽しそうに可笑しそうに面白そうに興味深々のようだが、自分がその・・・浮気や?不倫?みたいな事をする人物に抜擢されている可能性を考慮していないのだろうか?おまけに誘惑する側になる可能性も・・・。

「まあ状況的に恩人が誰かを誘惑したんだろうね!茹ってるし!」

・・・ホントに彼女は変に鋭い。ここは寝たふり・・・・ではなく伏せたままやり過ごそう。
あれだ。今のでさらに注目度が上がってしまったではないか、もう許してください。私のライフは既に限界で、今の状況は死体蹴りをされているようなもので、そろそろ泣きそうだ。
倫太郎も織莉子さんも早く彼女を止めに動いて、内容が彼女の趣味にマッチしているだけに悲劇が繰り返される可能性は高いのを分かっている筈だから、お願い。

「相手は異性である恭介とオカリンに絞られる。しかし関係上のキャストを考えれば――――まあオカリンが相手かな!」

ああ、と心の中で頭を抱え込む。

「つまり恩人は婚約した相手がいながらオカリンを誘惑したってことかな!」

ぅ、うわあ!?当たってはいるが何か認められない事を大声で暴露された気分だ。作中でのことであってつまりフィクション、現実とは一切関係ないはずなのに恥ずかしい。
まだ中学生の私には特定の相手なんかいない、婚約なんてもってのほかだ。全ては創作物の、それも適当に配役を合わせられただけなのにどうしてこうも気恥ずかしいのか、もうぷるぷると体が震えているのが自分でも判る。
もう体中が熱くて嫌な汗と一緒になって流れるからお風呂に入って着替えたい。そして布団に潜ってこの日の事を全員が忘れるよう神様にお祈りして奇跡が起きるのを願いながら眠ってしまいたい。

「あれだね、このキャストからいくとストーリーは婚約した・・・いや違うプロポーズされた恩人はその幸せを噛み締めている最中にオカリンへの特別な気持ちに気づいてしまう。しかし婚約を交わしたばかりの身だからそれを封印しようと一人気分転換がてら散歩に出るも気づけば足はラボへ向かってしまい、そしてタイミングが良いのか悪いのかそこにはオカリンが!最初は逃げ出そうとするも外面を気にしてしまってズルズルと思い出話を混ぜながらの雑談を始めてしまう。恩人は全てを誤魔化そうとするも内心の心理状態に抑えきれない負荷ゆえか婚約したことを伝えオカリンの反応を色んな意味で期待しながらも・・・・しかしその時に恩人は気づく、自分は既に別の男性と結婚する約束を交わしておきながらその日、その夜に別の男に好意を確かめようとしている事実に罪悪感と虚脱感を抱き絶望する。そして気持ちの整理をする間もなくオカリンからの祝福の言葉を受けて決壊してしまうのだ。そう・・・恩人は自分でも制御できない感情に流されてオカリンを押し倒し――――――!」
「もうっ、もうやめて~~~~~~!!」

もう無理!真っ赤なまま魔力を総動員しキリカさんに飛びついて台詞を強制的に止めに入る。大袈裟かもしれないが魔力に頼らなければ動けないほど私の体と精神はへにょへにょになっているからキリカさんへのダメージはタダでは済まないだろう。
ああ、キリカさんはいったい何者なんだろうか。ここぞと言う時の勘、予想予感があまりにも真実に肉薄してしまうから恐ろしい。今回も若干のズレがあるがほとんど台本の内容と一致している。
そして泣きべそをかきながら腰に縋りついてキリカさんを止めるが彼女は腰にしがみついた私の頭を優しく撫でるだけで――――まるで真実であるかのように、まるで未来に起きる決定事項のように、さながら私の心情を代弁するがのごとく予測した物語を語り続ける。
私は顔をキリカさんのお腹に押し付けながら嫌々と動かすが多少くすぐったそうに身を捩るだけで彼女は嬉々としながら喋り続けた。
そして最悪な事に本来なら、いつもなら制止に動くラボメンもキリカさんの考え方に『ああ、そういう捉え方もありか』と聞き耳を立ててしまっている。なんだこの評論会、本をを読んだ後や映画を観終わった後の友人同士が語り合うかのようなトークが始まろうとしている。
冷静になってほしい、思い出してほしい、全ては創作であって学芸会で演じるストーリーだが出てくる登場人物は違和感なく自分たちなのだ。そこに疑問を持ってほしい、真剣に考えないでほしい、これじゃあまるで私が・・・・・・うぅ。

「もう、し、死んじゃうぅ」

限界の限界に達した私はずるずると、キリカさんの腰からずり落ちながら意識を手放したのだった。
判っているのに自分だけが意識していて恥ずかしい。
倫太郎は恋をしない。捧げてくれる愛情は親愛であって恋愛なんかじゃない。
それでいいし、そうであってほしい。
だから意識しないでさせないで。私は今のままでいいから、それ以上を望んだりしないから。
変わらない関係を、終わらない繋がりを、閉ざされない出会いを大切にしたい。

だからお願い。


私を――――








『妄想トリガー;巴マミ編』



―――・・・・ミ

誰かの声が聴こえる。ああ、倫太郎の声だ。

―――マ・・・ミ、マミ

呼んでいる。起きてあげなきゃ、ご飯の支度をしてそれから――

―――マミ

でも少しだけ待ってほしい。

―――マミ

いやだから・・・それに寝起きの姿を見られるのは恥ずかしいから――

―――マミ!

「ふぇ!?」

大きな声に驚いて、次の瞬間には浮遊感、落ちる感覚に不安と恐怖が込み上げてきて焦るもそれらを受け止める前に私は鈍痛に襲われた。

「にゃふ!?」

頬に感じる冷たいフローリングの感触。視界に映る見覚えのある小さなテーブルの脚のおかげでここがラボで、自分がソファーから落ちてしまったんだと瞬時に理解できた。
しかしテーブルとソファーの狭い間に落ちた私はしばらく呼吸困難による身悶えでぷるぷると震えていた。ソファーの高さはさほどない、むしろ低いのでダメージ自体は無いのだがやはり無意識化での衝撃はキツイ。
魔法少女は一般の人間よりも丈夫でタフだ。しかし筋力瞬発力耐久力がいかに抜きんでていたとしてもそれは魔力を使用していた場合。小指を箪笥にぶつければ痛いし紙で指を切りもする。料理中に火傷はするし電柱にぶつかれば涙目にもなる。
落ちている最中に姿勢を正そうとしたのが間違いだった。高さが無いぶん魔力を行使する時間は無く肉体を強化する暇もなかったし、半端な姿勢のせいで思いっきり胸の横から落ちて肺に衝撃がモロに届いたのだ。
あと蛇足としてここがラボだからか、安心から魔力行使による強制復帰を行おうという気はしなかった。これが外だった場合や戦闘中なら即回復に魔力を使用するが、ここなら外野の目もなく何より安全だ、ゆえに強制復帰という魔力を消費するほど緊急性は無いモノとし私は一人ぷるぷると震え続けた。

「大丈夫か!?」
「ふぐ、うう・・・・っ、い、痛いし苦しい」
「綺麗に落ちたからな、ゆっくりでいい・・・・立てるか?」
「う、うん・・・もう大丈夫みた―――――い?」
「どうした?」

差しだされた手を取って立ちあがり、気遣いにお礼を言って顔を上げればすぐ近くに倫太郎の顔があった。

・・・・oh

思い出した。

「ほらマミ、あまり気にするな」
「・・・・・気にするわよ」

色々と状況を思い出した私は項垂れながら頭を抱えた。ソファーに座りなおした私に麦茶を手渡しながら倫太郎は慰めてくれるが中々それは難しい。
失態とまではいかないが皆の前で恥ずかしさのあまりに気絶するなんて情けない。状況があんなだったとはいえ耐えるべきだった。あれもまた私達の日常に間違いないのだから今さらだろうに。

「はぁ」

本当に最近の私はどうかしている。彼ら彼女らに出会ったばかりの頃の方がもっとしっかりしていただろう。
慣れからくる緩みなのか、隙が多いと言うか油断が多いと言うか、変に外面を取り繕うとしなくなったのは良い事のはずだが限度があるだろう。
自分はラボメンの中では年長者に分類されていている。それなのに最近では年下の後輩であるみんなに慰められたりからかわれたりと・・・・・威厳が欲しいわけではないがこう、ね?
そろそろ本腰で対処しなければ頼れる先輩像は完全に霧散してしまう気がする。

「・・・・・他のみんなは?」
「つい五分前に帰っていったよ。君が起きるまで待っていようとしたが明日も学校だからな」
「杏里さんも?」
「ああ、明日から学校があるから今日は帰るそうだ」
 
窓に目を向ければ既に暗くなっていた。飛鳥さんや杏里さんは見滝原在住でもないのだからなおのこと長居は出来ない・・・・・・でもラボに泊らなかったんだ、と思考の片隅で思った。
杏里さんはよくラボに寝泊まりする。次いで飛鳥さんは付き添いとして、だからラボにある私物は彼女達の物が断トツで多い。家主たる倫太郎よりも多くなりつつある。

「・・・でも、学校があっても泊る事があるわよね」
「明日は授業前に全校集会があるらしい」
「ふーん」

何故か、本当に今更ながら同じ年頃の異性の家に泊り、なおかつ世話を焼き下着もそのまま専用の戸棚にしまっている彼女達は彼の事をどう思っているのだろうかと気になった。
前々から思って、しかし口にすることなく今日まで来たのは頻度の違いはあっても誰もが少なからずラボに泊り、私物を置いている現状に変わりがないからで“それ”の有無がどうあれ彼の答えは決まっているからだ。
決めつけるように予想しているが本人はそう宣言している態度だし、聞く話語る話しに登場する牧瀬紅莉栖さんを今でも好きなようだから、それに彼は私達ラボメンを子供としか見ていないから・・・問題が発生する気配も雰囲気もない。

「・・・・・中学生だもんね」
「?」
「なんでもないわ」

中身は大人と言うけれど、それを知って理解してはいるけれど、別世界線の私達はどう思っていたのかは分からないが今ここにいる私達にとって岡部倫太郎と言う少年は同い年の男の子でしかない。
見た目以上に時を重ねていようが、その背景でどれほどの人生を歩んでいようが、その過程でどんな関係を築いてきたとしても私達の取って岡部倫太郎は、ここにいる少年だけが本当なのだ。
別の世界なんか関係ない。敵でも味方でも、仲間でも他人でも、恋人でも友人でも、彼の記憶にいる私達と今の私達に大差がなくても、彼にとって代わらない存在だとしても――――

私達の岡部倫太郎は彼しかいない。

優しくて捻くれている。態度は大きいのによく縮こまる。良く笑うのに凹む事も多い。

私達を助けてくれた岡部倫太郎は彼だ。

いつも助けてくれて、いつだって傍にいてくれて、何度でも手を伸ばしてくれた。

私達が知っている岡部倫太郎は彼しかいない。

髪を撫でてくれる手は温かくて、抱きしめてくれる感触は心地よく、誰よりも純粋に愛してくれた。

私達に居場所を与えてくれたのは彼だ。

ただ、そこに愛はあっても恋は芽生えなかっただけだ。

そんな岡部倫太郎を、触れて慰めてくれるけど意識はしてくれない男の子を彼女達はどう思っているのだろうか?
感謝と好意はあるだろう。もしかしたら他の異性には向けた事のない強い感情も抱いているかもしれない。でもそれだけだ。そこで立ち止まって終わり。彼がそうさせてきた。それ以上は――駄目だ、と。
しかし同居人のゆまちゃんが語った話にあったように、彼も男で生理現象はある。枯れているわけではないのだから性欲もある。誰かを愛する気持ちがある以上、誰かを求めることはあるかもしれない。
それを知った。否、そんな当たり前のことは本当は最初から分かっていた。彼のこれまでの人生の過程と背景を言い訳に想う事は無駄だと思わされてきただけだ。そう思い込もうとしてきただけだ。
極論、迷惑だと言われている気がして、だけどその愛は本物だから離れて行く事は出来ない。友人として、知人として、仲の良い異性と言う意味では最高の人だから私達は理由が無い限り彼から離れる事は無いのだろう。
それこそ、ゆまちゃんが語ったように愛する伴侶が出来でもしない限り、今の心地よい関係を続けて行くのだろう。

「どうする、泊っていくか?」

真顔で、本気でそう聞いてくるのは相変わらずだ。お昼の創作とはいえお互いが主役の恋愛物語だったと言うのに意識していない。
恥ずかしさのあまり気を失ってしまったが、一度冷静になった私なら勘違いしないだろうという一種の信頼の表れかもしれない。
嬉しいが複雑だ。こうも、あからさまに、完全に異性に意識されないのもなかなか貴重な体験だが、やはり複雑だ。例え彼が相手だとはいえ、私も来年には高校生なのだ。

「えっと・・・」
「一応、バイト戦士が晩の支度はするといっていたな」
「なら、帰らなきゃ駄目ね」
「ああ、それがいい」

そして私に帰りを待つ人がいることを教え、ならと答えた私に彼は目をつぶって頷いた。微笑んだ優しい顔だ。
途中まで送ろうと言ってワザワザ白衣の上からコートを纏う後ろ姿に自然と言葉を贈った。受け取ってくれると嬉しい、自分の願望も混じった台詞を。

「・・・・・一緒にどう?きっとゆまちゃんも喜んで―――」

それは私が帰ったら彼はどうするんだろうと気になって、珍しい事に誰もラボで夜を過ごさないようだから、ご飯を一人で食べる寂しさを知っているからだ。彼はその寂しさを無くしてくれた一人だから。
今でこそ別々に暮らしているが岡部倫太郎とは一時期一緒に暮らしていた。その期間はとても短いけれど楽しかった、というよりも嬉しかったのを覚えている。代わる形で今は佐倉さんとゆまちゃんがいるが、彼が望むならいつでも迎え入れる気はある。

「いや、申し出はありがたいが今日も用事がある」
「―――――」

でも、きっと彼は帰ってこないだろう。遊びに来てはくれても二度とあの家に戻る事はない。

「ありがとう、また今度御馳走になりにくるよ」
「うん・・・・・御馳走を作って待ってるわ」
「それは楽しみだ。では行こう。もしかしたら追い付けるかもしれない」

私がコートを羽織るのを見て彼は玄関口へ歩き出す。その背を追いながら私は表には出さない落胆にため息を零した。

「ん、寒い」
「ああ、雪もそろそろ降るころか」

街灯に照らされた街中を二人で歩く。吐く息は白くて肌を刺す冷たさに首をコートの襟に埋めるようにして歩く。チラリと隣に視線を向ければ彼は真っ直ぐ前を見ていていつもと変わらない様子、そして今日も『用事』とやらのために先にある大きな交差点で別れるのだろう。
その『用事』はきっと彼女に会いに行くことだろう。ラボメンでありながらラボに寄りつかない魔法少女、誰よりも強くて誰よりも彼に求められている唯一岡部倫太郎を一人で戦場に立たせることが出来る少女。
物語で語られた■■さんではない。彼を追いかけてこの世界線まで辿り着けた天王寺綯さんでもない。桜の花が満開になる季節に彼と共に外国にいくことが分かっている最強の少女。
彼らの関係は私達とは違って変わっている。今ある関係を築いていなければ私は二人を軽蔑していただろう。今でも納得はできないのだから・・・しかしあの綯さんですら不機嫌そうにしながらも認めざる得ない実力の持ち主。
最初に選ばれたラボメンであり彼のパートナー。私達『ワルキューレ』の中で最強の魔法少女、岡部倫太郎が求めるその実力、精神、特性、人物背景全てが条件を満たしている彼女のもとへ、今日もこんな時間から会いに行く。その足で、その意思で。
私や佐倉さん、ゆまちゃんとの夕食を断って、断念してでも優先する少女。・・・・・・・場違いなのは自覚しているが、やはり少しだけ寂しいと思ってしまう。
先約があったのだから当然、後から来た私達よりも優先すべき事だけど――――数ヵ月後の事を考えれば今は私達の事を優先してほしいなんて勝手な思いを抱いた。

「雪が降って、年を越して春が来たら桜が咲いて、見慣れたこの道の桜が満開になったら」
「卒業だな」

これまであまり話題にしなかった類の話。理由はきっと色々あるがその一つを倫太郎はあっさりと、その言葉を口にした。

「そしてすぐに高校生だ。入学式には一度帰ってくるから、その日の放課後はあけていてくれよ」
「それはこっちの台詞よ。倫太郎こそちゃんと帰ってこないと嫌いになるからね?」
「・・・・・・・え?」
「倫太郎・・・・本気で顔を曇らせないで、複雑な気持ちになっちゃうから、ね?」

その意味は、その言葉の意味を理解しているだけに寂しさが込み上げてくる。

「だ、大丈夫だ!時期的に何もなかったと記憶している。仮にあったところで俺の力はその時点では必要ないからな、覇道の権力と財力を使わせてもらってでも帰ってくるよ」
「あまり迷惑をかけちゃダメよ」
「ふっ、狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真の協力を授かるのだ、その程度の労力は本来当然と言えよう!」

傲慢に尊大に、それでありながら優しい人。そんな彼との別れを意味するから、春の訪れを拒んでいる自分がいる。
正常なる時の流れを望んでここまで来てくれた彼には悪いが、ラボメンの何人かはそう思っている。

「ん、此処までだな」

そんな私の気持ちに気づくはずもなく、歩く速度を緩めてもみたが交差点にはすぐに着いてしまった。
私はそのまま道なりに曲がって自宅のマンションへ、彼は信号を渡って彼女のもとへ。
それが今までの、これまでだった。それがいつもの事で、今日もそのはずだった。

「マミ、大丈夫だと思うが気をつけて帰れよ」

そう言って、そう言い残して背を向ける。

「ええ、また明日」

手を振って、振り返してくれた倫太郎はもう振り返らない。
真っ直ぐに前を向き続けて歩く。いつまでも変わらない、いつだって前を歩いてくれていた。
出会ってからその後ろ姿をずっと見てきた。だから今日も街灯と車のライトに照らされている姿を見送ろうとした。

―――■■■■

どこかで、その光景を見た事があるような気がした。
同時に、胸を引き裂く言葉を聞いたような気がした。

「―――――待って!」

気づけばその背に声を、走って追いかけてコートを引っ張って遠ざかる人を引き止めた。
横断歩道の真ん中あたりだったから、彼はもちろん周りにいた人達も何事かと驚いて視線をこちらに注いでくる。

「マミ?」
「ぁ」

とっさな行動だったから私は何を言ったらいいか迷い口をあわあわと動かす事しかできない。真横に停車している車からも視線を感じて焦りばかりが募っていく。
原因は頭をよぎった言葉。でも思い出せない、思い出す事が出来れば対応する事もできるのに、何も分からないから説明も弁論も出来ずに慌てるばかり。

「マミ、こっちに」

ぐい、と倫太郎の大きな手に引っ張られ、とりあえず信号を渡る。
渡り切ったときには不特定多数の視線が減り少なからず冷静さを取り戻せた。

「どうしたんだ急に?」

と、傍から聴こえてくる声に反応して顔を上げれば真剣な表情のままこちらを倫太郎が見ていた。
あ、たぶん勘違いされている。きっと彼は私が何か異常なものを感知したんだと・・・もうこれは職業病かもしれない。今回は私がまだお話しをしたかっただけで―――

「・・え・・・!?」
「マ、マミ?」

私はただ、離れたくなかっただけかもしれないと自覚して顔が赤くなる。

「・・・え?ええ!?」
「おいマミどうしたっ、なにがあった!?」

その叫び声をまた勘違いしたのか、両肩を掴んで名前を呼ぶ倫太郎の視線から逃れるように私は顔を伏せる。
遠ざかっていく後ろ姿に私は何時かを思い出し・・・・・違う、たぶん今の私はお昼の惨劇と卒業を後のことをごっちゃに考えてしまって不安になって混乱しているだけだ。きっとそうだ、だから落ち着かないといけない。自分に言い聞かせる。
早く誤解を解いて安心させないと、それと状況も改善しないといけない。外野の視点では私達はまるで見つめ合い、そして抱き合っているように見えている筈だから。

「マミ!」

しかし肩に乗せられた手と正面から名前を呼ばれて恥ずかしさが勝ってしまう。今の行動理由を彼に悟られたらまた気絶する自信がある。情けない自信だが前科は既にあるのだから油断は出来ない。
倫太郎の胸元のコートを両手で掴んでしまっているのも落ちつけない原因の一つだが、そのおかげで顔を伏せれば隠せる。倫太郎が肩を押して顔を覗き込もうとするのを胸元に顔を埋める事で回避―――――

(うわああああああ!?余計誤解されるし恥ずかしいっ!?)

案の定、倫太郎は周囲に目を走らせ私の背中に腕を回して身構えた・・・・何も知らない外野から見たら分からないが倫太郎は準臨戦態勢、警戒心を顕わに緊張している。ロマンス感ゼロだ。
彼は私が何者かの存在に気づき、かつ何らかの攻撃を受けている可能性を想定している。いや・・・・うん、前例がない事もないのだけど空気の違いに罪悪感を抱いてしまう。
彼は真面目に誠実にこちらの心配をしつつ備えているというのに、原因の私は『大丈夫』の一声も出せなかった。声は出せば裏返る、顔を上げれば真っ赤に染まった理由を問われるからと身動きがとれない。
悟られないために、恥ずかしくてさらに顔を埋めれば抱きしめ返されるように背中に回った腕に力が込められた。それが温かくて、申し訳なさが込み上げてきて、だけど何処か心地よかった。
心配し周囲を警戒する倫太郎が神経を尖らせている中、私は混乱しながらも、恥ずかしながらも今を享受した。普段なら出来なかっただろうそれを出来たのは別れが近づいているからかもしれない。
今だけはと素直に、日に日に近づいてくる別れの日に抵抗するように、私は何かをしたいのかもしれない。

「マミ、いったい何があった。俺には何も感じられん」
「・・・・」
「マミ?」

岡部倫太郎。いつもラボで私達を迎え入れてくれていた彼は見滝原中学を卒業後――――高校へ進学することなく外国へと旅立つ。

「・・・お願いが、あるの」

それを知ったのはもう大分前のはずなのに、私は未だに万全な納得を得られていなかった。

「マミ?」

だから今は、せめて顔の赤みが引くまではこうしていたかった。











その頃、奇跡の再会を果たしたラボメン№01天王寺綯は№03インキュベーターキュウべぇと一緒に魔女ではなく、人間を駆逐していた。
見滝原ではない、その周辺地域でもない。電車で三時間以上かかる遠方の街。その暗く人通りのまったくない一画で綯は複数の男達を徹底的に痛みつけていた。その様子は拷問に近く、他のラボメンには見せられないありさまだ。
綯は足元に転がっている一人の頭にぐりぐりと靴底を押し付けながら手に着いていた血をハンカチで拭きながら傍らにいる少女に話しかける。

「あーもー、汚いなぁ。それに返り血って意外と気づかない所にも跳ねちゃっていたりして後始末が大変なんですよねー」
「魔法を使えばいいじゃないか、どうしてわざわざナイフなんか使うんだい?」
「その方が相手に恐怖を与えきれるからですよ」
「正体不明な力で弄られた方が怖いと思うんだけどな」
「この手の人達ですから現実味をもったナイフがいいんですよ。私のリハビリにもなりますし、それに摩訶不思議な力を前にしたら変に狂っちゃう人もいますからね」
「ふーん?置くが深いんだね人間って」
「ええ」

彼女達はここで今後邪魔になる敵対組織を殲滅していた。ここだけじゃない、ここ数日いくつもの組織を潰して回っている。今日はここで二件目、これ以上はもっと遠くになるので今度に回す予定だ。
ちなみに潰して回っている組織の基準は至ってシンプル。『ラボメン』に悪影響を与える“可能性を含んでいる”人間がいるかどうか、だ。あまりにも一方的な制裁、有無を言わさぬ虐殺、あまりにもお粗末な判断基準。
その理解しかねる基準により今、綯とキュウべぇの足元には数十人以上の重傷者が存在していた。いきなり襲われて、まだ何もしていないのに制裁された。

「今回も派手に陰湿に徹底的にやったねぇ」
「あら、何か不満なんですか?」
「凶真が知ったら、と思うとちょっとね」
「あらあら、“貴女”も可愛いこと言うようになりましたね。いつかの貴女みたいですよ」
「そうなのかな?」

綯が自分の隣でしゃがみ込みながら“不幸な事に”まだ死にきれていない男達が全員意識を保っているのを確認している少女に頷いて見せれば、少女は首を傾げた。
黒髪のツインテールに背中には巨大なリュックサックを背負った小学生にしか見えない少女、その首には銀色のアクセサリーがついたチョーカーをつけている紅い瞳を持つ彼女は地球外生命体インキュベーターキュウべぇだ。
本来の彼女達は感情を抱く事は出来ない存在だが、綯の目の前で人間の少女の姿をしている個体だけは違う。彼女は岡部倫太郎からラボメンの証を授かり未来ガジェットマギカで他の個体とは別個の一生命体として現在を謳歌している。
謳歌・・・しているはずだった。感情という不安定でどうしようもないそれを体験し学んでいる彼女は日々忙しくも充実しているはずだったのに、気づけばこんな暗くて血生臭い場所でしゃがみ込んでいる。

「まあいいや、さっさと終わらせよう」

本当なら今頃はマミの家かラボでゴロゴロしながら炬燵でミカンでも食べて感情を勉強している筈なのに、なたはダラダラと人間は不思議だなぁと世界不思議発見再放送を見ながらネットサーフィンをしたかったのにと心の中で愚痴る知的生命体。
それがどうしてこんな目にあうのか、理不尽に思い、同時に心の中に感じる不満という名の感情にゾクゾクしたりしている。FGM01を得て、さらに人間の姿を手に入れてからと言うもの新鮮な気持ち、そう気持ちを感じる事ができて彼女的には良しとしているのだが、やはり綯のお手伝いは余り気が進まない。
形はどうあれ感情を学べている以上、収穫はあるはずなのだが、現状何をしても感情の欠片や揺らぎは取得できるので好き嫌いレベルのあれだが、キュウべぇはこの手の作業があまり好きではない。

「何か用事でも?」
「今からじゃ見滝原に戻ってもハーフプライスラべリングタイムは終わってるだろうから、この辺のお店を下見したいんだ」
「ああ、なるほど」
「いいお店があれば凶真と杏子にも教えてあげなくちゃ」
「貴女達はホントに好きですねぇ、半額弁当争奪戦・・・・楽しいですか?」
「需要と供給の狭間で己の資金、生活、そして誇りを懸けてあらゆる戦略と戦術をくしてギリギリのクロスポイントを大人数での乱戦を――――!」
「ああ、はいはい判りました分かりましたから落ち着いてください!」
「むぅ、まだ伝えきれていないんだけどな・・・」

身を乗り出して鼻息荒く詰め寄るキュウべぇの肩に手を置いて引き剥がす綯は少しウンザリ気味だ。あのインキュベータがキラキラと瞳を輝かせるほど興味を持つそれを知っているが、体験もしたが綯には良さがうまく判らなかった。
『半値印証時刻【ハーフプライスラべリングタイム】』。キュウべえが熱く語るそれは早い話、スーパーのお弁当の半額弁当を文字通りの大人数でのバトルロワイヤル形式で奪い合うという殺伐としたものだ。男も女も子供も老人も関係ない、誰もが全力の拳と蹴りで容赦なく殴り合いながら求める弁当を狙う弱肉強食の世界。
信じられない事に大人でも気絶してしまうほどの殴り合いに小学生の女の子や、腰の曲がった老人までもが進んで参加し、時には勝利するという、綯には理解しがたい争奪戦なのだ。
何度か参加し、魔力を持ち得ない人間の攻撃に何度も膝をつくという理解不能の経験が綯にはある。キュウべぇや想い人が言うには・・・・いやよそう、これ以上話を広げても意味はない。

「別に構いませんけど、魔力は極力使わないで下さいよ」
「何を言ってるんだい?手を抜くなんて他の皆を侮辱する行為、絶対に許されないよ」
「いえ・・・・さすがにそんな大層なものじゃ――――」
「誇りを汚す事なんかできない。僕はいつだって全力で挑む!」

真剣に語る様子は状況さえ違えば心に響いたのだろうが、今の綯には届かない。

「そもそも手を抜いたりなんかしたら争奪戦は勝てないよ」
「それが不思議なんですよね。あの独特で妙な空間、ちょっとした魔女の結界ですよ」
「持てる力を出し惜しみする者に勝利の女神は微笑まないさ」

本当に、不思議だ。見た目はロリでも実際には武装した集団をジェノサイドすることなど造作もない彼女は一度も弁当を奪取したことがない。
基本乱戦を突破できず、たまに力尽き、最悪気絶したことすらある。それも幼子の攻撃で・・・軽くトラウマになった。

「剥き出しの魂を燃やして全力を尽くす。その熱くて誰もが我を通そうとする一瞬一瞬はいつも僕の心を震わせてくれる・・・・・綯、君にもこの気持ちを知ってもらいたいんだ!」
「オカリンおじさんも同じこと言ってましたけど、どうも私には向いていないみたいです」
「心を濁さず、狙いを澄まし、想うべきは望んだ弁当ただ一つ。それだけで世界は変わるんだよ?」
「そんな不思議そうに首を可愛く傾げないでください。私だってオカリンおじさんと同じ世界を共有したいのに・・・・これでも地味に悩んでるですから」

ションボリと、綯が珍しい事に落ち込んでしまった。

「まどかや恭介、ゆまにも負けちゃったしね。ああそうそう、昨日も一昨日も僕に負けちゃったよね」
「ぐぬぬ」
「『ザンギ弁当』は本当に美味しかったよ」

そこに追い打ちをかけるあたり、まだ人間の感情を把握しきれていないなと、空気を読めないようだと綯は判断した。
割と、マジで深刻になりつつある課題なのだ。魔力をカットしているからといって一般人のそれと変わらない者に敗北をしているのだ。『シティ』に旅立つ前にこれでは先が思いやられる。最悪、想い人から戦力外通告を下されるかもしれない。
まあ本人からはそれとこれは全く別の話だから気にするなと言われたが、これでも数々の戦場を潜り抜けてきた身としては・・・・・・・。

「もういいです!さっさとすませて帰りましょう!」

なんだか考えるだけ虚しくなってきた綯は声を張り上げて腕を振るう。

「リアルブート」

その言葉と同時に空間に亀裂が入り、現実を侵食する光景がキュウべぇの紅い目に映った。

「・・・」
「あら?どうしました?」

綯は逆十字架のデザインをしている異形の剣を空間の裂け目から引き抜きながら此方を、正確にはディソードをマジマジと観察、観測しているキュウべぇに問う。
確かに非現実的な現象、摩訶不思議な現象、しかし彼女は元の力を失おうとも、切り離されたとはいえ魔法の使者インキュベーター、この程度の事象、幾度も経験し体験し観測し干渉してきた筈だ。
そもそもディソード自体、見慣れたものだろうに。

「やっぱり変だよね、それ」
「それ呼ばわりしないでください。こんなんでも私の心象風景なんですから」
「君はディソードを使わない方が良いんじゃないかな」
「どうしてまた?これほど便利で有利で優先的なモノはないでしょう?」
「だって痛そうじゃん」
「痛覚は遮断してますから大丈夫ですよ。ほんと魔法少女の体って便利ですよね」

傷跡も残りませんから、と淡々と語る綯の様子にキュウべぇは肯定も否定もしなかった。ただ黙って綯の手から赤い血が零れていく様を無言で見つめる。
零れ落ちていく、と言うよりも流れていくが正しいかもしれない。ディソードの柄を握った綯の右手からは止まる気配のない血がずっと流れ続けている。

『ディソード・トリカブト』。トリカブトの花言葉は『美しき輝き』『人嫌い』『騎士道』――――そして『栄光』と『復讐』。

豪華絢爛神聖邪悪。強靭な威容に圧倒的存在感。メタルカラーの傷一つない宝石のような装甲をした妄想の剣。SF作品のゲームに出てきそうな形状の美しくも禍々しい攻撃的なデザイン。
剣先から柄の先まで全てが刃で出来ている諸刃の剣。ゆえに、だからこそ綯の右手は血塗れだった。例え持ち主だろうと関係ない、この剣は全てを切り裂き全てを拒絶する。

「痛々しいね、気持ち悪い」
「ハッキリ言いすぎです!これでもオカリンおじさんが初めてリアルブートした時のよりは全然まともな方なんですからっ」
「その時と今は違うんだろ?なら比べる事すら凶真に失礼だよ」
「むう、言ってくれますねぇ」

なんとなく険悪な雰囲気になりそうだが、キュウべぇは別に喧嘩を売っているわけではない。また、綯も心のない言葉に傷ついてもいないし不快な思いもしてない。
自覚しているから、自分が歪んでいる事を、壊れている事を理解し受け止めている。かつての岡部のディソードが枯れ樹のように色あせていた時とは違う壊れ方、自分はそういう性質なんだと受け入れたから綯は気にしない事にしている。
別段、使用するのに困ることは少ないのだ。大抵はビジュアル的に倫理規定が入りそうなのと、時たま指を謝って“落としてしまう”ことがある程度、今さらである。魔法少女万歳。

「凶真はギガロマニアックスの使用そのものを禁止にしようといている」
「まあ、普通はそうでしょう。これって全魔法、全ガジェットの中でもトップクラスの最悪最低最凶下劣な代物ですからね」
「でも使うしかないんだよね、キョーマは」
「ええ、恭介君と違って基本『ワルキューレ』無しのオカリンのじさんは雑魚ですからね」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・なんですか」
「知ってるくせに」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・知りません」
「そうかい、ならそれでいいさ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんなんですか、最後まで言ってくださいよ」
「彼女達がいる以上、その言葉は意味を成さない」
「・・・・・・・・・むぅ」
「『ワルキューレ』がなくても僕と彼女達がいれば凶真は十分に戦える。十分すぎるほどにね」
「私がいなくても、ですか」
「それはザーギン達との戦闘で実感しただろ?今頃は凶真、彼女達に会いにいってるんじゃないかな?」

日が沈んだ時間、暗い街角の一画で綯は体を小さく丸めて落ち込んだ。

「落ち込みすぎじゃないかな?」

片手が血塗れな少女が拷問されたであろう男の背中の上で『の』の字を書いているシュールすぎる光景にキュウべぇはため息を零す。
キュウべぇは天王寺綯の岡部倫太郎とNDで繋がった時の規格外の強さを知っている。並みの魔女や魔法少女が相手なら負け無し、魔人や英雄クラスでもない限り傷を負う事もない魔法少女。
現状、彼女に勝てるラボメンは『ワルキューレ』の中でも二人しかいない。その内の一人は男である上条恭介で、しかし彼の強さの源もまた四号機のギガロマニアックスによるものなので、やはりこのガジェットは廃棄には出来ないだろう。

「ま、僕が考えた所でどうしようもないか」
「・・・・・」
「ほら綯、落ち込んだ振りはもういいからさっさとしてよ」
「・・・・・振りってなんですか、振りって・・・・私は――――」
「君はもう決めちゃったんだろう?」
「・・・・・」

淡々と言われて、感情をあまり乗せていない発言に綯は本当に少し落ち込む。あまり興味がないらしい、それこそ先程語った弁当争奪戦に比べれば分かりやすいぐらい。
仲良くしたいと思ってはいるが彼女は自分にあまり関心がない。日々感情の蓄積に西へ東へ、それこそ感情の赴くがままに動きまわる姿は子供そのもの、だけど自分に対してはやや冷たく感じる。
嫌われてはいないと思う。だって最初の頃は興味深々にひっついてきたのだ。それこそ四六時中、とても可愛らしかった。とても愛らしかったのに・・・・・。

「えっと・・・・まだ怒ってるんですか?」
「別に、僕はまだ『怒り』の感情をマスターしてないからね」

そうは言うが、ぷい、と顔を逸らすキュウべぇの頬は膨らんでいた。

「えーっとですね、オカリンのじさんとあの人とのことはホントに――――」
「別に言い訳なんかしなくていいよ」

そう言いながら背を向けてキュウべぇは綯から離れていく。
元より此処へは綯が半場無理矢理連れてきた。しかしそれに対し怒っているわけではない、キュウべぇは形はどうあれ行動する事に、人の感情渦巻く場所に同行することは寧ろ望むところ状態なので原因はそれではない。
では何か?感情を得る事が出来るようになったとはいえ、その感情は幼く文字通り知識だけを内包する子供である彼女はいったい何を怒っているのだろうか?

「えぁっとっ、ちょっと待ってください!すぐ“仕込んで”終わらせますからっ」

キン、と金属音。クァァアアンと電子音。綯の持つディソードから赤紫色の光と異音が放たれ見えない何かが広がっていく。
それはこの一画にいる全ての人間に届いた。気絶してる者も死にかけている者も、現場を観ている者も聴いている者にも届いた。綯達に知覚出来ない存在がいても届けば問題ない、光でも音でもどちらでもいい―――汚染されれば皆同じ。
ヒュン!と綯は一度ディソードを大きく振って感触を確かめるように、ディソードの刃が手の平を傷つけるがググ、と握る。

「ふぅ、今回はどうやら問題ないですね」

ディソードから跳ばした精神汚染の波がソナーのように戻ってきて成果を知り、綯は今回の任務、独自の判断で敵対可能性のある人物を今後、それこそ解除、除染しなければ一生都合のいいように細工できたことに満足した。
この行為、岡部倫太郎には秘密にしている。敵対組織の索敵&殲滅は岡部との話し合い次第ではGOサインが出るのだが、もっぱら綯は独断先行速攻撃破を行う。理由は岡部倫太郎が今のを絶対に許さないと知っているからだ。
精神汚染。FGM04号『超誇大妄想狂【ギガロマニアックス】』。思考投影五感制御を自他問わず強制できる“非人道的兵器”。魔女や魔法少女相手には効果は薄いが人の感情すらも操る“これ”はかつて岡部倫太郎や自分が憎んで恨んだ組織の望んだ到達点の一つだ。
これを使えば人を支配できる。体だけじゃない、文字通り心も。悪逆非道、悪辣卑劣、外道で化け物。これはそういうものだ。存在してはいけない力を内包している。岡部倫太郎はこのガジェットに頼ると同時に恐れて憎んでいる。
例え敵対関係にある者だろうが“それ”だけは、と岡部倫太郎はブレーキをかける。決して使わないわけじゃない。そこまで甘ちゃんでもなければ弱くもない。使うときは使う。必要ならそれを持って相手を助ける。
ただ綯のように自殺因子とでも表現すればいいのか、その場で止めを刺すことなく利用できるだけ利用して、禁則事項に触れた瞬間自ら命を絶たせる爆弾を植え付ける行為はしなかった。

「都合がよくて、何よりも安全なのに。オカリンおじさんも分かってるくせに・・・」
「にも関わらず、君は使っちゃうんだね」
「あの人のため、って言えば格好いいんですけどねぇ」
「気づかれたら悲しむだろうね」
「だから黙っていてくださいよ?」
「・・・・本気で気づかれていなと思っているの?」
「ははは、まさか――――知ってますよ」

そのたびに岡部倫太郎は精神汚染された人間の元に足を運び、綯と話し合いを設け、ガジェットを取り上げ自分を責めるのだ。己の責務をラボメンに背負わせてしまったと。
悲しませたくないと、それを第一条件として天王寺綯は行動したいのに現実はそうもいかない。だって知っているのだ。識っている、視っている。世界は時に残酷で、そこに住まう人間は確実に汚くて愚かな生き物なのを。
魔女を倒せても、魔法少女を退けても、運命に打ち勝てても、人間だけはどうしようもない。岡部倫太郎でも全ての人間の闇を物色する事は出来ない。その方向を誘導できても駆逐することはできない。
それができるガジェットが、まさに四号機なのだが―――――実現した場合、それはもう人の世界とはいない。

「私はオカリンおじさんの世界を護ります。そこに住む人も、その人たちが住む居場所も、その人たちは作ってきた時間も」
「・・・・・・」
「それを壊すなら、汚すなら、邪魔するならどうぞご自由に、です。その権利は誰にでもあるし、そうであるべきでしょう。ただお覚悟を、私は決めた以上―――遠慮なく容赦なく加減なくぶっ殺します」

くるくると、ナイフとディソードを持ったまま、血を零しながら綯は宣言した。それは世界に対してでもあり仲間であるキュウべぇにも、だ。
見た目はちっちゃな少女の癖に発言内容も行動基準も内面強度もいい感じに狂っている。キュウべぇはそんあ綯のことが嫌いではない。合理的で効率的な考え方には賛同している部分も大いにある。
だけど、感情を手に入れてからこうも不安と言う名の気持ち悪い部分を引き出させる相手だから好きなのに嫌い、一緒にいたいけど苦手、優しいのに恐いと、相反する感情が一緒になってしまうから混乱してしまう。
気持ち悪いと、口には出せないモノがたびたび溢れてしまう。

「凶真に嫌われたら、君は悲しむ?」
「ええ、きっと世界を滅ぼしたくなるでしょうね。だけど私は―――――」
「僕も、君が凶真と喧嘩したら悲しい」
「――――」
「まして、いなくなったりしたら泣くかもしれない。だから綯、あまりそうゆうことはしないでね」
「・・・・」
「僕は君の事が好きなんだから少しは・・・・・うん、まあいいや」

うまく今の感情を言葉に出来ないからキュウべぇは本心を語った。自分でもよくわかっていないのだから文脈と繋がっていない事も、タイミングが変な事も――――だけど不思議とスッキリしたからキュウべぇは再び綯に背を向けて歩きだした。
言いたい事だけを言って場を離れるのは逃げとも思われるが、現状のキュウべぇにはそこまで思考は回らない。ただ胸の内にあったもやもやを吐き出せて満足したから、後は不快なこの場所から離れる。
相手の返答をまたない自分勝手なコミュニケーションだがインキュベーターの彼女にとってこれは無自覚な成長、進歩だろう。感情を表に、それこそ『好意』を自覚して言葉にできたのだから。
固まっていた綯はハッとして、次いで顔を嬉しそうに赤くしながら傷ついた掌を修復、強大なリュックを背負った少女の後を急いで追いかけた。

「もう待ってくださいよ!一緒に行きましょうよっ」
「え?ヤダよ」
「ええ!?なんでですか!?」
「これからスーパー巡りするのに血生臭い君を連れて歩けるわけないだろう。衛生面は業務員だけではなく客も徹底すべきだよ」
「ちょ、ええっとじゃあ――――!」

ふん!と気合を込めて綯は魔力を解放、服装が、と言うよりも見た目が瞬時に再構築される。小学低学年(中学生時の姿)の見た目から綯は大人の姿に変わる。
袖口が広く柔らかい印象の襟元もまた広いふわふわした上着に黒と茶色の中間のようなワンピース、首にはネックレス、髪も背中まで伸ばされゴムで二房に纏められている。

「これ!これなら大丈夫ですね!」

身長も伸び顔つきも大人びた――――筈なのだが童顔のままだ。綺麗と可愛いを完全にマッチングさせた美女であり美少女。天王寺綯成人version。
その北欧の血が混じっている瞳は嬉しそうにキュウべぇに同意を求めた。若干距離を感じてきたこの頃、しかし嫌われていたわけではないと分かって綯は嬉しかった。

「・・・・・」
「あ、あれ?」

しかし何故だろう。キュウべぇの視線には非難の色があった。

「誰ですか貴女、話しかけてこないでください」
「ええ!?なんでいっそう冷たくなるんですか!?」
「知りません、ついてこないでください。私、貴女の事が嫌いです」
「敬語で突き放されたっ?」

スタスタと先を歩き遠ざかっていくキュウべぇに綯は焦りながら駆け寄る。

「私も貴女の事が好きなんです!だから仲良く――――」
「僕にはまだ“それ”に関しての感情は薄いから他を当たってよ」
「私のことが好きだって言ってくれたじゃないですか!」
「リップサービスだよ」
「そうだったんですか!?」
「社交辞令でもいいよ、君の好きな方を選んで構わない」
「ええ・・・?私なにか気に障る事でも・・・?」
「別に」
「でも―――」
「その大きいのか小さいのか分かりにくい胸に手を当ててみるといいよ」
「え、胸ですか?」

意外な言葉につい驚いて、綯は言葉通りに己の胸に手を当てる。小さくは、ない。小ぶりよりも大きめで、巨乳よりも控えめな良いモノだと自画自賛する。
いや、そうでもしないと色々と大変な面子に囲まれているので女性には理解していただけるはずだ。日々、卑屈にならないためにも己の事を好きにならなくては・・・・。

「・・・?」
「ふんっ」

さておき、そんな一部のラボメンから見れば立派な胸元だが、感情が未発達であり“それ”以前に恥じらいの感情すら薄い彼女の口からそんな言葉が聴ける事に綯は内心驚いていた。
一号機によってキュウべぇにも感情の会得が可能になった世界線を岡部倫太郎を通して幾つが観測してきた。前回の世界線、此処に辿り着く直前の彼女に至っては完全に人のそれ、今の時期にここで思考出来るなら、今は無自覚でも感じる事が出来ることに綯の口元には笑みができた。

「なんだい綯、笑ってなんかして」
「いえいえ、なんだか嬉しくて」
「ふーん。僕の事を馬鹿にしてるんじゃないの?」
「まさか、そんなことありませんよ」
「どうだか」
「ほんとですよーっと」
「うわ!?」

綯はキュウべぇを巨大なリュックごと後ろから抱きあげた。

「ちょっ!?急に何をするんだよ綯ッ!!」
「ふふふー、成長しましたねーキュウべぇ」
「子供扱いはやめてくれッ、不愉快だ!」

ジタバタと両手両足をバタつかせて抵抗するも身長差から成すすべがないキュウべぇ、綯は器用に小柄な彼女の体を動かしてニコニコと笑顔のまま頬ずりを開始した。
頬っぺた同士をぐりぐりと、いちゃついているようにも見えるが背後には血塗れの惨状があるので第三者からすれば変な意味で地獄だった。

「今の貴女は何処から見ても立派な子供ですよ?見た目も心もね」
「ぬぅ」

ぐぬぬ、と悔しそうに顔を歪めるキュウべぇ。この世界線でも多くを失い、ラボメンの中で最も沢山のモノを得た存在。
ほとんどヌイグルミのような扱いに不満顔を浮かべるのも彼女が成長している証拠だろう。最初の頃はほんとに成すがまま、言われるがままだったのだから。
反発、反抗される事に嬉しい感情が沸くとはなかなか貴重な体験だと綯は思った。

「ああもうッ、いい加減にしてよ綯!!」

バッと綯の拘束を無理矢理振りほどき、解放されたキュウべぇは自分の足で着地する。

「だったら見た目を変えればいいんだろっ」
「あー・・・・・私は今の姿の方が好きなんですけどねぇ」
「みんながそう言うから僕としてもそうしたいけど、綯がうるさいから嫌だ」
「そ、そんなぁ」

名残惜しそうにする綯の声を無視しキュウべぇは歩く。今度こそ目的地のスーパーへ。一歩一歩前に進むたびにキュウべぇの姿は光に包まれる。そしてその姿全体に光を纏った瞬間、光は飛び散った。
その光が晴れた時にはキュウべぇの姿は変わっていた。先程の綯のように見た目が小学生だったその姿はグッと身長が伸び髪の色も金髪へ、背中の巨大なリュックサックだけは変化しないがキュウべぇもまた綯同様に美女と美少女の中間に位置した存在へと変わっていた。
腰まで届く金髪はボサボサだが、その所々ハネた髪は犬のような愛嬌を感じる。綯よりも胸も大きくて年齢設定も高校生version、一体どこで手に入れたのか丸富大学附属高校の制服を着用している。

「ああ、ちっちゃい方が抱きやすいのにぃ」
「情けない声を溢さないでよ。スーパーには元々この姿で行くんだからいいじゃないか、綯も争奪戦では今のまま参加すると良いんじゃないかな?」
「そうですけど・・・・」
「それに抱き心地なら今の方が良いと僕的には思うな」
「それもそうなんですけど」

先程のロリ体系はそれはそれで抱き心地は良いモノだった。しかし今の豊満な肉体に比べたら確かに負けてしまうだろう。イタリア人と日本人のハーフ(もどき)である容姿は出ているところは大きく、引っ込むべきところは細い。
綯にも父親譲りの外国の血による肌の白さや薄い瞳の色は他にはない美しさだが、メガネの奥で灯るキュウべぇの紅い瞳は幻想的でもっと美しかった。
美しい容姿。このレベルなら学校に通えば確実に注目の的になるだろう。その容姿からは想像もできない幼い精神もあってスキンシップも子供のようにフランクで過剰、勘違いするのは男も女も関係ない、無自覚に全てを魅了することは間違いない。


「凶真も気持ちよさそうに抱きしめて―――――――・・・・・・・なんでもないよ、うん」


しまったと顔をしかめたキュウべぇは突然走りだし―――逃走を図った。

「ちょーっと待ちなさい知的生命体!二、三、訊きたい事があります」

が、冷たい声と共に地面に押し倒されて、さらに冷たいナイフの腹が頸動脈の辺りを撫でるから背筋に鳥肌がたつ。

「正直に答えてください。今の台詞はいったい何がどうなってそのような行為に?」
「こ、行為には及んではないよ!?」
「行為、には?」
「行為にも!」
「それで?どこを触られてしまったんですか?」
「ん・・・・?いや、別に凶真が僕に何かをしたわけじゃ――――」
「つまり貴女自らその豊満な胸を押し付けてイベントフラグを開花させたということでいいんですね?」

鳥肌を撫でるようにナイフの刃が肌をなぞる。

「凶真ったら僕の肉体に欲情しちゃって困ったもんだよ迷惑だよ!!」

この瞬間、キュウべぇは岡部倫太郎を売ったのだった。

「ほう、つまり貴女はオカリンおじさんがオカリンおじさんの意思で貴女の体を好きにしたと?」
「目が据わってて恐いよ綯!?」

キュウべぇは肌を撫でるようになぞるナイフの冷たさにピクピクと反射で体が痙攣してしまう。また気持ちいいと怖い痛いの感情が混ざった言葉に出来ない何かが這い上がってきて困惑もする。
ただ下手にでていたのに一転して容赦のない綯の責めにキュウべぇはゾクゾクと背筋を震わせるが、このドキドキとする心臓の動悸が希望よりも熱く絶望よりも深い『愛』の前身である『恋』でないことを祈る。

「どうして・・・・・あげましょうかねぇ」
「うわわわわッ」

綯が冷たく見下ろす姿は本当に怖い。感情を得てからと言うもの魔女や突然の怪我に怯えたりする元無感情者だったが、最初の頃は何もかもが恐くて怖くて不安で外にもでられなかった。
慣れてからと言うもの、その手の耐性も出来てきたが完全に克服できたわけではない。これは、この感情は一生付きまとうものだろう。そして専らこの感情の発生する原因の人間は天王寺綯その人だ。
キュウべぇにとって天王寺綯は基本は好意的に接することができる人物。だが一度キレると手がつけられない。というか逆らえない。眼力といえばいいのか、その視線に縛られて動けなくなるのだ。

「ふぅ」
「っひぃ!?」

顔の筋肉が引き攣っているのがわかる。綯の動きと言葉にいちいちビビってしまう。

「・・・もういいです。どうせ嘘でしょう」

そしていつものように一気に感情が鎮火するから困る。アップダウンが激しくてついていけない。

「嘘って言っても抱きしめたのは本当の事なんでしょうけど、オカリンおじさんから抱きしめた・・・・それは嘘ですよね?」
「え?それは――――」
「え?」
「・・・・・うん、僕からだよ」
「・・・・・・・」
「ホ、ホントダヨ?」
「・・・・・・・・・・まあ、後日オカリンおじさんに確認しましょう」

そう言ってナイフを服の下に隠す綯、とりあえず距離をおきたいキュウべぇ。
後日、岡部は綯に問われ、いつものように誤解されながらも一部の真実の為に折檻される事になるが別の話になるので省略。
ぱたぱたと小動物のように綯から距離をとったキュウべぇは不満そうに声を上げた。

「―――――ななな綯ッ、君だけじゃないけどラボメンのほとんどは武力で脅しをかけてくるのを即刻止めるべきだよ」
「分かってはいるんですけどね・・・・・手っ取り早くて楽なんですよね」
「短絡的すぎるんだよ!そんなんだから何時も何処でもどの世界線でも問題になっていたんでしょッ、君はそれを観てきたんだろう?」
「あー、そうなんですけど・・・・・・いざ自分が同じ立場になると我慢できないんですよねぇ不思議と、殺意が我慢できなくて」
「いま殺意って言っちゃったよ・・・・君は――――」
「ほら、私って主観では百年以上オアズケくらってる状況ですから」
「どんな言い訳だよまったく・・・・・はぁ」
「まだ分からないかもしれませんが人間にとって百年は、いえたったの一分も待てない時もあるんですよ」
「・・・・それで攻撃される身にもなってよ、今回は止めてくれたけど先日は本気で皮を剥がされそうになったんだから」
「貴女にもいつか分かる時がきますよ。少なくとも嫉妬の感情は芽生えてますから」
「そんな狂気的な気分は要らないんだけどね・・・・・・でもシット?」
「日本語の嫉妬ですからね」
「ふむん?」
「さっき、というか最近、私に冷たい態度をとっている原因もそれですよ」
「・・・・・?」
「・・・・・あら?貴女が怒っているのは、気に入らないのは私が“あの人”の『シティ』への同行を許可したからでしょう?」
「――――――ああ、なるほど」
「でしょ?」
「これが・・・・・ふむ、勉強になるね」

綯の身の上話は少なからず本人と岡部から多少は聞いている。だから多少は、判らなくもないのか理解をしようとは思っている。
強力な魔女にも、下劣な人間相手にも冷静に落ちついて常に堂々としている天王寺綯という人間は、岡部倫太郎の事になると途端に脆くなる事を知っている。

だけど、だから分からないのだ。

そんな彼女が、人間には耐えきれないだろう時間を観ている事しかできなかった彼女が、こうして触れ合えるこの世界で我慢している事が自分には分からないのだ。
彼女が岡部倫太郎に好意という感情を抱いている事は知っている。知識だけだがそれが大切なモノだと理解もしている。
それは普通、他者に渡したくないモノじゃないのか?岡部倫太郎と言う男を他の女に渡したくないと思うものじゃないのだろうか。
分からない。何故彼女は岡部倫太郎に対し“そう”でありながら、それこそ嫉妬の感情を抱きながら『あいつ』に彼との接触を許すのか。

「嫉妬か」

ふむふむと興味深そうに頷くキュウべぇの姿は珍しくもないが完全には納得していない様子、綯は苦笑しながら捕捉する。

「まあ貴女のそれは他の子と違って方向性、出発点が若干違いますけどね」
「?」

数店舗、キュウべぇはスーパーを回る予定だから、それに遅れないように歩きながら綯は説明する事にした。
そのすぐ隣をキュウべぇが子供のようにあどけない瞳で見上げてくるので、いつかお世界線で教壇に立っていた岡部の事を思い出した。過去の世界線、いくつかの世界線漂流で教鞭を振るっていた岡部が楽しそうに物事をレクチャーしている気持ちが分かる。
ボサボサの髪の毛を撫でながら、成すがままにされながら続きを急かすキュウべぇに微笑みつつ綯は予想にすぎないが間違ってはいないだろう仮説をキュウべぇに伝えた。

「キュウべぇ、貴女にとってラボメンは大切な人達ですか?」
「うん、もちろんだよ」
「つまり貴女にとって岡部倫太郎は?」
「大切な人だね」
「そんな彼が、貴女以外のラボメンと仲良くしていたら?」
「別に良いんじゃないかな?」
「彼が、他の子たちが貴女以外の人とお出かけしたり遊んでいたりしたら?」
「交友関係に口出しなんかしないさ。彼女達の世界は僕なんかより広いし、それにその友人を紹介してもらって僕の世界はさらに広がるんだから」
「じゃあ突然、知らない人と仲良くしていたら?」
「?さっきと変わらないよ」




「ラボメンよりも優先していたら?」




「気にくわないね」




岡部倫太郎が例えば、ラボメンよりも他の誰かを優先していたら嫌だ。
岡部倫太郎が例えば、ラボメンよりも出会ったばかりの奴を大切にしてたら面白くない。
岡部倫太郎が例えば、ラボメンよりも知らない人と口論してたら楽しくない。
岡部倫太郎が例えば、ラボメン以外の手作り弁当を優先していたら嫌だ。
岡部倫太郎が例えば、ラボメン以外の奴を大切にしてたら面白くない。
岡部倫太郎が例えば、ラボメン以外の人と一緒に弁当争奪戦をしてたら楽しくない。

岡部倫太郎が例えば、マミよりも誰かを優先し、大切にして、楽しそうにお喋りをしていたら全然まったく何もかもつまらなくて面白くない。

はっきりと、キュウべぇは不愉快だと口にした。その態度で声で心で感情で。

「気にくわない、ですか」
「ああ、うん。そうだね・・・・・綯、僕は『あいつ』のことが嫌いだ。そんな『あいつ』を特別扱いしている凶真にムカついて、それを許した君にもムカついている。そうゆうことなんだね?」
「・・・・・・・・そんな怖い顔しないでくださいよ」

そう、気にくわない。気にいらない許せない。思い出した。これは天王寺綯が現れたばかりの頃に彼女に抱いていた気持ちに近いんだ。とキュウべぇは自覚した。
自分達ラボメンよりも後から来た人間を大切に思っているような振る舞いが気に入らなかった。それは魔女の結界内で偶然出会った魔法少女に対し岡部や上条が世話を焼く時に感じるモノと似た性質。
今でこそ綯の事を仲間だと思えるほど気を許しているが、当時は――――憎かった。その感情を抱けた事には、経験できたことには感謝している。今でこそ言えることだが。

「自覚した。この感情は興味深い、貴重だな体験だ」
「そうですか、でもいつかそれが当たり前になりますよ」
「当たり前に?それは気が狂いそうだね。君達人間はどうして耐えきれるのかな?いや、耐えきれないのかな?だから魔女化する子が多いんだね」
「・・・・・・一応、間違ってはいませんね」
「それで、綯」
「はい?」
「なぜ『あいつ』の同行を許可したんだ」
「もちろん必要な人材だと思ったからですよ」

純粋だからだろう。それゆえに非難と敵意、それと軽蔑の混じった視線を隠すことなく、それが溢れている事にも気づかぬままキュウべぇは睨んできた。

「ラボメンである『ソールマーニ』なら理解できる。彼女の強さはラボメンの中で間違いなく最強だからだ」
「ええ、ラボに寄りつかなくても実力が証明している。今後、オカリンのじさんには絶対に必要な人です」
「ラボメンじゃなくても『ヒュアデス』や『悠木佐々』はイレギュラーとして役に立つ」
「そうですね。万能と支配、認めたくはないですけど利用価値は十分に有ります」
「じゃあ『あいつ』は?」
「・・・」
「『あいつ』は凶真に選ばれた・・・・・・抜きんでた強さもない、特異の能力があるわけでもないのに凶真はなんで『あいつ』を選んだの?」

あいつ、とキュウべぇが口悪く言葉にする人物。

「何度考えても分からない、納得できない。『あいつ』は強いわけでも特殊な魔法を持っているわけでもないのに」

その人は過去、一度もラボメンになった事のない女性。

「僕達よりも後に現われて、僕達よりも後に凶真と仲良くなったのに」

魔法少女でありながら成人を迎えた稀有な人。

「人の出会いに後も先もないですよ。大切なのは――――――」
「なぜ、ラボメンは駄目で彼女は許されるんだい」
「・・・・・」
「凶真と一緒に『シティ』に行きたいと願うラボメンは駄目なのに、なぜ彼女だけが特別なんだ」

ただ、此処に辿り着く直前の世界線で出会い、その世界線でキュウべぇと同じように長年パートナーとして過ごした人。

「わからない。凶真のことも、それを許した君も」

やり遂げた岡部倫太郎という存在を最初から最後まで支えた女性。

「ラボメンは基本的にまだ学生ですよ。それに、私だって本音では嫌なんですよ?」
「だから分からない。嫌なのに何故我慢できるんだい」
「嫌いではないからです。キュウべぇ・・・・・貴女は優しいですね」
「なにがさ」
「その怒りは自分を観てくれない嫉妬からではなく、まるで私達を蔑ろにしているオカリンおじさんに怒っているから――――――貴女は私達のために怒っている」
「分かんないよ、判らないよ、なにも・・・・・訳が分からないよ!」
「ええ、そうですね。簡単に整理も納得もできなくて困っちゃいますよね」

あの人は似ている。名前だけじゃなくて性格も。似ているから、という理由で揺れる岡部倫太郎ではないだろうが綯は知っているのだ。

ずっと観測してきたから、観て、聴いて、感じてきたから天王寺綯はどうすることもできない。違うか・・・・・したくない、と、らしくもないことを柄にもなく思っているのだ。

仕方がないと、しょうがないと、情けない事に思ってしまうのだ。身を引いてしまう。泣きたいぐらいに、悲しくなるぐらいに。


この世界線では、この世界では皆が変わっていく。暁美ほむらもキュウべぇも、時間と共に、経験を積んで、出会いを通して、感情を揺らしながら変わり続けていく。


変わらない岡部倫太郎も、変わる事の出来なかった鳳凰院凶も大きく変わっている。




きっと幸いな事だ。


だから、泣くな。私・・・。













―――俺が一番じゃなくてもいい


いつもなら自己主張が激しいのに、その手の話題の臭いがすればすぐさま茶化すように、それでいて真剣に岡部倫太郎は言うのだ。
だからたまに考えてしまう。『一番じゃなくてもいい』――――それはつまりラボメンの皆が岡部倫太郎の事を一番に“想わない”と思われているみたいで、それでもいいと言っているみたいで悲しいのか苦しいのか、悔しいのか嫌なのか分からない。

誰かが言っていた。岡部倫太郎は愛するけど恋はしないと。
だけど誰かが言った。岡部倫太郎は求めないし欲しないと。

分からない、と言えなくもないが悩んでしまう。それは愛と呼んでいいのか?極論、自分が抱いているだけで自己完結、満足しているだけで恋に恋するように、本当は愛すらも・・・・・と。
男の子と女の子とでは“それ”の価値観が違う、と友達が教えてくれた。考え方や捉え方が違うのだと。だから不安になる必要は無いのかもしれない、此方は不安になるけど男性サイドからすればそれが普通なのかもしれない。
愛する彼女の為に山に登る男だが、女はそんなことよりも傍に居てほしいと願うように・・・ちょっと違うか?何か違うと思うがそう思い込んできた。
そこに恋の感情はなくても、求められなくとも愛は確かにあると・・・・だけど、それも・・・・。

「・・・・・マミ、もしかしてだが――――」
「ええ、あなた勘違いしてるわよ」
「・・・・・」
「それでね」

ようやく焦りから震える喉元が落ちついて。やっと緊張から硬直していた体が意思に従い。ついに赤くなっていた顔を上げて視線を合わせきれる。
視線の先には見知った男の子、背は自分よりも高く梳かされた黒髪から覗く瞳は黒くて綺麗だ。いつか贈ったヘアピンを男の子なのに律儀に使ってくれている。
多分、いや確実に自分にとって一番身近にいた異性だろう。両親を除けば最も真剣に愛してくれた一人であり、今もこうして一緒にいてくれる。
雪の降りそうな寒空の下、街灯に照らされながら抱きしめてくれた人は、だけど私に特別を求めていない。例えその行動や言葉が愛に溢れていても、それが本物でも私を欲しない。
周りから見れば勘違いされやすい関係だけど、他の誰かよりも近い距離にありながら、その関係は皆が想像する形には決してならない事を知っている。

「――――これって、周りからみたら誤解されるわ」
「・・・・・・すみません」

だから言葉一つで距離を放棄する。意識したら体を離す。想像するまでもなく期待もしない。簡単に謝って、言い訳せずに卑屈になる。
特別に見える距離を誇示せず縋りつかず、何より求めず欲しない。

だから、いつもマミは冷静になれた―――岡部倫太郎の言葉に勘違いしないでいられた。
そんなんだから、からかわれたときにマミは曖昧に笑って濁す―――皆に期待されている感情を向けられていない事を知っているから。

「もう、むやみに女の子を抱きしめちゃダメよ」

冷静に、ようやく落ち着いてマミは言葉に出す事が出来た。腕を組んで精一杯威勢を感じられるように心持ち見栄を張る。そうでもしなければ顔の赤みが再浮上してしまうからだ。
幸い、岡部も状況から勘違いしていた事に気づいてくれたのかマミの台詞に逆らわずに身を離して頭を下げた。
岡部は勘違いからか、バツが悪そうにしている。そして気まずそうに謝ってくるから心苦しい、勘違いの原因は自分にあると分かっているからマミは気にすることはないと岡部に微笑んだ。
だからそれでホッとした岡部が「ん?」と首を傾げる。その理由をマミは悟っているので必死に考えた言い訳を今一度頭に思い浮かべる。

(よし、大丈夫大丈夫)

大丈夫、これなら問題ないと岡部の言葉を待つマミ。不思議そうな顔を浮かべる岡部を笑顔で見上げた。事前の準備は自信に繋がるという具体例がここにあった。
岡部からすれば自分の勘違いでマミに人前で恥ずかしい思いを、それこそ勘違いされかねない事に巻き込んでしまったと軽くショックを受けていた。同じ年頃の少女を抱きしめる愚行を何度も繰り返しているだけに猛省していた。
だが今回は、珍しいことに非は自分にあるとマミは自覚しているので申し訳ない気分になっていたが・・・今はそれを告げる事が出来ない。告げればまた赤くなる、恥ずかしいのを我慢しているのも既に限界に達しようとしている。
一方の岡部は勘違いしてしまった原因を思い出そうとし、原因というよりも切っ掛けはマミが信号を渡っていた自分を必死に引き止めようとしたからだと気づく。

「マミ」
「なに、倫太郎」
「いったいどうした?」

言葉だけ聞けば「お前がどうした?」といった感じだが、マミは別れを告げた岡部の後を追ってきたのだ。ならば何かあったのでは?と考えるのは想像に難しくはない。人前で、夜の横断歩道の途中で呼びとめたのだ。他のアッパー連中ならまだしもマミは珍しい。
だからこそ岡部は緊急事態と勘違いしてしまったわけなのだが、今のマミはそうでもない様子、ゆえにシンプルに本人に訊いてみた。なにかあったのかと、なにか用事なのかと。
それを、その台詞を待ち望んでいたマミは「ん、んっ」と軽く咳をして息を整え考えていた言い訳を口にした。
それは誤魔化しの言葉、それは隠すための言葉。自分でもよく解らない理由で引きとめてしまったから、その恥ずかしさを誤魔化し隠すために放つ台詞――――ただの都合のいい筈の言い訳、それだけの、はずだった。

「今日も彼女達の所にいくのよね?」
「え?・・・・ああ、そうだが?」

『彼女達』。ゆまの語ってくれた物語で出てきたであろう人ではない。彼女達はラボメンで、だけどラボに寄りつかない、だから岡部は彼女達に会うために日の沈んだ時間によく出かける。他のラボメンと接触しないからだ。
岡部と彼女達の関係は他のラボメンとは全然違う。友愛から繋がったのではなく、利害関係で手を組んだ魔法少女。上辺は、岡部は契約だからと言うが、決してそれだけではない事を誰もが知っている。
そうでなければラボメンには選ばれないだろう。■■さんではなく彼女達が最も優先されている以上、それは疑いようもない。暁美ほむらでも、鹿目まどかでも、天王寺綯でもない。
彼女たちこそ岡部倫太郎に選ばれた存在だ。

「私も行ってもいいかしら?」
「え!?」
「やっぱり仲良くしたいし、ダメ・・・かな?」

マミは懇願するように訴えるが岡部は困ったように、実際に狼狽し始めた。

「いやその、マミも知っているだろう?彼女達は――――」

彼女は、彼女達はラボメンでありながら基本的に仲間意識は無い。ラボにも寄りつかない。時と場合によってはラボメンであろうと攻撃する魔法少女だ。
ナンバーは02、鹿目まどかと同じであり、この世界線で最も初めに選ばれ、誰よりも優先して勧誘された女の子――――後になって知った事だが岡部倫太郎は彼女以外の子とは本来接触する気は無かったらしい。
事実、キュウべぇと彼女達さえいれば岡部の目的はほぼ達成できる。魔法の有る世界での岡部倫太郎の世界線漂流、もしも最初から彼女達の協力を得ていたら―――――、仮定の話は止めよう。
過去があったから今があるのだ。何度も繰り返し蓄積した経験と想いが今に繋がった。それでいい、それで幸福を実感できている。

「それでも仲良くしたいの、だって同じラボメンよ」
「・・・・だが、俺が一人で行かないと機嫌を損ねると言うか――――」

岡部は本当ならラボメンとは一切関わる気は無かった。だけど偶然か必然か、岡部倫太郎は今までのように、これまでのように鹿目まどかと出会った。意図的にラボメンと距離をおいた岡部だが結局は一緒に居る。きっとそれは幸いだ。ラボメンにとっても、きっと岡部にとっても。
しかしそれは彼女達からすればラボメンが彼を横から奪った(?)ようにも見えたのではないだろうか?彼女達は未だに岡部倫太郎以外に気を許さないのには、もしかしたらそんな理由があるかもしれない。
しかし彼女達だけが敵対心(?)を抱いてるわけではない。他のラボメンも彼女達にはあまり良い感情を抱いていないのでお互い様だ。先に知り合ったとか契約がどうだかで岡部倫太郎を最も独占しているから気にくわないのだ。
だから基本的に仲は悪い。助けられたことも助けたことも沢山あったが誰もが大人になれるわけではない。我慢できないし、そもそもしたくもない。困った事に年長者である岡部や織莉子ですら仲裁に入る事を諦めかけている。

「でもッ」
「マミ、今回は急すぎる。彼女達の性格は知っているだろう?事前の相談もなく連れていくと手がつけられない」

この場合の手がつけられないとは何も戦闘が始まることを示唆しているのではない。岡部が心配しているのは彼女達の反応だろう。結果、岡部は狼狽しマミはきっと泣く。
マミにも想像できる。にこやかに微笑み歓迎し、次の瞬間には岡部に甘える彼女達の姿が簡単に・・・それで一体何人のラボメンが泣かされたか、後に岡部が何度折檻されたか。

「それにもう夜だ。バイト戦士とアイルーが腹を空かしているかもしれん」
「・・・・」
「マ、マミ?」

ふむ、とマミは話題を逸らす事に、自分の突発的な行動を誤魔化すために岡部の不得手の話題を振ったわけなのだがいかんせん、ため息が零れる。自爆した。
話題を逸らせる絶好のポイントだが思い出せば胸の奥から普段はあまり表に出さないイライラとした感情が吐き出されていく。
だから話題を変える。変えてくれたから、それに便乗する形でさらに話題を変える。

「ねえ倫太郎、貴方はこれから彼女達の所に行くのよね?」
「ああ、そうだが・・・・・もしかして会話のキャッチボール成立してない?」
「・・・・ほんとに?」
「え?」

私は、私も正直に打ち明ければ・・・・・あまり好意的なほうではない。ラボメンの中で彼女達に友好的なのは岡部とキュウべぇを退けば――――ゆまちゃんぐらいか?
そこまで考えて、嫌な気持ちになるからまた話題を逸らそうとして、陰鬱な気分だったからか、八つ当たりのように私の口からそれは零れた。
それは台本に出てきたから、何時の頃からか岡部が気にしていたから、本当はずっと前から気づいていたから。
変わらない筈だった岡部倫太郎を変えたかもしれないから。

「ほんとは■■さんに会いに行くんじゃないの?」

訊きたいけど訊けなかった。教えてほしかったけど知りたくなかった。

「はあ!?い、いきなりどうしたんだマミっ?」

この問いかけに対しての反応は予想はしていたが、やはり驚いている。
理由は自分が珍しい事に踏み込んできた事か、それとも話題が『あの人』だからか。
まだ解らない。どっちなのか判らない。

「・・・・慌ててる」
「いやっ、それはマミが―――」
「私を言い訳にしないで」

散々言い訳を並べ、延々と誤魔化そうとした奴の台詞ではないけれど、マミは小さく呟いた。

「マミ、いったいどうしたんだ?」
「だって・・・」

だがこの話題は避けた方がいい。

「倫太郎は最近、ぜんぜん私達にかまってくれないじゃない」

マミはふと思う。少し前の自分と大きく変わったな、と。

「特に、口では私の事を想ってくれるみたいに振る舞って、その実まったくと言っていいほど相手をしてくれないわ」
「そんなことは・・・・」

誤解がないように、マミは自身に問い掛ける。自問自答する。

私は岡部倫太郎のことが好きなのか?―――『好きだ』。ここまで物理的にも精神的にも距離を許したのは彼だけだ。
それは恋愛感情からくるものか?―――『違う』。抱きしめたいと思った事はあっても、キスがしたいとか、エッチなことがしたいなんて考えたこともない。
彼と恋仲になりたいか?―――『思わない』。思えない、イメージが沸かない。鹿目まどかのようにスキンシップをとる姿を想像できない。
彼が誰かと恋仲になる事を許せるか?―――『分からない』。
岡部倫太郎が自分以外の女に優しくするのを良しとするか?―――『■■■■■■』。

「あるわよ」

これではキュウべぇに何も言えない。感情を習得し始めたばかりなのにまだ自重出来ている。
それに比べ自分は我が儘になってしまったと思う。感情に正直になったと言えば聞こえはまだ良いが、実際にはただ嫌みや妬みを含んだ小言をよく挟むようになったのだ。
これまであまり抱かなかった感情を、今までは考えもしなかった思考を、いつからか積極的に出来上がってしまっていた―――――。

「今も私を・・・・じゃなくてッ、私達より他を優先しているわ」

鏡がなくとも分かる。今の自分はきっと拗ねた表情で彼を責めている。それもどう答えようとも非難は免れない意地悪な問いかけを乗せて、だ。
でも岡部が悪いと、倫太郎も酷いからこれくらいはいいじゃないかと心のどこかで思っている。理不尽で横暴でもいいじゃないかと。最近は本当にかまってくれなくて、食事に誘っても付き合ってくれない。
ほんの少し前までは即答即決で首を縦に振っていたのに、いつも優先してくれたのに新しい子が現れるたびに扱いが疎かになっている気がしてならない。

(・・・・私、ほんとに変わっちゃったな。面倒臭くなった・・・・)

特に自分に対する弁明というか、理由付けの思考が充実しすぎるのだ。前は本心を出さないように言い訳や誤魔化しをしていたが、今では本心を出すために言い訳をしてしまうことも増えてきた。
心の壁や本音の蓋が別の段階にシフトした。アドバンス本音、ニュー蓋みたいな感じ。
見せないための壁ではなく曝け出すための舞台。隠すための蓋ではなく差しだすための御盆。
・・・・違うか?違う気がするが合わせて考えてみると“据え膳”―――――――――――考えるのはまた今度にしよう。夜のテンションで考えるとロクな事にならない。

「ああもうっ!」
「!?」

何がしたかったのか自分でも分からないのだ。何を言いたいのか、伝えたいのか分からないのだから困る。自分だけじゃなく目の前にいる人も、だから余計に焦って拗れる。
両手を子供のように胸の前でぶんぶんと振って内にある憤りを振り切ろうとするも、その程度で晴れるわけもなく岡部の前で頬を膨らませるだけに留まった。
拗ねているような、怒っているような、年相応に見える可愛らしさ、不思議と花があったが今の岡部にはマミに何やら疑われていると動揺してしまい気が回らなかった。

(・・・・・試されているのか?俺は今マミに何かを試されているのか!?)

と、岡部が勝手に思考の沼に沈んでいく一方で

(もう私のバカッ、ゆまちゃんの話しを聞いてからずっとこんなままじゃないの!)

少しは冷静になれたのだろうか、子供のように・・・・元より子供なのだが年齢相応にダダをこねた結果、マミは自分の暴走具合にようやくブレーキをかける事が出来そうだ。
変に言い訳を並べても、意地になって誤魔化しても意味は無い。さっさと誤解・・・否、テンパっていたと伝えるだけで全ては解決するのだ。
恥ずかしいが、きっと岡部は深くは訊いてこないと判っているから早く行動に移すべきだ。

「ごめんなさい!なんでもないから今のは忘れ―――――って、あら倫太郎?」

頭を下げて謝って、顔を上げれば視界に

「・・・・え?あれ!?」



岡部の姿はなかった。










「一体なにがどうなって“こう”なったの?」

翌日。見滝原中学校三年生の教室にてマミは隣に座るクラスメイトに声をかけた。

「見たらわかるでしょ?」

結局、昨日は謝る事もできないまま終わってしまった。急に消えたから心配したが知人に拉致られたとのメールがあったので安心できたが・・・・安心できてしまう関係が周囲にあるのは驚愕だが、それも“いつもの事”だからいい。
それで結局は学校で話そうと足早に登校してみれば―――――何故か岡部倫太郎が教室の教壇の方で上下逆のまま吊るされていた。

「今から罪人を皆で裁くのよ」
「さ、裁く?」
「ええ、マグロのように」
「解体!?」
「審議の結果次第ではそうなるわね」
「いったい何をしたの倫太郎!?」
「マミ・・・俺は不覚にも罪を、な」

問えば頭に血が溜まってきたのか、真っ赤に染まりつつある顔で岡部は答えた。
その口調には今の状況を抗議する色は何故かなかった。今の自分には確かな罪があるのだと言うように、彼は現状を受け入れていた。
何があれば、何をしたらこんな目に会うのかマミには分からない。クラスメイトは確かに時に鬼畜外道アッパーな行動言動を躊躇なく行うが、岡部がそれに対し反抗抵抗抗議しないとは珍しい。
昨日一昨日までは普通に学校全域をフィールドに仲良くサバイバル実習をしていたのに・・・・・普通ってなんだろう?普通の中学生って放課後にゴム弾を使用したサバゲー(煙幕、トラップ、通信、買収可)でヒャッハーするだろうか?
サバイバル実習の筈がサバイバル演習に・・・・・ん?サバゲーへと内容が変わったのか最初からそのつもりだったのかは今となっては分からないが、その時までは確かに仲良く互いを射ち・・・・・打ち・・・・背後を取り合っていたのに、一体何があったのだろうか。

「俺は『巴マミファンクラブ』の掟を破り夜遅い時間帯、人前で君を抱きしめてしまった」
「「「「「UREYYYYYYY!!!」」」」」

あ、ヒャッハーした。ついでに皆が怒ってる理由も判明した。岡部倫太郎の罪過は第三者視点で語るなら『真夜中、街中で女の子を抱きしめていた罪』だ。
このクラス、この学校の生徒は基本的に実力主義上等の『頑張り結果を出した者≒えらい凄い格好良い!』の風習があるが、同時に他人の幸せは奪い合う・・・・分かち合うものとして、隙を見せれば幸せの邪魔・・・妨害を受けるので、ようするに隙を見せた方が悪い。
何が言いたいのか、簡単に言えば他を、自分を差し置いて幸せになる奴は許さん、他人の不幸は蜜の味!を信条に動き出すモノが多い。基本スペックが一人一人不幸な事に高いだけに集団で結託されるとかなり危険、敵に回すとやっかいだ。
やり返しされた場合、自らに帰ってきた場合、そもそも倫理的観点から見て褒められる立場ではないが、彼らはそれを承知で動く、他人の、特に恋愛事に関しては全力で妨害、または話のネタにする。今回は後者のようだ。

「みっ、みんな落ちついて!」

罪(?)を告白した岡部に奇声を上げながら突撃していくクラスメイトの前に、岡部を護るように手を広げたマミは必死に説得を――――――・・・・『巴マミファンクラブ』ってホントにあったんだと恥ずかしくて潰れそうな精神に無理矢理蓋をしながら行った。
誰もがその手にラーメンを所持しジリジリと近づいてくるという謎の現象に泣きたくなってきたが岡部倫太郎は恩人であり大切な仲間なのだ。昨日の件が原因であるのなら誤解・・・岡部がそうしてしまった原因は自分だ、だから矛(ラーメン)を下ろしてほしい。
彼は悪くない。勘違いさせてしまった自分が悪い。だから罰するというのなら、それを受けるべきなのは自分だ。その手に持った熱々のカップラーメンを自分に―――――。

「・・・・・・・なんで朝からカップラーメンを持っているのかしら」

ふと、素朴な疑問を抱いた。あまりにも皆が当たり前のように教室でラーメンを食べているから今日は『ラーメンの日』と意味不明な単語が生まれ勘違いしかけたくらいだ。
ただ宙吊り状態の岡部を囲みながらの食事だったから現実に復帰できたのだ。

「いやな、最近岡部の奴が言ってたじゃねぇか」
「?」
「ほらマミ、あんたも訊いたでしょ、『女難の相』があるかもしれないって」
「・・・・・・・ああ、そういえば」

いつだったが岡部の口から出た言葉。しかしそれは彼が自身に向けたものではなく、上条恭介に対しての台詞だったと記憶している。

「で、岡部の掟破りもそれが原因と思ってね」
「思って・・・・どうしてラーメン?」

皆が合わせて頷く。

「いやなに―――――――ぶっかけて除霊してやろうと」

「何処の星の除霊法!?」
「「「塩入ってそうだから」」」

そのために朝早くから登校しラーメンを食べていたのか、そう思えば彼らの奇特な行動に説明が付く・・・・・はずもなくマミは頭を抱えた。
これが自分のクラスメイトだ。大切な学友だ。基本的に仲は良い筈だが相手のミスには敏感で容赦なく遠慮なく指摘する共食いが大好きなアッパーな・・・・魔女の脅威から護るべき人達だ。

「さあ、どいてちょうだいマミ。このヌードル『ヨーグルト味』が貴女に跳ねたりでもすれば写メでフォルダを一杯にしないといけないわ」
「よく解らないけど落ちついて、ね?」
「無理だな巴さん。奴は協定を破った。俺はこの『きなこ味』を岡部のズボンに注がねえと気が収まらねえ」
「そんな事言わないで、昨日の件は――――」
「奴は自ら罪を告白した。弁明があるのなら奴の口から直接しなければならないわ。貴方は優しいから・・・・・さあ岡部、私の『メロン味』でその口を塞いであげるわ」
「さっきから不可解なラーメンばっかり宣伝されているけど―――――だ、ダメよみんな!倫太郎は悪くないの!」
「ズボンの裾からこの『ブルーハワイ味』を―――――ってマミ、さっきから騒いでるけど・・・・抱きしめられたのはホントなんでしょ?」
「う・・・・うん」

そう冷静に、かつ視線を集められると緊張してしまう。頬に熱が、赤みがさしてしまいさらなる誤解を与えかねない。だからマミは表情を隠すように顔を伏せるが、このとき既に耳も真っ赤に染まっていたので、あまり効果は無かった。
ただその間、皆はシャッター音の出ない違法改造された携帯電話でマミの恥じらう姿を激写、各々がその出来栄えに一度『うん』とか『うむ』などと溢しながら何食わぬ顔で携帯電話をポケットに、マミが視線を上げた時には岡部にラーメンをぶっかけるモーションに移行していた。

「わあっ!?まってお願い話をきいてちょうだい!」

今まさに岡部に『ソフトクリーム味』の熱々ラーメンをぶっかけようとしていた女子生徒の背中にしがみ付き制止させようとするマミ。

「・・・・・・・背中にダブルマウンテン・・・・もっとよマミ!!」
「え?」
「もっとこうっ、円を描くようにお願いっっ!!!」
「え?えっと・・・・こう?」
「至福!もう私は死んでもいいわ!!」

「「「「「「「じゃあ死ねやぁああああああああ!!!」」」」」」

謎の言葉に顔を上げた直後、彼女は周囲から多種多様なチャレンジ精神に溢れたラーメンを全方位から―――――直撃した。当たり前だが密着していたマミも軽度の誤爆を受ける。

「きゃあ!?」

火傷するほど熱くはないが、やはり顔や手に直接触れたスープはそれなりの熱がある。顔面で受け止めた女子生徒よりは大分まともとは言えマミの口から悲鳴が零れた。
とっさに女生徒から離れ顔に着いたスープを袖で拭う。シミになるかもしれないが顔についた油独特のネバつきにマミは後の洗濯については忘却してしまった。

「シャッターチャンス!」

それよりも問題は、いろんなチャレンジ精神に溢れたラーメンのスープの中に偶々偶然白くネバつきの有るお肌に優しいコラーゲン豊富そうなカロリー高のゼリーもどき物質がマミの顔及びふき取る袖口と両手に付着している事象だ。
そう、なんか■■い事象が早朝の教室で発生している。否、決して■■くはない筈だ。だってラーメンのスープだし規制も何もない。だから大丈夫、イケる!・・・・イケる筈だ。
直撃した女子生徒は「ぬあーっ」も悲鳴を上げるが、油まみれに陥られながらも他の生徒と同じように視界を塞がれながらもマミに向かってシャッターをきった。

「うぅ、凄い匂い」
「「「「「ほうっ?」」」」
「それに・・・やだ、シミになっちゃう」
「「「「「ほほう!!」」」」」
「それにこの白いのって・・・・わっ、なんでこんなに――――ヨーグルトってこんなにネバネバするの?」

無意識のサービスに皆は目を閉じて、戸惑っている純情なマミの姿と声を網膜と鼓膜に刻みつけた。
そして―――

「「「「「「・・・・・・・ふぅ・・・・」」」」」」

爽やかな笑みを浮かべながら吐息を零した。

「さて、良い画と善き声も“盗れた”し岡部の制裁はコレでチャラって事でいいよなみんな」
「異議なし」
「いいと思うよ」
「むしろありがとう」
「GJ岡部!」
「ふ、まさか貴方に感謝する日が来るなんてね」

不思議そうに此方を見上げるマミの様子に、穢れを知らぬその姿にさらなる悦に入るクラスメイト達は何故か賢者タイム後の優しい気持ちになっていて、吊るされていた岡部をやはり優しい表情のまま下ろした。
頭に血が昇ってしまっていたからだろう。岡部は手を貸そうとするクラスメイトの手を払いのけ立ち上がるがふらついてしまう。と、とと、と千鳥足で崩れそうになりながらもマミに居る方に向かう。

「あ、倫太郎っ」
「・・・マミ」

岡部は顔を伏せたまま、ふらついたままだからマミは急いで立ち上がり岡部を抱きとめた。
昨日の夜ぶりに触れた体は気のせいか冷たく感じる。それに白衣ではなく見滝原中学の銀に近い白の制服越しの岡部の体も小さく感じた。

「大丈夫?倫太―――」
「マミ」

声を、台詞を重ねられた。そこには真剣な、此方の問いかけを封殺する意思が籠められていたからマミは口を閉ざす。少しだけ、怖かったのかもしれない。びっくりしたのかもしれない。
普段は戦闘力も発言力もラボの長でありながら最も低い筈の岡部が、それも自分に対し言葉を重ね、それに声色から怒りの感情が混じっているような気がして、その声で名前を呼ばれたからマミは萎縮してしまった。
巴マミは岡部に怒られた事も怒鳴られた事も少ない。しっかりと憶えているのは初めて出会ったとき、油断して『お菓子の魔女』に喰われそうになったところを助けてもらったときだ。
後はせいぜい岡部が誤解を解こうと必死に声を上げて弁明を述べたときぐらいで、やはり怒鳴られた経験がほぼない。ゆまやまどか、仁美やユウリですらあるというのに、だ。
そしてそれは耐性が無い事に等しい。マミは岡部からの悪意を、敵意を向けられたことが無いから、それこそ小さな喧嘩レベルでの、ゲームレベルでの小さいモノも。
だからだろうか、突然の、それも体を厚意から支えたときに感じてしまった怒りの気配にマミは怖くなってしまったのだ。もしかしたら岡部に嫌われているのではないかと、そう思われるような事をしてしまったのかと。
考えすぎなのは分かってはいる。ネガティブに無理矢理なろうとしているのが、滅茶苦茶な理由付けでびっくりした事を、怖がってしまった事を正当化しようとしている。
怒られる理由はあるから、昨日の件もそうだし、そのせいで今も吊るされてしまっていた、とマミは―――恐れながらも怖がりながらも岡部に叱られることを、少しだけ期待した。

「すまない、少しだけ後ろを見ていてくれ」
「え、ええ?」

体調が悪そうだが岡部は支えてくれていたマミの肩を押して離れる。そしてそのままマミの体を反対方向へと回した。
直後、聴こえてくるのは怒りに満ちた岡部の声と挑発するクラスメイト達の声。

「さて―――――――覚悟しろ貴様ら!!人ン家の娘によくも辱めを!」
「はぁん?今の艶っぽい巴さんの写メをもっていない下級戦士が何か吠えてますよぉ?」
「マミとの思い出がたかが半年のルーキーが悔しがってるようにしか見えないけどぉ?」
「去年一昨年と一緒に過ごした俺達には追い付けないと未だに理解できてないみたいだな」
「まったく、体育祭の時のマミ、プールの時のマミ、その姿を拝めていない存在が我らに反抗しようとは片腹痛い」
「ふふ、名誉会員とはいえ所詮お前は三桁ナンバー・・・・全員が二桁上位である私達に敵う筈がないのよ」
「思い出も、フォルダに記憶している写真の枚数も此方が上だ。質と量、出会った時点で彼我の戦力差は明らかだったのだから当然」

聞き捨てならないというか、もう聞きたくない台詞を意味ありげに叫ぶクラスメイト達の声に叫び出したい心境に陥ったが、マミは必死に我慢した。
そしてマミの代わりに、よく解りたくない挑発に彼は応じた。

「ふっ」

失笑。マミには岡部が不敵に微笑んでいる姿がありありと予想できた。

「・・・・?」
「何が可笑しいっ」
「この状況で狂ったか?」

それで動揺したのか、クラスの皆から強気の気配が薄れる。

「ふふ、愚か者共め!出会った時期が、過ごした時間が早く多ければ勝ちだと・・・誰が決めた?」

「なん・・・だと・・?」

くるん、となすがままに視界は逆方向へと向いたマミの視界にはガラス張りの壁。その壁に、ガラス張りの壁に反射して映っている岡部とクラスメイト達はまるで対峙するかのような構図で――――――ああ、さっきの怒りは自分に向けたものではないんだと、自分では気づかないほど小さくマミは落胆した。
おかしな事に、不思議な事に、自覚できないところでマミは岡部に叱られたがっていた。本人にすら気づかれないほど小さな願望として。
はあ、とマミは溜息を零した。反射したガラスに映った岡部とクラスメイトの争いをガラス越しに眺めて―――

「・・・・・?」

あれ?と首を傾げるも、やはりその願望に気づかない。そもそも“そこ”まで考えがいたらない。そこに結び付かない。
マミは岡部に苛められたい訳ではないのだから、Mの気があるわけでもないので・・・・・マミ自身は無自覚に苛めたい気持ちにさせる表情や仕草をする時もあるが巴マミは基本健全な一般市民である。
では何故だろう。なんでそんなことを思うようになったのだろうか?こんな風に思うようになったのは初めてだ――――岡部に対しては。

「確かに、確かにお前達は俺が転校してくる前にクラス会での『怒ったマミ』や修学旅行の時の『マミの寝顔』、『癇癪を起したマミ』に『泣きべそをかいたマミ』といった俺が見た事のないマミを沢山見てきたのだろう・・・・だが!」

他の人に、今と似たような気持ちを抱いた事はある。例えば両親だ。マミは自覚していない。だからこれは後から相談されたラボメンガールズが予想して答えだ。
叱られたいと思ったのは―――――構ってほしいからではないか?そう問われ、まさかと反論しようとするも、その言葉は意外と胸にストンと落ちた。まさか、と思ってもマミは何も言えなかった。
子供が両親の気を引くために、わざと怒られるような真似をするように、どんな形であれ関心を向けてもらえれば良しとするような、そんなマミらしくない無理矢理なモノ。それを岡部倫太郎に対し、変な形で表れてしまったのだろうか?何故今更?そもそも岡部には常日頃から気にかけてもらえているのに・・・・どうして、構ってほしいと思ったのか。

「忘れたのか?俺は一時期とはいえマミと同じ屋根の下で生活していたという事実を!!」

確かに岡部の言う通り一時期は同じ家で過ごしていた。
最初は何故か鹿目さんのお母さんにズタボロにされた状態で自宅にお届けされた岡部と秘密の共同生活が始まり・・・・それが岡部がラボに引っ越して、さらにラボメンも大所帯になってきた事で二人っきりで過ごす時間はかなり減った。
しかし、だからといって関係が劇的に変わったわけでも距離が離れたわけでもない。変わらず、離れずいつだって傍に居て、声をかけてくれて、そして触れてくれる。

「共に暮らし信頼を得た俺だけが見る事の出来たマミを、お前達は知らない。俺だけが観測できたマミを、な」
「ド、ドヤ顔ウゼェ・・・・・ッ、だが何だこの自信は?」
「私達の知らないマミですって・・・?まさか、マミの喜怒哀楽は既にコンプリートしているのに?」
「バカめ、喜怒哀楽?照れた表情や怒った顔?恥じらいや侮蔑、親愛や嫌悪など長年共に一緒にいれば幾度となく観測できる」
「く、こいつは一体なにを知って・・・・いや、何を見たんだ?」
「まさか・・・・エr-―――」
「それなら修学旅行の時に撮(盗)った私の写真に勝るモノなんて――」
「「「「「その写真言い値で買った!!!」」」」」
「プライスレス!」
「「「売る気無しかチキショウッ!」」」
「・・・・一万・・・」

「「「「「「「「さらば諭吉――――――!!!」」」」」」」」

「何をしているの貴方達はあああああああ!?」

驚いたのは、知らぬ間に盗撮されていた事ではなく・・・・それもあるのだが、誰もが躊躇わずに諭吉さんを財布から取り出した事が衝撃的だった。
だって早朝の出来事とはいえ、防音設備が整っている見滝原中学校の教室内の出来事の筈なのに、ぼそりと呟かれた言葉に何人もの生徒が詰めかけてきたからだ。

「――――――リアルブート」

朝練、朝の部活で既に登校していたであろう別のクラスの生徒が男女問わずに現れたら誰だって驚く。
唯一、岡部だけがその集団にディソードを振り回しながら突貫していった。
魔法すら切り裂く魔女狩りの剣。深層心理の具現化とも言われる殺傷力『高』のそれをもって突貫して・・・・?

「って倫太郎!?いくらなんでも――――」

と、叫ぶもその台詞は岡部を含めた皆の絶叫に掻き消される。

「記憶を完全に抹消してやるクソガキ共がー!!」
「はぁん!?」
「おもしろビックリ手品でアタシ等が『マミの■■い写真』を諦めるとでも!?」
「上等だ岡部ッ、いい加減お前の巴を独占する態度に怒りが有頂天に達していた!」
「うん、正しくは頂点な!」
「頂点に達していた!」
「こっちにも対岡部専用のガジェットがあるのよ!」
「催涙ガスとか閃光弾ばっかだから基本相打ち覚悟だけどなッ!」
「てか結局なんなのよアンタしか知らないマミって!」

ぎゃーぎゃーわーわーと誰もが鈍器を持って狂気を醸し出して乱闘を始めるクラスメイト。
騒ぎが拡大し他のクラスの生徒だけでなく、気づけば下の階、下級生を巻き込んだ大乱闘に発展していく。

「あ、ああ・・・・いったいどうすれば――――」

あわあわと、マミは半泣きで教室内をウロウロとさ迷う事しかできないでいた。
ただその様子が、泣きだしそうな飼い犬のような愛らしい姿がまた加虐心を煽ったりするのだが、紳士を自称する彼らは争いながらもその脳裏に刻む事で満足を得ていた。
彼らは非合法『巴マミファンクラブ』の会員。誰もがマミに対し真っ直ぐに悟られない程度にセクハラし、純粋に愛らしい姿を盗撮して日々の英気を養う学生だ。

「み、みんなやめて、ね?・・・・・ああ、もうどうしたらいいのぉ」
「とりあえず岡部を半殺しにしましょう」
「ええ、とりあえず倫太郎を半殺しに――~~~って暁美さん!?」

ファンクラブが発足して数カ月、まったく気づかずに今日まで来たマミはどんどん激化していく乱闘に打ちひしがれていると、すぐ傍から声をかけられた。
暁美ほむら。同じラボメンにして№04。腰まで伸びる綺麗な黒髪を持つ美少女、此処に来るまでの道中で乱闘に巻き込まれたのか髪と制服に若干の乱れがあり、左手で髪を払いつつ岡部に向けて右手に持った文房具を投擲した。

「ぐはッ!?」

後頭部に三十㎝物差しがザックリと突き刺さり岡部は倒れた。
そこに我先へと、クラスメイト達が追撃の攻撃を行う。

「え・・・?わ、わあ!?倫太郎!?倫太郎!?ちょッ、待ってみんなストップストップ!!」

誰もが容赦無しに手加減なく追い打ちを仕掛けるからマミは叫び声を上げるが、原因を作ったほむらは―――。

「これで一連の騒ぎの首謀者は逝ったわ。これからは平和な時代ね」
「今まさに血が流れるけど!?」
「巴先輩、尊い犠牲は世の常ですよ?」
「倫太郎は何も悪くなんか―――!」
「またまた御冗談を」
「確かに何時もなら倫太郎が原因とも言えなくもないのだけど今回は私が――――」
「いいですか巴先輩?」

両手両足にガムテープ、さらに何処にあったのか体育館倉庫に置いてあるマットレスで簀巻き状態にされつつある岡部を心配しながらも近づくことが出来ないマミの肩に、ほむらは溜息を零しながら優しく両手を乗せる。

「貴女の優しさは確かに美徳ですけど罪には罰を、悪には断罪を」

そして優しくも厳しい表情と想いで彼女はマミに伝えた。

「悪い事をしたら謝る。罪を犯したなら裁かれる。そんな当たり前の事を皆ができるようになればデモや事件、争いの一部は簡単に世界中から排除できるんですよ」
「え?えっと?」
「さあ巴先輩もあそこで無様に簀巻きになっている変態に石を投げつけて世界平和に貢献しましょう」
「暁美さん何だかそれって魔女狩りみたいだわ・・・」
「魔女を狩るのは私達魔法少女の定めだし問題は有りませんよ?」
「さも当然のように倫太郎を魔女扱いしてない?」
「いつも私達に厄災を振りまいているじゃないですか。今だって私達の学年まで混乱が広がってちょっとした抗争が発生しているんですよ」
「そ、それはそうだけど」

マミのぽつりと零した呟きに岡部が反応する。

「え・・・・・・・俺も上条同様にそんな認識をされているのか!?」
「うるさいわね。まだ動けるの?」

マミがそこを否定してくれない事に簀巻き状態の岡部が何かを叫び、鬱陶しげにほむらは岡部へと歩み寄る。

「自覚がないのかしら?」
「ほむほむ、確かに騒ぎの発生源は俺達だが下で騒いでいる連中は混乱に乗じて勝手に暴れているだけだろう?罪の擦り付けは悪ではないのか」
「上から巴さんの艶っぽい被写体についての情報が回ってきたのよね」
「いつもの事だ」
「え!?倫太郎それって――――」
「なかでも今日は今まで出回ってない■■いブツとか」
「俺はそれの流失を止めるために動いただけだ!」
「あ、暁美さん!もしかして下の階まで―――」
「プラス、これまでなかった巴さんの被写体情報も、ね」
「・・・・・」
「ねえ岡部、確か会員の規則には共有項目があったわよね?」
「・・・・・暁美さん?もしかして貴女も何か知ってるの?ねえファンクラブって一体なんの――――」
「それを秘匿し、かつ我が者顔をされちゃあ黙っていられないのが、人情ってものでしょう?」

スタスタと、物怖じせず三年生の教室に足を運び、かつ教室の真ん中まで堂々と歩く姿はその容姿と相まって圧倒されるが手にはコンパス。

「どう思う岡部?これは万死に値するとは思わない?」

簀巻きの傍で見下すようにするほむらに、岡部は沈黙で応えた。

「えい」
「うッ!?」

ぷす、と可愛らしい掛け声と一緒にマット越しにコンパスの針部分をほむらは無造作に突き刺した。

「・・・・・・・」
「「「「・・・・・・・・・・・」」」」」

周囲の喧騒が止まった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」

数瞬経っても岡部からの返事、及びリアクションがない。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」

ふぅ、と周りの空気に耐えきれなくなったのかほむらは急に立ち上がり、その長髪を ふわぁさ と掻きあげる。
そして皆が注目し、マミが青い顔で岡部に駆け寄っていく様子を横目にキッパリと言い放つ。

「帰るわ」
「「「「「待ぇい!!」」」」」

その身を回し教室を後にしようとした。

「まてまて元美少女転校生!」
「元ってなによ、元なら今は何なんですか」
「ねら~転校生」
「誰が@ちゃんねらーだ!」
「ぬるぽ」
「ガッ!」
「「「「「・・・・・・」」」」」
「・・・・・・」

いそいそと、マミが皆の興味がほむらに向かっている間に岡部救出のために行動していると

「・・・・・・あとで岡部を下水に叩き込んでおくわ」
「(矛先が何故か被害者に向かったな)」
「(あれね、某国のやり方だわ)」
「(だが御褒美だろコレ!)」
「(変態!)」
「(しかし美少女の手で下水にダイブは・・・・・いいッ)」

――――・・・・私もー!

「「「「「誰だ!?下の階から魂の叫び声がきこえたぞ!?」」」」」

そんなこんなで昨日も今日も時間は過ぎていく。騒がしくて喧しい、危なくて気が休まらない一時を過ごしていく。
結局マミは岡部に謝る事はできないまま午前中を過ごし、休み時間毎に岡部との共同生活の時の事をからかわれながら、そして恥じらう姿をこっそり写メられながら一日を過ごした。
ちなみに岡部とほむらは休み時間のたびに職員室に呼び出されることになる。岡部は事の発端とみなされて、ほむらはやりすぎた行為に注意を受けて、だ。
放課後、保健室と職員室の往復を余儀なくされた岡部とほむらに廊下で合流できたマミは―――

「・・・なんで二人ともボロボロなの?」

と問えば。

「ショタリンが愚図ったせいでちょっと」
「ほむにゃんがしくじったせいでちょっと」

それぞれが変なあだ名を呼んで罵倒しあった。

「へぇ?」
「ほぉ?」

一体職員室に呼び出されている間に何があったのか、互いに怒気を隠すことなく既に喧嘩は始まって、経過して、いつものように“じゃれ合っていた”。
放課後の職員室前、廊下の真ん中で三年生の男の子と二年生の女の子が睨み合う光景は見滝原中学校ではさほど珍しくない。共に人の目を惹くから目立つ、まだ一年にも満たない学校生活で彼らのことを知らない人間は生徒職員含め存在しないだろう。
知らない人間がいないと思えるだけの存在感を短い時間で築いてきた。それだけ騒ぎ、それだけ注目され続けた。それだけこの二人は一緒にいる姿を目撃されている。
異性であり、学年別で教室のある階層も違うにも関わらず、中学生という思春期真っ盛りの時期に、転校生同士でありながら出会った初日から遠慮のない罵倒と暴力を互いが了承している。

「あなた達って、ほんと何処に居ても仲良しよね」

当たり前だが、そんな二人には色んな噂が飛び交った。
幼馴染だ。ライバルだ。恋人だ・・・・と。

「「(*´・д・)ハァ?」」

と、本人達は息ぴったりに声を揃えて否定するけれど。

「巴さん。例えあなたでも今の台詞は許せないわ」
「マミ、まさか俺とほむほむが仲良しな有りもしない世界線の記憶でも――――」
「岡部、吐き気がするから口を閉じなさい」
「ああ、自分で言っていて何だが寒気が・・・・って、吐き気っていったか!?」
「あら岡部、どうして勝手に私の独り言を聞いてるのよ。盗み聞きとは頭だけでなく育ちも悪いの?」
「すぐ隣で平然と悪口が放たれたんだが?」
「ふっ。褒めたつもりよ」
「・・・・・ほほう、『吐き気がする』の言葉の何処に好感を抱けと・・・」
「あら、もしかしたら吐き気の正体はつわりかもしれないわよ」
「・・・・・・・」
「・・・今のは無しね。失言だったわ・・・チッ」
「・・・・・」
「何よ、巴さんにも貴方の男らしさをアピールしてあげようとしただけじゃない」
「とんだマイナスプロデュースだなッ」

暁美さんは言葉を飾らず素直に罵倒する。倫太郎は不愉快そうに歪めた表情を隠そうともしない。二人とも素直に感情を吐露する。態度で言葉で視線で応じている。台詞の内容は辛辣なのに絶対の信頼が感じられて・・・こそばゆくなる。
悪口を叩きつけ合いながらも、それこそ時に拳でクロスカウンターをラボだろうが学校だろうがお構いなしに打つ彼らだけど、それでも毎日一緒に居るのだ。一日の最後に喧嘩別れする事も珍しくない。でも翌日には背中を合わせて魔女に立ち向かい、その後いつものように口論が始まる。
その関係が羨ましいと、ラボメンの皆が口にするのを彼らは知っているだろうか?どんなに喧嘩しても、近づいても離れても大丈夫だと思える相手がいる。安心してぶつかれる、受け止めてくれる人が二人にはいるから純粋に羨ましかった。
他の誰でもない。岡部倫太郎と暁美ほむらだけの関係。あの二人は意識していないけど、いや、無意識だからこそ、なのか。

例えば魔女との戦闘時、二人は分かりやすいほど互いを大切に思っている。

戦闘開始時

―――遅いわよ岡部。バカなの?死ぬの?
―――黙れほむほむ!よそ見してないで前を見ろ

戦闘序盤

―――見慣れないタイプだな
―――怖い?なら後ろに下がってガタガタ震えてなさい
―――ふん、戦闘能力はお前より低いが戦えないわけじゃない
―――怪我する前には下がりなさいよ。で、作戦はあるの?
―――当然だ。新種だろうが珍種だろうが俺には数多の経験がある
―――そう、なら行くわよ。遅れないで

―――オープンコンバット!

戦闘中盤

―――おい!
―――分かってる!タイミングを合わせなさい!

―――索敵は誰の担当だったかしら?
―――ええい黙れっ、さっさと片付けてくれる!

―――ねぇ、作戦と違わないかしら
―――違うぞ、この程度は想定内範囲だ

―――チッ
―――ハッ、あの程度の攻撃もいなせないようでは問題だな
―――・・・・なら代わってあげましょうか(怒)
―――いぃだろう。この鳳凰院凶真の華麗なる戦術を魅せてやろう!

―――ぐはあ!?
―――・・・おい
―――・・・正直、すまんかった
―――直撃は避けてほしいわね

―――武器のストックくらいマメに確認しろっ、最近のお前は――――
―――うるさいっ、貴方には言われたくない

―――ここは?
―――そろそろ魔女のお出ましだな

―――何をやっている!!
―――そう怒鳴らないでっ、次は大丈夫よ

戦闘終盤

―――動きについてこれてない!
―――見れば分かる!

―――前に出すぎだ!もっと周りに注意しろ!
―――その台詞、そっくり返すわ

―――これで!
―――とどめ!

―――ほむらっ、無事か!?
―――・・・当たり前でしょ、心配ないわ

―――・・・・くそっ
―――大丈夫、貴方を死なせたりなんかしない

―――ほむら、お前だけでも先に―――
―――私に気遣う余裕があるならまだ、大丈夫みたいね
―――おい
―――いくわよ!
―――ええいっ、この分からず屋が!

―――岡部ッ
―――俺はいい、それより魔女を!
―――ッ、分かったわ

―――悪いが、もう少しだけ付き合ってもらうぞ
―――構わないわ。貴方が諦めないならそれでいい
―――いくぞ!
―――ええ、今度こそ奴を倒す!

戦闘終了後

―――相変わらず足を引っ張ってくれたわね!
―――お前だって人の事を言える立場じゃなかっただろうが!
―――はぁ!?貴方何度私に助けられたと思ってるのッ
―――それもお互い様だ!
―――何よ!
―――何だ!

―――・・・憂鬱だわ。今日はラボに泊るわね
―――確か・・・カレーとサラダはまだ残っていたか?
―――あー・・・・まどかに癒されたい
―――たるみすぎだ
―――良いじゃない別に
―――やれやれ、さっさと帰ろう
―――ええ

―――おつかれ、ほむら
―――お疲れ様、岡部



といった感じに危険度が迫れば、緊張感が生まれればそれだけ普段のギャップが顕わになる。
口調こそ普段と変わらないが互いがその身を盾に、相手の安全を優先してしまう。己の身がどうなろうとも相手を護ろうとする。命を削り、想いを糧に生かそうとする。
ようやく辿り着いた彼らにとっての平和な世界線から自分が消える事になろうとも、それを成すべきだと互いが自らの意思で行動に移す。
これが二人の喧嘩の理由の一つ。普段、仲の悪い原因だ。もっと自分を大切にしろと、心配させるなと、言葉にせず、だけどお互いが分かり切って解り合っているから反発する。
似た者同士。暁美ほむらと岡部倫太郎。不思議で自然な関係。

「いいなぁ」

目の前で文句のキャッチボールを繰り返す二人に、マミはポツリと呟いた。









「そういえば倫太郎」
「なんだ?」

帰り道、マミは隣を歩いている岡部に気になっていた事を問う。

「教室で言ってた・・・貴方しか知らない私って何のこと?」

他に訊きたい事が、というより昨日の件や今日の騒ぎについても謝りたかったが口から出たのはそんな台詞だった。
しかしだ。それはそれでよかったとマミは思った。だって今の台詞は、その問いかけの内容は何だか普通とは違う、少しだけ特殊な内容だから、きっと自分は恥ずかしかって深読みして後日問うことはできなくなると予想できたからだ。
岡部倫太郎しか知らない巴マミ。短い時間だが一緒に暮らしていた人間が放つその手の台詞は、まして異性の言葉だ。意識しない方がおかしいだろう。
なんだろうか?それはどんな私だろうか?変でなければいいなと、少しだけ怖いけど気になってしまう。それは他の人には見せない巴マミという一人の人間の素なのだから、無意識に彼にだけ見せていた、それも得意げに語るような表情から察するに―――――

「あ、それなんですけど巴さん。それを知っているの岡部だけじゃないですよ」
「え?」
「・・・・・・ああ、よくよく考えてみればラボメンの数人は気づいているな」
「え?」
「それを大人数を前に得意げに語ろうとした愚か者がいましたが・・・・ええ、忘れてください。きっと本人も恥ずかしさのあまり跳び下りている頃でしょうから」
「え?」
「おい、それではまるで俺が――――」
「あら岡部いたの?近場にある高台は向こうよ、早く逝ってきたら?」
「この女ナチュラルに人を死地に導いてきやがる」
「今日は巴さんの家で御馳走になるから買い物に行きたいのだけど」
「俺も誘われているわけだが?」
「え?さっきから独り言がうるさいけど・・・どうしたのよ岡部、いきなり現れてビックリするじゃない」
「えっ?まさか今の今まで会話してなかったのか?」
「巴さん。どうやら岡部は頭がヤバイみたいなので今日はハブっていきましょう」
「マミ、俺の隣に居るのは一体なんだ?女子中学生か?それとも魔女・・・・刃物か?」
「そう言えば・・・中身は33のオッサンのくせに女子中学生と一緒に住んだりボロい建物に連れ込んだりご飯作らせたりする変態がいたわね」
「まて、お前は何を言っている」
「しかも最近では鼻の下を伸ばしてJCの柔肌にデレデレになって気持ち悪くてたまらないわ」
「誰がデレデレになぞ――――!」
「おまけに男ともキスしたわね」
「ぐはあ!?」
「これでホモ、しかもショタ。大勢の前で堂々とキ―――」
「あ、あのっ」
「「え?」」

嬉々として語る暁美さんと鬱々と沈んでいく倫太郎の会話に無理矢理割り込む形で介入してしまい、悪いかなと思いつつも声を上げた。
暁美さんは追い詰めることができなくなったのを不服そうにしているが、逆に倫太郎は助かったと安堵している様子だから、たぶんタイミングは良かったのだろう。

「えっと、暁美さんもその・・・・知っているの?」

それで問うてみた。訊いてみた。二人が自分の何を知っているのか。
そして、何よりも暁美さんと倫太郎の言う『他は知らない私』の事が重なっているのか、同じことなのか気になった。
同じでも、違っても私自身は恥ずかしくなるんだろうけど、二人の思い浮かべている内容が一致しているのかどうかは全くの罰問題かもしれないじゃないかと―――――


「「『だらしないマミ』」」


変な言い訳を、よく分かんないまま他の台詞を声に出す前に二人から告げられた。
やっぱり息はピッタリで、当然のように一致して、あんなに罵倒し合っていたのにすぐ隣に居る。
なんだろう。鹿目さんと同じ感覚なのだろうか、方向性は逆なのに一周回って落ちついたような・・・鹿目さんだけじゃなかったんだ。

―――なんだろう。モヤモヤする。

「だ、だらしないって私が?」
「ええ、巴さんは気づいてないでしょうけど最初の頃に会ったキリッとしたイメージ、私達の中からは完全に消失していますよ」
「ああ、短い時間なら大丈夫だが一緒に生活していると段々と、な」
「え?ええ?」
「例えばそうですね・・・巴さんは基本早起きで私達が寝泊まりした時は率先して朝食の準備とかしますよね」
「だって私が家主であなた達はお客さんなんだから当然の―――」
「でも数日、連続で泊りこむと・・・杏子の話によれば――――」
「うわきゃー!?」
「・・・・・・はい、判ってくれました?」
「うわわわわッ、佐倉さん誰にも言わないでって―――」
「いや、同居しているバイト戦士やアイルーだけでなく俺はもちろん他の―――」
「なんで倫太郎まで知っているの!?」

―――別に、構わない筈なのに。

「なんでって、俺も君のマンションでしばらく生活していただろう?」
「ヒモよね」
「黙れほむほむ、あれはミス・カナメが無理矢理にだな」
「良かったわね。都合の良い言い訳が存在して、そのおかげで女子中学生と二人っきりの・・・・・通報するわ」
「やめろ。知り合いの捜査官が俺の事を疑っているんだよ・・・」
「・・・・なに本気で落ち込んでんのよ?」
「■■の事で昨日色々ありましてね」
「敬語を使うあたりよっぽどの事?」
「シスターブラウンを紹介したあたりからちょっと・・・な」
「・・・あの人が相手なら」

―――なんだろう。

「倫太郎、なにかあったのなら――――」
「あ、そうだマミ。君は俺達の前ではよく“とけそうな表情”でいることも増えてきているぞ」
「と、溶けた?あッ、じゃなくて何か問題があるなら―――」
「そう言えばそうね。巴さん最初の頃は自宅だけだったけど、最近ではラボでもよく溶けてますよ」
「たれパンダみたいにな」
「こう、テーブルにたれて伸びてる感じ?」
「修学旅行程度の共同生活では大丈夫だろうが存外、君は心許した相手には短い時間で曝け出しているのかもな」
「ええ、かっこよかった先輩が今じゃラボ内きっての妹キャラになることもあるわね」
「本人に自覚がないのも中々だが、それでもお姉さんぶる姿は不思議と、な」
「後はあれね、寝起きは変に甘えてきたり―――」
「いじりやすいし、よく泣くから――――」
「めんどくさいけど、それでも―――」
「ああ、マミは―――」


―――私は恥ずかしさよりも寂しいような、言葉にできない感情に顔を伏せた。


「あ、そうだ岡部」
「ん?」

―――この時、一つだけ確信して言える事は一つだけあった。

「明日の約束だけど」
「ああ、なんだ都合が悪ければ別に―――」
「そうじゃなくて、雷ネットを使って奥まで調べたんだけど」
「・・・雷ネットでの情報なら俺も集めたが、なんだ?目ぼしいものでも見つけたか?」
「気になる事があるから時間を延長してさらに二駅先まで行かない?」
「ふむ」
「帰りは遅くなるけど天王寺さんには―――」
「ああ、それなら―――」




―――なんだか、この時間が面白くない。




「はぁ」

倫太郎からすれば、きっと誤魔化したつもりなんか一ミリもないんだろうけど、何だか避けられたような気がした。絶対にそんな事はないと思えるのに、思ったうえで不安になる。
悪気もないし隠す気もないのかもしれない。だけど言ってくれない。暁美さんとは共有しているけど、どんな案件なのか教えてくれない。教えるまでもない取るに足らない事かもしれないが、何だか・・・・うん。
誰にだって人に言えない事や秘密にしておきたい事が有る。今回もそうなのかは判らないが、判らないゆえに行動に移せずモヤモヤとする。知りたいと思う事は自由なんだろうけど、それに応えてもらえるかは相手側の自由だ。
訊けば案外、あっさりと教えてくれるかもしれない。雰囲気からたぶん大丈夫だとも予想できる。だけど出来ない、つい先ほどタイミングを誤ったから言いだせなくなってしまった。

「はぁぁ」

溜息が零れる。分かってる、変に意地を張って、昨日の件が尾を引いて、岡部倫太郎という仲間があと数カ月で外国に行ってしまうと意識して、きっと――――。

「・・・・マミは一体どうしたんだ?」
「さあ・・・貴方が何かしたんじゃないの?」
「ありえないな」
「断言できるの?」
「当たり前だ!俺がマミに――――」
「 ほ ん と に ? 神 に 誓 っ て ?」

「・・・・・・・・・・・・・・いやっ・・・・思い当たる節が無い・・・・わけでも、ない・・・・・かな?」

「折れるのが早いわね」
「お、俺はマミを怒らせてしまったのか?いやだが“まだ”バレテない筈なのになぜだ!?」
「“まだ”っていったい何をしたのよ」
「言えません・・・・」
「そう、ならこのまま巴さんの好感度が下がっていく様を近くで堪能しなさい」
「え・・・・・死ぬぞ?」
「・・・ほんとに巴さん関連では豆腐メンタルね」

後ろから聴こえてくる声は日常で、その関係は当たり前で、昨日までは隣に私もいた筈なのに、でも今は二人よりも前を歩いていて、二人は私の事を心配しつつも昨日と変わらずにお喋りをしている。

―――・・・・・嫌な子だ、私。

勝手にへそを曲げている。二人からしたら理不尽な仕打ちだろう。二人は何も変わっていないのに、変わらずにいるのに、勝手に私が・・・・。
どうしたいのか、どうなりたいのか、何だか考える事は沢山あるのに同じ事でループし続ける。
一言謝れば、このモヤモヤは消えるだろうか?しかし何に対し今更謝ればいいのか、判らなくなってきた。
そんな風に顔を伏せて歩いていると――――

「巴さん!」
「え?」

急に、いきなり横からきた声にとっさに反応できなかった。

「あっ、あの俺――――」

知らない男の子だった。両手を握りしめられ驚くも突然すぎて避ける事も振り払う事も出来ない。
・・・・しかし男の子?の表現は失礼かもしれない。背は高いが童顔で、敬語を使われているが後輩ではないと思う。身につけているのは見滝原にある高校の制服、中学を卒業したら・・・女子の制服を私は着るのだろう。岡部倫太郎はもう制服に袖を通さないのに。
つまり彼は先輩だ。赤くなった顔で、泣きだしそうな瞳を真っ直ぐに向けてくる。

「あ、あの?」
「えぁっと、とととと巴さん!」
「は、はい?」

彼が緊張しているのが伝わってくる。震えているのは声だけじゃなくていきなり握られた両手も。
彼の緊張が私にも伝わったのか、テンパった口調につられて私も上擦った声になってしまう。

「俺っ、見滝原高校一年でバスケ部に所属してます!」
「は、はあ?」

しかし何の用だろう?焦っているのは伝わるが顔は赤いし大丈夫だろうか?もしかしたら遠くから走ってきたのかもしれない、息切れしたのか苦しそうだ。
考える。見た感じ急用かもしれないから落ち着かせようと包まれるように握られた両手で彼の手を解すように軽く力を込めた。

「ッ」

彼は驚いたようにビクリと体を硬直させる。それに、その動きに一瞬あれ?と首をもたげるが、頭の中に浮かびそうになった思考はギュッと握り返されたた両手の感触に霧散した。

「いたい、です」
「ハッ!?す、すいません!」

相手が年上、それも来年には先輩になるかもしれないという事もあり強気になれず、しかし無意識に零れた呟きに彼は手を離してくれた。
ホッとして、ん?と胸の奥に予感が、このままではダメだと警報を鳴らすが自意識過剰かもしれないと再び思い浮かびそうになったそれに蓋をした。
なんとなく、少しだけ後ろに下がって目の前の人から距離を離した。立ち止まっても通行の邪魔にならない程度には広い場所だが見知らぬ人だ。失礼にはならないだろう。

「ええっとですね巴さん」
「はい・・・なんでしょうか・・・」

だけど、一歩。言葉と一緒に詰められた。

―――ダメ

蓋をしたのに、否応なく私は察してしまった。

―――ヤメテ

「お、俺はっ」

赤くなった顔、震える声、伏せそうになる視線を勇気で持ち上げる緊張した体。

―――イワナイデ

「去年、中学を卒業する前から――――」

いつか、何度か見た事が有る。向けられて、伝えられた。

―――オネガイ

「気になって、忘れられなかったんだっ」

最近は、鹿目さん達と出会ってからは減った。

―――イマハ、イマダケハ

「あの時、伝えられなかった事、遅いかもしれないけれど―――」

それこそ、岡部倫太郎という異性が現れてからは無くなっていたのに。



「俺と付き合ってください!」



その意味と、覚悟と決意がどれだけのモノなのか、告げられた側である私には完全には理解できないだろう。だけど、その行為に必要とする勇気がどれだけ凄いのかは分かる。
伝わって、解る。だって私には無理なんだから。魔女と戦えても誰かに好意を伝える事がどんなに困難か、どれだけの恐怖を抱くのか、私は知っているから目の前で年下相手に頭を下げる人を凄いと―――――だけどそれ以上に酷いと思ってしまった。
勇気を出して告白してくれた相手に、私は負の感情を抱いた。震える体で正面から気持ちを伝えてくれた人を、視線の外に、意識の外に放りだした。
それは失礼で、最低な行為だ。いきなりで突然の告白だからといって無碍にしてしまっている。だけど私には目の前の人に意識を割くことはできない。だって彼のせいで私は■■を抱いてしまったのだから。
すぐ後ろに暁美さんと倫太郎がいるのに告白なんかしないで!そう叫びたかった。その勇気すら私には無くて、だけど本心だ。想いを伝える勇気を出してくれた相手に対して酷いことをしている。

「お願いします!」
「―――っ」

誰かに好意を抱かれる事で■■を抱く事はある。愛されることが幸せに繋がるとは限らないように。むしろ逆の感情に囚われる事が多い。少なくとも私は“それ”を抱いた事が無いから、解らなくて怖いのだ。
信じて、裏切られるのが怖い。“それ”は見えないモノだから、判らないんだ。真剣な想いを、ぶつけられるのは怖い。想像できない“それ”は私に何をしたいのか分からないから。
傷つくのも、傷つけるのも怖い。上手に断れなかったら嫌われる、相手の理想でなければ幻滅される。
誰かを想うだけなら大丈夫なのに、それが外に漏れたり繋がったりしたら・・・とたんに恐怖へと変わってしまう。誰かに“そう”想われているなんて嫌だ。
怖い、恐ろしい。今を変える強い気持ちが怖い。そもそも“それ”を得るために何を失うのか。“それ”を得たところで、いつか失うかもしれないのに。
“それ”を向けられたとき周りの人にどう思われるのかも含めて、自分自身の問題なのに誰かを想い浮かべてしまう。
怖い。私は最低だ。勇気を振り絞って告白してくれた相手から目を逸らし、とっさに言い訳を募ろうとした。『違う』と、『誤解しないで』と、目の前の人が本気なのは告げられた自分が一番分かっているのに返事よりも先に後ろに振り向いてしまう。
私が最低なのはその言い訳を伝える相手を間違った事だろう。その誤魔化しを向ける相手は告白してくれた人にではなく、後ろで私が告白されているのを見ているのは大切な人達へ。

見られたくなかった。それが今の私の心情を一番的確に表していると思う。

岡部倫太郎は“それ”を私にはぶつけない人だから、絶対に嫌いにならないし幻滅もしない人だから。
優しくて温かい。安心して傍に居る事が出来る。愛しても恋はしない。私にも、他の誰にでも同じだから―――。

だから去年卒業した先輩から視線を外す。ずっと想ってくれていたであろう人を意識から排除する。優先順位・・・人に番号付けするのは嫌な気持ちになるが――――今は綺麗事なんか気にしてる場合じゃない。
目の前に居る自分を好きだと言ってくれる人よりも、私は後ろで今のやりとりを聞いていた二人の方に意識も視線も捧げる。懺悔するように、許してと謝るように。
暁美さんも倫太郎も私が過去、幾度か異性から告白された事を知っている。噂で、相談されて、今ではクラスメイトが総出で妨害に出たりしてくれて告白される事も減ったが、それでも彼らは知っている。
そして今、その現場を初めて見られた。噂や思い出話で語る過去の事ではなく、今現在、目の前で告白されてしまった。言い訳無用誤魔化し不可、彼らの前で他の誰かに想いを告げられてしまった。

「―――」

暁美さんは呆気に取られていた。この場面を想像した事はあっても現実で目の当たりにしたのは初めてだからか普段の冷静毒舌の面影は薄れ、頬の赤みのせいで年相応の女の子に見えた。
それが羨ましいと感じた。その立ち位置に居る事の出来る彼女が羨ましかった。私も、その位置でいたかった。贅沢な思いなのだろうけど、告白されるのは私じゃなければよかったのに、私じゃなくて暁美さんなら良かったのにと最低の事を考えてしまった。
だってそれなら見られずに済んだ。それなら一緒に驚く事が出来た。それなら隣に居る事が出来た。それなら――――

「・・・」

倫太郎に告白されたところを見られずにすんだのに。










「・・・だから明日の探索には参加できないかも、しれないの」

日が沈みカーテンから覗く外の明かりが暗くなってもラボは相変わらず大所帯で賑やかだ。明日は休日、泊る者もいればこのまま他のラボメンの家にお邪魔する者もいる。遠慮なく騒げるのだ。
まして数時間前にマミが告白された。彼女がモテるのはラボメンの皆が知っていたし納得もできるが卒業も控えた時期だけに相手の本気度も窺えて・・・ようするにいつもより盛り上がっていた。
そもそもラボメンは常日頃から魔女と相対していようとも思春期真っ盛りの女の子の集団、なんだかんだで色恋沙汰の話題には敏感で興味も深々、見た目良し性格良しの自慢の仲間が告白されたとすれば、それも相手は年上、盛り上がらない筈がない。


「つまり巴先輩は帰り道に告白され、つい圧されて?」
「うん・・・そうなの」
「それでっ、どうするのマミおねえちゃん!」
「どうって、別に――――」
「デート、ホントに行くんですか?」

皆が盛り上がりマミが反比例するように沈んでいくと気を使ったのか見てられなかったのか、ほむらがマミに確認するように問う。
たぶん、この時はっきりと否定していれば良かったのだ。変に意識したりせず、いつものように今からでも告白を断れば良かった。
あのとき無碍にしたからと言って、テンパっていたとはいえ、よくよく思い出せば名乗ってもいない相手と休日に遊びに行くなど、これまでのマミならしなかったのに。

「それは・・・」
「でも返事しちゃったんですよね?」
「ユウリおねえちゃんの言う通りだよ!明日遊園地だよ!ゆまも行きたい!」
「あ、それが本音なんだ」
「なんなら皆で行こうか?邪魔にならない程度に距離をおけば―――」

上条の提案にマミは顔を上げた。

「ダメ!!」

そして声を大に拒絶、ゆまや上条だけでなくユウリもビクリと体を固めてしまう。

「なになにどしたのマミさん!?」
「何かありまして!?」

その声に驚いたのは彼女達だけではなく、アコーディオンカーテンの向こうで岡部と共に未来ガジェットマギカの整理をしていた志筑仁美と美樹さやかもだ。
岡部の作業を手伝いながらも聞き耳を立てていた二人は慌てた様子でマミに駆け寄ってきた。

「・・・ひっ、ぐ・・・?」
「ゆまちゃん!?」
「ああっ、ゆまちゃんごめんなさいっ」
「マミおねえっ、ちゃん…お、怒ってる?」

普段、日常においては滅多に聴かないマミの怒ったようにも聞こえる拒絶の声に、ゆまは半泣き状態に、耐えようとはしているが余程ビックリしたのか既に嗚咽が漏れていた。
マミは急ぎ謝り謝罪するも自分自身あんな声を出してしまい戸惑っていて、いつもならあやす事も出来たのに上手く出来ない。
ただ上条の提案を受け入れるわけにはいかない。受け入れたら皆に見られてしまうではないか。
自分が他の誰かとデートするところを・・・形はどうあれ、告白の返事が断ると決まってはいても、それでも皆にデートをしているところをマミは見られたくなかった。

「・・・巴さん」
「あ、う、うん」
「明日のデート、何なら私が断りを入れてきてもいいですよ」

ほむらの提案はマミにとって一番楽な選択だ。彼女に任せ全てを忘れてしまえたらどんなに楽か。しかしそれはできない。告白され、返事どころか意識さえしなかったマミに、それでも青年は真意に想いを伝えたのだから。
正直、こんな酷い自分なんか見限ってほしかったと思いもしたが、それゆえマミは一日だけ付き合う事を了承してしまった。一日だけチャンスをくださいと叫んだ人の願いを受けてしまった。
それはあの時、後ろに振り向いた時に岡部から視線を逸らされたからかもしれない。逸らされたというか、最初から岡部はマミを見てなかったから、それどころか止まっていた足を動かし、ほむらに声をかけ気を使うようにマミの隣を歩み去ってしまったから。
たぶん何かしらのショックを受けてしまったんだと思う。付き合いの長い人が何も言わず、気にもせずに通りすぎ、置いていかれてしまったからマミは呆然と立ちすくんでしまった。
自分が他の誰かに告白されても・・・否、目の前で告白されていたのに何も――――。気を使われてしまっただけなのに、むしろ気を使われてしまった事に言いようもない不安を感じ自失してしまった。
それに比べ酷い仕打ちをされながらも諦めずアタックを続けた青年は本当に本気なのだろう。いろんな意味で相手に向き合っている。
自分とは大違いだと、マミは思う。気づけばアドレスの交代もしないまま、マミは遊園地に行く約束をしてしまっていた。誘いを断れなかった。

「ううん。暁美さん、さすがにそんな事はお願いできないわ」

きっとあの人は優しい。マミには急な用事で、予定の変更で、と言い訳もできる状況だ。いつでも断れる。むしろそんな逃げ場まで用意してくれたような約束を・・・だから断れるはずもなかった。
他人任せにすれば自分が許せなくなる。何度思い返しても今回の自分の対応は愚劣すぎる。形はどうあれ約束してしまったし、逃げ道まで用意してくれた相手の優しさと真意な気持ちをこれ以上無碍にするわけにはいかない。

「ちゃんと、しないといけないから」
「そうですか」

すんなりと、ほむらは身を引いた。あっけなく、とも言えるかもしれないが彼女の気遣いがマミには嬉しかった。

「えー・・・と、じゃあマミさん明日はホントに?」
「ええ、約束は守らなくちゃ・・・ね?」
「本当によろしいのですか?一方的なお誘いですし・・・乗り気じゃないのならキッパリと断ち切られた方がいいのでは?」
「だよね~、相手も玉砕覚悟してるし待ち合わせと同時に返事ってのも・・・・ありじゃないかな?」

さやか、仁美、ユウリの順に次々とデートには消極的な意見が出てくる。ついさっきまでは物珍しさと純粋な興味から盛り上がっていたが、立場が逆ならどうだろうかと思い直したようだ。 
とはいえ、ともいえ、マミはとりあえず明日の約束だけは果たすつもりだ。お昼前に見滝原中央駅で待ち合わせ、電車に乗って遊園地へ。それが明日のデートプラン。
今更反故にする気はない。してはいけない。返事もしっかりしないといけない。相手の先輩には悪いがマミは皆の言葉に勇気を貰ったかのように、少しだけ前向きになれた。
つまりデート自体は乗り気ではない。だけど相手の気持ちに応えるためにも必要な事だと理解しているからマミは明日、答えはどうあれ約束だけは果たそうとした。

「私は―――」

胸元で抱きしめたゆまの頭を撫でながらマミは自分の気持ちを皆に伝えようとした。
デートに行くが気持ちに応える事は無いと。あんなに想ってくれている事には少なからず嬉しかったが、その気はまだないと。皆も知っているだろうが伝えたかった。
そう、ラボメンの皆なら言わずとも判っている事を。


「しかし約束はしたんだろ」
「えっ?」


だけど後ろから、視線を向けずに通り過ぎ、冷蔵庫からドクペを取りだした岡部がポツリと呟いたのが聴こえたからマミは驚いて声が上擦った。

「り、倫太郎?」
「・・・違うのか?約束は取り付けたんだろ?」
「え、とその・・・何というか断れなくて・・・」
「そうか」

それだけで、やはり視線を向けることなく岡部はラボを出ていこうとする。会話を繋げずに場を去ろうとしていた。
その場に居る全員が「え?」と数瞬動きを止めて、すぐに胸の奥がギュッとした感覚に襲われる。これまでと違う。今までと違う。形も流れも出来上がっていない嫌な予感がズクズクと這い上がってくる。
あれ?と数秒にも満たない時間でそれを理解し、しかし認められない。信じられないから誰も動けなかった。ガチャ、と本当に玄関から出ていく岡部の背中に、ようやく動けたのは精神的にまだ幼いゆまだった。

「お、おにいちゃん!」
「うん?」
「ど、どこに・・・いくの?」

千歳ゆまは文字通り幼い。ラボメン最年少でまだ小学生だ。だから岡部の様子がいつもと違う事と“それ”が繋がらない。予想もできないし勘で当てる事も出来ない。
だから『何処に行くの』と訊く事が出来た。もしこれが“それ”に関してそれなりの知識と経験がある他のラボメンガールズなら『どうかしたの』と訊いてしまったかもしれない。
『何を怒っているの』とは訊かない。岡部倫太郎に“それ”は無いのだから、少なくとも自分達に“それ”を抱く事はないと知っていたから『どうしたの』と訊くのだ。

「別に、ただの連絡だ」

携帯電話を持った手を顔の横まで上げてブラブラと、背中を向けたまま、ドクペを片手に扉を閉めた。

「―――え?ちょっと待ちなさい岡部!」

だけど今、知っていながら邪推したかもしれない。だって今の岡部の態度は“それ”の場合なら理解できる反応だからだ。まるで拗ねたような、理不尽で予測不能な子供みたいで、こんな状況じゃなければ弄っても良かった。
だけど違う筈だ。岡部倫太郎が見た目通りの中学三年生ならまだしも中身は幾多の世界線を歩いてきた不屈の観測者。そんなあからさまな、それもラボメンに対してする筈がない。
じゃあ今のこれは何だ?“どうして岡部倫太郎が『拒絶』しようとしている?”一体、何を怒っているのかわからない。
マミは解らなくて、分からないから泣きそうになった。これが他の誰か、クラスメイトの男子なら自意識過剰にも『嫉妬』かもしれないと状況に結び付ける事ができたが、相手が岡部なら話は別だ。
何故怒っているのか?約束しておいて嫌々な態度をとっていると思われたのか。
何故視線を合わせてくれないのか?ゆまを泣かせた事に腹を立てたのかもしれない。
何故出ていこうとするのか?自分なんかと一緒に居たくないと思っているのか。
何故?もしかしたら嫌われてしまったのか。

「・・・・・あれ、なんかおかしくない!?」
「・・・・ええ、なんだか―――」

さやかが言った。口にしなくても解っている。だけど誰かが口にして自分の抱いた何かを共有したかった。
そうでもしないと今まさにおきた現象が夢か幻か、自分の勘違いなのではないかと混乱してしまいそうだった。

「私、今日はもう帰るわね」

そして、さやかの言葉に仁美が同意した瞬間には既にマミは動き出していた。

「えっ、マミおねえちゃん!?」
「ちょっと待って巴先輩!今ほむらが倫君呼んでくるから―――」
「・・・ううん、いいの」

皆が何か言う前にマミは立ち上がり、急ぎ足で帰る支度を始める。

「明日の準備も、あるから」
「明日って、巴先輩――――」
「じゃあ、もう行くね。みんな、おやすみなさい」

引き止めようとして、だけどこれ以上なんと言って止めればいいのか誰にも解らなかった。
パタンと閉じられたラボの玄関に声を失い、次いで少なからず寂しさと喪失感が生まれ、じわじわと這い上がってきた岡部への怒りが皆の胸に宿った。
これといって岡部が何か悪い事をいたわけじゃないのは解ってはいるが、それでも彼女達は岡部に何かを言わなければならない気持ちになっていた。

「あーもうっ!なんなのよ一体!」
「ん~、倫君たぶん上だよね?」
「ゆまはマミおねえちゃんと一緒に帰った方が良かったかな・・?」
「いいえ、鳳凰院先輩に訊きたい事、御有りでしょう?」
「・・・うん」
「では行きましょう」

仁美に手を引かれて歩くゆま、その後ろをさやかとユウリが続く。

「一言だけでも申さないといけませんわ」

岡部は見た目こそ子供だが中身は本人曰く大人だ。普段の言動も大人びている・・・格好付けとも言えるが、自称するからにはそれなりの態度を取ってほしいと仁美は思う。
あの時のマミは平静を保とうとしたのだろうが、実際には泣きそうな顔でもあった。外野の自分ですら岡部の態度には動揺したのだ。直接の原因となってしまったかもしれないマミの心境は予想よりも大きく震えていたのかもしれない。
大人なら、男なら、大切にしている女の子を泣かせてはいけない。まして言葉による説明もなく、視線も合わせず急に場を去るなんて・・・そんなことをされて女の子がはたしてどんな気持ちになるか解らなかったのだろうか?
ラボの扉を開けて下、一階の方に視線を向けるが既にマミの姿は無い。目に見えて落ち込んでいるゆまの手を握り返し仁美は階段を上る。岡部倫太郎は上だ。きっと屋上だろう。今頃ほむらが先程の態度について言及している筈だ。

「まったく、ラボに所属する殿方は皆教育が必要ですわね」

上条恭介に続き岡部倫太郎にも異性に対する接し方を学ばせないといけない。
溜息を零しながら仁美は重い足取りで階段を上り、屋上から聞こえてくる岡部のいつもの笑い声と、次いでほむらの容赦皆無の打撃音を耳に捉えながら今後の予定を頭に思い浮かべた。

「でも・・・」

まあ・・・大丈夫だろう。今までと違うからと言って何かを失う訳ではないのだから。自分ならまだしも、今回は岡部倫太郎と巴マミが中心だ。
あの変わらずにいた岡部倫太郎が目に見えて普段と違う対応を見せた。何があったのか、と勘繰っているが、もしかしたらそれすらも『いつもの』かもしれない。

変わったのは岡部ではなく、“自分達の視線”かもしれない。









「ん?巴先輩もう帰るんですか?」

とぼとぼと、マミが自宅を目指し暗い夜道を歩いていると前方から声をかけられた。

「杏里さん?」
「こんばんは。買い出しに行ってました」
「お疲れ様。でも・・・倫太郎ったら女の子に家事を全部任せっぱなしだなんて駄目ね」
「え?あっ、いや違いますよっ、私が用事で遅くなっただけで―――」
「それなら事前に倫太郎が―――」
「私用でスーパーに寄る用事もあって、それで私が・・・だからあいつは悪くないんです」
「そうなの?」
「はい!それに“これ”は私が好きでやって――――ああいや好きって言っても料理の事ですよ料理!!ユウリから新しいレシピを教えてもらったからただそれだけで―――!!!」

中身を一杯にした買い物袋を両手で持っている小柄な女の子、ラボメン№05杏里あいり。
明日は休日。その様子から彼女は日課になっている『お泊り』のための・・・・なんだろう、天王寺さんや■■さんといった大人な女性が増えてきたが、やはり彼女が一番ラブコメ的な状況にいると思う。
彼女自身、進んでラボの家事事情を請け負いラボの物品配置は既に家主である岡部よりも熟知していて、今では親公認の『外泊』を許可されているあたり外郭も充実している。
同じ学校ではないが岡部との関係をクラスメイトから周りにからかわれたり、親友である飛鳥ユウリによる策略も相まって精神的プレッシャーもあるだろうに腐らず慌てながら、そして照れながらも生活能力が低い岡部の為に世話を焼いている。

「えっと、まあ今日は焼き肉なんですけど・・・・帰るんですか?一杯ありますから今からでも一緒に行きませんか?」
「お誘いは嬉しいけど、実は明日用事があってね」
「用事ですか?」
「え、ええ」
「?」

『実は明日デートなの』なんてマミが言える筈もなく、首を傾げるあいりに苦笑いを浮かべるしかないマミだった。
事前に岡部から今日は焼き肉だと誘いを受けていたから本当なら御馳走になる予定だったが・・・・仕方がない、今更どんな顔をしてラボに戻ればいいのか。
マミのいつもと違う様子に「?」を浮かべる事しかできないあいりはハッとして、重そうな買い物袋を器用に片手で持つと、空いた手でスカートのポケットから携帯電話を取り出した。

「もしかして、この意味不明なメールのせいですか?」
「メール?」
「はい。さっきあいつから届いたんですけど・・・これって巴先輩の事じゃないですか?」

あいりの台詞に、あいりの『あいつ』と呼ぶ相手が岡部倫太郎の事だと知っているからマミはドキリと心臓を跳ねさせ体を固くした。
ずいっ、と携帯電話のメール内容を向けてくるあいりからマミは後ろに下がる事で距離をあけた・・・今日は何だかずっと後ろ向きだ。精神的にも、肉体的にも。

「・・・・巴先輩?」
「ごめんなさい。明日の準備で忙しいからまた今度、ね」
「え?ちょっと巴先輩!?」

顔を逸らしてマミはそのまま文面を見ることなく、その場を逃げるようにして走り出した。後ろから困惑した声であいりが呼んでいるが振り返る事は出来なかった。
全然駄目だ。まったくもって制御不能だ。少しは・・・・前よりもずっと強くなったはずなのに自分の感情一つ制御できない。何を思ってこうなってしまったのかも解っていない。
今はただ、誰もいない自分の家に駆け込んで倒れてしまいたかった。
杏子も今日はマンションには戻らない。今日は外泊しているから家に戻れば一人になれる。いつもなら寂しいと思うのに、今日に限って言えばありがたい。
そしてマミはもう止まることなく、誰にも捕まらないように家に着くまでずっと走り続けたのだった。

「えー・・・なんなの?」

一人、取り残されたあいりはポカンと呆気に取られていた。実は密かに尊敬し憧れていた先輩が珍しくも取り乱していたから混乱してしまっていた。
自分は何かしてしまったのか?いや、あの様子では最初から何かしら抱え込んでいのだろう。あいりは悩むも答えは見つからない。

「ラボの方から来たし・・・でも巴先輩が?うーん・・・・やっぱこれに関係あんのかな?」

とりあえずラボ向かって歩き出す。手ぶらなら追いかける選択もあったが今は食材の詰まった・・・腹を空かせている奴が複数いるだろうから足はラボへと向かう。
薄情か?否、大丈夫だと思っているから間違ってはいない。普段なら決して見せない行動だったが、だからと言って過剰に関わる必要はあるまいと結論つけた。心配はするがラボから来たのだ。なら何かあったとしても大丈夫。
人間、たまには一人になってハメを外したい事もあるだろう。分かった風を装っているが、あいりは割と経験者だ。なんとなく“ああゆう場合”はそっとしておいた方がいいだろうと判断したのだ。
あいりは手元の携帯電話に表示されている内容にもう一度確かめる。

「『オペレーション・トロイヤ』ね。えっと・・・・私達の事で当てはめて考えれば・・・・トロイヤって確か女を奪還する話だったかしら?まあどっちでもいいか」

携帯電話をポケットに入れて、あいりは買い物袋を両手で持ち直す。鍋だから準備自体は楽だが使った皿を洗い洗濯物を回し明日の朝食の準備もしなければならないから・・・急がなくては。

「・・・・ま、大丈夫よね」

繰り返し心配しつつも、やはりなんとなく根拠もないまま大丈夫だと思い込める自分が不思議だ。
自分はこんな性格だっただろうか。いつの間にかに馴染んでしまっている今だが、昔からそうだったような、違うような、変な感じだ。
何かあれば事あるごとに今と過去を比べようとする。
今も変わらず世話好きらしい。
今も相変わらず口は悪い。
今も素直になれない。
昔よりは強くなれた気がする。
昔よりは友達が増えた。
昔よりは社交的になれた。
だけど弱くなってしまったような気がする。大切な人が増えて、好きな時間が沢山あって、ずっと居たい場所ができた。
なんだろう。大切な人たちが増えて好きな時間と欲しい居場所ができたのに、どうして――――何が変わったのだろうか?

「あ、これが『      』ってやつ?」

いつか岡部が言っていた。教えてくれた。

「面倒臭いなぁ、悪い事じゃないのに」

溜息が零れる。

「料理や掃除も手間はかかるけど嫌いじゃないのに・・・でもなぁ、これはなぁ」

訊いて、話して、確かめる。

「どうせ今回も・・・あいつがちゃんと話してくれれば解決できそうな気がするけど」

それができれば苦労はしない。誰もが、いつだってそうなのだろう。
他人にとっては些細なことでも、後から思い返せば遠回りな事ばっかりで疲れるけれど。
仕方がないのだろう。先が解らないから不安になるし・・・希望が持てる。

「巴先輩も最初から全部ぶちまければいいのに」








あれから数時間。

「・・・・・・」

マミは一人、眠れないまま夜を過ごしていた。今頃ラボでは焼き肉を食べ終え片付けとお風呂でごっちゃになっているだろう。
本当なら自分もそこに居て、あいりと一緒に皿洗いか、まどかと一緒に片付けか、ほむらと一緒にガジェット制作か、ゆまと一緒にお風呂か・・・または岡部の隣に座っていたのかもしれない。
そう思うと寂しさに潰されそうになる。どうしてこうなってしまったのかと考えてしまう。どうして――――。

「・・・・・私のせい、だ」

誘われたのに、いきなり帰った。逃げるように。
告白もキチンと断れなかった。
あやふやで、ハッキリと意思を示せなかった。

「だから・・・」

もぞもぞとタオルケットを被りなおしマミは枕に顔を埋めた。

「でも、あんなのって・・・酷い」

そう呟いて、誰に向けた言葉なのか考える。
告白してくれた先輩にか?違う。彼は被害者だ。今回一番傷ついて蔑ろにされた。
目を合わせてくれなかった岡部倫太郎にか?違う・・・違う!
だから止める。考える事を、悩む事を、今は明日に備えて早く寝るべきだと言い訳を並べて目を閉じだ。

「・・・」

ふと、昨日ゆまが持ってきた台本の事を思い出す。あの話は三角関係のようでいて、実際は女が二人の男に恋をしていた話だ。
あの物語、一体どこで女は別の相手と出会ったのだろうか?昔馴染みの男の子ではなく、別の、婚約した相手とどうやって出会い、そして付き合ったのだろうか。
そして昔馴染みの男の子はそのとき何を思い、何もしなかったのか、それとも・・・・何かして、くれたのだろうか?

「――――明日、どうしようかな」

そう呟いて、既に答えの決まっている事柄に対し迷いを零す。
杏子もゆまもキュウべぇもいない部屋は広くて暗い、暖房はいれているが体が冷えている。タオルケットだけじゃ足りない。
しかし布団を取りだすのも億劫だ。きっと起き上れば明日の朝まで眠れない。
マミは小さく体を丸めて耐える事にした。

一人で、小さく、いつかのように独りで。













「早く着きすぎちゃったかな」

翌日の土曜日。マミは見滝原の駅前に約束した時間の三十分前には到着していた。

「え?」

しかしマミの視線の先、待ち合わせ相手である先輩は既にそこに居た。そして遠目にもそわそわと落ちつかない様子で、ときたま頭を抱えて落ち込んだり急に立ち上がって拳を握り、何故か空を見上げたりしていて忙しそうだ。
傍から見ると異常者だが、優しい視線で見るなら待ち合わせの相手の事が気になり落ちつかない青年として見る事が出来る。傍を通り過ぎる人達も温かい目で面白そうに見ていた。
なんとなく、マミは知り合いの少年の事を思い出した。確か彼もあんな感じで自分を待っていた。強引な誘いで呼び出し、そのくせ不安そうに自分が来るのを待っていたのだ。
・・・あの時は、その様子は、なんだか年下の男の子をたぶらかしている気分がして、そしてなんだか楽しかったのをおぼえている。普段は偉そうに自信満々な彼だから余計に。
あの時の―――岡部倫太郎の姿と目の前の青年の姿が被って観えた。見えてしまった。何故、そのことに罪悪感にも似た感情を抱いたのかマミには解らない。

「あ、あの―――!」
「マ~ミッ」
「ぴゃあ!?」

その思考を打ち消し、青年に声をかけようとしたら後ろからハグされた。後ろから回された手が胸を下から上に持ち上げるようにしながら。
変な声が出た。周囲の視線が此方に集まって青年も気づいたのか驚いた顔で視線を向けてくる。

「えッ、なななななに!?」
「あーたーしーでーすー」
「あ、ちょ―――」
「ふかふかー」
「きゃあ!?」

クラスメイトの女の子だった。私服姿はなんだか新鮮だ。ふにふにと胸を揉む彼女の声は弾んで、それもまた不思議と学校の時とは違って別人のように聴こえる。
魔法少女になってから休日はほとんど魔女探索ばっかりで友達と遊びに行く事も減ったから、こうして休日に出会う事すら稀だ。基本、魔女は人目の着かない場所に結界を張るから余計にだ。
しかしなんだろう、何故に彼女は此方の胸を揉むのだろうか?公共の場で・・・鼻息が荒いのもきになる。

「って、いつまで揉んでるの!?」
「いやなに?気持ちいいから手が離れなくて―――ごは!?」

怒って注意するけど悪びれもせずに続行する彼女が―――急に真横に吹き飛んだ。

「・・・へ?」

ごろごろとコメディー風に転がっていく様を眺める事しかできない自分の横から別の女の子が顔を出した。

「巴さん大丈夫?」
「え?あ、こんにちは」

クラスは違うが見滝原中学の同級生、去年同じクラスだった子だ。

「あ~、マミじゃん偶然必然どっか行こうよ~」
「ん?巴さんの私服姿見るのって臨海学校以来かも」
「あれ?なんで皆いるん?」
「おーす」
「おは~」
「コングルゥ~」
「巴が私服だ・・・激写!」
「なんでお前らまでいるんだよ」
「いや別に?」
「偶然ー」
「今からどっか行くの?」
「暇でぶらついてた」
「なんなら皆でどっか行こうぜ!」
「いいねー」
「しびれるねー」
「ありがとね(?)」

そして続々と知り合いが周囲に集まってきた。この時間のこの場所で偶然にしては出来過ぎているかのように知人がどんどん集まってくる。休日の駅前だ。それぞれが遊びに外に出れば自然と集まる事もあるかもしれないがこの人数には驚いた。
マミの周りにはいつのまにか十数人の見滝原の生徒、狼藉を犯した女子生徒も起き上り輪に加わる。いつの間にかマミを中心にこれから何処に行くかが話し合われている。
だがマミは困ってしまう。みんなと一緒に遊びに行くのは久しぶりで、きっととても楽しいのは間違いないだろうが今から自分はデー・・・・

「あ、先輩じゃん?」
「ホントだ」
「お久ぶり~」

皆が自分達の近くで固まっている人に気づいた。彼は去年まで見滝原中学校に在校していた人だから何人かは知人らしい、次々と声をかけて輪に加えていこうとする。
彼と視線が合う。自分達はこれから用事がある。遊園地へ、しかしどう説明したものか?素直に正直にこれから遊園地へデートです。と言うのは些か恥ずかしい。変に邪推されるのもあるが、このままでは・・・と、考えを巡らせたところでマミは気づく。

「・・・あれ・・」

なんだろう。確かに先輩とこれからデート、待ち合わせをしていたことを皆に知られるのは恥ずかしいという気持ちはある・・・あるにはあるが、それは昨日ラボメンの皆に抱いた時と比べると小さく感じた。
彼らはラボメンと違い命懸けの時間を共有した間柄ではないが、それでもマミにとって大切な人たちだ。岡部倫太郎には出来ない、巴マミを救ってくれた人達、だからこそ変に想われたくなかった。
筈、なのだが今現在はどうだろう。不思議と、いや確かに誤解されるのも勘違いされるのも困るのだが、それはラボメンの皆の事を思うと大丈夫のような気がした。大丈夫と言うか、気にならないというか。
クラスの皆になら誤解されてもいいという訳じゃない。ただ誤解されてもすぐに本当の事を言えばいいと思ってしまう。思われたらその場で解く。指摘されたら否定すればいいと。

「先輩も暇だったりするんスか?」
「いや俺は今から――」
「じゃあ一緒に遊びに行きましょう!」
「ですね、私達も今から“皆で”移動するんで良かったらどうぞ」
「あ、あの俺は――」
「とりあえず人数が人数だし広いとこがいいよな?」

先輩が事情を説明しようとするも次々に言葉が跳び合い台詞が独り歩きして話題が進行する。
え?ちょ、待って!と先輩が必死にアピールするも、マミから見て彼が口を開くたびに台詞を重ねられ言葉が封殺されていく。
それでもこのままでは駄目だと、昨日見せたような不屈の精神で声を大に彼は――

「俺は今から――!!」
「んじゃ、遊園地に決定でいいか?」
「―――――ぇ?」

やはり先読みされたかのように封じられた。

「賛成」
「久々だから楽しみー」
「俺、二年ぶりかも」
「・・・私、初めて」
「俺もー」
「それって見滝原の遊園地ってこと?」
「うん」

完全に呑まれたのか先輩は立ち尽くしていた。否定するのも怒鳴るのも何か違う気がして何も言えないのだ。
熱心に、とは違うが誘われている手前怒鳴る事は出来ないし、かといって予定が有るというにも目的地は一緒・・・・気まずいだろう。まさか目的地を変えてくれとは言えない。言えなくもないが、ここまで盛り上がっている皆に水を差すようで申し訳ない。
この先輩は勇気も意思の強さもあるが人の良いお人好しで、知り合って間もないのにそんな事が解るほど優しいから、目的地が重なった瞬間には少し折れたのかもしれない。

「マミは?」
「え?」
「見滝原の遊園地、行ったことある?」

流れるように手を取られ改札へと歩き出す。皆も先輩も。

「えっと、私は――」
「オープンしたの去年か一昨年だからここにいる半分はまだ未経験よ?」
「女子が未経験って言うとテンション上がるよなっ」
「同意」
「今の台詞聞いた男子、一人百円ね」
「「「「「金とんのかよ!?」」」」」
「しかも微妙にリーズナブル」
「リップサービスも立派な営業になるからね」

あれやこれやと改札を通りホームへ。

「それで?」
「あ、私はその・・・・倫太郎たちと一緒に一回だけ」
「ふーん、そっか」

笑顔で頷いた彼女の後ろで、幾人かが背後に振り返りボソボソと何やら呟いている。独り言ではないが携帯電話を取り出した様子もない、襟元を引きよせて喋っているように見えるからマイクでも・・・・そんなわけないか探偵でもあるまいし。
今日は本当なら優柔不断な自分に好意を示してくれた先輩と遊園地でデートする筈だった。しかしマミは気づけば皆の会話に耳を傾け返事をして、電車に乗り込み目的地である遊園地が近付いてくるまで完全にそれを忘れてしまっていた。
先輩には悪いが、本当に申し訳ないが心は軽かった。昨日から背負ってしまっていた重い感情は吹っ切れていて、このままではデートを後日に仕切り直しになる可能性もあるが今だけは皆に感謝した。

「とうちゃーく!」

誰かの声に前を見れば、そこにはラボメン達と一回だけ訪れたことのある遊園地。
みんなと一緒に居るからだろうか、此処で過ごした思い出が楽しかったこともあって自然と胸が高鳴った。
そして、今度はまたラボメンの皆と一緒にきたいなと、心の底から思った。









「こちらウルズ7。オペレーション・トロイヤ第一フェイズから第三フェイズまで完了。M3応答せよ」

そんなマミに気づかれないように集団の後ろにいた生徒の一人がトランシーバーで此処にはいない人物に連絡を入れた。
ザザッ、と一瞬のノイズを混ぜ応答がすぐさま入る。

《こちらM3.了解した。作戦に変更は無い。引き続き任務を続行せよ》
「了解」

ちなみにこの会話。マミと先輩意外“全員が把握している”。

《こちらも“狙撃ポイント”を変更し――ぐはぁ!?》
「どうしたM3?」

突然の叫び声、しかし彼は冷静に返信を待った。

《ちょ、まてバイト戦士蹴るなけるな!!・・・・・ああいや場所を移動してすぐに連絡する。しばらくは任せた》
「任された。しかし一つ確認したい」
《?》
「皆と協議したんだがな、やはり一つ気になる点がある」
《なんだ?目標の情報に誤りでもあったか?》
「いやなに・・・・・お前はマミと遊園地に行ったらしいじゃないか?ん?」
《・・・・・》
「情報は共有すべきだと昨日話した筈だがコレはなんだ?」
《今は作戦に集中しろ》
「このままでは作戦に支障が出ると言っているんだ。解るだろ?」
《く、貴様らの望みは何だ》
「・・・・そうだな、昨日言っていたお前しか知らないマミ・・・だな」
《な、なんだと貴様それは――!》
「おいおい、おーいっ、お前に拒否権はないんだぜ?」
《ぐぬぬっ》

そんなやり取りがすぐ後ろで行われていたが、マミは前を向いたた気づかずに遊園地に足を踏み入れていった。










少年は、否、一人の男は携帯電話を懐に収め決意を秘めた表情で立ち上がった。

「よし・・・・いくか!」(`・ω・´)キリッ

とした顔つきで、次の瞬間には脳天に踵落としを受けた。

「行くかじゃねえだろバカ野郎」
「おごはぁ!?」

メゴ!と踵落としを喰らった人体が発してはいけない音と共にゴロゴロと熱々のコンクリートの上を転がりまわる。
場所は見滝原駅から数キロ離れた高層ビル。そこには少年と少女、そして一丁のスナイパーライフル、それに連結している沢山のコードの山。人気のない屋上で太陽の光を遮るモノが無い広い空間に二人はいた。
この二人、名目上はデート中である。それを見た目だけで証明するなら服装がそれを証明していた。少年は岡部倫太郎、少女は佐倉杏子、ともに普段はしないお洒落な恰好をしていた。

「いっつつ・・・おいバイト戦士ッ!今のは死んでもおかしくないぞ!?いや冗談抜きで頭蓋が割れるッ」
「割れてねぇのが残念だよクソ野郎」

ぐりぐりと杏子は岡部の背中を踏みつけて怒りを顕わにしていた。
今日の杏子の出で立ちは普段と違って女の子だった。もちろん普段から女の恰好はしているが今日のはそう・・・キチンと『デート用』と言っても過言ではない姿だ。
胸元に蝶のプリントがされた黒いシャツに白いフレアスカート、ピンクと白の縦ボーダーがデザインの上着にトートバック、靴はいつものブーツではなく可愛らしいスニーカー。人によってはまだまだと言えるかもしれないが、あの佐倉杏子と見れば、それはまさにデート用の私服だった。
対し、地面に伏している岡部の服装も稀に見るものだった。
まず第一に『白衣を着ていない』。この男、何をトチ狂っているのか見滝原の制服の上からでも白衣を纏おうとする業の深い奴である。その岡部が今日は白衣を持ってきてすらいない。
一言で言えばカジュアル。黒と白の横ボーダーのシャツに黒い上着。色落ちしていない新品のジーンズにスニーカー、また髪にはワックスを使用し“ちゃんとしたセット”がされていた。

「なあ岡部倫太郎、アタシはお前に飯を奢るから付き合ってほしいって言われてきたんだが?」
「・・・も、もちろん嘘は無い。昼飯は俺の奢りだ」

地に伏したまま岡部は答えた。

「そんで珍しく、お洒落してこいって言われたな」
「ああ、すごく似合っているぞ」
「ありがとよ。これ、お前が絶対に着て来いって言った奴だぜ」

岡部を踏みながらスカートの裾を摘まんでヒラヒラと、岡部が視線を向ければ下着が丸見えになってしまうが杏子は気にすることなく岡部をぐりぐりとした。

何故こんな状況に陥っているのか?時間は昨日の夜。マミがラボを出ていってから始まる。





―――回想。

思う事が有る。岡部倫太郎が巴マミに冷たいと言ってもいい態度で接した。
そんな事は過去に一度もなかった。いや初めて会合したときは都合から距離を取ろうとしていたが今では状況が違う。

「岡部っ」
「・・・・まて」

ほむらは岡部の後を追って屋上に駆け込んだが、岡部は既に携帯電話で誰かと連絡を取っていた。ほむらに片手を向け制止の合図を送り電話へと集中する。
暁美ほむらには解らなかった。岡部倫太郎の意図が、自分が岡部に何と言うのか。
過去、仕方なく岡部がラボメンに対し距離を置こうとした事は確かにあった。だけどその原因は既に無い。解決し、終わった話だ。今更蒸し返す筈もないし、ほむらが知る限り目の前の男はラボメンの為なら世界を敵回す事すら厭わない。
そんな男がわざわざ“あんな態度”を、それも巴マミに対し・・・解らない。下校途中まではいつもの通りだった。ゆえに考えられる原因はマミが告白された事だろう。それしかないはずで、だけど岡部倫太郎が?と思うと要因として考える事が難しくなる。
岡部の態度に少なからず怒りの感情があったのは確かだが、ではどうする?こうして追いかけてはきたが何を言えばいい?何を言うつもりだった?・・・解らない。こうして間を取られると冷静になって言葉を失う。
これが岡部でなければ『変な嫉妬はみっともない』的な台詞を吐けた。だが相手はあの岡部倫太郎だ。前提条件が違うかもしれない。『巴マミが告白された』からあんな態度を取ったのかどうか、そこからして解らないのだ。

岡部倫太郎は愛しても恋はしない。
大切に思っても執着しない。
信頼しても必要としない。
求めても欲しない。

それは例えラボメンであろうとも変わらない。世界を敵に回してでも護りたい人でも、幾多の世界を渡り歩きようやく辿り着いた世界線で出会えても、親愛を示されても、岡部倫太郎は“それ”を抱かなかった。
だから思う。考える。あの態度は“それ”とはまったく関係が無い?此方が勘違いしているだけで、気づかないうちに彼の周りでは“何か”が起こっていて、今現在・・・それについて頭を悩ませているのではないのだろうか。
あの岡部倫太郎が大切に思う巴マミにあんな態度を取ってしまうほどの何かが―――――また、この男は一人で背負っているのではないだろうか。

「・・・・・」

そこまで考えて、予想出来てしまう。
この時間軸で、世界線で文字通り『奇跡』を越えた再会を果たした当初のように、それでも巻き込まないために、また一人で抱え込んでいるのではないかと暁美ほむらは思った。
見て、観て、訊いて、聞いて、確かめて、この男が絶対にブレない事を知っている。
例え何があろうとも岡部倫太郎は私達を裏切らないと。例え彼が此方に危害を加えても、冷たく突き放しても、そこには理由があるのだと信じている。
例え世界中から見放されようと――――――


「ああ、分かった。引き続き奴の情報を集めてくれ・・・・・解っている。我々TMFの警戒網を破り単身でマミに告白した輩だ。裏には強力な組織がいるはずだ」

T=巴
M=マミ
F=ファンクラブ

「明日は駅前で合流し、その後遊園地らしい。・・・・・・・ああ、まったくベタなプランだが油断はできん。若さゆえの過ちもある。明日は一時間前には周囲を固め、偶然を装いつつデートを妨が・・・・おっと口が滑るところだった。そう、我々は偶然集まり遊園地に偶々遊びに行くだけであって何もしない。そう、なにも な」

うん、だけど念のために殺す事も念頭に入れておいた方がいいのかもしれないな。ほむらはそう思い屈伸運動を始める。
真剣な表情で空を見上げながら意味深な台詞を垂れ流しているが、その内容は聞けば聞くほど他人の恋路を邪魔しようとしている愚か者にしか見えない。
ああ、もちろん知っている。岡部倫太郎、鳳凰院凶真はラボメンのためになら自ら進んで悪役を担うお人好しだと。

「エル・プサイ・コングルゥ―――次は・・・・・・・もしもしバイト戦士か?明日は暇か?暇だな、いやなに大した要件でもないが旅行のプランをそろそろ考えようと思って・・・・、ああもちろんゆまが行きたい場所も先日訊いた。大まかな観光場所はまかせる。ただ泊る所や移動手段、当日の天候についての予備プランも含め君と一緒に昼飯でも食べながら話し合いたい。もちろん奢りだ任せろ。・・・ん?いや、ゆまには内緒にしよう。これもサプライズさ――――――そうそう、当日は着飾って来い。・・・・・いや?単に前回の遠征で買った服、俺はまだ観てないなと思って・・・・ああ、プレゼントした手前、俺には見せてもいいだろう?うん・・・・・うん、ああ楽しみにしている。―――――おいおい怒るな、からかっているわけじゃない。本音で本気だ。うん?明日の予定なら“ほむらに全て任せる”つもりだ。気にするな・・・・・それよりも俺にとっては此方が重要なんだ」

だからまあ?悪役を担うというのなら?その心根を呑んで受け止めて乗ってやるのが彼を知る自分の役割だろう。同情せず、躊躇わず、彼の望む結末の為に演技に付き合ってやろう。
奴は大切な存在である者を傷つけ、信頼する者を騙し、理解者との約束を一方的に破棄しやがった。

罪には裁きを、悪には断罪を、ロリコンには鉄槌を。

今しがたの会話を連結させ予想すればこの男、巴マミのデートに介入す気満々だ。それも外部協力の元、相手の情報を違法に収集、真偽不明の協力者までいると仮定して動いている。
おまけになんだ?明日の予定を丸投げする気か?事後承諾で?佐倉杏子にはまるで期待させるような言葉を送りながらその実、あきらかに利用しようとしている。
許せん!杏子がどんな気持ちを岡部に抱いているかは不明だが、少なくとも彼女は岡部の言葉を信用し、妹分であるゆまと一緒に出かける旅行のプランとやらを真剣に考えている。その想いを私利私欲のために利用するというのなら断罪すべきだ。
それは演技、と言う事だろう。悪役を演じる彼の目的は裏に隠れた組織を打倒するためにする演技。ラボメンに嫌われようとも護るために、未来への障害を排除するために。

うん・・・・・・ そ ん な わ け あ る か !

「よし、後は明日に備えて未来ガジェットM44号『月は出ているか!?出てないか、そうか!発射!!』の調整に入らねば」

未来ガジェットM44号。正式名称は『“対ワルプルギスの夜決戦兵器”超々長距離アンチマギカライフルHOMURA』。

ヤシマ作戦にでも出てきそうなゴツイ外見のガジェット。六号機の『クーリングオフ』と複数連結させる事により射程距離は最大12キロ、威力は計算上超大型魔女を一撃で戦闘不能にすることから人間を後遺症の残さない程度に狙撃出来るまで調節可能な代物だ。
・・・まさかとは思うが最低でも起動するのに“グリーフシードを十個以上消費する”ガジェットを、デートを監視するために使用するのではないだろうか?まさか。いやまさか、流石にそれはないはずだ。

「訊いていたなほむほむっ」
「誰がほむだ」
「『オペレーション・トロイヤ』をここに宣言する!」
「いやちょっと待ちなさい岡部、貴方一体何を――」
「ゆえに明日のお前との約束はキャンセルだ!要件は全てお前に一任する、頼んだぞ」
「いや頼んだぞじゃないでしょ。そもそも明日の用事は――!」
「『雷ネット』起動!全ラボメン(今回の件について参加しそうな人物)に緊急要請!『オペレーション・トロイヤ』の概要を転送ゥ」
「聞けよコラッ」

ポチ、と携帯電話のボタンを天に掲げながら押した岡部はテンションがおかしいのか、それとも脳がついに限界を迎えたのか、その声は巻き舌で、その表情は活き活きとしていた。
なんとなく、解る。この男は普段からマミを養子にしようと策略を練るHENTAIなのだ。小さな可能性として、もしかしたら『娘はお前にやらん!』を疑似体験したいがために悦に入っているのかもしれない。
入念な準備運動、屈伸を済ませたほむらは助走をつけて天に高笑いする岡部に向かって走り出す。

「フゥーハハハ!!安心するがいいマミ!(協力してくれる)ラボメン及びTMF総出で君を守護してみせようッ・・・ククク、フゥーハハハハハ!!」

場違いにも久々に聞いたかもしれない高笑いに、少しだけほむらは楽しい気持ちを抱いてしまったがすぐに封殺する。
彼我の距離が一メートルを切ると跳んで空中で回転、ひねりを加えつつ両足を揃えて岡部の無防備なその背中へとそれを叩き込んだ。


「ラボメンを巻き込むなバカ岡部ェエエエエ!!」


他のラボメンが屋上に到着するのと、衝撃に岡部が屋上から地上へとダイブするのはほぼ同時だった。
ちなみに送信された『オペレーション・トロイヤ』の概要を受けて参加してくれたラボメンは一人もいなかったが、岡部は挫けることなく立ち上がった。
そんなこんなで『オペレーション・トロイヤ』。ラボメン№07巴マミのデートを尾行する作戦はスタートした。








遊園地内。

「・・・・?」
「どしたんマミ?」
「ううん・・・・なんだか、えっと・・・・・何かしら?」
「なにそれ?変なの」

自分でも良く解らない感覚にマミは戸惑うも隣で笑ってくれる人がいることで気にならなくなった。
視線を感じるとか、誰かに呼ばれたとか、虫の知らせとも違うような不思議な感覚。誰かに噂でもされたのだろうか?クシャミは出なかったが何かしら引っかかったような気がした。
念のためにマミは周囲に気を配るも魔女の気配も魔法少女の気配もない。だから気にしすぎだと思う事にした。油断はできないが、ここにきてまで神経を張り巡らせる必要はないと、今は楽しもうと気を許した。緩めた。

「巴、楽しんでる?」
「ええ、とっても」
「よかよか、俺達はよかったけど急だったからな、心配したんだぜ」
「え?」
「いや用事あんのかなって、マミはいつも帰るのも早いじゃん?」
「だから今日はマミちゃんを強引に誘ってみたけど・・・・迷惑じゃなかった?」
「ううん、そんなことない。私とっても楽しいわ」
「良かったぁ、よし!今度はアレに乗ろう!」
「うん」
「着いていきます!」
「ガッテン!」
「俺巴さんの隣~」
「「「ダラッシャー!」」」
「え?私が隣だけど?」
「異議あり!」
「ジャン拳だろ!」
「じゃーいけーん・・・・・」

「「「「グーだオラァアアアアアア!!」」」」

皆と遊ぶ遊園地はラボメンで訪れた時とは違ってまた新鮮だ。普段は学校でしか交流が無いクラスメイトとも外で会えばこんなにも雰囲気が変わるのか、同じはずなのに皆がキラキラと輝いて見える。
・・・後ろでスタンドバトルでも起きてそうな音が聴こえるがもっぱら見滝原中学校で聞き慣れているので大事にはいたらないだろう。
打撃音をBGMに順番が回るとマミはあの高い所まで昇って一気に降っていきつつ急カーブと急旋回を行う二人腰掛け用のアトラクションに乗り込む。

「隣、いいかな?」
「はい。どう・・・ぞ?」

拳闘。ではなくじゃんけんに決着がついたのかマミに声をかけてきたのは――――告白してくれた先輩だった。
今の今まで楽しんでいて意識していなかったが、本来なら今日はこの人と二人っきりでデートの筈だった。
それを忘れ、昨日の件も忘れ今の今まで意識してなかった自分は本当になんなのだろう。

「なんか、やっと・・・だね?」
「え、ええ、そう・・・ですね?」

互いに疑問形になってしまう。隣に腰を下ろし安全バーを、先輩は前を見てマミは横顔越しにさっきまで争っていたクラスメイトに視線を向ける。
その行為が何を意味するのか、偶然か、ただ気になったのか、それとも助けを求めたのか、どちらにしてもあまり褒められたものではない。

―――おうふっ、数十回とアイコが連続している中いきなり参加し勝利をもぎ取られた!
―――な、何故だ!?神は俺たちではなく去年卒業する事でドロップアウトした奴を選んだのか?
―――え・・・・私たち全員の運命力がたった一人に負けたというの?
―――まあ、ぶっちゃけ俺達ってグーオンリーだったからな
―――それだ!
―――盲点だった!
―――まさかこんな近くに勝利への方程式が!?

Orzと落ち込んでいる。基本彼らは頭が良い筈なのだが、本当にここ一番で残念な人達だ。彼らがゾンビのように行進しながらゾロゾロと乗り込み準備は完了した。
ゆっくりとアトラクションが動き始め体の位置が徐々に上昇していく。この手のアトラクションは大丈夫だと分かってはいてもドキドキするものだ。しかし今のマミはそれ以外、それ以上の要因によってドキドキしていた。

「・・・・あはは、やっぱり怖いな。始まりは慣れないね」
「えっと、そうですね・・・私も最初は怖いです」

隣に居る存在だ。恥ずかしそうにしながら内面を暴露して微笑んでくれる。こんな自分に声をかけて優しくしてくれる。その姿が、少しだけ情けなく笑う表情が誰かとダブって見える。
気恥ずかしくてまともに顔を観れない。赤くなった顔を見られたくなくて顔を伏せるも、風の音を混じって柔らかい声が確かに届くから困る。
二人掛けの腰掛け、先頭で良かったと思う。誰にも見られず、誰にも悟られない位置でよかったとマミは心の底から思った。

「巴さん」
「は、はい!?」

天辺にまで達した。

「俺は君が好きだ」
「えっ?あ、う・・・」

あとは重力に従い真下へと加速しする。

「返事は帰りに、教えてくれると嬉しい」

魔法少女であるマミは万が一事故が起きようとも無事に、それこそ搭乗員全員を救助できるほどの技量を保持している。
だから怖くなんかない筈で、だから何も恐れる事は無い筈で、だけどアトラクションが終わった時に、終えて、降りた後にも怖かったのか何なのか


マミの左手は先輩の右手と重なっていた。





それを岡部倫太郎と佐倉杏子は後ろから観ていた。

「岡部倫太郎」
「なんだ」
「・・・・・いいのかよ」
「なにが」
「・・・別に」
「そうか」

髪形も服装も普段とは違うから今のところマミには気づかれてはいない。一号機による魔力の遮断も完璧で、余程の事が無いとバレることはないだろう。直接目視されない限りは。
二人はさっきまでトコトコとマミ達の集団の後に着いて行きつつアトラクションを楽しみ、その合間に出店ショップでお昼を済ませるなどして楽しんでいたが、やや予想と違った展開を見せられたことで会話が一気に減った。

「・・・」

当たり前だが杏子はつまらなかった。めかし込んで来てみれば目的はマミを見守る事だし、ついさっきまでは楽しんでいたが今はこうして相方はマミばかりを見ている。
着なれないスカートの裾をヒラヒラと摘まんで、場違いな気分になって、なんで自分は此処に居るのか疑問ばかり沸いてくる。こんな事ならビルの屋上でほむらの到着を待っていたほうが良かったと後悔した。
44号機は見た目からも解るようにかなりの重量で、かつ巨大。持ち運びは困難だ。だからあのガジェットの運搬はほむらの固有魔法の一つである盾【倉庫魔法(仮)】に任せたが、こんな事なら岡部に着いてこなければよかったと溜息が零れる。

「バイト戦士?」
「・・・ん」
「?」
「ふんっ」
「なんだもっと食いたいのか?」
「ちがっ――――もが!?」

不機嫌を態度で表すも、何を勘違いしているのか岡部に食い掛けのケバブを口に突っ込まれて杏子はバタバタと両手を振って暴れた。

「うまいか?」
「ッ、服にタレ零したらどうすんだよ!!」
「ああすまん。しかしなんだ、お前でも気にするんだな」
「あったりまえだ!一応マミが選んでくれたんだぞっ」
「む?・・・・・気に入ってるのか?」
「・・・・・まあ、嫌いじゃない」
「ほほう!」
「ああ?」

口元に付いたケバブのタレで服を汚さないように指で唇をなぞる。そしてそのまま岡部から受け取ったケバブをこれ見よがしに全部己の腹に収めていると何故か岡部がドヤ顔で胸を張った。
現在の心境を思えば杏子は岡部のその態度だけで十分にイラッとくるのだが、一応この後には旅行について話し合いを設ける予定なので怒りをぐっと堪える。

「そうかそうか、気にっていたかっ」
「だからなんだよっ」
「いやなに、気にいってくれているのならいい」
「偉そうだな」
「なかなか着ないから心配したんだぞ」
「お前に心配されるいわれはねぇよ」

食べ歩きしていたが近くにテーブルデッキもあって二人は腰を下ろす。思うことはそれぞれあるのだろうが一旦マミから視線を外し向きあって会話を続ける。
しかし腹が立つ。何故に目の前の男は ふーんッ! とばかりに偉そうな態度なのか、勝ち誇った態度なのか、場所がラボだったなら殴っていたかもしれない。

「マミの事はいいのかよ?」
「まあ、大丈夫だろう」

岡部はあの二人は手を繋いではいたが特に深く考える必要はないだろう。そう、思う事にしたのだ。岡部にしても杏子にしても気にはなるがあまり・・・深く介入してはいけない事は承知している。今さらだが、やはり気になり心配してしまうが我慢する。
思えばマミは何かしらのイベントの後にはよく意識せず無意識に手を繋ぐ。普段は滅多に観られないが魔女結界探索中や買い物など、気づけば手を繋いでいる事が多い。本人はそれに気づくと慌てて手を離すのだが、赤くなった顔はいつもラボメンの精神に萌えを提供してくれる。
だから、それはクラスメイトも知っている共通情報なのか同じように手を繋がれた事もある人間は多いのか、二人の周りで気づかれないように歯を鳴らしたりハンカチを噛んだりシャドーボクシングを始めた連中も暴徒と化すのをギリギリで耐えている。

「で?」
「うん?」

岡部がそれでいいならいいか。と杏子は遠ざかりつつあるマミの背中を視界の端に収めつつ岡部に問う。

「なんでお前が偉そうにすんだよ」
「それ、似合っているそ」
「聞いたよ。まあアタシはガラじゃないけど自分でも・・・良いかなって思う」
「うむ、そう言ってくれると選んだ俺も嬉しい」
「恥ずかしいからマミには言うなよ・・・・・・あん?」
「そうか、良いと、思っているのだな?」

ニヤニヤと、視線をマミから岡部に移せば杏子は自らの耳を疑った。

「は?」
「いや似合っている。本当に似合っているぞバイトすぇんしぃ、そう・・・俺のセンスもバカにしたものではないな」

これはアレだ。相手を褒めつつ自らを称賛している。喋り方も十分に腹立つが発言の意味を理解し杏子は呑みこんだケバブを吹かないように喉とお腹に意識して力を込めた。
そして考える。今日袖を通した普段なら着ないであろうピンクの上着やヒラヒラのスカートは目の前で偉そうにしている男が選んだ物だと?自分でも良いなぁと思ってしまった服が?

「いや・・・・まて」
「なんだバイト戦士、そんなにも気にいっているのならもっと普段から着ればよぅかろう」
「まてまて、あと巻き舌やめろ!」

某指令官ポーズで視線を向ける岡部に杏子は反論する。

「これは、マミとお前から貰ったものだ」
「正確には俺が、マミを経由してお前に贈ったものだ」
「お前が?これを?・・・・・ええ?」
「ホントだぞ?」
「いやいやないない。だってセンスねぇじゃん。いっつも白衣だし今日のなりもあいりが選んでくれたもんだろ?」
「ああ、だがそれは俺が選んだ。お前に似合うと思って購入した」
「・・・・」

嘘くせぇ。

これがチョロインなラボメンなら慌てたり照れたりするのだろうが杏子は違う。最初は驚いたが胡散臭さが大きすぎてそんな気にはなれなかった。
仮にも岡部倫太郎は巴マミと同学年。つまり年上の男だが基本生活能力無し、服装センス無し、金無し、異性の扱いは雑、長身であり学もあるが残念な奴と杏子は認識している。
確かに親身になって厄介事の塊である魔法少女に接し、かつ今だけでなく過去と未来とも向き合おうとしてくれる稀有な奴で感謝も好意も抱いてはいるが、それはそれでありキチンと線引きはしている。
だから正直に言えば岡部倫太郎はこうゆうセンスは無いと断言できる。この手の異性の気の引き方はしないと知っている。特に贈り物なんて絶対にしないだろう。上条恭介もだが、立場上二人は特定の人間に――――。

「・・・・ん?」

何かが引っかかりそうになり思考を中断する。

「おい岡部倫太郎」
「なんだバイト戦士」
「これ、買ったの何時だよ」
「お前がマミから受け取った日だ」
「ああ、つまりコレはあれか?」
「だとしたら?」
「受け取らなかった・・・・は言い過ぎか。でも気にすんなって、言ったろうな」
「そう言うと思ってマミ経由だ」
「はっ、どっちにしても変わんねえかもしれないのに?」
「時期が時期だったからな」
「面倒臭いこった」
「杏子」
「・・・・んだよ」

コレは詫びだ。岡部だけのせいじゃない。岡部はもしかしたら被害者と言えるかもしれない事件。しかし確かに中心に岡部はいて、原因は岡部で、岡部がいなければ起こらなかった事件だった。
だけどこれは場違いで見当違いのお詫びの品。そんな事されても困るし、こんなもの一着で済ませようものならむしろキレるから何もしない方がマシで、だけど何かをしたかったのかもしれない。
その意図はくんでもいいだろう。それなりに気に入ったのは本当だし、コレ以外で世話になった事を思えばおつりもくる。

「今さらだが、悪か―――」
「別にいい。何度も言わせんな」
「しかし」
「いいんだよ。おかげで気兼ねなくマミのとこに居られる。それに・・・あそこは取り壊されるのが決まってたから」
「・・・」
「むしろさ、アンタらに綺麗さっぱり吹き飛ばされて良かったよ」
「杏子」
「いいんだよ」

とある事件で佐倉杏子の家族と過ごした思い出の詰まった場所である教会は完全に消滅している。しかしこっちは既に気持ちの整理は済んでいて、なのにいつまでも気にしているのは目の前の奴だけだ。
当時は何かと気を使われ煩わしかったが、まさかまだ気にしている事に驚いた。逆にお前の方があの場所に思い入れがあるのかと問いたいぐらいだ。

「まだ気にしてたのかよ、アホくせ」
「もうしてないよ。共同生活もうまくいってるようだしな」
「じゃあ何で今さら」
「だから買ったのは当時で、いまの謝罪は・・・・やはり謝りたかっただけだ」
「自己満足じゃん」
「そうやって少しづつ清算していきたいんだよ。被害がデカイからな」
「はん、勝手な野郎だな」
「お前には気軽に言えるから楽なんだ」
「はいはい」

そう言いつつも、きっとこの男は気にしているんだろう。過去に縛られているわけではないが後ろ髪を引かれている。

「まっ、嘘かほんとかは別としてコレ自体はマジで気にいってるんだぜ」
「良かった。お前の事だから変に気取って否定しそうで心配だったんだ。それもマミ経由にした要因の一つだ」
「今度からはちゃんとお前から手渡せよな」
「お前は食い物以外は受け取らなさそうだが?」
「いつの私だよ。正直、服は高すぎる。貰いもんでカバーできるならそうするさ」
「なら今度からお前へのプレゼントは服にしよう」
「いいのかよ、高いぜ?」
「ユニクロはいつだって庶民の味方なのだ」
「・・・・うん、まあいいけどよ」
「俺のチョイスでも合格らしいからな、次を楽しみにしておくといい」
「期待しとくよ」

でも今はそれでいいのかもしれない。視界の先で人波に混じり遠ざかっていくマミの背中を見送りつつ杏子はそう思った。
タダで服が手に入るなら大歓迎だ。よほど変なモノでもなければいい。ユニクロは万人向けだし信用できる。貰い物があるならワザワザ自分で買う必要もないしマミや他から色々と言われる事は無くなるだろう。
それにまあ、最近は岡部との時間も減ってきて・・・・それで何か困ったことがあるわけでもないが、こうした時間を過ごせるのは良いことだ。

「しっかし、マジで岡部倫太郎のセンスなのか?ピンクの色ものとか選んでる姿は想像できねぇな」
「マミにも言われたよ」
「だろうよ」
「ちなみにバイト戦士用の白衣はラボにあるぞ」
「エプロンとして使ってるよ」
「・・・・・むぅ」

一応、過去にも杏子は、というかラボメンの皆は岡部に着る物をプレゼントされている――――もちろん白衣だ。ラボにはラボメンの身長に合わせた白衣が人数分×2が常備されている。
使用しているのはもっぱら岡部と、エプロン代わりにまどかが、ほむらとキュウべぇがガジェット制作時に使用するだけで他は袋に入れっぱなしだ。

「マミと一緒に買い物したってことは、やっぱマミに助言は貰ったんだろ?」
「それはそうだがマミが選んだ物とは違うぞ」
「マジで?コレを?」
「ああ」
「ふーん・・・・・なあ岡部倫太郎」
「なんだ」
「今度はさ、アタシも一緒に選んでもいいか?」
「機会が有ればな。あと高いのはダメだぞ」
「わーってるよ。ついでにお前の服をアタシが選んでやるさ」
「・・・・え・・・?」
「何だその反応!アタシのセンスを信用してねえのか!」
「いやだってお前は・・・なあ?」
「あいりやマミとは買い物行って服選ばせたんだろ!」
「むぅ・・・・じゃあ、普通の奴で頼むぞ?」
「おう、まかせとけ!」

さっきまでとは違って楽しい時間だ。自覚した。来て良かったと素直に思える。

「そうだな、白衣に合うやつを頼む」
「・・・・白衣をデフォで着るのはどうにかなんねぇの?」
「科学者たるもの、常に白衣を身に着けなければな」
「・・・まあ、考えとくよ」

岡部がポケットから事前に調べていたであろう旅行に関する資料を取り出せば、今日の呼び出しが完全にマミのためじゃなかった事に嬉しさが少しだけ込み上げるてくる。
しきりに笑って、手を伸ばして相手を小突いてまた笑う。変に意識せずに自然体で触れ合えて、何を言っても言われても心地良い。

「さて、マミ達も今から食事だ。その間に大まかなプランの確認をしておこう」
「ついで扱いで若干ムカつくが昼飯を奢ってくれるらしいからな、今回は許してやるよ」
「・・・・今しがたあいり作のケバブを食したよな?」
「そりゃ弁当だろ。お前の奢りじゃねえだろ」
「・・・・施設内の食事は高いんだぞ」
「御馳走になるよ、岡部倫太郎」

岡部も杏子もこのときは完全にマミの事を意識の外に置いて話し合い、互いを正面に笑いあった。
きっとこうゆう状態をデート中と言うのだろう。
変に意識して買い物に出かけるよりも、こうして自然体で接している姿が本当の意味で付き合っていると思われる原因になるのだろう。
周りにいる客も声を大に喋る二人に視線を向けては微笑ましそうにして二人を観ていた。

仲の良いカップルだと勘違いして。












「あれって・・・」

それだけ夢中でいたから、いつのまにかマミが遠くで振り返って此方を見ている事に杏子は気づかなかった。
背中を向けていた岡部はともかく、髪形と服装が多少違えども大切な仲間をマミが見間違う筈が無かった。まして身に着けている服は岡部が買った物、物珍しさから記憶にも新しい。
だから楽しそうに、幸せそうに笑っている赤髪の女の子が佐倉杏子であることはすぐに解った。そして向かいに座る男が岡部倫太郎だと予測できた。
見た目こそ普段の白衣姿からかけ離れているが、杏子があんな笑顔を向ける異性をマミは他に知らない。

「来てたんだ」

このとき、マミの口元に浮かんだのは間違いなく笑みだった。

「・・・」

周りに意識を、耳を傾ける。魔力は聴力を強化、周囲に居るクラスメイトの会話を、小さく呟いている単語を盗み聴きする。
するとどうだろう。やはり単語の端々を繋げ収束収斂していくと岡部倫太郎が遊園地に着ていて、目的は自分の事を気にかけての事らしいと気づく。
自然、隣で手を繋いだ先輩の手をマミは握る。無意識に、嬉しい事や楽しい事があったら無意識にしてしまう好意を、今までいろんな異性同性を勘違いさせドキドキさせてきた天然っぷりを発揮した。

「と、巴さん?」
「え、えへへ・・・・なんですか?」

手を握った事に気づかないまま嬉しそうに笑うから、デート相手である先輩は紅潮した。なのにマミは嬉しさから気づかず、いや気に掛けず子供のように繋いだ手をぶんぶんと振って歩きだす。
テンションが高くなっているのは誰の目からみても明らかで、嬉しそうに前を歩くマミは輝いて観えるから皆は反応に困る。
自分達と一緒に遊んでいるから楽しんでくれているんだと思えれば幸いだが、さっきまで何処か沈んでいた気配もあったから、急に上がったテンションに戸惑った。

「マミ、いきなりどったの?」
「ん~、なにが?」
「なんだか嬉しそう?え・・・・・なにまさか目覚めたの!?」
「おいおい、もしそうなら先輩を・・・・」
「え?俺がなに?」
「短い間でしたがありがとうございました」
「私達、先輩と過ごした今日のこと忘れませんから」
「いきなり何だ!?」
「大丈夫です。ご家族には急にいなくなったと伝えておきます」
「えっと・・・・・人気のない場所ってどこだ?」
「向こうのステージ裏とかいいんじゃない?“処理”も簡単だし」
「着々と俺の抹殺を企むんじゃない!」
「?」
「巴さん!?『?』って・・・・おかしな現象が起きているけどもしかしてコレが平常運転なのかい!?」

周りが騒がしくなってきたがクラスメイトが大勢いるのだ。ならいつも通りの平常通常無問題。マミはニコニコと嬉しそうに微笑むばかりで、その笑顔を幸せそうだから皆は一旦先輩への制裁を止めた。
少なくともニコニコの原因は手を繋いでいる事ではないと悟ったからだ。だってマミは先輩を見ていない。手を繋いでいても気持ちは別の所ではしゃいでいる。
クラスの皆は知っている。巴マミにそうゆう顔をさせる事は出来るのは自分達と、岡部倫太郎の率いるラボメンだと。

「・・・・・つーと、気づかれたか?」
「かもねぇ」
「見つかってんじゃねぇよバカ岡部」
「でもさ」
「うん」
「いいかもね」
「そうとは決まってないけどね」
「どっちでもいいさ」
「ちがいない」
「そうだねー」

皆は愚痴を言って、次いで同じような心境で、きっと同じ気持ちでに頷く。


「「「「「マミが嬉しそうだから、それで良い」」」」」


巴マミは愛されていた。記憶を消されても、思い出を改竄されたわけではないから。
本人が知らないだけで、どこの世界線でも、いつだって愛されていた。
それこそ他の、岡部倫太郎の助けがいらないくらいに。

「ふふ、そっかそっか・・・・倫太郎来てたんだっ」

今にもスキップしたくなるような気持ちでいっぱいだ。嬉しいのだ。昨日から不安だったから、岡部倫太郎に見放されたかのような気がして、そんな事はないと自分に言い聞かせて慰めていたから。
自分が他の誰かに告白されても、誰かとデートに出かけても気にしないんだと思って少しだけ悲しかった。悔しいのかやるせないのか、不思議な気持ちで潰れそうになったけど、口や態度で冷たくされてもこうして見守りに来てくれている。
本来なら怒るところだが嬉しい気持ちが溢れて、安心できた感情が全てを許していた。

「帰りはラボに寄っていこうかしら?」

本当に幸せそうに手を引いて前を歩きだすマミは子犬のようで愛らしい。
去年卒業した事でラボメンを知らない先輩は困惑したまま、事情を知っているクラスメイトは苦笑しつつも後を追う。
この後、マミ達は皆で食事をとって軽い雑談をしつつ休憩して午後も全力で遊んだ。

「・・・」

マミがあまりにも楽しそうだから、色々と覚悟を決めてきた人がいたけれど、それをマミは忘れてしまっていた。
ただそれを責めることはできないな、と優しい誰かは思い。そもそも望みが無い事を、可能性が摘まれた事を完全に受け入れられた。
優しい彼女は、優しい誰かの気持ちを見過ごしてしまった。
優しい彼は、優しい誰かの気持ちを受け入れた。


「ありがとう。今日は付き合ってくれて」


言葉は届かない。想いは響かない。



それでもいいと思える彼は、きっと岡部倫太郎に似ていた。
















日が沈んだ時間帯。

「ただいま」
「・・・・・おかえりなさい」

日が沈み始めた頃に岡部がラボへと帰宅すると頬を膨らませたあいりがジト目で出迎えた。
ガラステーブルの上に肘をついて非難の視線で岡部を見ていた。子供のように不貞腐れている姿は年相応で、いつも通りで岡部には笑みが浮かんだ。
こうして誰かに出迎えてもらえる生活は悪くない。自分勝手で恐縮だが、嬉しい。

「なに笑ってんの、ムカつく」
「いつもありがとう」

怒っているくせに『おかえりなさい』は絶対に言うし、岡部がラボに足を踏み入れるとトコトコと近づいてきて脱いだ上着を受け取りハンガーに・・・・嫁か。

「ごはんは食べてきたの?」
「まさか、君がいるんだ。日増しに美味しくなっていくご飯があるんだから外で食べるより断然、こちらだろう」
「もうっ、なんだよそれ!杏子は!?一緒じゃないの!?沢山作ったからおかわりもあるよ!」
「バイト戦士は今頃スーパーで戦っているさ」
「・・・・・またお弁当?」
「美味しんだぞ?」
「解るけど、そうじゃなくて・・・・ううん、まあいいやっ」

不機嫌そうだった表情は和らぎ、あいりは留守番していた間にあった出来事を岡部に伝える。ラボメン以外から届くパソコンへのメール、外国に居る協力者からの連絡、それに家事全般。
特にそんな約束も役目も彼女にはないのだが彼女は率先して留守番を、言われるまでもなく連絡を、無意識に進んで世話を焼いてくれる。
半場居候状態の時の習慣が抜けないのか、あいりは今もこうして休日にはラボに来て、隅から隅まで掃除をして健康に気を使った食事を作り岡部の帰りを待っている。
岡部は思う。あれ?あいりって・・・・・・・嫁?いや違う!感謝と都合の厚意を邪推してはいけない。これはあれだ、ただ単に自分がヒモ―――――・・・・・そろそろ自分でもしっかり家事ができるようになろうと考え始めた。

「天王寺さん・・・・じゃなくて綯とキュウべぇが帰ってきたけど、すぐに出て行っちゃった」
「そうか、彼女には苦労をかけるな・・・・・本来なら俺がやるべき事なのに」
「今まで頑張ってきて、それを知っているんでしょ?私達だってできる事があれば手伝うよ」
「?」
「どうせ数ヵ月後にはどっかで忙しくなるんだろ、だったらそれまでは甘えればいい」
「・・・・・おまえ」
「なに?」

首を傾げるあいりに、岡部は前々から思っていた事を口に出してみた。

「最近、デレ成分の放出が活発になっていないか?」
「にゃんばと!?」
「あと無理に呼び捨てにしなくていいぞ」

・・・にゃんばと?噛んだのだろうか。

「だっ、だだだだだ誰がいつどこで誰に何のためにデレたんだよ!」
「格好付けなのか意地なのか知らんが、二人っきりになったらマミやシスターブラウン達を呼び捨てにしているが・・・言いにくそうだし、素直に呼びやすい方で呼んでみればいいんじゃないか?」
「勘違いスンナよ私はただ昔のよしみもあるしユウリから教えてもらったばっかの実験でお父さんもお母さんも感謝してるからついで程度の気持ちであって別に――――!」
「お前が最初に創ったイメージは今では完全に崩壊して過去のモノに・・・・いや、最初からお前がおっちょこちょいなのは皆が熟知してるから気負う必要はないぞ?」
「そもそも私がこ、ここここに居るのは過ごし易くて楽だし夜更かししても怒られないしし自由気ままに素で安らげるからであってお前のために居るんじゃないんだからな!!」
「あと台詞が完全にツンデレになっている事がしばしばあるから喋るときは落ちついて、慌てず焦らずを意識していくんだ。外でもこうなのかと思うと俺は心配だ」
「ンなわけないだろバカ!他でこんな風になるとか変な心配すんなッ、嬉しいけど大丈夫だよ―――――ってうぎゃああああああ!?」

叫べば叫ぶほど、否定すればするほどハマってしまっている事に気づいたのか、あいりは絶叫する事で現実逃避を行った。一種の防衛反応かもしれない。主に精神面の。
あいりはからかいやすい。口調は悪いのに世話焼きで純情でツンデレで、反応も対応も過敏で面白い。マミとは違うベクトルで苛めると楽しい。

「うん、やはりお前はこうやって暴走している時が一番可愛い・・・・じゃなくて輝くな」
「とんだ不名誉だよバ―――――え?今可愛いって言おうとした?・・・・・・・ぅ、ちょっと嬉しいかもってうわああああああああああああ!!?」

あー・・・癒される。

「日頃のストレスがこうも・・・・お前はゆまに並ぶ・・・・・いや、もう一番の癒しになりつつあるな」

しみじみと、思っていた事が声に出ていた。

「うるさいバカ!もうっ、なんでいつも私ばっかりっ!さっさとお風呂入ってこいバカ!バカバカバカァ!」

バシバシと背中を叩かれながら浴室へと押されていく。真っ赤に染まった顔と涙が浮かんだ目尻、照れて怒って泣いて叫んで愛らしい。
浴室とリビングを遮るカーテンを閉める前に頭に手を置いてうりうりと撫でると最初は戸惑い、次いで身を縮めて目を細め――――思い出したように再びキレる。
ちなみにコレは岡部倫太郎に対してだけの反応ではない。彼女はほぼ全ラボメンに対し似たような反応をするから男女問わず勘違いさせる。
害も既に出てきている。

例1.

「あいり?私の嫁だが?」

とある親友はドヤ顔で宣言した。

例2.

「可愛いよね!つり目で高飛車でそのくせメンタル弱くてすぐ涙目になってだけどちょこちょこ不安そうに後についてくるのがホンットに可愛いの!!」

とある女神候補は両手をぶんぶんと振っていかに可愛いかを一時間に渡り解説した。

例3.

「ああ・・・うん。本人には言わないでほしんだけどさ、実は勘違いしちゃった事もあるんだ。あんなに可愛くて甲斐甲斐しく、それも必死に世話してくれたからかな?」

幼馴染とその親友及びその他の好意にまったく気づかなかった少年の心を揺さぶった。

例4.

「初々しくていいよね!ちょっと卑猥な言葉だけで赤くなるし知らず知らず隠語を喋らせて意味を教えた時の反応はそそるよ!」

その手の知識が乙女(小学校低学年)レベルなのでもっぱらカモにされる。

例5.

「体調が悪い時に押し掛けてきて、辛辣な言葉にもめげずに最後まで介護してくれたわ。ええ・・・あの時は素直になれなかったけど感謝してるわ」

普段デレない誰かさんですら、頬を染めて彼女の存在を語った。

例6.

「あいりおねえちゃん?大好き!」

何も言うまい。

例7

「フゥーハハハ!ラボメンとしてとぅーぜんのこ―――!」
「「「「「・・・ヒモ」」」」」
「(ノ_・、)」

彼女のおかげで、もう少し真面目に生きようと決意した者もいる。



「ああー・・・・疲れたな」

熱いシャワーを浴びつつ体を解す。岡部は今日一日の自分の行動を振り返り反省と課題、明日の活動予定とその先について考える。そして色んなことを考えきれるだけ思い浮かべては消していく。
考える事は沢山あって、考える事を止めてはいけないと思い続けてきた。だけど今は止めていいのだ。今は、この時は。厚意に甘える。
魔女や魔法少女、卒業後の件に関しては天王寺綯とキュウべぇが受け持ってくれている。本当にいくら感謝しても足りない。今自分がこうした時間を過ごせるのは彼女らのおかげだ。少しでも自分に『今』を堪能してほしいのだろう。
何時まで経っても絶対の平穏が訪れなかった自分のために、旅立つその瞬間まで可能な限り『今』いる彼女達の傍にいられるように、二人は進んで岡部がやってきた事を代わりにしてくれる。
ガジェットの設置や他地域で活動している魔法少女との接触、それに敵対可能性の有る存在の■■。その他・・・・全て、請け負ってくれている。岡部倫太郎のこれまでを観測してきた天王寺綯だからこそ、彼女だけにできる行為だ。
想いを告げたように自分と一緒に過ごしたいと思っていながら私情を殺し、己の時間を捧げてくれている。そこまでしてくれているのだ。だから休むべきだ。せっかく貴重な時間をもらったのだから、これまでのように休むべき時にまで悩まなくてもいい。
例えこの瞬間、世界のどこかで悲しんで苦しんでいる人がいることを知っていても――――――。

「岡部倫太郎」
「―――――――ぇ?」
「着替え、置いとくからな」

浴室の扉越しにかけられた声に岡部は意識を取り戻す。

「あ、ああ、ありがとう」
「ん」

休むべきだと解ってはいても、例えその姿が中学二年生の少年のものだとしても数年数十年続いた習慣は抜けない。あいりが声をかけてくれて助かった。もう自分は休む事が苦手になっている。気絶や極度の疲労からではないと体が休息を受け入れない。
だからか、休憩のつもりでモノを考えていると意識を手離すこともある。休憩する意思はあるのに思考は止まらず、疲労している体はそれでも動こうとして、だけど意思は休息を求めるからチグハグのまま体と意識のスイッチが切れる。気絶とは違う意識の消失。
今、あいりに声をかけてもらえなかったら“何も考えきれないまま考える”という無駄な、時間を体力と精神を削る苦行を、それこそ気絶出来るまでそんな無意味な時を過ごすところだった。

「ふぅ、今日は飯食ったらすぐに休もう」

あいりがいないことを確認しつつ浴室の扉を開け手早く体を拭いて用意された服を着る。

「・・・」

今更ながらパンツまで用意してもらっている現状は少しアレじゃないだろうか?
いやコレ自体は他のラボメンもそうらしいのだが、あいりは本当に人の世話をしている時は無頓着すぎる。
着替えを終えて顔を出せば待っていたとばかりにドライヤーを片手にスタンバイしている少女が――――。

「ほらまたッ、どうしてラボのみんなは髪を乾かす前に出てくるんだ!」

そう言って座布団に座らせると背中に回り髪をドライヤーで乾かしてくれる。上条の相手の時もそうだが普段異性との接触にはすぐ赤面するくせに、こうゆう時は平気なのだから不思議だ。
あいりに共有用のくしで髪を梳かされながらドライヤーをあててくれる時間はラボの皆の楽しみの一つ。その事を感謝にしろからかいにしろ言葉に出すと彼女は照れて中止にしてしまうのでこの時だけは皆が黙って過ごしている。
あー・・・・と、岡部が気の抜けた声で呆けているのは割と珍しい。本当に、お風呂に入っている時でさえ何かを考え続けてしまうのに、この時は体も心も癒されていく。

「・・・・・・」
「寝るな!」

べしっ、と叩かれなければそのまま眠りについてしまうほどに。

「すぐにご飯の準備するから頑張って」
「ぅ・・・ん」

岡部がしょぼしょぼと目元を拭っている間にテキパキとガラステーブルの上には晩御飯が並んでいく。
疲れているとはいえ何もせず座ったままの岡部に嫌み一つ言わず、コップに麦茶を注ぎ手元まで持ってきてくれる。そして全ての準備が完了してようやく彼女は岡部と対面の位置に腰を下ろした。
彼女はご飯に先に手をつける事は無い・・・・・・・・良い嫁だ。きっと理想のお嫁さんとは彼女のような人間ではないだろうか?岡部はそう思った。ラボメンガールズですら時に零すのだ。無意識にその言葉を。

「あいりは俺の嫁、か」

古き考え方かもしれないが、男尊女卑ではないが、こうやって体験してみれば気持ちは解る。
男が仕事から帰ってきた時に妻が出迎えてくれえる毎日とは、そんな無双をしてしまうのはそこに憧れその状況を望むのは・・・・・至極当然の願いからくるのではないだろうか?
専業主夫。男も家事をするのが当たり前の時代だが、それでも男が女性に家事を求めてしまうのは過去のしがらみからではなく、純粋に“そこ”に幸せを感じるからではないだろうか。

あいりが妻なら働く旦那は仕事に精を出し疲れた日も癒されるだろう。
あいりが妻で養われていたら全力で社会復帰し会社を設立するかもしれない。

『あいりは俺の嫁』。

なるほど、それを口にする気持ちは十全に理解できる。こんな奥さんがいたら幸せになる事間違いなし。
ラボメンがつい呟いてしまうネットスラング。いつだったか、ほむらが零したその言葉の意味を皆が知って以来、たびたび起こる現象だ。主にあいりと二人っきりで世話を焼いて貰った者が自然と口にする単語になった。

「いただきます」

少しだけボンヤリしたまま、それでも美味しそうな匂いに再び意識が回復してきた岡部は手を合わせ作ってくれたあいりに感謝しつつ箸をとった。
美味しそうなご飯が、『安心して食べられる食事』が週末には用意されている。これまでのラボメンとの繋がりがあった世界戦漂流を思い返せば涙がでそうになる。芋サイダー的な意味で。本当に彼女の存在には助けられていると実感できる。
このヒモ生活・・・・じゃなくてっ、ラボメンとの半共同生活もあと数カ月で終わりが来ると思うとなかなかどうして手放したくなくなる。当たり前か、この瞬間を求めて抗い続けたのだから。

「ふむ、美味しい。腕を上げたな。これからも・・・毎日食べたいな」

しかし運よくこの世界線に辿り着いたに過ぎない以上、性分なのか現状に落ちつく事ができない。もう何があっても、何をしても、何度やり遂げても――――自分は立ち止まっている事が出来ないのかもしれない。
体が疲れ果てても、心が色褪せても、満足しても幸せになっても終わる事は無いのだろう。立ち止まる事ができない。諦める事ができない。
理由も、目的もないままに、それでも何かをしようと壊れたまま、いつかその行動が誰かにとっての厄災になるまで、それを無理矢理、それこそ■■されるまで続くのかもしれない。
だけど止めきれない。仕方がない。これまでの生き方が、在り方が、此処に辿り着くまでの思い出が足を動かすのだ。枯れ果てても疼く、壊れても繰り返す。

(・・・・・壊れているから、繰り返しているのかもな)

最愛の人がいない世界で、護るべき子達が巣立ってなお・・・・・自分は世界に踏み留まる事は出来るだろうか?
今は自分を追いかけてくれていた天王寺綯がいる。
これから数年後に『シティ』では大厄災が発生する。
まだ生きる目的はある。もう少し生きていたいと思える理由もある。
でも、それすらも失ってしまったら?達成したら?
足を止める事は出来るだろうか?
それとも――――。

「・・・ぁ、ふぁ?へぅ?」

なんて事を考えていたからか、岡部は目の前で顔を真っ赤にして湯気を大量に放出している少女の異変に気づけなかった。
杏里あいり。彼女はツリ目で口悪く普段は悪態尽くしの不良を装うが、実際には世話焼きで弱メンタルの純情ツンデレおっちょこちょいの乙女だ。
最近ではラボメンを『あいりは俺の嫁』と無意識に攻略しつつあるが、彼女自身チョロイの座を狙えるほどポンコツ度が高い逸材であるのでいつか“このような間違い”は誰かがやらかすのは目に見えていた。

「まっ、毎日食べたいってそれって・・・・ぇ・・・・あれ?」

ぽっ、ぽっ、と知恵熱か何かを一定間隔で放熱するも、あいりは涙目で岡部を睨みつける。

「・・・・・・なんだよもぉ、いい加減こんなのやめろよぉっ」

そして、どうせいつもの勘違いだと“あまりにも多くの経験”から事前に悟ることができたのか恥ずかしさのあまりに癇癪をおこした。
彼女も、彼女すら理解している。岡部倫太郎とこうして一緒に過ごす時間は刻一刻と終わりへと近付いている事に。それを寂いしいと自覚する程度には彼女もまた岡部に気を許していた。
だから嫌なんだろう。せめて一緒に居る時ぐらいは楽しく過ごそうとこの時間を大切にできたらと思っていたのに、結局はこうなるのかと気落ちする。いつも通りと言えばその通りなのだが、せっかく二人っきりなのにこれでは悲しくなる。
なんの成長もない。当たり前すぎて進展なんかありはしない。もうこれっきりになるかもしれないのに、貴重な時間なのに、いつものように無為な時間を過ごしてしまう。

それを望んで、そんな時間が大好きだった筈なのに今はただ辛いだけだった。

知っている。ラボメンの何人かは既に動き出している事を。何を考え何をしようとしているのかは分からないが、少なくとも自分のように現状維持を続けてはいない。
何も変わらない。何も終わらないと誇示するかのように、それともただ目を背けているのか、今までとは違う行動をとることを恐れているのか、ずっと、何も、どれも変えきれないでいる。
それでもと、期待したのだ。自分から動く事はできなくとも岡部倫太郎から何らかのアクションはあるのではないかと。それは相手任せで、ゆえに事情が事情なだけに最悪の場合には関係悪化の可能性すら含まれているが、それでもあいりは・・・・彼女なりにある種の行動には出ていた。
だけど、それには意味が無かったかのように日々は流れていった。毎日を楽しく過ごせていた。昨日が楽しくて、今日も笑って、明日にも期待できる日々を送っていながら何処かで俯いていた。明日に期待しているのは、自分以外の誰かに対してだ。
しかし誰もが変わっていく中で、みんなが決意を新たにしていく中で、こうして珍しくも二人っきりになれたにも関わらず―――それでも変わらない事に疑問を抱かない岡部が、そして安心してしまっている自分が嫌だった。

「こんなの、まるでっ・・・・」

まるで変わらなくてもいいと言われているようで、今以上の進展を望まれていないようで、このままいつかを迎える事が当然と思われているみたいで寂しかった。
現在が幸いなのは確かで、今まで通りにずっと過ごせるなら大満足だったのに。

「もうヤダ」

それなのに今まで通りが嫌になった。

「もう、嫌だよ・・・」

みんな、そう思ったから動き出したんだと思う。今のままじゃ嫌だから――――考えて決意して言葉にして態度で示し始めた。

「だから私、私も・・・・もっと頑張るから」

例えうまくいかなくて、ぎくしゃくして、裏目に出て、それで全部が駄目になってしまうかもしれないと悩んでも、“それでもいいから”と一歩、動き出した友達に遅れたくない。
自らの意思で此処を離れ、今ある時間を放棄して、帰ってきた時にはラボメンには別の相手、時間が生まれているかもしれないのに“それでも”と前へ、走り出そうとしている人に置いて行かれたくない。

「俺は今のままでも十分に――――」
「イヤ!」

それは恋と呼べるほど確かな気持ちからくるものではないけれど、他の皆と同じものかもわからないけれど、泣いて叫んで突っかかる程度には大切なものだった。
否定されたくなくて、そのままでいいと言われる事に我慢できないほどに大きなものだ。
すん、と鼻をすすってご飯を自分の小さな口にかけこんでいく。ちょっと昔なら嗚咽からできなかっただろう。喉を通らなかった筈だ、つまり成長している。そう思うようにする。
自分でも驚くほど泣き虫なのは治っていないが、むしろ悪化しているような気すらするが、それでいい。変わっているのだから。これからも変わっていける。

「絶対に、イヤ」

最後に麦茶で無理矢理流し込み、お腹に夕食を納めたあいりは素早く立ち上がり食器を片づける。
一方、急に告げられた岡部には何が何やらで反応に困ってしまった。

「あいり」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なに」

あいりが振り向いた先で、男(少年)は少女の叫びに応じた。

「十分美味しいぞ?いやお世辞じゃなくて」

味噌汁を片手におずおずと、バカがそう言って本気で応じてきた。


「料理の腕のことじゃねぇよバカァアアアア!!」


なんか色々と決壊した。

誤解を解くのに三十分かかりました。



「死ねばいいのに死んじゃえばいいのに死んでもいいのに死んで生き返って更生しきってしまえばいいのに」
「割とシャレにならない発言だが本当にすみませんでした」

折り畳み式ベットで大きな枕を抱きしめながら呪いの言葉を延々と垂れ流しているあいりに、皿洗いをしながら振り返った岡部は謝るがギロリと殺意を乗せた視線にすぐに背を向ける。
確かに今回は全面的に自分が悪い。あいりが何を言いたいのか少なからず悟っていながら冗談まじりに誤魔化そうとした。
あいり自身、皆との差を感じ焦りから感情が浮ついた所もあるから岡部は変に追及する事を避け、できるだけ“それ”に誘導するような形をとりたくなかったのだ。
その気が無くとも“それ“と勘違いさせてまう事が多いから。

「・・・・・・どうだったの」
「は?」
「だからっ、巴先輩!巴さん!マミさん!マミ先輩っ、今日っ、デートっ、見に行ったんでしょ!」

強気の、というか若干自棄になったあいりの台詞だが、岡部にとってその発言は冷静に受け止めきれるものではなかった。
水道の水を止めて振り返った岡部はあいりの眼光に――――今度は怯まない。

「あいり。一つ言っておくことがある」
「な、なによ」

無表情。しかし解る。内面では感情が蠢いている。長いようで短い付き合いだが、その期間の出来事は濃厚だ。あいりには岡部の感情の有無など簡単に悟れる。
頭から被っている毛布をギュッと握りしめ、あいりは岡部の言葉を怯えながら待つ。何か怒らせてしまっただろうか?幾千幾万の死と絶望を見て聴いて感じてきた人だから、もしかしたらさっきの事で怒っているのだろうか?
付き合いも長いから今までは多少暴言を吐いても許されてきたが今回は違うのだろうかとあいりは予想し、だから体は小刻みに震えた。それを隠すように布団を被り直すが震えを隠せている自信は無い。
嫌われたくない。喧嘩もしたくない。ただでさえ残された時間は少ないというのに自分の治せない口の悪さのせいで、と思うと泣きたくなってくる。
何を言われても謝ろう。何をされても受け入れよう。だから否定しないで、拒絶しないで、嫌わないで――――

「マミはデートなぞしていない!そう、今日のはただ皆と遊びに行っていただけだ!」
「・・・・・うん」
「まったく、“他のラボメン”ならまだしもマミは受験生・・・・・そんなデートなんてお父さん許しませんよ」

今日一番の力の籠った発言だった。ぷつん、とあいりの中で何かが途切れた。
とりあえず謝るのと何でも受け入れるのは無しだな。と、あいりは立ち上がって屈伸運動を始める。

「ウン、ソウダネ」
「――――――あ、れ?普段ならここでツッコミが?」

うん。卑屈になってはいけない。自分を卑下してはいけない。立場は明確に、対等であるべきで、しかし罰する者と罰される者の線引きは必要だ。

「ソウダヨネ、ケッキョクコノナガレダモンネ」
「・・・・・・・・・・あいり?」

ベットが不満を訴えるようにギシギシと軋んだ音を鳴らすが、あいりは気にすることなくふらりと、僅かに助走の距離を稼ぐために体を揺らした。
短くも長い付き合いだ。力強くあいりの言葉を否定したばかりの岡部も気づいたのだろう――洗いモノの途中だからか、洗剤が付いたままの手で逃げ出そうとした。

「どこいくのよ・・・」

もちろん逃がさない。こうまで人の心境に反した態度を貫く男を誰が許そうか。多少は察してくれてもいいだろう・・・・・否。察しておきながらこの扱い、さすがに駄目だ。
同じ学校の男子連中のように勘違いしないところは褒めてもいいが、それ以外は駄目駄目だ。ある意味勘違いして調子に乗る連中のほうが救いはある。

「いっつも、いっつもいっつもいっつも・・・・・!!」
「ちょっ、ままままてあいり話し合おうっ!俺達は解り合う事で未来を歩むんだ!」
「黙れこの―――」

魔法少女にとって座った状態でも体を前後に揺らしただけの幅で十分な助走となる。常人にとっては再現不能な脚力で一気に岡部との距離を詰める。

「――――バカ!いっつもマミ先輩のことばっかり!」

降参をアピールしているつもりか、岡部は抵抗することなく(または抵抗するも無意味だったのか)あっさりとフローリングの上に押さえつけられた。

「ッ」

簡単だ。岡部倫太郎を押さえつける事なんかラボメンの皆なら誰でも、年下のゆまでも、魔法少女じゃない上条でも、稽古によって見た目とは裏腹に武芸者の志筑仁美にも簡単にとり抑える事が出来るだろう。

岡部を責めながら、あいりは岡部の弱さを再確認した。

「ああああああいり落ちつくんだ!今の俺は生身であってちょっとした魔力込みパンチで軽く死ねるから回復魔法の使い手がいない今は非常に不味いんです!」
「ねぇ・・・」

死ぬ時はあっさりと死んでしまう。触れた掌と乗っかった足の間から伝わる熱は簡単に失われる。
魔女が相手でも、使い魔が相手でも簡単に、ちょっとした油断が、ふと気を抜いた瞬間が目の前の男を世界から排除する。
きっと死ぬ時はあっけなくて、死んでもすぐには気づかれない。死んだことさせ判らないままこの人は消えるんだ。

「・・・・・・『シティ』なんか行かないでさ、ずっと此処にいなよ」
「え?」

責められる、罵倒される、叩かれる、とにかく怒られると覚悟を決めかけていた岡部は予想外の台詞に気の抜けた返事をしてしまった。
あいりの口調が儚げで、ぎゅっと閉じていた瞼を恐る恐る開ければ泣きそうな表情のあいりの顔が近くにあって言葉を失う。

「ただでさえ弱いのに、ここにいたって死にそうな目にあう奴が『シティ』なんかに行ったら絶対死んじゃうよ」

その手の議論は何度もラボメンで交わした。

「ここにいれば、いいじゃない」

岡部が相談も無く決めて、卒業と同時に日本を離れる事を知ってから何度も話した。

「掃除も洗濯も、毎日ご飯だって作ってあげるよ?」

何を言っても変わらない。何をしても変わらない。決めたから、揺るがない。

「みんなで守るし、私も―――――」

解ってる。判ってる。分かってる。



「だから何処にも行かないで」













「ごめんなさい」

時間は少し遡る。

「ううん、今日は付き合ってくれてありがとう」

遊園地の入り口ゲートでマミは告白してくれた先輩にハッキリと想いを口にした。

「巴さんの気持ちは判っていたから、今日は俺の我が儘に付き合ってくれて本当にありがとう」
「え?」
「じゃ、俺はこの辺で・・・高校受験、頑張ってね」

そう言って振り向くことなく、しかし肩を落としたように見える後ろ姿にクラスメイトの男子が後を追って、何故かその背中をバンバンと叩いて肩を組む。
何やら言い合いをしているようだが一人の背中を皆で叩くのも、反撃に髪の毛をわしゃわしゃと掻き混ぜられる様子も不思議と楽しそうに見えた。
たぶん不器用に、解りやすい慰め方なのだろうとマミは思った。女の子の慰め方とは違うやり方だが、ああゆうのも逆に良いモノなのかもしれない。
・・・・振られて良いも悪いもないかもしれないが、振った自分が何を言っているんだと嫌悪するが、あんな風に慰められている先輩が羨ましいと思ってしまった。

「あ~、遊んだねー」
「とりあえず甘いの食べに行こうよ」
「近場だと・・・」
「まあ、あっちしかないね」
「新しい喫茶店できたんだよね?」
「クーポンあるよぅ」

残った女性陣は移動しながら相談し始めた。とはいえ自然と皆の足は遊園地の近くにあるショッピングモールへと進む。
この時すでに男性陣とは連絡済みで鉢合わせしないように調整済みだ。あとになってマミは気づくが、こうゆう気づかないうちに発揮されている気遣いと連帯性には感謝ばかりだ。これで普段の暴走が無ければ本当に・・・。
慰めるように、励ますようにみんなが背を押したり声をかけたりしてくれている。嬉しかった。振った時、少しだけ泣きそうだったけど皆のおかげでどうにか我慢できた。

「それで、マミはどうする?」
「うん?」
「一緒に食べに行く?」
「それとも―――」

一緒に食べに行くつもりだった。むしろ此処でハブられたら絶対に泣く自信がある。

「追いかける?」
「え・・?」

誰を?まさか先輩を?マミにはそんなつもりは無い。悪い言い方で言えば微塵も無い。考えもしなかった。だって自分は振って、ちゃんとケジメをつけたのだから。
それとも足りないのだろうか?自分のやり方は何か間違っていたのか、マミは一瞬だが困惑し焦った。
でも違う。そうじゃない。彼女達が示した相手は告白してきた先輩の事ではない。

「今ならラボに辿り着く前に追い付けんじゃない?」
「アイツ告白の返事する前に怖気ついて逃げやがったからな」
「なっさけな~い」
「ヘタレだよねー」
「私達と軽くお茶してからでもいいけど、どうする?」

その問いかけは、その質問の仕方は私が“彼”のいるで場所に向かう事を前提としている。ただ今か後かの差でしかない。
・・・・頬が紅潮してきているのを自覚する。もちろん後でお説教という建前でラボには行くつもりだったから何だか心を読まれているようで、それとは別の理由もあってか照れてしまう。なんだか、そう、恥ずかしい。
気づけば立ち止まっている自分を囲むようにしてみんなが此方を見ている。マフラーに首を縮こませるも耳も既に真っ赤で効果は無いし・・・・・困る。

「マミ、早めがいいと思うよ?」
「後か先かの差でしかないけど、漫画じゃ決定的な場合もあるよね。ちょっとした時間差でルートが決まるから」
「ゲーム脳乙」
「あ、うぅ・・・・!?」
「・・・・信じちゃったよこの子」
「たまにアホになるわよね」
「だがそれがいい!」
「禿同」

気づかれていた。浮かれていた事に、途中から機嫌が良くなっていた事に、その事が激しくマミを動揺させる。
勘違いされているのではないか?誤解されているのではないか?“それ”じゃないのに “それ”だと思われているのではないかと顔の赤みが増していく。
皆は知っている筈だ。昔は近くに居て、今も近くに居る異性だけど彼とはそういう関係ではないと・・・・疑われているのだろうか?しかしそれなら昨日のようにむしろ妨害や忠告をしてくる筈だ。
だけど今は、むしろ背中を押されているようで・・・・・?

「えっ、あぅ・・・えぇ!?」

わたわたと両手振って何かを伝えようとするも、マミはうまく言葉に出来ないでいた。
何を、どれを、なんと言えば自分の思いが皆に伝わるのか分からなくて、考える思考は乱れてただただ皆に写メによる携帯電話のメモリを圧迫する事しかできない。

「って何を撮っているの!?」
「萌え画像?」
「そろそろ新しいSD買わないと」
「ご飯食べたらいこっか」
「私もー」
「け、消してっ」
「断る!」
「いやだ!」
「NO!!」
「う、ふぐ・・・・っ」

恥ずかしさのあまりに涙が出てきた。

「わあー!?」
「ごごごごめんってばマミっ」
「謝る謝るから泣かないで!」
「うぅ」

魔法少女なのに、情けなくて、せめて嗚咽だけはとほとんど意地になって声を押し殺す。

「ほら消したからもう大丈夫!」
「・・・・・みせて」
「え?」
「みんな、嘘付きだから確認させて」
「ここにきてマミが人間不信に」
「 み せ て 」
「あー・・・・・はいコレ」
「・・・・・消してない」
「使い方分かる?」

スマートフォンだからか、マミは無言で首を横に振った。
涙目だ。口元はむぐぐと何かに耐えるように塞いでいて、頬はちょこっと膨れている。顔が赤い事もあってリスみたいだ。
皆は自重しているのか、この時は写メを撮ろうとはしなかった。

「ほらかして、ちゃんと消すから」
「・・・・・・・・使い方教えてくれたらできるもん」

―――もんって・・・・・萌え!
―――シッ

何か聴こえたがマミはそれを意識の中で封殺し、画像の消し方をレクチャーされた。

「―――でね、あとはアドレスに張り付けて」
「こう?・・・・・消すのに、なんで?」
「そういうものなの、マミのケータイとは違うのよ」
「う、うん」
「で、あとはこのボタンを押せば――――」

ポチっと。

「岡部倫太郎に送信できるわ」
「うん・・・・・・えっ!?」

・・・・え?

「ちょっ!?え!?今まさか!!?」
「うん」

顔を上げてみれば、誰もが良い笑顔で此方を見ていた。

「「「「「TMFの同士に萌え画像提供」」」」」
「―――――」

ふっ、と胸の中に穴が空いたかのような感覚。自分の中にある黒い何かを鷲掴みされたかのような錯覚。
ああ、これが絶望か。頭の中が真っ白になった。思考を停止すれば、世界を観測できなくなれば大丈夫だなんて嘘だ。ソウルジェムがジワジワと濁っていくのが解る。

「「「「「しかも本人の手によって、つまり合意だよね!」」」」」
「うわあああああああん!!」

誰一人、悪びれていない。誘導されていた。狙われていた。この瞬間を撮るために巧みにこちらの行動を予測し煽ってきていたのだ。
これは酷い。こっちは中学三年にもなって人前で大泣きしているというのに至福の表情でカメラを向けてくる。これはイジメだ、現代社会の闇を垣間見た。
ポカポカと皆を責めるように泣きながら手を上げるも、それすらも良しとするのか笑顔が絶えない。イジメている側はイジメだと気づかない典型か、わりと本気で泣いているのだが――――

「おおよしよし。マミは今日も可愛いねぇ」
「ふへへ、これでコレクションがまた一つ追加されたわ」
「文化祭までに目標は達成できそうだし・・・・冊子の完成は目前ね!」
「いまなんて!?」

誰も気にしない。いや気にはしているがそれは画像の収集のために気を配っているのであって今現在泣いている事には思うことは無いらしい。なにこれ酷い。
半泣きから全泣き(?)になった私を引きずりながら皆は目的地であるフードコーナーへと向かう。背を押したのは最初だけでやはりからかうのが優先だったのか、もはや彼女達は彼のことを話題に上げる事はなかった。

「んで、マミはどうすんのさ岡部とのこと」
「ほえ?」

と、思いきや喫茶店に到着し皆に飲み物が渡ったらコレだ。

「岡部くん他の女の子と一緒だったよね?可愛い子じゃん。盗られるよ?」
「盗られッ!?わッ、私は別に倫太郎とは―――!」
「あの子もラボメンじゃないの?前見た時と雰囲気違ってたけど今日のアレってデートでしょ」
「佐倉さんとデート・・・・・・え、じゃあ―――」
「マミのデートを心配で監視しに来たんでしょうけど、形はどうあれアレってもうデートよ?」
「月曜日は制裁だZE!」
「心配って・・・・、やっぱり来てくれてたんだ倫太郎」

ふへへ、とだらしなく頬が緩んでしまう。いつものマミならこんあ表情は他人には見せないだろうから、うわっ、と皆が顔を引き攣らせるが仕方がない。
だって嬉しかったのだ。気にしてもらえなかったと不安になっている所に彼がいてくれたから。割と近くに居てビックリしたが、それだけ心配し気にかけてくれている現れだから―――笑みが浮かんでしまうのはしょうがない。
一緒に住んでいた頃と違って物理的な距離ができた。ラボメンや他の魔法少女達と知り合う事で一緒に居る時間は減った。外国へと旅立つ前の準備と予防策のために休みの日も街の外へと出ていくから言葉を交わす機会も少なくなった。だけどこうして傍にいてくれる。見守ってくれている。
口や態度で冷たくされただけで凹んでいたのが馬鹿みたいだ。知っていたのに、岡部倫太郎が自分達ラボメンを愛してくれているのを疑うなんて――――


「アイツ、来季には外国に行くんでしょ?」


ビクリと、体が硬直ししてしまった。

「高校も一緒だと思ったのにね~」
「三年生になって転校してきて、卒業式の後には海外ってのは驚いたよね」
「しかもあの『シティ』でしょ?」
「宿無し金無しが一夜で大金持ちになって、世界有数の富豪が一夜で破産する所。数十年前まではただの砂漠だったのに今では世界を動かす大都市、色んな人間が集まり色んな理由で果てていく街」
「たしかに魅力が詰まった場所だけどさ、危険すぎるってきいたよ」
「事実、世界最高峰の技術と人材が集まるのに毎日日本では考えられない事件が頻繁に起きているんでしょ?」
「昔はロボットやモンスターが暴れていたらしいじゃん。ネットにまだ当時の新聞あったよ」
「岡部って一人で行くんでしょ?大丈夫なのかな?」
「危ないんじゃない?」
「一人も二人もかわんないよ、あの街は」
「日本人で、子供一人・・・・・犯罪に巻き込まれる確率高くね?」
「覇導財閥関係の人の世話になるって噂で聞いたけど、それってホントなのかな?」
「マジだったら・・・それだけで将来の生活はほぼ安定ね」
「玉の輿だぜ!」
「え、あんななのに?」
「結婚して即離婚さ!」
「お、おう」

固まっているマミを横に、卒業後はこの国を離れる彼の事を皆は口々に予想を吐き出していく。

「え・・・・あ、倫太郎は一人じゃなくて、一緒に行く人もいるから」

なんとか話題を変えようと、しかしマミの口から出た台詞は皆のさらなる興味を引き出す事になった。

「え、誰と行くの!?マミは進学で、隣のクラスの呉さんも確かそうよね?」
「もしかして白女の子と!?綺麗で可愛かったよね・・・・・岡部の奴を引きちぎりたいほどにッッッ!!」
「あっ、それなら見た事あるよ!あの野郎・・・・私にも紹介しろってんだ」
「今日一緒に居た子じゃないの?そもそも岡部ってどこで女の子と知り合ってんの?」
「後輩の上条って奴いるじゃん?そいつ経由じゃね」
「可愛い顔してエグイよねぇ、彼~」
「・・・・知り合い?」
「えへへ~」
「「「・・・・・」」」

コイツは後で『抜け駆けの刑』だな。しかし相手が“あの”上条の場合、結果は『背景担当』のポジションしか得られない事を予想するにあえて放置するか、それとも友人として忠告しておくか、いやここは・・・・

「でだ。マミはマジでどうすんの?」
「え・・・え?」
「岡部のこと、最近はどう?ちゃんと触れあえてる?」

そう問うてくる彼女は最初から一貫して自分と岡部の事を訊いてくる。

「いや~、早いよ~さっきから」
「アンタ達が遠回りしすぎなのよ」
「でもマミって豆腐メンタルだからハーフタイム多めでよくね?」
「さっきちょっとした時間差でルート固定って言ったのお前だろゲーム脳」
「せめてお茶する時間ぐらいはいいんじゃない?リカバリー的な意味で」
「言葉交わすたびにマミには新たなダメージが蓄積してんじゃないの」
「おかげで良い画が撮れたじゃん」
「おかげで新しいSD買わないといけないじゃない」
「「「「「お前もかよ!」」」」」
「TMFの会員として当然の嗜みよ」

相変わらずの会話のテンポだけど、気になる事が有ってマミは訊いてみた。

「えっと、なんのこと・・・・?」

早いとか、メンタルとか、ダメージとか、皆の中では共通認識のようだがマミにはよく解らない。
自分のことだろう。だけど何が?と思ってしまう。彼女達の口ぶりから私を今少し休憩させるか、または行動に移させるべきと二つの意見が出て・・・いる?
判らない。普段からアッパーぎみのクラスメイトだがいつもならある程度予想もつく筈なのに、今はできない。思い浮かばない。

「ほら、マミちゃん判ってないよ。まだ疲れてんじゃないかな?」
「・・・え・・?」

察しの悪い自分を、皆が顔を見合わせ頷く。

「今日はお疲れ様、頑張ったね」

一人が代表して言った。

「しんどかったでしょ?でも最後まで向きあえたんじゃないかな」

別の一人が続いた。

「まあ邪魔した私達が言えた事じゃないけど、あんなんでも一応約束は守ったし・・・あんま背負っちゃダメだよ」

一人がまた続く。

「マミはいつも告白された後、泣きそうな顔するもん。でもちゃんと返事、するよね」

一人。

「落ちこんで、怖いくせにキチンと返事は伝えるでしょ。偉いよ」

一人。

「あとね。告白されるたびに泣きそうになっているのは、泣く頻度が増してるのは良い意味で成長の証だからね。弱くなったって勘違いしちゃダメだよ」

一人。また一人と声をかけてくる。気にかけてくれている。過剰に、大袈裟に、純粋に、野暮にもお節介にもクラスメイト達は巴マミを励まそうとしていた。
たぶん最初から、此処に来る道程でも、不器用にも沢山の話題を提供しながら。
マミは告白されたことで悩み不安になり、近しい人間との関係にさらに悩んで、それを晴らしても告白の返事で――――やはり気負ってしまっていた。
相手の想いに応えた。それだけで十分だろうに、人の良い彼女は相手が誰であれ、真剣な想いに望む応えで応えきれない罪悪感を背負ってしまう。

「それで・・・そろそろ先輩を振った罪悪感からは立ち直れそう?」

マミ自身、分かっている。それは自分が勝手にそう思い込んでいるだけだと。
告白した相手も、マミにそんな事は望んでいない事は十分に理解している。
だからこれは自分への慰めだ。自分を傷つけることで慰めていた。

「え?」
「告白してきた相手を振るのって、いっつも気を使うわよね。特に嫌いなわけでもない人を、それも優しい人なら特に。まあ・・・・・好きでもないんだから振るのは当然よね。そもそも好き嫌いを判断する時間もなかったし」
「う・・・」
「だから気負わなくていいって」
「毎度毎度お疲れ様です、だよ」
「うん・・・」

ああ、みんな気を使ってくれていた。本当に彼女達は、男の子も女の子もクラスメイトのみんなは自分の事を自分以上に観てくれている。
そして当たっている。楽しんでいた反面、どうしても疲れてしまっていた。体ではなく心が。難しい。煩わしい。そう何度も思ったことがあって、真剣に告白してくれた相手の事を思うと自分が嫌になる。
応えきれないが無碍には出来ない。嬉しいがどうしたって困る。巴マミにとって“それ”とはそういうモノだから。

「―――私、恋愛は当分無理かも」

相手の抱いた“それ”の大きさが見えないから怖いのだ。抱いた重さが想像できないから恐ろしいんだ。異性で自分とはまったく違う体の仕組みに独特の思考回路で体も心も想いもどんなものなのか想像も出来やしない。
皆はどうやって“それ”を受け入れるのだろうか?怖くないのか?不気味に思ったりしないのか?
もちろんクラスメイトの男子は好きだ。言葉も交わすし触れあっても嫌な気分にはならない。元クラスメイトも教師も商店街のおじさんもマンションの住人も大丈夫・・・・だけど“それ”を絡められたら・・・。

きっと、私はこれまでと同じではいられなくなる。

クラスメイトなら、自分から話しかける事はできなくなる。
同じ学校なら、遭遇しないように気を使いながら廊下を歩く。
買い物先の店員なら、もうそのお店にはいけない。
知らない学校の人なら、わけが分からなくて不安になる。
街で声をかけてきた人なら、怖くて逃げ出したくなる。

“それ”が大切で尊いモノだとは理解している。
“それ”が儚くて美しいモノだと理解している。
“それ”が傲慢で自分勝手なモノでもあると知っている。
“それ”について自分が知ったかぶっているだけとも理解している。
“それ”は怖くて危ないモノだと理解している。
“それ”のせいで今ある関係を壊し、バランスを崩してしまうと知っている。

だから私は――


「そ、でも岡部の奴はいなくなるよ」


さっきから、さっきから彼女は何がいいたいのだろうか。
私にどうしてほしいのだろうか。気を使うにしても、少ししつこいような気がする。
彼女の言葉はチクチクと、最初から私のどこかを突いてくる。
気にしないようにしているのに、その時までは忘れていたいのに。
今日は楽しかった。本当に、昨日の件も含め清算できたことが心を軽くさせて――――・・・


「他の誰かと一緒にね」










暗い夜道をマミはラボを目指して歩いていた。
喫茶店で言われた言葉を反芻しながら視線は前を、だけど気持ちは下を向きながら。

―――別にマミが岡部の事を異性として好きなんだって言ってるんじゃない

そう、誤解だ。近しい異性なだけであり、他とは共有できない時間を持っているから特別なだけだ。
だって私は鹿目さんや杏里さんのように焼きもちを焼いたりしない。
上条君や暁美さんのように本気で喧嘩をしたりしない。
飛鳥さんやキリカさんのように過剰なスキンシップをとったりしない。
美樹さんや佐倉さんのように二人っきりで遠出もしない。
織莉子さんや志筑さんのように難しい話も出来ない。
そして、あの人たちのように本気の愛情表現をしたりしない。
だから私は違うのだ。彼が私の事を愛しても恋はしないように、私は皆と違って一歩後ろにいる。
他の誰かが岡部倫太郎に恋をしても私はしないだろう。だって私は彼の特別ではないのだから。大切に想われているがそれはラボメンだから、ただそれだけがその他大勢との違い。
ラボメンでなければきっと見向きもされない・・・・言い過ぎか、でも他の皆と違って私には何もない、何もしていない。
焼きもちも喧嘩もスキンシップも遠出も難しい会話も愛情表現も・・・・何も、どれもした事がない。
私はただの友人で仲間だ。それでいい、ラボに集まる彼ら彼女らとの時間は楽しくて幸せだ。それ以上を望まないし願わない。
だから一番近い異性である岡部倫太郎が誰かと触れ合おうが付き合おうがキスしようが構わない。祝福するだろう。
だから大切な友人であり家族のようなラボメンの誰かが岡部倫太郎の事を好きになっても応援する。きっと誰が相手でも相談に乗る。
私は中立で良い。私は今のままでいい。愛されているのならそれ以上を求めない。思われているのならコレ以上を欲さない。
ほら、そう考えると一緒じゃないか。私はあの人と同じように――――

―――ただ自分を知らなさすぎる。寄り添いすぎよ。本当に分け隔てない奴はもっと違う反応をする

そんな事はない。普通だ。“それ”がないのならこんな感じだろう。
大切な人だけど嫉妬はしない。意見の食い違いがあっても喧嘩はしない。恋人のようにキスをしたりもしない。
間違っていない。今までを思い返しても、これまでの事を思い出してもそこに“それ”はやはりない。あくまで友人の範疇に留まっている。一線を越える気配はないし、越える気もない。想像すらしたこともない。
なら彼女の勘違いだ。やっぱり誤解させてしまっていたんだと、マミはそう思った。
あの時はクラスメイトの誰もが珍しく騒がずに話に集中するというありえない場面を見てしまったからギャップから事態が深刻だと、重く受け止めてしまっただけだ。

―――自分のしたいこととか、そのためにやらないといけない事は何なのかとか、ちゃんと考えないで漫然としてる

そんなはずがない。知らないだけで、私はちゃんとしている。それは何も中学生の身でありながら独り暮らし(現在は居候が二人)で家事全般をこなしているという当たり前なモノだけではない。
自分のしたい事。魔女の脅威から人々を護る事、学校の皆やラボメンと一緒に毎日を過ごすこと。
そのためにやらないといけない事。魔女や使い魔の探索に負けないための特訓、学生の本分である勉学と青春を謳歌すること。
両立は難しいであろうそれらを今までこなしてきた自負がある。これは否定させない。一人だけで成し得たわけではないが本当に真剣で大切だから頑張ってきたのだ。
漠然となんかしていない。ハッキリと自分の意思で向き合っている。その上で自分は今のままでいいと決めたのだ。わざわざ変えようなんて思っちゃいない。
彼女はまるで私にも“それ”は少なからずあるんじゃないかと疑っていたようだが、断言してもいい。私は“それ”を抱かない。

“それ”は今までの関係を破壊する。
“それ”はバランスを崩壊させる。

“それ”は大切な居場所を、大切な人達を失わせるモノだ。それを自らの手で?絶対に嫌だ。この関係を、あの時間を、その在り方を失いたくない。無くしたくない。
両親を亡くして魔法少女になり、辛くて寂しい時期を過ごしたあの頃には戻りたくない。

「―――うん。変に意識しちゃダメ!みんながいつもと違って、そこに急に変なこと言われたから混乱しちゃってるだけよ!」

自らを鼓舞し言い聞かせる。ラボはもう目の前、気持ちを切り替えていつものように接しなければいけない。昨日の件もある、気持ちと感情はフラットに。
これからお昼のデート・・・・デート?を尾行したことについてお説教をしなければならない。日が沈んでいるが時間的には大丈夫だろう。夕飯ももしかしたら済んでいるだろうから時間はある。
ラボへの階段を一歩一歩、マミは今日の出来事を整理しながらどう話そうかと考えながら上がっていく。
まず絶対に告白の返事について語ろう。先に帰ってしまった岡部は予想はしていただろうがキチンと確かめてはいないのだから。もしかしたらクラスの子から連絡はあったかもしれないが、これはちゃんと自分の口から伝えようと思った。
ラボの明かりが点いていたのは外からも見えた。階段を上がるたびにラボから聴こえる人の声が大きくなってマミへと届いてくる。未来ガジェット研究所の主、岡部の声だ。
階段を上り切りラボの扉の前、マミは小さく深呼吸をした。若干緊張しているのかもしれない。クラスメイトが原因ではない、昨日の件を思い出したのだ。まるで岡部に拒絶され、冷たく接されたと感じた時を。

「・・・すー・・・はー、・・・・・うん、大丈夫」

ノブに手をかけた瞬間だった。





「バッ――――バカバカバカ!!なんでもっとッ・・・最初から言ってくれなかったんだよ!!!」

聴こえた怒声は杏里あいりのものだった。ビクリと、ノブを掴んだ手が凍りついたように動きを止めた。
彼女がいるのは何も不思議じゃない。不自然じゃない。明日は日曜日、なら彼女がいても問題はないし今さらだ。寝泊まりしようが間違いが起こる筈もない。

―――時間切れはあって、選択肢も失われ続ける。なら一気に動く子はでるよ。あんたと違ってね

なぜ今、それを、その台詞を思い出したのだろうか。

「もうっ!なんで私ばっかりこんなっ!いっつもいっつも勝手で・・・・っ!」

あいりの声は潤んでいて、扉の向こうで彼女が泣いている姿を容易に想像することが出来る。

「いたたっ、待て待て落ちつけ!」
「うっさいバカ!なんでっ、なんでもっと早くに―――!」
「俺はちゃんと伝えたぞ!」
「言ってない!聞いてないもんっ、いま初めて知ったもん!」
「言った!ちゃんと伝えてきたのにお前が――――!」
「言ってない!!」
「言った!!」
「言ってないってば!!!」
「あのな――」

ただそれは少しだけ、いつもと違うような気がした。
泣いているのに、弾んでいる。
悲しい声じゃない。嬉しさが感じられる。
震えているのに、はしゃいでいる。
悲しんでいない。喜んでいる。

「もうっ!もうっ!」
「ああ分かったっ、分かったから一旦どいてくれ!」
「ヤッ」
「お、おぅ・・・・・・一気に幼くなったな」

扉越しに誰かの体重を感じる。振動から岡部があいりに押さえつけられていると予想できる。玄関で押し倒され、座るように背中だけを玄関の扉に預け、上からあいりが重なっている、とマミは冷静に判断した。
今、ラボの扉を開ければ支えを失った岡部が後ろ向きに倒れてくる。だから開ける事は出来ない。だから手をノブから離す。そして何故か声を殺して後ろに一歩下がった。
中の二人はマミが外に居る事に気がついていない。それだけ騒がしく、かつ重要な話をしていたんだろう。何故だろう―――ここから急いで離れたい。
騒がしいのも、あいりが岡部を折檻するのもいつもの事だ。だから遠慮せずに扉を開けていい筈だ。鍵だって持ってる。ラボメンの一人として何も気にする事なんかない筈だ。

「勘違いじゃないんでしょ!絶対に嘘じゃないんでしょ!」
「本当だからっ、嘘じゃないから落ち着いてくれ!」

ガンガンと扉が悲鳴を上げる。薄く脆い鉄の扉は向こう側で懸命に訴える少年の体を支えるが、あいりの声の弾みから放っておくと数分後には壊れてしまいそうだ。
何が、彼女をここまでさせるのか?何が、あったのだろうか?何を、伝えられたから彼女はあんなにも嬉しそうにしているのだろうか?
勘違いでも嘘でもないそれは一体なんだろうか、普段は変に意識して悪ぶっている少女を嬉し泣きさせるほどの何かを岡部倫太郎はしたのだ―――マミが喫茶店で過ごしている間に、だ。

「絶対ッ!絶対嘘じゃないんだな!」

私は“それ”を抱かない。今あるバランスを崩したくないから、今のままで満足していたからだ。
“それ”が尊いモノで大切なモノだとは理解している。
だけどそれだけだ。“それ”が綺麗なモノだろうが自分に向けられるのは怖い。
岡部が誰かに“それ”を向けるのも、誰かに向けられるのも大丈夫な筈だった。
だって岡部倫太郎は愛しても恋はしないから。
彼の一番はラボメンで、最優先で、世界を敵に回しても守ってくれるから安心していた。
安心して身を委ね心を許せた。
変わらない人だから、代わりを求めない人だから、そのくせ誰よりも近くに居てくれた。

なのに今になって変わろうとしている。

「本当だよ。あいり、俺は――――」

不変だったのに、いつのまにか変わってしまっていた。
絶対と思っていたのに、そうではなかった。
裏切られたわけでもないのに、酷く傷ついたような気がする。

「ん、信じるっ」
「ありがとう」

扉越しに聴こえてくる二人の声は近くて、柔らかかった。

「――――」

ペタンとマミはお尻から地面へと座りこんで項垂れる。
誰もが変わっている。それを見せつけられた。少なからずショックを受けている。
頭の中を色んな可能性がぐるぐると回って思考がまとまらない。

「・・・」

何を思うのか、マミはへたり込んでしまったまま考える。まとまらない思考で、それでも必死に考えた。

怖い。

何も変わらない筈だった岡部倫太郎が、同じだった筈なのに変わろうとしている。それで今ある関係が崩れるのではないかと、不安になる。
岡部が誰かを好きになるのは構わない。ラボメンが誰かを好きになるのは構わない。祝福しよう。応援しよう。
だけど岡部がラボメンの誰かを好きになってしまうのは嫌だ。ラボメンが岡部のことを好きになってしまうのは嫌だ。
壊れてしまうではないか、失ってしまうじゃないか。バランスが取れなくなってバラバラになってしまう。
そうならないように変わらずにいたんじゃないのか?自分と同じように。
どうして今さら何だ。なぜ今になってなんだ。なんでもっと早くに、そうしてくれなかったんだ。
完成して、完了した後に欠陥を、間違いを見つけてしまったかのような絶望感と不快感。

嫌だ。こんなのは嫌だ!!



別に、岡部倫太郎のことが異性として好きなわけじゃない。
特に、鳳凰院凶真のことを異性として見ているわけじゃない。





だけど――――もっと早くここに来ていれば、その台詞を自分も聞けたのかな、とマミは思ってしまった。









『妄想トリガー;巴マミ編』 前編 終わり






















「あらあら派手ねぇ」

見滝原のビルの一角、街全体を見下ろせる場所。屋上の端に腰を下ろし両足をパタパタと揺らしながら破壊されていく街を楽しそうに少女は眺めていた。
黄金の光が街の各所で輝けば、そのたびに地面は破砕しビルは倒壊し、空は光の軌跡を刻んでいく。
もう爽快感すら沸きあがってくるほど豪快に街を吹っ飛ばしていく様は、観ていて心が躍る。

「あら?」

若草色の光を纏った男が巨大な黄金の弾丸を一つ弾けば、その弾丸と言う名の砲弾は彼女がいるビルの半場の場所に激突した。
その砲弾。大きさにしてバスケットボールほどの大きさだが内包された魔力は巨大、一瞬の間をおいてビルは真ん中から黄金の光に爆砕された。

「絶好調のときはホントに凄い・・・欲しいなぁ、でも駄目なんだろうなぁ」

崩れ落ちるビルから落下するも落ちついた様子で彼女は自分勝手な自問をし、そして岡部倫太郎の約束からそれは出来ない事を不満げに自答した。
魔法少女へと変身しないまま、自分の近くを流れ弾であろう黄金の光が通過するも気にすることなく近隣の、まだ倒壊していないビルへと着地、再び戦闘の観戦にはいる。
彼女もラボメンだ。しかし今回の戦闘には参加していない。興味がなかった。意味がなかった。彼女には参加するメリットが存在しなかったから、だから誰もが全力で奮闘している試合を楽しそうに観戦する。
今も位置的には全体を見渡せなくなったが戦闘を観戦するには見やすくなったので良しとし、再び腰を下ろして高みの見物へと入った。

「良い身分ですね、さすがラボメン最強の魔法少女―――羨ましくて嫉妬しちゃいます」
「あら?結構傷も浅そうで残念」
「ちょっ!?」

背後から現れた天王寺綯に笑いながら小言を投げ、そしてすぐに視線を戦闘へと戻す。

「冗談ですよ。お疲れ様です」
「もっとこう、心配してくれてもいいじゃないですか」
「貴女なら別にあの程度の怪我はどうってことないでしょう?過剰な心配はしない主義です」
「信頼ですね」
「面倒臭いのです」
「酷いっ」


ズドォオオオオオオオオン!!!


会話の途中で目の前にあった高層ビルが空へと舞い上がった。大質量のそれが空き缶を蹴飛ばしたような豪快で軽快な常識を疑いたくなるような光景だった。
空を舞って散っていくビルの残骸の下で若草色の光が飛翔している。ビルを吹き飛ばした黄金の光の中から飛び出してきたわりにはダメージはさほど見えない。

ドドドン!

それを撃墜しようと地上から砲撃が次々と襲いかかる。若草色の光、岡部倫太郎はそれをかわし続けるが黄金の光が止む気配は衰えず、次第に岡部を追い詰めて行った。
岡部がかわせば背後で散っているビルはさらに破壊され、その面積を削っていく。バラバラと流れ弾に崩されていくビルは地上に落ちる頃には完全にビルの面影を失っているだろう。
その様子を眺めていた二人は呆気に取られていた。

「・・・・・派手ですねえ」
「はい・・・絶好調のマミちゃんは相変わらず規格外ですねー」

一撃一撃が大火力。これほどの破壊力を出せるのは魔法少女といえどもそう多くはない。まして連続砲火、衰えることなく長時間戦い続けるなど世界広しといえど――――

「ま、私達には劣りますけどね」
「・・・・・“貴女達”にはまあ・・・・でも今のマミちゃんなら解りませんよ?」
「あら、負けるとでも?」
「マミちゃんは特別ですよ」

綯の言葉に振り返り、二人は黄金の光が見滝原の街を破壊する光景を背景に向き合う。
笑っているが綯の目は笑っていないし、相対する少女は座ったまま薄い笑みを浮かべている。

「なら貴女の代わりに彼女を連れて行きましょう」
「はあ、それはどういった意味で?」
「ああ違うわね。貴女もマミもいらないわ」

とぼける綯に少女は言う。ラボメンの中で最強の魔法少女、今の岡部倫太郎にキュウべぇと共に戦える力を与えている少女が綯に言う。彼女だけが言える台詞を。
天王寺綯は岡部倫太郎の片翼、単独での強さはもちろん、岡部倫太郎と繋がれば万能で無類の強さを発揮する、何より綯は岡部倫太郎を全て知っている。観てきたから、誰よりも多く、岡部倫太郎以上に岡部倫太郎を観測してきた女。
そんな人を前に彼女は言える。そんな女性を前に宣言できる。岡部が涙を流し、弱さを曝け出す事が出来た最も岡部倫太郎に近い女に堂々と―――勝ち誇れる。


「彼には私達だけで十分です」


本気で、そう思っている。その自信溢れる姿に綯は目を細めて口を開く。

「子供が、あまり調子に乗らないでください」

やはり目は笑っておらず、少なからず怒気を込めた、殺気を乗せた台詞を投げる。受け止め、投げ返す相手もだが、二人は男の事になると割と血気盛んな一面を遠慮なく出す。
それだけ相手の事を認めると言えなくもない。他のラボメンを相手にこういった態度をとる事はまずないから。

「あら、背丈は私の方が大きいですよ」
「・・・・・・」
「能力的に考えてもそうでしょう」
「私は十分にオカリンおじさんの力になれます」
「貴女で良ければ恭介でも織莉子でも、それこそ今まさに実力を示しているマミでも良いとは思いませんか?」
「私は―――」
「そして場所が場所なだけに人数は絞るべきです。接続する相手が複数いても意味はありません。パートナーは一人、それならずっと一緒に居られる。二人も三人もいらない。一人でも敵対者に捕まれば面倒臭くなります――――足手まといは要りません」
「戦略も戦術も、今後の事を思えば戦える者は多い方がいい。それは私もオカリンおじさんも観測してきたから知っています」
「上条恭介、美国織莉子の同行が叶わないのは何故?」
「・・・」
「一般の人間を巻き込んでいい条件なら今のマミにも負けない上条恭介はどうして『シティ』への相棒に選ばれないのでしょうか?人間が相手なら無敵である彼を」
「それは」
「未来視の美国織莉子。時間停止の暁美ほむらもですが、時間と言う概念に干渉できる強力な彼女達を何故採用しない」
「・・・」
「場所が場所だから、と言うのも当然。ですが何よりも日本に残るラボメンのためでしょうね。その能力ゆえに、彼らの力は此方に残しておきたいのでしょう」

2010年から2014年の四年間。正確には中学卒業後からの三年間、自分が留守にしている間の守護を任せたい。
岡部は一応知っている。『通りすぎた世界線』での出来事を思えば、もしかしたらこの世界線でも2014年までは大きな問題は無い、と。
しかし楽観はできない。偶然辿り着いただけの世界だ。何が起きてしまうのか、既に自分と上条が原因で魔法少女同士の大規模大戦が二度起きている。
ギガロマニアックスも未来視も貴重で最高最大の成果を発揮できる能力だが、本来『シティ』での戦いには必要ないかもしれない・・・・だから、残していく。

「それは貴女にも適応できる。いえ貴女だからこそ、彼は此方に残したいはずですよ。ある意味で、誰よりも、何よりも」
「・・・・・形だけで言えば私はただ強いだけですよ。彼女達のような変則的な能力はありません。繋がれば別ですが、それができるから連れて行くのでしょう。私がいれば全世界全世界線に存在する魔法を過去現在未来を問わず使用できます」
「あら?まさか本気でそんなことを言っているんですか?」

とぼける綯に、彼女は踏み込んでいく。

「それ以上の価値が、貴女にはあるじゃないですか」

戦闘能力でも、心の支えでもない、岡部倫太郎が天王寺綯に求める役割を彼女は言った。


「岡部倫太郎を全て観測してきた貴女にこそ、これから先を任せきれるでしょう」


自分が居なくなった後を任せきれる。鳳凰院凶真を観測してきた天王寺綯ならできる。これから先を、未来を託せる。自分の代わりとして誰よりもだ。
観てきて、なおかつ岡部倫太郎を判ってくれているのなら出来る筈だ。これは全てを観てきた彼女以外には出来ない。
未来を歩く事は誰にでもできる。しかし代わりにはなれない。岡部倫太郎と鳳凰院凶真と言う狂人のオルタナティヴには誰もがなれなかった。
在り方、生き様、その過程も結果も岡部だからこそ歩み辿り着けた。変わりは無く、代役は存在しない。
今までは、だがここには天王寺綯がいる。全てを観てきた人間が、自分の考えを判ってくれる人が、実力も経験も申し分ない片翼が。



「そんな貴女は一緒に『シティ』に行くよりも、こちらで残ったラボメンと一緒に居た方が彼は喜んでくれるでしょう?」



「―――――」

返す言葉を綯は持っていなかった。

戦い続けてきた人がようやく足を止めきれるかもしれない世界だ。この場所に居ていいのだ。誰も文句は言わず、責めもしない。もう幸せになってもいい筈だ。止まって、休んでいいのだ。
誰もがそれを望み、きっと本人もそうしたいだろうに、それでも立ち上がり戦い続けようとしているから、せめてその時まではと出来る限り綯はその重荷を背負おうとしてきた。
数年後に起きるであろう大戦に備え『シティ』へと事前に連絡をとった。残していくラボメンへの心配を減らすために出来るだけの鍛錬をラボメンに施し、予防策として敵対する可能性の有る組織と人物を潰した。
それを天王寺綯は岡部との時間を削ってでも率先して行った。それは少しでも今の時間を謳歌してもらうために。

そして天王寺綯は知っている。

岡部倫太郎の負担を減らしたいのなら自分は『シティ』へは同行せずに“ここ”でラボメンの成長を見守るべきであるという事を。
・・・上条や織莉子のように能力ゆえに『シティ』では負担が大きく危険な二人とは違い、綯はそんなハンデも無く、さらに岡部を観測してきたことから事前の情報も豊富だ。この先の大戦でも十分な働きが出来るだろう。
しかし単純な強さで言えば綯は目の前の少女には劣る。今のマミにも、だから戦闘力での価値は薄い――――精神面?既に岡部倫太郎は癒された。ゆえに全てが終わらない限り求められる可能性は少ない。ただ一度で立ち上がってしまったから。自分が癒した。たった一回・・・彼はそれで満足してしまった。
後は何が出来る?男を安心させるために、気が抜けるように、休まるように、肩の荷を下ろせるように後は何が出来る?

戦える力?目の前の少女がいれば事足りる。彼女がいれば彼は一人で戦える。前線で。
慰めてくれる女?そんなモノは求めていない事は判っている。自身よりもラボメンを優先している。いつだって、どんな時だって。
時間?これまで通りに、岡部が今までやってきた事を奪ってでも請け負うしかない。
他には?―――今でなくても、今後、自分にできる事は?




「後は私達に任せて隠居してくれて結構ですよ?」




ビキリ、と綯の額に青筋が浮かぶ。

「ほ、ほほう?貴女達にオカリンおじさんを任せろと?」
「ええ、乙女回路をプラグインしただけで実質ヘタレな泥棒猫には任せきれませんから」
「ほッ、ほほおおおう!?一体それは誰の事なんでしょうかね!?」

んー?と綯の反応を確かめるように、除き見るように上目遣いで少女は挑発を続ける。

「そうですねぇ、最近“人のモノ”にちょっかいを頻繁に出している人ですね」
「へ、へえええええ?」
「キスを無理矢理するだけでも変態なのに、何をトチ狂ったのか求めるようにもなった破廉恥な女です」
「は、はあ!?」
「邪魔者が居ない事をいいことに、別のベットがあったにも関わらず潜りこみ、抱きしめ、首筋を舐めるわ泣いて媚を売るわでビッチを地でいく浅ましい存在なんですよ?」
「ごふはぁ!?」

何故か綯は血を吐いた。

「な、なぜ貴女がそのことを―――!?」
「彼のパートナーですから」
「オ、オカリンおじさんが―――!?」
「繋がれば彼の事は全部分かりますよ・・・・貴女達と違ってね」

挑発を、綯相手にできるのはラボメンでも彼女くらいだろう。

「例えば――――“アストライア”」
「」




綯の正面、彼女の後ろで、疑似世界の見滝原は崩壊した。
黄金の光が世界を染め上げる。圧倒的で、もはや別次元の存在、人の形をしていても、もはや人間とは認識できない力を行使した奇跡。
砂場のお城が波に消されるように、黒板のチョークを、窓ガラスの雨水を消すように世界を破壊する。

「“希望の神様すらお手本にした心優しい正義の味方”」
「なぜ・・・・・貴女がその名前を?いや違う・・・・円環の理まで感知している?この世界線にはいないのに――――!?」
「識っているからですよ」
「まさか、馬鹿な・・・・・まどかちゃんも、ほむらちゃんだって――――!」
「他の魔法少女と一緒にしないでと言いましたよ?私は彼のパートナーですよ」
「・・・・・」

規格外、想定外の魔法少女。凡庸でありながら超絶なる存在、岡部倫太郎とあまりにもマッチしてしまう魔法少女、彼女が居れば全てが事足りてしまう。ラボメンとの関係も、ガジェットも。
彼女が普通の魔法少女ではないことは知っている。だけどそれは特別珍しい事ではない、彼女のような存在は世界を見渡せばそれなりに居る。彼女よりも稀有で、常識離れした存在も多く存在する。
ラボメンの中でも暁美ほむら、美国織莉子はまさにそれ、規格外・・・イレギュラーとしてなら彼女らの方が上だ。

それなのに、この―――――

「正直、貴女は邪魔です。押し倒しても、そこでヘタレるだけならさっさと消えて」

“少女達”は

「あんたは邪魔なのよ。キスしても、キスしてもらった事はないんでしょ」

いつだって岡部倫太郎の一番で在り続ける。

「彼は私達のモノよ」「私達が彼のモノであるように」

そして許せない事に、我慢できない事にそれを受け入れている。
何よりも、“それ”を魅せつけている。
いい加減、子供相手とはいえ綯の堪忍袋はキレた。


ブチリ


自覚できる。

「なかなかの挑発です。その喧嘩、買いますよッ」
「「アハッ♡」」


本気で叩きのめす。








黄金の光が見滝原の街を破壊し続ける光景の中に、それとは別に世界を破壊する者たちの戦いも始まった。




















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