χ世界線0.091015「手助けは可能な限りするつもりです。しかし契約し願いを叶えた以上、その代償は本人達にしっかりと自覚させたうえで背負ってもらう」魔法少女の寿命、人生は酷く短い。ある一定の限界、境界というか一線を越えると図太く逞しく生き続けるが基本的には短命だ。魔女と呼ばれる異形に挑み続けなければならず、それを誰にも分かってもらえない環境にいる。それどころか迫害の対象になりかねないだけに精神的にもキツイ。また契約する時期が十代ゆえに経験も耐性もない。「その強さを彼女達には備えてもらいます」精神への負担はソウルジェムと密接な関係がある。放課後は友人の誘いを蹴って魔女を探す。いなければ遠出し、見つけても命をかけて戦う。一人だとしても、理解者も無く協力者もいないまま孤独に、そうしなければ未来はない。いつだって隣に誰かが居る。いつも助けてくれる人がいる。そんな甘さは命取りになる。何があるか分からない、備え、準備し、覚悟と決意を身に刻む必要がある。「―――彼女達に逃げ道はない。理解者、協力者がいたとしても最終的には自分の意思と力で立ち向かうしか未来はないからだ」鹿目家リビングにて鹿目洵子と鹿目和久、そして石島美佐子は岡部倫太郎の話を聴いていた。正直妄想の類にしか聞こえない話だが、和久はともかく美佐子と洵子は経験者ゆえに真剣に聴いていた。まどか達子ども組は上の階、まどかの私室で弟のタツヤと遊んでいる。最初はまどか達も含め、全員にこれまでの大筋を話した。洵子達同様にまどか達も魔女に襲われた事を。最初はそれを伝えなかった事に洵子が激高しかけたが、岡部や和久がなんとか落ちつかせ、次いで魔法少女と魔女についてラボメンに伝えたように大人達にも話した。幼いタツヤはよく解らないらしく始終首をかしげ、つまらなそうにしていた。だから―――それを理由に子供達を上へと誘導した。後は大人の話。今は“本当の、まだ彼女達には話していない真実”を語る。魔法少女が魔女になるシステム。その理由と――――それで世界を救済する事実。漫画やアニメにはありきたりな世界を救う荒唐無稽なお伽噺。だがそんな話は鹿目夫妻にも警察官である石島美佐子にも関係ないというように、世界ではなく、身近な者に関してのみ意識が向かう。多くの魔法少女がそうであるように、世界よりも個人を優先する。大多数の人間が反感を、嫌悪を抱くシステム。しかしだ。人類の歴史が始まる前からエネルギーを回収してきたインキュベーターから『エネルギー回収を止めれば、今年のクリスマスには世界が終る』と言われたら、大多数の人間は何と言うだろうか?もちろんエネルギー回収を止めても今年中に世界は終わらない。来年も再来年も十年二十年は問題ない。でも、もし――――。そう思う。そう予想したりしながらも結局一度もキュウべぇに問うた事は無い岡部は何度も繰り返し説明してきた。いつか、誰かのために必要だったと、彼らの行いが悪意に満ちていた訳ではないと証明したくて。だけど当然、当事者達には簡単に承認できることではない。「マジかよ・・・っ」手遅れ。それが鹿目洵子の話を聞き終えて抱いた最初の感想だ。「――――以上が、ことの真実です」手遅れ。それが事情を訊いて、聞いて知って疑問を投げて返されて、一応の理解と納得、自分の正気と昨日の経験を照らし合わせたゆえに思った感想だ。手遅れだ。だってそうだろう?もし提示された情報が真実だとしたら自分の娘は逃げられない。なら何時なら間に合った・・・否、それを考えるのは無意味だ。既に娘は関わってしまったから。「そして貴女も石島さんも無関係ではいられない。実際に出会い、相対し、“生き残ってしまったから”」本来、魔法少女以外の人間が魔女と関わる確率は一生に一度きりだ。一度でも出会えば死ぬから、終わりだからだ。魔女の出現は時間も場所も関係ない。何処にでもいるし、何時までも存在し続ける。呪いを刻まれれば癒す術は魔女本体の討伐しかなく、できなければ餌となるか暴徒となるか自殺するしかない。「『縁』・・・と呼ぶよりは呪いに酷似した因果が刻まれてしまう。魔女と出会う確率が格段に上がってしまうんです。幽霊を観る事が出来る人が霊に憑かれやすいように、観測したこちら側を、あちら側も観ているように」不思議だ。乗り越えたなら、乗り越えてしまったのなら――――不思議と、それは運命のように、宿命のように、因縁のように終わるまで続いて行く。力尽きるまで、諦めるまで。魔女という異形に付きまとわれる。魔女の方からすればそんな気はないのだろうが、それでも遭遇する確率が何故か上がる。知ってしまったから?存在を認めてしまったから?生きる確率を上げるためには奇跡を願うしかなく、しかし魔法少女になれば生きるためには魔女と関わり続けるしかない。つまり自ら死地へと望まないといけない。どっちにしても魔女との関係を確約される。テレビにしろ雑誌にしろ表立って伝わってこないのは、やはりほとんどが最初で死んで、運の良かった者も近い将来に死んでしまうからだ。「岡部・・・・じゃあ何か?まどかはもう・・・・」「はい。観て、聞いて、触れている。それに素質があるせいか・・・一度魔女と出会ってから魔法の使い手を含めれば今日まで休みなくそっち側と関わり続けています」もし岡部の言う事が本当ならまどかには、その友人にも安息の日は既にない。普通に生きているだけでも事件事故の可能性はゼロではないのに、これから先は魔女との遭遇も含まれる・・・頻度からして事件事故にあうよりも高確率で、それこそ毎日を、次の瞬間にも、今だって一日に一回は遭遇している。魔女と関われば基本死ぬ。生き残ってもどういう理屈か遭遇する確率は増えてしまい、その上で生き残るには唯一と言ってもいい対抗手段である魔法少女になるしかない。幸い、まどか達には素質はあるらしいが、その場合は自分が体験したような地獄を日常に組み込まないといけない。「ふむ・・・・さすが、と言うべきか」「・・・・・なんだよ」「貴女も大概、おかしな人だ」「ああ?」鹿目洵子は聡明だ。かつ自らの目で観て体験した以上魔女の結界に囚われた現実を夢や幻とした逃避をよしとしない。受け止め、受け入れている。岡部の話も信じている。死んでしまうかもしれなかった事実を受け止めきれる精神にもだが、同じ境遇の石島美佐子の存在と岡部の説明があったにしても非現実的なアレをキチンと背負えるのは強さの証だ。狂人と、比喩してもいいほどに。“あんなもの”を現実として受け止める事は現代人としてはイカレテいる。実際に体験したとしても治療された事で外傷はなく結界内の証拠も残っていないのに、それでも現実逃避を良しとしていない。一緒に現場に居た美佐子がいるから、そして何よりも娘が関わっているからだろう。だが岡部は伝えた筈だ。一度関われば次もあると、貴女も既に関わってしまったと。「貴女自身、死にかけたのに娘の心配ばかりしている」「アアッ?あたりまえだろ、まどかは娘だぞッ」事実かどうか、本当なら最悪だ。真実ならどうなる、間違いでなければ娘の未来には先が無い。それを思えば考える事は多く感情も酷く荒ぶる。大人の仮面を被れない。苛立っているのは岡部にも分かる。洵子が岡部に掴みかかろうと立ち上がっても避ける気はなかった。吐き出すべきだろう―――ただ岡部は上に居るまどか達に訊かれるとやっかいだなと、少しだけ心配した。「ママも、これから先は危ないのに、ってことだよね?」だけどそれをポフ、と洵子の頭に優しく手を置いた和久が止める。彼からすれば本当にただの妄想話にすぎないのに妻とその連れの様子と、岡部の話に対する態度から信じ切れなくとも信用はしているのか、真意に耳を傾けてくれていた。そんな彼は岡部に同意を求めるように言葉を投げれば、岡部は肯定する。「はい。そうです」「あン?」「貴女もまどか達同様に、これから先は魔女との遭遇率は上がっている可能性が高い。既に魔女の存在を観測どころか実際に触れてしまっている」「だからなんだよッ、あたしはとこかくまどかは―――!」「ママ、まどかも心配だけど僕は君の事も心配だよ」「――――・・・・ッ」旦那に言われて、ようやく岡部が何かを言いたかったのか、何を思っての発言なのか思考が追いついたのか和久に頭を撫でられた洵子は口を閉じて席に戻る。何かを言いたそうに、だけどそれを耐えるように両手で自分の体を抱きしめながら視線で岡部に話の先を催促する。岡部は一度階段の方に視線を向けるが誰かが聞き耳を立てている気配はない。ほむらがまどか達を引き止めてくれているのか、彼女は真実を知っているだけに此方の話を聞かせないように配慮しているのかもしれない。「自分の事は後回しに娘の心配をするのは高尚で立派かもしれません。しかし意識してでも自分の身も案じてください。貴女がまどかを心配すように他のご家族も貴女を気にしている」「そうだね、凶真君の言う通りだよ」「・・・悪かった」頭を撫でられながら洵子は口元をきつく結ぶ。言われて、気づいて、だけど――――と、当たり前に当然に娘を心配する感情が止まらない。今は和久によって抑えられているが爆発しそうなのは変わらない。岡部の話が本当なのか、まだ真実と決まったわけではない。岡部が間違っているのかもしれない。しかし完全に否定できない・・・・魔女と娘が既に関わっていたという事実は今までの常識を崩す内容を受け入れてしまうほど重かったから。本当なら叫びたい。体が震えて指先が抱いた体を掻き毟らないように意識しないとすぐに暴れ出しそうだ。「・・・・・岡部、倫太郎君・・・だったかしら」そこに今まで黙って話を聴いていた美佐子が暗い顔で岡部に質問してきた。「あなたはアレや、魔法少女に詳しいのよね・・・・・訊きたい事があるの」石島美佐子。ここにいる岡部からすれば初めて出会った女性。これまでの世界線漂流で遭遇した事のない『魔法を知る一般人』。なんとなくユウリ・・・杏里あいりと繋がりがありそうな人物。あいりもこの世界線で初めて出会った魔法少女なだけに、そんな彼女と繋がりがある(かもしれない)美佐子とは話がしたかった。鹿目家との会談が終われば美樹家へと事情を説明しに行こうと思っていたが予定を変更し、多少の時間を割いてでも対話しようと思っている。「魔法少女の存在について、私は信じるわ。魔女も・・・飛鳥さんと暁美さんの変身する場面を見せてもらったし、昨日の件もあるから」「そう言ってくれると助かります。大抵は変身したところを見せても、魔女の被害にあっても常識を崩されたくない防衛反応から信じてもらえなかったり・・・・最悪、逆恨みされる事もありますから」「・・・まだ若いようだけど、これまで魔女や他の魔法少女とも会った事があるの?」「はい」「その子たちは今・・・・どうしているのかしら」「・・・・・・元気ですよ」「そう、なの」次第に小さくなっていく声に注意深く岡部は耳を傾ける。「その子たちの中に・・・魔法少女は短命だって言っていたけど、高校生や大学生、お、大人の・・・・・っ」小さくなっていく声は震えていて、後少しで嗚咽になると岡部は経験上から、そう悟った。何度かあった。何度もあった。自分の話を信じてくれた大人の中にはこういった人達がいた。気づいていて、感づいていながら、それでも諦めずにいたのに身近にいた大切な誰かが既に終わってしまっているんだと突きつけられた人達の反応だ。まだ終わってはいない、そう諦めていない鹿目洵子の先にある反応。彼女の身近な誰かが魔法少女だったのか・・・きっとそうなのだろう。繋がりはまだ判らないが荒唐無稽な話を落ちついて聴き、あっさり信じた―――――石島美佐子には下地がある。昨日の一件だけじゃない何かが、科学の世界で満たされている現代日本で奇跡と呪いの世界を鵜呑みにできる、信じるに値する何かを彼女は保持している。「レミ・・・・『椎名レミ』を知って、いませんか?」自分よりも年下の、それも会ったばかりの男に縋るように石島美佐子は告げた。「――――椎名・・・レミ?」「親友、なんです。中学三年にあがった頃・・・・・と、突然いなくなって――――」それだけなら、ただの家出や事件事故で片付けられる。それだけで泣いているのなら考えすぎだと■■にできた。だけどそうじゃない。それだけじゃない。十年以上も親友の行方を捜し続けてきた彼女の意思の中には根拠があった。それは大人になり警察官になってから、親友と似たような失踪をする少女達を追うに連れて次第に確信へと変わりつつあった。「手掛かりはずっとあった・・・・上司には笑い飛ばされたけどレミは魔女と戦っていたって・・・・当時三歳だったレミの妹が証言していて・・・。ほ、他の子にも現代科学では説明できない遺留品もあってっ」昨日、そして今この時になってようやく辿り着いた。長年探し続けてきた親友へと繋がる手掛かりに・・・だというのに思考がまとまらない。口がまわらない。訊きたい事も確かめたい事も沢山あって、それをずっと探し求めてきたのに岡部から告げられた内容を己の中で統合していくうちに嫌な予感が、絶望と呼んでもいい感情が考える頭を蝕む。体も心も冷たくなっていく。親友が今もどこかで元気に生きているなんて、彼女だってその可能性が低い事は解っている。元気に・・・生きていながら誰にも連絡せずにいるなんて、おかしいと、なら、と。それの後押しをされてしまった。自分よりも詳しく内情を知る男が言った。魔法少女は短命だと、その理由を、原因を、その果てを―――「その人が生きている可能性はあります」思い、思い描いて、親友の死を認めそうになって、だけど岡部の声が美佐子の耳にしっかりと届いた。「――――ぇ、ぁ?」「確かに彼女達は短命だ。生きづらく生きにくい環境に常にいる。その果てにあるのは魔女との戦いに敗れての死亡や、精神的負担から魔女化へと繋がる場合が多い。だがそれだけじゃない」魔法少女の最後が報われないわけじゃない。「多くの魔法少女が絶望する要因なんて、実際には生きていれば誰にでもあるもの。それに少し考え方を改めればソウルジェムや魔女化に関しても割と乗り越える」きっと、ここで本当に多くの事を経験してきた岡部が石島美佐子を励ますような言葉を贈るのは残酷な事なのかもしれない。形はどうあれ、ようやく長年の疑問、不安から解放されるのにヘタな希望を与える行為は、ほとんどの真実を知っているだけに許されることではないだろう。知っているのだから。確かに岡部は“短命じゃなかった魔法少女”を幾人か知っている。長生きをしている魔法少女を知っている。だけどたったの・・・・・それに他は―――。時期、状況を考えれば予想はつく。多くの結末を観てきたから想像はたやすく、そしてヘタな慰めは残酷でしかない事も知っている。「椎名・・・・レミさんが失踪したのが中学の時というと何年ほど前ですか?」「十五年前です。だから・・・もしかしたらレミは」「今年を除けば“十年前”と“四年後”は・・・この世界にとって重要なターニングポイントだ」「は?」「凶真君?」「・・・・・いえ、今は関係ありません。ただ十年前に一度、世界の命運を懸けた大戦があったんです」とあるシティで始まり世界全てを巻き込んだ。しかし決して表には出てこなかった奇跡と呪い、希望と絶望、極限の白と極限の黒が雌雄を決した魔法大戦。『通り過ぎた世界線』でシティに居た頃にその大戦を実際に戦い抜いた英雄達本人から聞かせてもらった歴史の裏の真実。その時代、その年にはシンクロしたかのようにシティには多くの魔女と魔法少女が自然と集まってきていた。国も人種も年齢も理由も原因も雑多に複雑に。「あの街に魔法少女は引き寄せられるように自然と集まってしまう」「・・・・おい岡部、何が言いたい、そもそも十年前だろ?」「大戦に備えるように今から“十五年前”、『シティ』には魔法少女と魔女、それに連なる組織に魔人と呼ばれる存在が爆発的に増えた時期がありました。当時は今と違い魔法に関する情報が関係者には比較的に伝わりやすかった。少しでも有能な魔法少女を、または素質のある存在を色んな思惑を秘めた者たちが勧誘、拉致していた時代だったからです」「勧誘・・・拉致ってじゃあレミも!?」「自ら進んで、とも考えられます。生きるためにはグリーフシードと理解者が必要ですが、あの街にはその全てが溢れている」連絡が無いのは、そして大戦が終わった後にも反応が無いのは何も不思議な事ではない。その理由が死んでしまったからとは限らない。連絡を自ら断つ魔法少女は多い。親や兄妹、友人知人に迷惑をかけたくはないからと自分から離れていく魔法少女は少なからずいる。巴マミのように、もしかしたら杏里あいりのように。逆に魔法の力で自分勝手に我が儘に生きるために周囲の人達と別れる、離れる者もいる。「向こうには知り合いがいます。あの街で・・・いえ世界で最大最高の組織ですから何か情報がないかあたってみましょう。石島さん、椎名さんの特徴を詳しくお聞きしてもよろしいですか?できるなら貴女が調べている他の少女についても」この時点で岡部には向こうに知り合いは存在しない。『シティ』との繋がりは皆無である。ガジェットや過去、未来の話を餌にインキュベーターを通してコンタクトをとる事が可能になるのもしばらく後だ。岡部の持つ知識と経験、ガジェットは『シティ』にいる英雄達にとっても有用なモノ、連絡さえ取れれば今すぐにでも手配してくれるだろう・・・連絡が取れればだが。でもできない。まだできない。できるのなら岡部はとっくの昔に解決している。『ワルプルギスの夜』を、その先を見据えて行動していた筈だ。現在『シティ』との連絡はとれない。正確にはそこで活動している『覇導財閥』の最も深い場所で活動している魔法関係者達と、だ。彼らとは連絡がとれない。それは確定している。収束している。間接直接を問わず彼らに会合できるようになるのは数カ月先だ。文句はいえない。非難できない。彼らは今も世界を揺るがす戦いに身を投じている。今も、この時も、だから呼ぶことはできない。確かに見滝原に現れる『ワルプルギスの夜』は街一つ滅ぼす災害かもしれないが、『シティ』ではそのレベルの災害は日常規模で、彼らは今、それを越える事件に取り組んでいる。世界を滅ぼしうる『救済の魔女』の存在の証明が出来ないうえに、そもそも彼らは音信不通の状態だ。直接『覇導財閥』に乗り込んだところで彼らと出会うことはできないだろう。―――実際、できなかった。「ぁ・・・ありがとう、ございますっ。どうかレミのことを・・・」「ただ向こうの知人に連絡が取れるのはまだ先なので、返事の方は遅くなるのですが――――」「構いません!ずっと手掛かりがなくて行き詰っていたところに、こうして・・・・」「連絡が取れ次第・・・・・それにまだ日本に居る可能性もある。こっちでも何か情報があれば連絡しますので―――」「はい、はいっ」ただ一人、探し続けていたからだろう。石島美佐子は子供のように涙を流して頬を濡らした。知りあって間もない男の話を信じ、差し出された手に救いを得たように震える両手で握り返した。「・・・・・」岡部は彼女に綺麗事を吐くつもりはなかった。希望を持たせるつもりがなかった訳ではないが経験上、彼女の親友は既にこの世にはいないと思っている。ヘタな希望を持たせずに真実を語る。そのために岡部はここに来た筈だ。鹿目夫妻には娘の状況を、今後起こり得る可能性を示唆するために隠さず、例え困難で残酷でも本当の事を話しに来た筈だ。だというのに石島美佐子にはそうすることが出来なかった。もしかしたらコレ以上鹿目夫妻に精神的負担を与えたくなかったのかもしれない。鹿目洵子は既に魔女と遭遇していて、見た目以上に疲労が重なっていると思ったのかもしれないから・・・「・・・・・・違う」違う。そうじゃない。「え?」「あの・・・・椎名レミ・・・さんの写真はありますか?」岡部は椎名レミという魔法少女を知らない。石島美佐子の親友であり、十四、五年前に姿を消した存在に出会った事なんかない。少なくともこれまでの世界線漂流でその名を聞いた事はなかった。『通り過ぎた世界線』でも聞いた事が無い名前。あの時の『覇導財閥』には所属していなかった・・・ただ『椎名』という名字がかつての幼馴染みと同じだったから―――――だからそれだけの筈。―――だけど、何かが引っかかった。「ありますっ」「拝見しても」まさか持ち歩いているとは思わなかった。だけど好都合、こうゆう“直感”が大切なのは長い世界線漂流で身に染みてきた。過去に観測した、またはまだ観測していない各世界線での何かを小さな切っ掛けで思い出す事がある。リーディング・シュタイナー・・・思考や視界に違和感を覚えたら疑い、気のせいだと捨てることなく一応の予想と予感を持って取り組む。気にしすぎ、深く思い込みすぎと捨てる事はできない。自分の成り立ちが既にそんな楽観を許さない。それで失うのは大切な誰かの命なのかもしれないから。「これが失踪する前にレミと撮った写真です」「・・・」写真には二人の少女が写っていた。一人は石島美佐子。そして彼女を背中から抱きしめるようにして写っているのが椎名レミなのだろう。やはり見た事のない少女だ。十数年前の姿ゆえ、今現在と見た目に変化はあるかもしれないが少なくとも今の岡部の記憶にヒットするものはない。「椎名・・・レミ」では何を、何がよぎったのだろうか?本当に微かな何か・・・・・『椎名』の苗字か?今さらかつての幼馴染みの面影を、ただ名字が同じだけで?ありえない・・・とは断言できない。『椎名』の言葉に反応したのは確かだから。しかし引っかかりを覚えたのは『椎名レミ』とフルネームで聞いてからだ。どこかで擦れ違った事があるのだろうか?それとも彼女に関する話を何処かで聞いたことがあるのか、または――――まだ見ぬ未来、世界線で出会う事が出来る人なのだろうか。椎名レミ。十年以上前に消息を絶った魔法少女。生きている可能性は限りなくゼロに近い。見た事も聞いた事もない誰か、なのにどうしてだろう――――「会ってみたいな」自然と、口からその台詞が零れた。■その頃、まどか達は鹿目家の末っ子タツヤをあやしながら今後の予定を話し合っていた。「オカリン達のお話しが終わったらどうしよう?」「ん~、まろかー?」「たっくんはお留守番だよ」「ぶーっ」基本、各ラボメンの家族に状況を説明して夕方からはマミと合流して魔女探索をしつつ今後の話しあい、合体魔法やガジェットの説明と岡部には言われていた。「今度はあたしの家に説明でしょ、ほむらのとこはホントにいいの?」「うん。うちの親は仕事で別々に暮らしているし――――私が魔法少女なのは知ってるから」「そうなの?」「うん」嘘だ。ただ時間を短縮したくてまどか達にはそう伝えていた。岡部とも既に話はついている。他はまだしも自分は既に覚悟を済ませている。わざわざ忙しい両親に負担をかけるわけにはいかない。実際、ほむらの両親は入院していたほむらの治療費を稼ぐために今現在は必死に働いている。退院したばかりの娘の傍に居る事が出来ない現状を思えば、どれだけ切羽詰まっているか、少し想像すればほとんどの人間は深く聞いてこないから、ほむらにしてみれば助かっていた。その想像が、予想が本当かどうかはキチンとほむらが明言していないので別々に暮らしている理由が確かではないが、全てが解決した後にでも、と考えている。とにかく今はこの一カ月だけは不必要に手間を増やしたくないとほむらは考えている。終われば、終わりさえすれば正直に全てを。「でも、まどか」「なに、ほむらちゃん?」「たぶんだけど、まどかは美樹さんのところには行けないと思う」「えっ、なんで?」「下の話が終わったら、まどかは家族の人と一緒に今後の事・・・・話しあった方がいいと思うから」「あー・・・・」さやかが同意するように気だるそうに声を出した。たぶん自分の所もそうなるだろうなと予想できたのだろう。その声には少しだけ不安が見えた。家族で話し合うのは当たり前だ。岡部の話を信じたのなら尚更だろう。冗談抜きで生死に関わる問題なのだから、それも回避不能に近い事柄だけに答えが出ないと解ってはいても家族だからこそ当人同士の話は絶対に必要だ。少なくとも鹿目洵子は実際に魔女の脅威に触れてた人物、岡部達と共にいた方が安全だと解ってはいても娘を手元に置いていたいだろうし、どっちにしても彼女の性格上、話し合うことは確定だろう。「でもさ、その場合岡部さんとほむら、それにユウリがメンバーじゃん?」名前を呼ばれたメンバーが顔を合わせ、さやかが言わんとする事を理解して「あ・・・」と気まずそうな顔をする。美樹家と面識のあるまどかが同行しなかった場合、いったいさやかの家族にはどう見えるのだろうか?ほとんどが見知らぬ人間だ。そんな存在が魔女だの魔法だの話しても、はたして・・・。普段から岡部は妄想壁がある人気の先生として訳のわからん人物だし、一昨日にさやかは制服を駄目にしているし帰宅もしていない。心配し帰宅を迎え入れた所でいきなり荒唐無稽の話をされれば病気の心配・・・最悪警察を呼ばれるかもしれない。魔女の存在を知らずにいたら自分達だってそうだろう。普通は、一般人からすれば異常なのは自分達の現状なのだから。「・・・・私が変身すれば一応、嘘じゃないと信じてもらえると思うけど・・・」「魔女の怖さは伝わらないから、だぶん今後は近づくなって言われるんじゃない?」「?」ほむらが最低限の信頼を得られるように変身する場面を直接見せればいいと言うが、ユウリ(あいり)の言葉にまどかは首を傾げた。「どうゆうこと?オカリンは別に―――」「アイツだけじゃない。さやかは“まだ”魔法少女じゃないんだ。なら危険な魔女に関わらなければいい、それに関係する連中にも・・・アイツがどんなに説明しても、“異端であるのは私達だけだ”。まどかの母親と違って魔女をまだ知らないから、さやかを私達から離そうとする」「い、いやいやっ、さやかちゃんの両親はなんだかんだ岡部さんの事は信頼してくれているから!そうじゃなきゃ例えまどかが一緒でもお泊りなんか許してくれないよ!」「だといいけどな」反論にそっけなく返されて少しだけ嫌な予感を浮かべてしまい、さやかは顔を伏せる。自分の家族に限って・・・しかし事が事だ。絶対にないとは言えない。立場が逆ならどうだ?自分は魔女に殺されかけ魔法少女とも出会った。キュウべぇとも会話したし今では完璧に岡部の話を信じているが、これが魔女とも魔法ともキュウべぇとも出会う前だったら?仮に魔法少女が変身する場面を観ても、キュウべぇに触れて幻覚ではないと認識しても―――――だからこそ、そんな存在は遠ざけようとしないか?異形を、異端を避けるように、幽霊や化け物を忌避するように自己の防衛反応から拒絶しないだろうか?さらに自分の知り合い、家族や友人が“そんなもの”の近くにいるのだと思うと怖い筈だ。「・・・・うーん」「さやかちゃん?」そう思い、そんな事を考え、美樹さやかは結論を出す。「まあ、なるようになるっしょっ!」と、あっけなく軽く言葉に出した。「・・・・は・・・?」「いやユウリ考えてもみなよ?今ここで私が考えてもこの後に相談しに行くんだしウダウダ悩んでも関係なくない?」「いや・・・そうだけどもっとこう、対処しようとかないの?」意外な反応だったのか、ユウリ(あいり)は両手を体の前で謎のゼスチャーをしながら意見を求める。この時のほむらはユウリ(あいり)と同じような面持ちだったが、さやかの反応にまどかは普通そうにしていた。長年の付き合いの賜物だろうか、特に不思議がっていない様子に何も言えなかった。もちろんこの時のさやかには不安や恐怖は当然のようにあった。信頼うんぬんを抜きにしてしまえば岡部の話は突拍子の摩訶不思議、気を疑う内容なのだから多少の、もしかしたらもっと酷い事になるのではないかと気持ちが沈みそうになる。だけどそれこそ事が事。それに岡部はどっち道この件は絶対に話す気なので今更どうしようもない。さやかだって解っている。家族の協力が必要だ。いや魔法少女になる気は今のところないが場合によっちゃ契約するかもしれないので、やはり事前に家族には説明しておいてほしいと思っている。自分一人じゃそれこそ病院に送られるだろう。「対処しようがないじゃん。あたしからも両親には話してほしい・・・事後報告とか駄目だよね?だって魔女に出会った以上、素質がある以上は狙われ続けるんでしょ?いつのまにか契約してたーなんて、ビックリさせちゃうよ」いつのまにか自分達の娘が人外のパワーを手に入れていた。魔女に狙われていた。逆の立場になってみよう。相談すらされなかった事に、どう思うだろうか?また、急すぎて受け止めきれず、そこから娘を■■扱いしたら、されたら、それこそ立ち直れない。だから思うのだ。美樹さやかは考えた。“そんなことになる”前に知っていてもらいたいと。「ま、いざとなれば岡部さんが何とかしてくれるでしょっ」「・・・・信用しすぎじゃない」「そ、れ、に、あんた達もいるしねー」「・・・・ふんっ」「デレるなデレるな!」「デレてない!・・・抱きつくな!」「愛い奴め愛い奴め」「ういあつめ!ういあつめ!」そっぽを向いたユウリ(あいり)の背に抱きつくようにさやかが跳び付くと、それを真似るようにタツヤもユウリの背中に乗っかり始めた。正確にはさやかの背だが。魔法少女である彼女なら押し返せる筈だが小さな子もいるからか、されるがままに押し倒された。べちゃ、と三人が仲良くもつれ合っている様を眺めているまどかとほむらはつい笑ってしまった。まどかは思う。相変わらずさやかちゃんは前向きだなーと。その姿と在り方が羨ましくて、とっても頼りになるな、と。彼女が居なければ死んでいただろう、彼女が居なければ自分はもっと沈んでいただろうと。だけどほむらは思う。前向きな彼女が実はこの中で一番精神的に打たれ弱い事を知っているから怖い、と。もし家族の理解を得られなかったら?自分の親友やその幼馴染が・・・・それに自分自身を家族に拒絶されたら?彼女は傷ついて、壊れてしまうのではないかと不安になる。「そのときは、どうするんだろう」岡部倫太郎に、それとなく訊いてみたとき彼は言った。正体不明の、この時間軸で初めて会った男は簡単に言ったのだ。最悪、理解を得られなくても構わないと。―――敵になってでも、味方になってもらう「・・・・・」どういう意味だ?それは誰に対しての言葉?あの男は“何をするつもりなのだろうか”。「ううん、今は・・・・」岡部倫太郎に関しては置いておく。今は信じてくれる事を、理解してくれる事を願う。真っ直ぐなさやかを育てた両親だ。きっと大丈夫だと信じる。だけど・・・怖い。まどかの家族は大丈夫そうなので安心したが次は解らない。どの時間軸でも美樹家との接触はまったくと言ってもいいほど無かったから不安が込み上げてくる。初見の相手との話し合い。その先にあるのは仲良くなりたいと思えるようになった少女の家族からの拒絶と、それと同時にさやかが傷つく事かもしれない・・・・・。「大丈夫だよ、ほむらちゃん」隣いるまどかが手を繋いでほむらに優しく伝える。「え?」「オカリンが大丈夫って言ってくれたんだから、きっと大丈夫だよ」自信を持って、まどかが力強く言ってくれるから、繋いでくれた手が温かくて優しいから、それにつられるようにして、ほむらは笑った。気の抜けた、だけど柔らかい笑みで応えきれた。もう少し気を抜いてもいいのかもしれない。時間が空けば自分はすぐに武器の調達、体に不具合がないか調整の意味を込めての戦闘も行いたいと思っているが今だけは良いかと。「・・・」だけど思うのだ。彼女は知らないからだ、と。ほむらは知っている。彼は、岡部倫太郎は自分と同じなのだと。大丈夫だと断言し、今度こそと立ち上がりながらも、それでも何度も何度も失敗している。岡部倫太郎、鳳凰院凶真。自分の知らない事を知っていて、今までなかった事象を運んできたイレギュラーな存在。未来ガジェットを駆使し魔法少女とその関係者をまとめようと動く優しい人、そんな彼ですら―――未だに未来を勝ち取っていないのだ。■とある病院の一室で、とある少年は悩んでいた。いやさ状況はきっと思春期の少年なら喜ぶ場面であろうことは彼とて理解している。ラノベや漫画でしか訪れないようなシチュエーションが起こっているのだから恐らく今の自分は喜びに震え、神様に感謝すべきなのだろう。現実は二次元のように優しくないし都合も良くない。ご都合主義のハッピーイベントもちょいエロ展開も起きやしない。そう思っていたのにどうだろう、目の前にあるのはまさにそんな場面ではないだろうか?病院の個室、開け放たれた窓からは心地よい風が通り、食後の体を優しく撫でて眠気を誘う。そんな空間にて大きめの一人用(二人でも就寝可)ベット、そこに腰掛けるようにしながら少年が少しだけ視線を動かせば視界には真っ白な少女のおへそが見える。「・・・・・」――――いやいや待ってちょっとちょっとこの部屋の住人である上条恭介は難しそうな顔で悩んでいた。「」zzz「・・・・・完全に寝てる」今、彼のベットを堂々と占拠して爆睡している少女がいた。思春期の男子中学生の前でまさかの暴挙、ナニ・・・もとい何をされても文句は言えても・・・・いや完全に世論を味方にするのは難しいだろうが全員が敵にはなるまい。神名あすみ。彼女は汗でベタベタになった体を同室に配備されているシャワーを使用して清潔にし、温かいお湯でリラックスした所で上条から半分譲ってもらったご飯を食べて・・・気が緩んだのか無防備にも、大胆にも、そのまま寝こけてしまっていた。最初は何やら警戒していた彼女だがいかんせん、お風呂後のご飯とお昼の温かい時間帯と優しい風によって眠気を最大限に発揮されウトウトとし始めた時には真っ白な毛布を軽く体に被せるようにして引けば、彼女は速攻で意識を手放してしまった。「いやいや無防備すぎだよね」今、彼女の身に着けているものは病院のガウンと呼ばれる着物タイプの入院着だ。「・・・・」追加で語るなら、彼女は下着をはいていない。「・・・・・・・・・・・・・・」そもそも彼女は正規の患者ではないのだからガウンを身に着けている時点でおかしいのだが、それには訳があるので略。彼女は昨日からずっと毛布に包まっていて汗を大量にかいていた――――で、汗をシャワーで流したのは良いが着替えを持っていない。だから彼女は仕方なく上条の着替え用のガウンを拝借したのだが下着は当然のことながらなく、さすがに下着まで上条から借りるわけにもいかず現在に至る。至ってしまっている。なかなかにスリリングな着こなしだった。着こなしと表現しては国語の成績を疑いたくなるが、彼女のためにもそう表現するしかない。「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」おへそが見えている。観えている。「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」ガウンとは着物タイプ。つまり一枚の服。背中から被り腕を通し前の方でヒモを締めるだけの簡単浴衣。彼女は下着を着けていない。そんな少女が目の前で大の字で眠っている。寝息がやけに大きく聴こえるのは窓から流れてくる風以外の音が無いせいだろう。「・・・・・・・・・ギリギリなんだけど」ポツリと上条少年は零した。「」zzz理性が、ではない。「毛布、掛けた方がいいんだろうけど掴んで離さないし・・・・どうしようかな?」彼女はノーパン状態で寝ている。おへそが見えるくらいに浴衣は肌蹴ているが幸いな事に致命的な急所はギリギリで“今のところは”隠れている。が、もう少し大きな風が、または足を少しでも開いたら大惨事である。大事故で大事件。今後の人生で忘れられないイベントを知りあって間もない少年の前で提供しようとしている。「リネン室の場所は知らないし・・・・でも看護師さんを呼ぶ訳にもいかないからなぁ」この状況が不味い事は上条少年も理解している。唯一の毛布をあすなが胸に抱きしめて寝ているので被せる物が無い。第三者に現場を見られたら危険だ。だぶんきっと刻一刻と自分は危険にさらされていると自覚。休日ゆえに神出鬼没で表れるクラスメイトもだが、看護師の身周りも休日だからこそ割と頻繁にある。仕事が平日と違い一旦落ち着くと空いた時間で身周りの回数が増えるのだ。クラスメイトと幼馴染みは朝にやってきたので出現率は低いが油断はできない。目撃されたら此方の言葉を聞くことなくジェノサイドしにくるだろう。看護師の場合は・・・・それはそれで面倒臭いことになるのはあきらかだ。「悠木さんが来ても一悶着ありそうだし。うーん」悩む。「」zzz「もう、気楽に寝ちゃって・・・」溜息を零しながら上条は寝汗をかいて額に張り付いている少女の前髪を払う。「まったく、僕じゃなかったら危なかったかもしれないんだよ?」今この瞬間も既に事件のような気もするが、幸いな事に上条少年は無防備に素肌を晒す少女に欲情することはなかった。不思議な事に、自分でも首を傾げるほどおかしな事に微塵にも砂塵にも邪な感情が沸いてこないから上条は逆に不安になる。まさか入院生活の果てに不能にでもなってしまったのだろうか?「でもちゃんと朝方は・・・・・うん、大丈夫大丈夫、僕はまだ大丈夫っ」自分を励ますように鼓舞して少年は背中からベットに倒れる。「ふぁ、あー・・・眠い」となりで寝息を零す少女の邪魔にならない程度に身を寄せて瞼を下ろした。やはり不思議とドキドキしたりしない。幼馴染の面影があるからなのか、身近に異性を置く事が出来る。眠い。煩悩が産まれないほどに。お昼御飯は少女と分けあったから少し足りなかったが、お見舞いのお菓子で足りない分を補給したのでお腹は満たされている。だから風が心地よくておまけに隣で気持ちよさそうに寝られてしまっては睡魔に抗えない。「おやすみ、神名さん」そう告げて少年は目を閉じて意識を手放した。この瞬間にも誰が訪れるか解らない病室で、半裸よりも開放的な恰好の少女をすぐ隣に眠りにつく。思春期にも関わらず目の前の美味しそうな可愛らしい無防備な“それ”をスルーして、いっさい手を出さずに安心して睡魔に身を委ねた。「「・・・」」zzz優しい風と、すぅすぅと少年と少女の寝息の音だけが病室に流れる。幸いだった。何もなく何もしていない空間だけど尊い時間だ。少女はあまりにも無防備すぎて、まるで誘っているかのように見えていたが少年にはそうは“魅えなかった”。きっとそれで良かったのだ。本当に。彼女にはそんな気は微塵にも無かった。これが自然体で、これまでが・・・そう受け取ってくれなかっただけだ。異性の前で無防備に寝てしまう少女も、そんな異性を目の前に何も思わない少年も、異常かもしれない二人だけど傍から見れば奇跡的な時間を過ごすしていた。今の状況を知れば少女は二重の意味でダメージを負いかねないが、それでも将来、今を思い出せば幸せだったと思える時間になっていた。少年は無自覚ながら孤独な筈の少女に■■へのきっかけを与えていた。だけど足りなかった。この時が、二人で過ごした最後の幸福の時間だった。意識する事も、自覚する事も出来なかった唯一の時間だった。Pi電子音。携帯電話だった。“まだ何もされていない”ただの携帯電話。上条恭介の所有物。病院内とはいえ個室、電源はONのままだから受信は可能な普通の携帯電話。■■■と対面してから時折壊れたかのように電子音を鳴らすが、何度確認しても何も無い。受信はおろかアラームですらない。経歴も残っていない。Pi鳴って、また停止する。すぐに止まるから上条もほとんど気づかない。気づいても気にしなくなってきた。Pi気づかれないように、電子音はまた鳴った。■「『我が支配こそ最上なり【I am the rulebook】』!」謳うように、誇るように少女の声が木霊する。見滝原の都市開発区画から遠く離れた路地裏で、その声から逃げるように双子の魔法少女が息を切らしながら全力で走っていた。魔法少女の全力だ。強化された脚力は一蹴りで数メートルも前に進む。垂直の壁だろうが高低差が自身の身長を越えようが全ての障害物を粉砕し、時には足場にして前進する早さは生身でありながら自動車にも並ぶ。彼女達は疾走し続ける。彼女達は逃げ続ける。「はあっ・・・はあっ・・・つっ」「お姉ちゃん急いで!」聴こえた声。奇跡を孕んだ魔法の名前。その意味をその加護をその役割をその威力を――――このままでは“身をもって知ってしまうから”先行する妹の方の魔法少女は後ろに振り返って姉を叱咤する。「このままじゃ――――ぁ」「え?」妹の声に顔を上げた姉の魔法少女が見たのは、見てしまったのは―――自分を追い越した黒い影が妹の首を引き千切った場面だった。目を見開いた妹の瞳と視線は合うが何もできなかった。一瞬で、ともに魔法少女になり今日まで一緒に戦ってきた妹が二つに分かれた。上と下に体が別れた。何が起きてしまったのか理解する前に彼女は足を踏み外してしまい頭から地面へと落下する。ゴシャ、と鈍い音と同時に鈍痛が、次いでザリザリと全身を紙やすりで削るように痛みを感じながら地面を転がっていく。「―――――ぇ?」一緒に聴こえたのは妹の体が落ちた音。起き上らないといけない。逃げないといけない。動かないと・・・・・。「・・・えぇ?」だけど起き上れない。逃げきれない。動けない。両足が膝から消失している。「あ、あれ・・・?」現実を拒む脳が、目の前の光景を否定する思考が自らの動きを妨げる。視界がぼやける。魔法少女にとってこの程度の転倒など問題ない筈なのに視界が回復しない。体を動かしたくない。これ以上は声も出したくない。知覚したくない聞きたくない感じたくない。何も、どれも反応したくない。どれか一つ、何か一つでも受け入れたら逃避することができなくなる。気を失いたい、眠ってしまいたい。そのまま全てが終わっていればいいのに。「あっれーっ、もう逃げないですか?このままじゃお姉さん・・・・妹ちゃん?まあどっちでもいいですか」眠ったまま殺されていたい。「あなたこのままじゃ、いま死んじゃったこの子―――」分かっています。解っています。それがどんなに幸運なことか、相手を選ばずに喧嘩を吹っ掛けた私達がバカでした。でも、どうかお願いです。「ほら、首ちょんぱされたこの子よりも悲惨な目にあいますよ?」早く、殺してください。私は魔女になんか産まれたくない。「でも・・・・あなた、きっと勘違いしてますよ?」人形のような小柄な魔女からパスされた“それ”を、動けない魔法少女に見せつけるようにしながら妹を殺した魔法少女は言った。ぽたぽたと新鮮な血と何かが垂れ続ける“それ”をブラブラとさせながら、それ以上はないだろう絶望が、どうでもいいと言うようにキッパリと宣言する。「無残に殺されたこの子は苦痛を味わうことなく死ねたから幸せです」動けない自分の目の前に屈んであっさりと言った。「これから身に起こる事を予感し、それが一番の絶望と思える――――そう思えるあなたも幸せです」自分達二人の周りを複数の魔女が取り囲むようにして静かに並ぶ。大きさも形態も様々な多種多様な魔女の軍団。動かず、喋らず、乱れず統率されている異様な光景がそこにはあった。「なによ、これぇ・・・なんで魔女がっ」倒れている魔法少女は状況が理解できないでいた。理解したくない、が正しいが“これ”を外野から観戦していたとしても理解なんかできなかっただろう。「この程度が絶望だなんて、勘違いしちゃダメですよ?」魔女を従える魔法少女に喧嘩を売って返り討ちにあった。その過程で魔法少女の真実を知らされた。証明するように目の前で偶然通りかかった魔法少女が――――絶望し、その果てに妹を殺した。生まれてからずっと隣にいた妹を殺された。その後、自分は絶望し妹を殺した奴の言いなりになる。これ以上の不幸が、絶望があるのか?「あなたは運がいい。きっと他の子が羨むくらいに」無表情で言いきる少女には何があったのか、想像すらできない。ずっと傍に居た存在を無残に失う事よりも、自分が人外のモノへと成り果てる事よりも深い絶望があるのか?きっと彼女は知らないだけじゃないか?失っていないのだから、殺されないのだから、変貌しないのだから、被害者の気持ちを加害者である彼女は解らないだけだと――――「あんなモノに出会う前に終われるんだ。関わる前に死ねるんだ。羨ましいよ・・・・わたしは、あんなモノ見たくなかった」佐々の表情を見て何も、彼女は言い返せなかった。「わたしが、優しく終わらせてあげるね」数分か数秒か、その程度の時間が経過したときには世界に新たな絶望が、呪いが、魔女が悠木佐々の目の前で産まれた。「『我が支配こそ最上なり【I am the rulebook】』」多くの魔女に囲まれながら佐々が傘のようなステッキを向ければ、生まれたての魔女は佐々の前に頭を下げて支配下にはいった事を行動で証明する。その姿に先程までの震えや恐怖は微塵も感じられない。何もない。羨むほどに、妬ましく思うほどに。この魔女には失意も自暴も失望も悲観も、何もない。その存在自体が呪いと絶望で出来ているのに、生まれる理由と産まれる過程があんなんなのに、その姿は醜くとも完成している。「一人殺しちゃったけど、これで、わたしの戦力は十三・・・予備のグリーフシードもある」過剰な戦力。十分な補給資材。躊躇いは無く覚悟は有る。これで殺せる。今度こそ逃がさない。悠木佐々。魔女を従える希有な魔法少女。有能な誰かを自分に従わせたいと願い魔法少女になった少女。いつか、何処かの世界線で岡部倫太郎を殺す事ができた存在である彼女は、ずっと怯えていた。そのための戦力強化。そのために他人を利用する。「わたし達には、もう逃げ場なんかないんだ。だったらわたしは――――何がなんでも生き残ってやる!」宣言は世界に。誓言は己に。「利用されるなんてまっぴらだ!世界のため?知った事か・・・・っ、わたしがじゃない―――この世全てがわたしに尽くせ!」怖い、恐ろしい。世界が汚くて醜くて暴力的なまでに理不尽であることを知ってしまった。“あんなモノ”なんか知りたくなかった。理解したくなかった。見たくなかった触れたくなかった。だけど触れてしまった。だから死にたかった、そして絶望しかけた・・・だけど幸か不幸か自分の生来の性格か契約時の願いが関係あるのか、自分は“アレ”に触れても正気を保つ事が出来た。一瞬だが、それは奇跡だった。相性と呼んでもいいかもしれない。魔法少女のソウルジェム、その秘密、魔女化に関して“だけ”知れば絶望し、魔女に堕ちるか自暴から死んでいただろうに、アレに対しては耐性があり、かつ、そのおかげで“魔女化程度の真実に絶望”せずにすんだ。まず間違いなく自分は幸運だ。そう思い込むようにしている。“アレ”に触れてしまって世界が嫌いになりかけたが、だったら自分の思いのままにすればいいと考え直した。世界が汚い。いいじゃないか。世界が醜い。良しとしよう。世界が酷い。結構な事だ。世界が冷たい。歓迎しよう。世界が理不尽だ―――ああ、最高だ。だってそれなら、わたしだけじゃない。不幸なのも全部が全部一緒だ。平等だ。誰にでも訪れる。誰にでも与えきれる。ずっと不幸な奴はいるだろう。みんなから嫌われて笑い者にされ、何をやってもうまくいかない人間もいるだろう。ずっと幸運な奴もいるだろう。みんなから愛されて恵まれて、何をしなくても認められて成功する人間もいるだろう。だけどそれは切っ掛けが無かっただけだ。今のわたしのように、たった一つの大事でも意外でもない偶然だけで全ては覆る。幸福な奴も不幸な奴も、善人も悪人も、金持ちも貧乏人も、男も女も子供も大人も加害者も被害者も―――――「運命なんか関係ないっ、奪ってやる!それに運が必要ならわたし以外の全てを犠牲にしてでもなぁっ」ようするにタイミングだ。幸も不幸も運命すらも切っ掛け一つで覆せる。運が良ければ良い。運が悪ければ悪い。当たり前だ。だから運、だから運命。同じ内容でもタイミング次第で結果は変えきれる。変わる。同じでも変化はある。物語は変動する。運命は捻じれて歪む。それでいい。悠木佐々はそれでいい。世界を歴史を運命を歪めろ。■戦いに敗れ死にいたる魔法少女よりも魔女化する者の方が多い。そうでなければ世界に魔女がこうも溢れてはいないだろう。ほとんどの魔法少女が奇跡を起こし、願いを叶えてなお絶望し果てていく、その最大の理由は?力不足?理解者の有無?それとも―――「“タイミングが悪かっただけだ”」魔法少女が絶望し、死んでいく原因の一つを岡部は口にした。その言葉に洵子からの強い視線を岡部は感じた。鋭く、批難する攻撃的なそれは、表に出せない鬱憤と重なってとても素直に岡部には感じられた。その意味は解る。『簡単に言うな』『手前勝手を押し付けるな』『立場が違う』『当人以外には解らない』。それ以外にも多くの事を込められている視線を受けて、それでも岡部は口にする。何度も観てきていながら、何度も失敗していながら、何度も繰り返していながら――――偉そうに大胆に勝手に宣言する。「実際、ほとんどの魔法少女達がそれを調整するだけで魔女化を回避できる」やり直しがきかない。一度堕ちれば最後、普通の人間にはあるはずの『次が無い』から対処できない・・・それが魔法少女だ。だから岡部の発言はおかしい。矛盾がある。だけど岡部は自信を持って言える。何度も繰り返してきたから、それを直接目のあたりにしているからだ。「ああ、勘違いしないでください。当たり前ですがそれが全てではない。だけど親や友人にも連絡することなく姿を消す魔法少女も実のところ多い。それは何も魔女に返り討ちにあったわけでも魔女化してしまったから、というだけじゃない」「それは・・・・」「周りに迷惑をかけたくない。が一番多いですね。行方不明になっていた日本の少女が『シティ』で何食わぬ顔で生活している場合もあります。彼女達はタイミングが悪く、そうするしか道がなかった」「その子が・・・魔法少女だったから?」「伝えるきっかけ、出会うきっかけが無かった。ちなみにあの子の場合は日本では魔女狩りに限界を感じたとか・・・あの街は宝庫ですからね。夢も希望も絶望も呪いも充実している」「岡部、念のための確認だが『シティ』ってのはあの・・・・アーカムか?」「ご存知の通りです。あそこには魔法少女を支援する世界最大の組織もありますから上手く関わる事が出来れば問題ないでしょう」「問題ないって・・・・おい岡部、結局お前はその組織とやらの何を知ってんだよ。いつもの厨二的発言ならブッ飛ばすぞッ」「ママ」「・・・・・・・すまん」和久の叱責を含んだ声かけに洵子は岡部に謝る。やはり内心は穏やかにはいかない。岡部もそれを知っているからか、特に気にすることなく話を進めていく。「いえ、しかしこれは本当の話です。あの街はある意味で魔法少女にとっては鬼門ですが『覇導財閥』に保護してもらえれば世界で一番の安全を確保できる・・・・そんな場所でもあります」「レミも・・・もしかしたら、そこに?」「可能性はあります。シティに限らず世界各地に魔法少女の集まりで組織される存在は確認されていますから、シティ以外の組織にも可能な限り確認してみましょう」「・・・・・頼めるの?レミの・・・・存在を?」「はい」安受けだ。期待させといて絶望への糧になる可能性の方が遥かに高い。「『椎名レミ』の容姿だけでなく性格も含め後で詳しく教えてください。十数年の歳月が経っても契約者次第では年齢を重ねない者もいますし、魔法少女として生き抜けるような生来の性格はそう簡単に変わりませんから―――・・・・・石島さん?」放心、まさにその言葉が当てはまるだろう。岡部の正面で一人の女性が、長年積み重ねてきた何かを崩していく様を晒した。まだ何も解決していない。親友の安否は依然不明のまま、既に亡くなっている可能性が高いのは話からも想像できる。しかしそれでも今の彼女は、ずっと追い求めてきた彼女は少なからず報われていた。十数年だ。思春期からずっと行方知らずの親友を追いかけて警察官にもなった彼女はこれまで進展と呼べるものが全くといっていいほど無かった。「ほんとうに、ありがとう」それがこうして、突然、一気に進展し始めた。魔女に襲われ死にかけて、だけどその甲斐あってこうして情報が沢山手に入った。親友のレミの事だけじゃない。もしかしたら最近行方不明になっている少女達についても何か解るかもしれない。そこからまた親友への手がかりも掴めるかもしれない。彼女達が魔法少女なら、それこそ現役の彼女達なら何かを知っているのかもしれないのだから。大切なのはタイミング。確かにそうだ。岡部の時もそうだった。伝えるのも、訊くのもタイミング一つで状況が激変する。場合によってはそれで運命が変わる重要なファクターだ。『真実を知るタイミング』『誰かと出会えるタイミング』、それが重要だ。早ければいいと言うモノでもないし、遅ければ手遅れになる。だから気をつけなければならない。それまでに状況を整えなければならない。ラボメンにおいてもそうだ。美樹さやか、巴マミ、特に彼女達はそのタイミングを間違うと一気に魔女化への道を、破滅への道へと踏み外す。「では今後の課題及び予定を確認しましょう。あなた達の携帯電話にガジェットを仕組ませてもらう」だから少しの妥協も許されない。必要なら一般人だろうがこちら側に引き込む。そして知っている自分は、経験してきた己は背負わなければならない。それは回避できる事であり、覆す事が出来るのだから。「険しい道ですが今のところは大丈夫です。明日明後日には少なからず予防策が講じられますから、それまでは一つ、協力してください」一つ。言わなかった事がある。一人だけ他とは違う人間がいる。『上条恭介』。彼がいれば鹿目洵子と石島美佐子は魔女との『縁』を無かった事にできる。この少年だけは岡部が巻き込む事を前提にしている存在。美樹さやか、千歳ゆまとは違い、魔法に関わっていようとそうでなかろうと関係無しに、だ。魔法少女。魔女。インキュベーター。ノスタルジアドライブにシュタインズゲート。本来なら、それらと関わることなく蚊帳の外であるべき人種である少年こそが物語を加速させ、なによりも終わった筈のお伽噺を今に繋げてみせた。岡部倫太郎が諦めても、彼は諦めなかった。終わった筈の岡部を、次へと繋げてみせた。皆が忘れても、ただ一人忘れずに背負い続け抗い続けた。岡部倫太郎のように。暁美ほむらのように。巻き込む事を約束した。■鹿目家での会談後。熱い日差しを避けるようにしながら、または人目を気にするように路地裏を主に進んでいく主に女子中学生で構成された集団がいた。岡部達である。大通りを少し離れただけで左右をとても高い壁、それが迷路のように続く道が都市開発が進む見滝原には数多く存在する。両サイドの壁は天を見上げれば空を仰ぐことはできるが、前を向けば迷子必至といわんばかりの冒険味溢れる分かれ道が何度も続く。一応、それらの道が汚く狭い訳ではない、むしろゴミを見つけるのが難しいほど清掃はいきわたり道幅も広い。だが、やはりこの手の場所は野蛮な人種が利用しやすいので学生や女性は緊急時以外には利用を控えた方がいいだろう。今もこの道の先、角を曲がればそういった連中が屯していた。四人からなるガラの悪い風貌、挑発的な態度、明らかに厄介事になるであろう人間がいるとも知らずに岡部達は警戒心も薄く踏み込んでいった。角を曲がればそんな連中とエンゲージ、しかし女子中学生の集団の先頭を歩いていた岡部が出くわしたのは幸いにも彼の求めていた人物だった。「ん?」「お?」赤い髪をポニーテールにした気の強そうな少女、口元にはお菓子、その手には何故か大きな白い箱、そして足元にはボロボロの男達。赤毛の少女が既に野蛮な連中を成敗していた。佐倉杏子、魔法少女である彼女からすればただの人間など両手が使えなくとも足だけで問題は無かったらしい。「おおバイト戦士!」「は?」鹿目家との会談を終えて女子中学生(+α)の集団である岡部達は次に美樹家へと向かっていた。その道中に岡部の事が気になっていた杏子やルカの発案の元、急かされるように合流することになったのだ。これから美樹家へと出向くのに見知らぬ人間が大部分になるのはどうだろうかと思うが、合流する人間が全員魔法少女なので説得にはもってこいかもしれない。ただマミはともかく杏子の見た目はヤンキー、ゆまは親を喪ったばかりなので美樹家への同行は途中までにすべきかと岡部は考えている。「それにアイルーも健在か!」「ふぇっ!?」ともあれ、それはともかく、まあ先の事は置いといて岡部は二人に出会えた事を心から喜んだ。佐倉杏子と千歳ゆま。通り過ぎたいつかの世界線で岡部倫太郎を支え、鳳凰院凶真を取り戻してくれた少女達。大切で、いつか必ず迎いに行くと約束した二人、例えあの世界線の二人とは別人とはいえ大切な人達。彼女達は自分の事を何も知らない。あの時間を何一つ憶えていない。一緒に笑った事も喧嘩した事も、支えた事も突き放した事も、抱きしめた事も、泣いた事も・・・きっとその齟齬が不協和音を招く、そのズレが関係に罅を入れる。だけどそれでもいい。こうして出会えた。生きて、考えて、こうして触れる事が出来るのだから。「キョーコ!キョーコ!」ゆまが杏子の後ろに隠れパーカーの裾を引っ張り訴える。「あのオジサンなんか怖い!」「ごふっ」―――おにーちゃーん♪いつか、どこかで確かにあった記憶を思い出しながら岡部倫太郎は地に伏した。「おい!?」「鳳凰院先生!?」突然、まるで電池の切れたライトのようにフッと体から力が完全に抜けて地面に対しいっさいの抵抗も無いまま前のりに岡部は倒れたから・・・驚いたマミとあいりは叫びながら岡部へと駆け寄った。「えっとっ、あまり得意ではないですけど回復魔法を・・・・鳳凰院先生っ、私の声が聞こえますか!?」「急にどうした大丈夫か!?」うつ伏せに倒れている岡部にマミは回復魔法を、あいりは岡部の体を支える。二人は急に倒れ込んだ人間を介抱しようとしていた。「あー・・・・なんだ?アンタ等の連れ、持病持ちか?」「いやー・・・・うん。たぶん違うんじゃないかな?」「うぅ」「ほら、ゆま大丈夫だ。あの変なオッサンなら倒れてるだろ?怖がるこたぁねえよ」杏子の問いに、さやかがなんとなく言葉を濁す。この場に鹿目まどかはいない。彼女はほむらが予想した通り家族会議中だ。本当ならさやかの親とも面識の有る彼女にも同行をしてもらったほうが説明ははかどるのだが、事が事なだけに仕方がない。「ごはぁ!?」そんなわけでフォロー役が一名減っている。その一人が岡部のダメージ原因を早期に察してくれるのだが今現在いないのだから仕方がない。「先生!?」「おいおいしっかりしろ!意識を強くもって楽しい事を考えるんだ!」「うう、た、楽しい事・・?」あいりのアドバイスに、岡部はかつての世界線で杏子とゆまと過ごしていた短いが、しかし貴重で今の自分を形作っていた時間を思い出そうとした。杏子が悪態を吐きながらも隣に立ち、ゆまがちょこちょこと自分の後についてきていたあのころを。思い出せば大丈夫だ。今の自分からすれば過去にいる彼女達の事をただただ深く想起する。今すぐにあの頃のようになれるとは思っていない。だけど決して届かない相手じゃないと思える、そんな二人だ。だが思い出とは美化されやすく、だからこそ現実は冷たく惨い。「キョーコもう帰ろうよ、オジサンはいいから・・・・マミおねえちゃんの家で遊んでる方がいいようっ」「まあ待てって、こんなんでも若いらしいぞ?それにマミがいうには今後の事を相談する分には良いらしいし、もしかしたら役に立つかもしれないだろ?」なかなかに辛辣な台詞だった。「げふっ」岡部の精神的ダメージは大、中々にしたたかに殺しにきていることを彼女達は気づいていない。ゆまも杏子も悪気は無く、ただただ純粋に思った事を口にしただけだ。ゆまは男性、というよりも大人に見える岡部に苦手意識が持っているが本当に悪気はない。ゆえに純真に正直に思いを口にしただけだ。杏子はマミの事を考え岡部に対し少なからず対抗心と呼ぶにはまだ小さいかもしれないが思う事がある。しかしそれは無しに口にしたのだ。まあ出会うなり意味不明の渾名をぶっこんでくる外で白衣を纏った男にいきなり言われれば誰だって警戒し身構えるだろう。良い気分はしないだろう。不気味で気味が悪い、それを考慮すれば二人の対応はもしかしたら優しいのかもしれない。「・・・・・ね、ねえオジサン」「お、おうなんだ?あと俺はオジサンではない」「・・・?オジサンだよね?」「い、いや違う。俺はまだ大学生・・・・まだ成人もしていな――――」「えッ、じゃあなんでもうオジサンになってるの!?」「がはァッ!?」「ああっ!?岡部さんが急性肺結核に!」子供は残酷だった。「佐倉さん酷いわ!」「あー、岡部さん普段から気にしてるのにズバッと・・・・これは謝るべき」「さすがに今のは酷いだろ」「えっ!?なんでアタシに言うんだよ!?」ゆまはまだ幼い、しかしだからと言って何を言ってもいい訳ではない。何気ない一言や呟きが人間関係に与える打撃は大きい。今回は岡部だけにダメージがいったが、いつか取り返しのつかない事態に陥る前に物事の接し方や察し方を身に着けておくべきだろう。そしてそれは最も彼女に近い人間、家族である杏子の役割、ゆまの年齢を考えれば仕方がないと断言するのは・・・『姉』として見本、教育すべき立場の者として責任を取らねばならない。あとはほぼ初見の年下の子に皆で責め立てるのはいかがなものか、と思ったりしたので杏子に『自分達が説明したら嫌われ・・・怖がられそうなので、後でキチンと説明ヨロシク』と言葉にすることなく伝える。「ぐぐ、だ、大丈夫だ!この鳳凰院凶真、これしきの事で膝をつくわけには―――」岡部がリカバリを完了し、数多の世界線を越えてきた鋼の精神力で立ち上がれば「そうですね、気にすることは無いと思いますよ先生。純粋な子供に素直な気持ちで単純な事実を指摘されただけですから」「おぅふッ」「あら先生、心臓病も併発しましたか?」ほむらが無表情に毒を吐いた。「暁美さんっ、ああ鳳凰院先生お気を確かに、ゆまちゃんには悪気はなくてただそのあの・・・・っ」「い、いやいいんだマミ、自分でも老け顔なのは自覚している。だから・・・・・・大丈夫だ」マミがフォローに入れば岡部がすぐに意志を奮い立たせる。今はまだ折れるところではない。ここで折れるならある意味で幸せだがしょうもない。かつて『おにいちゃん』と呼んでくれていた子から『オジサン』と呼ばれる苦悶は果てしないモノがあるが岡部は先を急ごうと意思を総動させ顔をあげる。「オジサンさっきからどうしたの?お腹いたいの?」「優しさは嬉しいが刺さるっ」「?」首を傾げる様子は愛らしい。ゆまは岡部に対して抱いていた恐怖心は薄れてきたのか杏子の背から出てきてトテトテと近づいてきた。最初は怖がっていたというのに、ゆまは本来なら物怖じしない性格なのかもしれない。キュウべえから事前に教えてもらっている情報で、この世界線でも虐待にあっていたと知っているだけに自分を恐怖の対象にしていない事実は嬉しいモノがある。「ふ」「?」自然と笑みが零れる。この子は本当に自分の癒しだ。ただ傍に居てくれるだけで頑張ろうと、力が沸いてくる。「ふ、ふふ・・・フゥーハハハ!魂に刻むがいいアイルーよ!我が名は鳳凰院凶真、世界に混沌を齎す狂気のマッドサイエンティスト!バイト戦士共々今日からラボメンに任命し―――!!」「キョーコ!やっぱりこのオジサン怖い!変だよおかしいよ!」―――だからといって、すぐに調子に乗っては駄目だと学んだ岡部倫太郎だった。見た目同様中身は33のオジサン、魔法に深い関係がある感情を沸かすためとはいえ年相応に落ちつきも本格的に導入すべきか、とやや自虐的に考え始めた岡部は目尻に浮かびそうになる涙を必死に我慢し高い塀に囲まれた、まるで切り取られた青い空を見上げ続けた。再び杏子の後ろに隠れたゆまは警戒心をMaxに涙目で岡部の様子を窺っている。その仕草が岡部をより追い詰めていることに気づかないのは、きっとこの時点では仕方がない。「えっと、なんだ・・・・すまん?」杏子はとりあえず謝った。天を仰ぎながら停止している男の不気味さはなかなかクルものがあるが事の発端は此方にあり、岡部が未成年に見えなかったのは真実だが言葉にする必要はなかった。かつては教会の人間、見た目で感じた事をダイレクトに伝える正直さは時に人を深く傷つけることを知っている。何気ない言葉一つで人は最悪、死ねるのだ。今回の件ではそこまではいかないだろうが気をつけるべきだろう。自分一人で生きていくならともかく、マミに指摘されたようにこれからは隣にはゆまがいるのだ。それに、ゆま自身も親に虐待されてきた経緯がある以上きっと言葉による罵倒を何度も受けてきた可能性もある。例えゆまに向けられた言葉ではなくても何が起因になるかはわからない。今後は自分の生き方を見直す必要がある。ゆまの身をどうすべきか判断はまだできないが、それは絶対だ。例え今を別れても、いつか出会えたときに胸を張れるようにしたいから。「アタシは佐倉杏子。こっちが千歳ゆまだ。バイト戦士とかあいるー?ってのが何なのか知らねぇが、マミの知人ってことでヨロシクな」思う事は沢山あるが今はこれでいいかと杏子は自分に納得の気持ちを持った。マミの事、ゆまの事、どうしたらいいか分からない事ばかりだが目下の目的は目の前の男だ。岡部倫太郎。マミが言うには魔法少女の内情に詳しく、こちらの力になってくれるとの事だが、それはお人好しのマミ視点だからの可能性も高い。マミの信頼している奴を疑いたくはないが今のところ岡部の事を疑っている。疑心も不安も高まっている。(・・・・・・いや、普通に変だろコイツ?)当たり前だが自分は一人の女だ。いや女とか関係なく、一個人として目の前でぷるぷると震えながら天を仰いでいる白衣の男には警戒心を抱く、抱くべきだろう。これがマミの知り合いでなければとてもじゃないが『ヨロシク』なんて声をかけきれない。一人で遭遇していたら有無を言わさず無力化していただろう。この男はいろんな意味で怪しさ抜群だ。身の危険を抱いて当然。警戒心を顕わに対処すべき存在だ。「ああ・・・・こちらこそ、よろしく頼む。期待しているそバイト戦士」「佐倉杏子だっ」それでも我慢。今は耐える。普段からこのテンションなのだとしたら勘弁してほしいところだが、父の教えを思い出し深い心と広い見解で様子を見てから始めるべきだと言い聞かせる。もしかしたら可哀そうな奴かもしれない。もし今後、この男が何かしら自分達の役に立つというのなら優しくしてあげればいい、慈愛の精神で接すればいいのだ。それなら双方がWINWINな関係でいられる。誰も損はしない極めて良好で健全な付き合いだ。その過程でマミの曇った視点を修正すれば十全でもある。「マミから聞いたが、その子とこれからは一緒に?」「ん?あ、まあ正直な話、情けねえけど今後の事はなんも考えてねぇんだ」「そうか」念話かキュウべぇを通してか、マミから既に聞いていたのかと杏子は少しだけ顔を歪めた。きっと今の発言で岡部には自分の事を誤解されたかもしれない。子供が、さらに小さな子供を助けて善行を働きそれに悦を憶え、しかし後先を考えていない奴だと。初見の相手にそうゆう風に思われるのは癪だが、事実マミに言われるまで気づかなかっただけに、今は違うと言い返せない。訂正も、できない。「・・・・・・どうすればいいのか、何をしたらいいのか、ゆまにとって何が良くて悪いのか、周りの目もあるし今のとこ警察とかに捜されているのかも分かんねぇから、だから―――」「ゆまはキョーコと一緒がいいッ」「・・・ん、ありがとな」おまけに何を初対面の人間に弱音を見せているのか、ゆまにまで励まされる始末。失態だ。情けないところを、不甲斐ないところを晒してしまっている。マミだけなら、それでも良かった。だけど此処にはそれ以外の人間が居て、最初でこの醜態、先行きが不安になる。誤魔化すように袖を引いてくるゆまの頭を撫でるが、周りから見れば誤魔化しようがないだろう。「そうか、なら協力しよう」だけど上からかけられた声には杏子を非難する色は無く、視線に子供扱いをする見下しも感じない。考えが浅いと言わず、先に対する心構えも問わずただ杏子の言葉を受け止めた。意外に思って顔を上げて杏子は岡部と視線を合わせる。深く、重く考えていないのか岡部の表情からは自分が抱いた未来への不安は感じられない。「は?」千歳ゆまの両親は魔女の結界内で死んで既に遺体はこの世界には存在しない。それだけでも問題は山のようにある。自分の子供を虐待するような親だが、それでも親だったのだ。生活の中心、帰るべき場所、身元を保証する存在。それをゆまは失っている。生活の基盤を、この国で生きていくための道標を、当たり前のルートを喪失している。彼女の親族はゆまをどうするのだろうか?捜索願?まだ行方不明になっている事にも気づいていない?今後の生活はどうする?義務教育、履歴書、証明書、真っ当に生きていくには必要で、必ず手に入る筈のモノが手に入れきれない状況。「先の事で不安に思う事もあるかもしれないが遠慮なく相談してくれ、これでも多少のツテも経験もある」「・・・簡単に言ってくれるな。アタシはゆまに真っ当に生きてほしいんだ。それが大前提の絶対条件、このままアタシと一緒にいたんじゃ難しいだろ」「簡単じゃないが不可能じゃない」「アタシは『真っ当に』、と言ったぜ?」「不可能じゃないと言ったぞ」真っ当に。マミにも言われた。ゆまは自分を見て感じて育っていくとしたら盗みといった悪徳は今後控えなければならない。元よりそれらを進んでやろうとは思わないが、いざという時には必要と考えてはいた。しかしもう駄目だ。いざ、という言い訳はできない。それをするくらいなら公共機関に託すべきだと気づいてしまったからだ。そもそもそれが正当で間違いのない正しい道なのだから、それ以外の道は、真っ当からは反れた道でしかない。ただ、ゆまが自分のせいで魔法少女になってしまったから、それすらも正しい選択とは言えなくなった。「・・・・・・おいおい、アンタまさかガキ二人が一緒に暮らしていけると思ってんのか?」「お前たちほどの年齢で一人暮らしの子供だって今じゃ珍しくない。現にすぐ近くにいるだろう」「・・・・・・」例えば巴マミ。杏子の知らない所では美国織莉子など。「ゆまは、その・・・・今は大丈夫でも異変に気づかれたら警察とか」「その辺もまあ大丈夫だ」「・・・・・いや、無理だろ?」まさか名前を変えたり整形したりして今を捨てて新しい人生をスタートさせるとかじゃないのか?そう予想し杏子は苦渋の面を浮かべる。どう運ぼうが新たな人生のスタートに変わりはないが、出来ればそれは避けたい。名前を変え、姿を変え今までを捨てとなると、ゆまにはそんな―――「まあその辺は後で」「おい!?」普段使わない思考を巡らせる杏子に対し、あっさりと岡部が話題を変えようとするから杏子はついツッコミをいれた。軽い。この重大で重要な問題をまるで手慣れ解き慣れた問題のように扱う様に不安を感じてしまう。重要性を感じていないのか気づいていないのか、それ以上に何か気にかかる事でもあるのか岡部は先送りにする。マミの推薦した人物とはいえ、やはり気は許せないかもしれないと杏子が思ったとき岡部から問われた。「今後の課題に対する対処法や説明は後だ。いま最も俺が確かめないといけないのは君たちの意思だ」「うん?」「?」杏子だけではなく、杏子の後ろに隠れるようにしていたゆまも恐る恐る顔を岡部に向けて首を傾げる。「何をどうしたいのか、それを隠さずに教えてくれ。協力はするが君たちの願いを正しく知っておきたい。俺の勝手な予測で勝手に手配すれば後々面倒になる」「なんでもいい・・・の?」杏子よりも先に、ゆまが動いた。怖いのに、それだけ彼女にとって杏子は大切なのだろう。「ああ」「キョーコと、一緒がいい」「それだけか?」「一緒に暮らして、一緒に戦うの・・・・」「・・・そうか、君はもう魔法少女になっているんだったな」「う、うん。キョーコを助けたかったのっ」と、ゆまは杏子の顔色をチラチラと確かめながら言葉を吐き出していく。ゆまは少しだけ怯えていた。岡部に対してじゃない、杏子に対してだ。ゆまが魔法少女になるきっかけは杏子の負傷だ。魔女に隙を晒してしまい絶体絶命のピンチに陥ったときに契約し、杏子の命を救った。四肢切断と言う重傷を一瞬で完治させる回復魔法の使い手として。ゆまは褒めてもらえると思った。今まで要らない子として虐待を受けていたが杏子の命の恩人になれた。自分を助けてくれた人を救える役に立つ人間になれたと、小さな子供が抱くにはどこか重い感情を実感したのだ。きっと褒めてもらえる。頭を撫でてくれる。杏子は自分を大切にしてくれると夢想した。それはたった一度きりの契約で、魂を懸けた願いで成せる奇跡を捧げるのに十分な理由だった。だけど杏子からは叱られたのだ。頬を打たれ怒られた。本気で、真剣に、自分の行いを真っ向から否定された。自分を思っての言葉と怒りなのだと理解はしている。だけど悲しかった。だって、それこそ一度きりの奇跡を捧げたのに―――――「そうか、ありがとう。杏子を護ってくれて」礼を言われたからビックリしたのか、頭に乗せられた大きな手をゆまは拒むことなく受け入れた。「―――――」「ゆまがいなかったら、きっと俺は泣いていたな」このとき顔を上げたのは、ゆまだけじゃない。「――――ぁ」ゆまが契約して救われた少女、佐倉杏子だ。「う・・・うん!ゆま、頑張ったよ!」「ああ、えらいえらい」わしゃわしゃと頭を撫でられるも嬉しそうにはしゃぎ始めた少女に、自分はお礼を言っただろうか?感謝の意思を伝えたか?と杏子は顔を伏せた。文字通り自分は命を救われた。たった一度きりの奇跡を捧げられた。今後は魔女との戦闘が人生の一部になる事を承知の上で、だ。杏子はゆまに伝えた。誰かのために奇跡を願うなと、たった一度しかない奇跡を他人を思って祈るなと。それでもなお、差し出された奇跡に救われて自分は果してこの小さな少女に・・・・。「フゥーハハハ!ゆまは良い子だなー!」「きゃあー♪」と自分の不甲斐なさと無神経さに軽く絶望しかけている目の前で岡部に抱きあげられ、何故かぐるぐるとコマのように振り回れつつも楽しそうに悲鳴を上げるゆまを見ていると意識を取り戻せた。(・・・・・あとで、またきちんと礼を言っておこう)何も遅いわけじゃないだろう。取り返しのつかない過ちを犯したわけじゃない。もし本当に感謝の気持ちを伝えて無かったとしたら間違いなく自分はクズだが、それでも――――「きゃー♪」取り戻せると、無くしていないと、失わないと思える。「・・・・ま、少しは信用してもいいか」小さく、誰にも聞こえないように杏子は呟いた。数秒でゆまの警戒心を霧散させ、速攻で懐かれている岡部は変だが、一応・・・気づかせてくれた事には感謝してもいいかもしれないと思い、戯れる二人に視線を向ける。「オジサンは変な人だけどっ、おもしろいね!」瞬間、岡部が地に伏せた。「―――とっ、とと・・・・あれ?オジサンどうしたの?」すぽーんと宙に投げ出される結果になったゆまは魔法少女としての身体機能からか無難に着地、テテテとついさっきまで抱いていた警戒心は完全に失せたのか、倒れた岡部のすぐ隣にしゃがみ込んで岡部の体をゆさゆさと揺さぶる。「オジサン大丈夫?ねぇねぇ」そして無垢なる子供は残酷な言葉を叩き込む。「あっ、もしかしてオジサン“こつこしょうしょう”の人?」・・・骨粗鬆症?「お年寄りはギックリ腰とかあるの、ゆま知ってるよ!」「お年寄り!?」「うん!大丈夫、ゆまがオジサンの骨を元気にしてあげる!」「まてアイルー、俺は別に――――ではなくて俺はオジサンではなくお兄さん―――」「え、オジサンでしょ?」「純粋に首を傾げられた・・・・これでも俺はまだ未成年だ」「え!?」すぐ近くで驚く声が聴こえたが気にしたら傷つきそうなのであえて無視する岡部。「みせいねん?」「大人にもなっていない子供って意味だ」「え!?じゃあなんでもうオジサンになってるの!?」「・・・・・ただの老け顔だ」「キョーコ老け顔って何!?ゆまの魔法で病気って治せるかな!?」「岡部さん気を確かに!ちょっと杏子って言ったっけアンタ!?流石に酷いじゃない!岡部さんはガラス細工のように脆い小さいハートの持ち主なのよ!未だに学校の先生たちから三十代はおろか四十代にも間違われているのを皆で隠しているのにっ」「いや待てアタシのせいにすんなよって言うか今のお前の台詞にさらにヤバイ感じに傷つけたんじゃ・・・・」「鳳凰院先生しっかり!もう佐倉さんっ、言っていい事と悪い事があるでしょ!確かに周りと比べると多少はその・・・・年季・・・・・・・風格?があるからって老け・・・・・・・人の身体的特徴をひろって傷つけるなんて酷いわ!」「マミたぶんお前のつっかかった台詞のせいで痙攣が激しくなってるけど・・・・・だからアタシは何も――――」「キョーコ!ゆまはオジサンのこと別に嫌いじゃないから虐めちゃ可哀そうだよ!老け顔って病気もきっと治るから大丈夫!」「止めを刺すな・・・・・え、なにこれって私の監督不届きってやつなの?」納得のいかないまま杏子は皆に責められること数分。「いやいいんだうん・・・・周りが異常に若々しいこの世界がどうこうではなく俺自身が、そう俺だけが老けているだけであって、そもそも元の世界でだって年齢以上に見られた事は何度もあったじゃないか、だから――――」「オジサンオジサン、ゆまは魔法少女だからオジサンの老け顔が治るように頑張るからね!」きっと励まそうとしていて、残酷に刺してくる少女だった。「ゆまは、うん、良い子だなぁ・・・・・純粋で、うん」「そうですね。正直で嘘のつけない良いお子さんじゃないですか。ええ、先生もそう思いますよね?」嬉々として煽ってくる人間が一人いるせいで・・・“ねらー”だからか、煽りがうまい。「貴様はこの状況の意味を知っていての発言か!?」「どうしたんですか先生そんなに熱くなっちゃって?過老ですか?」「・・・・・『過労』って言ったんだよな?」「ふふ、何ですか急に?」「否定しなぞこの女」「え・・・・・・否定?何故?」「く、この不思議そうな顔をっ」岡部が落ち込んでいる様をメガネほむらは微笑みながら見降ろしていた。杏子から見て暁美ほむらは三つ編みメガネの優等生にしか見えないのに、その表情はSの資質を兼ね備えている気がする。杏子は思う。マミはお人好し、黒髪女はS、青髪は責任を最初に自分に擦り付けてきたし岡部は若干キモ・・・・変だ。ゆえにこのメンバーでは残った金髪ツインテールの女がマトモかなと思い視線を向ければ――――「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ユウリ?」「え!?」「は!?」「!?」杏子の零した名前にユウリ(あいり)と岡部、ほむらが目を見開いて反応する。ゆまとさやかとマミは『?』と首を傾げるだけで、口にした杏子は三人の反応に咄嗟に一歩分の距離をあけてしまった。あいりは、いなくなった自分の親友のことを知っている人物がまた現れたことに期待と戸惑いを。岡部とほむらは、これまで佐倉杏子の口から飛鳥ユウリ、正確には他の魔法少女の話を聞いたことが無かったから困惑と疑問を。あいりは思う。地元から離れ見滝原に来てみれば親友の過去を知る者と次々と出会えると。岡部は思う。何故こうも、この世界線は次々と今までになかった事が起きるのかと。ほむらは思う。杏子は前の時間軸でも知っていたのか、それともこの時間軸限定なのか、と。物語が加速する。登場人物と観測者が増え本来なら繋がらない者同士が会合し保管し合って濃度を濃くしていく。誘われたように色んな人物が見滝原に集まってきている。もしそうなら誰が、なんのために。自然か偶然か、当然か必然か、誰も観たことのない物語が紡がれようとしていた。「・・・・・あら、そういえばルカは?」マミはキョロキョロと周囲を見渡すが双樹ルカの姿がどこにもない。一方、岡部達と共にいた石島美佐子も姿を消している。キュウべぇは鹿目家でまどかと一緒だ。石島美佐子が疲れているにもかかわらず美樹家へと同行するのは大人であり社会的地位が確かな警察官であることから説得の際に少しでも親御さんに対して信頼を得られるようにするためと、彼女自身が岡部やユウリともっと話がしたかったからだが、その彼女の姿がいつの間にか消えている。双樹ルカと共に。「こんにちは石島さん。ご健在のようでなりよりです」「双樹・・・さんでいいのかしら?――――あなたも、魔法少女だったのね」「私のこともご存知で?」「ええ、行方不明のリストの中にあなたの写真もあったわ」「ふふ、管轄外の地域なのに真面目ですね」「親友のためよ」「素敵です」そう離れてはいない建物の屋上で初対面のはずの二人は向かい合っていた。一方的な情報だけを持って彼女たちもまた会合を果たす。物語は加速する。岡部倫太郎や暁美ほむらを介することなく物語は前回とかけ離れていく。奇跡と呪い、希望と絶望が色濃く集まっていく。■―――『繰り返してもらう。何度でも、死んででも』そしてここにも一つ、誰もが予想してなかった現象が起きていた。―――『皆に恨まれて嫌われて、傷ついて死にかけて、世界中が敵になっても戦ってもらう』少年はまだ一度も触れていない、観測もしていないのに受け取っていた。―――『そして『不正【エラー】』『異常【エラー】』『破綻【エラー】』『疑問【エラー】』『循環【エラー】』『不解【エラー】』『不明【エラー】』『損失【エラー】』「ぅ、ぅぅ・・・!?」一瞬、脳裏にノイズのようなものが走り上条恭介は頭を押さえた。場所は病室、いつの間にか寝落ちしてしまい、しかしいきなりの頭痛に目を覚ました。隣には既に少女の姿は無い。「ぁっ?ガがガががが!?」感知してはいけないモノを神経が拾った様な、見てはいけない角度を向いてしまったような、何かと何かが繋がる異質な感覚。記憶じゃない。自分が経験したものじゃない情報。自分の脳ではない何かが記録し管理している情報の断片。何万枚、何億枚もの写真映像を連続で高速で見せつけられている。知覚する前に次々とバラバラな光景を雑音として叩き込まれていく。痛いのか、痒いのか、それを判断する間さえ与えてくれない情報の波。そのほとんどは意味を成さない。理解できないし記憶できない。その記録は今の自分には苦痛以外の何も与えてはくれない。いっそのこと死んでしまいたいだけの時間。「・・・・ぁ、あああああああ!?」それは一瞬の筈だったのに痛みが引かない。脳が悲鳴を上げている。対処しようにも頭を押さえて叫ぶことしかできない。もう何が原因かも判らない。だから自分がなぜ苦しんでいるのかも分からない。冷や汗が止まらずベットのシーツを掻き毟るように集め、額に押し付ける。記憶にも記録にも残らない何か、誰にも語られることのない物語。語られない、だけど知ることができる者はこの世界に一人いる。全世界線を通して一人。『神様』なら、あるいは知っているのかもしれない。でも『悪魔』は知らない。『観測者』も識らない。彼だけが知る事が出来る。『岡部倫太郎』が諦めた後の世界の末を。当事者である『英雄』には成れなかった『魔王』、ただ一人。『鳳凰院凶真』を諦めなかった世界の御伽話。見滝原には現在、全てのラボメンが終結していた。