「お二人とも、今日はこの後どうするのですか?」 「ん? あ、ごめん、あたしとまどかはちょっと用事があるんだ」 「お二人でですか? そういえば今朝からなにか目と目で会話しているような様子も……いつの間にか、お二人はそういう関係になってしまったのですね。いえ、もしかしたら、昨日からそうなってしまったのでは」 「あ、あの、仁美ちゃん」 「いいのですわ。そうなってしまった以上、私は素直に身を引くのみですの」 よよよ、とわざとらしい態度を取りつつも、それではお先にと言って帰っていく仁美に、さやかは苦笑、というよりにがわらいと表現した方がいいような、困った笑みを浮かべて言った。 「判ってやってるんだとは思うんだけど、なんというか、ひょっとしたらって思わされちまうんだよなあ、仁美には」 「私もそう思う」 まどかも少し困惑気味だ。見た目も実際もお嬢様で通る仁美であったが、これがあるせいかラブコメにあるようなラブレターの山とかにはなっていない。 「ま、仕方ないか……仁美にはキュゥべえ、見えてないみたいだしな」 『だね。こればっかりは仕方ないよ』 実は今日、キュゥべえはずっとまどかと一緒にいた。だがそれに気づいているのは、まどか、さやか、ほむらの三人のみ。他の誰も、キュゥべえに反応することはなかった。 『それでは私はお先に。ちえみを迎えに行ってくるわ』 そこにほむらからのテレパシーが入る。キュゥべえがついていたのも、この中継が目的だ。 ほむらが出て行った後、まどかとさやかも教室を出た。 「しっかし魔法少女、ねえ。そういえばさまどか、まどかはそうまでしてかなえたい願いって、考えてみた?」 「ううん、考えては見たけど、全然思いつかなかった」 「だよなあ。実質的には困らないとはいえ、ある意味ゾンビ化だもんなあ」 「そういう言い方は、マミさんに悪いと思うよ」 「それもそっか。ま、そのことは考えないようにしないとね」 二人で会話しながら、見滝原の広々とした道を歩いて行く。 「そういえばさ、まどか、ほむらの夢見た、っていってたよね」 「あ、そういえば」 まどか自身、いろいろあったせいですっかり頭からそのことは飛んでいた。 「最初はなにそれって思ったけど、こうなってみると、意味あるのかもしれないな」 「前世のあれ、とか?」 「いや、さすがにそれは飛びすぎだと思うけどさ、ほら、キュゥべえの中継とはいえ、テレパシーなんていうのも使えるくらいだろ。だとしたら、やっぱ電波みたいなの受け取っちゃったとか、未来予知みたいな力が出てたとか」 「じゃあもしあたしが魔法少女になったら、そういう力がつくのかな」 まどかは自分が魔法少女になった姿というのを想像してみる。と、ピンクのフリルがついたドレスっぽい服に、弓を片手にしている自分の姿がふっと浮かんできた。 「なんか私は弓かなんか構えている気がする」 「ほお~、まどかは弓使いですか。じゃああたしは剣かなんかかな」 『魔法少女の手にする武器は、資質と性格と祈りによって変わるみたいだね』 キュゥべえが合いの手を入れてくる。 「やっぱそういうものなの?」 まわりを憚って声を落とすさやか。 『明確な法則がある訳じゃないけど、少なくとも祈り……魔法少女の契約の際に掛けた願いは間違いなく影響するよ。昨日の話だと、巴マミは命の救済、回復を願ったわけだけど、この能力は魔法少女にとっては一応基本能力に入るんだ。そのほか、祈りの内容が特にそういう事に言及していない場合は、せいぜい傾向程度しか影響はしない。マミの武器も、祈りとはほぼ関係ないしね。だけど逆に明確な方向性があった場合は、思いっきり強く影響する。 昨日のみんなだと、ちえみが一番はっきり影響しているね』 「ちえみちゃんが?」 まどかの疑問に、キュゥべえは答える。 『具体的なことは彼女のプライベートだからぼくが勝手に言う事は出来ないけど、彼女は知性に関する祈りによって魔法少女になったんだ。そうしたら彼女が得た武器は、昨日君たちも少し見た、あの巨大な本だった』 「武器が本って、それどこのゲームだよ」 「魔法少女だから、やっぱり魔法の本なのかな」 『いや、それが』 キュゥべえは二人の感想をあっさり切り捨てる。 『ほむらは少し予想しているみたいなんだけど、あの本は白紙なんだ。だからちえみは、かなり強い……それこそ、死者の一人や二人、死んだという事実そのものを消し去るくらいの願いは掛けられる力を秘めていながら、魔法少女としては何故かものすごいへっぽこになっちゃっている。普通それだけの資質と祈りがあれば、いきなりマミぐらいにはなっていてもおかしくなかったんだけどね』 「そういうもんなのか……だからあいつ、彼女の面倒見ることにしてるのか?」 「ほむらちゃん、見た目は冷たそうだけど、実はとっても優しいんだろうね、きっと」 「そういえばそんな感じだよな、あいつ。ツンデレとはちょっと違うっぽいけど、素直じゃないのは間違いなさそ」 「それは確かかも」 二人の会話は、時折キュゥべえが相槌を挟みつつ、いつまでも続いていた。 いつものバーガーショップには、さやか&まどかがまず到着し、程なくマミが現れた。ほむらとちえみは、おそらく時間ぎりぎりになるだろうと判っていたので、三人は時間つぶしも兼ねてそのままお茶をしていた。 「へへっ、実はこんなものを用意してきました!」 話の中でさやかがバッグから取り出したのは、なんと金属バット。 それを見て吹き出すマミ。 「まあ気休めかもしれないけど、その意気込みは悪くないわ。実際、油断すると危ないから。でも、しばらくはしまっておいた方がいいわ。女子中学生がバット持ってうろうろするのは、やっぱり少し変だと思うから」 「あ、それもそうですね……そっか、野球のユニフォームに着替えとくべきだったか」 まどかも爆笑する羽目になった。 「ちょっと真面目に話すけど」 変になった空気を引き締めるべく、マミが話題を戻す。 「魔女を捜すのは基本的には足頼み。詳しいことは暁美さんが合流してから話すけど、基本的には魔力の痕跡を、強弱を見ながら追っていくことになるわ」 「地道なんっすね~」 「そう。何事も準備は地味で大変なものよ」 「他にはなにか傾向とか有るんですか」 まどかも真顔で質問する。 「そうね。魔女の影響を受けて起こりやすいのは交通事故と喧嘩よ。だから交通量と人通りの多い道とか、盛り場とかが基本になるわ。後、自殺も多いから、人気のない、そういう事に向く場所ね」 「けったくそ悪いなあ。魔女ってそういう陰湿なコトするのかよ」 「魔女は人の心の弱さにつけ込んで、内側からむしばむから。そうそう、魔女に魅入られた人には、印が現れることがあるわ」 「印、ですか?」 不思議そうなまどかに、マミは説明を続ける。 「魔女の口づけ、と私たちは言っているけど、私たち魔法少女か、その資質を持つもの……わかりやすく言えば、キュゥべえが見える人にしか見えない、魔女固有の紋章みたいなものが付けられていることがあるの。正確には魔女がわざわざ付けるのではなく、魔女の影響下に入った人に浮かび上がる、という事なんでしょうけど。 一番多いのが首筋だけど、手の甲とかに浮かぶ場合もあるわ。もしそういうのに気がついたら気をつけて、後すぐ私たちに連絡してね。魔女の口づけが浮かんでいる人は、かなり強く魔女の影響を受けていることが多いわ。もし酔っ払いみたいにふらふらとしていたり、ひどく落ち込んでいたりするように見えたらかなり危険よ。そのまま魔女の結界に取り込まれて……っていう可能性がかなり高いの」 「取り込まれちゃったら?」 「ご想像通り、って事」 「うわぁ……」 きっぱりと言い切られて青ざめるさやか。 「だからそうならない、そうさせないためにも、普段から注意を怠らないようにするのも大切なの」 「はい、気をつけます」 そこまで話した時、マミがふと店外へと視線を向けた。 釣られてさやか達もそちらを見ると、ちょうどほむらとちえみがこちらに来るところだった。 時間を確認すると、ちょうど2時である。 「では、行きましょう」 二人も揃って立ち上がった。 「それではよろしくおねがいします」 合流して改めて挨拶をした後、五人は揃って町中に繰り出した。 「本来ならこの段階では一人一人動いた方が効率がいいんですけれど」 「まどか達のことを考えると、バラバラに動くのは危険ね」 ゆっくり歩きつつ、初心者講座は続いている。 「そういえば、なんで魔法少女は一人で戦っているんですか? ある程度何人かで組んだ方が安心だと思うんですけど」 そんなまどかの質問に答えたのはほむらだった。 「それは昨日の話で言う、裏側の問題になるわ。一言で言えば、魔女退治には、それなりの見返り……いいえ、必要性があるのよ」 「必要性?」 「そう。必要性。魔法少女にとって、魔女を狩るのは義務じゃなくて必須であるという面があるのよ」 よく判っていないらしいさやかの様子を見て、ほむらは言葉を選び直す。 「キュゥべえの契約の話を聞いた時点では、魔女退治はせいぜい義務くらいに聞こえるでしょうね。願いと引き替えの義務。でもね、実際はそうじゃない。人は仕事をしなくても生きてはいけるけど、食事をしなくて生きてはいけないでしょう? 魔女退治には、そういう一面があるのよ」 「それ、なんか全然違く無いか?」 「キュゥべえから見れば、そこにあるのは『魔女を倒さなくてはならない』という事実だけよ。それがあくまで義務なのか、それとも必然なのかは全く意味がない。キュゥべえの物の見方はそういうものなの」 『間違ってはいないけど、悪意を感じるのは気のせいかな』 さすがにキュゥべえがツッコミを入れる。 『むしろ善意よ』 声に出さずに、ほむらも切り返す。そして続きは、普通に声に出す。 「キュゥべえには別に悪意も何も無いのだけど、そういう面での人間の心に対する理解が欠けている面があるわ。彼らからすれば、魔女を倒すことにはどちらの意味でも変わりない。でも魔女退治をする私たちからすると全然違うと言うことを、キュゥべえは理解出来ないのよ。 これは誰が悪いという問題じゃないわ。翻訳のミス、ことわざの解釈違いみたいな、悪意のないすれ違いよ。でも、それを理解しないでいて一番の不利益を被るのは私たちなの。あくまで結果的には、ね」 「なんか難しいけど……何となく判る気はする」 「きちんと相手を理解することが大事なんですね」 さやかとちえみが、揃って頷いていた。 「暁美さんの言うことは少し極論だけど、そういう一面は否定できないわ。それはね、魔女を倒した時に得られる利益のせいなの」 マミもほむらの言葉を否定はせずに補足する。 「グリーフシード、というものが、魔女を倒すと手に入ることがあるの。グリーフシードは、魔女の卵。魔女の力の源である、呪いの塊みたいなものなの。卵と言っても、孵化寸前にならなければ別段危険なものじゃないし、私たち魔法少女にとってはむしろ有益なものでもあるの」 「魔法少女のソウルジェムは、魔力を消耗するとだんだん濁ってくるのよ。そしてグリーフシードには、その濁りを取り去り、魔力の消耗を回復する力がある」 「あれ? ひょっとして」 ほむらが引き継いだ説明を聞いて、ちえみが疑問を口にした。 「私たちの魔力って、自然回復しないんですか?」 「ほとんどしないわ。むしろなにもしなくても少しずつ消耗する方が多い」 その答えを聞いて、さやか達も先ほどの言葉の意味が理解出来た。 「それじゃ魔女を全然倒さないと、そのグリーフシードが手に入らなくて」 「いずれ魔力が尽きちゃうって言うことですよね」 「で、魔力が尽きたら……」 さやか、まどか、ちえみの声が一連なりになる。そんな三人の脳裏に浮かんだのは、昨日ほむらが実演して見せたことだ。 「そう。最後は自分の体すらまともに動かせなくなるわ。そしてその先の最悪に至ることも」 「さ、最悪?」 おびえの入るさやかに、ほむらは冷たく言う。 「魔法少女の負の末路よ。出来れば知らない方がいい、下手をするとそれを知るだけで戦うことすら出来なくなる最悪の事態。文字通りの『死んだ方がまし』。過去何人もの魔法少女が、知ってしまっただけで生きていく気力をへし折られたわ」 「……暁美さん、あなたは、なにを見てしまったの」 そう語りかけてくるマミの声音には、怒りと、優しさと、おびえが等分に配合されていた。 なにか大事なことを隠している怒り。 傷ついてしまったのであろう彼女に対する、同情を越えた優しさ。 そして事実そのものに対するおびえ。 態度には出していないが、昨日ほむらに教えられた事実は、マミを打ちのめすには充分な重さがあった。ちえみの態度と、自らが誓った使命感でなんとか意志を奮い起こしているものの、さやか達の存在がなかったら、多分自分は折れてしまったかもしれない。 だが、おそらく。 もし自分が折れてしまったら、さやかとまどかの二人は、事実を知ってなお自分の意志を継いでしまうかもしれない。そんな純粋な危うさを、マミも感じていた。 特にまどかが危ない。マミはそのことを、ほむらがまどかを見る目を見ていて気がついた。 露悪的な苛烈さに潜む、まどか達を思いやる光。 そんなほむらが隠している事実。それが魔法少女のあの真実よりさらに『重い』ものであることは予測できる。 聞きたくはあったが、おそらくはこの場では話さないだろう、とマミは思っていた。 そして事実、ほむらはそのことに関しては口を閉ざした。 「見ない方が、知らない方が幸せな事よ。過去何人もの魔法少女が、この事実の前に屈したのは事実。私があなたを見て、大丈夫と思ったら、教える日が来るかもしれないわ。 でもね、過去、ちょうど今のあなたによく似た性格の人が、これを知ってしまった現場に私は居合わせたことがある」 沈黙が、落ちた。 マミもじっとほむらを見据えるものの、言葉は発しない。 だが一人、空気を読まない人物が混じっていた。 「それで、どうなったんですか?」 むしろ目を輝かせて続きを待つちえみ。さすがにほむらも少し頭が痛くなった。 さやかも、まどかですらも、空気読めよという目つきになっている。 そしてほむらは、そんな無言の非難に気づきもしないちえみを見て、諦めたように口を開いた。 「……事実の重さに潰れた彼女は、その場で仲間の魔法少女を全員殺そうとしたわ。そしておそらくは最後に自分自身をも。結果壮絶な仲間割れになって、私ともう一人だけが生き残ることになったの」 さすがに今度はちえみも黙り込んだ。 「……昔の事よ。それによほどのことがない限り、マミのペースよりゆっくりでも魔女を狩っていればそこまでに至ることはないわ。そしてそこまでの覚悟を持てない魔法少女は、たいていが最悪に至る前に、魔女に敗れて死ぬことになる」 「暁美さんの言葉は間違いじゃないわ。それをこれから、あなたたちもその目に焼き付けておいてね。戦うことの重さと、怖さを」 そういうマミの瞳が、きっと前方に据えられていた。雰囲気の一変した彼女の様子に、さやか達も気がつく。 「……いたんですか!」 「ええ。見つけたわ」 まどかの問いにマミが答えた時、 「ああ、あれ見て!」 さやかの絶叫が上がった。 彼女の指さす方を見ると、眼前にある廃ビル、その屋上から、今にも飛び降りようとしている人の姿が見えた。 「任せて!」 すかさずマミはソウルジェムを掲げる。それに反応して彼女が付けていたリボンが彼女を包み込み、その姿を瞬時に別の物に変える。 全体的にコルセットなどを含む、スイスかスコットランドあたりを思わせるシルエットに、ファーの付いた帽子という、魔法少女としてのスタイルに。 その後即座に光のリボンが展開し、落下してくる女性をふわりと受け止めた。 「大丈夫ですか?」 心配そうにのぞき込んでくるさやか達に、マミは答える。 「大丈夫。気絶しているだけよ。後、これを見て」 彼女が指さした首筋に、蝶を思わせる入れ墨のようなものが浮かんでいた。 「これが魔女の口づけよ。形は魔女によって違うけど、いわば魔女の紋章ね」 「滅多にはないけど、使い魔が育った魔女は、同じ紋章を引き継ぐわ」 そういうほむらも、既に魔法少女の姿になっていた。 「行くわよ」 改めてマミがそう宣言をする。さやかもしまっていた金属バットを取り出した。 それを見たマミがバットに触れる。すると光り輝いたバットに、きらびやかな装飾がついていた。 「それで少しは使い魔に対抗できるわ。でも無理しないで、あくまでも身を守ることに専念してね」 「マミ、私がディフェンスは引き受けるわ」 「了解」 マミとほむらの間に同意が成立する。 そして三人の魔法少女と二人の卵は、廃ビルの入り口に浮かぶ、結界の接触点に突入した。