ちえみと別れ、ほぼ日も落ちた見滝原を歩くほむら。 その背後に、音もなく忍び寄る者がいた。 『いるのはわかっているわ。話すことがあるのでしょう。ただ、私の視界に入らないでくれるかしら。反射的に殺しそうになるから』 『へえ、現れると同時に僕たちを殺しまくった人物とは思えないね』 振り向くこともなく歩き続けるほむら。その背後に、従うように歩いているのはもちろんキュゥべえだ。 『そう、さっきはありがとうね。ちえみの前では、私のことをおくびにも出さないでいてくれて』 『彼女に君のやったことを教えるのは損な気がしてね』 『正解よ。少なくともちえみに付いているあなたには一切手を出す気はないわ。ただ、鹿目まどか。あれは諦めろ、とはあえて言わないけど、しばらくは様子見に徹した方がいいと助言するわ』 無言の会話が、雑踏の中で紡がれていく。 『どういうことだい?』 『然るべき手順をふめば、彼女は全宇宙をも救う存在になる。でもね、それは必ずしも正解じゃないって言う事よ』 『その言い方、どうやら君はいろいろなことを知っているみたいだね』 『そのことは今更隠し立てする気はないわ』 自分でも少し意外だと思う発言をするほむら。今までほむらにとって、キュゥべえ……インキュベーターは、まどかを騙し、己が目的のために利用する悪鬼羅刹の如き存在であった。 だが今の自分は、インキュベーターに対して、そういう燃えるような憎悪を抱いていない。 いや、まるで自分こそがインキュベーターにでもなったかのように、彼らの利用価値を冷静に計算している自分がいる。 そう、今の『後半戦』になってから、ほむらはいろいろなものに対する感情が変化しているのを自覚していた。 まどかに執着しなくなった。いや、正確には執着する自分を自覚し、最後のために途中を切り捨てるだけの非情さを身につけた。 視野が広くなった。まどかという中心点をあえて外すことにより、まどかの周りしか見えていなかった自分は、今や遙かに広い世界を見渡せるようになった。 その中にはインキュベーターという存在に対する見方もあった。彼らは確かに忌むべき悪魔である。だが彼らは基本的に一切嘘をつかない。それは彼らも認めることだ。聞かれないことには答えない、都合の悪いこと、彼らの目的に沿わない行為を誘発することは説明しない。そういう悪辣な面はある。 だがそれは、裏返せば『聞かれれば答える』ということであり、しかもそれに関して『虚偽を伝えてごまかす』と言うことを一切しないと言っているも同然だ。 彼らは狡猾だ。虚偽を以て交友関係にあるものを裏切った場合、交渉そのものが不可能になるということをよく知っている。だから彼らはあくまでも『語らない』だけなのだ。もし彼らが一言でも虚偽を口にした場合、真実を知って『嘘つき』となじる相手に対して彼らは反論できなくなる。 そしてそれは彼らの計画の破綻を意味する。彼らは原則、どうしても必要であったと他人を納得させられる、緊急避難的な場合以外一切の嘘をつかないだろう。一度でも嘘をつけば、少女達の非難を躱せなくなることを彼ら自身が一番よく知っている。 それが感情を理解しない、インキュベーターを統率する『論理』。 人間からすれば不気味で非情で理解出来ない面もあるが、正しく扱えば、彼らは情報を提供せざるを得なくなる。 そして魔女と魔法少女のことに関して、インキュベーター達は最大の情報源でもあるのだ。 そういったことを踏まえて、ほむらは彼らにある揺さぶりを掛けてみることにした。 なに、失敗してもやり直すだけだ、というすさまじい開き直りも、彼女が新たに獲得したものだ。 一度で成功できないのなら、最後の一度以外は必要な犠牲と割り切る。その壮絶ともいえる非情さを、まどかの世界から帰ってきたほむらは身につけていた。 『キュゥべえ、私の持っている力がわかるかしら』 『いや、基本僕たちは魔法少女がどんな力を身につけるのかはわからない。わかるならもっとうまくアドバイスできるしね。ただ、ある程度の推察は出来る』 『でしょうね。あなたたちは有史以来、この世界を育んできたものなのだから』 女神と化したまどかとの交流の中で、ほむらはそのことを知った。かつてまどかがキュゥべえから聞いた魔法少女の歴史の一端を。 『本当に詳しいね。どこで知ったのか聞きたいくらいだ』 『あなたたちからよ。この事を知るのはあなたたちだけなのではないのかしら』 『いや、ぼくは君にこの事を話したことはないはずだけど』 『でも私は聞いたわ。それが、私が、あなたたちの誰とも契約したことのない私がここにいる理由』 『やはり、そうか。君の能力は並行世界への転移か、時間の遡行か、いずれにせよ、ここ以外の、別の世界からの移動だね?』 正解、と心の中で返答して、ほむらはキュゥべえに探りを入れる。 『だから私はいろいろなことを知っているわ。鹿目まどかの力もね。私の掛けた望みは、まどかとの関わりに関することだった。まだ私が魔法少女でなかった頃、彼女は私のために命を落とすことになったわ』 詳しいことは語らない。彼らは感情を理解することは出来ないが、論理的推察能力は人類を遙かに上回る存在だ。断片的な情報から、真理にたどり着いてしまう可能性がある。 『彼女との関係をやり直したい……そう願った私は、結果として時間遡行の能力を手に入れた。でも皮肉にもね、それがかえってまどかを追い詰める結果にも繋がったわ。 私の影響で、まどかは私が時を遡るつど、二人の間の因果が積み重なって、彼女は最終的に創世に値する力を蓄えてしまったのよ』 『確かに……ありうる話だ』 キュゥべえに人間のような感情はないが、感情そのものが絶無と言うことはない。疾病という形でなら感情があることは彼ら自身が口にしている。それに達成感や喜びに当たる感情が全くない存在には、そもそも使命を成し遂げようとするモチベーションを維持することが難しい。完全にフラットな存在は、そもそも試行錯誤をしないのだ。 だから正確には、彼らには感情がないのではない。人間のように、感情が理性を上回ることがないのだ。彼らの感情は、理性と論理の下位に存在している。 だから彼らは、論理的に正しいこと、理性的に優先されることに対して感情が揺らぐことがない。だが理性的に判断してより効率的なこと、より効果的なことを見出せば、彼らとて『喜ぶ』のだ。 今のように、自分たちの知識にない新しいことを知ったりすれば。 『私がこんな話をあなたたちに伝えたのはね』 そしてほむらは、本命の情報を得るべく動く。かつてのことから、彼らはこの事を理性的に判断することが出来るはずなのだ。 『現在の鹿目まどかが、どのくらいの力を持つのかを、あなたたちを通して正確に知りたいからよ。“この世界”に来る少し前の世界でね、彼女は単なる力でない、因果そのものを書き換えるような願いを掛けて、それを叶えたわ。それまでの単なる『力』ではない、あなたたちが組み上げた、システムそのものを破壊するような願いをね』 『それは凄まじい』 『だから確認したいのよ。彼女と私の間でもつれ、蓄積された因果の糸がどうなっているのか。一度前の世界では彼女はかつてほどの力を持っていなかったわ。だから一度その蓄積がリセットされている可能性も有るの』 『納得したよ、暁美ほむら。基本的に君は、彼女を救いたいんだね』 『ええ。そのことは否定しないわ。でもね、彼女が現在のこの、魔法少女と魔女の間の、希望と絶望のシステムを作り替えても、それでも完全には救えなかったわ。 かといって私がある意味自家撞着に陥っているわけでもないの。私が彼女を救うためにループしているのとも違うのよ』 キュゥべえがそれを聞いて、何となくだが納得したという思いを抱いたようだった。 『あり得る話だね。助けたいという願いが、救いたいという願いが、助ける、救うという目的にすり替わってしまう場合が、君たち人間にはある。そうなれば待っているのは、助けるはずの相手を自分が危機に陥れているという絶望だけだ。僕たち的には効率のいい話でもあるけど、それは今ひとつおすすめできない相談だ。個々のケースでは効率が良くても、そういう事例は他の魔法少女の望みに悪影響がある』 その返答を聞いて、ほむらは一つ納得する。やはり彼らは理性の権化だ。局所的な話題で今の話を振れば、彼らから返ってくるのは、今の答えの前半だけだ。それだけ聞いたら、魔法少女にとっては彼らが悪魔のように見えるだろう。だが、それより大きな包括的な問題として質問をすれば、返ってくるのは今のようなより大きな視点からの回答だ。 『あなたたちならそう言うと思ったわ。だから私はこの話をあなたたちにしている。非情な話だけど、私はおそらく、あと数十回はこの時のループを繰り返す覚悟があるし、する羽目になると思う。あなたにとっての私は一期一会でも、こちらからはそうじゃない』 『実に納得のいく話だ。ぼくは今まで、君ほど理解の及ぶ魔法少女に会ったことはないよ』 そう、大概の魔法少女は、感情に流されてキュゥべえを理解出来ない。当たり前だ。 理解出来ない存在だからこそ、彼らは彼女たちを利用するのだ。 だが一度正しい接触方法が判ってしまえば、彼らはいつも変わらぬ存在としてそこにいる。 『だから私は知らなければならないの。時を越え、幾多の並行世界を旅することを宿命づけられている私が、まどかを、そしてある意味世界を、あなたたちの目的も含めて収まるべきところに収めるために必要なことを。 私とまどかの接触によって蓄積されるという因果のあり方を。それはあなたたちにとってはなんの意味もない雑音かもしれない。でも、この先私が接触する、あなたたち『達』にはそうではないわ』 『やはり君は特異だ。君の話は僕たちにとっては実にわかりやすく、また納得のいくものだ。いいだろう。それは確かに僕たちの利益にはならない。でも君が行く並行世界の僕たちには、間違いなく利益になる。そしてそのことを、君は僕たちに冷徹な理論を以て了承させた。 確認しておくけど、暁美ほむら。君は僕たちが何故このシステムを運用しているのかを知っているんだね』 ほむらは頷く。 『希望と絶望、人の持つ精神のエネルギーを使って宇宙全体のエントロピーを減少させ、その寿命を延ばすこと。それは通常の物理法則を越えるもの。感情を理解出来ないあなたたちには不可能なこと』 『その通りだ。そのために僕たちはこのシステムを開発し、運用している』 『私は今更あなたたちの行為を否定はしないわ。しても無意味だし。だからあなたたちの力を持って調べなさい。私とまどかの間に生じている、因果の絡み方を』 『判った。せいぜい観察させて貰うよ。君はどうするのかな?』 『しばらくはちえみを育ててみるわ。あの子は正しく育てれば大きな力になるのは間違いないの。ただ、私にもどうなるかは判らない』 『それは僕たちの利にも適うね。よろしくおねがいするよ』 『それともう一つ。私がこの世界に滞在する期間は約一月強。その終わりには『ワルプルギスの夜』が出現するわ』 『あれが来るのか。大きな犠牲が出るね』 『倒すにしろ私が敗れるにしろ、あれとの戦いが終わることが私が時を戻すトリガーよ。その時が来たら私の元にあなたを一体派遣しなさい。協力の対価として、私の持っている秘匿情報を渡すわ』 『本当は今欲しいところだけどね』 『今渡したら私が潰されかねないわ』 『だろうね。後付けで、君が去った後の世界で役立たせるとしよう。契約は成立したよ』 そしてキュゥべえは、ほむらの背後から立ち去った。