それは、知る者には破滅の宣告。 見滝原に出る、竜巻警報。 やってくるのは、時を越える魔女。 文明を破滅させる、舞台装置の魔女。 流れる歴史の中、付いた名は『ワルプルギスの夜』。 まどかの祈りがどうしても決まらない、という不安はあったものの、戦いに関しては不安はなかった。 何しろ七度戦って勝てる相手なのだ。一度、もしくは二度なら勝てる。それは確かだ。 だが、そこに奇跡の介入がなければ、最後に待つのは『暁美ほむらの消滅による世界の救済』だ。 それだけはまどかには受け入れられない。 そんな『賢者の贈り物』は受け取りたくない。 まどかは、戦いの始まるその時を前に、未だ悩んでいた。 事情を知る両親は、避難勧告が出る中、まどかが出て行くことを許してくれていた。 最初からみんなの側にいることは今回出来ない。守りの要とも言えるほむらが、敵に意図的に取り込まれることによって消えるからだ。 ほむら無しでただの少女であるまどかを守ることは、負担が大きい。 よってまどかは魔法少女になった時点で参戦することになっている。 「なんか思ったより決まらないのか」 「仕方ない。こればかりは恩人の心の問題だ」 さやかとキリカに、そう言われた。 『君の心からの願いでないと、エントロピーを凌駕することは出来ないよ。ましてや君の力は強大な分、それに見合わない祈りでは無理だ』 キュゥべえにも、釘を刺された。 「まどか、気持ちは判るが、最悪、あたしはほむらを見捨てて世界を取るよ」 杏子にも言われた。彼女の瞳は、自分は自分とゆまを優先させると言っていた。 「ギリギリまでは持たせて見せますが、限界はあると思ってください」 織莉子にも忠告された。 「それでも、待っていますから。かつてのあなたを知る者として」 「まってるよ、まどかおねえちゃん」 マミとゆまに、期待された。 それでもまだ、まどかの心は定まらない。そうしているうちに、戦いは始まってしまった。 少し離れたビルの屋上から見る戦いは、まずこちらが優勢であった。 出現時点でのワルプルギスの夜では、奇跡抜きでも倒せはしないがもはや相手にならない。 あっさりと拘束され、その動きを封じられるワルプルギスの夜。 そしてまどかの見守る中、ほむらはその身をワルプルギスの夜に投じた。 元々ほむらには負の想念が多い。意図的にソウルジェムを濁らせることは難しくなかった。 奇跡抜きで派手に力を使えばそれだけでもかなり濁る。 ほむらは意を決して、ワルプルギスの夜の持つ、瘴気の流れにその身を委ねた。 ほぼ限界までソウルジェムを濁らせたほむらに出来るのは、ただ思考することのみ。 ほぼ五感を断たれた状態で、押し寄せる絶望に耐えなければならない。 そんなほむらが見たものは。 滅び行く世界の、苦悶の声だった。 突然の世界の崩壊に悲嘆に暮れる人々。 死へと向かう苦痛から発せられる絶叫。 全世界でわき上がる、怨嗟の声。 その全てが、ほむらを責め立てる。 私が苦しいのも、 私がいたいのも、 私が悲しいのも、 私が死ぬのも、 全部、全部、全部、おまえのせいだ! そしてそれは、紛れもない事実であった。 ごまかせない事実であることが、ほむらに逃げることを許さない。 (こ、これは思ったよりきついわ) 皮肉にも、『苦しめられる』という事実が、かえってほむらの自我を支える刺激になっていた。変な話、なんの刺激もなかったら、ほむらはあっけなく落ちていたはずだ。 苦しい。だが、苦しむというのは自分があるから。それでも苦しいものは苦しい。 (まどか……お願い) ほむらが祈るのは、ただそれだけ。それを心のよりどころに、ほむらはただ、耐える。 一方、外で戦う者達も、意外なところで苦戦することになった。 まどかはまだ来ない。それでもいつ来てもいいようにと、彼女たちは攻撃の手を休めない。 だが、 「まずいわ! 拘束が外れる」 「それに魔女の顔、なんか変わってきてないか?」 マミの叫びと、杏子の疑問が交差する。 「確か起こすとまずいってちえみが言ってなかったっけ」 「でもひっくりかえろうとしてるよっ!」 前回も使った、マミのリボンとキリカの爪、ゆまの強化魔法の複合で縛り付けられていたワルプルギスの夜が、その拘束をはじき飛ばしながら反転しようとしていた。 しかもその、顔無き顔であった部分に、別人の表情がうっすらと浮かんでいる。 それは紛れもなく、ほむらの顔であった。 「いけませんわ。あれが完全に反転したら、恐ろしいことになります。奇跡の力を使ってでも、それだけは押さえ込まないと!」 「杏子、ゆま、頼む!」 少女達の悲痛な叫び声が上がる。 そして燃え上がる炎。穿たれる攻撃。 だが。 「ま、まさか、あれ……」 さやかの一撃が、奇跡の攻撃が、『六角形の盾』によってあっさりと阻まれた。 「ゼノンス・パラドクス……どこまで守りに長けた魔女ですの、あなたは!」 この中でただ一人、奇跡の炎をともせない織莉子の、心からの叫びが響き渡った。 まどかは、その光景を、見ていることしかできなかった。 「わかんない、わかんないよ、わたし……どうしらいいの?」 その時であった。まどかはあまりにも場違いな何かの音を聞き取った。 ゆったりとした、バイオリンの調べ。それが避難所の辺りから流れてきている。 「これ……上条君の、演奏……」 「そうですわ。まどかさん、あなたは、こんなところで何をしているのですか?」 吹きすさぶ風の中に現れたのは、仁美であった。 「事が魔法少女としての戦いに関わることだと伺っていましたから、敢えて黙っていましたけど、あなたらしくありませんわね、鹿目さん」 仁美が敢えて自分を鹿目さんと呼んだことに、まどかは気がついた。 「何を悩んでいるのですか? それは友達にも相談出来ないことなのですか?」 「うん……これは私が、私の意志で決めないといけないことなの」 そう答えるまどか。そう、この祈りは、誰かのためであってはいけない。自分の意思で決めたものでなくてはならない。 それだけはほむらと織莉子の二人に念押しされていた。 だからまどかは、ずっと一人で考えていた。そして答えが出ないまま、今に至ってしまった。 そう悩むまどかに、重ねて仁美は聞いた。 「でも、そのことを私に言ってもよろしかったのですか?」 「へ? いや、その、私が考えて私が決めなきゃいけないんだけど、秘密にしろとは……言われてないよ」 「……全く。その程度でしたの? 私はてっきり、完全秘匿しないといけないのかと思っていたんですけど」 「え? それって何か違うの?」 「まどか。自分の意思で決めるのに、友人の意見を参考にしてはいけない訳ではないんですのよ。大切なのは、あなたが選んだ、ということなのでしょう? そのための選択肢候補を聞くくらいなら、許容範囲ではないですか」 「あ~っ、そうだったの?」 「まどか……」 仁美はこの一本気で、思い詰めるとどこまでも走って行ってしまう友人に、今初めて絶望した。 「そんな事だったらさっさと私でも仲間の皆さんでも、相談すればよかったのですわ! 自分一人で決めるというのを拡大解釈しすぎです。大事なことは、あなたが選び取ることであり、あなたが望んだことだという事でしょう。いけないのは他人の望みを叶えようとすることであって、人の望みと自分の望みが同じでもそれは別にかまわないのではないですか? やってはいけないのは自分は望まないけどあの人が望むから代わりにかなえようとする行為であって、あなたもまた望むのなら、それはそれでいいのではないですか?」 「ごめん……仁美ちゃん」 「人に出来る事なんてたかが知れているものですわ。今恭介は、避難所で不安がっている人の心を慰めようと、こうして演奏をしているのです。人として出来ることをする。それでいいんです。 ただ今のまどかさんは、ちょっと出来ることの範囲が広すぎて、大きすぎて、迷っているだけですわ」 それだけの言葉なのに、まどかの心には明らかに光が差していた。 「ありがとう仁美ちゃん。なんか思いつけそう」 「でも、それでうまくいかないのが現実というものだったりするものなのですわ」 浮かれるまどかに水をぶっかける仁美。 「実際、私が助言出来るのはここまで。どんな祈りにしようとするかを考えたら、私では無理です。他の方は戦っていますし……」 が、その言葉は、まどかの心に響いた。 「あ、そうだ、キュゥべえ! いるの?」 『もちろん。いつでも僕は君たちの側にいるよ』 まどかの呼び声にしれっと応えて物陰から出てくるキュゥべえ。 ここで今までと違ったことが少し。 「あら、あなたがキュゥべえちゃんなのですね。似顔絵そっくり」 『……あの本の影響で僕の姿も見えているんだね』 「ええ。声も聞こえていますわ」 仁美にも、その存在が認知出来たという事だ。 「あ、キュゥべえ、お願いしたいことがあるんだけど」 『お願いという事は。契約とは別かな?』 「うん。あのね……ほむらちゃんと、お話し出来るかな」 さすがのキュゥべえが一瞬フリーズした。が、少しして無表情のまま返答を返す。 「不可能では、無い。ギリギリ何とか、暁美ほむらとの間に念話を繋げることは出来る……まだ彼女の意思は屈していないからね。ただ、これは暁美ほむらに負担を掛けることになるよ。彼女の持ち時間は、間違いなく減ることになる。それでもいいのかな?」 「うん。その分は、私が補ってみせる」 それはまどかにしては、珍しい決断であった。 ……ほむらちゃん。……ほむらちゃん! 薄れゆく中ギリギリで保たれている意識の中に、そんな声が響いてきた。 それは愛しいまどかの声。 (幻聴? それとも精神攻撃かしら) ひたすら責められている中にそんな声を聞いて、いくらかほむらの精神は浮上する。 気を抜けば一気に落ちかねなかったが、それでもこの誘惑には抗いがたかった。 『もう、ひどいなあ。正真正銘、わたしだよっ』 (まどか、なの?) 『そう。キュゥべえに無理言って、繋いでもらったの』 あいつらが、とほむらは思ったが、それでもこんな状態でまどかと話せるのもうれしいことだ。 まどかは精神的に正座をした。 (それで、なんでわざわざ) 『あのね、ほむらちゃん。私ね……まだお願いしたことが決まらないの』 (まどかっ!) 思わずほむらは精神的に怒鳴っていた。全くこの期に及んでなにを言っているのだ、この娘は。 『ごめんなさい~。どうしようかって悩んでたら、全然決まんなくて。そしたら仁美ちゃんに、一人で悩むなって怒られて……』 (全く。あなたって言う人は) それでもほむらは、まどかのことを思って心が温かくなる。責め立てる言葉も、気にならなくなるほどに。 『ねえ、ほむらちゃん。私、どうしたらいいのかなあ』 (いう事なんか何も無いわ) が、ほむらはまどかの甘えをばっさりと切る。 (誰に聞いても同じ事。こればかりはあなたが決めるしかない。でもね、私からいう事は一言だけ。これ、時間制限きついんでしょう?) 『うん。もうちょっとだって』 でしょうねと思いつつ、ほむらはその一言を言う。 今でしか言えない一言を。 (あなたが何を祈るにしても、私からいう事は一つだけ) 過去を思い、未来を思う。そう、これは今だけのこと。 (一緒に戦いましょう、まどか。あなたが私を守るのでも、私があなたを守るのでもなく、一緒に。だから、待っているわ。あなたが、心を決めるのを) そこでキュゥべえも限界になったのか、ぷつりと念話は切れた。 それは何気ない言葉。ほむらにしても、現在の状況が言わせた言葉。 だが。 その一言は、ほむらの予想以上の衝撃を、まどかに与えたのだった。 「一緒に、頑張る。ほむらちゃんと、一緒に」 「……まどか?」 突然ぶつぶつ呟きながらうずくまってしまったまどかに、仁美は声を掛けるが、まどかは反応しない。 まどかは、その脳裏に、わずかな間ながら、魔法少女としてほむらと戦った記憶を思い出していた。 最初はマミさんと一緒にほむらちゃんを導いて。 キュゥべえのことで喧嘩して、仲間割れして、それでもほむらちゃんと2人で頑張って。 時間を戻せるって言ったほむらちゃんに、バカな私を助けてってお願いして。 そんな事を知ることも出来ず、ほむらちゃんのこと何も知らなくて。 別の時間では、逆にほむらちゃんに戦い方を教えてもらって。 それでもやっぱり負けちゃって。 そしてあの祈り、神様になっちゃう願いを掛けて。 ほむらちゃんがどれほど苦しんできたかを知って。 そして……最高の友達だよっていって。 思いは、いつしか、ほむらの軌跡へ飛ぶ。 神様になった時、ほむらちゃんの苦悩を知った。 そして今、その記憶を引き継いだ。 一人のほむらちゃんは、苦しくて、でも頑張って。 私も一人の時は、寂しくて、つらくて。何もわからなくて。 でも、帰ってきたほむらちゃんは少し変わっていた。 私だけじゃなく、みんなとも少しずつ打ち解けてきていた。 私を助けるために、私の運命を変えるために、自分だけじゃなく、みんなと頑張って。 そしてついには、あんな奇跡にまでたどり着いた。 一人は、寂しいよ。一人じゃ、無理だよ。 あたしは、一人で悩んで、でも頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって。 なのに仁美ちゃんに話を聞いてもらって、励まされたら、すっごく気持ちが軽くなった。 ほむらちゃんに声を掛けてもらって、一緒にって言われて、とっても心が熱くなった。 そう……一人じゃ、駄目なんだ。 そう……一人だと、間違っちゃう。 二人いれば、マミさんの時みたいに人を蘇らせることだって出来るのに、一人じゃどんなに力があっても間違っちゃうって織莉子さんも言っていた。 今ならわかる。あの願い。全ての魔女を滅ぼすって言う願い。あれは、私が一人で何とかするっていう祈りだったんだ。 だから、正しく間違った。あれは世界を救う正しい祈り。でも人としては間違った祈り。 あの祈りは、賢者の贈り物。相手のために自分を犠牲にして、結局相手の贈り物を無駄にしちゃう祈り。 確かに私には力があった。全ての魔女を滅ぼして、全ての魔法少女を救うだけの力が。 でも、それを私一人でやろうっていうのは、正しい間違い。みんなのために自分を犠牲にしたって、誰も喜んでなんかくれない。世界は助かるかもしれないけど、ほむらちゃんも、他の助かったみんなも、みんな捨てちゃう、正しいけど最低のお祈り。 他の人を、悲しませるだけの祈り。 立場を置き換えてみればすぐにわかる。今がまさにそう。 だって、ほむらちゃんが犠牲になって世界を救ってくれたって、私、ちっともうれしくないっ! ほむらちゃんのバカっていいたくなっちゃう! なんで私をおいてったのって言いたくなっちゃう! でもそれは、かつて私がやっちゃったこと。残されたほむらちゃんが、どんな思いをするかって気がつかなかった、私の罪。 だとしたら、私がやらなくちゃいけないことは。私が、この力で願うことは。 一人じゃない、みんなで。 みんなで、頑張ること! 「……わかったの、仁美ちゃん」 仁美が心配そうに見守る中、まどかはゆっくりと顔を上げた。 「……まどか? そう。その顔、何か掴んだのね」 「うん、わかったの、私の本当にかなえたいこと」 その顔は、先ほどまでとは別人のようで。 「付いてきて、キュゥべえ」 そう言って駆け出す足取りは、別人のように軽く。 「待ってて、みんな! わかった! わかったの、私!」 そう叫ぶ言葉は、希望に満ちて。 少女は、戦場へと駆ける。 「なんだこの固さは。今までの比じゃねえぞ」 「いえ、むしろこちらが、本来の強さだったという事ね」 「それじゃ、完全にほむほむを取り込んじまったら」 「間違いなく、これ以上に強くなるな」 杏子が、マミが、さやかが、キリカが、とにかくしぶとい魔女に辟易しながらも戦いを続けていた。 ほむらを取り込んだワルプルギスの夜は、とにもかくにも守りが固かった。 矛盾はなくなったのか当たれば通るが、とにかく当たらない。 より正確には、ほむらの力であった盾、『時の障壁』を展開してくるのだ。 現在の所同時多数の攻撃には対応し切れていないようで、複数狙いの攻撃なら何とか当たる。が、だんだんと相手が慣れてきたとでもいうように対応が正確になっているのが曲者だ。 今現在、魔女は後45度ほどで正立するところまで来ている。 完全に起き上がられたら、間近い無くえらいことになると、織莉子の中の知識が告げている。 そんな苦しい戦場に、駆け込んでくる姿が。 まどかだった。脇にキュゥべえもいる。 その顔は、どことなく晴れやかだ。 「まどかっ!」 さやかが叫びつつ、たまたままどかに向かった無差別攻撃を落とす。 「あぶないだろっ!」 だが、まどかは意に介さない。 「わかったの、私、わかったの、私の掛けるべき祈りが、私のかなえたいことが! でも、まだちょっとごちゃっとしてるの。だからお願い、もうちょっとだけ頑張って!」 「そういう事なら任せろ、恩人は絶対に守り通す」 キリカがさやかと共に、まどかの守りに入る。 「まどかさん。時間はワルプルギスの夜が、完全に直立するまでしかありませんわ」 「はい、織莉子さん」 織莉子の忠告に頷くまどか。そしてまどかは、傍らのキュゥべえに問い掛けた。 「キュゥべえ、キュゥべえってさ、いっぱいいるけど、実は一人なんだよね」 『これはまたずいぶんと哲学的な命題だね、鹿目まどか』 そう答えるキュゥべえに、まどかは言葉を続ける。 「いっぱいいても、みんなが同じことしか考えられない。それって、一人きりと同じ事だよね」 『そうとも言えるかもね。僕たちはそういう意味では『個』を捨てた存在とも言える』 「でも、私たちは違う。私たちは一人じゃないの。私一人だと際限なく悩んじゃったけど、仁美ちゃんが話してくれたらすぐに解消しちゃった。ほむらちゃんの言葉で、掛けるべき祈りが見えた」 『それこそが、僕たちと君たちとの一番の違いとも言えるかな』 「だからわかったの。私たちってね、一人じゃ、駄目なの。どんなときでも、みんなが力を合わせて、初めて頑張れるの。今だってそう。みんなが頑張ってるから、持ちこたえてる。ほむらちゃんも頑張れる」 『それは実に興味深い命題だね。僕たちでは不可能に近い領域だ』 そしてまどかは起ち上がる。見出した祈りのために。 「契約しよう、キュゥべえ。私の祈りは――