「……滅びなさい」 閃光弾――フラッシュグレネードの光の中、続けて放たれた銃撃と手榴弾が、暗闇の魔女をあっさりと殲滅した。 時間停止すら必要もなかった。 これに限らず、今の彼女たちにとって、ほとんどの魔女は、単独で殲滅出来るほどの存在でしかなかった。 芸術家の魔女イザベラ……キリカ単独で撃破。 薔薇園の魔女ゲルトルート……さやか単独で撃破。 暗闇の魔女ズライカ……ほむら単独で撃破。 ギロチンの魔女ヘラ……マミ単独で撃破。 箱の魔女エリー……織莉子単独で撃破。 その他、かつて戦ってきた魔女はことごとくが魔法少女達によって、苦戦すらすることなく撃破されていた。 そんな彼女たちにとっての目的はただ一つ。 いずれ来る舞台装置の魔女、ワルプルギスの夜、フェウラ=アインナルの撃破。 だが、こればかりは一筋縄ではいかない。 ほむらは自室で、今までのデータを整理・再構成していた。 彼の魔女は、未来において絶望した自分が変じるという。 そう決まっている運命が果たされていないという矛盾が、彼の魔女に絶大な防御力を与えている。 ただでさえ自分は防御に長けた魔法少女だ。そしてワルプルギスの夜は防御に長けた魔女がさらに防御力チートをもらっているような状態なのだ。 現時点でその守りを打ち破れるのは『奇跡』属性の攻撃か、まどかの一撃だけ。 しかも矛盾の残るうちは、『無限復活』なんていう信じられない力まで付いている。 (この『矛盾』が問題なのよね……) 冷静にデータをまとめていて一つ気がついたことがある。 彼の魔女、ワルプルギスの夜は、『攻撃魔法を持っていない』。 まさに自分が変じた魔女であるように、彼女は魔法による直接攻撃手段を持っていないのだ。彼女の攻撃は、使い魔によるものと、ビルを落とすと言った、周辺の物質を使った間接的なものだけ。 これは言い換えれば、相手の攻撃を避けきるのは案外難しくはないという事だ。 あの攻撃が躱しづらいのはひとえにその規模が巨大なせいである。逆に言えば規模がでかいだけで速度もそれほどではなく、フェイントのたぐいは一切かかっていない。 だからこそ前回は魔法少女の連携であっさりと沈められたのだ。 特に自分がいれば相手の攻撃は100%止められる。本来なら楽勝なのだ。 だからこそ、『矛盾』がその全てを覆してしまう。 故にほむらは考えた。 矛盾とは何かを。 「……あら?」 それに気がついたのは、どれほど考えた時だったか。 『矛盾』の本質は、過去と未来の同時存在。 『現在』のほむらと、その消失によって生まれる『未来』のワルプルギスの夜。 これが同時に存在することが矛盾している。 (私が存在しているという事は、本来ならワルプルギスの夜は、存在そのものが否定されているはず。ところが、『ワルプルギスの夜が存在する』という未来が確定してしまっているが故に、論理をひっくり返して彼の魔女は存在している。それは私が『彼の魔女に出会った』が故に魔法少女に……ひいては彼の魔女になるから) ここに存在の輪が生じていた。 ワルプルギスの夜がいたが故に、ほむらは魔法少女になった。 ほむらが魔法少女になったが故に、ワルプルギスの夜は誕生が確定した。 この輪は、ほむらが魔女になった時点で解消される。 それゆえに、ほむらが魔法少女として存在している限り、たとえ力尽くで……奇跡で倒されても、あの無限復活が起こるのだろう。 ほむらは少し光が見えた気がした。あの無限復活の起きる条件は、 『暁美ほむらという魔法少女が存在していること』。 そう、『暁美ほむらが魔女になる事』ではないのだ。 これは似ているが違う。もし仮にこの場でほむらが自殺して存在を消したら……実際にはあの世界に落ちるので死ねない訳だが……それで矛盾は解消するのだ。 逆に言うと、ほむらが死ぬとワルプルギスの夜の存在もまた否定され、その事実が『ワルプルギスの夜は存在している』という確定している事実とまた矛盾するが故に、ほむらは死ぬことすら出来ずに、あの『絶望するしかないはずの世界』に送られるのだろう。 絶望して魔女化し、矛盾を解消するという世界の律のために。 (矛盾の解消法は私が死ぬか魔女化すること。だが死ぬことはまた別の矛盾が存在するが故に、私は死ぬことが出来ない。 だとすると、問題の隙間は……私が死ぬこと無しに、魔法少女であることを魔女化せずに消すこと) だが、そんな事が出来るのだろうか。死なずに魔法少女であることをやめるには、魔女になるしかない。 ワルプルギスの夜を前に、魔女化する自分を夢想するほむら。 (あら?) その時、ほむらは新たな矛盾に気がついた。 (私がワルプルギスの夜を前に魔女化してしまったとしたらどうなるのかしら……あ、そうか) 一瞬矛盾かと思われたが、そうでないことに気がついた。ワルプルギスの魔女は『魔女をも吸収する』。 そう、かつてのちえみのように。 そしてそこに思いが行った瞬間、天啓のようにあることがほむらの脳裏にひらめいた。 霧の魔女の時、絶望と魔女化に耐えたというちえみ。 絶望の果て、奇跡に至った杏子とゆま。 知っているが故に再現は不可能だが、もしかしたら。 ほむらは考えた。そうなった時、自分がとうなるか、魔女はどうなるか。まどかがワルプルギスの夜を倒したらどうなるか。 ……いけそう、だった。 暁美ほむらは魔女にはならない。 だが、暁美ほむらという魔法少女は消滅する。 そしてこの場合、まどかがワルプルギスの夜を倒しても、その絶望は『まどかに流れ込まない』。 最後の点が重要だった。 まどかが魔女化するのは、最悪の魔女を倒し、その絶望を一身に受けるから。だがこれなら、その場合でも、それを受けるのは『まどかではない』。 最悪の目が出ても、犠牲は自分だけ。まどかには申し訳ないが、少なくとも世界は救われる。 そしてまどか次第では、これを越えることも不可能ではないだろう。何しろこの場合、まどかの願いには縛りがない。かつてのマミのように、自分の復活を願えばそれは叶うであろう。いや、まどかのことだ。そんなせこい願いを越える何かに至るかもしれない。 何しろ一度は神に至る願いを思いついたまどかだ。また何かやらかさないとは限らない。 ほむらは、決意を胸に、仲間を呼んだ。 ほむらの家に、7人の魔法少女と、1人の少女が集合した。 巴マミ、美樹さやか、佐倉杏子、千歳ゆま、美国織莉子、呉キリカ、そして暁美ほむらと鹿目まどか。 「大事なお話って?」 マミが代表して、ほむらにみんなを集めた意を問いただす。 ほむらは結界空間にワルプルギスの夜の資料を展開しながら、ゆっくりと告げた。 「道が見えたの……ワルプルギスの夜、私が変じるという魔女、フェウラ=アインナルを、今度こそ倒せるかもしれない道が」 「……そうか、見えたのか」 低く、押し殺したように言う杏子。 「今度は、負けないよ……」 同じくつぶやくさやか。 「で、どうやってあの矛盾の守りを突発するのですか?」 そんな中冷静に聞く織莉子に、ほむらは説明をはじめた。 「まず、先にこれを言っておくわ。最悪の場合でも、私無しでワルプルギスの夜と二連戦して勝てれば、ワルプルギスの夜は倒せるわ。但し、その場合、私は消滅する」 「ほむらちゃん!」 その瞬間起ち上がるまどか。そんなまどかを落ち着かせるようにほむらは言う。 「まどか、それはあくまでも『最悪の場合』よ。そしてそれを最悪でなくする鍵は、まどか、あなたが握っているわ」 「え? わたし、が?」 一転してとまどうまどか。 「なあ、それってどういうことなの? あたしあんまり小難しい話だと判んないんだけど」 そんな2人を見て、さやかが簡潔にまとめろやゴルァとばかりに文句を言う。 ほむらはどうにかまどかを落ち着かせると再び言葉を紡いだ。 「いろいろ考えていて気がついたのだけど、ワルプルギスの夜がある意味無敵なのは、その元となる『私が存在している』からなの。それを打ち破るには、どうしても私は一度消えないといけない。だけど、私はある理由で死ぬことすら出来ない。かといって魔女になるのは破滅。この矛盾が最大の問題点だったの」 「え、死ねないって……?」 そこが気になったのか、さやかが聞き返してきた。 「細かく話すと長くなりすぎるけど、私には死ぬことすら許されていないの。私の死……ソウルジェムの破壊は、その時点でワルプルギスの夜の消滅を意味するわ。 ワルプルギスの夜になっていない私が消滅した時点で、その未来であるかの魔女も消えることになる。 でも、それは彼の魔女が存在しているという『事実』と矛盾する。だから私は死ねないの。 別の世界でジークリンデからも言われたわ。『死如きで運命から逃れられると思うな』って」 その言葉を聞いて織莉子が無言で頷き、皆にその言葉が真実であることを言葉無しに告げた。 そしてほむらも説明を続ける。 「この矛盾を解消する方法として私が思いついたことが、『私がワルプルギスの夜と一体化する』という方法よ」 「一体化ぁ?」 「それはどういうことなの?」 杏子とマミが疑問を呈する。 「私のソウルジェムを限界まで濁らせた上で、敢えて我が身をワルプルギスの夜が持つ、魔女の吸収能力を利用して喰わせるの。魔女化寸前のはじけるギリギリになったソウルジェムは、杏子とゆまの奇跡のことを思い出してみると判ると思うけど、事実上ひとかけらの希望も存在していない状態……ほとんどグリーフシード同然になるわ。わずかな意思だけが残った、奇跡、あるいは魔女化寸前の状態。そうなった私なら、おそらく魔女と区別出来ずに、私はワルプルギスの夜に取り込まれる」 「……私の持つジークリンデの記憶も、その事実を肯定していますわ」 その言葉に、ほむらが少し息を抜いた。 「保証してくれると助かるわ。私もここだけは完全な確信があった訳じゃないから。だからこそみんなにも相談したかったんだけど。 それはともかく、そうして私をワルプルギスの夜が取り込んだ場合、私という魔法少女が消滅するから、あの忌々しい無限復活は起こらない。そして、ここが重要なんだけど」 そこで一旦ほむらは言葉を切り、その視線をある一点に向けた。 その先にあったのは……まどか。 「わたし?」 「ええ。まどか。無敵の解除されたワルプルギスの夜にとどめを刺すのは、あなたの仕事よ」 「えええーっ!」 さすがにまどかは驚いた。そうした場合、確か、 「ほほほむらちゃん、それやったら、私が魔女になっちゃって、世界終わっちゃうんじゃ」 「いいえ」 ほむらは、まどかの言葉を、きっぱりと否定した。 「『私』が中にいて、完全に魔女化しないままならば、まどか、あなたに倒されたことによる絶望は、その本来の持ち手である『私』の元に流れ込むはず。そして最悪の場合……私がそれに呑まれた場合でも、その時は全ての矛盾が消え去った状態で、舞台装置の魔女・フェウラ=アインナルが『誕生』するだけだわ。そうして誕生した場合、彼の魔女はどんなに強大無辺であっても『ただの魔女』に過ぎない。つまり倒したことによって絶望が流れ込んだり、世界が破滅したりという矛盾を一切起こさない、いえ、起こしえない。 いささか特殊ではあっても、それは『法則に従って生まれた魔女』に過ぎないのだから」 皆、声もなかった。マミや杏子、織莉子は素の仮定を検証し、あまり考えないたちのさやか、キリカ、そしてゆまはそんなみんなをぼうっと眺めている。 そしてまどかは。 「ねえ、ほむらちゃん……それが、最悪、なんだよね。でも、それじゃ、どうしたら最悪じゃなくなるの?」 そんな当然の疑問に対し、ほむらは、 「そんなの全てまどか次第よ」 丸投げした。 「ねえ、さやかちゃん。私、どうしたらいいんだろう」 ほむらの家からの帰り道、同行するさやかに、まどかは話しかける。 あの後、ほむらの意見は、織莉子などの分析の結果、肯定された。 問題があるとすれば、ほむらが吸収されてから初回撃破までの間にほむらが『呑まれて』しまった場合、破滅が確定することだけ。 これに関しては、まどかが魔法少女になっていればほぼ確実に撃破出来るだろうから、それほど悲観視はされていない。 だがまどかが悩んでいたのは、その点ではなかった。 問題はその際に掛けるまどかの『祈り』であった。 ほむらは言う。この手段により、最悪でも世界は滅びずに済む。 だが、まどかの願い次第では、これを越えることも可能だと。 かつての世界で世界を救済し、書き換える願いを掛けたまどか。 そして今のまどかには、その時以上の因果が集っている。 まどかの祈り、願いによっては、それ以上の結果を残せるというのだ。 最初は、『じゃあ、ほむらちゃんが復活するってお願いすれば』と言った。 だがそれは、織莉子によって……正確にはジークリンデの知識によって否定された。 「その願いは、死者の復活と同等になります。それ自体は不可能ではないですが……それはうまくいかないでしょう」 「どうしてですか?」 「あなたは巴マミを復活させた時の記憶がありますか?」 頷くまどか、そしてさやかとマミ。 「死者の復活に限らず、失われたもの、壊れたものを復活させる願いには、一つの致命的な問題が生じるのです。それは、『1人では完全な復活は叶わない』というもの。あの歴史で巴マミが復活に成功したのは、鹿目まどかと美樹さやか、2人が同時に祈ったから。2人のそれぞれ違う側面からの視点が、巴マミという人物を再生するに至る情報を補完したからこそのことなのです。 1人だけでは、復活が叶ったとしても、蘇るのは『あなたの知る相手』であって、『相手そのもの』ではないのです。 つまり、あなたの願いがどんなに強力でも、1人で願う限り、蘇るのはあなた主観で見た暁美ほむらでしかない。それが暁美ほむら本人と言えるかは、微妙でしょうね」 「考えてみると、危なかったんだよなあ、あれ。もし一緒に願っていなかったら、私たち、何を見ることになってたのやら」 「そうなのよね……」 「ま、今は迷うしかないんじゃない?」 さやかはあっけらかんと言い放った。 「私もさ、恭介の事で悩んで、迷って、時には魔女にまでなって。でも、今の私は心の中でけりが付いてる。 ほむらが時を繰り返す中で、いろいろ情勢をいじって、何も知らない私に気がつかせてくれたからなんだろうけど、さ。 時間はあまりないけど、それでもまだある。まどかも考えてみたら? どうしたら愛しのほむほむを救えるのかっていうことをさ」 愛しの、などと言われて、まどかは思わず赤くなる。 そんな様子を見て笑うさやか。 「男女の愛とはまた違うと思うけどさ、その時まで、ギリギリまで、考えるといいよ。 ほら、考えてみればさ、今回初めてじゃないの? 事情を知ってるほむほむが、まどかに魔法少女になってもいいっていったの」 「あ……」 そういえばそうだった。まどかにある記憶の中で、魔法少女として活動したのは、ほむらと知り合った直後の初期だけ。あとは即魔女化したり、神様になったり。あとは一度だけ、先輩として魔法少女成り立てのまどかを鍛えてくれた回もあった。 その時は確かさやかが破綻して魔女化して、マミさんも事実に耐えられないまま自殺してしまった時だった。ほむらが新人新人していた時にも似たようなことがあり、どちらもいい思い出ではない。 そしてそういう時はいつも、ほむらと出会う前に魔法少女になっていた。 今回初めてなのだ。ほむらから「魔法少女になって」と言われたのは。 その事実に思い至ったまどかは、胸のどこかが熱くなるのを感じていた。 だが……。 (……わかんないよ、ほむらちゃん、どんな願いを掛ければいいのかなんて……) 時は無常にも過ぎる。 まどかはどうしても答えを見いだせなかった。 自分に預けられている、世界を変革するほどの力。 それを生かせる祈りを、願いを、まどかはどうしても思いつけなかった。 表向きは平穏な交流の中、いたずらに過ぎゆく時。 まどかの焦りは、頂点に達しようとしていた。 だが、物語にはいつか終わりが来る。 それこそ、世界が平和になりますように、などというつまらない祈りしか思いつけぬまま、瞬く間に時は流れる。 繰り返せない最後の時、終焉のその時が。 まどかがそれを見いだせないまま、最終決戦の幕が上がろうとしていた。