見河田町。見滝原を流れる川の下流に当たる地域。 武器弾薬を補充し、ついでにキュゥべえを少し狩ったあと、ほむらはここ見河田町にある、見河田中学へ来ていた。 目当ての彼女が誰かは一目でわかった。 肩にキュゥべえを乗せていてわかるなと言うほうが無理だ。 見た目は焦げ茶色の、軽さを感じさせるショートカットの少女だ。スタイル的にもまだまだ子供っぽい。 「あなたが、添田ちえみ?」 ほむらは彼女が友達等と別れて一人になったのを見計らって、声を掛ける。 「は、はいっ、そうですけど、あなたは?」 彼女の様子を見て少し違和感を感じるほむら。全知の魔女は自分のことを『出会ってすぐキュゥべえの正体も知った』と言っていた。だとしたら相当強靱な精神力の持ち主の筈だ。 だが彼女はむしろ眼鏡を掛けていた頃の自分のような雰囲気を纏わせている。 お世辞にも強いようには見えない。 『ちえみ、どうやら彼女も魔法少女のようだよ』 肩のキュゥべえに言われ、ちえみは落ち着きを取り戻したようだった。 「え! あの、本当ですか?」 「私にはキュゥべえが見えているのよ」 それで充分通じた。そのとたん彼女の表情は、かつての自分からマミに出会った時のまどかのようなものになる。 花が咲いたような、という表現はこういう時に使うのだろうと思わせる変化だった。 「うれしいです! わたし、他の魔法少女の人には初めて出会いました! 私、魔法少女になったけど、へっぽこで、使い魔一体倒せないだめっ子なんです」 「キュゥべえ」 ほむらはキュゥべえを睨み付ける。 「あなたにしては珍しいわね。見立て違い?」 『いや、素質は凄いんだ。君も感じるだろう? この子の魔力は』 「ええ。普通ならどんなにへっぽこでも、使い魔ごときには負けないはずね」 実際、ちえみから感じる魔力はかなりのものだ。間違いなくマミより上、一撃でワルプルギスを倒したまどかよりは下、というくらいは感じられる。 キュゥべえが契約を望んだのも理解出来る。 「でも駄目なんです。私、どういうわけだか、戦う力が全然無くて……」 『どうも彼女の魔力は、特殊能力に偏っちゃって、それを生かし切れていないみたいなんだ』 沈むちえみとそれを慰めるキュゥべえ。こうしている限りはいいコンビだ。 それにしてもおかしい、と、ほむらは思う。彼女はあの魔女に聞く限り、一目で相手の弱点を見切る力を持つはずだ。それこそキュゥべえの正体を一目で断定できたとも。 だが今目の前にいる彼女からは、そんな様子はかけらも感じられない。 考えられる理由は二つ。彼女はあの魔女と別人か、まだ自分の力を把握していないか。 「その特殊能力って? 聞いてもよろしいかしら」 「はい、あの……」 『待って、ちえみ』 素直に答えそうになるちえみをキュゥべえが止める。ここは止めるキュゥべえが正解。 やはりちえみはまだキュゥべえの正体を知らないことは間違いない。 そしてキュゥべえがきちんと世話を焼いているということは、間近い無く初心者魔法少女。 とりあえずここは様子見、とほむらは判断した。 『教えてもいいけど、出来ればおねがいがあるんだ』 「その子のヘルプをしろと言うのでしょう」 『話が早いね』 「そのくらい予測できるわ。そちらの話が無茶振りでない限りはいいわよ」 グリーフシードを全部寄越せとか言わない限りね、とほむらは言う。 『実際ぼくにもよく判らないんだ。彼女には間違いなく強い魔法少女になる素質がある。なのに、彼女に出来るのは、最低限の強化と、後はこれだけ』 まわりに人がいないのを確認して、ちえみはソウルジェムを取り出す。 マミの紅茶を思い出す、透き通った、濃い琥珀色のソウルジェムであった。 そのまま魔法少女の姿に変わり、『力』を発動させる。 その姿は茶系統でシックにまとまったブレザーとスカート、ロングソックスと茶のローファー。ソウルジェムは珍しいことにモノクルに変形して左目に装着された。 そして前に差し出された両手の間に召喚されるのは、彼女が両手で抱えてなんとかぎりぎり持てる位の、図鑑か百科事典を思わせる巨大な本。 だがその中は、全て白紙であった。 「見ての通り、中になにも書いてないんです。私てっきり、ここに魔法の呪文が一杯書いてあるんだと思いましたけど。まさかどっかのゲームみたいに、この本を鈍器として殴るわけでもないでしょうし……」 『彼女は知性に関する願いをしたから、ぼくもそういう呪文的魔法を使う方向性だと思っていたんだけど、どうも違うみたいなんだ。残念ながら、ぼくには契約によってどんな能力が芽生えるかはわからないからね。普通は自然に能力がわかるはずだし』 なるほど。ほむらはあの魔女が干渉してきた理由が少しわかった気がした。 まどかのような無茶すら通る魔法少女の願いだ。全知の魔女があそこで干渉してきたのは、卵と鶏なのかもしれない。 どう考えても目の前の少女があれになるとは考えづらい。前回倒した魔女になる方がよほど信憑性がある。だが、まどかが神になってしまったように、この子があれになってしまう未来も、きっと存在しているのではないだろうか。 まあ、全部自分の勘違いということもある。が、いずれにせよ放っておく線はない。 「いいわよ。私は見滝原中学2年、暁美ほむら。しばらくつきあってあげるわ」 「あ、ありがとうございます。でもなんで見滝原からわざわざこっちまで?」 実際見滝原からここまでは女子が歩いてくるには少し遠い。 「キュゥべえに聞けば知っていると思うけど、見滝原中には、巴マミって言う腕利きの魔法少女がいるのよ。言い換えれば見滝原中周辺は彼女の縄張りなの。私も腕には自信があるけど、私は転校生だから、彼女の縄張りを訳もなく荒らすわけには行かないわ」 「そうなの? キュゥべえ」 『うん、名前は聞いたことがあるよ。かなりのベテランの筈だ』 「後彼女は優しくて面倒見のいい性格だから、私がもし敗れたりいなくなったりしたら、彼女を訪ねてみるのもいいかもしれないわね。注意することは彼女には隠し事をしたり突っ張ったりしないこと。困ったことがあるなら素直に頼った方がいいわ」 マミの話題が出たついでにほむらは彼女のことを紹介しておく。 面倒見が良くて寂しがりやの面もあるマミのことだ。こちらの都合が悪くなったら、あれに丸投げするのもありだろう、と、ほむらは少し黒いことを考える。 「わかりました。暁美さんから紹介されたって言えばいいですか?」 「あ、ごめんなさい。私のことは私がいいって言うまでは黙っていてくれないかしら」 思わぬ事を言われ、ちょっと慌てて口止めするほむら。 「私はマミのことを知ってはいるけど、あちらはまだ私のことをよく知らないはずなのよ。私が彼女のことを知っているのは、転校前に下調べしたせいだから。魔法少女同士にも、色々あるのよ。グリーフシードの扱いや分配を巡って、けんかになったりすることもあるから」 「ほえ~、いろいろあるんですね~。勉強になります」 素直な子なのね、とほむらは少しほほえましく思う。ひょっとしたら巴マミがかつての自分を見る目がこう言う感じだったのではないだろうか、などと思えてくる。 そう思ったとたん、過去の自分という言葉に何故かとてつもない気恥ずかしさを感じるほむら。ひょっとしたら、これが黒歴史というやつかと彼女は思った。 「さて……大分引き留めちゃったわね。時間大丈夫?」 ほむらは携帯を取りだして、時間を確認しつつちえみに問い掛ける。 「あ、私は大丈夫です。両親とも帰りがものすごく遅いんで」 「あら、大丈夫なの?」 「いわゆる技術系中小企業って言うやつです。お父さん、規模は小さいけど金属加工でNC旋盤より精密な切削とか出来るんですよ。腕に人が付いていますから、不況とも今のところ縁がないです」 「凄いわね」 ほむらは素直に感心した。 「お父さんも凄いけど、お母さんも凄いんです。お母さんは営業方面で凄くて、お父さんの腕がどうしても必要な仕事を見つけ出して取ってくるんです。だから外国とかの単価の安い仕事のせいでコストとか下げなきゃいけないところみたいな苦労はしていないんです」 「本気で凄いわ」 ますます感心するほむら。 「おまけにお父さん、面倒見が良くてお弟子さん何人も育ててますから、自分が倒れても安泰だって言ってます。私も女の子で中学生なのに、何故か旋盤回せるんですよね」 うれしそうに語るちえみを見て、ほむらはふと違和感を覚えた。 「ねえ、ちえみさん」 「あ、ちえみでいいですよ。先輩ですよね、暁美さん」 「それもそうね。じゃあちえみと呼ばせてもらうわ。私もほむらでいいわよ」 「先輩ですからほむらさんかほむら先輩かで呼ばせていただきます。どっちがいいですか?」 「どちらでもいいわ」 「じゃあほむら先輩でおねがいします。で、なんですか?」 ほむらは少し居住まいを正すと、真剣な顔をして聞いた。 「ちょっと立ち入った話を聞くけど……あなた、なんで魔法少女になったの? 魔法少女は契約の際願いを叶えてもらえるけど、リスクは大きいわ。なにか大きな問題を抱えてでもいない限り、安易になっていいものではないのよ。 話を聞いた限りでは、あなたは特に問題を抱えてはいないように見えるし」 「あ、そうみえるんですか。良かった」 「?」 突然見えなくなった話に、ほむらは首をかしげる。 「私、普通に見えますよね」 「見えるけど……!」 唐突にひらめいたことがあった。前回、キュゥべえは言った。 彼女の願いは、『頭が良くなりたい』、だと。 「私、魔法少女になるまで、ものすごくおばかさんだったんです。人の名前とか、漢字とか、全然覚えられなくて。手作業とかは忘れないどころか、お父さんにも『男だったら俺の跡継ぎ決定なんだがな』って言われるくらいすぐに覚えられるのに、学校の勉強とか全然駄目で。 そりゃ勉強できない人はいると思いますけど、日本人でどうしても九九が覚えられないのって、ちょっと悲惨だと思いません? それに私、学校行っててもどうしても隣の席の人の名前が覚えられなかったんです。担任の先生の名前も。だから全然友達とかも出来なくて」 『彼女は多分サヴァン症候群って言われる、ちょっと変わった発育障害だったんだと思う』 サヴァン症候群。それは特定の分野に対して超常的なまでの能力を持つ知的障害のことである。天才はどこかが欠けるかとでも言うように、天才的な分野と、その代償になったかのような欠落を抱える症状を示す。 『彼女の願いは『天才じゃなくてもいい、ちゃんと人の名前を、なんでもないことを忘れない頭が欲しい』っていうことだったんだ。後そのことについて家族とかが気にしないっていうオプションも付けたけどね』 「そうだったの……ごめんなさい。無神経なことを聞いて」 ほむらは丁寧に頭を下げる。ちえみはそれを見るとわたわたしながら叫ぶように言う。 「いいんですよ、知らないことを知ろうとするのは当たり前ですし。でもなんでわざわざそんなことを確認するんですか?」 「魔法少女はね、お気楽にやるものじゃないから」 じっとちえみの顔を、目を見つめて言うほむら。 「魔法少女の契約は、万能の奇跡をもたらす。でもね、当然それは重いものなの。あまり軽いことを願いにしちゃうとね、魔法少女としての努めの重さに、心が折れちゃうのよ。 心が折れた魔法少女に待つのは、ある意味死よりも悲惨な運命。そうならないためには、かなえた奇跡、心からの祈りを支えに出来ないと、とってもつらいから」 「……そうなんですか。ほむらさんはどんな願いを?」 ほむらは視線を外し、後ろを向く。 「ちょっと自分以外のことも関わるので、具体的には言えないの。ごめんなさい。でもね」 そして振り向いたほむらの顔の厳しさに、ちえみは思わず身を竦ませてしまった。 彼女の願いが、とてつもなく重いものなのが、その表情だけでわかってしまった。 「その誓いが、願いがあるから、私は魔法少女としての重圧に、戦いの、死の、そして……それより重い宿命にも耐えられる。ちえみさん」 「は、はい!」 そのあまりにも真摯な瞳に、ちえみは思わずしゃちほこばる。 「あなたの願いは個人的なものだけど、意外とそういう方が魔法少女の祈りとしては良かったりするのよ。奇跡で手に入った自分を維持しようっていうのは、意外といいモチベーションになるから。これが他人のためだったりすると、案外思わぬ事でぽっきりと折れたりするの。でも自分のためなら、自分を裏切れないでしょ?」 「……ですよね」 「これがダイエットしないですむ体重とかだったら、それは自分を甘やかす願いだからあれだけど、あなたの祈りには確かにそれを望む価値と資格があるわ。なら私はあなたを認める。戦闘力なんて、これからいくらでもやりようはあるから」 見つめられてちえみは顔が赤くなるのを感じる。 「そう、ですか?」 「ええ。実は私もね、能力的にはそれなりに凄い力なんだけど、それだけではなんにもならない力だったの。だからそれを補う努力と工夫をして、ようやく戦えるようになったのよ」 そうちえみに説明しつつ、ほむらは自分にたいして奇妙な感想を持っていた。 自分はこんなに親切だっただろうか、饒舌だっただろうか。 だが、何故かそんな自分を心地よく感じるほむらであった。 「……時間をとりすぎたわね。一応魔女の反応が無いか探してみて、問題なかったら一旦別れましょう。あと、携帯持っているかしら。近くならキュゥべえがテレパシーを中継してくれたりも出来るけど、さすがに見滝原と見河田じゃ無理だから」 「はい」 お互いの番号を交換するほむらとちえみ。 「それじゃ」 それが終わると、ちえみはほむらに向かって頭を下げた。 「先輩、よろしくおねがいします!」 「い、いえ、こちらこそ」 思ったよりハイテンションのちえみに、ほむらは少し早まったかと思うのであった。