見滝原郊外の送電塔。 あまり高層建築物のない見滝原周辺においては、別格の高さを誇るこの塔の上に、この場にそぐわない人の影があった。 ほぼ全身を白系統の装いでまとめたその人物は、服装のデザインもあって、こう呼ばれてもおかしくは無い人物であった。 聖女。 だがその実体は、とある魔女の使い魔である。 その人物――霧の魔女の使い魔・ジークリンデは、遙か遠方に見える、滝の上救急病院の方を、じっと見据えていた。 今その場では、魔法少女達が終わりの見えない激戦を繰り広げている。 「ようやく気がついたようですね、暁美ほむら」 遙か彼方の激戦を、まるで目の前で見ているかのように評するジークリンデ。 「そう。守る事を誓ったあなたのあり方は、あくまでも守護者。大切な人を守るためのあなたは、まさに鉄壁。でもそれゆえに、孤高であろうとしたあなたのあり方は、あなたの力とは合わない。 忘れてはいけませんわ。あなたは、『守るもの』。孤高で在らんとする事は、守るべきものをもうち捨てる事。 人は時にすれ違い、時に理解し合う。でも、人としての最強のあり方を見失えば、あなたもまたキュゥべえが、インキュベーターがそれとは知らずに仕掛けた罠にはまりますわよ。 何故彼らは魔法を見出しながらそれを使えなかったのか。感情を持つという事、人がわかり合えない事、人が一人一人違うものである事。 その意味する事が判らない限り、あなたたちでもインキュベーターを越える事は出来ません。 あれは最強の知、その利己的なあり方と相反する殉性。慈悲を持たぬのに世界に尽くす理の権化。 理によって世界の滅びを知り、殉によってそれを回避せんと務めるもの。 世界のために、己を含むあらゆる犠牲を承認するもの。最小の犠牲を以てそれ以外を救うもの。 それはたとえ犠牲の比率が五分になっても揺るがぬ鉄壁の理性。あらゆるものを計算し、一切の好悪を排除し、ただ結果を持ってのみ論ずる律法の使徒。 これを覆すには、ただ結果を出す事のみ。 期待していますわ。あなた方なら、私が『知ってしまったが故にたどり着けない場所』へと至れる事を」 ジークリンデは思う。この繰り返される世界の中、人であったオリジナルがその全力を以て見出した結論、それは見出してしまったが故に自分は永遠にたどり着けなくなってしまった奇跡。 道はあった。だが、それを『予知』という形で知ってしまったが故に、自分ではその救いを掴む事が出来なくなってしまったという絶望。 それこそがこの世界において、美国織莉子を霧の魔女に変えてしまった絶望。絶望してもなお諦めきれず、そのあり方を『助言者』としてしまった奇跡。 その奇跡は、気がつけば簡単な事。 『人』としては当たり前に過ぎない事。 だが、『人』ではないインキュベーターには見いだせなかった。 『理』の権化としてあらゆる事を計算する彼らには肯定できなかった。 『人』ではあっても、『理解』出来てしまった彼女もまたそれを手放してしまった。 それは理の対極、根拠無きもの。 それが『在る』事を、それを『観る』前に確信してしまえば、その手からすり抜けてしまうもの。 そして、決して一人では手に入れられぬもの。 それは何か。 だがこう言える。 それがあったからこそ、人は未来に負けることなく、こうして発展していけるのだと。 尽きる事の無い敵。ひたすら物量だけで攻めてくる敵。 それは賽の河原で積む石塔。何度積み上げても、『増援』と言う名の鬼がそれまでの労苦を無に帰してしまう。 「ちくしょう、また増えやがった!」 人数が揃った事により、使い魔の殲滅速度は間違いなくこちらが上回った。だが、使い魔が一定量討ち取られると、本体は全身から追加の使い魔をばらまく。そのためいくら戦ってもいっこうにらちが明かないというもっともまずい状況になっていた。 それでも魔法少女達は折れない。結界すら喰らうというこの魔女の特性のため、ひとたび自分たちが崩れれば、この場所、滝の上救急病院を中心としたこの一体は、この魔女に食い尽くされると判っているが故に。 今でさえほころびた結界から使い魔がこぼれだし、建物にも、そして人にも少なからぬ犠牲が出ている。 はっきり言って持ちこたえている方がすごいとさえ言える状況なのだ。 だが、限界は、もう目前に迫っていた。 「気をつけてください! グリーフシードがもうほとんど残ってません!」 ちえみの悲痛な叫びが戦場に響き渡る。 直接戦闘力を持たないちえみは、キュゥべえと一緒にサポートに徹していた。グリーフシードによるソウルジェムの浄化は、普通戦いの後に行われる。だがはっきり言って今回の戦いにそんな暇はほとんど無い。濁りが危険になったら素早く下がり、限界を超えそうなグリーフシードはちえみが回収してキュゥべえに収納してもらい、新しいグリーフシードを渡す。 ずっとこれを繰り返してきたのだが、とうとう残りのグリーフシードがわずかになってしまったのだ。 『きゅっ……プイ。う~、さすがにこれはきつい』 キュゥべえも回収のしすぎでかなり堪えているようだ。 「とにかく、もう一度増殖されると、さすがにまずそうです!」 「まずいな……せっかくほむらがまわりを押さえ込んでくれたって言うのに」 ちえみの声に、杏子が歯を食いしばりながら答える。 ほむらが戦いの中見出した守りのおかげで、周辺への被害はほぼ食い止められた。今ほむらは後方で全周囲に壁を作り、使い魔の流出を阻んでいる。 これのおかげで抜かれる事を恐れなくてもよくなったため、前衛は位置取りが格段に楽になった。 だが、まだ足りない。あとひとつ、何か決定打が欲しい。 そうじゃないと、このままこいつの物量に押しつぶされる。 だが、そんなものはない。 そんな暗い思いに引かれる杏子。だがそこに声が掛かる。 「キョーコ、あきらめちゃだめだよ。あたしだって、まだまだがんばれるよ」 舌足らずな声。杏子の側で頑張る幼子。 いつしか杏子の顔にも明るさが戻る。 「だな。まだまだ頑張らないとな」 だが、現実は非情だった。 長い戦いの果て、遂にグリーフシードが尽きた。 残るは己の内にある魔力だけ。 「覚悟を、決めないといけないわね」 巴マミは決断する。 「なにがなんでもあれを倒す」 佐倉杏子は誓う。 「いきなりキツいけど、まあ仕方ないよね。これがあたしの選んだ道だもん」 美樹さやかは語り、 「なに、恩人を泣かせたりはしないさ」 呉キリカは謡う。 「私はもうなにも出来ませんけど……」 添田ちえみは悲しみ、 「最悪、力尽きても皆を魔女にしたりはしないわ」 暁美ほむらは断ずる。 「でも、だいじょうぶだよ。キョーコも、みんなも、つよいもん」 そして、ゆまは鼓舞する。 限界に挑む戦いに向けて。 いま、七人の魔法少女は、果て無き敵に吶喊した。 さやかの剣が敵を切り伏せ、 杏子の槍が敵を貫き、 キリカの爪が敵を引き裂き、 マミの銃弾が敵を撃ち貫き、 ゆまの槌が敵を叩きつぶし、 治癒の力が傷を癒し、 ほむらの現代兵器が敵を蹂躙し、 守護の盾が敵を阻む。 だが、敵はそれを越えて強大であった。 「まだ……まだたどり着けないのかよっ、あたしはっ!」 杏子の叫びが戦場に轟く。 一番にさやかが倒れた。不慣れな彼女は全力を出しすぎ、ソウルジェムが危険なまでに濁ってしまって、もはやまともに立ち上がる力さえ残っていない。 続いてキリカが倒れた。倒れたさやかをかばって、やはり力尽きたのだ。 続いてマミが、二人の抜けた穴をかばって限界に達してしまった。 ほむらは倒れた皆と、ちえみ及びまどか&仁美を守る事に専念せざるをえなくなっている。 今彼女が全力で展開している守りが潰えたら、倒れているみんなも含め、全てが喰われるのは間違いない。 今戦えるのは、杏子とゆまのみ。そのゆまとも今は離ればなれになってしまっている。 実際ゆまは小さいながらも頑張っている。 そして戦況は、はっきり言ってきりがない。 こんな状況では打てる手はひとつ。雑魚を無視して親玉を叩く、それしかない。 そして今、ゆまがなけなしの衝撃波で切り開いてくれた道を、杏子は驀進している。 そして眼前に、魔女・トウテツの巨体が迫る。 ようやくたどり着いた。魔力も残りわずか。 背後はもう使い魔で埋まっている。ほむらがみんなを守るために周囲をその無敵の壁で封鎖しているため、行き場の無くなった使い魔が共食いをしている有様なのだ。 「いい加減に……」 気味の悪い無数の口が触手のように伸びてくるのを槍で蹴散らしながら、本体の隙間に狙いを定める。 戦いつつ観察していて気がついたが、敵の壁面に何カ所か口のない場所がある。 そこに狙いを定め、杏子は残りの魔力を限界までつぎ込んで走る。 「くたばりやがれぇぇっ!」 狙いは過たず、深々とトウテツの体に突き刺さる。刺さったのを確信すると、杏子は一旦離れた後、槍の大きさを限界まで巨大化させた。 より長く、より太く。 伸びた槍がトウテツの体内に突き刺さり、太くなった槍がトウテツを引きちぎる。 いわば体内から爆撃されたようなトウテツは―― 何事もなかったかのように、槍を咀嚼していた。 「あ、あはははははっ」 渾身の一撃だった。 間違いなく相手は傷を負っている。その巨大な体躯の半分ほどが吹き飛んでいるのだ。 なのにあれは、残った半分で突き刺さった槍を早速おいしくいただいている。 そして彼女の槍を喰らうたびに、傷ついた体が復元していくのだ。 足りなかった。あれは一撃で消滅させないと、際限なく復元していく魔女なのだ。 彼女は昔、家族が揃っていた頃に遊んだテレビゲームを思い出していた。 雑魚モンスターのくせに全快魔法を使うやつ。とにかく自分にも仲間にも全快魔法を毎回唱えるので、一撃で倒せないと延々と戦わされるやっかいな敵だった。 「ボスモンスターが全快魔法ありって、いいのかよ……」 まわりは使い魔だらけ。もう助け手もない。 ほむらも武器が尽きかかっていたから、さすがにここまでか。 仰向けに倒れたまま、何とか胸元のソウルジェムを見る。 それはもう真っ黒であった。 もう自分は、いつ魔女化してもおかしくは無いのだろう。 魔女になるのが先か、こいつらに喰われるのが先か。 そう思っていた矢先に、足が喰われた。もう、喰われる痛みすら、伝わってこない。 遮断しているのではない。もはや肉体の感覚を伝える魔力すら尽きかかっているのだ。視覚と聴覚は生きているが、触覚や嗅覚はほぼ止まっている。 これで使い魔が人間を優先的に襲う性質だったら、もう杏子の肉体は残っていないだろう。基本適当に転がりながら触れたものを喰うという性質のため、特定の物体には執着しないからだ。 と、その目の前に、信じられないものが現れた。 「キョーコっ!」 「ば、馬鹿……」 ゆまだった。信じられない事に、瞬間移動と思われる力で出現し、杏子の足をむさぼっていた使い魔を瞬時に叩きつぶした。 次の瞬間、ゆまもまた倒れる。 「ごめん……もうなおしてあげられるまりょく、のこってない」 「何言ってやがる、早く逃げろ。跳べるんなら、逃げられるだろっ!」 杏子は叫ぶ。 だが、ゆまは逃げずに、必死に立ち上がる。 「ううん、にげられないよ」 そう言いつつ、モールの重さを利用して、また一体、使い魔を潰す。 「わたしのとぶちからって、キョーコとちかづくことにしかつかえないから」 彼女の転移能力は、杏子との絆の力。お互いに結んだ紐を引っ張る事のように、彼我の距離を縮める事にしか使用できない能力なのだ。 「わたし、あきらめない。ぜったい、あきらめない」 杏子を守るように背を向けるゆま。首の後に見えたソウルジェムが、やはり真っ黒だった。 「キョーコがいるから、わたしいきてる。キョーコをまもるためになら、わたしたたかえる」 それはとても気高い心。悪く言えばそれは依存かもしれない。宗教にはまった人が自分を省みず神に仕える様かもしれない。 「馬鹿……野郎」 そんなゆまの姿が、杏子に気力を吹き込む。もはや動かない体を、無理矢理引き起こす。 起きようとして、その体がまた倒れる。当たり前だ。足を半分喰われて立てる人間はいない。 それでも杏子は半身を起こした。 「キョーコっ!」 「おまえが諦めないって言うのに、寝てられるか」 もはや槍も召喚できない。そんな彼女の方に、使い魔が一体転がってくる。 杏子は両手を組み、ハンマーパンチの要領で、ふらつく体の体重も利用して、その使い魔に一撃をくれる。 もちろんそんな程度で使い魔は死なない。杏子の手を餌とばかりに食らいつく。 その寸前、ねこモールがその使い魔を潰す。 「むちゃしちゃだめ」 「無茶なもんか」 杏子はにかっと、彼女独特の笑みを浮かべる。 「まだ、手ぐらい動く。目も見える。一人ならもう駄目だったろうけど、ゆま、おまえがいる」 「ゆまだって、キョーコがいればがんばれる」 二人の目と目が合う。 「こんなになっちまってるけど」 杏子は胸元のソウルジェムを手に取り、ゆまに見せる。 ゆまも首の後ろに手を回し、ソウルジェムを見せる。 それはもう、どちらもほぼ漆黒だ。はっきり言って、グリーフシードに転化しない方が不思議な有様で。 「ゆまのももうまっくろけ」 「おそろいだな」 「うん」 何故かこみ上げて来る笑い。 「こうなったら、最後の最後まで」 杏子がそう言えば、 「ぜったいに~」 ゆまもそう返し、お互い視線を合わせた後、ソウルジェムを天に突き出すように掲げて誓う。 「「あきらめてなんてやるものか!」」 それは決意の儀式。残った気力を奮い立たせる、やせ我慢の言葉。 だがその瞬間。 同時刻、鉄塔の上。 ――おめでとう、たどり着いたのね。 ちぃぃぃぃん、という、陶器のカップを指で弾いたような音が、どこからともなく響き渡った。 「なんだ?」 「あれ?」 杏子とゆまは混乱していた。 手にしたソウルジェムが振動している。ちぃん、ちぃん、と、いう音を立てながら。 杏子とゆま、二人のソウルジェムが奏でる振動と音は、それがまるでひとつのものであるかのような完全な一致をしていた。 そして杏子は、徐々にだが、体力が戻ってくるのを感じる。そして何とか動くようになった首を上に向けたその時。 ソウルジェムの内側に、ぽっ、と火が灯ったのが見えた。 「え?」 それは杏子のものだけではない。ゆまのソウルジェムにも同じく火が灯る。 そしてその火は、次の瞬間ボッという音と共にソウルジェムそのものを包み込む。そして同時に、ソウルジェムにため込まれた濁り――絶望を、瞬く間に燃やし尽くしていく。 並行して流れ込んでくる、熱いエネルギー。自分自身の肉体すら燃やし尽くしかねないような、熱い炎。 「キョーコ、なんだか、どんどん力がわき上がってくる」 「あたしもだ、ゆま。なんだか知らないけど、ありがてぇっ」 そして二人がその力を受け入れた瞬間、二人は爆発的な光に包まれた。 「あれは……」 その様子はまわりにも見えていた。倒れていたマミは、力が戻ってきているのを感じた。 髪につけたソウルジェムに触れると、何かに共振するかのように震えている。手に取ってみると、何故か濁りが、光を浴びてどんどんと薄くなっている。 気がつけば、さやかも、キリカも、目の前で立ち上がろうとしていた。 消えかかっていたほむらが展開していた壁も、その輝きを取り戻している。 「一体、なにが……」 「なんだっていいじゃない、先輩」 マミがそう独りごちた時、立ち上がったさやかが近寄ってきていった。 「奇跡ならありがたくもらっておきましょ」 「考えても始まらないかと」 キリカもやってきていう。 「それにさ」 そしてさやかは、自分のお腹の辺りに手を当てていう。 「さっきからなんか、力がわき上がってしようがないんだ」 「君もか、恩人」 そしてマミは気がつく。さやかのソウルジェムに、何故か炎が灯っている事に。 「行ってくる! フォローよろしく、先輩!」 「同じく」 そうして駆け出していくさやかとキリカ。 マミは、去っていくキリカの背後に見えたソウルジェムもまた、炎を灯している事に気がついた。 「あの炎は、いったい……」 ほむらもまた、謎の光によってその力を回復していた。 「あれはいったい……」 そう、彼女が独りごちた時。 『ま、まさか、まさかまさかまかさまさか!』 爆発的なテレパシーを感じて、ほむらは思わず振り返った。 そして信じられないものを見て目を丸くする。 そこには狂乱したキュゥべえがいた。 『あ、あれはあり得ないはずのもの、打ち捨てられた第一魔法、無限エネルギーの発露、そんな、そんな、そんな、あれは熱力学第一法則違反、無から有を生むもの、そんなものはあり得ない、あり得ない、あり得な』 そこで唐突に途切れるテレパシー。そして信じられないものを見る目のまどか。 「キュゥべえちゃん!」 「あの、なにが?」 キュゥべえの見えない仁美は困惑顔だ。 「仁美さん、今、キュゥべえちゃんが突然おかしくなったんです。そしたら……」 そこから先は言い淀むちえみ。何せ目の前で起こったのは、 突然キュゥべえが破裂して死んだのだから。 その上、 『やれやれ、突然感情疾病を発現した個体が出たから何事かと思ってみれば』 新しいキュゥべえが目の前に現れたのだから。 見えているまどかはともかく、仁美に説明するのは少し憚られる事だった。 そんなコントのような場面を見ても、ほむらは冷静だった。 何せキュゥべえ殺しには定評のある彼女だ。今更この程度では驚かない。 『で。なんなの、あの光は』 冷静に新しく現れたキュゥべえに聞く。キュゥべえ(新)は、黙々とはじけ飛んだキュゥべえ(旧)の死体をまわりの使い魔よろしく咀嚼しながら、それに答えた。 まどかがひいいっと怪奇漫画みたいな顔になっているのはとりあえず無視する。 『まさかこんな奇跡が起こるとはね。あれはたぶん、理論的に否定されていた第一魔法の発現だよ。否定された理論だけに詳しい事は判らないけど、結果だけは判っている。 あれは感情エネルギー、要するに魔力を無限供給できる状態になっているっていう事だよ』 『無限に……?』 『だから判らないって。強いて言えば、絶望を上回る量の希望が無限供給されている状態だ。僕たちが君たちに提供する魔法は、基本的に希望の力を魔力という変化可能なエネルギーにするものだからね。その希望が暴走に近い状態で溢れているんだ』 『あなたたち……そんなわけのわからない事をしていたの?』 そう問うほむらに、キュゥべえは平然と返した。 『僕たちには希望とか絶望っていう事の意味は判らないけど、使えるから使っていただけだよ』 その瞬間、ほむらはこみ上げて来る爆笑をこらえる事が出来なかった。 直感的にほむらにはわかってしまったのだ。 自分には無理だが、世の中にはどうでもいい事に際限なく希望を持つ事が出来るタイプの人間がいる。もしそういう人物が魔法少女になってしまったら、あんな事になるのではないかと。 もっとも、そういう人物は逆の意味で魔法少女にはなれないのだろう。仁美が魔法少女になれないように。 だって、とほむらは思う。 人間、その気になれば希望なんていくらでも持てる。ならばその希望を元にする魔法もまた、実は無限の力を持っていたのではないかと。 なにがあったかは、後で光っているあれに聞けばいい。 今は自分のなす事をするだけ、そうほむらは楽天的に考えた。 キュゥべえの言う通りなら、その方がいい気がしたからだ。 そして、杏子とゆまは。 暴走するほどに溢れてくる力を、必死になって押さえ込んでいた。 「キョーコ、なんかちからがありあまってる!」 「判ってるって、けどどうすれば」 その時ゆまが、いかにも子供らしい事を言った。 「あ、そっか、これ、ぱわーあっぷだ。てれびでみてたあれみたいな」 「パワーアップ? あ、あれか」 杏子の脳裏にも、以前テレビアニメで見た魔法少女物の事が思い出される。 中盤、強大な敵に対抗するために、新たな力を手に入れるという定番のイベントだ。 と、そのとたん、荒れ狂っていた力が方向性を以て流れを変えた。 杏子はそれで理解した。力に方向性を与えて定義すれば、この力の奔流は収まると。 「ゆま、想像しろ! パワーアップした、新しい自分を!」 「わかった!」 口ではそう言っても、実際のところ、杏子には細かい想像など出来なかったし、無意識的な想いが勝手に暴走した後だったりした。 だが、方向性を与えた事により、莫大な力は収縮を開始する。 全身は瞬く間に復元され、コスチュームも元に戻る。いや、さらに進化する。 全体的に装飾が増え、作りもしっかりする。ソウルジェムが変化する飾りも、一回り豪華になっていた。 そしてソウルジェムは、相変わらずその中に炎を灯したままであった。 ゆまの姿も、やはりそんな一段階進化したかのような形になっている。 「いけるか、ゆま」 「うん。キョーコ」 そして改めて杏子は、強大な魔女に対峙する。 だが、不思議と恐ろしくはなかった。 まわりを見回せば、マミ達も復帰している。さやかとキリカは、姿こそ変わらないものの、やはり一段階パワーアップしたかのように見違えるほど鋭い動きで周辺の使い魔を駆逐している。 ほむらの壁も、さらに強固になったようだ。 そして杏子は、この果て無き魔女を倒すための技に気がついていた。 かつて自分が使い、あの別れからは封印していた技。 その技はあくまでも幻惑の技であった。だが、今の自分なら。 ただの幻影ではない、より進化したものが繰り出せると。 そして言霊は紡がれる。 「一撃で決めてやるぜ」 槍を構える杏子の内から、膨大な魔力がわき上がる。 「ロッソ・ファンタズマ――」 言霊と共に、杏子の姿が増える。それはかつての技。幻惑による分身により敵を惑わし、必殺の一撃をたたき込む、かつての杏子の必殺技。 だが、今その技はさらなる進化を遂げる。 幻影はもはや幻影ではなく、ただ惑わすものでもなく、それ自体がダメージを与える、文字通りの分身に。 さらにはその数も、2つや3つでは収まらない。かつての限界を超え、その姿が際限もなく膨れあがる。 そして今、締めの言葉が発せられる。 「インフィニッテ!」 無限の分身による攻撃が、トウテツの元に殺到した。 トウテツもまた、無限の使い魔で無限の分身を迎撃する。だが、迎撃してなお杏子の分身の方が手数が多かった。全身をハリネズミのようにするトウテツ。そしてその全身に刺さった槍が、 一斉に巨大化した。 さしものトウテツも、これには耐えきれなかった。さすがの無限回復も、全身を一度に殲滅されては再生のしようがない。 それまでの苦戦が嘘のように、トウテツは倒れた。 「やったわ!」 「すっげーっ!」 「これはこれは」 マミも、さやかも、キリカも思わず感心してしまった。 「やったー!」 「お見事ですわね」 「すっごい」 まどかも、仁美も、ちえみも、杏子を称賛した。 そして、 「これが、奇跡の力、なのかしら」 ほむらは、来るべき未来を見据えていた。 この力なら、ワルプルギスの夜に至れるのかと。 集結する魔法少女達。いつもなら、この後は魔女の結界が消えるに任せるだけであった。だが、今回は少し違う。結界の綻びから多数の被害が出ている上、自分たちの姿が目撃されている可能性が高い。 そんな中、杏子とゆまが言った。 「今更出来るかどうかわかんねえけど、何とかしてみる」 「ゆまもがんばってみる」 そして杏子は封じていた幻惑の力を。 ゆまは治癒の力を。 全開で解放した。 その結果…… 「奇妙な結末になったわね」 週明けの月曜日、昼。 見滝原組は、全員集合して昼食を取っていた。 「事件そのものが謎の怪奇現象になってしまっていますし」 「魔法少女の事なんかかけらも出てないね」 仁美が持って来た日曜の新聞には、滝の上の怪奇事件としか書かれていなかった。 曰く、バケモノが襲ってきたという事は判っているのに、そのバケモノの姿などがほとんど記憶に残っていないというのだ。 おまけに、死者はいるのに怪我人が皆無に近いという有様。これは実のところ、ゆまの治癒魔法が暴走して、周辺の怪我人が無差別に治ってしまったせいだったりする。 「まあ、本格的に司直の手が入らないのはよしとするしかないわね」 ほむらがそう言う。 実際のところ、そうなる可能性は高かった。まともな捜査は期待できないだろうが、社会が魔女の被害を認知するというのは大きい事なのだ。 今大人でこの事を知っているのは、おそらくちえみの両親とまどかの両親、そしてその周辺の一部だけであろう。 そう、まどかは事の顛末を両親に報告していた。死者も出た以上、隠しておくべきではないと思ったのだ。 両親はなにも言わず、まどかを抱きしめた。 「ま、バレなかったのはよかった、って思うしかないんだよね」 「死んだ人には申し訳ないが、私たちに出来る事は何も無い」 さやかがぼやき、キリカが慰める。 「私たちは魔法少女として、少しでも被害を減らさないといけないという事ね。それが願いを掛けてしまったものの負債」 マミは、そうまとめるように言った。