『それ』は、かつての歴史においては、魔女に育つ前、使い魔の段階で狩られていた存在だった。 マミによるまどかとさやかのツァーの中で。 だが、その移動するという性質ゆえ、今回の事前の狩りにおいて、使い魔でしかなかった『それ』は見逃されていた。 そしてその見落としが、今回の歴史においては芽吹いた。 暗闇の魔女ズライカ、その性質は妄想。 暗闇の中ではほぼ無敵だが、現代の灯りの中ではそれほど恐れるほどではない。 使い魔は魔女に育ち、それどころか学習していた。 自分を苦しめる灯りは、消す事が出来るのだと。 「あれ? なんで街灯が?」 不自然に消えた街灯に、さやかが疑問を持つ。 仁美やまどかも首を捻っていたが、同時にまどかは異様な違和感を感じ取っていた。 「さやかちゃん、仁美ちゃん、なんか変な感じが」 「変な感じですか?」 「あたしは別に……ひゃっ、なんか感じた!」 仁美は感じなかったようだが、さやかは何か感じたらしい。 そして三人は、公園の外れで、幽鬼のようにさまよう人を見た。 「明るいのはいやだあ~」 「眩しいのはいやだあ~」 どこからか持ち出された高枝切りばさみで、街灯に繋がっている電線が切られる。 バチッという音と共に電線が垂れ下がり、街灯がすっと消える。 明らかに常軌を逸した人の群れであった。 「あ、あれって、ひょっとしたら……」 「魔女に操られているの?」 その懸念は当たっていた。 周辺の街灯の電気が消え、辺り一帯がかなり暗くなったと同時に、まどか達は『それ』を感じた。 現実と切り離された、異界に自分たちがとらわれた事を。 「この感じ……」 「なんか、あの時みたいだ」 それは、まるで『黒い霧』が立ちこめているようだった。出来る限り辺りを暗くしようとする、闇の結界。ただ、周辺のビルの灯りなどのせいか、完全な闇には至っていない。 そんな中、かすかにうごめく『使い魔』の存在にまどか達は気がついた。 「さやかちゃん、仁美ちゃん」 「うん。これはヤバいよ……」 「脱出しないと、私たちもこの闇に閉じ込められてしまいますわ」 その場に留まるのは危険だと判断する三人。だが、その途中、彼女たちは気がついてしまった。 だらしなく座り込み、ぶつぶつと奇怪な言葉をつぶやきながら、夢でも見ているかのように顔を緩めている幾人の大人達の姿を。 そしてまどかとさやかの目には、その首筋で不気味に光る、あやしい紋章が映っていた。 「なんかあれ、よくないものみたい……」 「ほっといたら、あの人達……」 「私には見えませんけど、何かの印をつけられているのですか?」 仁美の質問に、まどかとさやかは頷く。 「だといると、このまま放置すると、あの人達は……」 その先は、言葉にせずとも想像がついてしまった。 「ああもうっ、マミさん達は遠征中だし。ほっとく訳にもいかないし……」 そう頭を抱えたさやかが、何かに気がついたかのように固まる。 「これって……運命なの? あたしに、覚悟を決めろって……」 「さやかちゃん……」 「さやかさん……」 そして顔を上げたさやかの瞳には、今までにない光が浮いていた。 「まどか、仁美」 力強い声で、さやかは宣言する。 「変な話だけど、恭介に会っておいてよかった。そうじゃなかったら、迷っていたかもしれない」 そして闇の中、確信を持ってさやかは呼ぶ。 「いるんでしょ、キュゥべえ」 『呼んだ?』 それに応えるかのように、姿を見せる使者。 「契約するよ、キュゥべえ。あたしの願いは、恭介の腕の治療法が発見されて、それを恭介が受けられる事。それも迅速に、数日のうちに!」 キュゥべえはなにもいわない。ただじっと、さやかの事を見つめるだけ。 そして…… さやかの胸の辺りに、ぽっ、と光が点った。使い魔らしき存在も、その光を恐れるかのようにささっとさやかのまわりから遠ざかる。 「ん……くっ……ああっ!」 そして光り輝く『何か』が、さやかの胸から飛び出し、浮かび上がる。 『おめでとう、君の願いはエントロピーを凌駕した』 感情のこもらないテレパシーで、キュゥべえが宣言する。 『さあ、手にとってごらん。君の力を。使ってごらん、君の魔法を』 さやかがその光るものを両手で握りしめると同時に、辺りは爆発的な光に包まれた。 かわる。 カワル。 変わる。 見滝原中の制服が、戦いの衣装に。 平凡な少女が、力の象徴に。 その背にマントを、その手に剣を。 さやかを象徴するマリンブルーの輝きが、辺りを圧倒する。 「これが、あたしの、力……」 体が軽い。銃の引き金部分を思わせるナックルガードのついた剣を掲げ、さやかは雄叫びを上げる。 「うぉぁぁぁっ!」 そして剣を叩きつけられた使い魔は、なんの抵抗もなく切り裂かれ、消滅した。 ただ、このまま突っ込むとまどか達が心配だ。ならば。 さやかがマントを翻すと、まどか達のまわりに剣が降ってきた。その剣はまどか達を取り巻くように地面に突き刺さる。 一瞬閉じ込められたかに思ったまどかと仁美であったが、それが自分たちを守る壁である事をすぐに理解する。 「さやかちゃん!」 「いってくる。まどか、仁美」 そしてさやかは闇の中に突き進み……はじき出されてきた。 「のわっ!」 闇が濃くなり、お互いの顔を見るのもつらくなる。 「く……思ったより固い」 へその辺りでかすかに光を放つさやかのソウルジェムが、歯を食いしばるさやかの顔を下から照らす。 「大丈夫?」 ちょうど剣の壁の辺りに転がされたさやかを、まどかが気遣う。 「思ったより固かったんでバランス崩しただけ。心配しないで、まどか」 そうしてさやかは迫ってきた魔女に立ち向かう。 この魔女は、暗闇の中にいるせいか、姿がよくわからない。もっともたいていの魔女は見るに堪えない姿なので、積極的に見たいとも思わなかったが。 だが、立ち向かうさやかが、苦戦しているのは明らかだった。 「さやかちゃん……」 心配そうに見つめるまどか。 「私も……」 そう言いかけたまどかの肩を、仁美がぎゅっと押さえる。 「いけませんわ、暁美さんにいわれたでしょう」 仁美の声が、まどかの頭を冷やす。 それでも、まどかの心の天秤は、危険な方に傾く。 だがその時、少し離れた場所で、闇を切り裂かんばかりの光が天を貫いた。 「え……?」 「あれは、先ほどのさやかさんのような」 まどかと仁美は、その光が照らす中、お互いの顔を見合わせてしまう。 「誰かが、魔法少女に?」 「でもいったい……」 だがその疑問は、魔女の悲鳴によってかき消される。 突然の光に動きの止まった魔女に、ようやくさやかが一矢報いたのだ。 「さやかちゃん!」 「まだだ!」 だが、入ったのはその一撃だけ。光が消えると同時に、再び魔女の攻撃が激化する。 位置的に見て背後にまどかと仁美、そして犠牲者がいるために、さやかはあまり回避する訳にもいかない。 そのためさやかは先ほどから何度も攻撃を受け、そのたびに血しぶきを舞い散らせている。 「大丈夫なの、さやかちゃん!」 「平気平気っ! どうもあたしの力って、こういう事みたいだから!」 よく見ると、傷がついた部分に円環状の五線譜が浮かぶと、その傷があっという間に消えてしまう。 『自己再生……それが彼女の魔法なんだね』 そこに響く音無き声。 「キュゥべえ! どこ行ってたの」 まどかの声に、仁美もキュゥべえが近くにいる事を悟る。 そしてキュゥべえは告げる。 『僕は契約を望む少女のところにいるものだよ』 「え、それじゃ」 その疑問に答えるまでもなく、さやかに襲いかかっていた闇の触手が、駆け込んできたさらなる闇に切り飛ばされる。 そこにいたのは、つい昨日見た顔。 そして今日、ほむらとの話にも出た人物。 「き……キリカさん」 「大丈夫かい、恩人達」 その口調からは、昨日見た人見知りする様は全く存在していない。 「な、なんで、キリカさんが……」 さやかも思わずそう聞いてしまう。はっきりいって戦闘中にそんな事をするのは殺してくださいというようなものだ。 しかし、そこにはキリカがいる。隙を見せたさやかに襲いかかる使い魔を、三本揃った、鎌を思わせる武器で、彼女は蹴散らす。 「話は後。今はこいつを」 「うん」 そして二人の魔法少女は、初めての戦いに舞い戻る。 前日、まどかとさやかから思わぬ親切を受けたキリカは、ここ数年無かった、心の温かさを感じていた。 明日は学校に行ってみよう、そう思わせるくらいに。 午前中で授業が終わり、二年の教室の方にいってみると、二人の恩人は友達らしき人達と下校するところだった。 キリカは何となく、彼女たちの後をつけてしまった。 ショッピングモールのバーガーショップで、彼女たちは他校の友達と待ち合わせをしていたようだった。やがて彼女たちは、三人ずつの組に分かれる。 キリカは彼女たちのいるグループの後を追った。 彼女たちが向かったのは総合病院であった。どうやら誰かが入院しているらしい。彼女たちが見舞いに来た事を確認すると、さすがにここは遠慮して病院のロビーで待った。 やがて出てきた彼女たちを、キリカは再び後をつけるように動く。 自分でもなにをしているんだろうとは思う。だが、やめる事も考えられない。 だが、ここで思わぬ事態が生じる。奇怪な行動をする人たち、広がる闇とバケモノ。 だが何より目を向いたのは、彼女たちがおびえるのではなく、それに立ち向かった事。 そして、白いマスコットのような生き物に導かれ、彼女たちのうちの一人が、なんと『変身』した。 それは衝撃だった。ある意味世の中を斜めに見ていたキリカの心に、まっすぐに突き刺さる衝撃。 この瞬間、キリカの心は、遠目に見える彼女の光に魅了された。 そしてその心の光を、見逃さない存在も、また側にいた。 『君も、なりたいのかい? 心から叶えたい、願いがあるのかい?』 その声(?)の方を見れば、そこにいたのは、先ほど彼女たちの側にいた、あの白いマスコット。 『もし君に叶えたい願いがあるのなら、そして今君が見ているように』 その視線は、闇の怪物と戦う彼女の方に向かう。 『ああいった怪物……『魔女』と戦う事を恐れないというのなら』 そしてマスコットは、あまり表情のない顔でキリカをじっと見つめる。 そしてその表情を全く崩さないまま、声だけはかわいらしく、その言葉を告げた。 『僕と契約して、魔法少女になってよ!』 キリカが何か見えない『力』を振るうと、相手の速度が目に見えて遅くなる。 まだ慣れないさやかでも、軽々と躱せるくらいに。 そうして生まれた隙に、さやかとキリカは襲いかかる。 だが、魔女はタフだった。 二人がかりの攻撃すらも、ものともしない。 「思ったより、強いな」 「ですね、キリカ先輩。でも、負けられない」 「先輩と呼んでくれるのか、うれしいな、恩人」 だが、戦いは明らかに膠着している。二人になって余裕が出来たさやか達だが、魔女はなかなか倒れない。 後で見ているまどか達も、はらはらしっぱなしだ。 「大丈夫かな、さやかちゃん、それにキリカさん……」 「あの人が、今日お話ししていた、キリカさんなのですか?」 「うん。ほむらちゃんの言ったとおりになっちゃったね。本当に助けに来てくれた」 そんな事をまどかと仁美は話していたが、そのうち仁美の目が細められ、眉間にしわが寄る。 「何か変ですわ……」 「どうしたの、仁美ちゃん」 「いくら何でも、魔女が丈夫すぎます。先ほどの一撃以後、攻撃を受けても、魔女にひるんだ様子がないんですの」 「そういえば……」 先ほどのキリカのものと思われる変身の一瞬には、確かにさやかの攻撃が入っていたのだ。なのに今は二人がかりなのに堪えている様子がない。 「なにか倒すための弱点とかがあるのでしょうか」 その様子を見て、仁美がそう呟くようにいう。実際、まどかに向けた言葉ではなかったのだろう。 だが、それが引き金になって、まどかの脳裏に、いくつかの光景が走馬燈のようによぎった。それは一瞬の事で、まどかにも自覚のあるものではなかった。 奇怪な行動をする、操られた人たち。そのこと達が口にしていた言葉。 だんだんと暗くなった周囲、闇そのものみたいな魔女。 変身して『明るくなった時』に入った攻撃。 それらがまどかの頭の中で結びつき、一つの結論を出す。 「もしかしたら!」 思わずそう叫びながら、まどかは携帯を取り出す。 「まどかさん?」 怪訝そうにしている仁美を無視して、まどかは携帯のモードをカメラに変える。モードは夜間撮影。そしてそのレンズを、まどかは魔女に向ける。 そしてさやかが攻撃を当てようとする瞬間に合わせて。 まどかは、シャッターのボタンを押した。 その瞬間、携帯に付属しているフラッシュが魔女を照らす。 さやかは少し驚いたものの、背後からの光だったため攻撃の手が止まる事はない。 そしてその攻撃は 魔女を、深々と切り裂いた。 「え?」 あまりに軽かった手応えに、さやかは一瞬とまどう。さっきまでは固かった魔女が、あっさりと深手を負っている。 「やっぱり! さやかちゃん、その魔女、明るいのが苦手みたい!」 そこに飛んでくるまどかの声。その瞬間、さやかもまた悟った。落ち着いて考えてみれば、ヒントはいくらでもあったのだ。 そうとわかれば。 ちらりとまどか達の方を見ると、まどかだけではなく、仁美も携帯をカメラモードにして身構えている。 もう、言葉はいらなかった。 そのままキリカの方を見る。彼女も理解したのか、眼帯の掛かっていないほうの目でウィンクをする。 そして二人が魔女に襲いかかるのと同時に、背後から激しく突き刺さる二つのフラッシュ光源。 タイミングはどんぴしゃりだった。 二人の攻撃は、今度もまた魔女に深々と突き刺さり、 魔女は、断末魔の声と共に滅びた。 こうして、二人の魔法少女のデビュー戦が終わった……かに思えた。 だが、土曜の暑い夜は、まだ終わってはいなかった。 それは白い獣が告げた言葉。 「滝の上に向かったマミ達が、危ないらしい」