「あの、ほむらさん」 見滝原中学の長い廊下で、まどかは思い切って話しかける。 恩人であり、夢にも現れる、不思議な人物である、暁美ほむらに。 「……何かしら」 対するほむらには、どこかとまどう様子が見られる。 しかしまどかは、そのような細かいことに気づかぬまま、その言葉を告げた。 「あの、ほむらさん……以前」 転校生はスーパーヒーローだった。あえてヒロインとは言わないのがお約束。 文武両道、しかも美人。スタイルに関してはまだかもしれないが、これで最近まで長期入院していたというのが信じられないほど。 休み時間になると当然興味を持ったクラスメイトに取り囲まれることになったが、 「申し訳ないけど、まだ薬を飲まないといけないの。保健委員の方はどなたかしら」 と言う彼女の言葉によって、保健委員であったまどかはこうして二人で保健室までの通路を歩く事になった。 あまり人気のない長い通路。ここでまどかは、思い切って話しかけることにしたのだ。 そして思いきって語られた一言。 「以前、眼鏡を掛けてお下げでいた事って、ありますか?」 その言葉を聞いた瞬間、ほむらは今までのループ人生最大級の衝撃を受けていた。 完全に思考がフリーズする。ここしばらく、あの別世界にいたせいでまどかと会っていなかったのもあった。 「なんで、知っているの……」 そう呟いた自分の言葉すら、完全に意識から離れたもの。 ほむらの目には、通路の光景すらホワイトアウトし、困った顔をしているまどか以外は映っていない。 いや、認識できない。 「なんでだかわからないんですけど、見えた……気がしたんです。その、本当に映像になった訳じゃないんですけど、なんかこう、教壇のところに立っているほむらさんを見た時、あれ? っていう感じて、見えたというか、感じたていうか……その、うまく言えないけど、そう、見えた気がしたんです」 それを聞いたほむらの口から出た言葉は、またもや思ってもいないこと。 「お願い、そんなに丁寧に話さないで」 「はい?」 突然跳んだ話題に、ついて行けないまどか。 「私のことをさん付けなんかで呼ばないで。そんな話し方しないで。話しやすいように、気にしないで話して」 ほむら自身も何でこんなことを言っているのか判らない。なのに何故か口から出るのはそんな言葉。 だが、返ってきたのは、あまりにも残酷な言葉。 「キュゥべえから聞きました。ほむらさん、訳あって何度も同じ時間を巡っているって。だとしたら、本当はほむらさん、私たちより年上なんじゃないかなって」 ほむらの心に、致命傷とも言える一撃が突き刺さる。それはかつての歴史、あの決戦の前、はからずしもほむら自身がなにも知らないまどかに告げた言葉。 自分の生きる時間はあなたのものとは違う。 その言葉が、まさにブーメランとなってほむらに襲いかかっていた。 「だから、あんまりなれなれしい言葉を使ったら、失礼なんじゃないかと……どうしたんですか?」 ほむらは、泣いていた。かすかに内側に残る理性は、何やってるのよ、私は! と怒声を上げている。なのに、表に出ている感情が抑えられない。自分で自分が制御できない。 「お願い……」 そう呟くように漏れた言葉に、まどかは足を止めてしまう。 クールビューティーはどこへやら。今のほむらは、まるで行き場を無くした子供だ。 「好きになってなんていわない。友達になってなんていわない。怖がられてもいい。嫌われてもいい。でも……」 もう、駄目だった。自分の中で押さえつけていた何かが、完全に壊れてしまったのを、ほむらの理性は感じていた。 「そんな他人行儀な態度だけは、とらないで……」 そんなほむらの弱々しい態度は、まどかにとっても衝撃だった。一瞬、走馬燈のように、認識できない何かがまどかの中を走り抜けた。 そんなまどかの口からも、まどか自身が認識していない言葉が漏れる。 「ほむら、ちゃん……?」 その言葉を聞いたとたん、ほむらは崩れ落ちた。 「え、あ、ひょっとして発作とか!」 まどかは大慌てでほむらを抱き起こした。 その体は、思いの外軽かった。 ほむらが気がつくと、保健室だった。よく知っている保険医の先生が、心配そうにこちらの顔をのぞき込んでいる。 「大丈夫? 暁美さん。幸い心臓の発作じゃなかったけど、まだ無理は禁物よ。一時的な貧血みたいだったから、もう大丈夫だとは思うけど、くらくらしたりしない?」 「……はい、大丈夫です」 「もうすぐお昼だから、鹿目さんにお礼を言うといいわよ」 「はい」 そう返事をした後で、ほむらはあることに気がついた。 (なんか、前のループでも同じ会話をした気がするわ) これもループの影響かしら、と思考を巡らせたところで、自分がなんかとんでもないことをしたことを思い出した。 顔とは言わず、全身の血が駆け巡って火照る。たぶん、今の自分を鏡で見たら、顔どころか全身真っ赤だろう。 そして自覚する。もう駄目だ。もうあの自分には、『もう誰も信じない』と誓った、あの自分には戻れないと。 後半戦に入って、いろんな事を知った。 他人のことを。世界のさらなる裏側を。 そして、他人と本当に力を合わせることを。 秘密を共有することを。本当に信じられる仲間を見つけることを。作ることを。 マミが世話好きな理由が、少しわかった気もした。 もう自分は、この先何度ループしても、孤独に戦うことにはもう耐えられないだろう。 ちえみがいてくれなければ。 マミがわかってくれなければ。 さやかと対立すれば。 杏子に無視されたなら。 そして、まどかを……友に出来なければ。 たぶんそれだけで自分は絶望に至る。 そうであった過去を懐かしみ、つらい未来を切り捨て、筋書きの決まった未来通りに、舞台の上で踊る存在になってしまう。 (ああ……だからなのね。私の魔女化した姿が、舞台装置の魔女なのは) 今こそほむらは理解する。魔女化の真実を。魔女の持つ『律』の意味を。 ほむら自身は気がつかなかったが、ほむらがそう考えること、それは、自分の持つ『弱さ』を認めること。 それこそが最後の奇跡を開く鍵の一つであることに気がつくのは、まだ先の話。 「ほむらちゃん、大丈夫かな……」 「ん? もう仲良くなったの?」 心配そうに保健室のある方角を眺めるまどかに、さやかがあれっという顔をしつつ聞いてくる。 「え? 仲良くなったって?」 「いや、ほらさ、なんか呼び方があたしと変わらなくなってる」 「あ、そうだね」 指摘されてまどかも気がつき、何故か顔が火照る。 「ん? 何か友情と言うより、どことなく百合百合しい香りが」 「な、なによそれ」 何気なくからかったさやかだが、まどかの態度を見て少し眉が寄る。 「なんか本気で百合の香りがするんだけど」 「えっ、えっ、えっ? なんで? なにそれ?」 なんかまどかがパニックに陥っている。どうやら少なくともまどかにその気はないな、とさやかも少し安堵した。 これで本格的に赤くなられようものなら、さすがに少し親友との友情を考え直さないといけなくなってしまう。 「まあ、別に私は親友が百合に走ったとしても生暖かく見守るだけだけど」 「なまあたたかくって、ひどいよ~」 「冗談冗談。でも、なんかあったの? 最初はちょっとおっかない目で見てたのにさ。そりゃあの人、見た目より遙かに凄い魔法少女だって言うのはあってもさ」 「うん……」 さやかの言葉に、まどかの態度が少し沈む。 「ねえさやかちゃん」 「なに、まどか」 「たとえばだけど、突然私が、二~三才年上になって今のさやかちゃんの前に現れたら、どう思う?」 「まどかが? う~ん」 少し考え込むさやか。 そして出てきた答えは。 「ごめん、想像付かない」 あんまりな答えに、こけるまどか。 「さやかちゃん……」 「あはは、ごめん。でもさ、悪いけど本当に想像付かないの。あたしにとっては、まどかはまどかで、私より年上のまどかなんて思いつきも出来なくてさ」 「そういうものなのかな……」 「……んで、それが彼女と何か?」 「え?」 ぼけるまどかを、呆れた目で見るさやか。 「あのさまどか、この流れでそんな話題振ってきたら、どう考えたってあの転校生のことでしょうが」 「あ、そっか……そうなんだけど、あのね、さやかちゃん」 そこで一旦言葉を切り、周りを見渡すまどか。 こちらを気にしそうな人はいない。 それを確認すると、声をひそめてまどかは言葉を続けた。 「ほむらちゃんって、私たちより年上になるんだよね」 「え? ああ、そういう事ね」 さやかも考えてみてそう結論づける。 「でもさ、それって、気にすることなのかな?」 「え?」 が、続けて返ってきた言葉に、まどかは少しとまどった。 「なんていうかさ、実際にそういう事になってたとしても、あたしにはほむらさんは同級生にしか見えなくて、たぶんもう少し気心が知れたら、まどかと同じように普通に呼び捨てにしてるんじゃないかって思うよ?」 「そうなの?」 「うん。こう言うのは変な言い方だけど、マミ先輩とほむらさんじゃ、なんというか、こう……雰囲気が違うんだよな。マミ先輩はもうどこで切っても先輩っ! ていう感じなんだけど、彼女は実際年上だったとしてもそんな事忘れてタメ口きいてる雰囲気なんだよね、これが。 もう少しつきあってみないと微妙なところはわかんないけど、さ」 まどかは何となくだが、さやかの言うことが正解のような気がした。 ほむらが戻ってきたのは、ちょうど4限が終了した時だった。 わかりやすく言えば、お昼休みの直前である。 見滝原中は給食がないので、この時間弁当を持たない購買派の人間が大挙して教室からあふれ出すことになる。 間の悪い時に帰ってきたほむらは、危うくその波に呑まれるところであった。 それでも何とか人並みをやり過ごし、教室に戻ると、ちょうどまどかとさやかが、仁美を伴ってお弁当を広げに屋上へ向かうところであった。 一瞬、まどかとさやかの間に微妙な時が流れる。 「あ、大丈夫でしたか? 私たち、これからお昼なのですけど、よろしければ暁美さんも一緒にいかがかしら」 その間を読んだという訳ではなさそうであったが、それでも絶妙なタイミングで仁美が誘いの言葉をほむらに向ける。 内心まどかとさやかは(ありがと~~、仁美ちゃん)である。 そしてほむらも、一瞬気まずくなりかけた雰囲気が和らいだ隙を逃す気はなかった。 「ご一緒させていただくわ」 さすがに今日は弁当とは行かず、買い置きのパンであったが、ほむらはそれが入った袋を片手にまどか達と歩みを共にした。 お昼ご飯は合流してきたマミを含めて特に何事もなく進み、今はマミ謹製の紅茶で全員がほっこりと和んでいる。 「だけどさ……こうしてのんびりしてると、こんな平和な風景の中に魔女が潜んで、人に迷惑掛けてるなんて信じられないよな……」 そんな中、さやかがそう呟いた。 うららかな口調とは裏腹の物騒な内容に、他の四人が少しぎょっとした顔をする。 「……なにが言いたいの?」 今までのほむらなら、おそらくこんなことをさやかが言ったら、甘えるんじゃないとばかりにばっさりと現実という刃で彼女を切り捨てていただろう。 だが、今のほむらは、何となくさやかがただ甘えてそれを言ったのではないと判った。 何より今のさやかは『知っている』。 魔法少女の真実も、恐怖も、そして、ほむらはまだ気がついているとは知らなかったが、さやかはその果ても知っている。 当然ながら、言葉の重みが全然違っていた。 「あのさ、えと、その……ああもう、何か言いにくい転校生、ほむらって呼んでいいか?」 「え?……ええ、いいわ、好きに呼んで」 一瞬、ほむらは彼女がなにを言っているのかが判らなかった。それが自分をなんと呼ぶかだったことに気がついて、好きにしろと言う。 実際ほむらは今まで、後半のループに至っても、こういうふうに面と向かって呼びかけられるということがなかった。 和解していた周回では、まどかとセットでいつの間にかほむらと呼ばれていただけに、改まるとなんだか恥ずかしいものがある。 そして改めて、自分が追い込まれていたことに気がつくほむら。 わかったつもりになっていても、また自覚される、一人になる事の恐怖。 それは直接的な恐ろしさではない。自分が気がつかないうちに、世界が閉ざされていく恐ろしさ。 世間でいろいろ取りざたされる、引きこもりなどに陥る人間は、こういう心理を通じて世の中を受けいられなくなるのだと、ほむらは理解した。 事実、前半ループラスト近くの自分は、社交的に振る舞っていただけで心理的には引きこもりと大差ないことに、今更ながらに気がついた。 それに時間遡行という、究極のやり直し、理想の具現化を加えたら、まさに出来上がるのは舞台劇だ。 ならば自分はそれを否定する。自分に酔って、あんな代物になりはてるのはごめんだ。 「んでさ……今はマミさんとほむら、そしてちえみちゃんなんかが、見滝原の平和を影ながら、ある意味仕方なく守っているんだよね。いろんな事情がさ、こう、大人の現実みたいに、ごちゃごちゃに絡まって。 ドラマみたいにわかりやすくもなく、かといってビジネスライクって言うか、おまわりさんみたいにただの仕事とか役目とかだけっていう訳でもなく、さ……」 「あら、さやかさんにしてはずいぶんと難しいことを考えているのですね」 「ちょっと仁美! せっかく人が珍しくも決めてるのに」 「あら、珍しいって言う自覚があったのですか?」 果てしなくシリアスに傾きつつあった雰囲気が、一気に崩れた。 マミも、まどかも、そしてほむらすら、笑いをこらえるのに必死だ。 「でも、なんでまたさやかさんが、そんな真面目なことを?」 落としてもフォローは忘れない淑女、志筑仁美。 さやかは、少し赤くなって下を向きながら、訥々と話し始めた。 「ここんとこいろいろあっただろ……私もさ、少し真面目に考えてみたんだ。こんなこと考えてるとネットとかじゃ厨二、なんていわれたりするんだろうけど、何しろ現実が厨二設定を上回っちゃってるだろ? よく痛いっていわれているネタが現実になると、こうも洒落にならないのかって、少し堪えてさ」 他の皆も思わず首が縦に動く。 まどかは電波な夢で、マミとほむらは魔法少女実行中で、仁美もそれに巻き込まれたポジで、全員絶賛厨二病罹患中だ。 「マミさん達の実体見ていると、単なるあこがれで魔法少女やるっていうのはまずいんだなっていうのはわかる。はっきりいって恭介の事何とかしてやりたいっていう、心から叶えたい願いもある」 また少し、さやかの顔が真面目になる。 「ねえほむら、あんたは知ってるんでしょ、私が安易に魔法少女になった際の末路。私とまどかを魔法少女にしたくないのがさ、そのせいだって言うのは判るのよ」 「……否定は出来ないわね」 真面目にさやかに話しかけられ、ほむらも真面目に考えて答えを出す。 そして思う。いつになくさやかが真摯で真面目だと。マミにも感じる、『知ることの強さ』を、ほむらはさやかにも感じていた。 なら、話すのもいいかもしれない。 ほむらはそう感じていた。 「もし、その未来について知りたいなら、教えてあげるわ。でも、結構プライベートなことについても踏み込むわよ。この場で話していい話題じゃないような、恋愛ごととかも含むけど」 そう真面目に返したほむらの言葉は、何故か笑いで返された。 「あのさほむら、恋愛ごとっていってもさ、ここにいるみんなにはもうバレバレでしょ、あたしが恭介を好きなの」 「そ、そうね……」 この時、ほむらは心底、今のさやかは『強い』と思った。 そのまま話は真面目な相談モードになるかと思われたが、残念ながら昼休みが終わってしまい、まどかの相談事と合わせて、放課後またという事になった。 ちなみに仁美に、念話での内緒相談は禁止されてしまった。 そして放課後。 いつものハンバーガーショップは、ちょっと華やかな雰囲気に包まれていた。 女三人寄ると姦しいなどといわれるが、六人だとどうなるのか。 しかもそのうち三人は、明らかにレベルが高い。 まどか、さやか、ちえみは悪くはないが基本そこそこレベルである。だが、マミ、ほむら、仁美は間違いなくハイレベルの美少女である。 もっとも、そんな美少女達が話していることは、意外にヘビーなことだったりするのだが。 まずは昼からの流れで、さやかに対する事情説明。ちえみが少し意外そうな顔をしていたが、とりあえず傍観モードのようだ。 ほむらはあえてほとんど隠し事をせずぶっちゃけた。ループ全部を話すとややこしいので、まどかが昇華したあの回を基本にする。 「仁美ぃ……」 「あの、私でない私のことですごまれても応えようがないのですけど」 引き金を引いた横恋慕話は、皆不謹慎なという顔をしつつも当事者以外内心わくわくなのがバレバレだった。 「ちなみに今回は?」 そう詰め寄るさやか。もっともこの話を他人事として流せていない仁美の態度を見れば答えなぞ丸わかりだ。 「ごめんなさい。惹かれていますわ」 「つまりはまだ横取りしたいほどではないにしてもその気はある、と」 「その……自分の心というのは、抑えがたいものなので」 「あ、それはいいのよ。私もまだ告白した訳じゃないし、ほむほむの話によれば、仁美に告白されてあっさりつきあい始めているところからしても、恭介が私を好きだったという線はない訳でしょ、少なくとも今現在においては」 これまたぶっちゃけたさやかの態度に、思わずこける一同。 「ところでほむほむっていうのは何かしら」 「あ、いや、こうまでぶっちゃけた話聞いたら、なんだか他人の気がしなくて。んでなんかそう呼んでみたくなったというか……」 「何となくそう言われると馬鹿にされている気がするのよ」 「わかったわよ、真面目な話の時にはいわないようにするから」 思ったより真面目に迫られて撤回するさやか。似合うと思うんだけどな~などとつぶやいている様子からして、また隙あらばそう呼ばれるのは確定か。 「でもさやかちゃん、真面目な話、どうするの? ていうか、なんでそんな話聞きたかったの?」 「ん……ちょっとこれは恋バナとは別の、真面目な話なんだけど」 改まるさやか。 「あたしさ……恐い目見て、恐い話聞いて、いいことも悪い事も全部ひっくるめて、そんで考えてさ……それでも、まだやってみたい、魔法少女してみたいっていう自分がいるのよ。この胸の中に」 「あなた……」 少し丸くなった目でさやかを見るほむら。マミも、ちえみも、少し驚いた目でさやかを見る。 「安易な気持ちでは、ないのね」 真面目な目でさやかを見据えるマミ。さやかは、その目を真っ向から受け止めていた。 「うん……変な話なの。あんだけ恐い目を見ているのに、それでも、なんかこう……自分がのうのうとしていていいのかっていう気持ちが止められないの。マミさんやほむほむが頑張っているのに、自分だって力を貸せるっていうのに、それをただ見ていていいのかっていう気持ちが、抑えられないんだ」 その言葉に、隣に座っていたまどかが、ぴくりと身を竦ませた。 それを敏感に感じ取ったさやかが、まどかの肩を叩く。 「たぶん、まどかも一緒でしょ? ましてやまどかは、あんな夢を見続けてるんだし」 「あの、夢といいますと?」 まどかの事情を知らないちえみがさやかに訪ねる。 「添田さんにはそれを相談したくもあったの」 そこから先はマミが受ける。 「鹿目さんね、私たちが出会った日辺りから、毎晩夢を見ているのですって。私たちが戦う場面の夢を、いろいろと」 「それって、どんな?」 そう聞くちえみに、まどかはいくつかの場面を語る。 少し聞いただけで、目に見えてほむらとちえみの顔が引きつった。 「先輩……」 「間違いないわ。それは紛れもなく、私が戦ってきた、私から見た過去の戦い。あなたには夢、ちえみにとっても記憶だとしても、私から見れば全て現実にあった事よ」 「やっぱり……」 ほむらの宣告に、まどかは少しうつむく。 「理由もわかるけど、それは今のあなたに説明してもたいした意味はないわ。強いて言うなら、それがあなたを魔法少女に出来ない理由の一端ね」 「それって、魔女化に関してのこと?」 さやかが聞いてくる。 「そうよ」 それに頷くほむら。 「魔法少女が魔女になってしまう時、その強さは魔法少女としての強さにかなりの割合で比例するわ。少なくとも力量においては完全に比例するわね。魔女の特性によっては力量以上に手強くなったり、逆に思わぬ弱点を抱え込むことはあるけど、地力に関しては間違いないわね」 「そしてまどかの魔法少女としての能力は」 「そう、空前絶後。だからこそ、まどかは魔法少女に出来ない」 「まどかさんはその気になって頑張れば、全ての魔女を根絶できる力があります。でも、全ての魔女を狩ってしまうと、グリーフシードが手に入らなくなり、まどかさんが魔女化することを止めることが不可能になります。そしてまどかさんが魔女化したら」 「地球に限らず、宇宙そのものが滅びることになるわ」 少しの間、彼女たちの間に沈黙が落ちた。 「よく出来た話ですわね。キュゥべえちゃんも、見た目はかわいらしいのに、なんでこんなえげつないというかよく考えられたシステムを作ってしまったのでしょうか」 そんな沈黙を破るように、ぽつりと仁美がつぶやく。 皆が注目する中、仁美は言葉を続けた。 「一度誕生してしまうと、魔法少女も、そして魔女も、どちらも適度に存在しなければ互いが成り立たないようになっているのですわ。そしてもし魔法少女が魔女を絶滅させても、いえ、それだからこそまた魔女が生まれ、そしてその魔女を狩るためにまた魔法少女が生まれる。 初めの一人が誕生した時点で、我々は逃れられない借金地獄に捕まってしまっているようなものですもの」 『いっておくけど最初からこうだった訳じゃないよ』 仁美以外の少女達に、そんな声が響き渡った。 「あら、キュゥべえちゃん来たのかしら」 一瞬変な顔になった皆の様子に、仁美がそう呟く。 「ええそう。釈明にでも来たのかしら」 そういうほむらに、キュゥべえは特に心を動かされた様子もない、いつもの声音で答える。 『誤解は避けたいからね。ちえみ、よければ仁美にも直接話が通じるようにしたいんだ。いいかな』 『出来るの?』 『誰かのソウルジェムを仁美に触れさせれば可能だよ。文字通り魂を預けることになる訳だけど』 それを聞いてちえみは自分のソウルジェムを顕現させる。 「仁美さん、キュゥべえの話が一人だけ伝わらないのは不便でしょうから、ちょっとだけお貸しします。握っていればキュゥべえのテレパシーが聞こえますよ」 「え……いいのかしら」 「はい。私の魂そのものですから、乱暴に扱わないでくださいね」 ちえみから渡されたソウルジェムを、そっと握りしめる仁美。 『これで全員に通じるかな』 仁美にも、今度のテレパシーははっきりと伝わった。 「キュゥべえちゃんって、こんな声だったのですね」 『厳密には声ではないけどね。その気になれば姿も見えるとは思うけど、そうするとちえみのソウルジェムに負担が掛かるから声だけで失礼するよ』 「はい、わかりましたわ」 そして皆は、キュゥべえの言葉を待った。 『このシステムは元々、僕たちの母星で宇宙のエントロピー的熱死、つまり宇宙の寿命問題を解決するためのものなは、皆わかるかな?』 「よくわからないけど、一応は」 代表するようにまどかが答える。 『そのための細かい理論は、難解だからはぶくけど、ようは普通の、この次元に存在している利用可能なエネルギーを使用していくと、どうやってもエントロピーの増大による利用可能エネルギーの総量的減少は防げないという結論に、僕たちは達したんだ。 そのために、通常の理論物理学によらない、ある意味オカルト的な科学が見直された。 僕たちの科学で解明されていない分野に、僕たちが見落とした理論が眠っているのではないかってね。その過程で僕たちの科学水準も一段階上がり、そして見出されたのが、感情をエネルギーに変換する技術。 君たちが魔法を使うための基礎技術だ』 思わず真剣にキュゥべえの方を注目する少女達。 端から見ると、わずかに残ったポテトフライを誰が食べるのか、お互いに牽制しているように見えたであろう。 たまたまテーブルの上、キュゥべえの隣に食べかけが残っていたがゆえの悲劇であった。 もっとも少女達はそんな事には気がついていない。 『僕たちには使えない、『感情』に基づく一連の理論。僕たちには使えないからこそ見逃されてきた技術。 僕たちは検証のため、強い感情を持つ他星の生物に対して、いろいろな実験を行った。 これが君たちから見ると人体実験に見えることは否定しないよ。 でも、僕らから見れば、それは新薬の実験をマウスで行うのと何ら変わりはない』 「そんな事は判っているわ」 キュゥべえの釈明をばっさり流すほむら。 『君がいると話が早いね。 それはさておき、結果として感情のうち、希望を力に変えるソウルジェムと、その燃えかすとも言えるグリーフシードに関する技術が確立した。 魔法少女が使う力は、エントロピーの増大に対抗できる。そしてグリーフシードを利用するエネルギー源は、エントロピーの増大を引き起こさない。この辺の詳しい理論も割愛するよ。残念ながら人類の技術水準は、このレベルの理論を理解する段階にないからね。 僕が釈明したいのは、魔女化については予想されていたけど、その魔女がここまで人類にとって迷惑な存在となるという事までは予想できなかったことなんだ。 本来なら魔法少女には、ただ存分に力を使って欲しいだけだった。魔法少女が使う力によって、ささやかながらエントロピーは減少するからね。 君たち人類は、魔法少女の願いと力をうまく使って自分たちを進歩させる。 僕たちはその魔法少女が力尽きた時、その落差と言えるエネルギーを代価としてもらう。 こんなギブアンドテイクの関係を築くはずだったんだ』 「それが魔女によって狂ったのね」 マミの言葉に、キュゥべえは頷いた。 『そうさ。考えてみれば判ると思うけど、『始まりの魔法少女』には、魔女を狩る義務はないんだ。僕たちが、魔法少女になる代償に魔女退治を依頼する理由など何も無い。 魔法少女が力を使い果たすと変質することはもちろん予想できたよ。それを回収する気だったのも否定しない。 でも、そうして生まれた『魔女』が、君たち人類社会に仇なす存在になったのは完全に予想外だ。というかそもそも予想すらされていなかった。 もっと皮肉なことは、生まれた魔女に対抗するという形で、エネルギー吸収サイクルが初期予想より遙かに効率的になった事と、君たちの文明がこちらの予測を上回って進化したことかな。 君たち人類は、自分自身の身がおびやかされたときにこそ、最高のポテンシャルを発揮する種族らしいし。 戦争が文明を進歩させるっていうのも、君たちの言葉だろう? それと同じ事が起きて、君たちの文明は今の水準にたどり着いた。 魔法少女と魔女の関係が誤解されて、それに宗教が絡んだせいで魔女狩りなんていう事件も起きたみたいだけどね。 いずれにせよ、僕たちには君たちの文明をどうこうする意図は無かったといっておくよ』 そういうキュゥべえに、ほむらがツッコミを入れた。 「原因には関わらなくても、結果がよかったからそのまま放置、いや利用したのでしょう? インキュベーター」 『当然じゃないか』 さも当たり前のようにそういうキュゥべえに対して、全員の心は一致していた。 駄目だこいつ、早く何とかしないと。 なんかすっかり話がグダクダになってしまい、さやかの決意も少しずれた雰囲気になってしまった。 ただ、最後にほむらはこう言った。 「さやか、そこまで考えているのなら、私にはもうあなたに魔法少女になるなとは言えないわ。それとまどか」 そして言葉の続きがまどかに向く。 「あなたが今の夢を見続けていると、もっとつらいものを見てしまうかもしれない。我慢できなかったら、みんなに相談して。あなたにはさやかがいる。仁美もいる。マミも、そして……」 そこで一旦言葉が途切れる。そんなほむらの背中を、ぽんと叩くちえみ。 それに押されるように、言葉を続けるほむら。 「私も、ちえみもいる。無理をすることも、我慢することもないわ」 「うん、ありがとう、ほむらちゃん」 そう言って微笑んだまどかの顔は、ほむらの心に深く焼き付いてしまった。 それでもそれを振り払い、言葉を続けるほむら。 「だけど、それだからこそ。私はあなたに魔法少女になるなとしか言えないわ」 「仕方ないよね」 寂しそうに言うまどか。 「だったら、死なないでね。絶望、しないでね」 「……まどかにそう言われたら、死んでも絶望できないわね」 「だから死んじゃ駄目」 「……ごめんなさい、まどか」 謝りつつも、ほむらは笑いをこらえるのでいっぱいだった。 話し合いは平和裏に終わった。 仁美はこの後お稽古事。 魔法少女三人はモールに巣くっている魔女退治。 まどかとさやかは、二人で帰宅する事になった。 ここの魔女は危険ではないが逃げ足が速く、また人の心につけ込んで自殺させたりするというたちの悪いものなので速攻で片付けないといけないため、まどか達を守りながらとはいかないからだった。 「さやかちゃん、魔法少女になるの?」 「ん? すぐになろうとは私も思っていないよ。でも、ほら、マミさん達、魔女が増えすぎて危ない滝の上に助っ人に行くっていってたでしょ」 「うん。そういえば」 「だとすると今一生懸命掃除してくれてても、その間見滝原はどうしても手薄になるじゃない。魔女は魔法少女が堕ちて変わっちゃうほかに、使い魔が成長してもなるんでしょ。 というか、どっちかって言うとそっちが増えてはびこる原因みたいだし」 さやかの言葉に頷くまどか。実際、発生する魔女がほとんどもと魔法少女だとしたら、その分魔法少女が堕ちまくっている訳でそちらの方がある意味恐ろしい。 「だからさ、もしマミさんがいない間に、また事件が起きたら、その時は最悪私がやるしかないかなって。まどかもさ」 そう言ってまどかの方を見つめるさやか。 「同じ気持ちだとは、思うんだよね」 「うん。ほむらちゃんにも言われてるけど」 「勉強したいのに経済的理由で進学できない人ッて、きっと今のまどかみたいな気持ちなんだろうね」 「かも。だとしたら、私は落ち込んでちゃ駄目なのよね、さやかちゃん」 「そ。無理にあこがれて人生捨てるのは、きっと間違いだし」 少女二人は何となく温かい気持ちで家路につく。 「なんかしゃべりまくってたら喉渇いて来ちゃったな。なんかジュースでも買ってく?」 「うん、私も」 そして入ったコンビニで、少女達は、再び初めての運命に出会う。 「……あの、ありがとう」 「いえ、どういたしまして」 繰り返される歴史。 運命に定められた、全ての魔法少女が出会った。 結集の日は、近い。 だがそれは、過酷な戦いの始まりでもあった。