「まいったな……」 佐倉杏子は、ここ数日、とある悩みに引きずられていた。 『ゆま』 偶然魔女から助け出した少女は、そう名乗った。名字はわからない。 幼いこともあって、まだその辺の自覚がないのだろう。 本来なら、保護者を捜し出して引き渡すべきなのだろう。 だが、いくつか困ったことがあった。 まず、自分の事がある。ある意味自分自身もそういう保護を、本来ならば必要としている身だ。それゆえ公的機関にそう言った申し出をすることが出来ない。事が事だけに、魔法でごまかすにも限度があるだろう。 かといって私的にこっそりも無理であった。 魔女の結界にとらわれ、両親を失ったゆまは、同時に自分に関する情報も半ば喪失したような状態になっていた。 自宅の住所もわからない。これはゆま本人もあずかり知らぬ事であったが、ゆまを虐待していた母親は、ゆまの存在をあまり表に出さなかったのだ。 それゆえゆまには、自宅のまわりの景色の知識すらない。 年の割に、ゆまは社会的なことに関して、あまりにも無知すぎた。 そして杏子にもまた、それを補完できるほどの知識も智恵もなかったのである。 結果――杏子はゆまと同行することになった。杏子にはゆまを放置するという選択肢が、どうしても取れなかったのである。 悪いとはわかっていても、店から商品を万引きし、後払いの店では店に入って食事や宿泊したことを魔法で忘れさせ、何とか一緒に生活をした。 好き嫌いは駄目だと言ってゆまを叱り、 時にはゆまの話を聞き、 寝る前にゆまに童話を語って聞かせ、 姉妹と言うよりむしろ親子と言いたくなる生活を続けた。 だが、いやではないがそれが負担になる事も確かで。 そんな生活の合間に魔女を狩るものの、目に見えない負担が、少しずつ杏子を追い詰めているのも確かであった。 時にゆまは聞く。 「ねえ、どうしたら魔法少女になれるの?」 それに杏子は答えない。それは文字通り命がけで、そんな強さがあるなら、普通に生きろと言う。 時にゆまはうったえる。 「私は、強くなりたい!」 杏子は流す。強さをはき違えるなと。自分はそれを間違えて、やむなくこんな暮らしをしていると。 だが杏子はわかっていない。 杏子はもっと世間を見ろと言った。言ったつもりだった。 だが、ゆまの世間は、杏子そのものなのだ。 ゆまの視界には、元から杏子以外のものはなにも映っていない。 ゆまにとって、杏子は、『全て』だったのだから。 そして、ある日のこと。 「ったく、魔女が本気で多いな。おまけに増えてやがる。こいつ、この間も倒したぞ」 また魔女を一体葬り、落としたグリーフシードを手にする。それはポケットにしまい、浄化用のグリーフシードを使ってソウルジェムの濁りをとる。 「ん……こいつもそろそろ駄目か」 『そう思って見に来たよ』 白い獣が、杏子の元へ現れる。 「お、さすがと言うか鼻がいいというか。ほい」 汚れのたまったグリーフシードを現れたキュゥべえへ向けて投げ捨てる。 キュゥべえは巧みにそれを受け取り、格納する。 『最近どんな調子かな。忙しそうだけど』 「ああ、結構真面目にやってるつもりなんだけど、ちっとも減りやしねえ。どうも魔女の方も増殖してやがる。育つの待つなんて悠長なことしていないのに、見ろこのグリーフシード」 ざらざらとこぼれ落ちんばかりのグリーフシードを見せる杏子。 「見た感じ魔女そのものは10くらいなんだけどよ、使い魔が育つのがなんか早い。たぶん統計とったら、今の滝の上は相当ヤバいんじゃないかっていう気がしてる。 マジでそろそろ手伝ってもらわねえとまずいかもな」 『そうだね。マミ達もそれは判っているらしくて、今見滝原で見つけた魔女をものすごい勢いで狩っているよ。ほら、彼女たちは未来知識があるって言っていただろう?』 「ああ、そういえば」 そんな事言ってたなと思う杏子。 『あれ、本当らしいね。僕の目から見ても信じられない的確さで魔女の出現を察知して、ほとんど被害が出る前に潰している。それこそ出現位置と時期を事前に知らなければ不可能なほどのペースでね。 たぶんもう少ししたら、とりあえずの掃除は完遂されるんじゃないかな』 「さすがに助かるわ……そっか、マミがいたな。今更なんだけど……しかたねぇ、相談してみるか」 杏子は今の自分が捨てた、社会的なつてを持つかつての師匠のことを思い出した。 彼女なら公的手段に相談することも可能だ。 最悪しばらく置いてもらうだけでも、ゆまにはずいぶん違うだろう。 杏子はそれをいい考えだと思った。 ゆまがそれをどう受け止めるかなどということを思いもせずに。 杏子にとって今の環境は最低だった。 ゆまにとって今の環境は最高だった。 そんな、最低のすれ違いだった。 「やだ!」 ゆまは抵抗した。基本杏子にべったりで、叱られても素直に反省するゆまが、これ以上ないほどにだだをこねた。 「そんなとこ行きたくない! キョーコといっしょがいい!」 「ばかやろう! こんな浮浪者生活してたら、おまえも駄目になっちまうぞ!」 「じゃあだめになる!」 「違うだろ!」 「キョーコのばかああっ」 珍しくけんかになって、ゆまが飛び出した。 やれやれといいつつも、探しに行こうと思うあたりが、杏子のお人好し加減である。 が、そこに思わぬ邪魔が入った。 「ち……魔女の結界かよ。近すぎる。ゆまがまた巻き込まれたらまずいな」 一度巻き込まれた人間は、わりと巻き込まれやすくなることを、杏子はその経験から知っていた。 そんな杏子の前に立ちはだかるのはいびつなどくろを歪めたような、大きな頭を持つ魔女。 趣の魔女シズル。その性質は奇想。相手を驚かせることを好む、いたずら好きの子鬼。 その発想に枠はなく、そのいたずらには限度もなく、油断をしたら一巻の終わり。 されど一度やられた振りをすれば、彼女は大喜びで油断するだろう。 ちえみが見れば、こう説明したに違いない魔女。 杏子は、ゆまのことを気にしつつも、己の使命を果たすことにした。 慌てて飛びだしたものの、ゆまに行く当てなど無い。近くの人気のない公園で、おいてあったブランコをこいだりしたものの、心は晴れない。 戻ろう、と思って戻ったのに、杏子の姿がない。 いつもは近くにいたのに。 やだ。行かないで。おいて行かないで。 ゆまを一人にしないで。 ゆまが心の底からそう願った時。 『どうしたんだい? 何か、心からの願い事があるのかな』 悪魔は、現れた。 そして彼女は、心からの願いを口にする。 「いっしょにいたいの! ちからになりたいの! やくたたたずじゃいたくないの! キョーコみたいな」 まほうしょうじょに、なりたいの 『おめでとう。君の願いはエントロピーを凌駕した』 ――その姿が変わる。 子猫を思わせるネコミミの付いた帽子。 首元を飾るのは大きなリボンで、それをソウルジェムの変化した飾りが止める。 ひらひらしたドレスふうのワンピースは、少女のあこがれ。 手袋やブーツもまた、猫っぽいイメージのもの。 そして手にする武器は、丸い猫の胴体としっぽの付いた杖。形状からすれば、それは先端に鉄球をつけた、メイス、あるいはモールといわれる武器がファンシーになったものか。 そして変身したゆまには、はっきりと杏子のいる場所がわかった。 一気に杏子の元へと、ゆまは駆け抜ける。 気づかぬまま、空間すら、飛び越えて。 そしてそこで見たものは、手足を失った杏子の姿。 崩れ落ちるその姿を、バケモノが――魔女が喰らおうとしている。 ゆるさない。 キョーコを傷つけることは、ゆるさない。 キョーコが傷つくのも、みとめない。 少女の思いが、絶叫が、 (油断したなあ。さすがにこりゃ駄目か) 四肢を不意打ちで飛ばされた上、目の前には相手の大口。 回避しようにももはや動く術は無し。ソウルジェムもかなり濁っており、まだ死んではいないものの、たとえこの場を切り抜けても、身動きできないまま朽ち果てそうな気がする。 (ゆま、わるかったな。おまえを放り出すことになってさ) そんな事を考えたせいか、ゆまの声が聞こえた。 「だめぇぇぇぇぇっ!」 その瞬間、同時に二つのことが起こった。 瞬時とも言える速度で、失われた四肢が再生される。 そして完璧なタイミングでこちらを喰おうとしていた相手の口が、何故か少し遠くなった。 目の前で閉じられた口。ちらりと見て取れた相手のイメージは、『喰らった』という事を確信していた。 ならばこちらに相手は気づいていない。一瞬の隙が相手に生まれる。 その一瞬でこの場を離脱。相手は自分がすり抜けたことに気がついていないようで、隙だらけの体勢のまま、不思議そうに自分を探していた。 千載一遇! その隙を逃さず、槍を節棍に変え、相手を一気に縛り上げ、空中に放り出す。 そして未だ混乱したままの相手に、杏子は新たに召喚した槍を、全力を込めて撃ち込んだ。 「一体、どうなってんだ……」 自分の再生した四肢を見、結界が消えると同時に宙から落ちてきたグリーフシードを拾った所で、杏子はそれに気がついた。 「大丈夫だった、キョーコ」 そこにいたのは、一緒にいた少女の姿。だがそれは、彼女の知る者ではなく。 『たいしたものだ。瞬間移動に治癒魔法。攻撃力はそれほどでもないけど、支援の力がずいぶん秀でているよ、ゆまは』 命の契約を結んでしまった、魔法少女。 「ばかやろう!」 思わず杏子は怒鳴ってしまう。 「なんでおまえがあたしみたいにならなきゃいけないんだよ」 怒鳴りながらも、そこにあるのは真摯な思い。心から彼女を心配する思い。 今のゆまには、そんな杏子の心が、はっきりと伝わってくる。 ああ、この人は、こんなにも。 ゆまの幼い心では、それを言葉のような形には出来ない。ただ、感じるだけ。 だがゆまにははっきりとわかる。この暖かさが、ぬくもりがない所では、もう自分は生きていけない。 「おねがい」 だからゆまの口から、言葉がこぼれる。 そんなゆまを、中ば呆然と見つめる、杏子の瞳を見据えながら。 「いっしょに、いて……ゆまを」 そして紡がれる、最後の契約の言葉。 ひとりに、しないで もはや杏子には、それを拒絶することは出来なかった。 たとえゆまが掛けた、祈りの力が無くとも。