「はぁっ、はあっ」 息が切れる。いやな予感が止まらない。 一刻も早く、この魔女の結界から逃れなければ、たぶんろくな事にならないのはいやでもわかる。 だが、この、 使い魔の全く出てこない変な結界の、終端はどこなのだろうか。 牢獄の商店街を、彼女はひた走る。 そしてその終わりは来た。 「どこへ行くのかな? 連続魔法少女殺害犯さん」 出口ではなく、断罪の使者として。 そろそろ孵化した頃かと、様子を見に来て、舌打ちをする羽目になった。 いい感じに孵った所なのに、地元の魔法少女が狩りに来てしまったのだ。 勿体ないが、安全には換えられない。 戦いの様子を観察するだけに止めることにする。 正解だった。 さすがは見滝原をしきる巴マミ。その強さは安定している上半端ない。 暁美ほむらとか言う黒髪も、何故か銃を使っていたがやはり強い。 おまけにあみちゃんの弱点も熟知しているようだった。どこかで増殖した彼女と戦ったのかもしれない。 最優先の抹殺対象だ。 対して茶色は戦う様子がなかった。あまり戦闘は出来ないタイプか、なりたてかもしれない。 こちらは慌てなくてよいだろう。 ……そう、思っていた。 だが、間違っていた。 彼女はどうやら、こちらの事をよく知っているようだった。 「なんの事かしら。そもそもあたし、あなたのことなんか知らないけど」 とぼけてみたものの、返ってきた答えは。 「こちらは知っているわ、銀城かおるさん」 私の名前だった。 ならば取る手はひとつ。私は力を発動させる。 それは絶対の隠蔽。私の姿を捉えるものはいない。 背後に忍び寄り、必殺のエストックを背中から相手の心臓に合わせる。 そして、突く。 それだけで相手は倒れるのだ。 彼女も例外ではない。私の一撃は、難なく彼女を貫いた。 ――なのに。 彼女は、笑いながらこちらに振り返った。 「知らないんですね。魔法少女は、これくらいの肉体の損傷では死なないって」 え、なに、それ。 「魔法少女を殺そうとしたら、肉体を再生不能になるまでぐちゃぐちゃにするか」 なんで、へいきなの? 「中核たるソウルジェムを、破壊しないと駄目なんですよ?」 そんなの、しらない。 「おかげで滝の上は、ひどいことになっちゃいました」 ききたく、ない。 「あなたが殺したつもりの子達、本当は死なないで済んだんです」 きいちゃ、だめ。 「けど、普通の魔法少女は、知りませんから。私たちの体は、実はゾンビみたいなもの、死体だって」 ききたく…… 「魔力で生きているように見える死体だから、魔力が尽きなきゃ死なない。でも」 ききたく、ないのに 「そんな事知らないから、死んだと思い込んで、絶望して」 あ、それじゃ…… 「みんな、魔女になっちゃった」 あ…… 「さすがに、これ以上は放っておけないです。私たちに関わったからには」 私は、逃げた。 なのに、私のことは見えないはずなのに、 なんで、追いかけて、これるの? 「逃げても無駄ですよ。この結界は、『断罪の魔女・ヘラ』の結界。犯罪者である限り、魔法少女がその力を全力で振るわないとまず脱出できません」 なら、私は逃げられるはずじゃ! 全力で隠れてるのに、なんで追ってこられるのよ! 「そして残念ですけど、あなたの『隠蔽』の力は、私の『看破』からは逃げられません」 そ・ん・な…… 膝を突いてしまった私の元に、彼女は立ちふさがる。 こうなったら、手はひとつ。 あいつのソウルジェムを、真正面から叩き割る! 確かあいつは、戦うのが苦手なはず。そうして向き直った私の行く手を、何かが阻んだ。 それは槍の列。 先端が二つに割れたそれは、佐倉杏子の得物。 「なによ、それ、いったい……」 そう呟いた私に、彼女は語る。 「私の力は、識別と記録。魔女の力を見切り、この書に記述する。でも、実はもう一つ使い道があるの。基本あんまり役には立たないんだけど」 今の言葉で気がついた。この結界って…… 「そう。書を『読む』力。読むことによって魔女の異能を使用すること。といっても、私はそのままだし、魔女の力なんて使いにくいだけで、せいぜいこうやって結界を張るくらいしか使い道がない。そう、思ってた」 魔女だけじゃ無いじゃない。この槍、杏子の槍でしょ。 「でも、一つだけ、ものすごく使える力があったの。白巫女様の力、『再現』」 ちょっと待ってよ、あなたが使えるのって、『魔女』の力なんでしょ? 「『再現』の力は、『読み取った情報を元に、その存在を再現する力』。私に限って言えば、それは最高の力だったの。私は読み取ることと、何かを正確に実行することだけは自信あるから」 彼女が笑う。それはまるで魔女の微笑み。 「だからね、あなたは、これで潰してあげる」 彼女が召喚したものは、巨大なピコピコハンマー。 「それ、あみちゃんの!」 そう。私のかつての相棒、新宮あみの愛用武器。 「確か、これが彼女の必殺技よね。『ギガント・ストライク』」 巨大化し、その重量を限界まで増したハンマーが覆い被さってくるのが、私が最後に見たものだった。 叩きつぶされた彼女の死体から、ちえみは唯一無事だった鞄を拾い上げる。 中にはぎっしりと詰まったグリーフシードが。 『よかったのかい?』 どこからともなく現れたキュゥべえが、彼女に問い掛ける。 「うん。どうも時間が思ったより無いみたいなの」 仲間には決して見せえない、凍った表情でちえみは答える。 「マミさん、明らかに影響されてた。先輩の主観に。 マミさんは元々あそこまで強くはない。なのに、ほんの少しだけ、前より『強く』なってた。 まどかさんもたぶん、影響が出ている。さすがにまどかさんは変わらないけど、受け取った因果による影響が、前より強い。まあこっちは、単純に量が増えて溢れているだけかもしれないけど」 『この世界が、暁美ほむらの観測によって存在する世界であることの弊害か』 変わらないキュゥべえの言葉に、ちえみは頷く。 「死者の蘇生の願いが破綻しやすいのと一緒、だよね」 『そう。安定した観測には、最低二人、出来れば三人の観測が望ましい。君の記憶する以前のループにおける巴マミの蘇生は、偶然とはいえ奇跡であり、有益だった。あれがなければ、さすがに僕たちでもそれには気がつかなかったかもしれないからね』 「一方向からの観察では、正確な観測は出来ない」 『その通り。人間に限らず、一つの方向からの観測は、対象のデータを必ず歪めてしまう。最低限二方向からでないと、データの誤りを修正できないからだ。 普通の候補が、死者の蘇生を願った場合、因果が足りていても、蘇るのは、『その人物の知る理想の相手』でしかない。個人のバイアスを除去するためには、最低限二人以上の候補が同時に同じ事を願わないといけない。その点でもあの時は奇跡的だった』 「そしてそれは、世界に対しても同じ事。先輩の観測だけじゃ、世界全体が歪むのは避けられない」 『まどかの世界で魔獣が出現しているのと同じだね。一人の願いによる世界では、どうしてもひずみが出るのは避けられない。ましてや彼女は、魔法少女を肯定しながら、魔女を否定したからね。その歪みを修整するために、まどかは円環の理となり、魔獣も出現した』 ちえみは消えゆく結界にかおるの死体が取り込まれ、消えていくのを眺めながら、再びキュゥべえに語りかけた。 「やっぱり、『あれ』を見ないと、あの場所はわからないみたい。でももう、待ってはいられないみたいなの」 『僕には君の気持ちはわからないけど、それが一番合理的だとは思うよ』 「そうよね。ジークリンデさんの分析もそう出たし。これで私は確定かな?」 『そうなるね。それはもう、揺るぎないことだと思う』 「もう少し、大丈夫だと思ってたんだけどな。でも、ま、仕方ないか」 『結論は変えられないからね。これは始まりの時からのことだろう?』 「うん。この世界が誕生した時から、いつかはやらないと駄目なこと。そうしないと、私はともかく、先輩がかわいそうだし」 『僕にとってはどちらでもいいことだけどね。ただ、この情報を新世界に持ち込めるなら、それに越したことはないし』 「知的刺激、だっけ?」 『ああ、感情のない僕らに、進化へのモチベーションを与えてくれるものだ』 「みんな、うまくいくといいね」 『そうだね。それはきっと『いいこと』なんだろう』 あかね色の夕日が、茶色の少女と白い獣を、同じ色に染め上げていた。