ここのところ鹿目まどかは、少し寝不足気味であった。 それというのも、毎晩のように、あの戦う魔法少女達の夢を見るのである。 しかも、そこで戦う人物の中に親友が混じっていることに気がついてからは、なおさら寝不足に拍車が掛かっていた。 (なんでさやかちゃんまで戦ってたのかなあ) 夢の中の彼女は、青を基調としたコスチュームに身を包み、日本刀っぽい刀を手に戦っていた。 それにしてもこう何度も見るようだと、本当に何かあるのかもしれない。 まどかは少し不安に思えてきた。 何しろ夢の中の戦いにおいて、親友はいつも敗れて落ちているのだから。 寝不足でも学校からは逃げられない。 「どうしたまどか、なんかここんところ眠そうだけど」 「う~ん、ちょっと夢見が悪くて」 休み時間にへたれているまどかの様子を心配してか、まどかの親友である美樹さやかが声を掛けてきた。 「そういえば朝もつらそうでしたね」 もう一人の親友である、志筑仁美もまどかに話しかけてくる。 「うん……ねえさやかちゃん、仁美ちゃん」 「なに、まどか」 「相談事でも?」 「うん。毎晩同じような夢を繰り返し見るのって、どう思う?」 さやかと仁美の顔が一瞬呆ける。 「同じ夢、ですの?」 そう問う仁美にまどかは頷く。 「それも、なんか、こう……私たちくらいの、なんというか、昔のアニメみたいな、戦う魔法使いの女の子が、何かと戦ってる夢なの」 「戦う魔法使いの女の子って、それ、あたし達が小さい頃はやったアニメみたいなやつ?」 「うん、そんな感じ」 茶化すつもりだったさやかは、そこに真面目な返答が帰ってきて、少しうろたえる。 「何か……ただの夢や妄想とは、少し違うみたいですわね」 仁美の声も、少し真面目になった。 ちょうどそこに、始業のチャイムが鳴り響く。 「あら、時間がないようですわね……よければ続きは、お昼休みにでもいたしましょう」 「うん」 「そうだね」 仁美の提案に、まどかとさやかも頷いた。 昼休み。 三人は仲良くお弁当を広げていた。 仁美はサンドイッチを中心にしたランチボックス。さやかはかわいらしいプチおにぎり。そしてまどかは父お手製のお弁当。 おかずを交換したりしながら、食事は和やかに進む。 そしてほぼご飯が無くなり、最後の楽しみにとっておいたチーズカツとパイナップルを残して、まどかは休み時間の続きを話し始めた。 「たぶん、場所は何となくだけどこの辺だと思うの。ただ、ものすごい嵐で、風の力だけでビルが倒れるくらい。その中、空を飛んで戦っている女の子がいるの。一人だったり、何人かいたり。そうそう、さやかちゃんがいた事もあったよ」 「あたしも?」 怪訝そうな顔になるさやか。 まどかは視線を上に向け、あごに人差し指を当てるという、何かを思い出す時のポーズをしながら、見た夢のことを考える。 「さやかちゃんがいた時のパターンは一通りだけっぽいから、たぶん同じシーンを何回も見たんだと思うんだけど……」 語尾が濁るまどか。その様子に何か不穏な物を感じ取ったさやかは、 「むっ、なんかろくでもない予感」 顔ではにやにやしつつも、まどかを責めるように視線で脅して続きを要求する。 「で、かっこいいさやかちゃんはどうしたって?」 「その……かっこいいんだけど、やられて落ちてた」 「やっぱりかあああっ!」 いかにもわざとらしく叫ぶさやか。叫びながらも、よく見ると目が笑っている。 そんな二人を見て、仁美もクスクスと笑っていた。 「でも、そこまで明晰な夢を繰り返し見ると言うことは、何かあるのかもしれませんね」 「そうそう、なんか明晰夢っていうより、変な電波受け取っているっていう方が、なんか信憑性有りそうなくらいだよね、そこまではっきりしてると」 そして放課後、三人は揃って下校すると、見滝原総合病院へと向かっていた。 目的はさやかと仁美の友人でもある、上条恭介のお見舞いである。彼はヴァイオリニストとして有名だったのだが、不運にもその命とも言える手を怪我してしまったのだ。 ちなみにまどかにとっては、彼はさやかの知り合い程度でしかない。 一方さやかと恭介は幼い頃からの知り合いであり、さやかが恭介のファンであることもまどかは知っている。 最近の様子では、さやかの『好き』が幼なじみのそれからだんだん男女のそれに移行しているっぽいことも、まどかは何となく感じ取っている。 まどかも思春期を迎えているとはいえ、少なくともそういう意味で男性を好きになった憶えはない。あこがれてはいてもよく判らない世界という感じだ。 そうこうしつつも院内では会話は自粛し、目的の部屋の扉をそっと開ける。 「やあ、いらっしゃい」 病室で横になっていた恭介が、さやか達に声を掛けた。ある意味勝手知ったる仲であるから、お互いあまり遠慮はしない。 入室してすぐに、室内に置かれた椅子に思い思いに座り、持って来た花を飾ったり、見舞いの品を渡したりして、まったりとした時間が過ぎていく。 そうしてまどか達三人が、そろそろおいとましようとした時であった。 外の光が入る明るい病室が、突然闇に閉ざされたのだ。といっても真っ暗になった訳ではない。 周辺の景色が歪み、病室とは全く違う、奇妙な空間に書き換わっていく。 それはお菓子と医療器具の入り交じった、奇怪な背景。 「な……なに、これ……」 「どうなっているのでしょうか」 「さ、さやかちゃん」 女の子達には、この異変になにが出来る訳でもない。 しかもそこに、奇怪な侵入者が現れた。 黒字に赤い水玉の、子供くらいの大きさの卵。 中央には渦巻き模様の、目を思わせる大きな丸。その脇から生える、灰色の犬の耳のようなもの。 そして細い足と尾を持つ、異形の……化け物。 それが数匹、何かを探すように、室内――ともはや言ってよいか判らないここへ侵入してきたのだ。 そしてそれは、何故か明らかにまどか達を狙っていた。 「きやああっ」 そのおぞましい姿に、仁美が悲鳴を上げる。まどかとさやかは、お互いを抱え有ったまま震えることしかできない。 そしてその化け物の目が彼女たちを捉えた瞬間、この場にいたただ一人の男は動いた。 幸い彼の怪我のうち、重いのは左腕だけ。彼はベッドから何とか起き上がると、置いて有る椅子の一つを右手で持ち、化け物に叩きつけた。 「あっちへ行けっ! 彼女たちに手を出すな!」 それは乙女のあこがれるヒーローのようで。 ちょっと頼りないけどとてもかっこよくて。 でも現実は厳しくて。 化け物が体当たりをしてきて、恭介は吹き飛ばされた。 さやかと仁美が、慌てて恭介を支える。 「大丈夫っ!」 「痛い所は」 二人の心配に、苦笑しつつも安心して、という恭介。 「大丈夫、それほど痛い訳じゃないよ。でも……」 じりじりとまどかの方に寄ってくる、目玉卵の化け物。恭介は仁美やまどか、そしてさやかをかばうように立ちふさがる。 「彼女たちには指一本触れさせないぞっ」 それは精一杯の強がり。でもそれは、乙女達には何よりかっこいい男の子の姿。 そしてそのがんばりは、無駄にはならない。 彼がキッと化け物を睨み付けた時。 化け物は、いきなり横っ飛びに吹き飛び、バラバラに砕け散った。 血潮のようなものが飛び散り、四人は思わずこみ上げて来るものを抑える羽目になる。 そこに掛かる声。 「大丈夫だった?」 そちらを見た四人は、思わずさっきまでのグロテスクな光景を忘れてしまう。 なぜならそこにいたのは。 アニメーションか何かから抜け出してきたような、三人の少女だったのだから。 「危ない所だったわね」 「見に来て正解でした」 「大丈夫。あなたたちは私たちが守るわ」 三人の少女は、そんな事を話ながら、わらわらと集まってきた化け物を、信じられないもので駆逐していく。 三人のうちでやや大人びた、コルセットと羽根飾りの付いた円筒形の帽子が特徴的な少女は、どこからともなく大量のマスケット銃を取り出し、それを使い捨てるようにしながら次々と化け物を倒していく。長い黒髪の少女は、同じように銃を使うものの、こちらは一転してリアルそのものの機関銃で、発射音やかすかに漂う焦げ臭い匂い、そして飛び散る薬莢からしても、本物の銃としか思えない。 一番小柄な茶色いブレザーの少女は、その手に大きな本を持っているが、戦ってはいないようだった。 最初はその姿そのものに衝撃を受けていたが、だんだん戦っているという事実が、まどか達の頭にも染み込んでくる。 その中でもまどかの受けた衝撃は別格であった。なぜならそれは。 (なんで、なんで夢で見た人たちが、現実にいるの? それどころか、本当に戦っているの? なんで?) それは昨日も見た夢。そして、見忘れることのない、いつもそこにいた、黒髪の魔法少女。 「マミ。この辺の使い魔はもう居ないみたいね」 「隠れている様子もないです」 マミ、というのが、年長らしいマスケット銃を使う魔法少女の名前なのだろうか。 ブレザーの少女はちえみと言われていたのも聞いた。 そして今マミと呼ばれた少女が、こちらに話しかけてきた。 「大丈夫? あなたたち」 「あ、はい……大丈夫です……あなたたちは?」 「私たちは、こういう使い魔や魔女と戦っている魔法少女よ。添田さん、他に取り込まれた人は?」 「今のところいないみたいです。この人達も、二人に資質があったからたまたまですね」 「そう。ならまだ完全には孵化していないわね。急ぎましょう」 三人のうち、戦っていた二人が駆け出していく。そして残っていた本を持つ少女が、まどか達に話しかけてきた。 「びっくりしたと思いますけど……とりあえず、ここは危険ですから、私たちに付いてきていただけませんか?」 「あ、あの……」 そう言って立ち去ろうとした彼女に、まどかは思い切って話しかけた。 「なんですか?」 「あの、もっと聞きたいことがあるんですけど」 すると少女はにっこりと微笑んで返事をした。 「とりあえず後で。というか、貴方たちも無関係じゃないですから。こっちへ」 ちえみと呼ばれた少女の後を付いて、もはや病院とは思えない何かに変貌した世界の中を歩く。 そんな中、さやかが、少し心細そうに、まどかに声を掛けてきた。 「まどか……ここんところ変な夢見てたって言うけど……」 それってこういうの? と続けようとしたさやか。が、その言葉を遮るように、まどかの口から答えが返ってきた。 「うん、舞台は違うけど、彼女たちだった、戦ってたのは」 さすがに息を呑む仁美とさやか。そして彼女たちは気がつかなかったが、前を行くちえみの肩が、一瞬ぴくりと震えていた。 「特にね、あの、長い髪の、黒っぽい人」 「ああ、マシンガン撃ってた」 「あの人はね、いつも絶対いるの。一人っきりでも、何人かいても。でもね」 「でも?」 そう聞き返した仁美の問いに、今度は頭を落としながらまどかはその先を続けた。 「いつもいつも、最後は負けちゃうの。頑張ってるって判るのに、怪我とかいっぱいしてるのに。私、それを見ているだけなの」 「うわぁ、それ、きついかも。その負けるに、あたしもいるんでしょ」 「うん」 たかが夢の話、さやかも仁美も、そう思っていた。 だが、こんな非現実的なことが現実となっている今、もはやそれはただの夢ではないのは明らかだった。 そんな様子を少し後から見つめていた恭介は、前を行く茶色の少女に声を掛けた。 「あの、すみません……今の話、何か心当たり有りますか?」 「ありますよ。いやって言うほど」 「えっ?」 それはあまりにもあっさりとした肯定。落ち込んでいたまどかが、思わず顔を上げるくらい。 だが少女はこちらを見ようとはせず、前方で津波のように襲ってくる使い魔を蹴散らして進む二人の魔法少女の方を見つめたまま、それでもはっきりと聞こえるように言った。 「とりあえずここを抜け出したら、なにが起こったのかは説明します。といっても、なにも判らないんじゃ不安でしょうから、ちょっとだけ教えますね」 振り返らないままに、少女は語る。その姿に、まどか達は、微妙な拒絶の壁を感じ取っていた。 「さやかさんとまどかさんには、才能があるんです。私たちと同じ、魔法少女になる才能が。今回まだ人間を引き込めるほど強い力を発揮できない孵化前の魔女の結界に引き込まれたのは、たぶんそのせいですね。普通の人は、魔女にはほとんど対抗できませんけど、逆に自分から迷い込むこともほとんど無いですから……キュゥべえ、いる?」 『呼んだかい、ちえみ』 まどかの目には、そして耳というか心には、ちえみという少女の呼びかけに答えて現れた、白い猫というかネズミというか、そんな感じの小動物が姿を表し、そして音として聞こえない不思議な声で会話するのが判った。 「わ、何あれ、可愛い」 さやかも同じような感想を持ったようだ。だが、 「あの、何かいるのですか?」 「なにも見当たらないけど」 「え、ほら、前の子の肩の上に、白くて可愛いのが」 「なにもいませんけど」 「僕にもなにもいないとしか」 「え? え? え?」 三人のコントを一歩引いてみているまどかは、コントの真相に思い至った。 「さやかちゃん、たぶんその白い子、あたしとさやかちゃんにしか見えてないよ」 「え、そうなの? まどか」 『その通りだよ、鹿目まどか。僕の姿は、資質のある子にしか見えないんだ』 キュゥべえのテレパシーにぎょっとするさやか。 そんなさやかの様子にとまどう仁美と恭介を見て、まどかは今の声も二人には伝わっていないと確信した。 ふと思いつき、まどかは鞄からノートを取り出すと、歩きながら下手ではあったが、キュゥべえの似顔絵を描く。 「こんな子が前の女の子の肩の上に乗ってるの」 「あら、確かに可愛いですわね」 「うん、確かに」 それを見せられた仁美と恭介も、思わず頷く。 「あ、確かによく似ている」 『うん。デフォルメされてるけど、特徴は捉えている』 いつの間にかさやかの肩口から、キュゥべえも似顔絵を覗き込んでいた。 そしてさやかとキュゥべえ(見えていない)の様子を見ていた仁美が、恭介に言った。 「まどかさんが言ったとおり、二人にはキュゥべえさんが見えているようですね」 「あ、僕にも判った」 仁美にも恭介にも、キュゥべえは見えない。が、キュゥべえに視線を向けて会話するさやかは当然見える。 そしてさやかに、そんな自然なパントマイムが出来るはずでないことも、当然二人は知っている。 「キュゥべえさん、あなたには私の話が聞こえていると思いますので、一言言っておきますわ」 『なにかな』 「なにかな、って言ってるよ、キュゥべえ」 キュゥべえの言葉を、さやかが中継する。 「あなたが見えない人の前で、見える人と会話するのは、まわりの人に不自然に見えますわ。今の私には、さやかさんが見事なパントマイムを披露しているようにしか見えませんから。というかむしろ、さやかさんが見えないお友達と会話しているようにしか見えませんわ」 「あ」 その意味することに気がついたさやかが慌てる。 キュゥべえも、 『おっといけない。普通はもう少し考慮するんだけどね』 そう言って一旦さやかの視界から外れる。 『さやかも出来るだけ普段は、僕との会話はテレパシーでした方がいいよ』 『そうだよね。気をつける』 そんなやり取りも、前で戦っていた二人の足が、とある扉の前で止まったことで終わった。 「あなたたちはここで待っていて」 扉を開き、一歩入った所で、まどか達は黒髪の少女に止められた。 目の前に広がるのは、馬鹿馬鹿しいほど背の高い椅子とテーブルが並ぶ広大な空間。 そしてそのひとつに、ちょこんと女の子のぬいぐるみのような物が置かれていた。 「マミ、あれに一発、大きいのを入れて。そうすると化けの皮が剥がれるわ」 まだ寄ってくる使い魔を蹴散らしながら、黒髪の少女は言う。 「わかったわ、使い魔はお願い、暁美さん」 舞うようにマスケット銃を使い潰しながら、巻き髪の少女も答える。 そして彼女の手から解き放たれたリボンが女の子のぬいぐるみを拘束する。 召喚される、巨大な銃。 解き放たれる言霊。 「ティロ・フィナーレ!」 掛け声と共に発射された弾丸は、難なくぬいぐるみを破壊する……と、思われた瞬間、ぬいぐるみの口から何かが飛び出してきた。 擬人化された機関車のアニメのように、正面にファンシーな顔を貼り付けた、マーブルチョコをまぶしたような黒っぽい芋虫と蛇の中間くらいのようなもの。 見ていた皆が一瞬あっけにとられていた中、黒髪の少女は油断することなく、その目の前に、何かを放り投げた。 出てきた化け物は、それに気がついた瞬間、いかにもアニメチックな顔面芸をリアルにこなしながら、満面の悦びと共にそれに食いついた。 次の瞬間、その上部が吹き飛ぶ。が、またもやずるりと口の中から何かが這い出てくる。 それは今やられたはずの化け物と同じ姿をしていた。 「なにあれ」 「気持ち悪いですね」 「一見ファンタジーっぽいのがかえって気持ち悪いな」 さやか達は、ある程度離れた、安全な所から見ている気安さからそんな感想を口にしている。が、ふとさやかは声が足りないことに気がついた。 「あれ、まどか……ちょっと、まどかってああいうのダメだったっけ?」 まどかの様子がおかしかった。 「まどかさん?」 「大丈夫、鹿目さん」 さすがに仁美と恭介もまどかの様子が只事ではないことに気がついた。 「……わかんないの。でも、これ見てると、なんか、とっても恐くて、悲しくて……」 そう、まどかは、幾分青ざめ、両手で自分を抱きかかえながら震えていた。なのにその視線は、目の前の情景から離れようとはしなかった。 そして、その声が震えつつも、力強く、はっきりと続きの言葉を口にした。 「でも、目をそらしちゃダメ、見てないといけない、そんな気がするの……」 その言葉にさやか達も、改めて戦いの場に視線を向けた。 だがその横顔からは、先ほどまでのふざけた表情は消えていた。 そんな四人の様子を、ちえみは無言で見つめていた。 戦いは安定して推移していた。マミが牽制し、黒髪の少女が何かを投げると、相手は喜んでそれに食らいつき、吹き飛ばされ、また中から出てくる。その繰り返しが何度かあった後、遂に相手は中から出てこなかった。 「終わったみたいですね」 「そうだね」 その様子を見て、仁美と恭介がほっとする。 「いや~、すごかったなあ」 「う、うん」 まだどこかおびえているまどかを励ますように、わざとらしく大きな声を上げるさやかと、わからないまま頷くまどか。 そして彼女たちが、通路から一歩広大な室内へ足を踏み入れた時だった。 「危ないっ!」 まどかとさやかは、突然そんな声と共に突き飛ばされた。同時に何かが目の前を横切る。 体勢的に、まどかが仰向けに倒れ、その上にさやかがまどかを抱きかかえるようにしてうつぶせに倒れる形になった。 そのため、まどかには見えてしまった。 あの化け物が、ちえみの下半身を食いちぎった所が。 悲鳴を上げる間もなかった。 次の瞬間、上がり掛けた悲鳴をかき消すほどの轟音と共に、その化け物は砕け散る。 「いつつ~、なんだよって、わああああああっ」 振り向いたさやかは、目の前にいきなり下半身がない少女の姿が飛び込んできて絶叫し、 「志筑さん! しっかりして!」 仁美は目の前の衝撃的光景に気絶して、恭介が必死に彼女を揺り起こしていた。 だが、ホラー的光景はそれで終わりはしない。 「あたたたた、マミさ~ん、すみません、再生お願いできますか~」 下半身のない少女は、平然としたまま、仲間に声を掛けていたのだ。 さすがにまどかもさやかも、それまでの恐怖が完全に吹き飛んだ。 というか衝撃が大きすぎて、その手の感覚が麻痺してしまったようだ。 「ねえまどか」 「なにさやかちゃん」 「わたしたち、ゆめみてるのかな」 「ううん、たぶんげんじつ」 そんな二人の目の前では。 「マミ、急いで。結界が薄れてきたわ」 「あはは、これで結界解けたらまずいですよね~。なまじ病院なだけに」 「えっと、こんなかんじかしら」 「あ、いいみたいです……ほんとに元通りだ。自力じゃたぶん結界解けるまでに再生できませんでしたと思いますし。ありがとうございます、マミさん」 「今ので大分魔力使ったでしよう。これはあなたのものね」 「お言葉に甘えるわね。さすがになれない魔法はきついし」 辺りの景色が病院内に戻ると共に、その姿を魔法少女の物から中学の制服に替えた魔法少女が、怪我なぞ無かったかのような姿でそこにいた。 そして先ほどまで下半身の無かった少女が、まどか達に微笑んで言った。 「お部屋に戻りましょう。お話の続きはそこで」 気がついた仁美を含めた四人が辺りを見回すと、そこは恭介の病室から20メートルほど離れた場所であった。 あたりを行き交う人も、何事もなかったような様子である。 文字通り狐に摘まれたような顔で、まどか達は恭介の病室へと足を向けるのであった。 マミ達もそれに同行しようとしたが、 「あ、すみません先輩」 「どうしたの、ちえみ」 「ちょっと時間が。すみませんけど、私はお先に失礼します」 「あら、もうそんな時間? なら、仕方ないわね」 一人違う制服を着た栗色の少女が、とてとてと早足でこの場を去っていった。 「で、一体あれはなんだったんですの?」 再び戻った恭介の病室で、まどか達を代表して仁美が新たな来客に声を掛けた。 それを受けて、年長の少女が答える。 「あれは魔女――この見滝原だけでなく、世界中の至る所で、闇に潜んで人を襲うもの。そして私たちは、それを倒す魔法少女。といっても、その実体はそれほどかっこいいものではないけど。 そういえば自己紹介がまだだったわね。私は巴マミ。見滝原中学の三年よ」 「え、同じ学校?」 思わずさやかがつぶやく。 「ええ。あなたたちも見滝原中学なのかしら」 「はい。わたくしは二年の志筑仁美と申します。こちらが同級生でお友達の」 「美樹さやかです」 「鹿目、まどかです」 仁美の返答に会わせて、さやかとまどかも自己紹介をする。 「あ、僕は上条恭介と言います。今入院中です」 そして四人とも挨拶をした所を見計らって、残りの魔法少女側が自己紹介を続けた。 「私は暁美ほむら」 その短く、素っ気ない自己紹介を聞いた時。 まどかの心の中で、何かがカチリとはまったような気がした。 そしてマミは、簡単に事のあらましを説明した。 魔女という存在、それを倒す魔法少女の存在。 魔法少女になるには、キュゥべえと契約すること。 「でもね、この契約は、決して安易に結んでいいものではないのよ。キュゥべえはどんな願いでも叶えてくれる。でもそれはある意味、命を代償とした契約」 重い声音でそう語るマミ。脇で聞いていたほむらは、少し意外に思った。 気のせいかもしれないが、今のマミからは、真実を知った重みを感じた。 ちえみが何か言ったのかもしれないと思い、ほむらはこの場ではその疑問を流す。 ほむらにとっても、都合の悪いことではなかったから。 「私はね、事故で死にかけている所にキュゥべえが来てくれたの。『助けて』と願った私の命を、契約は救ってくれたわ。でもね、両親までは無理だったから。私は今でも一人暮らしなの。 そして、さやかさん、まどかさん」 マミはじっとさやかとまどかを見つめる。 さやかは怪訝そうな顔を、そしてまどかは何故か泣きそうな顔をしている。 「もし願いがあるのなら、心して聞いて。キュゥべえと契約すれば、たぶん恭介君の怪我を、元通りに治すことも簡単なはずよ」 その瞬間、間違いなくさやかの心が揺れたのを、マミは感じ取った。 「でも、その代償はあなたの人生よ。魔法少女はね、強い力を持つけど、結局は死と隣り合わせの存在でもあるの。戦いに敗れて、結界の中で人知れず、誰にも知られずに死んでいく事も多いわ。 それでもいいというなら止めはしないけど、安易な願いを代償にはしないでね。 悩みがあるなら、いつでも相談に来て。出来る限り答えるわ」 「特に鹿目さん」 マミの言葉を受け継ぐように、ほむらが言う。 「あなたの素質は空前絶後。願うならおそらく、不可能はないわ」 「あ、ちえみさんからも聞きました。私にそんな素質、あるんですか?」 何かいかにももどかしげに、まどかが言う。 その様子にどことなく不審なものを感じたものの、ほむらは言葉を続ける。 「あるわ。でもそれは諸刃の剣。あなたは魔法少女になれば、あらゆる魔女を一撃の下に滅ぼすほどの力を持つ。一見すばらしいことのように思うかもしれないけれど、それは破滅への序曲でしかないわ」 「どういうこと?」 さやかが首をかしげる。 「最強ならいう事無しじゃない」 「魔法少女は、どんなに強くても永遠じゃないわ」 ほむらがさやかの甘えを切って捨てる。 「どんなに強くてもいつかは魔法少女も終わる。その時、まどかの『最強』は、その代償を払うことになるのよ」 「それって?」 そう聞くまどかに、ほむらは拒絶を以て答える。 「それは教えられないわ。でもね、軽く見ても地球が滅びるくらいになる」 「ええっ」 さすがに驚く皆。 そしてマミとほむらは、そこで立ち上がった。 「あなたたちには確かに力がある。意思も、勇気も、覚悟も。でも、それを望まないことを、私は望むわ。お手軽なことなんか、この世にはない。よく考える事ね」 「そう。安易な考えに流されてはダメよ」 そして二人の来訪者は、部屋から立ち去る。 最後に言葉を残して。 「――また、会いましょう」 後に残った四人の顔には、未だ夢と現実の狭間を漂うような、実感のない不可思議さが残ったままであった。