巴マミは少し困惑していた。 唐突な訪問、信じられないようなことなのに妙に説得力のある会話。 何より少し焦っているような必死な態度。 多少の気味悪さは残ったが、それでも何かあると思い、こうして彼女に付いて見滝原から滝の上に出てきてみた。 驚いたことに、滝の上の現状は彼女の言ったとおりであった。 気持ち悪くなるほどに濃い邪気、至る所に魔女が潜んでいそうな雰囲気。 確かにあらかじめ言われていなければ、見滝原を少し置いておいてでもここの掃除をはじめたくなってしまう、そうマミは自覚する。 だが、何より驚いたのは、案内された魔女の結界から、予言するかのように佐倉杏子が傷だらけになって飛び出してきた、ということだった。 「お願い、今の私たちの中では、あなたが一番治療は得意なの。教えたことを試す意味でも、やってくれないかしら」 そう話しかけてくるほむらの言葉に、マミは聞いたばかりの『あれ』を試してみる。 彼女の手から伸びる光のリボンが、包帯のように杏子の傷を覆っていく。 (傷よ、癒えて……あるべき元の姿に) 他人の傷を治すという感覚がよくわからなかったので、マミはそれっぽい呪文のようなものでイメージを補強する。 それがよかったのか、光と共にリボンがはじけた時、杏子の傷は癒されていた。 同時に気がついたのか、杏子がゆっくりと起き上がる。 「ん……わりぃ、助かった……ッと、なんでおまえがいるんだ? 巴マミ」 「こっちの二人に引っ張られてきたのよ。何でも私にしか倒せない魔女がいるからって」 「おまえにしか倒せない?」 「その説明は私がするわ」 そこでほむらが二人の会話に割り込んだ。 「一応、初めましてになるわね。私は暁美ほむら、そしてこちらが」 「添田ちえみです。わたし的には久しぶりですけどはじめまして」 「おいなんだよその挨拶は……ま、助けられたからには余計なことは聞かねえけどよ」 そういう杏子に、ほむらは首を振りつつ言う。 「その辺のことは、あとでまとめてきちんと説明するわ。別段秘密にする気はないんだけど、今は少し時間が惜しいの。ちえみ、マミをよろしく。杏子はあたしが見ているわ」 「はい。いきましょう、マミさん」 「わかったわ」 そして杏子の目の前で、ちえみとマミは今杏子が出てきた結界を切り開き、中へと侵入していった。 「おい、ここの魔女は」 「全てわかっているわ」 無造作に侵入していくマミ達の様子に思わず杏子が言葉を掛けるが、それはほむらによって遮られた。 「大丈夫、少し待っていればマミが片付けてくれるわ。ここの魔女のことはもうわかっているから」 「……何でもお見通し、っていう訳かい?」 少し不審げにほむらを睨め付ける杏子。 だがほむらは眉毛一筋動かすことなく言い放った。 「ええ。この魔女、ヘラは、『犯罪を犯したものでは倒せない』という特徴を持っているの。だから私やあなたではダメなのよ」 それを聞いて杏子の顔がまるで酢を丸呑みでもしたかのような酸っぱいものになる。 「うげ……それであんなに丈夫だったのかよ……って、ほんとに何でもお見通しなんだな」 「ええ。あなたのこともよく知っているわ、佐倉杏子」 そういうほむらをみる杏子の目がますます不審げになる。 「で、あたしをこうして助けたっていう事は、あんたにとってあたしは利用価値がある、ってことかい?」 「否定はしないわ」 「まあ、一応礼はするよ。助けられたことには変わりねえからな……」 「気にすることはないわ。ある意味お互い様だから」 そういうほむらの様子に、少し杏子の態度が変わる。 「あんた……取り繕わないんだな」 「あなたに対してそんな事をして何の得があるのかしら。私は『何でもお見通し』なのよ」 「はは、なんだい。そういう事かよ。悪かった。ちと気味が悪くてさ」 杏子の態度から角か少し取れる。彼女にはわかったのだ。 ほむらが自分から言葉にした『何でもお見通し』という言葉を聞いて。 それは知っていることは多いが本当に何でもお見通しだという訳ではないという、自分自身に向けた逆説的な皮肉だと。 彼女がそれを語る時の口調に、そういう心が乗っていたことに。 それは『本当に全てがわかるのなら、なにも苦労はしない』という皮肉。 あるいは『わかっていても苦労は絶えない』という皮肉。 それの意味することは、彼女もまた、苦労して現実を生きるものであるという事。 決してその知識を元に楽をしたり、夢を見ているのではないと言うこと。 そういう事をほとんど直感的に、杏子は理解していた。 その直感こそが、『気に入った』と『気にくわない』の分岐点。 今の説明だって、杏子自身はロジックとしては全く意識などしていない。 「マミのやつとつるんでるみたいだったから、そっちのタイプかと思ってね。喰うかい?」 「いただくわ」 差し出された棒菓子を、素直に受け取るほむら。 「しかし何だってここの魔女のこととか知ってるんだ?」 「その説明は、説明するだけなら簡単よ。あなたには、そのまま言った方がいいわね。 私には時を遡り、歴史を改変する力がある。ある目的のために、私は大体今から一ヶ月ほどの時間を、もう何度も繰り返しているのよ……あなたが信じるかどうかは別にして」 「はあ? ま、それなら確かにいろいろ知っててもおかしくは無いけどよ……なんでそんなことしてんだ?」 ぶっちゃけるほむらに、それをすんなり受け入れる杏子。 「疑わないのね」 「嘘ついて何になるんだよ、こんなことで。真実はともかく、ここはとりあえず信じて話を聞く所だろ? 本当かどうかは、そっちの要求が出た所で考えればいいって事、さ」 そう言うと同時に、取り出した林檎をかじる杏子。 「思ったより頭はいいのね」 「そりゃどういう意味だよ」 ま、あたしは知性派には見えないだろうけどさ、といいながら、杏子は食べ終わった林檎の芯を捨てる。そしてさっきほむらにも分けた菓子を取り出すと、その封を切った。 「んでさ、あんたは私になにをさせたいんだ?」 「最終的には、『ワルプルギスの夜』との対決よ」 「よくは知らねえが、あの最強と言われるヤバい魔女かい?」 「そう。それが後一月ほどで、見滝原に出現するの。私はそれを、『真の意味』で倒したい。それが私の目的よ」 そう言うと、ほむらは視線を遙か遠くへと向けた。 「変ね、使い魔達が襲ってこないわ」 「いえ、予定通りですよ」 マミとちえみは、魔女の結界内を不気味なほど順調に奥へと進んでいった。 結界内の景色は牢獄の商店街。そこを巡回する僧侶とも警察官とも付かない人型の使い魔達。 だが、その使い魔はマミ達に一切の関心を払おうとはしなかった。 「予定通りって? それがここの魔女が私にしか倒せないという事と?」 「はい。言ったと思いますけど、ここの魔女は『犯罪者にしか敵意を示さない』んです」 「そういえばそう言っていたわね」 一度も武器を手にすることなく、ただ静かに二人で結界内を歩く。 少しの間奇妙な沈黙が流れた。 「マミさん」 それを破るように話しかけたのはちえみ。 「先輩のお話、聞いてどう思いました? うさんくさい話だとは、私自身も思ってはいますけど」 そう問われたマミは、視線を前方から外さないまま、答えを言う。 「そうね。嘘はついていないけど、真実を語ってもいないというところかしら。 真実を語らないことも、私に対して何かを隠すと言うほどのものではないと思うけど」 それを聞いて少し驚くちえみ。 「わ、そこまでわかりますか?」 「あら、当たってたのね。何となくそう思ったから言っただけなんだけど」 マミからは見えなかったが、その瞬間ちえみの顔が少しこわばった。そして何かを深く思考するような表情が浮かぶ。 そして。 「そういう予感がするんだったら、もう少し踏み込んでお話ししても平気かもしれませんね」 「あら、やっぱり何かあったの?」 今度は足を止め、きちんとちえみに向き直って聞くマミ。そのマミの顔を見て、ちえみの表情に、決意したような様子が浮かぶ。 「マミさん」 その言葉に掛かる重さに、マミの表情も引き締まる。 「私たちのこと、もう少しお話しします。とりあえずは先に向かいましょう」 二人は今度は並んで奥へと歩き出した。 「私たちのことを説明した時、自分たちに起こっていたのが記憶の継承だって言いましたけど、あれ少し正確じゃないです。私に関しては嘘でもないんですけど。先輩が体験しているのは、『時間の遡行による歴史の繰り返し』、私に起こっているのは『記憶の継承による疑似体験の自覚』で、あり方は違いますけど実質的には二人で特定の時間を繰り返して過ごしているようなものなんです」 「繰り返し……そうなのね。それなら納得がいくわ。暁美さんの態度は、ただ記憶を受け取ったと言うにしては何か生々しさみたいなものがあったから、少し変だとは思っていたの」 「あ、それでだったんですか」 「ええ。単に記憶を受け取っただけなら、それは小説か映画を見るようなものなんじゃないのかなって」 「ですね」 そうあいづちを打つちえみ。 「だとすると、やはりワルプルギスの夜に勝つために?」 「基本的にはそうですけど、それ、実は手段で目的じゃないです」 手段で目的ではない……そう言われたマミは、少し考える。 「つまり、目的を果たすためには、ワルプルギスの夜を倒さなくてはならないと」 「はい。より正確に言うと、条件を満たして倒さなくてはならない、なんです。 実は、倒すだけなら簡単で、マミさんの後輩にあたり、かつての歴史で一緒に魔法少女としてコンビを組んでいた、とある人の力があればあっけなく倒せてしまいます」 「私と一緒に? ああ、暁美さんが言っていた、後輩の子ね」 その言葉に少し動揺するマミ。自分を説得する時、ソウルジェムの秘密と共に、ほむらの語ったこと。 別の世界では、自分には今の時点で後輩がいたと。 話を聞いてすぐにこちらに来てしまったために詳しい所は聞けなかったが、その言葉は一番マミの心を動かしていた。 「はい。今はまだ名前を言うには早いですけど、その人はとある理由により、全宇宙最強の魔法少女になる力を秘めています。掛けられる願いにも、およそ不可能はないくらい。 絶対的に矛盾するとかで根本的に叶えようがないことでなければ、あらゆる願いを叶えることが可能なほどの力です。 ですけど、彼女を魔法少女にするのは、実は破滅と表裏一体の危険を秘めているんです……ここまでは、話してもどうという事はなかったりするんですけど。信じてもらえないかもしれないだけで」 マミはその時、思わずちえみのことを注視してしまった。 最後の言葉だけが、明らかに語調が変わったからだ。 どちらかというと軽いノリで話されていたちえみの言葉が、最後の一言だけ、果てしない重さを持っていたが故に。 そしてその重さに立ち向かうように、マミは言った。 「信じるわ。あなたは嘘を言っていないって」 「あ、ありがとうございます。ここ流されるとさすがにきついですからね~」 再びノリが軽くなるちえみ。だがもうマミは騙されなかった。 そのノリが、つらいものをごまかすための軽さであると、気づいてしまったから。 そしてそれを証明するかのように、再び重くなるちえみの言葉。 「マミさん……ちょっと早いかもしれませんけど、今のマミさんなら耐えられるような気もします。ここから先は、かつての歴史でマミさんを狂気と自殺に追い込んだ真実です。 それでも、聞きたいですか?」 「え……?」 さすがにマミの足が止まった。そういう事なのね。マミの頭の中で、思考が渦を巻く。 最初は『可能性』だと言っていた。それだけなら、たとえ自分が自殺したと言われても、それは『他人事』だっただろう。あくまでもそれは『可能性』なのだから。 だがそれが、時間遡行によるやり直しだとしたら。 それは『可能性』ではない。『事実』なのだ。 かつて自分はその真実を知り、それに耐えかねて狂気と共に自殺を図ったというのだ。 ちえみの様子からして、それは脅しでも誇張でもない。 いや、この場においては事実こそが最大の重みを持つ言葉になる。 もちろん、知られたくないことを追求されないために、ここぞとばかりに嘘を挟んだという可能性も有る。 だが結局、その真実はパンドラの箱だ。開ければ災厄がまき散らされる。だが、開けずともそこに災厄が詰まっているという事はもう間違いがない。 なら、自分はどうするべきか。 マミは少し冷静になって考えた。そして一つの疑問が浮かぶ。 「一つ質問していい?」 「答えられることなら」 そしてマミはちえみに問う。 「私がそれを知って自殺した時って、こういうふうに前置きされて聞かされたの?」 「いいえ、真実を目の当たりにすることによって」 それを聞いたマミは、上を見上げ、大きく深呼吸して体の緊張をほぐした。 そしてキッとちえみを見つめ、答えを述べる。 「聞くわ。私を殺した真実を」 「いいんですか?」 「ええ。今の話を聞いて、自問自答してみたら少し変なことに気がついたから。 私ね、こう見えても意地っ張りなの。自分が正しいと思ったことは、そう曲げる方じゃないと思うわ」 「ですね。マミさん正義感強いですから。だから杏子さんともぶつかったんでしょ?」 頷くことでそれを肯定するマミ。 「そんな私が、『聞いたら自殺する』なんていう事を言われて、自殺するはずがないのよ。 たとえそれが自殺するほどの衝撃的な事実でも、『聞いたら自殺するから教えない』なんて言われたら、意地でも自殺なんて出来る訳無いわ」 力強く言い切られた言葉を聞いて、思わず吹き出すちえみ。 「なら、大丈夫かもしれませんね。でも、本気でつらいですよ?」 「いいから教えなさい」 「わかりました」 さすがにここからは茶化した雰囲気を消し、真面目な声で語り出すちえみ。 「そうですね……マミさん、この魔女の結界を見て、どう思いますか?」 「結界の印象? そうね……ここはなんというか、人が信じられない、とでもいう感じかしら。商店街なのにお店がみんな鉄格子って、これって犯罪者が店主なのか、それともお客がみんな泥棒だと思っているのか……」 「それ、後半が正解です」 「正解?」 マミは答えが当たったという事より、正解が存在していることの方を不思議に思った。 「魔女の結界の解釈に、正解なんて有ったの?」 「有るとは限りませんけど、ここはわかりやすいですから。ここは、泥棒……特に万引き犯を憎んだ、一人の魔法少女のなれの果てですから」 「そうなの……っ!」 あまりにもあっさりと語られたため思わず聞き流してしまったが、そこには無視できない言葉が混じっていた。 「魔法少女の、なれの、果て……?」 「はい。それこそが『前の歴史』でマミさんを自殺どころか虐殺にまで追い込んだ魔法少女の真実です。魔女とは魔法少女が成長……いえ、破綻したもの。希望を代償に魔法少女となったものが、絶望をソウルジェムに溜め込みすぎて破裂する時、魔女は生まれます。 ちなみに私は前の歴史で、何度か魔女になった事ありますよ。成った後のことはさすがにわからないですけど。マミさんも一度……じゃない、二度なった事がありますね。まあそのうち一回は反則ですからノーカンですけど。 記録もありますけど、見たいですか?」 そう言いつつ、巨大な本を召喚するちえみ。 一方、マミは全身が震えるのを止めることが出来なかった。 心が真っ暗になりそうな気持ちの中、一筋の意地がそれに心を潰されるのを防いでいた。 「い、意地を張っていてよかった、わ……ただそれを知ったとしたら、間違いなく、私は潰れたわね……」 引きつった笑みを浮かべつつ、ちえみに手を差し出すマミ。 笑みというにはあまりにも痛々しく、差し出された手は小刻みに震え、ぶれて見えるほど。 本を送還し、その差し出された手を、両手で抱くようにちえみは握る。 「マミさんがこの事を知った時は、目の前で仲間の一人が魔女に変わったからだって、先輩に聞きました。いずれは自分も魔女になるって知ったマミさんは、仲間だったみんな諸共自分も死のうとしたそうです。そしてそれを止めようとした、最愛の仲間に倒されたそうです。 別の歴史では、やはり心が砕けそうになった時、何気ない仲間の一言でどうにか踏みとどまったこともあったそうですよ。 魔法少女が魔女になる原因って、こういう不安に耐えかねて、自分で自分を追い詰めちゃうことが一番多いんです。私みたいに身の丈を越える力を使っちゃったりとか、ソウルジェムや体が限界を超えて壊れちゃって、持ちこたえられなくなっちゃったっていうのはほとんど無いです。 だから大丈夫。それはいずれ来る定めかもしれないけど、普通の人が交通事故に遭うのと同じで、来る時は理不尽に来る、そういうものなんです」 「添田、さん……」 ちえみが握っている手から、少しずつ震えが減ってくる。 「それに最悪、ソウルジェムが完全に転化してグリーフシードになる前にソウルジェムを壊しちゃえば、死んじゃいますけど魔女にはならずにすみますよ。先輩も一度、命より大事な親友を、魔女にしないためにその手に掛けたことがあるそうです」 その言葉が出た瞬間、完全にマミの震えが止まった。 おびえていた目に、光が点る。 「魔女にしないために、親友を手に掛けたですって……!」 語調は怒りを含んでいたが、それは手を下した相手にではなく。 「暁美さん……なんでもない様子をしていながら、あなたという人は……」 つらい思いを押し殺す少女と、それに比べてふがいない自分への怒り。 ちえみが包むように握っていたマミの手が、固く拳に握られていく。 「どこまで、……なの」 下を向くマミ。その顔から一筋の雫が落ちたのは、見なかったことにするちえみ。 そしてマミが顔を上げた時、そこにはもはやわずかなおびえもためらいもなかった。 「いきましょう、ちえみさん。そしてもう少し詳しい話を」 「はい。この魔女、ヘラは、さっきも言った万引きする相手を憎んだ魔法少女の果てなんです。ですので犯罪者、特に泥棒をことのほか憎んでいて、それが魔女としての資質に表れているんです。 犯罪者には屈しない。それが断罪の魔女ヘラの持つ『律』。ですので生きていくのに盗みを働いたことがある杏子さんや、武器の調達に同じ事をした先輩では倒せないんです」 「佐倉さんたら……でも、話を聞く限り、あまり悪影響は出なさそうだけど」 「でも、なにを以て犯罪とするかは、魔女の独善なんです。今はまだ人だった頃の倫理観が残っていますけど、いずれはそれも絶望に呑まれて、人間はすべからく断罪するものなんて思い込みはじめちゃいます。そうなっちゃったら文字通り手がつけられなくなりかねませんから」 「確かにそうなったら、手がつけられないわね」 「基本、魔女になっちゃったらいずれは害になります。全く例外がないわけじゃないんですけど。ある意味希望と理想の無茶が過ぎて、魔女になったのに一見まともそうな人もいなくはないです。知っていますし。 ただ、基本的に、魔女になるっていうのは、絶望の果てに不安と迷いを捨てることなんです。だから例外なく、魔女になっちゃうと、人として『変われなく』なっちゃうんです。 思い詰めた果ての方向にまっしぐら。太陽に挑むイカロスのように、その果てが破滅でも地獄でも、もう止まれなくなっちゃった存在が『魔女』なんです」 「……そういう事なのね、魔女になるっていうのは」 「もっとも、私が魔女になる時って、力のオーバーフローで破綻した時ばっかりなんで、その辺はわからないですけど」 「あら、そうだったの」 ほんの少しだが、マミにも余裕が生まれはじめていた。 そして結界の最深部。マミの目の前にあるのは、佇むギロチン台。 事ここに至っても、この魔女は動かなかった。 「犯罪者を憎む魔女は、その反動として、犯罪者でないものには手が出せないんです。ですから、一撃必殺にすれば、この魔女は倒れます」 「そう……ねえ添田さん。魔女の外観って、やっぱり元になった魔法少女の……」 「はい。深層意識が形をなしたものになることがほとんどですよ。能力とかもかなり。 断罪の魔女のこれは、罪を裁く形と、彼女の万引き犯に対する憤りと憎しみが、こうして形になったんです」 「私が今まで狩ってきた魔女も、そうだったんでしょうね」 少し寂しそうにいうマミ。そう言いつつも、目の前には据え置き型の巨大な銃が出現している。 「でも、それが定めでもあり、代償でもあるんです。あ、この事でキュゥべえに文句をいうのは止めてあげてくださいね」 「……何故?」 「キュゥべえには、こういうことに対して私たちが抱く感情……喜怒哀楽を理解出来ませんから。キュゥべえにしてみれば、私たちを魔法少女にしていずれ魔女に至らせるのは、私たちが畜産で牛や豚、鶏なんかを育てているのと一緒なんです。マミさん、私たちが肉を食べるのに牛を育て、殺すことに、マミさんは罪悪感を憶えますか?」 「……私は憶えないわ。原罪って言って、そういう事を問題にする宗教とかもあるけど……そういう事なのね」 そういうマミの顔には、何ともいえない寂しさとやりきれなさが漂っていた。 銃の位置を調整し、照準をきっちりと合わせる。 「そうそう、添田さん。私が魔女になった姿って、どんなものだったの?」 「リボンによく似た、金色の紐の集合体でしたよ。ピーナッツ型の繭の形した。 ――紐の魔女ザビーネ、その性質は孤独。寂しさを紛らわさんと、全身の紐で相手を束縛する。だが紐で縛られた人は自我をも縛られてしまい、全ての意志を失う。 そういう魔女でした」 「そうなの……確かに、私ならそんなふうになりそうね。でも」 そこで力強く、マミは宣言する。 「もう私は、決してそんな、己に負けた魔女にはならないわ……ティロ・フィナーレ!」 その宣言と同時に、断罪の魔女は一撃で滅ぼされた。 「ワルプルギスの夜を倒す、ね……まあ、嘘は言ってないんだろうが。ま、助かった礼もある。前向きには考えとくよ。 とは言っても、こっちはこんな感じだろ。ある程度片付けないとどうにもならないんだよ」 「わかっているわ」 頷くほむら。 「本当はこのまま手伝ってあげたいけど、私たちにはこの後一旦すぐに戻らなければならない訳があるの。そちらが片付いたら、地元の魔女を判っている限り片付けてから、こちらにも応援に来るつもりよ」 「ん、そん時は素直に力借りるわ。ッたく、なんでこんなに魔女が増えたんだか」 「実のところ、理由も見当が付いているわ。でも、そこまで明かすのはちょっと早いと思うの。だから、それは次の機会にするわ」 「ま、いいさ。本音を言えば、滝の上病院あたりのヤバそうなところはつきあって欲しかったんだが、とりあえず小物を潰して待ってることにする」 「そうそう、ちょっと注意しておくわ」 滝の上病院の名前が、ほむらの記憶を刺激した。 「あそこは一人では手を出さないこと。一人で行ったら、あなたの負けよ。『前回の記憶』から考えると、最低三人、内一人がちえみじゃないと危険だわ。魔女そのものは倒し方も判っているけど、ちえみがいないと感知できない罠があるのよ」 「ん? ひょっとして前回、組んでやったとか」 「その通り。魔女はともかく、『罠』の方はちえみがいなかったらまず手が出ないわ。 幸い多少は放置しても平気だけど、私たちも因縁がある魔女なんで、協力は惜しまない」 そこまで語った所で、二人は魔女の結界が消えたのを感じた。 「無事に倒したようね」 そして現れるちえみとマミ。 だが一瞬、杏子は己の目を疑ってしまった。 マミの様子が違う。なんというか、いきなり一皮むけたような気がする。 男子三日あわざれば、すなわち刮目してみよ、という格言が脳裏をよぎる。 「……おいマミ、何か中であったのか」 「ちょっとお話ししただけよ。その流れで添田さんから聞いたんだけど、佐倉さん」 その言葉に妙な力が入っていて、思わず気圧される杏子。いつもなら反発が先に立つ所なのに、今回ばかりは変に逆らいがたい雰囲気が出ていた。 「あなた、食うに困って魔法を使って万引きしているそうね」 「悪いか!」 悪いのだが、それよりもマミの言い方に腹が立った。 だが、マミの対応が杏子の予想の斜め上に行った。 「そんな事は人様の迷惑だから、本気で困ったのならまたうちに来なさい。ご飯ぐらいならごちそうするわ」 「な……?」 てっきり正論による罵倒が来ると思っていて身構えていた杏子は、思いっきり腰が砕けた。 「幸い私はあなたと違ってお金にも住む所にも困っていませんので。居候の一人位は、どうにでもなりますし」 「なに考えてやがる」 喧嘩腰に突っかかるが、同時に何ともいえない違和感を感じて、内心焦る杏子。 (おかしい……あたしの知ってるマミなら、こんなときもっと高飛車に正論で押してくるはずだ。こんなじわじわとした圧力を掛けるような真似はしない女だと思っていたんだが……) そんな杏子の内心を意に介さず、これは今までと変わりなくマミが押してくる。 「無為な迷惑と意地で無駄に魔法が使われると、こちらにとっても迷惑なのよ」 「なんだ、そういう事かよ……その気はねぇ」 だが、こちらの挑発にも乗らず、マミは自分のペースを押し通す。 「あなたも生きる上で必要なのでしょうから止めろとは言えないけど、私としては止めて欲しいわ」 こうまで自信たっぷりに言い切られると、無駄に意地を張る方が小物っぽく思えてしまう。 そんな事は杏子のプライドが許さない。 「ふん、考えてはおくよ。そん時はたかっておまえさんの遺産食いつぶしてやる」 「あ、うまいダジャレですね」 横からちえみに突っ込まれて、思わず杏子はこけた。 そして四人は、三人と一人に別れた。三人を見送る杏子は、奇妙な一日だったと思いつつ、滝の上の町をぶらつく。 (さて、どうするかな……いまいち物足りねえけど、積極的に探す気にも慣れねえし……) そんな事を考えながら適当にぶらついていたせいか、普段あまり足を運ばない街外れのマンション街に杏子は足を踏み入れていた。 「ありゃ、迷ったかな?」 そう、杏子がつぶやいた時、『それ』を感じた。 『魔女の結界っ! こんなところにも隠れてやがったのか、気づかなかったぜ。 まあいい、今のむしゃくしゃ、八つ当たりさせてもらうぜ!」 ためらうことなく結界に突入する杏子。 中に入ったとたんに感じる血臭。 「……どうやら人食いの外道魔女らしいな。ちょうどいい」 使い魔を縦横無尽に蹴散らし、最深部に突入する。 どうやら植物系の魔女のようだ。 だがそこで、意外なものを杏子は見た。 魔女に食い散らかされたらしい死体の側に、呆然と佇む少女……いや、幼女。 死体の様子を見ると、幼女の母親か。 そして杏子の目の前で、魔女の繰り出す刺の生えた蔦が、幼女に襲いかからんとする所だった。 「アブないっ!」 幸い魔女はまだ弱く、杏子の敵ではなかった。 結界もすぐにとけるだろう。 そして杏子は、死体の側から離れようとしない幼女に近づいた。 こちらに気がついた彼女は、縋るような目を自分に向けてくる。 何となくむかついた杏子は、突き放すような声で言った。 「そんな顔したって、誰も助けちゃくれないよ」 だが、それでもじっと杏子を見つめる彼女の瞳に、結局杏子は負けた。 定番商品になっている、短い棒付きの球形キャンディーを差し出す。 それは、最後の鍵がこの舞台に参加した瞬間であった。