そこは時の間に浮かぶ巨大な図書館。 そこで二人の少女が、並んで一冊の漫画を眺めていた。 机の上には、今開かれているものと同じ漫画と思われるものが、四冊ほど積まれている。 「うわ~、こんな展開になるんだ~」 白いドレスを着た。女神を思わせる少女がつぶやくと、 「ようやくそこまでたどり着いたか」 黒い、影にしか見えない少女が答えた。 「う~、それにしても私って、やっぱりわかってないんだな~」 「落ち込んでもしかたあるまい。あれはある意味必然なのだから」 前回のほむらに対する、かつてともいえる自分の行動をみて、女神は頭を抱える。 対する影の少女は、肩をすくめつつそれを慰める。 「そういえば今ほむらちゃんがいる世界、あれ何なの?」 慰められた女神は、気を取り直して影に質問する。 「ああ、あそこは、『否定の世界』だ。まどかが昇華の際に持って行ってしまった、世界のエレメントの残りの世界。そして、本来なら『ワルプルギスの夜の生誕の地』でもある。 言い換えれば並行世界の可能性のうち、まどかが持っていけなかった世界ともいえる。 まどかは世界の新生に際して魔女は否定したが魔法少女は肯定したからね。魔女を消すために、魔法少女そのものを否定するという、矛盾が生み出した世界のひとつだ。 全ての魔法少女が存在せず、当然その元凶ともいえるまどかもまた否定されている世界。 インキュベーターの干渉無しに文明化した中で、最も近い世界ともいえるね。 まどかの祈りに矛盾として弾かれたほむらは、まどかの残滓がない世界のうちで、最も近いあそこに落ちたんだ。そこでまどかがいない事に絶望したほむらは、希望を喪失して魔女になる。それが本来の流れなのさ」 「ほんらい?」 女神は、影の語った言葉に潜む意味に気がついた。 「そう。もしほむらがなにも知らずにあの世界に落ちていたら、たとえ漫画のビジョンみたいに落ち込んだりしなくても、さっきのシーンみたいに教室の時点で決定的に破綻している。魔女も、魔法少女もいない世界じゃ、ソウルジェムの浄化も出来ない。自殺しても、また最初に戻されるだけ。後に残るのは、まどかのいない絶望だけだ」 「でも、ほむらちゃんはそうはならなかった」 女神の言葉に影は頷く。 「そう。落ち込んで気がつかない上に、しっかり現れるはずのないワルプルギスの夜が現れたからね。ギリギリの一線で、ほむらは『真に絶望』しなかった。そして矛盾が生まれ、時を戻した時、ほむらは『放浪者』から『観測者』にその意味を変えた」 「観測者?」 「そう、観測者だ。シュレディンガーの猫の生死を決定するもの。可能性を定めるもの。彼女の辿る世界は、彼女が観測する事によって出現する、あり得るかもしれない世界」 「あ、だからほむらちゃんが消えると世界が滅んじゃうんだ」 「そういう事」 くつくつと影は笑う。 「新世界がまどかの夢なら、今彼女がいるのはほむらの夢の世界。いくら頑張った所で、残るのは思い出のみ。だけどね」 そこで影は女神を見る。 「たかが思い出でも、世界を変える事は出来るんだよ。なにも変わらないように見えても、意味がないように見えても、なにも変わっていなくても」 そう言うと影は、奇妙なオブジェを現出させた。 一本の円柱を、上面の直径を描く線と下面の外周に接するように切り落としたもの。 影はそのオブジェの影を映し出す。ある角度からだと落ちる影は円になり、ある角度からだと四角に、別の角度からだと三角になる。 「同じものでも、見方によってその意味は変わる。重い物を持って歩む人がいる。ある人はそれを労働と見、ある人は拷問と見、ある人は鍛錬と見る。そして背負う人物にとつても、それは苦痛でもあり、希望でもある。 意味の無いように思える些細な改変でも、時には人の意識を大きく変える」 そして影は再び笑う。 「だからかつての私は干渉した。いち早くそこにたどり着いた私は、なすべき事の結末が矛盾に満ちていたとしても止まらなかった」 「そっか、でもそんなコトできるの? 矛盾しているよ?」 「普通は無理。でも時間遡行が絡むと、そこに存在の輪が生じる事がある。私はそこにつけ込んだんだよ。それを成し遂げた結果、今の私が生まれたんだけど」 「なにしたの?」 「読み終わればわかるよ」 それは未だ女神の元にはない知識。 「さて、そろそろ気がつくかな? キュゥべえがキュゥべえであるが故に見落とした奇跡のタネ。熱力学第二法則の応用である今の魔法少女を越える、『真』の魔法少女への道。 そう、理論上はあり得るとしながらも否定された、真の魔法、熱力学第一法則に喧嘩を売る万能無限への道、水でもなく、石でもない、永遠の焔へ至る鍵。 希望と絶望を情報でごまかした今の魔法少女なんかお呼びじゃない本当の魔法、それを見いだせないと、出口は見えないよ」 「熱力学第二法則?」 不思議そうな女神を見て笑う影。 「エントロピー増大の法則だよ。熱は低い所から高い所には流れない。これから導かれる結論がいわゆる宇宙的熱死で、キュゥべえ達はこれを回避、もしくは遅延させるために魔法少女システムを作り上げたんだ。でもね」 全知たる影は哄笑する。 「彼らは気がついていない。自分たちがなにを作ってしまったのか。そもそもエントロピーを減少させる事は根源的に不可能だ。なのに彼らはそれを成し遂げてしまった。感情という自分たちには未知の現象を利用して。原則エントロピーを減少させるには、その分のエネルギーをどこからか持ってくる必要があるのにね。 そう、彼らは気がついていないんだ。『魔法』という力が、文字通り客観的な物である『科学』に喧嘩を売る代物である事に。『宇宙』なんていう小さな世界を、神のいる世界と繋いでしまう『爆弾』だっていう事に。 そう、キュゥべえはキュゥべえであるが故に、決してそこにはたどり着けない。彼らが魔法少女システムを利用できないのと同等に。 だけど魔法少女にはそれが出来る。キュゥべえが否定したが故に捨て去った物を持つ魔法少女には。希望と絶望の相転移、それは感情の内燃機関。希望を燃やして絶望という廃棄物を生み出し、その差分を力に変えるシステム。 だけどキュゥべえにはわからない。 『希望がどこから生まれているのか』 早く気がついてね、魔法少女諸君。ははははは、はははははっ」 「ちょっと恐いよ……」 高笑いする影に、女神はどん引きだった。