「……そういう事になるのね」 少女は、入院先の病室でテレビのニュースを見ながらつぶやいた。 テレビに映るのは、なにかの災害にあったのか、ひどく壊れた町並み。 その上にかぶさるテロップには、こう書かれている。 『見滝原を襲った竜巻の恐怖』 毎回必死になって守っていた街が、なにがあっても守ると誓った少女の住む街が、その周辺も含めて無残にも崩壊した姿だった。 --敵を知りなさい。 --自分を知りなさい。 --仲間を知りなさい。 --知らないことは出来ない。不可能を可能に変えるのは、常に未知を既知に変える事よ。 ほむらはいつものように入院先で目覚めた直後、魔女ではあったが、偽りなき彼女の言葉を必死になって考えた。 自分には幾多のループによって蓄積した、たくさんの経験がある。まどかだけでなく、巴マミや、美樹さやか、佐倉杏子の事も知っている。だが、それだけでは足りないと彼女は言った。 ならば自分はこれ以上なにを知ればいいのか。そこから先はあの全てを知る魔女には答えられない領域になる。だから彼女も具体的には言わなかった。ただ、知識を集めろとしか。 だが自分にはまだ判らない。自分の努力の、なにが足りないのか。 ただ、彼女のアドバイスで一つだけ思いついたことがあった。 今までのような、『修正』ではおそらく駄目なのだと言うこと。 今までの自分は、前回失敗したことを踏まえ、次の回にはその不具合を『修正』するような形で事に当たってきた。トライ&エラーという手法である。 だとすれば、どんな手段を取ればいいのか。なのになにも思いつかない。 その時、ほむらは気がついた。思いつかない……自分が、なにも知らないことに。 自分の視野が、ものすごく狭くなっていたことに。 (一つ、判った……。私はあまりにもなにも知らない。今まで、考えもしなかった) ふと、社会の授業を思い出す。ソクラテスだったか。確か、無知の知、とか言うはず。 これがそういう事なのか、と思いついた自分を、ほむらは笑う。 どうやら、私はなにも知らなく、そして色々考えないといけないらしい。 そう考えて、考えて、考えて…… 考えすぎて、思わぬ失敗をした。 夜更かしをしすぎて体調を崩したのである。 もちろん魔法少女となった自分の体は本来そんな事とは無縁である。ただ、基本的にそうと意識しなければ、眠くもなるしお腹だって空く。無理をさせれば代償として魔力を消費し、ソウルジェムを濁らせることになる。 おまけにそれを看護師に見つかったのがまずかった。結果退院が延期され……転校も延期されてしまった。 (なんという大失敗……) 思わず真っ青になるほむら。転校が遅れたら、なにもかもが崩れてしまう。まどかは魔法少女となり、あの最初の悲劇がが繰り返され……そこではたと気がついた。 『自分にとって』の全ての事の始まりは、転校して『ほむら』が『まどか』と出会った事。 ならば、もし…… (そもそも自分が、まどかと出会っていなかったら。まどかがマミと共に、ワルプルギスの夜まで、私と共に行動していなかったら) それは恐ろしい想像だった。もしかしたら、全ての悲劇は、その根源がキュゥべえに有ったとはいえ、自分もまたその要素だったのではないのか…… ほむらはそんな想像をしてしまい、思わず自分を抱きしめる。 もし、それが事実なら。 もし、このまま自分がまどかと知り合わない未来が、むしろまどかを救う事になってしまったら。 ……間違いなく自分は魔女と化す。そのことは容易に想像が付いた。 この時のほむらは、凍らせた心がひび割れる寸前だった。鬱病患者のように不安が間断無く襲い、自分でもよく魔女化しないで持ちこたえられたのかが不思議なくらいだった。 だが心の不安定化は、体力の低下と再発の恐れを呼び、約一ヶ月の間、彼女はなにもする事が出来ないまま、揺れ動く心を抱えたまま過ごす事になった。 そして、運命の日-- 見滝原は、一夜にして壊滅した。 たとえ自分がいなくても、ワルプルギスの夜は現れ、見滝原を崩壊させる。 この事実は、ほむらを安堵させると同時に、自分が安堵した事を自覚してまたほむらを落ち込ませた。 そんな相反する鬱な気分の中、ほむらはゆっくりと思考する。 今自分は、一つの事を知った。 自分が介入しなければ、まどかはワルプルギスの夜を倒せない。 自分が彼女と出会う事は、まどかを救うためには『必然』なのだという事を。 そしてそこでまた考える。 自分とまどかが出会う事、知り合う事はどうやら必然らしい。 だがそれは、『親友』として必要なのか? 自分と佐倉杏子のような『戦友』ではいけないのか。 それとも最初に出会った時の、巴マミとまどかのような『師弟関係』というのもあるのではないか……いや、これはまどかを魔法少女にする事だ。却下……いや、保留。 間違えてはいけない。ワルプルギスの夜を一撃で葬り去る魔法少女になったのは、『最後の瞬間まで魔法少女にならなかったまどか』だ。 最初から魔法少女だったまどかは、そこまでの力は発揮せず、共同で当たっても破れている。 キュゥべえは自分が時を戻す事がまどかを強くしたと言ったが、それだけなら今回まどかはワルプルギスの夜を倒せたはずである。 一度女神と化したことでその因果も巻き戻ったのか、あるいは自分という存在が必要なのか。 それとまだ自分は、まどかが最後まで契約しない、という未来を見ていない。 奇跡の世界を生み出したまどかでさえも、その源泉は『まどかが魔法少女になる事』だ。 もしかしたら、まどかの魔法少女化無くして、ワルプルギスの夜は倒せないのかもしれない。だがそれもまた確定していない。 ……この辺まで考えたあたりで、ほむらは頭痛を感じて一息つく事にした。今の自分は思わぬ失敗で魔女化寸前のポンコツ魔法少女だ。一度時を巻き戻し、手頃な魔女を狩ってグリーフシードを手に入れないと、あっさり魔女化しかねない。 それと同時に思い知る。知る事がいかに大切か。自分が視野狭窄に陥って、いかに多くの事を見落としていたのか。 図書館の中で出会ったシルエット魔女に、今ほむらは思いっきり感謝する。 「確かに、私はなにも知らなかったわ。こうして解き放たれてみれば、可能性はまだまだたくさんある」 自分に問い掛けるように、声に出してほむらは語る。 「当然だと思っていた事をあえて否定してみる……これも思考する事の一つの手段なのね」 声に出す事で、飛躍する思索を抑え、まとめていく。 「私はまどかの親友になるべきなのか。私の仲間となる魔法少女はあの四人だけなのか」 時間の制約がある以上、海外とかの魔法少女は無視してもいいだろう。だが、近隣の魔法少女は、佐倉杏子だけなのか? いや、そんな事はない。杏子は強力な魔法少女だが、見滝原周辺の魔法少女が、彼女だけという事はないはずだ。 「見落とした仲間がいるかもしれない。見落とした事実があるかもしれない」 その先にある事実に、心が痛む。 「それを知るために、まどかを苦しめるかもしれない。見捨てるかもしれない。繰り返せるからという理由で」 締め付けられるような心の痛みが、ほむらの枯れたはずの涙を絞り出す。 「でもっ、私は知ってしまった! 今までより遙かに広い、あり得る可能性を!」 少女の慟哭が、闇に響き渡る。 「まどか、ごめん! その代わり、ぜったい、見つけるから……!」 叫びと共に、ほむらの姿が変わる。見滝原中の制服に似た、魔法少女の姿に。 そしてほむらは、この時間軸から姿を消した。