基本的にまどかから目を離したことのないほむらは、今まで杏子の縄張りとも言えるこの滝の上町に足を踏み入れたことはなかった。 まあそれを言ったら見河田町なども同じではあるが。 だがこうして一歩足を踏み入れてみたほむらは、今までこの辺に来なかったことを後悔した。 「なに、この邪気の濃さ……」 「なんかこう、至る所に魔女が潜んでいそうです……」 杏子は魔女を狩る際、グリーフシードを持っていない使い魔は狩らないと言うことでマミと対立していたことを思い出したが、それにしてもこれは異常すぎる。 なにも感じられない一般の人々が平然としていられるのがかえって不思議な位だ。 「杏子さんって言う人に、何かあったんでしょうか……」 「そういう話は聞いていないけど、これは縄張りどうこう言っていられないわね」 思えば不思議には思っていた。この時期見滝原も魔女がかなり増える。それはてっきり、ワルプルギスの夜の影響だとばかり思っていたが、この滝の上町の様子を見るに、どうもそれだけではなさそうな雰囲気である。 と、その時、結界が開く気配がした。 「先輩、今!」 「私も感じたわ。でもこれは」 ちえみは経験が足りなくて解らなかったようだが、今開いた結界は『内から外へと強引に破られた』開き方だった。結界がこんな開き方をする理由は一つしかない。 魔法少女が魔女を倒しきれずに脱出してくる時だ。 そうすると負傷した、あるいは消耗した魔法少女が近くにいる可能性が高い。 「ちえみ、グリーフシードのストックは」 「一応二つほどならまだ余裕ありますけど」 「私の分と合わせて五つ……微妙ね」 こちらに来る前に、見河田町に出現する予定の魔女は根こそぎ刈り取ってきていた。 ちえみの事典と過去の経験で出現位置も時期も見当は付いている。今回は外れが少なかった上、過去に情報収集済みの魔女ばかりだったので、速攻で弱点を突くことでほとんど消耗せずに魔女を刈り取れていた。 その結果が手持ちのグリーフシードである。 だがはっきり言って甘かった。もし前回もこんな感じだったのなら、杏子がこちらに来ないのも道理である。まさに入れ食いに近い様相なのだから。 そんなほむら達の前に、誰かが現れた。 怪我をしているのか、ずいぶんと動きが鈍い。 「大丈夫ですか!」 「ん……新人か? 気をつけろ、この先の魔女は、なんかえらく強い……ぜ」 ほむらはそう言って倒れた人物の姿に驚いた。 「佐倉、杏子……あなたほどの魔法少女が、どうしてこんなことに」 杏子のソウルジェムは、信じられないほどに濁っていた。 魔女も心配だったが、杏子も放ってはおけない。とりあえず安全を確保すべく杏子を抱えて移動しつつ、グリーフシードでソウルジェムの浄化を行う。 それがよかったのか、杏子はすぐに目を覚ました。 「ん……あんた達は?」 「あ、気がつきました?」 ちえみがうれしそうに声を掛ける。 「私は添田ちえみって言います。よろしく」 「わりぃ、助けて貰ったみたいだな。あたしは佐倉杏子。一応この辺を根城にしている魔法少女だ」 「私は暁美ほむらよ」 「ほむら、ね。聞いたことがない名前だが、ずいぶんやりそうだな」 「そこはノーコメントで」 杏子相手には、いきなりなれなれしくするのは禁物であることを、ほむらは知っていた。 一旦打ち解ければ気安い仲になるが、そうなるまではある程度ビジネスライクな方がむしろ落ち着いた関係になる。 例外はちえみのタイプ……空気を読まないで押し倒すタイプである。 杏子は基本面倒見がいいため、この手の人物に対しては徹底排除か押し倒されるかの二択になる。そしてちえみタイプに押し倒されるとはねのけるのが苦手なタイプでもある。 ちなみに自分がそんなことをすればガチで殺し合いになるので却下だ。 とりあえず杏子を落ち着かせるために、近くのバーガーショップへと三人は足を運んだ。 食事代はほむらとちえみで奢ることにした。ちえみはともかく、ほむらは杏子がろくに収入のない窃盗生活をしていることを知っている。個人的事情にはまだ突っ込む気がなかったほむらは、とりあえず山のようにハンバーガーやポテトを積み上げて杏子をもてなした。 さすがにドリンクはおかわり可のホットコーヒーに限定した。 「おっ、判ってんじゃねえか」 杏子は遠慮無く目の前の食料をむさぼり喰らう。ちえみは少しあきれ顔だ。 「いいんですか? 先輩」 「いいのよ」 実際、ほむらの知る杏子は、常に何かを口にしていた。友好の証にも、手持ちのお菓子を渡してくるような人物だ。だとすると事『食べる』という行為に関して、杏子に何か意見をするのはよほど親しくなってからでないと逆効果になるとほむらは判断していた。 そして機嫌を取るというか、友好をアピールするのにも何かをごちそうするのが手軽なとっかかりになる。 「ふう、落ち着いたぜ。なんかいろいろ世話になっちまったな。礼はするよ。所で何の用でわざわざ滝の上まで?」 「率直に言うわ。一つはあなたという人物に興味があったから。もう一つは、近いうち……大体一月強位後に、見滝原に弩級の魔女が出現するらしいので、その調査に」 「あたしに、ね。その弩級の魔女とやらと戦うのに手を貸せってか?」 さすがにそのへんに関しては察しがいい杏子だった。 「ええ。状況と条件その他について折り合いが付くのなら、是非にとは思っていたわ。あなたの実力はこの周辺では有数のものらしいから。多少黒い噂はあるものの、それでも条理を踏み外すようなものではないと思うし」 「お、おまえ、巴マミよりは話が通じそうだな」 その言葉を聞いてちえみの眉が少し寄る。 「先輩、杏子さんって、マミさんと仲悪いんですか?」 「いいえ。どちらかというと考え方の違いよ。お互いを理解すれば、結構相性はいいと思うのだけれどね」 「おいおい、勝手に決めつけんなよ」 さすがにこの言葉にはかちんと来たのか、杏子は不満そうな顔をする。 「暁美ほむらとか言ったよな。おめぇさんの態度見ているとずいぶんやり手ッぽいんだが、その割には名前は聞いたことがねえなあ。さしずめ謎の魔法少女って所かい?」 「今はまだ早いけど、時と事情が合えば、別に私は自分のことを隠したりはしないわ。でも今は少し、個人的な話は置いておきましょう……改めて率直に聞くわ。なんなの、この滝の上町の有様は」 「ですよねえ。なんだか魔女だらけみたいですし。杏子さんって、先輩が認める位の腕利きなんですよね。なのにこれは少し異常です」 二人の疑問に、杏子も少し苦い表情を浮かべた。 「さっきの話っぷりからすると、あたしの噂も聞いてるんだろうけど、言っとくけどさすがにあたしだってこんなになるまで手を抜いたりはしないぞ。それどころかとにかく今は見つけ次第狩らないとどうにもならない位なんだよ。 実際つい最近、なんか魔女の気配が多いなと思っていたし、それを当て込んでか魔法少女の流入も多かったんだ。普段なら縄張り荒らすなって文句の一つも言う所だけど、そん時はなんか手が回らなくなりそうだったから黙認したんだ。 けどいつの間にかそいつらの噂を聞かなくなったかと思ったらこの有様だ。一時はちゃんと魔女も減ったから、そいつらが遊んでたとか何かしたとかじゃあないとは思うんだけど……」 「そう言うことなら、私たちも手伝うわ。グリーフシードの分け前も、とりあえず浄化に必要な分を別にしたら細かいことは言わないでいい。というか、下手したら浄化分だけで全部なくなりかねなさそうだし」 ほむらの言葉に、杏子は少しほっとしたようだった。 「悪りぃな。落ち着いた時に余裕有ったら少しそっちに回すわ。でも今は少しでも人手が欲しいんだ。今度ばかりは頼む」 「困った時はお互い様よ」 杏子との同盟は、思わぬ事態からうまくいってしまった。 「とりあえずはさっき逃げてきた魔女をどうにかしたいんだ」 三人が最初に向かったのは、みんなが出会った所だった。 「たいしたことないと思っていたんだけど、どうも妙に強くてな。こっちの攻撃がまるで通らないんだ。幸い逃げられたからよかったけど、あれはヤバかった」 「だとしたらちえみが役に立つわ」 程なく一行は先ほどの魔女の結界を見つけ出す。 全員変身した後、杏子が手にした槍で結界を切り裂く。 そして三人は、魔女の結界に侵入した。 結界の内部は、一言で言うと『牢獄の商店街』だった。 見た目は商店街のように、ずらりと小売店が並んでいる。 だがその店先は、全て鉄格子で区切られているのだ。これでは商品を手に取ることも出来ないし、買い物も鉄格子越しにしかできない。 「どういう世界なのかしら」 「いちいち気にしてたら魔女退治は出来ないぜ」 杏子は流したが、今のほむらは、この結界の風景が、魔女の性質と密接に繋がっていることを、ちえみの分析を通じて知っている。それは魔女の持つ攻撃手段や方向性とも繋がりがあるのだ。 まあ全く無関係の場合もあるので予断は禁物なのだが、大概は不意打ちをさけたりするのに効果があった。 それに、さすがに気がつかれたのか使い魔がわらわらと寄ってきたので、そんなことを考える暇はなくなってしまった。 ほむらはグリーフシードを一つ取り出すと杏子に投げ渡し、同時に言う。 「ちえみは攻撃能力がほぼ無いわ。それあげるからガードお願い!」 そして向かってくる使い魔――妙に警察官っぽい中世の僧侶みたいな人型の使い魔を、銃撃で撃退する。 対して強くはなかったが、その動きを見ている内に少し気になることがあった。 明らかに自分と杏子は狙われているが、ちえみがほとんどターゲットになっていない。 (戦闘力を見極めて対処している? だとしたら想像以上にやっかいかも) だが所詮は使い魔、ほむらや杏子の敵ではなく、程なく結界の最深部にたどり着いた。 入り口の前には、何故か大量のパトランプが灯されている。 ちえみがいつものように、付近に書かれている文字を読んだ。 「えーと、ヘラ、ですね」 「ん、おめぇ、これ、読めるのか?」 「はい。今ではほぼ素で読めるようになりました」 感心する杏子。 「たいしたもんだな」 「ちえみの本領はこの後よ。未知の魔女に対しては特にありがたいわ」 「ん? 弱点見たり、とか」 「その通り」 「げ、マジかよ」 さすがに杏子も驚くと同時に、戦闘力のないちえみのいる理由を悟っていた。 「んじゃたよりにしてるぜ、学者さんよ! おらあっ、再戦に来たぜっ!」 わざと言葉を荒げて士気を向上させる杏子。 そしてほむらとちえみがそこに見たものは、 ギロチン だった。 どう見てもあの有名な、中世フランスの断頭台だ。 そして使い魔達が、自分たちを捉えてあれに掛けようと、わらわらと近寄ってくる。 本体は身動き一つしない。 「あなた、あれに負けたの?」 「負けたって言うか、引き分け? とにかくあいつ頑丈で、いくら攻撃しても効きやしないんだ。使い魔もここじゃとにかく倒しても倒しても切りがねえ」 「そういう事ね。だとするとここはちえみの出番だわ」 こういう力押しの利かない魔女は、倒し方になにがしかの条件を持っている場合が多い。 そしてそういうタイプの場合、はまる相手には強いが、弱点を突かれるとあっさりとやられることが大変多いのだ。そしてちえみは、それを直撃で見抜くことが出来る。 ちえみがいなければ、そういうタイプの魔女は倒すまでに大変な苦労を強いられる事になる。その意味でもちえみの存在は貴重だった。 そして、ちえみの言霊が魔女の正体を見抜く。 「ギロチンの魔女ヘラ、その性質は断罪。罪を憎むこの魔女は、いかなる犯罪者にも屈しない。犯罪、特に窃盗を犯したものでは、決してこの魔女には勝てない……あれ? そんな特殊な弱点じゃないのに」 「逃げるわよ、杏子」 「って、おまえもかよ!」 二人はちえみを抱えると、そのまま全速力で撤退した。その時判ったのだが、この魔女は異様に追跡能力が高かった。侵入者には甘いのに、逃走者は意地でも逃がさないというほどに使い魔の能力が上がる。ほむらですら時間停止まで駆使してやっと逃げ切れたほどだった。 「参ったな、そういう種かよ……」 「私との相性も最悪だわ」 そう言うとほむらは、一瞬銃を取り出し、すぐにしまった。 「あ、そう言うことか」 「あなたは生活物資かしら」 「……まあ、否定はしねえよ」 何とも始末に負えない魔女だった。 と、そんな二人の肩を叩くものがいる。 「ん、どうした」 「ちえみ、どうかしたの?」 不思議そうにする二人の肩を、ちえみは限界まで強化した力で握りしめる。 ちえみの強化能力は大したことはないとはいえ、痛いことは痛い。 「おい、なにすんだよ!」 「ちえみ、ちょっと痛いわよ」 だがちえみの目には、滅多に見えない怒りの炎が灯っていた。 「せ・ん・ぱ・い・が・た、お・は・な・し・を・き・か・せ・て・も・ら・え・ま・せ・ん・か・し・ら」 一言一言、ゆっくりと話すちえみの異常な迫力に、先輩魔法少女達は、己の犯罪歴を告白する羽目になったのだった。