結界の中は、それまでのビルの中とはまるで違う世界になっていた。 厚みのない、書き割りのような景色。 つづら折りになってしまっている道。 広大な空間を飛び回る異形。 そんな世界の中を、五人の乙女達は突き進んでいく。 最初に迫ってきたのは、蝶の羽根を持つ人形のようなものだった。 相対するは、魔法少女、巴 マミ。 彼女は一歩前に出ると、ミニスカートの裾を掴んで、優雅に一礼した。 だが、摘まれたスカートから現れたのは、優雅でありながら優雅とはかけ離れたもの。 それは装飾こそ施されていたものの、その本質は紛れもない凶器――銃であった。 現実にはあまりない、ライフリングされた単発式のマスケット。 マミはそれを手に取ると、狙い撃つと言うより振り回すかのように無造作に撃ち放っていく。一撃すると同時に遠慮無く本体は放り投げ、次の銃を手に取る。 だが適当に見える射撃は、ただの一発も異形――使い魔を外すことなく、一撃必殺で葬り去っていく。 それは一差しの舞のようでもあった。 だが使い魔の数は多く、間断無くこちらに襲いかかってくる。 華麗なマミの舞をくぐり抜ける使い魔も、どうしても出てくる。 だがそれは、もう一人の魔法少女の手によって、ことごとくが殲滅されていた。 そう――殲滅。 黒と紫の魔法少女が手にするのは、金の魔法少女のものと同じ銃。だが、あちらが魔法によって生み出されたあり得ない銃ならば、こちらは魔法とはかけ離れた、あまりにも無骨で現実的すぎる銃。 引き金を引かれるたびに発生する轟音と焦げ臭い匂い。銃口から発する火花の輝き。 それはとことん魔法とは相反するかのような、現実の光であった。 非現実的な魔法少女の手に握られる、現実の極みとも言えるマシンガン。非現実と現実の掛け合わせは、やはり非現実であった。 適宜弾倉を入れ替えつつ放たれる銃弾のバリアを、使い魔達は抜けることが出来ない。 さやかも、まどかも、ちえみも、2種類の異なる銃撃の嵐の中、ただ見とれることしかできなかった。 華麗と無骨、対称的な舞の中を、五人は奥へと進んでいく。 そして長い道のりも、いずれはその終端にたどり着く。 奇怪な文字の刻まれた扉の前。マミとほむらには、この奥に魔女がいることを、的確に感じ取っていた。 「ついたわ。ここが結界の最深部。この奥に、魔女はいるわ」 「この奥に、魔女が……」 さやかは結局ここまで振るう必要の無かったバットを強く握りしめる。 「待って」 ここでほむらがみんなを止めた。 「なにか感じることでも? 暁美さん」 「いえ、ここが最深部なのは間違いないと私も思うわ。でもその前に」 ほむらは扉を指さす。 そこにはなにか、記号のようなものが刻まれていた。 「これがなにか?」 この記号自体はマミにとっても見慣れたものだ。魔女の使う文字ではないかとは言われているが、特にそれを意識したことはない。誰にも読めないものだからだ。 ほむらもそのことは知っている。魔女の結界の意匠の中に、この記号はあちこちに組み込まれているからだ。 彼女もいつもなら無視している。だが、今ほむらは、一つの予想を立てていた。 もし、彼女の持つ『力』が予想通りであるのなら、おそらく…… 「ちえみ」 「は、はい、先輩!」 それまでただ二人の先達についてくるだけだったちえみは、ほむらに呼びかけられて思わずしゃちほこばった。 ほむらは無表情という表情を崩さないまま、平坦な声で告げる。 「あなたの力を教えてあげるわ。あなたが手に持つその本。それはおそらく、『事典』よ。もしくは『図鑑』ね」 「事典、ですか? でもなにも書いてないんですけど……」 ちえみは判っていなさそうだったが、マミがなにかに気がついたかのように、はっと声を上げた。 「白紙の事典……ひょっとしてそれは、『これから書かれる事典』だというの?」 「私はそう踏んでいるわ。ちえみ、あなたの心の赴くまま、これを『読んで』ご覧なさい」 「これを……」 ちえみが扉に書かれた記号を、改めてじっと見た時だった。 抱えていた巨大な本が、わずかだが発光した。 「きゃっ」 思わずちえみは本を手放す。だが本は落下することなく、ちえみの前で独りでにそのページを開いた。 そしてぱらぱらと勝手にめくれ出す。 見えない人物が、素早くページを繰るかのように。 そしてちえみの口から、無意識のように言葉が漏れる。 それまでただの記号でしかなかった扉の印が、突然意味を持つ『文字』として認識できたのだ。 「G……E……R……T……R……U……D……ゲルトルート。ゲルトルート? これ、魔女の、名前……」 そして白紙だった筈の本に、くっきりとその名前が刻印されていた。 「やはりね」 ほむらはちえみの方を見つめて言った。 「あなたの力は、おそらく『知識の獲得』。見て、理解したいと思ったものを、あなたは知って、その『事典』に記録することが出来る。今は扉と記号だけど、多分『魔女』本体にもその力は通用するわ」 「これが、私の、力、なんですね」 ちえみの声は少し震えていた。 「ええ。とても、強い、力。でも使い方には気をつけなさい。その力は、濫用すればあなた自身を苦しめるわ」 「どういうことですか?」 「多分、その力は、たとえば私やマミですら、さやかやまどかあたりなら簡単に、私たちのあらゆることを『知って』しまうことができる。あなたが望むなら、この世から『秘密』という言葉は消えるわ」 「そんな……私別にそういう気は」 「だから、気をつけなさい、といったの。正しく使えば、魔女の弱点なんかを見抜くことも出来るはずだけど、使い方を誤れば、あなたを破滅させる。これはそういう力よ」 ほむらの目は真っ向からちえみを見据えていた。その力強さに、ちえみは唾をゴクリと飲み込む。 と、その力が、ふっと和らいだ。 ちえみもすっと力が抜けた。 「緊張のしすぎは良くないわ。マミ、そろそろ行きましょう」 「そうね。美樹さんと鹿目さんは、ここから奥には踏み込まないでね。さすがに危険だから」 「ちえみは一歩前へ。とりあえず試しに魔女に対して『力』を使ってみなさい。ただ、無理はしないこと。まだよく判っていない力だから、なにがあるか判らないわ。最悪魔女の呪いの意識に、あなたが呑まれるかもしれない」 「や、やってみます」 また少し緊張するちえみ。 「まどかとさやかは、ちえみを励ましてあげて。もし呑まれかけたら、多分呼びかけるだけでも効果はあると思うわ」 「うん」「おうっ」 ほむらに、自分でも出来ることがあると言われたせいか、意気が上がるまどかとさやか。 最後に、さやかのバットを媒介にマミが守りのバリアを張ると、最後の扉を、マミとほむらは押し開いた。 それは奇怪な化け物であった。巨大な寝椅子に座る、薔薇と蝶とナマコの複合体のようなもの。 「グロい……」 さやかの口から、そんなつぶやきが漏れる。 そして多数の使い魔に取り囲まれた化け物……魔女、ゲルトルートは、侵入してきたマミとほむらに、容赦なく襲いかかっていった。 マミは再びマスケットを召喚し、ほむらがまたいつの間にか持っていたマシンガンでその隙を補完する。 まとわりつき、時に蔓のように姿を変える使い魔は、そのことごとくがほむらのマシンガンによって打ち砕かれていく。その間に、マミは的確に魔女の本体へ、次々と銃を召喚しては撃ち込んでいく。 まどか達は思わずその光景に見とれていた。 (きれい……) 二人の戦いは、優雅と無骨の極みであったが、そこに不思議な調和があった。 だがそこでふとまどかは我に返った。気がつくとさやかもちえみも戦いに見とれている。 「あ、ちえみちゃん! なにか試してみるんじゃ」 「あ、いっけないっ」 声を掛けられて正気に返るちえみ。あたふたと本を広げ、先輩達と戦う魔女の方をきっと見つめた。 「どうすればいいのかな……あ、なんか浮かんできた……」 再び本が彼女の目の前に浮かび、開かれる。だが、今度はページはめくれない。 白紙のページが開かれたまま、ちえみの号令をじっと待っているかのようだった。 「あなたを、知りたい……『アレッセ・アナリーゼ』!!」 その瞬間、本のページがまたぱらぱらとめくられていく。同時にモノクルにへ変化していたちえみのソウルジェムが、両目を覆う大きなゴーグルに変形した。 そして放心したようになったちえみの口から、言葉がこぼれるように漏れ出す。 「薔薇園の魔女ゲルトルート……その性質は不信……なによりも薔薇が大事。その力の全ては美しい薔薇のために……結界に迷い込んだ人間の生命力を奪い薔薇に分け与えている……だけど、人間に結界内を踏み荒らされることは大嫌い。踏み込んだ人間は、全ては養分……もし薔薇が枯れれは、もはや存在することも出来ない……」 そしてその言葉は、同時に『本』に記載されていく。 その記述が終わると同時に、ちえみはくたりと倒れ込んだ。 「ちえみちゃん!」 まどかが叫ぶ。助けようにも、こうなるとマミの張った守りが邪魔になる。 だがその叫びはしっかりと先輩達に届いていた。 「っつ、マミ、とどめは任せたわ!」 「了解。ちえみちゃんはそちらが」 少し慌てた様子のほむらを、マミは優雅な笑みで見送る。 「見た目は冷たいのに、内側はかなり情熱的なのね」 そっと小声でつぶやくと、マミはリボンを引き抜いた。 「さて、先輩としては、少しいいところを見せますか」 リボンを使い、宙に舞うマミ。そのままもう片手のリボンで、魔女を拘束していく。 横目でほむらの様子を確認。倒れたちえみを守って使い魔を掃討中――問題無し。 ならばとどめの一撃を撃ち込むのみ。 空中で再びリボンが翻り……マミの前で一つにまとまる。そこから現れるのは、マミの何倍も巨大な銃。 片目をつむり、狙いを合わせる。その様子は、大丈夫、と観客達にウインクをしているかのようだ。 そして解き放たれる、必殺の言霊。 「ティロ・フィナーレ!」 ちえみの安全を確保したほむら達の前で、放たれた巨大な力は、一撃でゲルトルートを粉砕した。 ふわり、と着地するマミ。同時に結界がほどけ、マミの足下にグリーフシードが転がる。 彼女はそれを拾い上げると、倒れているちえみの方に駆け寄っていった。 「大丈夫? ちえみさんは」 「怪我はないけど……」 ほむらの言葉は少し歯切れが悪い。そして指さす先に、ちえみのソウルジェムがあった。 それがずいぶんと濁っている。 「これは……」 ためらうことなく先ほど手に入れたグリーフシードで、ちえみのソウルジェムを浄化する。 その後で自分のソウルジェムを浄化し、そのままほむらに手渡した。 「暁美さんは大丈夫ですか?」 「私は今回たいした力は使っていないから、この残りで充分よ」 ほむらのもソウルジェムを浄化するが、その濁りは明らかに少ない。 「だけど……私もマミもたいして濁っていなかったのに、もうグリーフシードが駄目になるなんて」 ほむらはそのグリーフシードを投げ捨てる。と、いつの間にかそこにいたキュゥべえが、それをさっと回収した。 『これがちえみの力か……でもずいぶん効率が悪そうだね』 キュゥべえは傍らに落ちている、ちえみの本を見ていた。 そこには先ほど倒した魔女、ゲルトルートの詳細が、イラストと共に記載されていた。 「薔薇園の魔女ゲルトルート、ね……魔女にもちゃんと、名前って有ったのね」 マミもそれを見て感想を漏らす。 「みんな、ちえみは大丈夫。ちょっとめまいがしただけみたいだわ」 「ごめんなさい……心配掛けちゃって」 「いいのよ、不慣れなうちは仕方ないわ。ほら、これ見て」 改めて本の記載事項を見る一同。 「うわ―、リアル」 「あの魔女って、こう言うものだったんだ……」 さやかとまどかは、思わず魔女の説明を読みふける。 ほむらは念のため素早く精査したが、元となった魔法少女のことのような情報は記載されていなかったので、とりあえず胸を撫で下ろす。 ここでそのことがバレたらさすがにまずい。 「やっぱり、ちえみの能力は、相手のことを見抜く力だったみたいね」 「よく想像できましたね、先輩。私、自分でも全然想像していなかったのに」 不思議そうにしているちえみに、ほむらは言う。 「白紙の本なら、それになにかを書き込む力だと思っただけよ。思ったより強力だったし。ただ、今の段階だとあまり使えないわね。あなたの消耗が大きすぎるわ」 「はい、なんかこう、読み取ると同時に、黒いものがどっと押し寄せたみたいで……」 それを聞いて眉をひそめるマミ。 「ひょっとしたら、魔女の呪いを同時に取り込んでしまったのかもしれませんね」 「慣れは必要だと思うけど……文字を読んだ時は特に感じなかったのね?」 「はい。別に」 「だとしたら、濫用はせずに、強いと思った魔女に使っていく方がいいかもしれないわね。魔女の中には、力押しでは倒せないタイプもいるのよ。そういう相手に対しては、ちえみの力は絶対的なアドバンテージになるわ」 「考えてみたら、私たちは魔女をただ倒すだけのものとしか見ていなくて、名前があるなんて事すら想像していなかったわ」 そこで立ち上がるマミ。 「さて、今回の魔女退治は、特に被害もなく終わったわ。これからはどうしましょうか」 そういうマミに、まどかが言う。 「あの、私、もう少し見てみたいと思います!」 「私はいいけれど……美樹さんは?」 「あ、まどかが行くなら私も当然」 そしてマミはほむらの方に視線を向ける。 「暁美さんはどうしますか?」 「あと一、二回、いいかしら……ちえみのことを考えると、私と二人の方がいいんだけど、思ったよりちえみの消耗が激しそうなのが問題。ちえみはどう考えても単独で魔女を狩れるとは思えないから、少し交流を広げる必要もある」 「そうね……ちえみさんがもう少し自分の力を使いこなせれば、最高のサポーターになるでしょうけど、今の消耗では、相方の負担が大きすぎるわ」 「へへっ、よろしく、おねがいします」 優しい先輩達の言葉に、ちえみは照れるように笑った。 今回の魔女退治ツアーはここでお開きになり、それぞれが帰りの道行きをとって別れていった。 一人になった帰り道、まどかは今日見たマミとほむらの戦いを思い出していた。 確かに恐かった。だがそれ以上に引きつけられた。 (私もあんな風になれるのかな) そう考えて、家のすぐ手前まで来た時だった。 「まどか」 突然、声が掛けられた。 「え、ほむら、ちゃん?」 そこにいたのは、魔法少女姿のほむらであった。 昼閒ちえみ達に見せていたのとは別人のような冷たい視線で、まどかのことを射貫いている。 まどかは自分の体が恐怖で震えるのを押さえられなかった。 そんなまどかの様子に気がつかないかのように、ほむらは言う。 「今日あなたが見たのは、魔法少女の光でしかないわ」 「ひか、り……?」 「そう。あなたはまだ魔法少女の闇を見ていない。それを見るまでは、絶対に契約をしようなんて思わない事ね」 次の瞬間、ほむらの姿は消えていた。去ったのではない。消えた。 まどかは、そんなほむらの影を思いつつ、誰と無くつぶやいていた。 「ほむらちゃん……私がマミさんやほむらちゃんを手伝いたいって思うのは、いけないことなのかな……」 その後まどかは、少しして帰ってきた母に見つかるまで、そのまま呆然と立ち竦んでいた。 心配され、質問されたことにもうまく答えられず。 申し訳なくも入った寝床の中で、まどかは思う。 (ほむらちゃん、私も、あなたを知りたいよ……)