*ついカッとなって書いた。多分続かない続きました。 それは終焉の時。法則の変わった世界で、唯一『彼女』の記憶を持つ少女は、いつものように愛弓を片手に、魔獣と戦っていた。 決して強い相手ではなかった。その原因を語るならば『不運』。 意図したものでないでたらめな敵の攻撃が、偶然ある場所に当たっただけ。 そしてそこが、彼女のソウルジェムだっただけ。 不意の衝撃と共に、自分の『魂』が砕け散る様を認識した彼女の心は、意外にも恐ろしいまでに平静であった。 (ああ……遂にこの時が、来てしまったのね) それはいつか来る定めの終わり。魂の石を砕かれた魔法少女は無に帰る。 が。 その瞬間左手首に現れる、歯車と砂時計を内包した盾。巨大化した腕時計。 それは彼女が失ったはずの力。 (なぜ! しかもっ) 彼女の意図に反し、落ちきった砂が、目の前で逆流を始める。 まるで時を遡るかのように。 いや、彼女は時を遡っているのだ。ソウルジェムも魔力も無しに……いや、違う。 彼女の手首にはソウルジェムが復活していた。だがほむらには判る。 このソウルジェムは、かつての自分のものだと。 魔獣の世界に適応したものではない、ループしていた時に自分が身につけていたソウルジェムなのだ、これは。でも、なぜ。 (どうして? もう法則は書き換わったはず。あれは全て終わったはず。なのに、何故?) 本当に珍しいことに、彼女は激しく動揺していた。彼女がすり切れる前、鹿目まどかに命を救われた、あの頃のように。 そうするうちに、出口が迫ってくる。あそこを過ぎれば、彼女はまたあの時に帰る。 何度も繰り返した、初めの時に。 だがそこに、さらなる異変が生じた。 鍛え抜かれた彼女の経験と感覚は、あり得ないものを感知する。 (魔女の結界! なんでこんな場所に!……いえ、まさか……時の流れの中に潜む魔女がいたとでも言うの! それよりなんでまどかの手を魔女が逃れられるの?) その考察が実を結ぶ魔もなく、彼女……暁美ほむらは、魔女の結界に取り込まれた。 そこは巨大な図書館だった。天を貫かんばかりにそびえ立つ、巨大にして無数の本棚。合わせ鏡のように、永遠に続く本棚。無限の蔵書の間を、手足の生えた本がどこからともなく現れ、さまよい歩き、そして本棚の中に収まっていく。 こちらには一切攻撃してこない。恐ろしいまでの無関心さであった。 (本体は、どこ……?) 用心しつつ、彼女は周辺を伺う。戦おうにも、左手の盾の復活と入れ替わるように、弓が消えていた。かつて収納していた銃器も、ワルプルギスの夜に全て放出してしまい、全くなにも残っていない。 今の彼女には、せいぜい使い魔を一体撲殺する程度の力しかない。 それだけに、全く動こうとしない魔女のことが不気味でしょうがなかった。 そしてほむらは気づく。本型の使い魔がさまよう中、本を閲覧しているシルエットの少女に。 本を読む影の少女は、こちらが気がついた瞬間、本を読む手を止めた。影であるため、表情も全く見えないのに、何故かほむらにはその顔が、口を三日月状に歪めて嗤ったことを察知していた。 『ようこそ、暁美ほむら』 そこに聞こえる『声』。魔女の口からはなんの音も発しない。うかつにも気づかなかったが、思わず悲鳴を上げていたのに、その声は全く響かない。 ここは図書館。絶対静寂の空間だった。 『あなたは……だれ。初めて会ったわ。会話できる知性を持った魔女なんて』 『そうね。普通はあり得ないでしょうね。これはわたしにとっても、ある意味喜ばしいイレギュラーであり、ただ一度出来る会話だから』 その、頭に響く声は、あの不快な相棒を思い出す。感情を理解しない、使命の権化。 あれと同じ、声なき会話。 『会話……会話、なのね。それはつまり、あなたはわたしを認識し、そしてこちらの問いに答えることも出来る、そういう事なのね』 『そう。さすがね。わたしは明確な自意識の元、あなたの質問に答えることの出来る存在よ。他の魔女のように、ただ自分の意志を押しつける存在ではないわ……今だけは』 『今だけは?』 つまり今のこれは、この魔女にとっても、特別な瞬間だと言うことであろうか。 『ええ。今この瞬間、それはわたしの存在意義、わたしのあり方上、『あなたと会話し、情報を与えること』が、わたしにとっての必然だから』 『それはつまり、あなたにとってわたしとの会話が、あなたの願望、届かない理想を満たすための必然である、と言う事ね』 『ええ、この会話は、あなたがかつての世界で阻止していた魔女の誘惑と同じ事。魔女の口づけや、使い魔の襲撃の代わりに、言葉を使うだけのこと』 魔女と化した魔法少女は、最初に掛けた望みを歪めたような存在になることが多い。希望が絶望に反転するという、その性質が魔女のあり方を規定するからだ。 だとすると、この図書館で本を読み続ける魔女のあり方は。 そうほむらが考えたのを読み取ったかのように、魔女は語る。 『あなたの考えた通りよ。わたしは知識を、あらゆる知識を望んだ魔法少女。戦闘力は低かったけど、目の前に現れた魔女を一目見るだけで、その特徴から弱点まで見抜くことが出来た。私と組んだ魔法少女に、敗北の二文字はなかったわ』 『……それでも、あなたは魔女になったのね。希望を見失って』 『そう。私は全てを知ることが出来た。それによって人の心の汚さなんかも色々見たけど、その程度じゃ私はすり切れなかった。あなたを悲しませるインキュベーターの正体も、契約直後に知ったし。当然よね』 強い、とほむらは思った。あるいは外れているのか。マミやさやかを絶望に追い込んだ真実に平然と耐えられるとは。 『でもね、誤算だったのはね。私はあまりにも知りすぎて……遂に全知に至ってしまったの。そう。私は世界の全てを知ってしまった。全てを知ってしまい、もう知ることが無くなった。その瞬間よ、私が魔女になったのは』 そういった瞬間、またシルエットの彼女が嗤ったのを感じる。だが、その瞬間ほむらが感じた嗤いは、非常に複雑なもののような気がした。自嘲のようであり、歓喜のようであった。 その二つが、完璧に入り交じっていたのだ。 『魔女としての私は、ただ知識のみを抱え込んだ存在。知識を渇望しながら、得られる知識は何も無い。私が人を襲わないのはそのせいよ。私の中には既に全てがある。そのことを自覚しているから、私はこうして引きこもっている。もしこれが知識を『求める』事だったら、私は無差別に人の記憶を奪いながら、自分は一切それを覚えられない、そういう存在になったでしょうね』 『で、その引きこもり魔女が、何故私とこうして会話しているの』 判らない。話を聞く限り、彼女は、完成してしまったが故に止まってしまった存在だ。彫像のように、静止した存在。それゆえに、人に仇なす事もなかった、究極にして無の絶望にとらわれた存在だ。 そしてその答えは、意外であると同時に納得のいくものだった。 『あなたが存在するからよ、暁美ほむら。気がついている? あなたは歴史を書き換える者。確定したはずの事実を別のものにしてしまう者。そう。あなたが過去に戻り、歴史を書き換えようとするたびに、“全知にして完全な知識”は破綻し、私の目の前に『未知』が現れる』 『!!』 私は理解した。私という存在そのものが、彼女の存在を覆す存在……但し、プラスの方向に……だったのだ。 『私は全知の存在だから、あなたというイレギュラーな『未知』が現れても、それはすぐに『既知』に書き換わってしまう。全体としてはなにも変わらないわ。私は魔女だから。 別にあなたをどうこうする必然性も、本来はないの。ただ一瞬……今この時を除いてね』 『どういうこと?』 彼女の言葉には、奇妙な重みがあった。 『今の私には、かりそめのものとはいえ、『自意識』がある。なぜだか判る?』 『未知が存在するからね』 『正解よ』 私の答えに、彼女は肯定の意を返す。 『本来の私は、閉ざされた時の中、ひたすらに自分の知る知識を反芻するだけの存在。それが私のあり方。だけど『全知』という私の存在規定が『あり得ない未知』によって乱される時、その未知を既知に変える間だけ、私は元々の人格、全ての知識を求めた魔法少女のあり方を取り戻せる。今この瞬間のようにね』 『私というイレギュラーがそれを可能にした……なら何故今私に接触したの? それとも実は私は毎回あなたに接触していて、それを忘れているだけ?』 『違うわ。普段なら私は、いわばテレビドラマを見るように、あなたの行動を逐一『知る』だけ。あなたは私に『見られている』事を一切意識できない。あり方そのものが違うんですもの。二次元の存在が高さを認識できないのと同じ事よ』 『だとすると、原因はむしろ、私の方にある?』 その問いに、彼女は頷いた。 『ええ。ちょっとややこしいけど、今だからこそあなたに『話せる』事を話しておくわ。 ……わたしはたとえこうして自意識があっても、『魔女』なの。そして魔女のあたしは、『既知』である知識を語ることは出来ない。それは私の性質に反する行為だから。 私に語れることは原則、確定しないこと、正しくないこと、あり得ないことだけ。 だけど同時に私は『嘘』をつけない。全知である私は、間違いを肯定できないから。 だからあなたに、たとえば他の魔女の弱点とかを教えることは出来ないわ』 『それは要らない。ほとんど知っているから』 それより重要なのは、不確かであっても、彼女の言葉に『虚偽』は存在しないということだ。つまり、この先彼女の語る言葉は、全て確認の余地無く正しい。 『私の『既知』において、今この瞬間にあなたを見逃した場合、あなたは魔女化する筈だった』 私は衝撃を覚えると同時に、彼女の介入の理由を悟った。 今こうして介入しない場合、私という『未知を生むもの』は消滅する。 それは彼女のあり方に、ある問題を生じさせる。 彼女は、私という『未知を生むもの』の存在を認識している。そのため、私が存在する限り、彼女は自分を否定する存在である、新たな『未知』を得ることになる。 そういう意味に於いては、私は彼女にとって、自分の存在を脅かす病原菌である。 だが同時に彼女は私を否定することが出来ない。それは、『私』が最終的に完全に消滅することが証明できない限り、彼女は自分を『全知』と規定できないからだ。 私という存在を無視したり否定する方向に改変したりすることは、彼女の存在意義そのものを否定することになる。 結果として彼女は、私の存在を可能な限り引き延ばさないとならないのだ。 『理解したわね。そう。私は私であるために、最低にして矛盾しない知識と助言をあなたに与えなければならない。あなたという特異点を完全に既知にするために』 『解ったわ』 ほむらは今こそ頷く。これはおそらく好機。本来アクセスを許されない絶対的なデータバンクが、バグを起こしてほんの少し開いているのだ。 『で、その知識はどうやって与えられるの?』 『あなたの質問に、回答可能なことだけを答えることになるわ。時間制限はないけど、あなたに問われなければ私はなにも答えられない。私は本来性質的に、あなたに情報を与えられない存在だから。あなたがここで私から充分な知識を引き出せずに魔女化したのなら、それが答えとなるだけ』 図書の魔女グリムマギー。その性質は記録。あらゆる知識を求めた者が、全てを知り尽くした果ての姿。彼女は全てを知るが、それを語ることはない。人にとって、彼女は存在することすら知られない存在である。 『なら問うわ』 とにかく判らないことを聞くしかない。答えられないことに彼女は答えないだろう。だが、答えられないということが、また情報になる。 『何故私は時間を遡ったの? あの戦いと、まどかの願いによって、魔女を生み出す仕組みは消滅したはずだった』 『その問いには答えられるわ。その答えは今あなたがここにいることによって、存在しない知識に変わったから』 『どういうこと?』 ほむらは疑問に思う。因果が逆のような気がする。 『理由は簡単。あなたの願いは果たされていない。だからあなたは、あの世界、『まどかの世界』でその存在が消えると同時に、本来の自分へと回帰した』 『ちょっと待って!』 それはどういうことだ。その言い方だと、まるであの世界は、私がいなければ『存在しないもの』であるみたいじゃないの。 ほむらは動揺する頭でそう思う。 そんなほむらに、彼女は冷徹に告げる。 『その通り。あなたが魔獣と戦っていた世界、それは『鹿目まどかの願いによって誕生した世界』に過ぎない。あなたが時を遡って生み出す『未知』よりも弱い、『個人の夢によって生まれた箱庭』に過ぎないのよ。それがどんなに巨大であっても、その存在階位はあなたが時を巻き戻し、『未知』を発生させている世界よりも下になる。両者を繋ぐ『鹿目まどかの記憶を持つあなた』があの世界から消えた時点で、私の存在する『既知領域』から見れば、あの世界は『鹿目まどかの夢』と同レベルの存在でしかなくなる。夢は個人の妄想であり、確定した知識ではないから、私はこうしてその存在を語ることが出来る』 『……うそ、嘘よ! まどかの願いは、そんな薄っぺらいものじゃない! 真摯な、心からの願いであったはずよ!』 音なき静寂の空間で、ほむらは絶叫する。だが魔女は。 『あなたのいう通りよ。その願いは純粋にして強大。でもその本質は個人による世界の構築。あまりにも巨大な個人に内包された、ただの夢に過ぎない』 魔女には語れなかったが、それは魔女化したまどか、クリームヒルトと何ら変わりはない。 クリームヒルトがあまたの命を取り込み、その内側に構築した『天国』が、あの世界と同じものである可能性は非常に高い。なぜならそれはまどかの理想そのものなのだから。 そして魔女はさらなる追い打ちを掛ける。 『確かに鹿目まどかは救われたかもしれない。だがあの世界に鹿目まどかは存在していない。円環の理という概念に昇華した彼女は、あなたの記憶にしか存在していない。気配のような残り香の記憶として彼女の存在を感知する者はいたが、確定した『知識』として彼女を認識していたのは、暁美ほむら、あなただけよ。 それゆえ、暁美ほむらという存在があの世界から消滅すると同時に、この世界とあの世界は切り離され、この世界から見たあの世界は、夢として私が語れる存在に堕する。 安心して。それは別にあの世界の消滅は意味していないわ。私からの見方が変わるだけの話。それに、ね。実のところあなたは鹿目まどかを『救えていない』わ。彼女の心は自分を救われたと認識し、あなたもそれに同意したかも知れないが、客観的に見た時、彼女を救われたと定義できるかははなはだ疑わしいの。 現にあなたは揺れていた。概念に昇華した彼女を本当に『守れたのか』と。その揺らぎこそが、私がこれを語れる理由であり、まどかの世界との繋がりが切れたと同時に、あなたが願いによって手に入れた力が復活した理由でもあるわ』 『なら、どうすれば彼女を本当に救えるの! あれでもまだ救えていないなんて』 無音の慟哭は続く。だが魔女は、あのインキュベーター以上に感情を揺らがせることはなかった。 『答えは簡単よ』 そしてあまりにも簡潔な答え。 『全ての鍵は『ワルプルギスの夜』、そこに帰着するわ。あの魔女を『真』に倒すことが出来れば、おそらくは次のステージに進めるはず。今回の帰還で、あなたはいわば『後半戦』に突入する。これから帰り着く世界は、おそらくその様相を大きく変える。いや、変えなければならないの。私の介入も今現在の一度だけ。介入したという事実が、あなたがここを去った瞬間に、私の内部で『既知』に変わるから。後はどうなろうともあなたが力尽きて魔女と化すまで、わたしはただ見るだけの存在に戻るわ』 『真に、倒す? どういうこと?』 『これ以上は語れない。当然私はワルプルギスの夜の全てを知っている。だがそれは既知の知識だ。おまえが『真』にあれを倒せばそこから先に進めるというのは、高度な推論であって事実ではないから語れるが、それがなにを意味するのかについては語れない』 『そう……自分で知れ、ということなのね』 きっと魔女を見据えるほむらに、然りと魔女は頷く。 『一度では無理でしょうね。おそらく数度は鹿目まどかを贄とし、世界を滅ぼしてでもそれを知ることに持ち時間を使うことになるかもしれないわ。あなたの持ち時間は、無限だが有限だから。そしてあなたはその絶望に耐え、今以上の修羅と化しつつも、心を失うことは許されない。今回のことであなたは悟ったはずよ。心を凍らせれば、決して鹿目まどかは救えないと。あなたの心を溶かすために、彼女はまた『世界』を作ってしまう。これは高確率に実現する予測。あなたはこの高確率に実現する未来を覆さねばならない。それこそがあなたの求めたものではなかったの?』 ほむらは唇をかみしめる。 『やって、やるわ……絶対、私は諦めない。絶対、たどり着いてみせる』 『それでいいの。まだ質問はあるかしら?』 『特にはないわ。質問しようにも聞きたいことはほとんどあなたにとっては『既知』……つまり話せないことに入るのでしょう?』 『ええ』 『ならば特に聞くことは』 そう思ったほむらは、その時ふとある質問を思いついた。彼女はどんな質問にも答えてくれる。なら、こんな質問には? 『いいえ、もう一つ聞きたいことがあったわ。私が彼女を『真』に倒すのに、なにをすればいいの?』 それはある意味カンニングのような言葉。だが意外な事に、この問いは彼女の否定する『既知』には属していない。 それは未来のことであり、確定した結末ではないのだから。 そして彼女も、見えない顔で、明らかに笑った。嗤うのではなく。 『よくその質問に気がついたわね。具体的なことは既知に当たるから言えないけど、そう問われれば答えられることはあるわ。 まず、敵を知りなさい。 さらに、自分を知りなさい。 そして、仲間を知りなさい。 あなたは知らなければならない。私ほどではなくても、より深いことを知らなければならないわ。 今までのあなたでは、戦い方では、仲間では、今までの繰り返しにしかならない。 なにを犠牲にしても、何度繰り返しても、知らないことは出来ない。不可能を可能にするのは、常に未知を既知に変える事よ』 それは知る者だからこそ送れる、真理にして未知。 ほむらは、繰り返されるのではない、新たなる未知の世界へと向けて、その一歩を踏み出した。 ほむらが立ち去った図書館の中で、魔女は再び本を読み続ける。 今彼女が開いている本には、ほむらの宿敵が描かれていた。 舞台装置の魔女 フェウラ・アインナル その性質は無力。同じ道を回り続ける愚者の象徴。 切り捨てられた未来は積もり重なって舞台を築き、道化達はその上で、失敗した戯曲を愚直なまでに繰り返し演じ続ける。 かの魔女を倒すためには、己が切り捨てた未来を肯定せねばならない。