「そういえば、ロアってそんな顔をしていたのね。」
放浪バスの中で、不意にユリアが言った。
「ん?ああ、そうだね。僕はずっとヘルメットをかぶってたからね。ユリアにちゃんと顔を見せたのは、さっきが初めてか。」
黒い髪に青い瞳。その髪は長いわけでもなく短いわけでもない、といった程度の長さであり、その瞳にはまだあどけなさが残っている。
全体として愛嬌のある顔をしているが、なかなかにイイ男である。
ところで、この放浪バスは現在、すべての放浪バスの中心点である、交通都市ヨルテムへと向かっているらしい。
はっきりとした目的地があるわけではないガルロアとユリアだが、彼らの乗った放浪バスがヨルテムへと向かっているのは、彼らにとって良いことなのか悪いことなのか。
メリットはある。
ヨルテムはこの世界の全ての放浪バスの出発点であり、そのため、ヨルテムに行ければ、目的地が決まったときに、迅速にその場所へと行くことができる。
だがヨルテムは、全ての放浪バスの到着点でもある。そのため、様々な都市からの人間が集まってきて、それゆえに、都市に入るための審査が他より厳しいのだ。
幸い市長が、都市入出用の書類を用意してくれていて、その書類は、後は名前を書けば良いだけの状態になっているのだが、ユリアのほうの書類は、なんとも空白が目立つ。
それにしても、よくあの堅物の市長がこんなズルをしてまで書類を用意してくれたものだとガルロアは思っていた。
本来書類とは、本人が必要事項を記入してから、都市が認可のサインをするものだ。
認可のサインがすでに押されている書類に、後々必要事項を記入するのは、普通に考えて違法である。
だが、それでもやはりありがたい。
実は書類がなくとも都市への出入都市はできるのだが、あった場合と比べると、その入都市審査の厳しさは天と地ほどの違いがある。それがたとえ、空白だらけの書類だったとしてもだ。
とそこまで考えて、ガルロアは思い出した。
「そういえば、ユリアの名前どうしよっか?」
「名前って?」
「うん。書類に書かなくちゃいけないんだよ。名前は『ユリア』でも『ヴァルキュリア』でもいいんだけど、ファミリーネームの方を考えなくちゃ。」
「ファミリーネーム?」
「ん?ほら、僕の場合は、『ガルロア』が名前で、『エインセル』がファミリーネームだ。ファミリーネームってのは・・・・・、」
と、そのままファミリーネームについての説明を続けていく。
ユリアは戦闘の中で言葉を覚えたといっていた。
だから、基本的な文法や、形容詞、副詞、助詞などは大体分かっても、戦闘中に使われることのないような名詞は分からないのだろう。
そして、ガルロアがファミリーネームというものの説明をし終わると、
「へー。同じ個体に複数の名称があると思ったら、そういうことだったのね。」
とひとしきり納得した後、
「名前は『ユリア』でいいわ。ファミリーネームの方は、ロアが考えてくれない?」
といった。
「う~ん。そうだね・・・・・。そんじゃこの際単純に、『ヴァルキ』とか『キルヴァ』とか『ヴルキア』とかでいいんじゃないかな?うーん。どれにしよう?」
(・・・・・いっそ、エインセルにしちゃうとか・・・・・。ユリア・エインセル。・・・・・・イヤ、駄目だ駄目だ。まだそんなアレじゃないから駄目だ。っていうか、まだ知り合ったばっかりなんだから。・・・・・いや、でも将来的には・・・・・。いや。落ち着け。落ち着け僕。今はそんなことを考えてる時じゃない。うん、よし、落ち着こう。)
ふと頭に浮かんできた邪念をガルロアは必死で振り払う。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないっ。・・・・・うん、じゃあ『ヴルキア』にしよっか。なんとなくだけど、名前とファミリーネームは、発音数が違ってる方がいい気がする。」
「そう。それでいいわ。ありがとう。」
どことなく嬉しそうにそういったユリアに、ガルロアが、
「そう、よかった。んで、書類を書かなきゃいけないわけなんだけど、・・・・・ユリアって文字書ける?」
と問うと、ユリアは
「文字?」
と返してきた。
どうやら書けないようだ。
ヨルテムに到着するまでに、どれぐらい覚えてくれるだろう?などと思いながら、ガルロアはユリアに文字を教えることにした。
†††
「前方に都市が見えるわ。」
「・・・・・僕には見えないけど・・・・・」
放浪バスで出発してから十数日経過した。
その間にガルロアはユリアのスペックの高さをこれでもかというほどに思い知らされた。
身体能力は言わずもがな。
視力、聴覚、その他もろもろも、ガルロアが剄を使って身体能力を底上げする技術、内力系活剄を使っても、ユリアには遠く及ばない。
1週間ほど前にユリアが『汚染獣の咆哮が聞こえたわ』といいだし、それからしばらくして、『向こうに汚染獣が見えるわ』とバスの進路のやや右側を指差し、その数時間後に、ようやくガルロアにも汚染獣を視認することができ、そのときになって放浪バスは、進路を大きく左にずらした。
幸い、そのときに汚染獣に気づかれることはなかったが、次にユリアが同様のことを言い出したら、すぐに車掌に知らせに行こうとガルロアは決意した。
そして、ユリアの学習能力の高さもまた凄まじいものだった。
教えたことは即座に覚えてしまう。
読み書きも簡単に覚えてしまったので、ユリアが知っていそうにない名詞を教えると、これもまた次々と覚えていく。
実際に実物を見せて教えることはできなかったので、彼女は『りんごとは、赤くて丸くて甘いものである』という風な認識しかできていないだろうが、今ガルロアが、ユリアに『しりとり』の勝負を挑んだら、勝てるかどうか、怪しいところである。
そんな現実に納得しきれないガルロアは必死になって活剄を使って視力を強化するが、果たして彼がその都市を視認できたのは、ユリアが都市が見えたと言った、やはり数時間後のことだった。
†††
都市に入るための審査は、2つほど問題があったが、割とすんなり終えることができた。
二人連れということで、二人一緒に審査を受けたのだが、
問題の一つは、やはりユリアの書類に空白が目立つことだった。
出身地やら、生年月日やらの記入が抜けているため、審査員にそこを問われたのだ。
それに対して、ガルロアは「ユリアは孤児だったんです」と嘘をついてごまかした。
この世界に孤児は良く出るものなので、審査員は納得してくれた。
そして、二つ目の問題は、ガルロアとユリアの筆跡が全く同じだったところだった。
これはどちらかが代筆したのか?なぜ文字くらい書けないんだ?と問う審査員に対して、ガルロアは苦笑気味に審査員にとって予想外の返答をした。
「僕達、筆跡が全く同じなんですよ。」
そうなのである。ガルロアがユリアに文字を教えるにあたって、ガルロアは自分で書いた文字をユリアに真似させたのだが、ユリアはまるでコピーしたかのように、ガルロアの書いたそれと全く同じ筆跡でその文字を書いたのである。
もともとは相当に巨大であったはずの彼女がどうしてこれほど器用なのかと不思議に思ってしまう。
そんなことあるわけないだろという風に二人を胡乱げにみていた審査員が、
「じゃあ、それぞれ、これに自分の名前を書いてみなさい。」
と白紙を二枚渡してきた。
ガルロアとユリアがそれぞれ名前を書いたその紙を審査員に返すと、審査員は驚いたように二人の書いた文字を凝視し、
「悪かった。通っていいぞ。」
と言った。
「ふう。書類があってよかったね。だいぶ甘い審査で入れてもらえたよ。それにしても、ここがヨルテムか。どう思う?」
ガルロアが少し興奮したような声でユリアに話しかけた。
「・・・にぎやかな所ね。人がたくさん・・・・・とても楽しそうにしてる。」
「ユリアはどう思ってる?楽しい?」
ガルロアがそう聞くと、ユリアは少し微笑んで
「ええ。多分、私はそう思ってるわ」
と答えた。
日を経るごとに、ユリアには人間らしさとでも言うべきものが身についていっている気がする。
そのことを嬉しく思いつつ、ガルロアはひとまずユリアと一緒に宿舎へと向かうことにした。