ガルロア・エインセルとユリア・ヴルキア。この二人が、自分にとってどういった存在だったのか、カリアンは思考する。
ガルロアはレイフォン同様に汚染獣に対抗し得る存在であり、ユリアはそんなガルロアにくっ付いてきた不審な少女。
こういう言い方は彼らを怒らせてしまうだろうが、つまるところ彼らはカリアンにとっては、貴重な戦力と、それにくっ付いてきた腫れ物だ。
そう。彼らはカリアンにとってはそんな存在だったのだ。……今までは。
事情は既にして変わっている。
貴重な戦力だの、腫れ物だの、そんな悠長なことを言っている場合ではなくなった。
老生体襲来のあの時。老生体が断末魔の絶叫をあげたその直前。
一体、都市の外で何があったのか、カリアンは詳しく知っているわけではない。知っていることと言えば、あの時あの場にはガルロアとユリアがいたはずだという、レイフォンから聞いたその情報だけだ。
というのも、本人の意図してのものではなかっただろうが、ガルロアが老生体との戦闘にあたって巻き上げた砂塵は、ツェルニ側からの状況の把握を大きく妨害していたのだ。
老生体の巨体をすっぽりと覆い隠すだけでは留まらず、ツェルニ側からの視界を一時的に赤茶一色に染め上げたまでの、濃く広くそして深かったその砂塵。
そのせいで視認はもちろんのことだが、念威による走査も、念威の透過率の悪い土くれが激しく舞い飛ぶ中では難航した。その結果、慣れない戦闘やいきなり巻き上がった砂塵に対する現場の混乱も相まって、走査はかなり遅れてしまった。
連続する轟音と老生体の絶叫。そして音が止んだ時の異常なまでの静けさに、カリアンは心臓を握りつぶされるかのような圧迫感を感じた。
それでも待つことしかできない数分を過ごし、そしてようやく走査が完了したときには、すでに汚染獣との戦闘は終わっていた。
走査の結果、そこには既にガルロアの姿もユリアの姿もなく、そこにあったのは見るも無残な姿に成り果てた老生体。
正直、ゾッとした。
レイフォンとガルロアが、二人ががりで戦った老生体。
レイフォンとガルロアの強さなどもはや語るまでもなく、そんな彼らが二人がかりで戦って苦戦する老生体の強さはカリアンの想像できる範囲外だ。
その老生体が、いったい何をどうしたらあれほどボロボロになるのだろうか。
レイフォンとガルロアの剣を阻み続けた外殻は破壊しつくされ、それどころか老生体の体の内部も衝撃によって滅茶苦茶だった。
一体、老生体に何があったのか。ツェルニ側からの観測が不可能だったあの十数分に何が起こったのか。
予想はできる。予想というよりは、もはや確信している。
確信できてしまっている。
あの時、都市外にいたのはガルロアとユリアだけだ。
そして、これまでの戦闘から知り得たガルロアの強さから判断すると、ガルロアにあれほどの破壊は不可能。
となれば、残るのは一人しかいない。
都市が逃げるという、不可解な現象を生んだと思われる一人の少女。
だが、事実がカリアンのその確信の通りであるならば……。
「……私はとんでもないものをツェルニに引き入れてしまったらしい」
小さく呟いて、カリアンは頭を押さえる。
今のツェルニの状況は非常に危険な状態だ。
手の打ちようはないに等しく、これまでのことを考えてもカリアンは悪手しか打ってきていない。
脅威を正しく認識できていなかった。レイフォンがいれば大抵の脅威など脅威足りえないと安心していた部分もある。
甘かったと言わざるを得ない。知らなかったで済ませることもできない。
「今のうちにガルロア君に媚を売っておくべきだろうか」
そんなことを考えてみるが、口に出した直後にカリアンは自分の考えを放棄する。
今更そんなことをしても手遅れでしかないし、それに彼はむしろそういった行為を嫌悪するたぐいの人間だろう。
そもそもガルロアは現在、入院中だ。
都市外に出た際に、体内に汚染物質を取り込みすぎたらしい。体に大事はないが、意識がなかなか戻らない。
「……だがまぁ」
軽くため息をついてからカリアンは生徒会室の座りなれた椅子をたつ。
老生体との戦闘からまだ一日と少ししかたっていない。
都市の足が折れたという大問題に関しては、都市の自己修復機能によって回復の目処がたったが、倒壊した建造物への対処など、やるべきことはまだまだ残っている。
「今はガルロア君の目覚めを待つしかない……か」
手の打ちようのない問題にいつまでも思考を傾けられるほど、今のツェルニに余裕はない。
「だが、彼が目を覚ました時が正念場になるのだろうな。ツェルニにとっても……私にとっても……」
生徒会室を出て、カリアンは会議室へと向かう。
その途中、そういえばフェリであればあの時の都市外で起こったことの一部始終を知っているハズだと思い至る。
衝撃的な事の連続で失念してしまっていたが、思えば彼女は最初からガルロアのサポートをしていたのだ。
念威の透過率の悪い砂塵の中を無作為に走査するまでもなく、彼女は戦況を捉えていただろう。
だが、聞く必要もないかとカリアンは思う。いや、むしろ聞きたくない……か。
あの時の詳細を聞いた上で、ガルロアたちの前に立てる自信が、カリアンにはなかった。
為政者の無知は都市の崩壊を招きかねないことではあるが、今回ばかりは聞きたくない。
聞いた先に待っているものなど、きっと絶望でしかないのだから。
†††
――都市外において遮断スーツを必用としないというのは、どういうことなんでしょう?
学校に登校して早々、そんな問いを投げかけられて、レイフォンは返答に窮する。
問いを投げかけてきた相手、フェリの言いたいことが嫌でも分かってしまったからだ。
「ユリアさん……のことですよね……」
レイフォンの言葉にフェリは小さく頷いた。
ユリア・ヴルキア。
彼女は二度、汚染物質の中に素肌を晒した。
追放された後、ツェルニに戻ってくるときに一度。老生体との戦闘の中で都市の外に飛び出したガルロアを追ってもう一度。
時間にして数時間。
常人であれば三十分すらも耐えられないはずであるのに、彼女は数時間も汚染物質の中で素肌を晒し続けたのだ。
それは人間として異常な事である。
本物と偽物。彼女の言ったその言葉がレイフォンの頭をよぎる。
しかし、フェリが本当に聞きたいことはそんなことではないのだろうなとレイフォンは思った。
自分の知らないところで追放されたガルロアとユリア。それに対してレイフォンはカリアンに対して言いたいことがあったのだが、しかし今となってはカリアンのその判断の方が正しかったのではないかという迷いがある。
なにせ彼らは……特に彼女は……。
そんなレイフォンの思考に気づいたのだろう。
フェリが意を決したかのような表情でレイフォンに言った。
「ついてきてください。あなたに見せたいものがあります」
フェリに連れて行かれた先は予想通りだった。映像器のある部屋だ。
フェリは誰もいない部屋を選び、レイフォン部屋に入ると鍵をかけ、そして部屋の外には監視のための念威端子を幾らか散らしていた。
厳重すぎるような気もするが、しかし今しがた見せられた映像を考えれば、その厳重さも致し方ないことであったとレイフォンは思う。
フェリの念威端子が接続された映像器が映し出した映像は、とても普通の人間に見せられたものではない。
フェリが自分に何を見せようとしているのか、それだってレイフォンには予想できていたが、それでもレイフォンはその映像をみて平常心ではいられない。
あまりに凄惨で、圧倒的で、常人が見れば恐慌状態にでも陥りかねない。
老生体が都市外に落とされてから、老生体が最期を迎えるまでの一部始終がそこにあった。
「…………」
正直、レイフォンは言葉が出なかった。
そんなレイフォンにフェリが声をかけてくる。
「どう思いました?」
「どうって……」
どうと問われてもレイフォンには答える言葉がなかった。
もともと自分は頭の回る人間ではないのに、こんなもの何をどう言えば良いのかという話である。
そんなレイフォンを見てフェリが表情をしかめる。
「それでは……」
フェリが少し躊躇う素振りを見せる。
それでもフェリは言葉を止めることはしなかった。
「……あなたは彼女に勝てますか?」
彼女――つまりユリア。身一つで老生一期の汚染獣を破壊しつくした異常な少女。
聞かれたくないことではあった。しかし聞かれてしまったからにはレイフォンは正直に答えるしかない。
良い返事などできなくても……だ。
「正直に言って、勝てないでしょう」
レイフォンの答えに、フェリは特に驚く様子もなく、ただ表情を暗くする。
この答えは、フェリにとっても予想外ではなかったのだろう。
まぁ当然のことなのかもしれない。あんなものに勝てると思う方がどうかしているというのだ。
あるいは天険、もしくは自分の剄力を十分に受け止められる錬金鋼があれば、勝てはしないまでも、負けずにいることはできるかもしれないとレイフォンは思うが、しかしそんなものは負けと同義だろう。
レイフォンがそんなことを考えている中、フェリがポツリと言葉を漏らす。
「……実は私、彼女の手助けをしました」
「……はい?」
いきなりのフェリの告白に、レイフォンは自分でもわかるほどに間抜けな声を出した。
「どういうことですか?」
レイフォンが問い返すと、フェリは少し困った顔をした。
「いえ。都市外でガルロアさんが倒れたのですが、そんな彼を助けようとしていたユリアさんを、私は都市内部まで誘導しました。それも、周囲を走査していた念威操者に見つからないように」
「な、なんでですか?」
「都市内部までの誘導は、ただ単純に私がそうしなければと思ったからですが、ほかの人間に見つからないようにしたのは、彼女が良識のない念威操者に見つかって、彼女の事がツェルニ中の生徒に知れ渡ったら、大きな混乱が起こると思ったからです」
「なるほど……」
納得するレイフォン。同時にフェリの見識の深さに改めて感心する。
「間違ったことをしたとは思っていませんが、しかし……」
そこで言葉を切って、フェリは深く考え込む。
フェリが何を考えているのか、レイフォンには分からない。
だが、頭のいいフェリのことだ。きっと自分の頭では考えもつかないようなことを考えているのだろうなとレイフォンは予測した。
「彼女……、一体何者なんでしょうか」
フェリが再度ポツリと呟く。
それはレイフォンにとっても、知りたいことだ。
彼女と最初に出会った時から感じ続けている違和感が、昨日を境に膨れ上がった気がしていた。
彼女のことを知らないはずなのに、知っている。そんな違和感が大きくなった。
「……そういえば」
「どうかしましたか?」
ふと漏れたレイフォンの声にフェリが反応する。
「あ、いえ。そんなに重大なことではないんですが」
「構いません。なにか気になることでもあったんですか?」
あくまでも聞こうとするフェリの様子に軽く嘆息し、レイフォンはふと思ったことを話すことにした。
こんな話をしても意味ないだろうなぁ、と思いつつ。
「いえ。ユリアさんが生徒会長を襲ったときのこと覚えてますか?」
ガルロアとユリアが追放されて、そして帰ってきた直後のことだ。
あの後、老生体の襲来やら何やらが起こり、一連の事件の中では印象が薄くなってしまったが、考えてみればあそこから事態は混乱に向かっていったように思う。
「ああ。私も念威で見ていました。あの時の兄はいい気味でしたね。レイフォンさんが止めてしまいましたが」
自分の兄の命の危機をそんな風に言うなんて、本当にフェリらしいとレイフォンは思った。
それが、彼女の本心からの言葉なのかどうかはレイフォンには分からないが。
「まぁ、僕が止めたというよりはガルロアが止めてくれた感じですけどね。僕のは単純に彼女と闘ったというべきだと思います」
今にして思えば、あの時ガルロアが止めてくれて本当に良かった。
あのまま闘い続けていたら、自分が今どうなっていたかは分からない。
「それで、その時のことがどうかしたんですか?」
話を促してくるフェリに、レイフォンはもう一度嘆息した。
本当に、話したところでどうしようもないことなのだ。
「いえ。なんかユリアさんと闘ったあの時、強烈な既視感があったんですよ。いや、既視感とは少し違うのかな?なんか前にもユリアさんと闘ったことがあるみたいな……。そんな気がしたんです。そんなことあり得ないんですけどね」
軽い既視感ならレイフォンはユリアと初めて出会った時から感じているのだが、しかしあの時の感じたそれは今までの比ではなかった。
しかし、強烈な既視感こそあれど、実際にユリアと以前に戦った記憶などレイフォンには存在しない。
自分の戦闘に関する頭の回転を信じるならば、レイフォンの感じる既視感は気のせいだと言わざるを得ないのだ。
「はぁ……。既視感……ですか……」
案の定、フェリは呆れた表情を浮かべた。
「だから言ったんですよ。重大な事じゃないって」
言い訳がましく弁明するが、フェリはレイフォンに向ける呆れの表情を崩そうとしなかった。
「重大な事じゃないどころか、本当にどうでも良いことでしかありませんでしたね」
「話せって言ったのはフェリ先輩じゃないですかっ!?」
「確かにその通りですが、私もまさかそんな訳のわからないことを言ってくるとは思わないじゃないですか。一度病院に行くことをお勧めします」
「ひどいっ!」
うなだれるレイフォン。やっぱり話さなければよかったと後悔するが、まさに後悔先に立たずといった状況だ。
そんなレイフォンに、フェリが確かめるように聞いた。
「ところで、本当にあなたは以前にユリアさんと闘ったことはないんですよね?」
その質問にレイフォンは自信を持って答える。
「絶対に無いと思います。もしもあったとしたら、……忘れるわけがない」
「……そうですか」
そうしてしばしフェリは軽くうつむいて考え込むような素振りを見せる。
どうやらレイフォンの言ったことを、少しはちゃんと考えてくれているらしい。
やがてフェリは顔をあげ、レイフォンの顔を見た。
そして真剣な表情と真剣な声色で彼女は言う。
「やはり頭の病院に行くことをお勧めします」
直後――そんなっ!?――と、狭い室内にレイフォンの情けないな叫びが響いた。
†††
目が覚めたとき、不思議な驚きがあった。
自分が病室にいることが分かっっていた。
なぜ病室にいるのかもわかっていた。
そして全てを覚えていた。
老生体と闘ったことも、練った策が失敗し危機に陥ったことも、そんなとき彼女が現れたことも、彼女が闘ったことも、老生体の断末魔も、彼女と交わした短いやり取りも、……そしてその後自分が気を失ったことも。
本当に不思議なほどに頭が覚めていた。驚くほどに頭が冴えていた。
だからこそ……。
だからこそガルロアは今この瞬間の現状に言い知れぬ不安を感じていた。
「……ユリアがいない……」
ガルロアは目を覚ましたその瞬間に飛び起きて彼女の姿を探した。
しかし白く狭いその室内に、きっといると思っていた漆黒の髪を持つその少女はいない。
もしかしたらガルロアが目を覚ましたタイミングが悪かったのかもしれない。
そもそも自分が目を覚ました時に、彼女が傍にいると思うことそれ自体が自惚れなのかもしれない。
しかしそれでも、記憶に残る彼女の最後の姿を思うと、いてもたってもいられなかった。
「……邪魔だ」
しばし逡巡した後、ガルロアは自分の体に張り付いた幾らかのコードやらを無理やり引き剥がす。
それが失敗だった。
コードを引きはがしたその瞬間にガルロアの背後から聞こえてきた警報音にガルロアはビクリと肩を揺らす。
ベッド脇に備え付けられた機械が、けたたましく周囲に異常を知らせていた。
「やば……」
やはり自分の頭は覚めても冴えてもいなかったかもしれない。
そう思いながら、ガルロアは冷や汗を一筋タラリと流す。
「と、とにかくっ」
慌てる心を押さえつけ、とにかく逃げようと立ち上がり、病室のドアへと目を向ける。
その瞬間、病室のドアが勢いよく開かれた。
そこにいたのは焦りの表情を浮かべた医師。
警報が鳴ってからまだ十秒程度しか経っていないというのに、何とも対応が迅速な病院である。
今回ばかりはまるで有難くないが。
「「…………」」
交錯する視線。
無言の中で、医師の瞳には困惑が、ガルロアの瞳には焦燥が映る。
「っ!?」
数瞬の視線の交錯の末、ガルロアは踵を返して窓へと向かう。
「あっ、待てっ」
そんなガルロアを医師が追う。
逃走経路を窓へと変更したガルロアは鍵を開けるのに手間取り、それでもなんとか開錠しようやく窓を開くその段になって――
「確保ぉーーー!!」
医師の腕によってがっちりとホールドされた。
窓に近寄り鍵を開け、そして飛び出そうとするガルロアと、狭い室内をただ数歩詰めればいいだけの医師。どちらが早いかなど、もとより明白な事ではあった。
「まったく、意識が戻って早々にこんなことをしでかすとは、一体どんな神経をしてるんだ」
ベッドに戻ったガルロアを診察しながら医師がため息をつく。
医師と言っても、ここは学園都市。学生のみで運営されるこの都市においては医師もまた学生である。
この人物もまた医療科の上級生なのだろうとガルロアは判断した。
「ふむ。そうだな、大方のコードの類は外してもいいが、こいつだけはまだつけておきなさい」
そう言われて腕に取り付けられたのは一本の管。中を透明な液体が流れている。
「そいつは汚染物質の除去薬だ。お前さんは相当深くまで汚染物質に侵されていたからね。もう大丈夫だとは思うが、念のためもう少し流しておきなさい」
最初、逃亡を図ろうとしたガルロアが、現在おとなしく病室のベッドに戻って管につながれているのにはもちろん訳がある。
いくら医師に捕まったからとはいえ、そこは武芸者と一般人。
無理やり振り切ることもできたのだが、それをしなかったのは窓際で取っ組み合った際に医師がこぼした一言を、耳聡く聞きつけたからだ。
――なんでこんなにタイミング悪くあの嬢ちゃんはいなくなってるんだっ!
医師の腕を振りほどこうとしていたガルロアはその一言でピタリと動きを止めた。
その嬢ちゃんとはユリアのことではなかろうか。そう思ったガルロアがその話を詳しく医師に聞けば、やはりそれはユリアのことで、彼女はガルロアが眠っている一日と少しの間、ずっとガルロアの傍にいたらしい。
それを聞いて少しだけ安心した。そして冷静になった。冷静になった頭でガルロアは考えた。
ガルロアが目を覚ます直前まではいたくせに、ガルロアが目を覚ました時に彼女がいなかったのは、タイミングが悪かったか、彼女が故意に離れたかのどちらかだろう。
前者であれば、適当なタイミングで戻ってきそうなものであるが、一向にユリアが戻ってくる気配もないので、自然と可能性は後者に絞られる。
恐らくユリアは、ガルロアが目を覚ます気配を悟って、病室から離れたのだ。
そして本当にそうであるならば、ガルロアがユリアを探すことに意味はない。
少なくとも、彼女が病室を離れた理由について考えてから探しに出るべきだろう。
「う~ん」
ユリアが自分と顔を合わせようとしない理由は分からないが、その理由が生まれたであろう原因ならば想像がつかなくもない。
『つかなくもない』などと微妙に表現が曖昧なのは、その原因の心当たりが少し多いからだ。
医師の話ではガルロアが眠っていたのは一日と少し。正確には三十四時間だ。
現在の時刻が朝の八時なので、ガルロアが眠り始めた三十四時間前ともなれば既に一昨日ということになる。
その一昨日。一昨日は色々なことがあり過ぎた。
汚染獣を討伐するために都市外に出たところから始まって、追放されて、戻ってきて、討伐しようとしていた汚染獣がツェルニに向かってきていることを知らされて、その汚染獣が老生の一期だということが判明して、ガルロアとレイフォンが闘って、途中ツェルニの武芸者の乱入があったりもして、そして最終的にユリアが老生体を倒した。
本当に色々なことがあった。
その中で彼女がどれだけの傷を負ったのか。
「はぁ~あ……」
「……お前さん、話聞いてるのか?」
大きくため息をついたガルロアに冷たい声がかけられた。
「え?」
気づけば、ガルロアの隣で医師がイラついた表情をしている。
「あ、あのぉ……」
恐る恐る話しかけるガルロアに、冷ややかな視線を向けられる。
「まったく。意識が戻った途端に逃げ出そうとするし、おとなしくなったかと思えば今度はずっと上の空か。まったく、嫌な患者だね」
「す、すみません」
「とりあえずお前さんの体はもう異常なしだ。念のためもう一日だけここにいてもらうが、明日になったらとっとと出ていきなさい」
「はい……」
……微妙に語調が荒い。どうやら怒らせてしまったらしい。
少し申し訳なくも思うが、そんなことを気にしていられる余裕もないのだ。
謝罪した言葉は一応本心からのものだが、反省したかと聞かれればそれは否である。
「ああ、それから――」
だから、ガルロアはこの先の話も聞き流そうと思っていた。
「――もうすぐ生徒会長がここに来る」
そんな言葉を聞くまでは。
「……生徒会長が?」
純粋に驚く。
来ないはずがないことは分かっていた。この状況でカリアンがガルロアとユリアを放置する訳がないのだから。
だが、こんなに早く来るとは思っていなかった。
「ああ。お前さんの目が覚めたらすぐに連絡を入れてくれって、そう生徒会長から頼まれていたんでな。だからさっき連絡したんだが、そしたらすぐ来ると言っていた」
「そうですか……」
軽く眉間に皺を寄せる。
ガルロアの目が覚めてから、まだ十分から二十分程度しか経っていないのに、なんでこんなにいろんな事が起こるのか。
少しはゆっくりさせてほしいと思うのも無理はない。
「ところで」
「はい?」
医師のかけてきた言葉に、ガルロアはとりあえず返事を返す。
しかしその実、思考の大半はこれから迎えるカリアンとの対話に向けられていて、やはり医師の話は聞き流すつもりだったりする。
「お前さんが目を覚ましたら教えてくれって頼まれた時も、さっきお前さんが目を覚ましたって連絡した時も、なんか生徒会長の声が異常に硬かったんだよな」
「はぁ」
適当な空返事。
カリアンに何を聞かれて、自分はどう答えるべきか。ガルロアは既にそれしか考えていない。
「人のプライベートを詮索するもんじゃないってのは分かってるんだが……」
すでに、ユリアの持つ戦闘能力のことはバレてしまっていると考えるのが自然だろう。
そんな中で、カリアンは一体ガルロアから何を聞き出そうとするだろうか。
結果として老生体討伐を果たし、ツェルニを救ったことになるガルロアとユリアではあるが、しかしそこに至るまでの過程がいささか以上に特殊すぎた。
カリアンが結果に誠意を見せるのか、過程に警戒を示すのか、どちらになるのかが重要なポイントだ。
ガルロアとしては、前者であってほしいと――
「……お前さん、いったい何をやらかしたんだ?」
ピタリと。
唐突にガルロアの思考が止まった。
「……何をやらかしたか……ですか」
医師の言葉を受けて、ガルロアはあることに気づいて愕然とする。
自分が何をやらかしたか。自分とユリアは一体何をやらかしたのか。
考えてみれば本当に滑稽な話である。
こんなにもカリアンから警戒され、さらには追放までされて死にかけた。
レイフォンやニーナ、そしてシャーニッドからはまるで危険人物を見るかのような視線を向けられたし、直接顔を合わせたわけではないが、フェリだってきっと同様に思っているだろう。
そんな自分たちは。そこまでされる自分たちは一体ツェルニに何をしたか。
そんなの……。そんなもの……。
「なにも悪いことはしてません」
きっぱりと、迷いなくガルロアは言い切った。
それに答えるようなタイミングで、病室にコンコンとノックの音が鳴った。
扉の向こうの気配が誰のものか分かったガルロアは露骨に顔を顰めた。
「ずいぶんとお早いご到着で」
ガルロアの言葉を受けて、病室の扉が開かれる。
「ここは生徒会棟から近いからね。まぁそれでも君の意識が戻ったと知らせを受けて、なりふり構わずここに飛んできたわけだがね」
入ってきた青年は飄々とそんなことを言ってのけた。
「それにしては髪も服装も乱れてないですね」
「そこは紳士の嗜みというやつだよ。よき紳士であるために私も日々努力しているということさ。ところで見舞いの花を用意してきたのだが、この部屋に花瓶はあるのかな?」
「……本当に余裕そうだな……」
ガルロアは眉を潜めて入ってきた青年、カリアンを睨み付ける。
なにをちゃっかり見舞いの花なんか用意しているのだろうか。
それでよくなりふり構わず飛んできたなどと言えたものである。
そんなことを思ってしまうガルロアを余所に、カリアンは手際よく部屋に備え付けられていた花瓶に花をいけ、そして医師を部屋から追い出した。
「……ユリア君はいないのか」
きょろきょろと狭い室内を見回して、そしてカリアンはあからさまに安堵した表情を浮かべた。
そんな様子にガルロアは、やはりユリアのことは知られてしまっているということを確信する。
常にポーカーフェイスを崩さないカリアンがガルロアに内心を悟られるとはらしくないが、しかしそのカリアンの行動がユリアの内包するものを知ったからこその物であるならば、それは至極妥当なものであるとも言えるのかもしれない。
「……さて、まずは見舞いの文句でも言うべきなのだろうが、私からの見舞いの言葉など他ならぬ君が望まないだろうからね。さっさと本題に入らせてもらおうか。二つだけ君に用があるんだ。聞いてくれるかい?」
「……まぁ確かに会長からの見舞いの言葉なんか、気味が悪いから聞きたくありませんが……。二つ……だけですか?」
「ああ。二つだけだ」
至って真面目な様子のカリアン。
いつもとそう変わらないその態度に、ガルロアは少しばかり面食らう。
あれほどのことがあった後で、それでもこんな態度をとれるカリアンは、やはり政治家として大物なのだろう。
「一つ目の用件は、謝罪と感謝だ。本当に済まなかった。そして本当にありがとう」
そういってカリアンは頭を下げる。
なにに対する謝罪と感謝か、というのは聞くまでもない。
追放に関することへの謝罪と、老生体討伐への感謝だ。
しかし感謝の方はともかくとして、謝罪の方は素直に受け入れるつもりはない。
そこらへんに関して、ガルロアはカリアンに嫌味でも言ってやりたくなったが、とりあえずは自制する。
「それで、二つ目の用件はなんですか?」
感謝にも謝罪にも、どちらにも応えることなく二つ目の用件を促したガルロア。
そんなガルロアの内心を悟ったのだろう。
カリアンはもう一度「本当にすまなかった」と言ってから頭をあげる。
「さて、二つ目の用件だが…………」
どこか話しにくそうな表情をして言葉を止めるカリアン。
カリアンが言いよどむとは珍しいこともあるもんだと思いながら、ガルロアは軽くため息をついた。
「別に何を言っても良いですよ。あなたの立場は理解してますし、僕としても話が進まないのは困ります」
ガルロアの言葉にカリアンは「そうか」と呟いて、そして表情を引き締めた。
「それならば聞かせてもらいたいことがある。君とユリア君はこれからどうするつもりなのかな?」
「っ!?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
どんな風な意味合いにもとれるその質問の意図は、しかし言いよどんだカリアンの態度や今現在のカリアンの表情によって、おのずと一つに限定される。
そしてそれは、ガルロアにとってみれば絶句したくなるような内容だ。
「……どうする……とは?」
質問の意図は理解できているが、それでもガルロアは聞き返す。
曖昧にぼかさないで、きちんとカリアンの口から明確に言わせたかった。
それがガルロアの意思を聞くための『質問』ではなく、カリアンの極めて自分勝手な都合による『確認』であることを、カリアンの良心に教えてやりたかった。
案の定、カリアンは少し表情を曇らせ黙り込む。
そして十秒ほどの沈黙の後、カリアンは言う。
「……有体に言って、君たちがこの都市を出ていくのかどうか……という意味だ」
「……そうですか」
言わせたかったことを実際に聞いてみて、ガルロアはなんだか心が冷めていくのを感じた。
出ていくかどうかと問われたその二択の質問は、しかし実際には出て行ってくれないかと頼まれているに等しい。
カリアンの表情や態度が、全てを物語っている。
本当に……なんで自分たちは……と、そう思わずにはいられなかった。
「……たぶん……出ていきませんよ」
無感動に。ガルロアはカリアンの望まぬ答えを返す。
もうすでに、この都市を離れる理由はなくなっている。
ユリアに関して、隠したかったことの大部分を知られてしまった今、離れるよりも留まる方が利益がある。
皮肉なことに、ガルロアが隠そうとしたユリアの秘密を知ったカリアンは、逆にガルロアとユリアに対して手出しができなくなった。
だからガルロアは、このままツェルニに居座る選択をする。
他都市でも同じことを繰り返す可能性があるならば、いっそのことツェルニに居座った方が合理的なのだ。
問題があるとすれば、どれだけの人間にユリアのことを知られてしまったかだ。
あまりに多いようであれば、やはり都市外に出ることを考えなくてはならないが、しかしカリアンがそこらへんに関して何も言わないところを見ると、幸いなことにそこまで多くの人間に知られてしまったわけではないのだろうと思われる。
そんなガルロアの考えを肯定するように、カリアンの表情は曇るばかりだった。
「…………」
険しい顔をして黙り込むカリアン。
そんな彼に、ガルロアは精一杯の皮肉を込めて言う。
「最初に言ったはずですけどね。追放であれば抵抗するけど、ただ出て行けと言われたなら素直に従うと。今更そんな顔をするのなら、最初から普通に出て行けと言ってくれればよかったんですよ」
そうすれば傷つかずに済んだ。お互いに。
「そうだね。今となっては悔やむばかりだよ」
そう言って自嘲気味に言うカリアンに、ガルロアはふと聞いてみたくなったことを口にする。
「なんでそうしなかったんですか?」
「え?」
突然の質問にカリアンは少し目を瞠って、そして少し躊躇った後に話し出した。
「君たちが初めてツェルニを訪れた時に、ツェルニは君たちの乗った放浪バスから逃げようとするかのような行動を見せたのは知っているね。あれが偶然だったのか、そうでなかったのか、あの時の私には分からなかった。
その後、幼生体の群れと雄性体三体の襲撃の時に、私はガルロア君の凄まじい実力を知り、そしてその後の君との会話で、私はあの時のツェルニの逃走はやはり偶然ではなかったのではないだろうかと思うようになった。
本来ならば、その時点で君たちに都市外退去を命じるべきだったのだが、しかしツェルニの逃走が偶然ではなかったと“確信”できない限りにおいて、ガルロア君という戦力は失うには余りに魅力的だった」
と、そこまで聞いて、ガルロアにはその先が予想できてしまった。
その予想の内容に嫌悪感を抱きながら、ガルロアはカリアンの言葉を遮って口を開く。
「……だから、僕とユリアを対汚染獣のためと言って都市外に出して実験した。……もしもツェルニが逃げなければ体よく引き入れようと思っていたが、ツェルニが逃げてしまったのでそのまま追放した……という訳ですか……」
ガルロアは自分で言ったその内容に吐き気を感じる。
カリアンにばかり都合のいい、ガルロアとユリアのことなど何一つとして考えていないその計画。
怒りよりも先に気持ち悪さを覚える。
「それで会長にとって唯一の誤算がユリアだったという訳ですか」
呟くように言ったガルロアのその言葉に、カリアンは諦念の笑みを浮かべた。
「……あんなもの、誤算などとは程遠い。なにせ私の計画に、間違いと呼べる決定的なミスなどなかった。だから当然成功するはずだった君たちの追放が、こうして失敗に終わっているのは、私の間違いよるものではない」
「…………どういう意味です?」
「間違っているのは、剄脈を持たずしてあれだけの力を持っているユリア・ヴルキアの方だよ」
その言葉は、ガルロアを沈黙させるには十分だった。
そんなガルロアを余所に、カリアンは言葉を続ける。
「誤算という言葉は、予測や推測に誤りがあるという意味を示す。確かに私はユリア君の内包するものを予測、推測できなかったわけだが、しかし現実問題、剄脈を持たない彼女にあれだけの戦闘能力があると予測、推測することが可能だろうか?」
ガルロアは無言を保ったまま考えてみる。
そこに一人の少女がいて、しかし彼女は剄脈を持っていない。
そんな少女が老生体を倒すことができるほどの力を持っていると、ガルロアは予測なり推測なりできるだろうか。
……答えは否だ。
そんなもの、たとえば友人であるミィフィやメイシェンが老生体と闘い、そして打倒する姿を想像しろと言われているようなものだ。
想像できるかどうかよりも、そもそも想像すらしない。
「分かったかい?普通、剄脈を持たない人間に戦闘能力はない。だからこそ、彼女は私の誤算たりえない。彼女に戦闘能力があるなどと予測、推測することそれ自体が既にして不可能なのだから、これは決して私の誤算などではなく、ただ単に彼女が異常というだけだ」
そんなカリアンの言いようが、さらにガルロアの心を冷ます。
ガルロアは絶対零度の視線をカリアンへと向けた。
「……帰ってください」
口をついて出たのはそんな言葉。
これ以上、話を続けたくなかった。
話を続けたところで、事態がガルロアの望むところに転がることはないと、もう分かった。
だからもう、これ以上の会話は時間の無駄だ。
いきなりの宣告にカリアンは一瞬呆気にとられたような表情を浮かべた。。
そして直後、ガルロアの視線を受けて、小さく体を震わせる。
「……分かった。お暇させてもらうよ」
諦めたように立ち上がり、カリアンはガルロアに背を向ける。
そして扉の前まで歩いたところでカリアンは何故かその足を止めた。
「……本当に済まなかった。そして……本当に済まない」
呟くような声でカリアンは言う。
表情こそ見えないが、狭い室内に響いたその呟きには、確かに慙愧があるように思われた。
だから……という訳ではないのだが、ガルロアは最後にもう一度だけカリアンに問いを投げかけることにした。
「……そういえば、花束を花瓶にいけるとき、ずいぶんと手際が良かったですね。なにか、そういう趣味でもあったりするんですか?」
投げかけられた問いに、カリアンは驚いたように肩を揺らし、そしてガルロアの方を向かないまま軽く苦笑した。
「つい最近見つけたばかりなのだが、気に入っている花があってね。時々その花を貰ってきては自分の部屋や生徒会室にいけているよ。私がツェルニにくるきっかけになった花であり、私がツェルニを護りたいと思う理由の一つだ」
「つい最近見つけたばかりなのに、ツェルニに来ることになったきっかけなんですか?」
「ああ。色々と事情があってね」
穏やかな声色でそう言って、カリアンは今度こそ病室のドアに手をかける。
「それでは、君の快復を祈っているよ」
そんなことをのたまいながら、カリアンは扉の向こうへ消えていき、静かになった部屋に扉の閉まる音が寒々しく反響した。
ガルロアは一人、カリアンの出て行った扉を睨み付ける。
そのまま数分、無言を貫く。
そしてそろそろ良いだろう?と自問する。
そろそろ本当に、我慢の限界だった。
「ちっくしょぉっ!」
腹の底から叫ぶ。
このどうしようもない苛立ちを、ほかに晴らす方法がなかった。
「くっそっ」
カリアンのいけた花の入った花瓶を取って、閉ざされた扉へと投げつける。
どうにかして、このやりきれない思いを晴らしたかった。
なぜ……なんで……。
ガルロアの胸に渦巻くのはそんな思いばかりだ。
ツェルニがガルロアとユリアの乗る放浪バスから逃げた。そんなことは知っている。
だからツェルニはガルロアとユリアを警戒している。それも一応納得できる。
だが、それと同時にガルロアとユリアがツェルニを救っているという事実は、どうして無視されてしまうのか。
幼生体の襲撃、そしてその後の雄性体の襲撃からガルロアはツェルニを救った。
その結果得たものは、まがい物の歓迎と、追放という終末。
老生体を屠ることでユリアはツェルニを救った。
その結果得たものは、人の恐怖と畏怖。
なぜこうも疎まれる。何もしていないのに、できる限りのことをしているのに、どうしてこうも拒絶される。
そんなに自分たちは、それほどまでに彼女は、許されない存在なのだろうか。
「くそっ、あいつ……」
ガルロアは呻くような声を出す。
「隠そうともしないでペラペラしゃべりやがって」
思い返すのはついさっきまでここにいたカリアンの態度。
得意のポーカーフェイスを使おうともせず、ありのままの表情で、ありのままの言葉で、自分に不利になるようなことまで隠さず話した彼の態度。
彼はまるで自分からガルロアに嫌われようとしているように見えた。
そんな彼の意図など、見え透いている。
「僕が愛想を尽かして自分からツェルニをでるように仕向けてるんだろ……」
謝罪と感謝を告げたその口で、謝罪と感謝を示したその態度で、都市を出て行ってほしいと頼み込んでくるカリアンには本当に恐れ入る。
謝罪も感謝も都市から出て行ってほしいという頼みも、全て本心からのものであることが分かってしまうから始末が悪い。
「ったく、本当に」
だが、ガルロアに嫌われようとしたカリアンの意図は失敗だ。
ガルロアはもともとカリアンのことが好きではないし、今回の話を聞いてかなり嫌いになったが、しかしそれでも嫌い切れていない部分があるとしたら、それは彼の為政者としての潔さだ。
どんな状況でも機械的に合理性を求める彼の態度は、たとえそれが自分自身に向けられていたとしても好感がある。
だからこそ、ガルロアがカリアンを嫌いになりきることはない。
……だが。
「こっちが向こうを嫌わなくたって、向こうはこっちを疎ましくしか思ってないからな……」
ガルロアは力なく項垂れる。
本当にやり切れなかった。
疎ましく思われる自分たち。
疎ましく思われる……彼女。
偽物と本物の間で傷つく彼女に。
理性と本能の間で怯える彼女に。
…………少しくらい、救いがあっても良いじゃないか。
胸に渦巻く苛立ち、悲しみ、やるせなさ。
ガルロアの心は冷え切って、思考は荒む。
「ちくしょぉっ」
もう一度叫ぶ。
なんでこんなに報われない。なんでこんなに救われない。なんでこんなに……。
連鎖する負の感情に呑まれ始めたガルロアは、しかし次の瞬間に唐突に正気に戻ることになった。
――ガチャリ、と。
病室の扉が開く音がした。
――カチャリ、と。
扉の前に散乱する花瓶の欠片が音をたてた。
「……なんだか……、すごい声が聞こえたけれど……」
よく聞きなれた、透き通る声がした。
ガルロアははじかれたように顔を上げ、呟くような声で彼女の名前を呼ぶ。
「……ユリア」
ガルロアの声に、ユリアはどこか恐れるように目を伏せる。
どこか痛々しいその姿は、記憶に残る彼女の最後の姿そのままだ。
一昨日の一連の事件からまだ一日と少し。傷を癒すには短すぎる。
しかしそれでもユリアはガルロアの前に出てきてくれた。
今までどこにいたのかは知らないが、すごい声が聞こえたからと心配してきてくれた。
そんな彼女に、ガルロアは今何ができるのか。
偽物とか本物とか、理性とか本能とか。そんな痛みを抱える彼女にかけるべき言葉はまだ見つからない。
救われない彼女を、どうにか救いたいと思うが、今の自分にそれができるとは思えなかった。
だがしかし、ガルロアは彼女に一つだけ言っておかなければならないことがある。
それはユリアを救う言葉ではないが、ガルロアにとってそれを言うことは、大きな意味を持つ。
「……助けてくれてありがとう」
老生体との戦闘で、ガルロアは死を予感した。そしてそれを覆したのは間違いなくユリアだ。
ユリアがどんな気持ちであの戦闘を繰り広げたのかは分からないが、ガルロアが今生きているのは、間違いなくユリアのおかげだ。
どれだけの人間がユリアの戦闘に恐怖を抱こうと、ガルロアだけは彼女に感謝したかった。
どうしてもそれを伝えたかった。
「………え?」
驚いたような声。
予想外な言葉を聞いたとばかりに固まる彼女にガルロアはもう一度言う。
「助けてくれてありがとう」
二度言われた同じ言葉。
二度言われてようやくそれがガルロアからの感謝だと理解したのか、今度はユリアはその表情に笑みを浮かべた。
それは嬉しそうで、それなのにつらそうで、そしてぎこちなくて……。
彼女は微笑む。
それは本当に物悲しい笑みだった。
あとがき
私にとって“ただの”三ヶ月は長かったですが、“更新をしない”三ヶ月は、驚くほど早く過ぎ去ってしまったように思います。
はい。三か月ぶりの更新ですね。遅くなって本当にごめんなさい。
さて原作二巻の後日譚です。少し暗めな話になってしまいましたが、どうだったでしょう?三か月ぶりの更新で、私の文章力が(もともと高くないですが)落ちていないかが心配です。
いまだ原作三巻に突入できていないことに軽く悲しくなりますが、同時に次からの原作三巻にわくわくしていたりします。この作品を読んでくださる方が楽しめる物語を書けたらと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。
最期に、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
それでは!