「特に言うつもりもなかったんだけどさ、」
騒乱の後の静けさ。
つい先ほどまで騒がしかった都市はようやく落ち着きを見せた。
人知れず、人に隠れて騒動を収めた少年は一人の少女と向かい合う。
「僕達が初めてあったときに僕は、僕のことをロアって呼んで欲しい、って言ったよね。
そのロアって呼び方で僕のことを呼んだ人はさ、実はユリアを含めて今までに三人しかいなかったんだ。」
先ほどまでの騒ぎが嘘だったかのようにも思える静かな夜。
「僕の父親と、僕の親友と、ユリアの三人だけが僕のことをロアと呼ぶ。
ロアって呼ばれ方は僕にとってかけがえの無いもので、そして、ユリアにそう呼ばれるのは心地いい。なんっていうか・・・・・落ち着くんだ。」
外ではまだ、騒ぎの後始末などに走り回っている人間がいるはずなのに、この部屋だけは世界から隔離されたかのよう静かだった。
「それだけはさ、やっぱり伝えておこうと思ってさ。」
そして少年と少女は語り合う。
話し、話され、知り、知られ。
そうして夜は明け日が昇り、気付けば少年は疲労からかいつの間にか眠りについていた。
少女はそんな少年に毛布をかけ、そして静かにその隣に座って寄り添っていた。
†††
汚染獣の襲撃から一週間。
ツェルニはようやく以前の日常を取り戻していた。
外縁部に散乱した無数の幼生体の死骸。都市のほぼ中心から少し外れた地点と、都市のほぼ両端に死してなお大きな存在感を示していた成体の汚染獣3体。
それらの撤去と、その成体の一体に押しつぶされるように倒壊した3棟の建造物の撤去。
それに1週間かかった。
撤去はツェルニの武芸科の生徒が総動員で行い、そしてその中に幼生体殲滅の立ち役者、レイフォン・アルセイフもいた。
もっとも、都市民は誰が幼生体の殲滅をしたかなどは知る由もないだろうが。
レイフォンは不用意に都市外へと出て全身を汚染物質に焼かれ、幼生体を殲滅し、雌性体を撃破して戻ってきたときに倒れてしまった。
目が覚めたのは一日が過ぎてからだった。
目が覚めた時点でもう体にはほとんど支障はなく、それならばとレイフォンは汚染獣の撤去に協力しようと向かい、そして驚いた。
自分が意識を失っていた間に何が起こっていたのかを知って驚き、そしてそこに残された結果に驚いた。
自分が気絶している間に汚染獣の成体が襲撃して来ていた。
自分が気絶している間に汚染獣の成体3体を恐らく単独で撃破した人間がいる。
幼生体の後始末をしていたときにも一つの発見があった。
幼生体との戦闘区域だった外縁部をパッとみて目立つのは、もちろんレイフォンの鋼糸によって切り裂かれた無数の幼生体の死骸で、ツェルニの生徒が倒した幼生体などレイフォンが倒した幼生体の中に埋もれ、見る影もないのだが、しかしその中に無視できない一群があった。
まるで内部から爆発させたかのように粉々になった幼生体の破片が、ものすごい量で広がっている場所があった。
死骸の状態が状態なため、詳しいことは分からないが、しかしこの一群は幼生体300体分くらいはあるのではないかとレイフォンは思った。
これらのことをやった誰かがこの都市にいる。
自分以外でこんなことのできる誰かがこの都市にいる。
誰か、といいつつも、実はレイフォンはもうある程度の当たりはついている。
ツェルニの生徒の中にこんなことのできる人間はいない。
ツェルニの生徒の中にこんなことのできる生徒はいないはずだ。
いたら、小隊員などになってレイフォンの目にもとまっているはずだ。
ならば、考えられるのは外来者。
そしてレイフォンには外来者の中に面識のある二人組がいる。
気になる二人組がいる。
ガルロア・エインセルとユリア・ヴルキア。
自分の中の違和感はいまだ消えていないが、しかしその二人組の片割れであるユリアは確実に剄脈を持っていなかった。
それならば、これらのことをしたのはもう一人のガルロアの方だろう。
あくまで予想ではあるが、レイフォンはこの予想にほとんど確信をおいていた。
しかし、分からない。
自分が言えたことではないのかもしれないが、ガルロアの一般人とはかけ離れた実力といい、それから自分がユリアに感じている違和感といい。
一体彼らは何者なのか・・・・・。
ツェルニに入学したいと言っていたが、それは何故なのか・・・・・。
一体・・・・・・・・・。
「ちょっと、レイとん?聞いてる?」
耳元でミィフィの大声が聞こえ、レイフォンは意識を現実へと引き戻された。
「えっ?なに!?」
レイフォンは驚いて飛び上がる。
「もー。ぼーっとしないでよね。」
ミィフィが頬を膨らませ、近くにいたナルキとメイシェンは苦笑いをしている。
汚染獣襲撃から一週間、ようやく元に戻った日常の、今は授業が終わった放課後だった。
レイフォンはこれから小隊員の訓練場である錬武館へと向かい、ナルキは都市警察、ミィフィは雑誌の編集部、メイシェンはケーキ屋のバイトへと向かう。
教室から出てそれぞれが別れるまで、短い距離ではあるが一緒に歩いていた。
「それでね、その生徒会長が隠してる正体不明の幼生体殲滅の前にね、幼生体をバッタバッタと倒してた人がいたって武芸科の生徒の人たちがたまに話してるんだけど、そんでその人が成体を三体倒した人なんじゃないかって噂なんだけど、ナッキとレイとん、何か知らない?」
レイフォンが思わずぎくりと肩を揺らす。
「ん?知らないと思うな。それはどんな人なんだ?」
しかし、ナルキのこの質問のおかげで、レイフォンの反応はミィフィには気付かれなかった。
「えーっとねー。黒い髪で、バカみたいにでっかい剣を持った男の人だったんだって。その武芸科の人たちもね、ちゃんと顔を見ようと思ったらしいんだけど、見れなかったんだって。なんか一人だけ離れた位置で戦ってたらしくってね、幼生体はうじゃうじゃいるし、時間は夜だしで見れなくて、それで一回だけ近くにきたんだけど、そのときは幼生体の殲滅に見入っちゃってたんだって。あたしにはよく分からないけど、すごかったんでしょ?」
「ああ。あれはすごかった。あたし達があれほど苦戦していた汚染獣をああもあっさり殲滅するとは、何が起こったのかまるで分からない。なぜ生徒会長もあれの真相を隠すんだろうな。」
ナルキが少し不満そうな声を上げる。
レイフォンが鋼糸を使って幼生体を殲滅したことは、ツェルニの学生には伏せられていた。
「まぁ、それでね、その汚染獣の殲滅に見入って、それに喜んでたら、その人はいつの間にかいなくなっちゃってたんだって。」
「・・・・・その男が幼生体を殲滅したというのはないのか?」
「武芸者のナッキが一般人のあたしに聞くような質問じゃないでしょ、それ。まぁ、でもね、その人は幼生体が殲滅されてる間は防衛柵の内側にいたって話だったから、私には良くわかんないけど、やっぱり関係ないんじゃい?」
「むぅ。・・・・・まぁだが、私はそんな男知らないな。レイフォンはどうだ?」
「えっ、えっ!?」
ナルキから振られた話題にレイフォンは狼狽する。
「えっと、ぼ、僕も知らないと思うな、そんな人」
「ん~?なんか変じゃない?レイとん?」
ミィフィがいぶかしむようにレイフォンの顔を覗き込んでくる。
「そ、そんなことないと思うけど・・・・・」
レイフォンは全力で目をそらしながら答える。
「むっ!怪しい。絶対なんか知ってるでしょ。」
「いや、ほんとに何も知らないってっ!?」
「嘘だっ!特ダネだ。キリキリ話なさい!」
ずいずいとミィフィが迫ってくる。
「なんだ?何か知っているなら、あたしにも聞かせて欲しいな。」
レイフォンがミィフィの対処に困っていると、ナルキからも同じように詰め寄られる。
「えっ、えーと・・・・・。」
特に隠す理由などない。
特に隠す理由などはないが、しかし簡単に言っていいようなことではない・・・・・ように思う。
だからできれば話したくはないのだが、しかし、好奇心の塊のようなミィフィから言い逃れることはもはや不可能に近い。
一体どうしたものか、とレイフォンは頭をめぐらせる。
「黒髪ってだけじゃたいして珍しいものでもないし、バカみたいにでかい大剣だって練金鋼が基礎状態じゃ判別できないし、それにどこからそんな実力者が現れたのか、みんな知りたがってて、結構調べてる人もいるんだけど、一向に情報が集まらないんだよね。実力を隠してた生徒がいるんじゃないかっていうのが最近はよく噂されてるけど・・・・・なにか知ってるんだったら早く教えてっ!そしたらきっとわたしがこの情報の一番乗りになれるっ!そしたらきっと出世できるっ!」
ミィフィが瞳をきらきらと輝かせながら詰め寄ってくる。
これはもう言い逃れるんじゃなくて、物理的に逃げるしかないかな?でもそれじゃ問題の先送りにしかならないかな?
とそんなことを考えていたときだった。
「っ!?」
ぞわり
と背筋に嫌なものが走る。
「あれ?」
いままでレイフォンに詰め寄っていたミィフィが突然まったく別の方向を向いて声を上げる。
「あれってユリちゃんじゃない?」
レイフォンはミィフィが見ている方向に視線を向ける。
そこにはユリアが一人で歩いていた。
ああ、またこの感覚か・・・・・とレイフォンは思った。
†††
「よくきてくれたね。」
目の前の上等そうな椅子に腰掛けた青年がにこやかに声をかけてくる。
顔の表面は笑っているが、その内側では一体何を考えているのか分からない。
ここは生徒会棟の最上部にある生徒会室、つまり生徒会長の部屋で、椅子にとどまらず、絨毯も照明も机も扉も何もかもが全て上質なものであろうと見た目だけで分かる。
「先の汚染獣襲来のときは本当に助けられたよ。ガルロア・エインセル君。」
ガルロアはこの日、生徒会長、カリアン・ロスに呼び出された。
『今日の午後三時に一人で生徒会室まで来てくれないか?』とのことだった。
わざわさ、『一人で』といったところに思うところがないでもなかったが、しかしガルロアとしても、この都市の生徒会長は警戒しておくべきだろう、と感じていたのでユリアを同伴させようとは思っていなかった。
ユリアには悪いが、今回は待っていてもらっている。
もしかしたら、ぶらぶらと散歩などしているかもしれない。
「それで?なんのようですか?僕としてはあなたに言いたい文句が少なからずあるんですけれど、ですがそれは後回しにしてまずはあなたの話を聞きましょう。」
「ふむ。とりあえず、座ったらどうかね?」
カリアンがガルロアの言葉にもにこやかな笑みを崩さずにソファーを指差す。
「・・・・・それじゃぁ。」
ガルロアは革張りの上等そうなソファーに少し気後れしつつ腰掛ける。
「さて」
ガルロアが座ったのを見届けて、カリアンが切り出した。
「私の用件というのは、君の文句にも繋がる内容であると思うのだが、ずばり君がツェルニへの入学を希望している件についてだ。」
カリアンが顔の前で手を組み、ガルロアの目をじっと見据える。
「君が転入試験の受験を何度も申し込んでいたことは知っている。なにせそれらの申し込みを却下し続けたのは私だからね。」
にこやかな笑顔のままそんなことを言うカリアンにガルロアは多少の苛立ちを覚えた。
「しかし、私にも君の申し込みを却下し続けなければならない理由があったということを先に言っておこうか。」
「理由?なんですかそれは?」
「発端は突拍子もないところから始まっていてね、」
そういってカリアンは事情を説明し始めた。
「とある放浪バスがあってね、それがツェルニに向かって来ていたんだ。うむ。なんてことのない日常のなかの一つで本来ならさして、どころか全く問題視するような必要のないことなのだが、しかしそこに問題視せざるを得ない不可解な事象が発生したんだ。
なぜかツェルニがその向かってきている放浪バスから逃げるようにして進路を変えたんだ。
偶然だと思うかい?しかし私はそうは思わなかった。
さて、ここまで言って君もなんとなくは察しがついているだろうけれど、その放浪バス。放浪バスであるからには当たり前のように乗客が乗っていて、そしてその放浪バスがツェルニについたのは入学式のちょうど前日だった。
言いたいことは分かるね。
そう、そのバスは君と君の連れのユリア・ヴルキアの二人が乗ってきたバスだ。
それが偶然ではないのなら、必ず原因があるはずで、そして今回の事象に原因があったとするならば、この場合の原因は疑いようもなく放浪バスそのものか乗客、もしくはバスが乗せていた荷物にあったはずだ。
さて、この三つの中で、私は放浪バス本体というのは外していいと思っている。
都市に逃げられる放浪バスなど、その存在意義を果たしていないといっても過言ではないしね。それにそのバスの運転手に聞いてみたところ、そんなことは初めてだったそうだ。
それならばこの可能性は排除してもいいだろう。
そして残るは乗客と荷物なのだが、しかしそれらだって私は排除してもいい可能性だと思っている。都市が逃げるような人間、もしくは荷物。そんなものがこの世に存在するなど到底思えない。
だから、私はこの時点でほとんどその事象を偶然だと考えていいだろうと思っていた。
が、しかし乗客の中に異質な二人組がいたのだよ。
言うまでもなく君たちの事なのだが・・・・・。
二人だけ新入生徒ではなかった君達。
それだけでははっきり言って疑う理由になりはしないと私も分かっているのだが、しかし私は君達の存在が引っかかった。
そして、君達が最初に編入の申し込みを出してきたときは驚いた。
もしかして自分は相当に的外れなことをしているのではないかとも思ったのだが、空白の目立つ君達二人の履歴書がやはり気になった。
だから二人のことを少し調査してみようと思ったのだよ。
幸い、ある程度の情報は割と簡単に集まった。
履歴書から君の出身都市がムオーデルであることは分かった。
ムオーデルとツェルニはそれなりに近いからね。君もほとんど放浪バスの乗換えをしなかったろう?
だからこの都市にはムオーデル出身の武芸者がそれなりにいるのだよ。
ムオーデル出身の武芸者は質が高いね。小隊員の中にもムオーデル出身のものは何人かいるよ。
まあそんなことは置いといて、私は集まった情報に驚いたよ。
君は汚染獣との戦闘がそれなりに頻繁にある都市で、十一歳にして最強だといわれていたそうじゃないか。
ふむ、それなら、先の戦いで見せたあの強さにも納得がいくというものだ。
それでだ。
そこで私は一つ大きな疑問を抱いたのだよ。
君ほどの武芸者がなぜ都市の外に出ることを許されたのか・・・・・だ。
それも、追放という形でだ。
先ほど、ある程度の情報は簡単に集まった、といったが、しかしそれは裏を返せばある程度以上の情報はまるで集まらなかった・・・・ということだった。
方々に手を回したが、しかし私は結局君が都市を追放された理由をつかめなかった。
不自然なほどに全く情報がつかめなかった。
それと同様に、君の連れの彼女。
彼女の情報もやはり全くつかめなかった。
ここまでくるとさすがにおかしい。
だから私は君に問いたいのだ。
何故君は都市を出ることになったのか?
君の連れの彼女の情報はなぜ集まらないのか?
彼女の存在は君が都市を出ることになったこととなにか関係があるのかい?
どうか答えてくれないかな?
あるいはそれが、もしかするとツェルニが放浪バスから逃げようとした原因に繋がるかもしれないだろう?」
カリアンがようやく話を終わらせ、そして深く息をついた。
カリアンの話の内容に何度か不自然な反応を返してしまいそうになったが、何とか隠し通せたとガルロアは思う。
しかしカリアンの見透かすような瞳の前では余り自信を持つことはできなかった。
さて、カリアンの話は、カリアンの質問は、ガルロアにとって嫌な質問だ。
ある程度自分達の情報を握られているというのも痛い。
ガルロアは慎重に言葉を選ぶ。
「僕達が何者なのか、ということが都市が逃げた原因に繋がるとは到底思えません。というより、明らかに繋がらないでしょう。自分がどれだけ滅茶苦茶なことを言っているか分かってますか?生徒会長?」
実際には都市が逃げようとした原因は自分達の正体、ユリアの正体に繋がるだろう。
都市の意識は汚染獣から逃げるようになっている。
おそらく、都市の意識にはユリアが汚染獣であることが分かってしまったのだろう。
「ふむ。確かにそう言われると返す言葉はないね。私だってそれは重々承知している。まぁ、余り気にしないで質問に答えてもらえると嬉しいのだが。」
「気にするなって、・・・・・僕らはそんな滅茶苦茶な理由で疑われているんですよね?
明らかに偶然だったことを無理やり必然にこじつけるために、僕らを滅茶苦茶な理由で疑ってるだけじゃないですか。
あんまりに横暴だと思うんですけれど」
「・・・・・君の言い分ももっともであるし、私もそれについては申し訳なく思っていないわけではないのだが、しかしどうしても納得できないものもある。頭で納得できても心では納得できない・・・・・などとは私には到底似合わない詩的な言葉だが、しかし今回の件はまさにそれだ。
・・・・・とはいえ、それがなかったとしても、君が都市を追放された理由はいまだ不明で、君達が不審な人物であることには変わりはないのだから、やはり答えてもらいたい。」
ガルロアはカリアンを睨みつける。
カリアンはにこやかな笑みを浮かべてガルロアの視線を受ける。
しかしその目の奥に表情どおりの感情がないことは確かだろう。
「・・・・・・それを聞いてどうするんですか?原因は僕でしたが、先の戦闘で僕がこの都市を守ったことに変わりはありませんし、それに自分で言うのもなんですが、僕ほどの武芸者は多少不審があったところで都市に引き入れるべきだと思うのですが?」
「ふふ。君は意外にと言うべきか、結構頭が回るようだね。」
「頭の回転が鈍いと色々とこき使われてしまうような道場に所属していましたからね。」
口調だけは楽しそうなカリアンに、ガルロアは口調も態度も不満そうに答える。
「確かに君の言うとおり、君を逃すのは都市の大きな損失になるだろう。私としても、君は是非とも入学させたい逸材だ。」
「それなら、滅茶苦茶な理論や、多少の不審程度のことで入学を拒否するのはおかしいとは思いませんか?」
頑としてなにも話そうとしないガルロアにカリアンは小さく息を吐いた。
「先ほどからまるで何も話そうとしないね。話したくないような、あるいは話せないような内容なのかい?」
そこでガルロアは言葉につまる。
この質問に下手な答え方をしてしまうと、自分の過去になにか、人には言えないようなことがあったという言質をとられてしまう。
ガルロアは少し考えて、慎重に言葉を選ぶ。
「・・・・・友人に対して話す内容ならば、なんの躊躇いもなく話しますが、ですが尋問されて話すようなことはありません。」
ガルロアの答えに、ガルロアが部屋に入ってきてからまるで能面のように動かなかったカリアンの笑顔がわずかに動く。
それを見てガルロアは心の中でしてやったりと笑みを浮かべた。
「ふむ・・・・・。君は私が思っていた以上に頭がいいね。まるでボロを出さない。」
これもまた誘導尋問の手口。
『ボロ』という言葉に不自然な対応をすれば、それは自分が『出すボロ』を持っているということになってしまう。
「・・・・・・・ボロって何のことですか?僕は普通に受け答えをしているだけですが?」
そのガルロアの答えに、またもカリアンの表情がわずかに動いた。
ガルロアがここまで誘導に引っかからないのは、ひとえに故郷で通っていた道場にすこぶる性格の悪い女がいたからだろう。
性格の悪すぎるその女と長いこと一緒に過ごしてきたが故に得た、性格の悪いものへの対応。
こんなところで役に立つとは思わなかった。
カリアンとガルロアの視線がしばし交錯し、そしてやがてカリアンは二度動いた表情を最初のそれ、無駄のない完璧な笑顔へと戻す。
「・・・・・とても良い笑顔だとは思いますけど、でも能面みたいに全く変わらない笑顔って言うのはそれはそれで気持ち悪いと思うんですけど、どうでしょう?できれば素の表情で話してもらえません?」
「笑顔は話し合いの基本だよ。君も練習してみるといい。」
全く動かない笑顔のせいでガルロアはカリアンが何を考えているのか全く分からない。
いつもニヤニヤと皮肉げに笑っていた、故郷の道場にいたあの女と通じるところがある。
性格も態度も。
ガルロアはカリアンに結構な苦手意識を持ち始めていた。
「それにしても、君への質問がこうも上手く運ばないとは思わなかった。こちらも一つ札を切ってみようかな?」
「札?」
カリアンの言葉にガルロアは不信感を覚え、警戒心を高める。
先に『札を切る』と宣言するとは、よほど自信があるのか、その言葉すら交渉術の一環なのか。
「私は一つ、突拍子もない仮説を立てている。都市が放浪バスから逃げようとした理由を示す仮説。余りにばかばかしいのだが、しかし理にかなったある仮説をね。」
そう前置きしたカリアンに、ガルロアはとても嫌な予感がした。
カリアンはガルロアの目をこれまで以上に強く見据えて言う。
「もしも、放浪バスの中に汚染獣が乗っていたとしたらどうだろう?」
†††
なんでこうなったんだろう・・・・・。
レイフォン・アルセイフは途方に暮れる。
背後に感じる気配になぜか焦燥感を感じる。
先ほどミィフィに問い詰められていたときも最悪だと思っていたが、しかし今のこの状況に比べたら、先ほどのほうが全然マシだったと断言できる。
レイフォンの背後にはユリアがいた。
レイフォンはユリアと連れ立って、二人きりで歩いていた。
ユリア・ヴルキア。
黒髪、黒目、端正な顔立ち。髪は長く、腰の辺りまでスーッと伸びていて、首の後ろ辺りでゴムでまとめられている。
今歩いているのは、練武館の前。
こうなった経緯を簡単に説明するならば、
まずユリアを見つけたミィフィがユリアに声をかけ、「なにしてんの?ガルルンは一緒じゃないの?」と聞くと、ユリアは「ガルロアは一人で生徒会室に呼ばれていったわ。だから私は今、一人でぶらぶら歩いているだけよ。」と答える。
するとナルキが「へぇ。そうだったのか。しかしなんでガルロアは生徒会室に呼ばれたんだ?・・・・・まぁ、それはいいか。しかし一人で退屈じゃないか?できれば一緒に行動していたいのだが、あたし達はみんなこれから予定があってな。」といい、それにユリアが「別に構わないわ。特に退屈だなんて感情も持ってはいないし。」と答える。
するとそれを聞いたミィフィが「それなら、レイとんと一緒に行けば?練武館なら生徒会棟からも近いからガルルンを待つにも困らないし、いい退屈しのぎになるんじゃない?」と、あろうことかそんなことを言ったのだった。
レイフォンはそれを遠まわしに回避しようとし、ユリアは直接的にそれを断ったのだが、しかしミィフィの押しが余りにも強く、結局二人で練武館へと向かうことになってしまったのだった。
結果的にミィフィの尋問からは解放された形にはなるが、しかしこれではどっちがマシだったか分からない。
レイフォンは何故かユリアから感じる雰囲気や気配に、何故か苦手意識や警戒意識を持ってしまっていて、できれば今すぐ逃げ出したい心境だった。
ミィフィと別れた時点で、別にユリアと別れても何の問題もないはずなのだが、しかしレイフォンは『もうここら辺でいいんじゃないかな?』といった旨の言葉を言うことができず、ユリアはユリアでなんの興味もなさそうにレイフォンにただただ着いてきたため、結果いまだ二人は一緒にいる。
・・・・・・・ほんと、どうしてこうなったんだろう・・・・・。
レイフォンは心の中で大きくため息をついた。
そういえば、ユリアと二人で歩き始めたときにメイシェンが不安そうにあうあう言っていて、それを見たミィフィが自分達とメイシェンを交互に見て、なにやら「しまった」といったような表情をしていて、ナルキが「おい、どうするんだ。お前のせいでレイフォンがあんな美人と二人っきりになってしまったぞ!」などと言っていたが、あれは一体どういうことだったのだろう?
確かにユリアは美人ではあるが、しかし自分とユリアが二人っきりなのが一体彼女達のどんな不安につながるというんだろう?
「ねぇ。」
鈴のような綺麗な声。
その声で、現実逃避気味になっていたレイフォンは、一気に現実へと引き戻される。
「え、えっと、なにかな?」
「明日、あなたの試合があるって聞いたけど、今回はどうするの?」
「どうするのって、どういうこと?」
「前の試合の最初みたいにグダグダやるのか、最後みたいに真面目にやるのかってことよ。」
なるほど。
前の自分の試合を見ていたんだなとレイフォンは推測する。
「まぁ、真面目にやろうと思ってる。」
「それは、前の試合の最後と同じくらいってことかしら?それともそれ以上の本気ってことかしら?」
その質問に、自分の実力を真に知っている人間はこの都市では少数のはずなのに・・・・・、と少し驚くが、しかし以前ガルロアがユリアはグレンダンを訪れたことがあるといっていたことを思い出す。
それが、そのままユリアへの不信感の原因の一端にもなっているのだが、しかしこの際は余り気にしないでおこうと思う。
「えっと、前の試合の最後より少し低くってくらいかな。」
「なぜ本気をださないの?」
「僕が本気を出すと試合にならなくなっちゃうし、それにウチの隊長はそういうのは喜ばないと思う。」
「そういうものなのかしら・・・・・?」
首を傾げてそしてユリアはまたしゃべらなくなった。
さて、とレイフォンは再び思考する。
もう既に練武館の前まで来てしまっている。このまま十七小隊が使っているブースまでユリアを連れて行ってしまうと、もう完全にユリアと別れるための取っ掛かりを失ってしまうことになるだろう。
それだけでなく、試合の前日に部外者を連れ込んだりしたら、きっと隊長のニーナの機嫌が悪くなるだろう。
さて、本当にどうしたものか。
「あれ、レイフォンじゃねぇか。何してんだ?こんなところで?」
今度は軽薄そうな声が後ろから聞こえ、レイフォンの意識を思考から現実へと引き戻した。
「あ、あれ?シャーニッド先輩?」
シャーニッド・エリプトン。
レイフォンと同じ第十七小隊に所属する狙撃手で小隊内では一番学年が上の四年生。
薄い茶髪に軽薄そうではあるが甘いマスク。
体格もスラリと背が高く、ピアスなどしているのがスタイリッシュで、かなり女性にももてるらしい・・・・・というかファンクラブなどもあるようだ。
「おんや?こりゃなんか、レイフォンのくせに結構な美人を連れてんなぁ。なんだ?同級生か?」
シャーニッドは目聡くユリアを見つけてレイフォンに聞いてくる。
「同級生・・・・というわけではないんですが、一応、知り合いです。生徒会棟に呼ばれていった人を待っているらしくて、それで暇つぶしになればとここまで一緒に来たんですが、この先どうしたものかと。」
「この先どうしたもんかってお前、そんな美人連れてそんな台詞はないだろ?本当に男か?」
「は?どういうことですか?」
「チャンスをものにしてこそ俺たちは青春を謳歌できるってことさ。」
「?・・・・?、?」
シャーニッドの言いたいことがさっぱり理解できない。
「・・・・・・・お前、相当鈍いな。まぁつまり、どうせならこのままデートに持ち込んじゃえよって言いたいわけだ、俺は。」
シャーニッドがあきれた顔をする。
「?、デートってなんです?僕が言いたいのは、これから訓練があるからどうしようってことなんですけど。」
シャーニッドは今度は頭を抱えた。
そんなシャーニッドの行動にレイフォンは益々頭の上に疑問符を浮かべる。
「もう駄目だお前は。手の施しようがないわ。・・・・・なぁお譲ちゃん、これから俺と一緒にお茶にでも行かないかい?」
「ちょ、先輩、だめですって。明日は対抗試合ですよ、行かなかったら隊長に怒られますって。」
いきなりユリアを誘い出したシャーニッドにレイフォンはあわてて声をかけた。
「あー、まぁ、そうだよなぁ。さすがの俺もやっていいサボリとやっちゃいけないサボリくらいわきまえてるって。けど、それならどうする?この娘を訓練場に連れてったら、間違いなくニーナの奴が機嫌悪くするぜ?」
「そうなんですよね。だから困ってるんですよ」
そしてレイフォンは再び途方に暮れるが、しかしその問題は思わぬ形で解消することになった。
「私、そろそろ戻るわ。」
凛とした涼しげな声でユリアが言う。
「ん?そうなのか?連れってのはもう待たなくていいのか?」
シャーニッドが問い返す。
「生徒会棟の前で待つことにするわ。そろそろ出てくるころだと思うから。」
そう言ってユリアは「さようなら、またね」、と実にあっさりと歩き去っていってしまった。
「・・・・・・・いやぁ、なんつーか、・・・・こう、淡白ってのとは違うんだが・・・・何というか・・・・・、たとえるなら真夏の氷水みたいなというか・・・・・。なんか実にあっさりとした感じというか、さっぱりした感じというか、・・・・・そんな子だったな。」
「・・・・・・・そうですね。」
残されたシャーニッドとレイフォンは、呆然としてその背を見送るしかなかった。
†††
今の言葉に対して何も反応しなかったなどとは到底思えなかった。
何も悟られなかったとは到底思えなかった。
自分はどんな反応をした。何を悟られた。
ガルロアの頭の中で様々な思考が渦を巻く。
目の前のにこやかで実に胡散臭い笑顔を見ながら、ガルロアは心の中で悪態をつく。
何が『頭で納得できても心では納得できない』だ。
そんな仮説を立てておきながら、どの口が頭では納得できた、などと言うんだ。あれはこちらを油断させるための方便だったのか。
全く、この男は本当に性格が悪い。
「・・・・・放浪バスの中に汚染獣とは一体どんな冗談ですか。それは余りにばかばかしすぎて、理にかなってるとは到底思えません。」
これ以上、何も悟られまいと、とりあえず会話をつなぐ。
そんなガルロアにカリアンは益々笑みを深めていう。
「今、自分がどんな表情をしているか分かっているかい?」
高鳴る動悸を必死で押さえつける。
今のカリアンの言葉に無防備に反応してしまえば、益々何かを悟られてしまうだろう。
そんなガルロアの様子にカリアンは「ほう。」と小さく息をついた。
「ふふふ。ばかばかしいと言ったのは本心からでね、私はこの仮説にほとんど意味を置いていなかったのだが、しかしここまで効果があるとは余りに予想外で私も大いに驚いているよ。」
「・・・・・・・・・」
カリアンが笑い、ガルロアは黙り込む。
「そもそも、この仮説は最初は冗談の笑い話でね、だから数日前まではこんな仮説はなかったのだけど、しかし、数日前、私はレイフォン君から興味深い話を聞いてね。」
カリアンが聞いてもいない説明を始める。
「先の戦闘で幼生体、雌性体、雄性体の一期、二期、三期と、数々の汚染獣に襲われながら、私はそれらの識別すらできず、脅威度も測れず、対処法も知らなかった。
雌性体が存在していたことも知らなかったし、救援というものも知らなかったし、救援を呼ばれればどうなるかということも知らなかった。
君やレイフォン君がいなかったらどうなってたかと思うとぞっとするよ。
その反省から、私は汚染獣について調べることにしたのだが、汚染獣との戦闘経験が豊富であろうレイフォン君にも話を聞いたのだよ。
そしてその際、ある汚染獣の話を聞いた。
その汚染獣は人に寄生するそうだ。」
「・・・・・・・それが、何なんですか?」
「人に寄生するような汚染獣がいるなら、どんな汚染獣がいたって不思議じゃない。
例えば、誰にも気付かれずに放浪バスの中に紛れ込める汚染獣がいたとしても不思議ではない。」
「・・・・・・・・だから、それが何だというんですか。」
「先ほどの君の反応で確信したよ。私は全ての鍵は、君の連れの少女のユリア・ヴルキアであると思っている。」
「・・・・・・・・っ・・・。」
カリアンの表情が、初めて笑顔ではなくなった。
真剣な表情、本気の目。
あれほど嫌だった笑顔ではなくなったのに、何故だかガルロアは無意識のうちに恐れてしまう。
「君ほどの武芸者が都市を出ることになった理由、ツェルニが放浪バスから逃げた理由。君がツェルニに来た理由も、君達の履歴書の空白も、まるで見つけられなかった情報も。
それらの不思議、不可解、不明瞭、その全ての中心に、私はユリア・ヴルキアがいると踏んでいる。」
「・・・・・・・・・。」
もはやとぼけることにも意味を感じられなくなってしまった。
このまま、カリアンの出方を見るしかないと、ガルロアは沈黙する。
「・・・・・沈黙してしまったね。沈黙も力ということだね。」
全く、君はどこか場慣れしているね、とカリアンはあきれた声をあげる。
そんなカリアンの言葉にもガルロアは沈黙を保っていたが、しかしそのとき、カリアンの視線がさらに鋭さを増したように感じた。
「・・・・・何故、私が今、君が追放されたなどという都市の内情に深く込み入った話を知っていると思う?」
そう言われて、初めて気付く。
都市間での情報のやり取りが難しいこの世界で、それも情報の受け渡しだけでなく調査をしようとすれば、少なくとも、もっと時間がかかるはずだ。
今、ガルロアがツェルニにいるという事実から、結果論として都市を出たことを知れても、普通ならその経緯、ガルロアが追放されたなどということを知るにはもっと時間がかかるはずだ。
「さきほど言ったようにこの都市にはムオーデルの出身者がそれなりにいる。その中の一人の家族から宛てられた手紙に君の事を詳しく書いていたものがあってね。それを見させてもらった。・・・・・もちろん本人の許可を取ってだよ。
そこには端的に言えば5つのことが書かれていた。
1つ、ガルロア・エインセルが追放された。
2つ、追放の理由は分からない。
3つ、しかしガルロア・エインセル追放の際に何故か放浪バスの停留所を厳重に警備することになった。
4つ、そのとき、ガルロア・エインセルは、見たことも無い明らかに不審な少女を連れていた。
5つ、市長はガルロア・エインセルではなく、その少女を警戒しているようだった。
・・・・・とこんな感じだ。」
・・・・・・決まり手だ、とガルロアは全身から力が抜けるような感覚がした。
そんなものがあったなら、自分達はツェルニへの入学などできるはずもなく、下手をすれば、というより下手をしなくても問答無用で都市の外へと追い出されるだろう。
なにしろ、自分達は一般の都市ですら、危険すぎて手に負えないと追い出されたような存在なのだから。
こうなってしまっては、もうどうしようもない。
「・・・・・そうですか。・・・・・汚染獣討伐の協力までしたのに、さっきみたいな仮説を立てられてしまうほどに警戒される理由はなんだろうって思ってました。疑う理由があったとしても、汚染獣討伐はそれ以上に信じる理由になるんじゃないかと思ってました。そもそも疑い始めた理由すら曖昧なものだったのに。
だから僕らは無視できるレベルの警戒対象であるはずだと思っていたんですけど・・・・・。
・・・・・でも、なるほどです。その手紙があったから、僕らはここまで警戒されていたんですね。」
「ああ。その通りだ。通常の都市でさえそこまで警戒するものを、それも学生のみで運営されている学園都市が警戒せずにいられるわけはないだろう。」
ここまでガルロアとユリアの危険度を如実に示しているものがあったとは思わなかった。
この手紙を読んだ時点でカリアンは、ガルロアとユリアが、正確にはユリア・ヴルキアを無視できないレベルの警戒対象として警戒していたのだろう。
ここに生徒会棟に『一人で来てほしい』というのは、『現時点でこれ以上ないというほどの警戒対象であるユリアを連れてくるな』という意味だったのかもしれない。
しかし・・・・・・・、
「しかし、それにしても、会長のそれは交渉術じゃなくて詐術な気がします。そんな決め手があるのに、それを最後まで使わずにグダグダと回りくどく話を進めて、『頭では納得している』とか『疑う理由としては不十分』とか何とか言いながら、僕から出せる限りの情報を騙し取った。最初からその決め手を使ってくれれば、会長は『汚染獣』なんて言いださなかったでしょうし、僕も変な反応をすることもなかったのに。」
「交渉術も詐術も同じようなものさ。ただ話して情報を得るか、騙しながら話して情報を得るかの違いであって、やっている本質も結果も変わらない。表裏一体で紙一重だ。」
「・・・・・・・・・はぁ。」
妙な脱力感がガルロアを襲う。
ここまで色々とやってきて、最後がこれではどうにも・・・・・なんというか・・・・どうしようもない。
「それで、僕らはこれからどうなるんですか?ただの都市外追放ですか?それとも罪科印を押されての都市外追放ですか?最悪だと即刻都市外追放っていう実質死刑もあるけど、この都市は僕に借りがあるはずだから、できれば最初のにして欲しいですね。」
諦めたように言うガルロアに、カリアンは何故だか笑みを浮かべた。
「少し待ちたまえよ。話はまだ終わってないだろう?」
その言葉にガルロアは困惑する。
「これ以上、何かあるんですか?もう、さっきので決まり手。僕は詰み。もうこの都市を出て行くしかない。
即刻退去とか言われたら、それは抵抗しますが、ですがただの都市外追放なら素直に従いますよ。
この都市以外にも学園都市はあるし、そもそも僕にとって学園都市のシステムが都合が良かっただけで、わざわざ学園都市に拘る理由だってそんなにない。
この都市に拘る理由もない。
そちらが何もしなければ、こちらも何もしないで出て行きます。
まぁ、この都市には何人か友達もできたから、できればこの都市に入学したいところだったんですけどね。」
「落ち着きたまえ。少しはこちらの話を聞いてもらいたいね。」
「・・・・・なんですか。」
「『汚染獣』という言葉に対して、君があれほど反応したのはこちらにとって本当に予想外だった。先ほども同じことを言ったが、あれは紛れもなく本心だったのだよ。
私としては、あの仮説云々の話は、頭の片隅で考えはしていたものの、そんなバカな、と否定していたものでもあって、だから私はあれに話のつなぎ程度の意味しかおいていなかった。
バカなことを言って君を油断させようという、そんな考えからのものだったのだよ。
だから、君があの言葉にあれほど反応したのには心底驚いた。驚きを顔に出さないようにと必死になっていたよ。」
そんな言葉にさらに脱力感が増す。
そんな程度の気持ちで出された言葉に自分はあんな迂闊な反応をしてしまったのかと少し悔しくなって、ガルロアは唇をかみ締めた。
「全ての不思議、不可解、不明瞭を解く鍵は『ユリア・ヴルキア』であると私は予想していて、そして、あの時の君の反応から、その予想は確信に変わったとはさっき言った通りだ。
そして、『ユリア・ヴルキア』という鍵をどう使うかということは、先ほどまでさっぱり分からなかったのだが、しかしこれもまた君の先ほどの反応から『ユリア・ヴルキア』という鍵を使うための鍵が『汚染獣』であると予想できた。」
と、ここでカリアンが困ったような表情をしたのを見て、ガルロアは少し驚いた。
「だがね、今度は『汚染獣』という鍵をどう使えばいいのかがまるで分からない。
まるで、さっぱり、分からない。
それからこの都市に来てからの君達の行動もわからない。
『汚染獣』が鍵だという私の予想と、君達の行動は、まるで噛み合わない。」
この人でも困ることがあったり、分からないことがあったりするのかとガルロアはなんとなく気が楽になった気がした。
「彼女が汚染獣に寄生されているのか、もしくは極小のサイズの汚染獣でも連れているのか、はたまた私には想像のつかない形で彼女と汚染獣に何らかの繋がりがあるのか、などと色々なことを考えたが、しかしそのどれもが君達の行動に結びつかない。
汚染獣がイコール都市を破壊する存在であるのに対して、君達はまるでそんな様子を見せなかった。
むしろ、君にいたってはこの都市を汚染獣から護ってくれた。
ここまできてしまうと、鍵が鍵としての役割を果たしていない。
鍵が疑問を解くどころか、その妨げになってしまっている気すらする。
だから直接聞こう。
『ユリア・ヴルキア』、『汚染獣』、この二つはどう繋がる。
君達はこの都市に一体何をしにきた?」
カリアンの、その今までとは違う態度に、ガルロアは少し面食らう。
が、しかしだからといって下手なことをするつもりはなかった。
「一つ目の質問ですが、答える気はありません。二つ目の質問ですが、それは分かりきっているでしょう。僕達はこの都市に入学しに来たんです。」
「ふむ・・・・・。『ユリア・ヴルキア』と『汚染獣』が繋がることは否定しないのだね。」
「否定したってもう意味はないでしょう。いまさら、僕が否定したからといって会長が考えを改めるとも思えませんね。」
それもそうなのだが、とカリアンは顎に手を当てる。
「・・・・・それなら、二つ目の答えについてきこうかな。ツェルニに入学しに来たというのは、本当に本心かい?」
「本心です。さっきも言いましたが、僕は、僕達はこの都市に拘る理由なんて特に無いんです。どうせならここが良いけど、ここがダメでも次がある、とかその程度のものです。
だから、この都市に入学以外の目的を持つことなんか有り得ませんね。」
「そうか・・・・・・・」
カリアンは顎に手を当てたまま考え込む。
「それで、僕達の処分はどうなるんですか?」
ガルロアは焦れったい思いをしながらカリアンに問いかける。
そして返ってきた答えは驚愕に値するものだった。
「・・・・・・・・・君達の入学を許可しようと思う。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
ガルロアはカリアンの言った言葉を即座に理解できなかった。
「・・・・・・・聞こえているかい?君達の入学を許可しようと言ったんだよ?」
「えっ?えっと!?一体、どういうことですか?」
「君達がツェルニという学校に入学することを、ツェルニ生徒会会長である私が許可しようということだよ。」
「いえ、それは分かるんですが。」
ガルロアは混乱する。
こんな展開になるとは全く予想していなかった。
自分の望んだことのはずなのに全く受け入れられなかった。
「なぜ、いきなり、僕達みたいな明らかな危険人物を入学させようというのですか?」
「君達を入学させることによるメリットと危険性、君達を入学させないことによるデメリットと安全性。どちらを選ぶかの選択で、私は前者を選んだというだけだ。
君達がこの都市で過ごしていた期間の行動、ガルロア君がこの都市を護ってくれたという事実、それから今ここで話した内容。
それら全てから、君達の危険性は低いと判断し、それなら多少のリスクを負ってもハイリターン、つまり君達の入学によるメリットをとる方が得策だと考えただけだ。」
だからといってそれだけで納得していいものなのか・・・・・と考えて、そしてガルロアは気付いた。
実際にはガルロアは、ユリアが暴走することなどないと信じているために、危険性など無いも同然だと思っているのだが、カリアンはムオーデルが何故ユリアを危険だと判断したのかを知らないのだ。
ムオーデルがユリアを危険だと判断したことは知っていても、それが何故なのかは知らないのだ。
カリアンは、ユリアの圧倒的なまでの戦闘力を知らないのだ。
もしかすると、カリアンはレイフォンがいればどうにかなると思っているのかもしれない。
ユリアとレイフォンが戦ったときにどちらが勝つかは実際には分からないが、しかしガルロアはユリアの方が強いと思っている。
それをカリアンは知らない。
ムオーデルの判断した危険性を甘く見ている。
が、カリアンの甘い見積もり。
というより外見上はただの少女であるユリアがそこまでの力を持っていると考えられる人間もそうはいないだろうが、カリアンがその例にもれなかったことは、ガルロアにとっては幸運だった。
「・・・・・入学させてくれるというのなら、喜んで入学させてもらいます。本当に良いんですか?」
「ああ。まぁ、いくつか条件をつけさせてもらうが、しかし大したものじゃない。」
「条件の中に『質問に答えろ』とか言うのがあったりはしませんか?」
「それで答えてくれるというのならもちろんそうするが、しかしそうではないのだろう?」
「まぁそうですけど。」
「それならそんなことはしないさ。もちろん、詮索や調査をやめるわけではないけれどね。」
カリアンが不敵に微笑む。
「そう・・・・ですか」
詮索を辞めるつもりは無いというカリアンの言葉に多大な不安を覚えながらガルロアは相槌をうつ。
「さて、それでは条件のことなのだが・・・・・・・。」
そうしてカリアンの言った条件は、確かに本人の言った通り、どれも大したものではなかった。
「・・・・・・・分かりました。それらの条件を呑みます。」
「そうか、それは良かった。それではいくつかの書類を渡すから、それらを書いて事務の窓口に提出してくれ。私の推薦が入っているから、編入試験なしでも入学できる。
編入に必要な手続きは全部そちらがやってくれる。その際、詳しい説明なども聞いておくといい。
さて、話はこんなものかな?」
カリアンが何枚かの書類、編入手続きのための書類を二人分渡してくる。
「そうですか。それなら、僕はそろそろ退室します。外でユリアが待ちくたびれているかもしれませんから。許可を出してくれてありがとうございます。」
ガルロアはカリアンから書類を受け取ってから扉へと向かってきびすを返す。
「ああ、ちょっと待ちたまえ。」
立ち去っていこうとするガルロアの背中に声がかけられた。
「最後にもう一つだけ聞いておきたいことがあるのだが。答えたくなければ答えなくても構わないよ。」
「何ですか?」
ガルロアは振り返ってカリアンの話を聞く。
「もう一つ、分からないことがあってね。君の事だ。
明らかなる危険人物と、なんの迷いも無く行動をともにしている君の心を知りたい。
一体、何故君は彼女と一緒にいるのかな?」
「どうしてって、そりゃ、」
そしてガルロアはここきてから初めての楽しそうな笑顔を浮かべる。
「彼女を愛しちゃってるからです。」
笑顔のまま言い切って、カリアンの呆けた顔に少しの満足感を抱きながら、そして今度こそガルロアは部屋を出て行った。
†††
「ごめん。ユリア、待っててくれたの?」
ガルロアが生徒会棟をでると、そこにユリアが静かに佇んでいた。
ユリアはガルロアに気付くとスタスタと近寄ってきた。
「ずいぶん長くかかったわね。」
「うん、ゴメン。ずっと待っててくれたの?」
「そういうわけじゃないわ。少し散歩して、ミィフィと、ナルキと、メイシェンと、それからレイフォンと、へんな男の人に会ったわ。」
「そっか。へんな男の人っていうのはちょっと気になるけど。」
「でも、ロアと一緒に歩いてるときが一番楽しいわね。」
「・・・・・・・ありがと。」
ユリアの飾り気の無い正直な言葉にガルロアは少し照れる。
「それよりさ、ツェルニに入学できることになったよ。今、生徒会長と話してきて、それでツェルニに入学できることになった。」
「そう。それは良かったわ。」
ユリアが柔らかに微笑む。
そんなユリアの微笑を見て、少しドキッとした自分の胸を押さえながら、ガルロアは大きく息を吸って、はいた。
ユリアは警戒すべき相手じゃない。
ユリアは危険人物ではない。
その本質は汚染獣かもしれないが、
しかし、その本質に、もはや意味など無い。
「それじゃ、これからどうする?」
「そうね・・・・・・・」
ガルロアとユリアは連れ添って歩き出す。
その二人の姿からは、警戒の必要性も、危険性も、存在しているようには見えなかった。