それは異常な光景のはずなのに、どうして違和感がないのだろうか。
それは不自然な光景のはずなのに、どれだけ見ても自然な光景に見えてしまう。
世界がそれを許しているかのように。
世界がそれはそうあるべきだと肯定しているかのように。
その光景はひどく自然に見えて、
そして少年はそのことが、ひどく気持ち悪かった。
少女から100メル程はなれた位置で停止する。
『ほんとに行くんですか。』
念威操者が少年に問う。
「ここまで来たんだ。行くよ。」
少年は答える。
『わかりました。もう何も言いませんよ。気をつけてくださいね。』
そう言って、彼は何も言わなくなった。
これは呆れたからではなく、集中しろという彼の意思表示である。
「うん。わかった。」
少年はそれに答えて、
そしてランドローラーから降りて呟いた。
「レストレーション」
その瞬間彼の手元から光がはじけ、次の瞬間には彼の手に、今までなかったはずのものが握られていた。
それは白金錬金鋼でできた大剣だった。
錬金鋼とは、武芸者の使う武器である。
元は掌大の大きさの物だが、そこに剄を流し込み、復元鍵語を唱えることで、それは大きさ、性質、質量などを、設定した形へと復元させる。
錬金鋼にも青石や紅玉など様々な種類と、それぞれの特性があるが、少年の持つ白金は剄の伝導率に秀でている。
少年がこの錬金鋼に剄を注ぎ込めば、汚染獣すら容易く絶命させられるほどの一撃を生み出すことができる。
現に、先ほどの雄性3期の汚染獣の首を切り落としたのも、この大剣による一撃だった。
それほどの武器を一人の少女と相対するだけの事にそなえて復元させたのは、少年が少女に対して、なにかを感じていたからだろう。
目に見える範囲では、少女の印象は華奢だった。
地面に引きずるほどまでに伸びた長い黒髪が1番の特徴だろうか。
少年がここまで近づいてきたのに、まるでこちらを見ようともしないその横顔は、普通の女の子と何も変らない。
黒い瞳と、すっとした鼻。桜色の唇と白い肌。
結構な美人で、こんな状況でさえなければ彼女が裸でいるというのは、少年にとっても少しは喜ばしいことなのではなかろうか。
それほどまでに普通の少女に見える、
普通の人間に見える、
そんな少女を、
少年は異常なほどに警戒していた。
「お前は、・・・・・なんだ。」
話せるぎりぎりの距離にまで近づいた少年が問いかける。
『誰だ』ではなく『なんだ』と聞いたのは、どこからどう見ても人間である彼女を、少年が心のどこかで『人間とは思えない』と思っていたからだろう。
しかし、彼女は少年の問いかけには応じなかった。
「お前は、なんだ」
再度、問いかける。
それでも彼女は反応しない。
「答えろよ」
少年が剄をぶつけて威圧した。
そうしてやっと彼女は反応した。
ゆっくりと少年の方へと振り向き、
両者の目があった。
その瞬間に少年は大剣を構え、
そしてなんの前触れも無く、両者はいきなり激突した。
轟音が響き・・・・・・・、そして少年は膝をついた。
防ぐのがやっとだった。
何とかギリギリ目で追えるというほどの速度で迫ってきた彼女の攻撃は、防ぐだけで精一杯だった。
そして、これ以上は何もすることができないだろうと悟った。
それはただの掌底だった。
移動にも攻撃にも剄は使われていなかったのに、並みの武芸者を圧倒的に上回る速度と威力によって繰り出された彼女の掌底に、少年は何とか大剣を振り合わせた。
が。
彼の大剣は彼女と打ち合った衝撃で粉々に破壊された。
予備に錬金鋼を一本持ってはいるが、大剣ですらない、ただの剣の形を記憶させたその錬金鋼では、彼女の攻撃を防ぐことなどできないだろう。
奇跡的に遮断スーツは破れていないようだが、彼女が次に攻撃してきた時点で、自分の死は確定だろうと少年は理解した。
(はあ。都市に戻れって言われたときに、素直に従ってれば良かったなぁ。『神童』って呼ばれるの嫌だったけど、それでもそう呼ばれて調子に乗っちゃってたのかなぁ。自分より強い存在なんて、今までいなかったからなぁ。初めて遭った自分より強い存在が、ここまで圧倒的ってのは、僕に運がなかったのかな)
そんなことを考えながら、少年は次の一撃を待った。
自分の命を奪っていくだろう一撃を待った。
少しは抵抗したいのだが、最初の一撃で体がしびれて動かない。
時間の流れがひどく遅く感じられる。
こんなに色々と思考しているのに、まだ最初の打ち合いからコンマ1秒も経っていないだろう。
(走馬灯って奴なんだろうな。)
だからなのだろう。
彼女の次の攻撃がなかなかこない。
いつまで経ってもこない。
そのように感じてしまうのは。
それでも、いずれくるであろうその攻撃に備えて、少年は心を落ち着かせて、最後の瞬間を待った。
それなのに、
『・・・丈夫ですか!大丈夫ですか!』
少年の耳に念威操者の声が聞こえてくる。
少年の時間の流れが元に戻ってきているということだ。
しばらくして、体のしびれも抜けてくる。
(おかしい。絶対におかしい。もう10秒以上経ってるはずだけど。なんで攻撃してこないんだ?僕の存在を塵も残さずに消すために力をためているのかな?)
そんなことを考える。
体の痺れが完全に抜ける。
それでも攻撃はこない。
なぜ攻撃してこないのか。
先ほどはいきなり襲い掛かってきたのに。
(よし。)
少年は意を決して少女の方を向く。
やはり攻撃はこなかった。
代わりに声が聞こえてきた。
「あなたは、・・・・・誰?」
鈴のような、綺麗な音だった。
念威操者もその声を聞いて押し黙る。
誰の声なのか、即座に理解はできなかった。
だから黙っていると、少女がまた口を開いた。
最初に見た横顔の、何も映していないような、虚ろな感じのする瞳ではなく、
最初に目を合わせたときの、ぶつけられた剄への興味、剄をぶつけた少年の実力への興味を宿した。
ともすれば、狂気的ともいえそうな瞳でもなく、
ただ純粋な、
それでいて、投げやりな感じのする瞳を少年へと向けて、
一応、聞いておこうかといった風に、彼女はまた口を開いた。
「あなたは、誰?」
あんまり綺麗な声だったものだから、警戒していたことも、殺されかけたことも忘れて、つい答えてしまった。
「ロア―――――――ガルロア・エインセル。それが僕の名前だ。」