夕暮れ時。
夕飯の食材などを買うために、多くの人が大通りを行きかう。
そんな大通りから路地に入り、しばらく進んだ先に一つの道場があった。
『アーヴァンク流 破剣術』
かつては栄えていたが今では廃れ、そこにはもはや当主の老人しかいなかった。
そして今、そんな道場の門を叩く小さな子供が一人いた。
「ぼくっ・・・・・、俺を入門させてくだ・・・・、させてくれ。」
そうやって門を叩き続けていると、やがて当主の老人が扉を開けて現れる。
「なんだ小僧。何のようだ」
短く刈り上げた白髪や、顔に刻まれた皺が、老人が相当に年を取っていることを示しているが、しかしその鋭い眼光、鋼のように鍛えられた身体、そして身にまとう気迫は、周囲を無条件に威圧し、まるで老衰を感じさせることはない。
「・・・・・・・・・うっ・・・・・。」
子供が怯む。
それを見た老人は幾分か自分が発している剄の量を抑える。
「それで、何のようだ小僧。」
子供は怯みながらもなんとか声を絞り出す。
「・・・・・・・お、・・・俺をこの道場に入門させてくれ。」
老人は子供を一瞥し、小さくため息をついた。
「お前、何歳だ。」
「・・・・・八歳・・・・。」
「下らん嘘をつくな。正直に言え。」
「・・・・・五歳。」
子供は老人にあっさりと嘘を見破られたことに驚く素振りを見せながら、渋々といったように実年齢を答える。
「ふん。五歳の子供が、こんな時間に、親も連れずに、この道場に入門しに来たと。」
依然として威圧感のある口調で老人は言う。
「五歳であることは良い。この都市で武芸者になろうとするなら、まあ少し早いが妥当な入門時期だ。
こんな時間にきたのも、まぁ大体の理由は察しがつく。この道場に来る前にいくつも他の道場を回ったのだろう?こんな廃れた道場にまでやってくるということは全て断られたんだろうが・・・・・。親を連れていないことも絶対におかしいと言えるようなことではないから良しとしようか。
それで?なぜこの道場にきた?なぜこの道場に来るまでの全ての道場で入門を断られた?」
老人の言葉に子供は黙り込む。
「まぁ、これも大体の察しはつくがな。お前、名前を言ってみろ。姓だけで良い。答えろ」
「・・・・・エインセル」
「ふん。やはりな。まるで聞いたことのない家名だ。」
老人は納得したように頷く。
「悪い言い方をすればだ、道場も一つの商売だ。都市は道場に援助金を渡し、道場はその金で武芸者を育て、育てられた武芸者は都市のために尽くす。道場が繁栄すればするほどに都市からの援助金も増える。強い武芸者がいればいるほど、道場は繁栄する。
だがな、都市からの援助金が増えれば増えるほど、武芸者が強くなるとは言い切れない。
どういう意味かは分かるだろう?」
「・・・・・・・・・」
子供は何も答えない。
「この世にはどうしようもなく、才能という曖昧にして絶対のものが存在してしまっているということだ。」
何も答えない子供のことを特に気にする風もなく老人は勝手に言葉を紡ぐ。
「道場が栄えるほどに都市からの援助が増えるといっても、都市からの援助が限られている以上、一つの道場に入れる人数には限りが生まれる。程度の差はあれど、しかしそこには必ず限りが生まれる。そして、道場にとって繁栄とは、その限りの中にどれ程の強者がどれだけいるかによって決まる。
良い道場に多くの武芸者を、より良い道場にさらに多くの武芸者を。都市はそうやってよりよい道場に多くの援助をするが、しかし武芸者は金で強くなれるような存在ではない。金で変わるような強さなど微々たる物だ。
武芸者の強さなど金とは全く関係ない部分、つまり才能で決まってしまう。」
子供は何もいわずに黙り込む。
「だからこそ、道場は才能のあるものを入門させたいんだよ。最初から強くなりそうなものを入門させて、道場を繁栄させるんだ。
だがしかし、才能などというものは目で見て簡単に分かるようなものではない。そこで分かりやすい基準になるのは親だ。親の才能は多くの場合その子にも継がれる。
だからこそ、道場は強い武芸者の家の子を入門させようとする。逆を言えば道場としては入門させたくないというような者もいるわけだ。全く無名の武芸者の家の子とか・・・・・な。そういう者は、行く道場行く道場で入門を断られるわけだ。」
その言葉に子供は歯を食いしばる。
「しかし・・・・・・・、こんなところに来るまで、断られ続けるというのも少し異常だな・・・・・・・。もしかしてお前、成り損ないの家の子なのか?」
成り損ない。
この都市にはそう呼ばれる武芸者がいる。
それはこの都市のシステムに由来する。
汚染獣との遭遇が多いこの都市は、剄脈を持つ人間が多くいる。
他都市と較べて危険が高いこの都市で、他都市と同じような額の援助や給金では武芸者が納得しないのは当然であり、それなのに剄脈を持つ人間は他都市より多い。
それゆえに、この都市では、都市の決めた基準を満たしたものだけを武芸者と認めるというシステムをとっている。
そうして認められた武芸者は、有事の際に都市のために行動することを義務付けられるが、その見返りとして日ごろの援助と、その際の報酬を得られるのだ。
都市を守るための武芸者を育てるために道場への援助は無条件でするが、個人の武芸者に対する日々の生活の援助には条件がつく。
そして、その条件を満たせなかったものは成り損ないと呼ばれ、武芸者として生きることのできない一般人となる。
「おい、どうなんだ?」
答えない子供に老人が問い詰める。
「・・・・・違う」
しかし子供は首を横に振る。
「それでは、何故だ?孤児で親が分からないのか?素性の分からない武芸者を引き取りたがる道場というのも、そうないだろう。」
孤児というのもこの都市には良くあることだ。
汚染獣に教われる回数が多いのなら、当然、死者の数も多く、自然、孤児の数が多くなる。
だが老人のこの問いに、またも子供は首を横に振った。
「なら、何だというんだ。さっさと言わんか」
老人の苛立った口調。
それに身を竦ませながら子供はおずおずと話し出す。
「お・・・・俺の親は―――――――」
「待て」
話し始めた子供の言葉を老人が即座に遮る。
「お前は、少しでも舐められないようにとそんな口調で話しているのだろうが、鬱陶しい。良いから慣れている話し方をしろ。」
これまで全ての道場で入門を拒否され続けたがゆえの、子供の考えだったのだが、これもまたあっさりと見破られていたことに子供はまたも驚く素振りを見せた。
「・・・・・僕の親は二人とも一般人です」
その言葉に老人は少し目を見開いた。
「ほう。突然変異というわけか。珍しいな。」
武芸者は、どちらか片親が武芸者でなければ生まれないというのが定説ではあるが、ごく稀に一般人の両親から武芸者が生まれることがあり、それを突然変異型という。
「なるほど。一般人から生まれた武芸者に期待を寄せる道場はこの都市にはなかったということか。なるほどなるほど。・・・・・お前の両親はどんな人間なんだ?」
「お母さんは僕が生まれた頃に死んじゃったって聞いた。それでお父さんは毎日働いてる。」
「生まれた頃に死んだ・・・・・・・か・・・・・。」
老人が考え込むように口の中で呟いた。
一般人が剄脈を持った胎児を出産するのには、母体に相当な負荷がかかる。
普通なら、余計に体力を消耗するだけということだが、稀に運が悪く死ぬことがあるらしい。
生まれた頃に死んだというのは、この子供の父親が曖昧に誤魔化しているだけで、実際には生まれたと同時に死んだのではないか・・・・・と、そんな老人はそんなことを考える。
「・・・・・ふむ。まぁ事情は分かった。ところでお前の父親は、お前がこうしてここに来ていることを知っているのか?」
「・・・・・知らないはず・・・・・」
「それで。親も連れずに身一つで期待できるかどうかも分からない自分を入門させろとやってきたというわけか。それはいささか世を舐めているのではないか?」
「・・・・・・・それでも、僕は武芸者になるんだ。」
「・・・・・む?」
老人は子供の目を見る。
それは意思のこもった真っ直ぐな目だった。
だがそこに、この年齢の子供たちに良く見られる、武芸者へと対する無条件の憧れの色はなく、
その瞳は、真っ直ぐに何か一つの目的を見据えているようだった。
「なぜ、そこまで武芸者になりたがる。」
老人は聞く。
憧れ以外の理由で、この年の子供が武芸者になりたがるとは。
現実を教えて諦めさせ、適当に追い返そうとも思っていたのだが、老人はこの子供に興味がわいた。
「うちは貧乏なんだ。お父さんが、毎日働いて疲れてるんだ。武芸者になればお金がもらえるって聞いた。だから僕はお父さんのために武芸者になりたいんだ。」
老人は子供の目をじっと見つめながら子供の言葉を聞く。
「そうか・・・・・。」
老人は小さく呟いて、
そして口の端を面白そうに吊り上げた。
「金のために武芸者になろうと。・・・・・ふん。不浄だな。・・・・・だがその根幹は父のためだと言うわけか・・・・・。俺はそういう理由は好きだ。明確な目的を持っているやつは好きだ。定まってるやつは好きだよ。」
老人は面白そうに言う。
「お前の目はしっかりと前を見据えているな。・・・・・面白い。・・・・・どうせ俺が死んだらつぶれる道場だ。最後に弟子を取ってみるのも悪くない。ならば、お前の入門を許可するのも悪くない。」
「本当っ?」
老人の言葉に子供が目を輝かせる。
「だがな、ここまで廃れてしまったこの道場に、都市は援助金を出してはくれんのだ。だから本当なら金を取りたいところだが、しかし俺が死ぬまでは十分に持つ貯蓄もあるのに金をもらっても意味がない。だから代わりに、道場の掃除・・・・・は当たり前として、そうだな、・・・・・まぁ色々と雑用をやってもらう。・・・そうだ、お前料理はできるのか?」
「・・・・・できない・・・です。」
子供がしゅんとして答える。
「そうか。まぁそれならそれで良い。半年ぐらい俺がそれも教えてやろう。男の料理だが、できないよりはマシだろう。それでだ。そうだな。明日から毎日、朝六時にここに来い。それで俺の朝飯を作れ。お前の朝飯は家で食ってきてもいいし、ここで食わせてやっても良い。そこから夕方六時まで稽古や雑用やらをやってもらう。そんで夕飯を作ってもらう。夕飯も家で食ってもいいし、ここで食わしてやっても良い。まぁ、最初の半年ぐらいは俺も手伝うがな。」
老人は矢継ぎ早にこれからの方針を話していく。
子供はあたふたとしながら、それらを小さく口の中で繰り返し覚えようとする。
「昼食はここで食うしかないが、朝食と夕食は家で父親と食べるのが良いと俺は思うがな。まぁ、そんなことはどうでも良いか。それで?分かったか?明日から毎日、朝6時だ。」
「うん。分かっ・・・・・、分かりました。」
老人の確認に子供が元気よく答える。
「それじゃぁ、お前の名前を聞いておこう。今度は名の方だ。」
「ガルロア。ガルロア・エインセルです。」
「そうか。俺の名はジーク・アーヴァンク・ヴァードだ。」
「よろしくお願いします。」
そう言って子供、ガルロアは大きく頭を下げた。
こうして、久しく門下生のいなかったアーヴァンク流の道場に一人の子供が入門を果たしたのだった。
†††
「行ってきます。」
ガルロアは勢い良く家を飛び出す。
ガルロア、八歳。
ガルロアがアーヴァンク流の門下生になってから三年が経っていた。
この三年でガルロアはめきめきと実力をつけ、師のジークにも、お前が成り損ないになることはないだろう、と太鼓判を押されていた。
後、一年もすればきっと都市の基準を満たせる。そうなれば、それは異例の早さだろうな、とジークは言っていた。
早く都市に認められて、父親の助けになりたい。
その一心で毎日修行を重ねてきた。
本当に毎日。
入門してからの三年、ほとんど休むことはなかった。
そして、ジークも毎日付き合ってくれた。
そのことに感謝しつつ、今日の朝ごはんは何を作ろうと考えつつ、ガルロアは道場まで走る。
そして道場に着いたとき、ガルロアは思わず立ち止まった。
道場の前に誰かが立っている。
「あの、何をやってるんですか?」
「んあ?」
ガルロアが話しかけるとその人は気だるそうにガルロアのほうへと振り向いた。
肩の辺りでばっさりと切られた燃えるような赤毛と、もはや赤に近い茶色の瞳をした恐らく二十前後のとても背の高い女性だった。
その女性はガルロアを見て笑いかける。
ニコリというよりはニヤリといった感じのとても性格の悪そうな笑みだった。
「よぉ。もしかしてお前、この道場の門下生か?」
話し方まで性格の悪そうなものであり、ガルロアは警戒しつつ質問に答える。
「はい。そうです。」
「そっかそっか。じゃぁ、やっぱここだな。ジジィ一人とガキ一人の二人しかいねぇ訳の分からん廃れた道場ってのは。」
その言い草にガルロアは少しむっとする。
「それで、何の用です?」
そして帰ってくる答えにガルロアは驚愕することになった。
「ああ。あたしはここに入門しにきたんだわ。」
女性の名前はレティシア・ハルファスというらしい。
彼女は自分を堂々と武芸者だと名乗った。
つまり既に都市に認められているのだろう。
「レティシア・ハルファス。ハルファス家の娘がこんな道場に何のようだ?」
ガルロアが作った朝食を食べ終えたジークが、道場の中でレティシアと向かい合う。
ハルファス家といえば、都市でも名の知れた有数の武芸者の家だ。
ガルロアも知っていた。
「さっき、言ったろ?ここに入門しにきたんだよ。」
レティシアはジークの質問の真意が分かっているだろうに、飄々と適当なことを嘯く。
ジークは小さくため息をつくと、再度質問を開始する。
「何故、ハルファス家のものがこんな廃れた道場に入門しようとする。」
「ハルファスだからといって、廃れた道場にゃ入門しちゃいけねー理由があんのか?」
「これまでいた道場はどうした。」
「やめてきた。」
「何故」
「正確に言うと破門された。」
「何故」
「より正確に言うのなら、あたしがハルファスだからって破門したくても破門できないって嘆いていた当主を見かねて、あたしの方からやめてあげたのさ。」
「だから何故かと聞いている。」
「何故って、ハルファス家を敵に回したら怖いと思ったからじゃねーか?」
「それを聞いているわけではない。」
「ひっひっひっ。」
人を小馬鹿にしたようなそんなレティシアの態度にジークは青筋を立てる。
「貴様、俺を馬鹿にしているのか」
ジークがレティシアを威圧するが、しかしレティシアはニヤニヤと笑ったままなんら動じることはなかった。
「怒るなよ。寿命が縮むぜ?」
「貴様・・・・・」
ジークがさらにレティシアを睨みつけ、そしてようやくレティシアは諦めたように肩をすくめた。
「分ぁった分ぁった。真面目に話すよ。あたしは別にどの道場でもいいんだ。特に所属したい道場があるわけでもねーけど、でもほら、所属してる道場があると楽だろ?」
「楽?それって、どういうことですか?」
ガルロアが思わず問い返す。
「ん~?ガキんちょじゃまだ知らねーか?この都市じゃ武芸者はよく書類を書くことがあってね?武芸者大会の時とか、戦争のときとか、汚染獣戦のときとかにね。そんで、そん時に所属道場を書く欄があんのよ。別に書かなきゃ書かないでもいーんだけど、それだと結構面倒な手順を踏むことになっちゃってね。」
「・・・・・そんな理由で俺の道場にきたのか。」
レティシアの言葉にジークが苛立った声を出す。
「いやいや、他にもあるぜ?稽古できる場所が欲しいってのと、組み手できる相手が欲しいってのが。」
「たいして差はない。帰れ。」
ジークが門の方を指差す。
だがレティシアはまるで動こうとしなかった。
「まぁ頼むよ。ほら、そこのガキんちょの稽古の相手とかもしてやっからさ。じーさん一人じゃ大変だろ?」
「いや、必要ない。俺一人で十分だ。それに、そこのガルロア。そいつは実力だけならもはやそこらの武芸者に引けを取ることもあるまいよ。」
「えっ。マジ?こんなガキが?」
「えっ。本当ですかっ?師匠?」
ジークの言葉にレティシアとガルロアが同時に驚きの声を上げる。
レティシアは自分のことなのにレティシアと一緒になって驚いていたガルロアを不審げに見つめ、そしてジークのほうに向き直る。
「おい、じーさん。本人も相当驚いてるみてーだけど、今の話って本当に本当なのか?」
「本当のことだ。この道場には俺とガルロアしかいなかったし、ガルロアは武芸者大会を見に行ったこともなかったから、比較する対象がなくて知らなかったのだろうが、ガルロアはもうその程度の実力はつけている。」
「それなら、何で武芸者承認試験を受けさせねーんだ。」
「それなら、早く武芸者承認試験を受けさせて下さい。」
また、レティシアとガルロアの声が重なる。
その様子にジークはため息をつきながら答える。
「この道場には俺とこいつの二人しかいないしな。それにこの道場と合同訓練をやってくれるような道場もない。だから、こいつは集団戦の訓練がまるでできていないんだ。それなら、集団戦ができないという事実を周囲に黙らせるだけの実力をつけさせなくてはいけないだろう。だから承認試験を受けさせるには後一年は必要だろう。」
ジークの答えにレティシアは納得したように頷き、ガルロアは悔しそうに項垂れた。
「ん?なんだガキんちょ。そんなに武芸者なりたかったのか?」
「うるさい。ガキんちょって言うな。」
茶化すようにいうレティシアにガルロアは文句を返す。
「・・・・・なんだよ。怒るなよ。そんな落ち込むことねーだろ?あと一年じゃねーか。それって相当すげーことだぜ?いわゆる天才児ってやつだね。」
なおも茶化す様子のレティシアを見かねてジークは声をかける。
「そいつはまだ子供だが、しかししっかりとした明確な目的を持って武芸者を目指しているんだ。何もしらないお前が無責任にそんなことを言うのは余り褒められたことではない。」
「ん?そうなの?てっきり武芸者に憧れてるだけのガキだと思ってたけど、そういうわけじゃねーのか・・・・・・・。へー。こんなガキが強いってぇじーさんの言葉。実はあんま信じてなかったけど、それなら信じてもいい気分になってきたわ。」
レティシアが目を細めて、性格の悪そうな笑みを浮かべる。
「ふん。そういえばそうだな。一応、聞いておこうか。お前は何故武芸者になった?なんのために戦う?」
「ん~?そりゃぁ、ほら、・・・・・武芸者の誇り~とか、武芸者の義務~とか、そんなんじゃねーの?」
いかにも気だるそうな調子でレティシアが言う。
「ふん。もしもお前が本気でそのようなことを言っているのなら、俺はお前が大嫌いだな。まぁ元々嫌いだが。」
「へっ。あたしもあんたみてーなじーさんは嫌いだよ。・・・・・けど、まぁ気は合いそうだな。あたしも誇りとか義務とか、そういう言葉は嫌いだよ」
「俺はそれらの言葉が嫌いだとは言っていない。それらを戦う理由にするやつが嫌いなだけだ。」
「おう。あたしは誇りや義務って言葉そのものが嫌いだが、まぁおおむね同意見だ。あたしも誇りとか義務とかってのを戦う理由にするやつが大っ嫌いだね。
そんな奴らは糞喰らえだ。ほんとにいらいらする。」
と、そこで、今まで飄々としていたレティシアの雰囲気がガラリと変わる。
「・・・・・ほんとにいらいらする。マジでむかつくわ。
くそったれが。
てめぇらは誇りなんて目に見えねぇ不確かなもんのために命をかけんのか!?てめぇらは義務なんて、他人に強制される形で命をかけんのか!?
甘えてんじゃねー逃げてんじゃねー!!
もっと明確な何かのために命をかけろよ!!しっかりと自分の意思で命をかけろよ!!
ふざけてんじゃねー舐めてんじゃねー!!
ああっ、ったく!畜生!忌々しいっ!」
いきなり激昂したレティシアにジークとガルロアは言葉を失う。
「この都市には、そんなやつらばっかりだ。誇り誇り誇り義務義務義務。そんな訳のわかんねーもんにとりつかれて、まるで何も分かっちゃいない。大事にするもんを間違ってるだろ!?守るべきなのは誇りだの義務だのじゃねーだろ!?
都市を守るのが武芸者の誇りであり義務であるってか!?都市を守るってのは武芸者っつー集合的観点から見た目的だろ!?それを個人の目的にすんじゃねーよ!!身の程知らずだ。できるわけねーだろそんなこと!」
怒りとともにレティシアの周りに剄が吹き荒れる。
とても荒々しく、そして悲壮感あふれる剄だった。
「現実を見ろよ!!現実的に掴めるものを戦う目的にしろよ!!それができねーからてめぇらは弱ぇーんだ。すぐに死ぬんだ。手につかめる目的もって、その目的の中に自分の命も含めろよ!!都市を守るだとか何とかっ・・・・・。
気取ってんじゃねーよ。かっこつけてんじゃねーよ。死ぬことは美徳じゃねーぞ!?てめぇの勝手な自己満足に悲しむ人間がいることを忘れんな!!」
レティシアの叫びにジークとガルロアは押し黙る。
そんな沈黙がしばらく続き、そしてその後、ようやく少し落ち着いたらしいレティシアが少し気まずそうな表情をした。
「・・・・・確かに、この都市の武芸者は命よりも誇りを重んじる風潮があるな。・・・・・・・確か十年以上も前か・・・・・。強力な汚染獣に襲撃された折、ハルファス家の当主が命と引き換えに汚染獣討伐の活路を開き、辛くも勝利した・・・・・ということがあったな。」
「・・・・・しってんのか、じーさん。うん。そいつはあたしの父親だ。都市のために命を散らした誇り高き武芸者・・・・・・・。はっ。あたしに言わせりゃ、ちょっと格好いいだけのただの自殺だよ。ダッセェな。」
はき捨てるような口ぶりでレティシアが言う。
「・・・・・だが、そやつとて家族を守ったことに変わりはないだろう?命を賭して貴様を守っただけなのかもしれないではないか。」
「はっ。父親のことはどうでもいいんだよ。あたしが気にいらねぇってんのは、この都市の武芸者が、誇りって言葉を簡単に死んでいい理由にしてるところだよ。」
「しかし、それはこの都市の戦闘の厳しさゆえだろう。皆が皆、己の命を捨てる覚悟で挑まねば勝てない存在がこの都市には頻繁に来るのだ。命よりも誇りを重んじて戦わなければ勝てない相手がいるのだ。だからそれは、致し方ないことではないか。」
「分かってるよ。分かってる。あたしだってもう何度も戦場に出てる。それでも気にいらねぇ。どいつもこいつも誇りだ何だといって簡単に命を諦める。
最後まであがけよ!死ぬならもっとマシな理由で死ね!」
ガルロアはレティシアの言葉に押され呑まれ圧倒された。
自分は武芸者になることを目標としていて、しかし武芸者になった後のことはさして真剣には考えていなかった。
レティシアの言葉から、武芸者という存在の過酷さを教えられた気がした。
そして、師がどんな表情をしているのだろうかと師の顔を覗き込む。
ジークは楽しそうに笑っていた。
「俺に怒ってどうする。・・・・しかしお前・・・・・・・俺が思っていたより、意外に面白いやつだな。なかなか気に入った。」
ジークの言葉にレティシアもまた性格の悪そうな笑みを浮かべる。
「そりゃ良かった。あたしはあんたみてーなじーさんは嫌いだけどな。」
「俺はな、定まってるやつが好きなんだよ。その目で何かをしっかりと見据えているやつが好きだ。その意味ではお前は合格だ。この道場に入門させてやってもいいと思える。」
「そうかい。そりゃ良かった。廃れた道場の当主のくせに言うことだけは立派だな。」
「だがな、俺は貴様のような女は嫌いだ。そんなやつを入門させたくなどない。」
「へー。それならどうしろってんだ?」
そしてジークは面白そうな口ぶりのまま続けた。
「それなら力づくで入って見せろ。さっき稽古がどうのと言っていたな。それならガルロアより弱いようじゃ話にならん。
貴様の言っていたことは正しいが、しかしこの都市の中ではそれは綺麗事の理想論だ。それでも、それを踏まえてなお、あれだけのことを言い切ったんだ。それなりに実力はあるのだろう?」
それを聞いてレティシアの目が妖しく光る。
「別に構わねーし、あたしもそこらの武芸者相手に引けをとることはないってぇ程度のガキんちょに負けるつもりもねーが、でもあたしは今、実戦用の練金鋼しかもってねーよ?」
「実力者なら、子供相手に怪我をさせるようなことはないだろう。お前が本当に実力者なのだったらば・・・・・な。まさかできないとでも言うつもりか?」
「この・・・・・クソジジィ。いいよ。その挑発に乗ってやる。ほら、ガキんちょ。準備しろよ。」
いかにも気だるそうな調子で投げかけられたその言葉に、ガルロアは目を白黒させる。
「えっ??えっ??えっ!?」
自分を置いてけぼりにしてどんどんと進んでいく会話にガルロアは完全に混乱していた。
「落ち着けよ、ガキんちょ。怪我ぁさせるつもりはねーから、少し付き合ってくれねーか?」
「えっ!?えっ??えーと!?・・・・・??僕の武器はどうすれば・・・・??」
「そこの訓練用の模擬剣を使えばよかろう。お前はこのアーヴァンク流の道場の一番弟子だ。そんな女に負けるなよ。」
「さっきまで、僕が負けることを前提として話してませんでしたか?それに一番弟子って、この道場、僕一人しか門下がいないじゃないですか。」
「どうでもいーだろ。さっさと準備しろよガキ。」
「ガキって言うなよ!」
「そいつは悪かったね。さっさとやろーか。レストレーション。」
レティシアはガルロアを適当にあしらいながら練金鋼を復元させる。
それは手甲と足甲だった。
「ほう。格闘術か。それなのに、よく剣の道場に入門しにやってきたな。本当に訳の分からん女だな。」
ジークが本当に楽しそうに言う。
「自分でもわかってるよ。それで前の道場でも実質破門されたんだ。剣の道場で格闘術を使うとは何事かってな。まぁ、入門するときもほとんど脅迫して無理やり入ったよーなもんだから別に気にしちゃぁいねーが。さっきも言ったろ?あたしにとっちゃ道場ってのは手続きの簡略化と、稽古場と組み手相手の確保って意味しかねー。」
「悪魔みたいな女ですね。師匠も結構性格悪いですが、あなたほどじゃないですよ、もー。」
ガルロアは不満をたれながら、ようやく模擬剣を手にとって構える。
ガルロアの体格から見れば、少し大振りな気のある剣だった。
「そいじゃぁ、はじめようか。じーさん。合図頼むわ。」
「うむ。そうだな。」
そうしてジークはガルロアとレティシアを道場の中心に残して、道場の端へと移動する。
「それでは。」
ジークが手を上げる。
「始めっ!!」
上げた手を振り下ろす。
その瞬間空気が変わる。
今までニヤニヤとしていたレティシアが真剣な表情となり、燃えるようでありながら冷酷な、そのほとんど赤色といっていい様な瞳でガルロアを睨みつける。
今までジーク以外の人間と戦ったことのないガルロアは、場数を踏んでいないためにその瞳に呑まれかけ、しかし瞬時に立て直す。
が、ガルロアが一瞬呑まれたそのときにレティシアは動いていた。
レティシアの右の拳が凄まじい勢いで迫ってくる。
ガルロアはそれを一瞬遅れながらも、模擬剣ではじく。
するとレティシアは、今度は右足を真上に振り上げた。
ガルロアはそれを後ろに飛ぶことで何とかギリギリでかわし、そしてそのまま距離をとる。
振り上げた足の勢いのまま、宙で一回転してから着地したレティシアは、ひゅうと口笛を吹いた。
「へー。じーさんの言うとおり、意外とやるもんだな。最初に一瞬、隙だらけだった瞬間があったけど、それを除いて、・・・・・今のがまぐれじゃなきゃ、確かにそこらの武芸者並みの力はありそうだ。・・・・・・しっかし、あれだな。お前みたいな小さいのとやるのは、やりにくいな。体格差がありすぎるわ。」
ガルロアはその言葉を流して下段の構えを取る。
そして今度はガルロアから動いた。
一気にレティシアとの距離を詰め、下段に構えた剣をそのまま振り上げるようにしてレティシアの足を狙う。
レティシアは左足の足甲でそれを受け、ガルロアのレティシアから見れば小さな体を吹き飛ばす。
吹き飛ばされたガルロアはすぐに体勢を立て直し、そして前を見る。
「えっ!?」
しかし、そこにはもうレティシアはいなかった。
一体どこに!?
刹那の間迷う。
そしてすぐに後ろから迫る気配に気付いた。
「うあぁぁぁぁぁぁっ!!」
ガルロアは振り向きざまに背後へと剣を振る。
しかしそれはレティシアには届かなかった。
レティシアはガルロアの剣を左腕の手甲で受け止め、そして右手でガルロアの胸倉を掴んでいた。
格闘家に懐に入られた。
「残念だったな。ここまでだ。」
レティシアはふっと笑う。
やはり性格の悪そうな笑みだった。
レティシアはガルロアの足を払い、そして体勢を大きく崩したガルロアに、胸倉を掴んだ右手から衝剄を放ち、ガルロアを床へと叩きつけた。
ズダンっと大きな音が道場に響く。
「がはっっ」
背中の痛みにガルロアは大きく息を吐いた。
「勝負あり・・・・・だよな、じーさん。これでいいだろ。ガキんちょにも怪我させてねーし、おまけに剄技だって使ってねー。まぁ実戦用の練金鋼で剄技を使っちまうと間違いなくガキんちょに怪我させちまうってだけだったんだけどな。・・・・・しかしなんだこいつは?弱いと思ったら以外に強いし、そう思ったのに意外とあっさり勝負が決まっちまった。でもまぁ、これで文句ないだろ」
レティシアが確認するようにジークに聞く。
「旋剄を使ったろう。あれだって立派な剄技だ。しかし面白い旋剄の使い方だったな。ガルロアには消えたように見えただろうな。それから、ガルロアは場慣れしていなくてな。俺以外の人間との実戦経験など今回が初めてだ。武芸者になれさえすれば、武芸者大会に出すなりして経験を積めるから余り問題視はしていなかったのだが。」
「ああ、そうかい。しかし、この道場、廃れてるにしてはこのガキんちょは結構強かったし、・・・・・なんでこんなに廃れてるんだ?」
「廃れているからといって、必ずしもその流派が弱いということには結びつかんということだ。」
「そっかそっか。」
レティシアは特に興味もなさそうに答える。
「それより早く勝負ありって言ってくんねーかな。審判はじーさんなんだ。じーさんが言わなきゃ終わんねーだろ」
レティシアのその言葉にジークは舌打ちをした。
「なんだ、気付かれていたか。」
「・・・・・・あたしを嵌めようとしてたのかよ。クソジジィ。」
「ふん。まぁいい。勝負ありだ。仕方がない。お前の入門を許可してやろう。さっき言った通り、ガルロアの稽古をしてやるという条件をつけさせてもらうがな。」
ジークが心底嫌そうな口ぶりで、しかし楽しそうな表情をして言う。
「そりゃ、どーも。」
レティシアが相変わらずの性格の悪そうな笑みを浮かべて返す。
「あっ、あのっ。」
そこで、ようやく起き上がったガルロアがレティシアに声をかける。
「さっきのあれ、いつの間に、っていうかどうやって僕の後ろに回りこんだんですか?」
そんなガルロアにレティシアはさらに笑みを深くして答える。
「そりゃ、おいおい教えてやるよ。なんたってあたしはこれからあんたの稽古をつけることになっちまってるからな。」
そんなレティシアの笑顔にガルロアは言い知れぬ、大きな不安を感じた。