一人旅とは言っても、風の向くまま、気の向くままとはいかず、舗装された街道をゆったりと歩く青年、氷川銀河。
白い旅人の服に青いマント、背には包帯を巻いた〝銀河の剣〟。
格好だけなら、普通の旅人と変わらず、むしろ冒険者として見るなら低いランクに落ち着いてしまいそうな風情にも関わらず、しかし銀河の足取りは軽い。
理由は明白、彼は旅をするにあたって、周囲の景色を楽しんでいたのだ。
「~♪」
思わず鼻歌でもやり出しそうな青年の視線の先には、夕暮れに染まった草原が見える。
幻想的と言ってもいい景色を見ていると、もういっそこのままでもいいんじゃないかと思わなくもないが、いやいや呆けている場合ではないと持ち直す。
エルシオーネを発って既に半日。
行けども行けども草原には終わりが見えなかったが、昨日魔物退治をした森を通り過ぎた辺りの十字路で、一つの看板があった。
『東:エルシオーネの街
西:レント港
南:ルティア鉱山
北:グランディア城』
どの道を行くかは多少悩んだが、今の銀河としては少しでも広い世界の情報を得たかったため、『レント』なる港町に行く事に決める。
グランディアなる城にも興味はあったが、今は城よりも港。少しでも広い世界を見たい。
しかし、昨日言った『エルス鉱山』とはまた別の『ルティア鉱山』とは、この辺り一帯はいい鉱石が取れるのかもしれない。
「一人旅……………かぁ」
この景色、何だか一人で眺めるのは勿体無い気がする。
何よりつい数日前まで現代日本の大学生だった青年にとって、喋る相手が居ないというのは些か違和感があった。
まだ数日なので、辛いという訳ではない。
だが、これから先。当ての無い旅を続けるに当たって、連れが誰もいないというのは――――。
「きつい……………かね? どうなんだろ、わかんねぇ」
まあ、なるようになるさあ。
そんな事を考え出して、ふと前方に違和感。
魔物だ。
もう何度も感じ、いい加減慣れ始めた感覚だが、だからと言って無視する訳にもいかない。
舗装された道で、見晴らしのいい草原だからとて、魔物が出ないという訳でもない。
むしろ背の高い草に身を潜め、通りがかった人間を引きずり込んで襲うなどというえげつない真似をする魔物もいるのだが、今の銀河には知る由もなかった。
それはともかく、今回彼が感じ取った魔物の気配は二つ。
その方向に視線を向けてみれば、その瞬間、草の中から弾丸のように何かが飛び出してきた。
が、頭を狙ったその攻撃を直撃させてやるほど銀河は甘くない。
ガシッ、と片手で掴んでみれば、その正体は全長一メートルはある巨大なウサギ。ただし、ツノつき。
〝いっかくうさぎ〟の上位種、〝アルミラージ〟である。
一メートル前後とは言え、丸々とした体型のその魔物を片手で、しかも宙づりにする銀河の握力と腕力にはもう敢えて言及しないが、魔物の数はもう一匹存在する。
背後から殺気を感じ、銀河はひょいと頭を左に傾げる。
同時に、つい一瞬前まで銀河の頭があった場所を、サッカーボール大のオレンジ色の物体が通過して行った。
常人には早すぎて分からなかっただろうが、銀河の動体視力ならば捉えられる。
笑ったような顔をオレンジ色のタマネギに貼付けたようなその容姿は、〝スライムベス〟をおいて他にないだろう。
奇襲のハズの攻撃を躱された形になったスライムベスは、しかし、街道の上でキキッと制動、こちらに向き直る。
仕切り直し、となった銀河と魔物だが、ふいに銀河はまだ右腕に握っているいっかくうさぎを眺めた。
きーっ、と鳴くそのウサギを、銀河は、
「ふんっ」
思い切り振りかぶり、スライムベスに投げつけた。ツノの方を先頭にして。
ぞぶりゅっ、という嫌な音が響いた。
いっかくうさぎのツノが、スライムベスの胴体のど真ん中を貫通した音だ。
即座に身体を薄れさせてGへと変わっていくスライムベスを尻目に、銀河はいっかくうさぎへと肉薄。
その脚を高々と振り上げ――――
「りゃっ!」
かかと落としの要領で、魔物の身体を〝両断〟した。
「日が暮れてもうた……………のんびりし過ぎたかもわからんね」
風景に気を取られていると、いつの間にか辺りは夜の暗闇に包まれていた。
薄暗くなってきたところで〝ライトフォース〟を使用していたので視界に困るという事はなかったが、実際この方法はどうにかならないものか。
何せ光っているのは自分の身体なのだ、周囲から見れば人間が光っていると一発で分かってしまう。
別に襲われたとて、魔物では銀河をどうにか出来る訳ではないので構わないのだが、目立たないに越した事はない。
こういう事も考えなきゃなとか脳内で考えながら、銀河は野宿の準備をする。
流石に徹夜二日目である。寝なきゃ死ぬというほど睡魔が襲っている訳でもなかったが、寝れる時に寝なければ身体に悪いというのも事実。
まあ不意をつかれても死ぬ事はあるまいし、怪我も〝ベホマ〟で直せる。
なら別にいいかと、街道から少し外れたところにある近くの木に寄りかかり、目を閉じる。
――――あれ、何で俺こんな自然に野宿体勢?
不思議に思ったものの、まあ拒絶感がないのはいいかとポジティブな思考に切り替え、銀河の意識は闇に落ちて行った。
そして翌日。
目を覚ました銀河の周囲には、無数の金貨が転がっていた。
「寝ながらもオートで戦闘出来るのかよ……………」
呆れながらもGを拾う辺り、銀河もこの世界に馴染んで来た証かもしれなかった。
そんな生活を繰り返して一週間。
少し好奇心で何日まで徹夜が出来るのかと試したところ、なんと最初の一回以来、全く眠らずに活動する事が可能という驚愕の事実が発覚した。
しかし睡眠はよくても、食欲はそうもいかない。
用意した食料もそろそろ尽きかけ、こいつはそろそろやばいかなと思い始めたある日の夜。
「お。明かり発見」
前方……………恐らく一キロ弱。
明らかに人工物であろう、オレンジ色の明かりが見えたのだ。あれは……………灯台か?
僅かすぎて気付かなかったが、視覚だけではなく聴覚でも、近くに海があると知らせている。
アブねぇ、ギリギリだった、と思いつつ。
「さて、ひとっ走りっと」
背中の刀と鞄を背負い直し。
ぐ、と脚に力をこめ、己の全力を試す意味でも、銀河は全速力で草原を駆けた。
港町レント。
古来、繁栄した都市の多くが河川や海沿いにあった事からも、水辺と文明の関係性は深いものであるという事が分かる。
元は貿易港として建造されたこの街も、船舶の停泊に適した陸地に自然と人々が集住し、海上を結ぶ交易都市として発達していったという。
「ふーん……………まあ、成り立ちはいいんだけどさ」
入り口に置いてあった看板を思い出し、銀河は街の中心街を歩いていた。
深夜とあって、人影はまばらだ。入り口にいた兵士にも「こんな夜更けまでお疲れさまです」などと言われてしまった。
よくよく考えれば、もう徹夜を続けて六日目だ。
別にそこまで眠い訳ではないが、そろそろ寝なければ活動に支障が出るかもしれない。
戦闘中に睡魔に襲われるなんて目も当てられない状況は御免被る。あ、いや、寝ながらもオートで戦えたんだっけ。
まあいいや、寝れる時に寝ておけ、という訳で、銀河は今宿屋を目指して歩いていた。
〝ぅぃー、ひっく……………勝てば戦の華なりよぉ……………〟
数えで十二人目の、何やら変な歌を歌う酔っ払いとすれ違った頃、銀河は宿屋に辿り着いた。
金はある。黒竜丸やエルス鉱山、そしてこのレントまでの道のりでも多数の魔物を倒した事もあり、手持ちの金額は2000Gを超えていたのだ。
ふんふーん、と酔っ払いに影響されたのか、妙な鼻歌と共に、銀河は宿屋の扉を開けた。
「はぁ? 船に乗れない?」
翌日。
朝一番の便でどこか適当な大陸へと渡るつもりだった銀河は、船の乗り口で、思わぬ足止めを喰らっていた。
受付を担当していた男は、カールした前髪をいじりながら、困ったように笑って言う。
「そうは言っても……………規則でして。グランディア国発行の許可証がなければ、冒険者は船に乗れないんですよ」
曰く、許可証。
大陸間の冒険者の数や質のバランスを偏らせないための制度らしいが、果たして誰がこんな事を考えたのか。
ともあれ、今の銀河にとってこの制度は、行く手を阻む邪魔者以外の何者でもなかった。
「そこを何とか……………ほら、お金ならこんなに」
「駄目です。というか、犯罪ですよ、それ?」
「分かってますよ。言ってみただけです」
さて。
「うーん、じゃあグランディアとやらに行ってみます。お邪魔様でしたー」
「はい。許可貰えればいいですね」
立ち去ろうとした矢先、受付員が妙な事を言う。
その言い方が、どこか引っかかった。
「〝貰えればいい〟? 誰でも貰える訳じゃないんですか?」
「ついこの前まではそうだったんですけどね。前の王様が亡くなられて以降、新たに許可を貰った冒険者は一人もいなんですよ」
形だけの制度が本格的に機能しだしたんですかね、と呑気に言う受付員は、その事に対してあまり興味がない様子。
船に乗るのは冒険者だけではないので、別に冒険者が船に乗れなくても困らないという事だろうか。
だが受付員の男と違い、銀河は冒険者である。
許可証が貰えるかどうかは死活問題であり、もし貰えなければ、銀河はこの大陸から出られない事になる。
「いやまあ、それでも別に構わんのだけどさぁ……………やっぱ船って、こう、冒険って感じがするじゃん?」
購入した大陸の地図を広げ、銀河は唸る。
どうやら銀河が今いるこの大陸は、レントとエルシオーネ間の距離から計算して、銀河ならば一年あれば踏破出来そうな広さだった。
全て歩くのに一年であるから、人里を尋ねるとあればそれよりも遥かに短い時間、数ヶ月で可能だろう。
「数ヶ月後にまた来る……………ってのもアリだけど、どっちにしても許可証はいるしね」
しゃあ、と銀河はレントの入り口で気合いを入れる。
今回は、旅人の服に包帯を巻いた銀河の剣だけと、来た時と比べれば随分身軽な格好である。
実は二日で戻って来る予定なので、荷物その他は宿屋に預けっぱなしなのだ。
伝説の装備を置きっぱなしにするのは些か不用心と言わざるを得ないのだが、宿屋から鍵を預かっているし、何より現代日本に住んでいた銀河には盗難に備えるという意識が薄かった。
まあ、今はそれは関係ない。
目指すはグランディア城。
護衛として馬車に乗せて貰うのも駄賃が手に入って一石二鳥だったが、生憎と馬車よりは銀河が自分で走った方が圧倒的に早い。
今度は地図もある。
レント~エルシオーネ間をのんびり歩いて一週間だった。
ならば、ここからグランディアまで、しかも走れば――――。
「一日弱」
ニヤリ、と笑みを浮かべる。
ググッ、と両脚を踏ん張り、銀河はグランディア城を目指して走り出した。