何故ここに、という思いはあった。
だが同時に、やはり、という思いもあった。
勇士を募ったとは言え、碌な対策も講じないまま、こうして自ら討伐に赴くなど、彼女――――クリスの今までの行動からは考えられないような愚行だが、今の彼女にはそんな事を考える余裕はなかった。
先遣隊の少女を治療した青年。
その存在が心に引っかかって、居ても立ってもいられなくなり、自らが率先して討伐隊に参加したのも、全ては彼の事が胸に引っかかっていたからだ。
結果として、クリスのその直感は当たっていた。
彼女とて馬鹿ではない。
先遣隊から知らされた場所に、明らかに戦闘の行われた痕跡と戦装束の冒険者の姿があれば、何があったかは想像がつく。
ましてや、その冒険者が酒場で見た顔であれば尚更、だ。
それに、この場所に来る直前、彼女のパーティーは、遠目にながらもはっきりと目にしていた。
洞窟内だというのに、目を覆わんばかりの閃光。同時に轟く雷鳴。
クリスは過去に一度、あの現象を見た事がある。
剣を扱う者ならば誰もが憧れる極地。全ての剣技を超える必殺剣。
――――喚霆斬、ギガスラッシュ。
「君は……………! そこで何をしている!?」
知らず、声が出ていた。
問いかけではない。ただの確認だ。
青年が振り向く。
その顔は、いくらか覇気が感じられないものの、酒場で見た姿と同一人物であった。
「……………あー……………」
帰って来たのは、ため息とも唸り声とも付かない声。
眉間に皺がより、目頭を片手で押さえている、心底、面倒そうな表情だった。
その態度に思う所が無い訳ではないが、一応、言わなければならない事はある。
「この場所はエルシオーネのギルドによって立入禁止になっていたハズだ。もう一度問う。ここで、何をしていた?」
「……………はぁ。何でこうもスムーズに行かないんだろ」
顔をしかめたまま、がしがしと片手で頭をかいた後、青年は改めてクリスたちの方へ向き直る。
心なしかその瞳には、少しばかりの覇気が戻っていたような気がした。
到着したのは、四人。
酒場にいたリーダー格の女戦士に、先遣隊の少女を治療していた女僧侶、後は魔法使い風の男と盗賊らしき男が一人。
中々バランスのいいパーティではあるが、しかし、あれほど好戦的な意見を発していたもう一人のリーダー格の男戦士の姿が見えない事には多少疑問が残る。
まぁいいか、と銀河は思った。
目立ってしまったのは仕方がない。あの言い方からして、女戦士の方は既に自分が何をしたか想像がついているだろう。
――――さて。
別にここで洗いざらい吐いてしまおうか、という気持ちがなかった訳ではない。
しかしそうしてしまえば、もう力の事を隠し続けるのは厳しいだろうし、何よりこれから先の展開が非常に面倒臭いものになりかねない。
そう、つまり、銀河は面倒臭かったのだ。
先ほどの思考で自分の本性を暴きかけたところに、この事態。
故に、取った行動が、
「〝ステルス〟」
「なっ!」
「き、消えた!?」
魔法使いと盗賊、二人の男が戸惑いの声を上げる。
それもそのハズ、今の今まで彼らの目の前にいた銀河の姿が、スッと透けるようにして消え去っていたのだから。
――――上級職〝レンジャー〟の持つ〝サバイバル〟スキルによってのみ習得可能な特技〝ステルス〟。
ゲーム内であれば敵から姿を発見されなくする効果を持っていたこの特技だが、画面のエフェクトを見る限り、その効果はどうやら〝術者の姿を透明にする〟もののようだ。
ゲーム内ではその便利さ故に頻繁にしようしていたこの特技だが、上級職という存在自体が希少(のようだ)のこの世界において、その効果はまるで得体の知れないもののように捉えられた。
事実、魔法使いと盗賊の二人は、この事態に対して狼狽えるばかり。
だが、残りの二人は違った。
人間の姿が消えるという異様な事態にあってなお、戦士と僧侶、二人の女は冷静を保ったままだったのだ。
「………………クリスさん」
「ああ、分かっている」
僧侶のかけ声に応じ、クリスと呼ばれた戦士が目を瞑る。
まるで精神統一するかの如く固く目を閉じた彼女は、次の瞬間、カッと目を見開き、
「……………そこだっ!!」
「っ?」
腰に佩いた〝鋼の剣〟を抜き打ち、虚空を薙いだ。
普段であれば空振りにおわるはずの抜き打ちは、しかし、ガキィン! という金属音に遮られる。
「やはり居たか………………貴様、何者だ?」
そう告げるクリスの視線の先には、繰り出された鋼の剣を、銀河の剣を握った片手で受け止めている銀河の姿があった。
心底驚いたようなその表情は、勘だけで〝ステルス〟を破られるとは思っていなかった故か。
その表情を見て、彼の内心を悟ったのか、クリスは口元を歪ませる。
「生憎と気配を探るのは得意分野でな………………だが」
黒と蒼、二つの刃が十字を描くその向こうで、女戦士は視線を険しくする。
「やはり先ほどのような特技を使う人間を、私は見た事はない。答えろ。貴様は何者だ?」
人間は消えない。これが彼女たちの常識。
だが、魔物はその限りではない。古今、人間に姿を変えたり、突然その姿を消した魔物の伝承はあちこちに存在している。
呼称も、〝君〟から〝貴様〟へ。
纏う雰囲気も人間に対するものではなく、むしろ敵、魔物と相対する時のソレへと近くなっていく。
流石にこのままではマズイと感じたのか、銀河も、その視線に答え――――
「ごめん」
剣を持っていない方の拳を固く握り、女戦士の腹部に叩き込んだ。
戦闘状態に入ったはずの冒険者四人の誰もが反応できない速度。
女戦士の腹部を覆っていた赤い鎧が粉々に砕け散った。
ズシン、と重低音がその場にいた人間の鼓膜を震わせ、少し遅れて風圧が洞窟の中を駆け巡る。
「クリスさん!」
「お前、何て事を!」
っ、と息が漏れる声が聞こえるが、無視。
カラン、と力の抜けた女戦士の手から鋼の剣が落ちる。
一言も発さず崩れ落ちた女戦士を、仲間が心配する声も、それすら無視。
むしろその隙に、銀河は再び〝ステルス〟を発動させ、その場から全力で立ち去っていた。
待ちなさい、という声が聞こえた気もするが、当然の事ながら、銀河は立ち止まる訳もなかった。
「何やってんだ、俺は」
数刻後。
〝何故か〟覚えていた洞窟内の道を逆戻り、月夜のエルス鉱山の山頂で、銀河は己の両手を見ながら呟いた。
〝黒竜丸〟との戦闘で熱く、不安定になっていた思考は既に冷えている。
普段の冷静な思考が出来るようになった頭は、何故こんな事をしたのかと訴えていた。
立ち入り禁止区域に入って〝何か〟をしていた見慣れぬ男を問いつめた冒険者を、殴って逃亡。
明らかに〝何か後ろめたい事があります〟と言っているような、不審人物の行動である。
「……………だって、仕方ないじゃねぇか。そんな正解ばっか選べるような頭はしてないんだよ」
確かに、もっと他の選択肢もあったはずだ。
冒険者たちに正直に話したり、素性を隠しつつ当たり障りのない事でごまかしたり。
少なくとも〝殴って逃亡〟よりはマシな行動だっただろう。
だが、全ては終わった事。過ぎた事。
どの道を選ぶかよりも、既に選んだ道をどう生きるかが重要だと、銀河は思っていた。
やってしまった事は仕方ない。
大事なのは、これからどうするかだ。
「とりあえず……………いつまでもあの街にはいられんよな」
顔はばっちり見られた。
捜索網が敷かれるのも時間の問題だろう。
誤解を解かない限り、もうエルシオーネの街では、堂々と生きる事は不可能に近い。
しかし誤解を解くという事は、すなわち全てを暴露する事とイコールだ。今更ごまかしは通用すまい。
身を隠して生きる、という手もあるにはある。だが平和な日本で生活していた銀河は、そういう〝裏の〟社会に入る事に抵抗があった。
だとすると。
「……………旅立つ………………か」
他の街に移る。
電子的なネットワークが皆無なこの世界だ、遠ければ遠いほど情報は正確に伝わらなくなるだろう。
学術都市に来た当初の目的、〝図書館で情報を集める〟事は達成できなかったが、仕方ない。
別に図書館のある街はこのエルシオーネだけではないだろうし、また別の場所を探すだけだ。
「そうと決まれば………………っと」
歩き出そうとした瞬間、銀河の左の空間を巨大な物体が通過した。
毒々しい青い鱗に覆われた、ぬめりと光る細長い胴体。
空飛ぶ大蛇、とでも形容すべきその魔物は、〝ウイングスネーク〟と呼ばれている。
フシュゥ、と凶暴な息を漏らしながら空中で見下ろされる形になった銀河は、この世界に来て何度目になるか分からないため息をつき、
「飽きないね、魔物(お前ら)も」
足場にしていた山頂の岩場を踏み砕き、跳躍。
魔物が行動を起こす前に、伝説の剣がその身体を両断した。
例によってカンストしていた素早さをフルに活かし、銀河は全力疾走でエルシオーネへと戻ってきていた。
行きは数時間かかった道のりも、走ると何と一時間未満で走破できたのだから、ほとほと呆れるしかない。
そんな事を考えながら、銀河はエルシオーネの街道を歩いていた。
既に日も完全に落ちてしまっているためか、周囲に人の姿はない。
エルシオーネを出る、とは言っても元より荷物は装備品の類のみの銀河である、特に荷造りなどは必要なく、泊まっていた宿屋も既に引き払っている。
では何故、まだ銀河がこの街にいるのかと言えば、
「流石にこの時間まで空いてる店はないよなぁ……………欲しかったんだけどなあ、地図」
地図。
旅をするには必需品である、地図を購入するためだ。
エルス鉱山に向かう前にも一度購入してはいたのだが、例の〝くさったしたい〟とのエンカウントによって紛失してしまったため、再び購入する羽目になってしまったのである。
だが、時間も時間。
こんな時間に空いている店など、宿屋を除けば、どこもかしこも〝真っ当な〟雰囲気ではない。
よくよく眺めてみれば、表のルートでは流せないような〝そういう店〟だからこそ手に入る商品などもありそうではあったが、今は別に必要ではない。
はぁ、とため息。
仕方が無い。
最悪、舗装された道を辿っていけば看板もあるだろうし、食料のみ購入していっても何とかならない事もあるまい。
銀河は腹を括った。
だがしかし。
武器・防具屋が空いていないこの時間に食料品など売っている訳もなく、結局銀河は街道のベンチに座って夜を明かす羽目になった。
この辺り、どこか考えの足らない男である。
だが、無論眠ってはいない。人の気配を察知したらすぐに移動するようにしていたため、誰の目にも止まっていない自信はあった。
現在は、ようやく山並みから朝日が覗いた頃の早朝。
〝朝市〟という単語を、現代日本のバイトの経験から知っていた銀河は、なんとか人間が本格的に活動し出す前に食料を手に入れる事に成功した。
とりあえず保存の効きそうな干し肉などを数キロ、飲み水なども購入。
さっき経験した、並のバイクよりも早い自分の脚の早さを考慮した結果、これくらいあればいいか、という結論に至った銀河は、それらを鞄に詰めて背負う。
既にその格好は伝説の装備ではなく、〝旅人の服〟に変わっていた。
見張りのいない街の入り口で、銀河は一度エルシオーネの美しい町並みを振り返った。
まだ滞在して二日弱。訪れたところと言えば、宿屋と図書館、ルイーダの酒場、商店街のみ。
全てを把握したとは到底言えない。心残りがないと言えば嘘になる。
だが、この街にいる訳にはいかない。思わぬハプニングによって、自分はこの街にいられなくなってしまった。
だから旅立つ。
考えようによっては、自分が元の世界に戻るには、情報が必要なため、旅に出るのは丁度いいかもしれなかった。
そんなポジティブな考えのまま、銀河は街から草原へ一歩を踏み出す。
銀河が広い世界へと踏み出した、暁の旅立ちだった。