流石にあの装備のまま武器・防具屋に行くほど銀河は間抜けではなかった。
まず向かったのは、服屋だ。
そこで値段を見比べてみて分かった事だが、いわゆる「布の服」ひとつとってみても、普段着用と冒険者のそれとでは全然価格が違う。
別に街を出歩くために着るものなので、安い方で結構。ついでに、後々便利になるであろう丈夫そうな革製の鞄も買っておく。
そうしてようやく人目につかない格好になった所で、武器屋へ。「樫の杖」「大木槌」を換金する。
その後防具屋へ行き、とりあえず着心地が良さそうで、かつ値段もお手頃なものを購入。
数刻後。
「よっし……………まあこんなもんじゃね?」
自身の格好を見下ろし、銀河は満足げに呟いた。
新調したもの:
E.銀河の剣(in包帯ぐるぐる巻き)(包帯2G)
E.旅人の服(70G)
E.布の手袋(50G)
E.布のズボン(80G)
E.皮のブーツ(70G)
ほか、普段着を数着(80G)
所持金:1186G
歳出:382G
残金:804G
外したローブやズボン、盾、兜は折り畳んで背中に背負う形の革製の鞄(30G)に入れておいた。
こういう時、鎧の類ではなくてよかったと思う。
しかし、意外にお金がかかるものである。分かってはいたが、そう簡単にブルジョワにはなれないという事か。
まあ何にせよ、準備は整った。
鞄を背負い、包帯を巻いた銀河の剣を肩に担ぎ、青年はルイーダの酒場へと歩きだした。
彼が肝心のルイーダの酒場の所在を知らないという事実に気付いたのは、数分後の事だったりする。
さて。
「到着っと。さて、何が出るやら……………」
行き着いたルイーダの酒場は、レンガ造りが多いエルシオーネの街の中にあって、珍しい木造建築だった。
西部劇に出てきそうな扉を開き、少し緊張しながら銀河は中に入る。
まず思ったのは、人が多い。大半は冒険者然とした風貌の者たちだが、中には一般人らしき者もいる。残念ながら、給仕はバニーちゃんではなかった。
意外と言うか、見渡してみれば、想像よりもずっと清潔だった。
「うお、なんか感動」
ルイーダの酒場だぜおい。俺、ルイーダの酒場に入っちゃったんだぜ。
心にひしめく感動を静かに味わおうとするが、よく考えればそんな場合ではないと青年は頭を切り替える。
既に近くにいた何人かの戦士風の男に怪訝そうな眼差しを向けられていた。
無遠慮に舐め回す視線。
そう言えば、今は「鉱山に現れた未確認の魔物」の対策会議だったハズ。
要約すれば、「皮や布装備の若造が何しに来やがった」とか、そんなところだろう。
一々応じていてはキリがないので、無視。
とりあえず、近くの空いている席に座ろうとする……………が。
「だから! 総攻撃をかけるしかないだろう!」
「先遣隊がどうなったのかを忘れたのか!? まだ相手の詳しい情報が得られない以上、迂闊に攻めるのは危険だ!」
「だからってこのまま放っておくってのか! あそこを取り戻さなきゃ、この街の資源はすぐに枯渇しちまうぞ!」
「誰も永遠に放置するとは言っていない! ただ、しっかり対策を練らないと、余計な犠牲者が出るだけだ!」
「もう怪我人は出てる! それに、あの魔物がいつまでもあそこに留まってるって保証もねぇだろうが!」
「作戦を練る事と、時間がかかる事はイコールではない! しかるべき対策を練るためにも、まずは情報が必要だ!」
「情報だぁ!? ハッ! この街で最高レベルの冒険者が四人がかりでも勝てなかった! その強さと凶暴性だけで討伐するには十分だろ!」
「……………ッ! とりあえず、調査隊の報告を待て! 攻めるかどうかは、その後だ!」
この酒場の、いや、この街の冒険者の中心人物なのだろう、戦士風の男女が言い争っていた。
とにかく攻めるべきだと主張しているのが男の方で、対策を練るべきだと主張しているのが女の方だ。
「白熱してるねぇ……………あ、ども」
それらを傍目に見ながら、銀河はちゃっかり飲み物を注文していた。
流石に酒ではなく、ブドウのジュースだったが。
ウエイトレスが運んで来たグラスを受け取り、銀河は論争の中心から目を離し、改めて周囲を見渡す。
戦士、武闘家、僧侶、魔法使いと言った基本職から、盗賊っぽい格好の男や、恐らく踊り子なのだろう、肌を過剰に露出させた女性なども見受けられる。
誰も彼も、一様に引き締まった様子。
自分のように飲み物を注文してくつろいでいる者など、確認できる範囲ではいなかった。
…………やべ、少しは緊張したフリでもするべきだったか。
青年がそんな事を考えたとき、急に荒々しく酒場の扉が開かれた。
自然、酒場の中が水を打ったように静まり返る。
先ほどまで白熱した議論を展開していた戦士風の男女も、口を閉ざして扉の方を見る。
「ほ…………報告…………します…………」
片足を引きずりながら入って来たのは、一人の女性。いや、まだ少女と言うべき年齢かもしれない。
しかし、その姿は少女が本来すべき格好ではなかった。
細い身体を包む、マントの付いた緑を基調とした服————恐らく「レザーマント」だろう————は、あちこちに赤い染みができ、特に右腕部分が肩から丸ごと破り取られ、肌が露出している。
短く切り揃えた緑色の髪は、今は額から流す血で真っ赤に染めていた。
整った顔は、苦痛と疲労に歪められていた。
どう見ても、重傷である。
「報告」と言っていた事から、恐らくは先遣隊なのだろう彼女は、何かを言おうとして……………そのままバタリと床に倒れた。
見えなかった背中部分も、まるで何かに引っ掻かれたかのような細い三本の傷が斜めに走っていた。
「お、おい!」
「だ、大丈夫か!?」
「誰か、回復呪文の使える者を! 僧侶はいないのか!?」
「先遣隊なんだろう!? 鉱山の様子は!?」
「今はそんな場合ではない! 人命が第一だ!」
たちまち騒ぎになる酒場。
誰の物とも知れぬ声が飛び交う中、青年は、真っ先に倒れた少女の元へと走り出していた。
確かに目立つのはマズイ。
だが目の前で人を死なせるのはもっとマズイ。
ほとんど衝動的な行動であった。
「ほ、〝ホイミ〟! 〝ホイミ〟! そんな、どうして効かないの!?」
「裂傷が酷過ぎる……………これは、初級や中級の呪文では手の施しようがない…………!」
「そんな…………! 目を、目を覚まして! 〝ベホイミ〟!」
人垣をかき分けて行けば、倒れた少女の下には二人の女性が居た。
先ほど議論していた戦士風の女性と、目に涙を浮かべて必死に〝ホイミ〟をかけ続ける僧侶風の女性。
しかしその効果は現れず、女性の手は光っても倒れた少女の傷は塞がる気配がない。
「駄目だ……………! せめて、〝ベホイム〟以上の呪文でなければ…………!」
「私が…………私がもっとレベルを上げていれば…………!」
「……………のいてください」
ハッと振り返る二人を無視し、青年は倒れた少女の傍らにしゃがみ込む。
「お、おい君、気持ちは分かるが、今は……………」
「すいません。ちょっと黙っててください」
皮装備の自分に何か言おうとして来た戦士風の女性を、視線だけで黙らせる。
悪いが、集中するには邪魔なだけだ。
そして一度、自分の右手を見る。
ここでやったら、多分後には引けなくなる。
見て分かる事だが、ここの冒険者たちは総じて————言い方は悪いが————レベルが低めだ。
そこで上級呪文なんて唱えれば、嫌でも目立つ。
————知った事か。
思い出すのは、昨日の事。
奇跡を成した己の姿。
————俺ならできる。俺は強い。
「〝ベホマ〟」
目を覆わんばかりの金色が、銀河の右手から溢れ出した。
「場所は…………鉱山の坑道の…………A-3地区…………そこに…………魔物は巣を作っています…………」
数刻後。
僧侶風の女性の腕に抱かれながら、少女は朧げな意識のまま言った。
酒場の全員が注視する中、先遣隊だった少女は続ける。
「気をつけて……………黒い馬……………とても…………強…………く…………」
そこで、少女の意識は途切れる。
とは言っても規則正しい呼吸が聞こえるので、ただ眠っただけだろう。
途端に、周囲がざわつき始めた。
それも当然だ、と戦士風の女性は————クリスは思った。
今倒れている少女は、まだ15歳ながら、既に「盗賊」としてはこの街でも右に出る者がいないほどの腕を持つ。
他に派遣した先遣隊の四人、その誰もが、このエルシオーネでも選りすぐりの冒険者たちだ。
だというのに、こうして帰って来たのはたった一人で、しかも重傷を負っている。
この街で「戦士」として最上位に位置すると自負する彼女でも、相手の正体がまるで掴めないのだ。
辺りを見渡してみれば、その魔物の強さにどう対抗するか頭を捻らせている者もいれば、もう駄目だと諦めている者もいる。
「ん……………?」
そこで、ふと違和感を感じる。
少し考えて、すぐに思い当たった。むしろ忘れていたのが不思議なくらいだ。
貴重な情報をもたらした先遣隊の少女。
その彼女を、ルイーダに登録されている者では使える者がいないハズの〝ベホマ〟を使用して治療した、あの青年。
驚いたり、問いつめようとした矢先に少女の意識が回復したりで、いつの間にか意識の外になっていたあの旅人の服を装備した冒険者。
その青年の姿が、ない。
「なんだ……………?」
妙な胸騒ぎが、クリスの胸を浸食していた。
————さて。
「どうすっかなぁ……………」
ルイーダの酒場から遠く、エルシオーネの路上で、銀河は呟いた。
少女の言葉が終わるや否や、最速で、かつ誰にも気取られず酒場を抜け出していたのだ。
あれだけ大人数の中で上級魔法を使ってしまったのだ、何か言われるであろう事は想像に難くない。
〝ベホマ〟ほどの魔法が使える人物は、それだけで噂になるのだろう。
でなければ、この大きな街で〝ベホマ〟が使える人物がいないのはおかしい。
そんな事よりも。
今の銀河には、確認したい事があった。
少女の言った言葉の中に、気になる単語があったのだ。
「〝黒い馬〟……………まさかな」
なんだかんだ言いつつ、既に青年の心は決まっていた。