ドサリ、と戦士風の男が崩れ落ちる。
それを皮切りに、青年の背後でドサッという音が聞こえた。
恐らく魔物の標的にされていた御者が地面に座り込んだ音だろう。
その時、咄嗟に倒れた男へと駆け寄りながら、銀河はこんなことを考えていた。
「(あれ……………俺、今何をした?)」
間に合った、と感じるより先に浮かんだのは、先ほどの自身の行為に対する疑問。
無我夢中だった、というのもあるかもしれないが、それにしてもスムーズ過ぎる。
中身は一般人の銀河だ、いざ魔物と相対しては足がすくんだりどうしていいか分からずにまごついてもおかしくない(スライムの時は、恐れより強い怒りに満ちあふれていたため例外)。
だというのに。
自分でも驚くほど滑らかに、銀河の身体は流れるように一連の動作を行った。
考えるより先に身体が動いた、ということであろうか。
とりあえずはそう結論付け、銀河は倒れた男の側に片膝をつく。
思ったよりも、男は重傷だった。
身体のあちこちに火傷の痕や何かで貫かれたかのような傷があり、左腕に至っては肩の鎧が丸ごと破壊されている。
もう少し青年の到着が遅れていたら、命に関わっていたかもしれない。
さて。
「……………使えるのか……………?」
己の右手を見つめ、銀河はそう呟く。
彼の職業がゲームの中通りだとすれば、その職種は「僧侶」。
癒しと補助の呪文を最も得意とする支援職だ。
だがゲームの中でなら腐るほど使ってきた呪文も、実際自分で使うとなると話は別。
「……………べ、ベホマ?」
何となく傷口に手を当ててそう呟いてみるも、変化はなし。
こいつはやべぇぜ、と意識を持ち直し、今度は集中するために目を閉じてみる。
魔法、などと言われても彼にはよく分からない。
しかし、このまま黙って戦士風の男が衰弱していくのを見るのは、何かが違う気がした。
俺ならできる。俺はLV99だ。俺は強い。
思い込みは自信となり、意志の力へと変貌する。
意志の力は生命力を魔力へと変換し、じんわりと、彼の中に新しい何かを生み出す。
気付けば、不思議な力が、己の右腕に宿っていた。
ああ、いけるな。
心の中でそう呟き、銀河は目を開けた。
「〝ベホマ〟」
目を覆わんばかりの金色の光が、翳した手から溢れ出した。
掌から放たれた光は分散し、様々な軌跡を描きながら戦士風の男の全身へと吸い込まれて行く。
そして光が収まった頃には、男の全身を覆っていた傷はすっかり消え失せていた。
男の目は未だ固く閉じられたままであったが、先ほどまで苦しげだった呼吸が今ではすっかり落ち着いている。
「………………うし!」
奇跡を起こした己の右手を握りしめ、銀河は小さく喜びの声を呟いた。
「いやはや、助かりました。本当にありがとうございます」
クレイと名乗った男は一見の印象通り、商人であった。
彼の話によれば、銀河たちが今いる森を抜けて南に行ったところにエルシオーネという大きな町があり、周囲で大きな人里と言えばその位だという。
他にも森の中に小さな集落や農村はぽつぽつと存在しているらしく、クレイもその中の一つからエルシオーネへと向かう途中だったという。
「エルシオーネってのは大きな学術都市でね。君も聞いた事くらいはあるだろう?」
目的の町へ向かう馬車の中、銀河はクレイからこの辺り一帯の説明を受けていた。
銀河がクレイの馬車に同行しているのは、簡潔に言えば双方の利益が一致したからだ。
クレイは戦士風の男が目覚めるまでの護衛が欲しく、銀河はとにかく人里に行きたい。
目的地は一緒ということで、ならばという流れになり、今に至る。
この時代に旅人は珍しくないらしく、クレイは命の恩人である銀河に「エルシオーネ」なる町について詳しく教えてくれた。
言葉が通じることに安心した反面、会話の端々に出て来る「エルシオーネ」「ラヴェンドリア」などという聞いた事のない単語を耳にし、「やはりここはドラクエ9の世界ではなかったのか」と、多少は落ち込む。
しかしこの世界では相当に有名な土地であるらしく、仮にも旅人が「知りません」とは言えるはずもないので、曖昧に茶を濁しておく。
「…………そういえば、ギンガさん、でしたかな」
「ええ。何か?」
「いえ。あれほど腕の立つお方ならば、噂くらいは聞いた事があるのではと………………職業は、何を?」
顎に手をあて、青年を観察するクレイ。
商人としての眼が、銀河の身につけた数々の伝説の装備を興味深げに観察している。
まあ、万が一価値が分かったところで、名称が分かる事はまずないだろう。
もはや半ば投げやりになり、銀河は正直に答えた。
「一応、僧侶を」
「……………そ、僧侶?」
まさか僧侶がそこらの業物を凌ぐ剣を持っていたり、オノを空中で掴み取って片手で振り回したりするとは思っていなかったのだろう。
馬車の手綱を握っていた御者までもが目を丸くしてこちらを見ている。
「あー、戒律厳しい宗派だったんです、ウチ。結構武闘派なんですよ」
「そ、そうですか。まあ、人には色々事情というものがありますしね……………」
咄嗟にフォローになってるんだか分からない付け足しをする銀河だが、即興にしては上出来の方だろう。
そうなんですか、そうなんです、と噛み合っていない会話をするクレイと銀河の耳に、微かな呻き声が聞こえてきた。
「おっ、お目覚めになられましたかな?」
「みたいですね」
馬車の後方、比較的揺れが少ない箇所に、先ほど〝ベホマ〟で治癒された戦士風の男、ウィリアムが横たわっていた。
兜が外されているため、短く刈り込まれた茶色の髪が露になっている。
彫りの深い目が、うっすらと開けられた。
「……………背中が痛ぇ。この揺れはどうにかならねぇのか」
「それはどうにもなりませんな。何にせよ、無事で何よりです」
ホッホッホ、と笑う商人に、銀河の脳裏に「楽天家」という文字が浮かぶ。
しかし頭を振ってそれを消すと、今度は銀河から声をかけた。
「一応回復呪文はかけときましたが、大丈夫ですか?」
「ん、おう、戦闘の怪我の方は大した事は……………ん?……………んん?」
ここで初めて銀河の存在に気が付いたかのように、まばたきを数回繰り返す男。
その後も頭を振ったりし始めたため混乱していると思われたのか、苦笑する商人から事情を聞かされた彼――――ウィリアムと名乗った――――は、ようやく銀河と話せる状態になる。
「ありがとな、兄ちゃん。助けてくれたみてぇで」
精悍な顔にニカッと笑みを浮かべ、男は青年の肩をばっしばっしと叩く。
結構力が込められていそうだったが、やはりというかダメージは無かった。
「いや、いても立ってもいられなくて。無事なら何よりっす」
自分の頑強さにいい加減呆れを覚え始めながらも、銀河はそう答えた。
ウィリアムは、その外見通り「戦士」と名乗った。
何でもクレイが立ち寄った村に里帰りしていた帰りに、護衛を引き受けたらしい。
「ま、もうちっとで死ぬとこだったがな」
洒落になってねぇよ。
内心そうツッコム銀河であったが、ここで怒るのもなんだか違うような気がしたし、本人が言っているのだから別にいいだろうと口を出したりはしなかった。
筋肉ムキムキな外見通り、豪気な人物である。
「商人のオッサンから聞いたんだが……………兄ちゃん、僧侶だって?」
「ええ、まあ。回復より打撃っていう武闘派ですが」
「謙遜するこたぁねぇ。僧侶で俺の「鉄のオノ」が扱えたって事は、オノのスキルは極めてるわけだろ? 戦士でも中々できねぇことを僧侶でやってるお前さんは、それだけで十分すげぇよ」
「そんなもんすか」
「そんなもんだ。腰の大層な剣も飾りじゃねぇだろうし……………いやはや、世の中には強ぇ兄ちゃんもいるもんだなぁ」
ガッハッハ、と豪快に笑うウィリアムだったが、会話の中で普通に「スキル」という言葉が出て来た事に銀河は少し驚いていた。
もう少しぼかすというか、あまりに直接的な表現は避けるだろうと踏んでいただけに、意外だった。
しかしここで突っ込んだことを聞くのも厄介な事になりそうな予感がするので、声には出さない。
町に着けば図書館くらいはあるだろう、そこで学べばいい――――そう思っていたからだ。
幸い、今向かっている「エルシオーネ」なる町は学術都市とのこと。
(こういうのを、「不幸中の幸い」って言うのかね…………)
ちょっとだけ内心でため息を吐き、銀河は馬車から外を見る。
先ほどまでは真上に昇っていた太陽が、今ではもうすっかり山々に隠れようとしている。
既に馬車は森を抜け、辺りの景色は一面の草原へと切り替わっていた。
その先に、やがて大きな町の影が姿を現す。
町に着いたのは、もう夕暮れ過ぎだった。
「いやはや助かりました。それでは、ごきげんよう」
「じゃあな兄ちゃん。今度会ったら一杯やろうぜ」
エルシオーネの入り口で、クレイとウィリアムはそれぞれ別れの言葉を口にした。
元より固定のパーティではなく、あくまで護衛と依頼主。目的を果たした後はサヨナラという訳だろう。
思っていたより、ドライである。せめて酒の一杯くらいは一緒に飲むと思っていたのだが。
と、銀河がそんな事を考えていると。
「あの…………」
「はいはい?」
声をかけたのは、御者の女性だ。
銀河と同い年か少し上、といった年頃の彼女は、少し頬を染めて、こう言った。
「ほ、本当に、ありがとうございました……………! か、神のご加護がありますようにっ!」
「は、はい、どうも…………」
「失礼しますっ」
すててて、と小走りにかけて行く御者を見送り、銀河は無意識にヒラヒラと手を振っていた。
僧侶、と名乗ったから、神のご加護というのは分かる。
だが、頬を染めていたのは…………?
「あー……………アレか。命の危機を救ったヒーローってやつか」
そういえば、初めてクレイやウィリアムと合流した時に斬ったはなカワセミは、御者の女性を襲っていたような気もする。
無我夢中なので詳しくは見ていなかったが、恐らくそうだ。
となると、あれか。俺にホの字か。俺に惚れたら火傷するぜ。いやいや、吊り橋効果で結婚した男女は離婚の可能性が高いと聞くぞ。こういうのはもう少しお互いを知ってからだな――――。
そんなアホな事を考える程度にはテンションが上がっていた銀河だが、ふと自分の境遇を思い出し、軽く鬱になる。
そうじゃん。俺、恋愛ごとにかまけてる暇ないんじゃん。
いいタイミングで冷静さを取り戻した青年は、まず一言。
「…………ごめんなさい」
俺は年下が好きなんだ。
そんな呟きを辛うじて飲み込み、銀河は夜の帳が降りつつあるエルシオーネの中心街へと歩き出した。
掃き清められた石畳の街道、その周囲を覆う滑らかに整えられた芝と街路樹、レンガ造りの建物。
エルシオーネの町並みは、正直言えば、銀河の予想よりも遥かに美しいものであった。
学術都市と言われるだけあって、通り過ぎる人々も、どこかインドア派な印象を受けるのは気のせいであろうか。
無論、そんな学者肌の人物が、見るからに異様な魔力を放つ装備品を身につけた若者を見逃すわけもない。
案の定、銀河は研究熱心な人物たちの好奇の目に晒される事となった。
夕暮れ時という事もあり、銀河にとって人が少なかったのは幸いだったと言えよう。無用の騒ぎは起こしたくない。
さて、そんなエルシオーネの一角に、巨大な大理石で造られた大図書館はあった。
単純に高さだけを言うならば、現代の三階建てビルに匹敵する。
しかし奥行きもかなりのものがあり、蔵書量に至っては検討もつかない。
だが。
「ほ、本日の営業は終了しました………………だと……………?」
まず向かった図書館は、案の定と言うか、閉まっていた。
まあ、電灯などの設備も無い時代、辺りが暗くなっては本も読めないのは道理。
諦めてまた明日来るより他はない。
軽く落ち込む銀河だったが、入り口に掲げてあった看板を見て、字が読めるという事が分かったのは僥倖と言えよう。
さて、どうするか。
色々とやりたい事はあるが、まずは今夜の寝床を確保する事が先決だろう。
幸い、町中の至る所に看板が設置してあるので、どこが宿屋なのか分からなくなるという事はない。
そこで、思い出したように腰の巾着袋を取り出す。
所持金、104G。
最初のスライムを倒した時に拾ったのが4G、馬車の護衛の報酬として貰ったのが100G。
それを見て、銀河はハッとする。
ゲームの中では有り余っていたため、気付かなかった。
そうだ。
図書館より先に、やるべき事があった。
「お金……………どうしようか」
しかし、今は夕暮れ。
何にせよ、今夜は宿を取って休んだ方がいいだろう。
肉体はそうでもないが、精神的にかなり疲れている。
「まずは、宿屋か。……………風呂、入りてぇなぁ……………」
片手で頭をかき、銀河は手頃な宿屋へ向かう。
「いらっしゃいませ、旅人の宿屋へようこそ」
「一泊したいんですが、個室はありますか?」
「はい。5Gになりますが、よろしいですか?」
「ええ」
小銭が無かったので巾着から100G金貨を取り出し、カウンターの上に置く。
「確認しました、少々お待ちください……………」
結局入ったのは、高くもなく安くもなさそうな、普通の宿だった。
始めから冒険する勇気はないし、かと言ってわざわざ悪い環境で寝たいとも思わない。
カウンターの主人がゴソゴソと何かを探している。
「ありました…………十三号室が空いております。どうぞこちらへ」
おつりの95Gと部屋のキーを渡すと、主人は銀河を案内した。
銀河は恰幅のよい主人の後に続いて小洒落た階段をのぼり、十三と書かれた真鍮の表示のある部屋の前に着いた。
中には寝心地のよさそうなベッド、簡素ながらも磨かれた木製の家具一式が置かれている。壁には暖炉もあったが、流石に初夏なので火は灯っていなかった。
「それでは、何か用事がございましたら、いつでもどうぞご遠慮なく」
主人は最後に一礼すると出て行った。
5Gにしては、なかなか良質の接待と部屋である。
「さて、と……………」
一人になった銀河は、まず装備を外す事から始めた。
ここに来るまでに思った事だが、やはりこの装備は目立ちすぎる。
魔物との戦闘予定がない限り、剣以外はここに置いていた方が無難だろう。
そう判断し、彼は妙にスムーズに装備品を脱いでいく。
そしてここでも例の「肉体が勝手に動く」現象が起きていた。
触った事のない装備のハズなのに、外し方が分かるのだ。
まあ鎧を付けている訳でもないので、全く知らなかったとしても途方に暮れるような事はなかっただろうが。
脱ぎ終わり、インナーのタンクトップと短パンだけになった銀河。
「うわお、いい身体」
なんとなく姿見でポーズを取ってみる。うむ、美しい筋肉だ。理想的な細マッチョである。
満足げに頷いた銀河は、そのままの格好でまず風呂へ向かう。
インナーとは言っても下着ではないため、そこまで気にならない。
聞いた話では大浴場らしいが、その辺り日本人である銀河に抵抗はなかった。
風呂から上がった後。
「中々いい湯だったな……………」
心無しかホクホク顔でベッドに寝転がり、銀河はそう呟いた。
繰り返すが、今彼は大変な状況下に置かれている。
にも関わらずいい事があると一瞬でもそれを忘れられるのは、彼の長所と取るべきか。
ともかく、異世界に来て初めての夜。
「……………」
色々と思う事はあった。
あったが――――睡魔の方が勝った。
「……………おやすみなさいませー」
精神的に限界だったのだろう。
コテンと横になり、彼はそのまま眠りに落ちた。