《搭》の横には、出入りを監視・管理する為の施設がある。
四階建てのその施設は、入ってすぐに受付窓口があり、その隣には階段、そして其処から先は、廊下の両側に部屋が並んでいる。
その内の一番手前、1Fと書かれた部屋の奥に置かれた転送装置が、ヴイィーンという低い音を唸らせながら動き出した。
直径4m程の灰色の円盤の上に、桃色の光を放つ魔術陣が浮び上がり、円盤の四方に配置された同色の円柱にも同じ様に、桃色の魔力光を放つ魔術式浮かび上る。
数秒後、円盤と柱の間に桃色の魔力壁が形成され、さらに上下にも魔力壁が形成され、空間が隔絶されると、次の瞬間には誰も居なかった筈の円盤の上に、男が立っていた。
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周囲を取り囲む魔力が霧散していくのを感じながら、ホッと息をつく。転送装置という物を初めて使ってみたが、問題なく使用できたらしい。周りの景色が、石造りの迷宮から板張りの部屋へと変わっていた。
手に持ったままだった、剣と魔石をそれぞれ鞘と背中のリュックにしまい、部屋を出る。
受付で慣れない手続きを済ませ、建物を出ると、既に日が沈みかけていた。寮の自室に帰る頃には、完全に沈んでしまうだろう。
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俺が寮に着く頃には、案の定日は沈んでいた。
中に入ると、日は落ちたがそれ程遅い時間ではないため、一階のホールにそれなりの数の寮生が居た。
売店を覗く者、食堂で早食い対決をしている者、掲示板を熱心に見つめる者、警備員に怒られている者。
その中の、テーブルでトランプをしている一団の一人と目が合った。そいつが何か話したと思うと、一団は席を立ち、近付いてきた。
(……面倒な奴に見つかっちまったな。無視するか……)
一団の先頭を歩く小柄な男を見て、すぐさま階段へと歩き出したが、回り込まれてしまった。
「おいおい待てよ、アルベルト! 無視すること無いだろ?」
「……悪かったな。疲れてるんだ、通してくれないか?」
「そう邪険にするなよ、同期だろ? ……おや~?どうしたんだ、ボロボロじゃないか」
ニヤニヤと人を小馬鹿にした笑みを浮かべ、わざとらしく驚いている。周りにいた奴らも、同じ様な顔で囃し立てる。
「ど~したんだ?アルベルト。植込みにでも突っ込んだのか? スッ転んだのか? もしかして《搭》を探索して来たのか?! いかんぞアルベルト、お前は弱いんだからな、スライムにもボコボコにされちまう」
「……そうだ。《搭》に行ってきたんだ。だから疲れてるんだ、通してくれ」
「《搭》! アルベルトが《塔》! おい皆聞いたか、あのアルベルトが《搭》に行ったんだとよ! それでどこまで行ったんだ、一日中入っていたんだろ。三階か四階か? もしかして一階ってことは無いよな? どんなに慎重に行ったって、一階に一日も掛かるわけ無いしな!」
分かったうえで言っているのだろう。腹は立つし、いつもの俺だったら喧嘩を買っていただろうが、慣れない探索で精神的にも肉体的にも疲れているのだ。無視して部屋に帰ることにした。
「いて! おい待てよ! 逃げるのかよ腰抜野郎! ……弱いくせに!《孤児》の癖に! 目障りなんだよ!」
押し退けられた男が、怒声を発しながら追って来ようとしたが、近付いてきていた警備員に止められる。
俺は男の罵声を聞きながら、部屋へと戻った。
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窓から射し込む光で、昼前であることが分かる。昨日部屋に戻ってから、いままで寝ていたらしい。
寝ぼけた頭で周りを見ると、脱ぎ散らかした服や装備が散乱している。
(腹が減ったな。昨日の晩と今朝と、何も食ってねえからな。先飯にするか)
グゥ~っと腹が鳴ったので、片付けを後回しにし、服を引っ掴み一階の食堂へと向かった。
時間が時間なので、講義か探索にでも出ているのだろう。人が殆ど居ない食堂で、トレイにパンやサラダを乗せていく。
この寮は、基本金に余裕の無い者が入る。その為、部屋は狭いし家具も安物のベットと机しか無いが、家賃がタダ。
そしてその一階にある食堂には、金の無い者の為に、売れ残ったパン等がタダで食べられる。まあ、味は……。
適当な席に座り、硬いパンを噛み千切りながら今後の予定を考える。
とりあえず今日は、戦利品の片付けと装備の修復、消耗品の補充で終わるだろう。
問題は明日から如何するか、もっと具体的に言うならば、どうやって《搭》を攻略していくか。
学園の規則で、二年への進級の条件の内に《搭》の十階到達がある。
聞いた話に因ると、一階から十階までは敵の強さや一階毎の広さはあまり変わらず、場所や敵の種類が変わるらしい。
これは、月初めの変成でも今まで変わらず、一階が遺跡、二・三階が森林、四・五階が洞窟、六・七階が川辺、八・九階が草原で、十階がまた遺跡となるらしい。
ここで問題となるのがこの月初めの変成で、これは毎月一日に《搭》が内部構造を変える現象の事で、敵の種類や罠やアイテムの位置、場所の様子そのものも変わる。
変わらないのは、下の階層の方が敵が弱い事と階段のある所位なもので、それ以外は全て変わると言ってもいい。
その為、転送装置を設置出来るのは階段の近くだけで、また、《搭》内部で月を跨ぐ時は階段近くに居ないと、《搭》の変成に巻き込まれ、塵芥まで分解された上で吸収されるので、一般に『《搭》に喰われる』と言う。
まあ、変成は一日に及ぶので、階段近くに居るならばそのまま外に出た方が賢明である。
話を戻すが、この変成がある為今の情報は今月中しか使えず、来月になったらまた一から情報を集めなければならない。
そして欲しい情報が一階から十階というのも問題になる。
この階層は、初心者訓練用の階層で、容易ではあるが実入りが少ない。普通のパーティーで二ヶ月、講義を優先したり慎重なパーティーであっても、掛かって四ヶ月。しかし、慎重なパーティーは大体月の終わり頃に探索するので、そのパーティーからの情報を待っていたら間に合わなくなる。だから、二ヶ月の間に行ける所までは行きたい。
俺の力では、情報が出揃い再設置されない罠が潰された後であっても、回復薬二十個、ファイヤージェム十個を使い切ってやっとだ。これでは、情報が集まらなくなったらどうなる事か。
(今回は最初だからって全部屋調べたが、次からは最短距離を行くか。情報が有るうちに、階層を稼ぎたいしな。……しっかし金が足りねえ)
トレイを片付け、部屋に戻りながら今後の方針を固めていくが、やはりここに行き着くのである。
曰く、金が無い。
元々多くなかった資金は、入学金と今年の学費で殆ど無くなってしまった。と言うのも、育ての親たる爺さんが、俺を鍛冶師にしたいらしく、
冒険者になる事を認めなかった為、一銅貨すら出して貰えず、コツコツ貯めた貯金だけで払ったせい。
まあ、自分の学費位自分で何とかするもんだが、多少は期待していたのだ。
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子供の時に両親が死んで、爺さんに引き取られてからは武具を作る事に関係する事ばかりを教えられた。
一流と言っていい腕前の爺さんの所には様々な人が訪れ、様々な物が持ち込まれた。一般的な物から、魔法金属、ドラゴンの鱗、月の魔力を集めた液体などと言った一級品、またそれを扱う道具。
まずはそれらの知識。特性や取り扱い方、調達方法といった実務的な事から、それらにまつわるちょっとした小話まで。
次は目利きだったか。何が良くて悪いのか、何に使えて如何使えないのか。間違えるとすぐに拳骨が飛んできた。
武具の扱い方の基本を習ったのも爺さんだった。「扱い方の分からない物が作れるか!」としごかれた。
他にも、参考になる書物が多いからと、古代ドワーフ語を教えられたり、錬金術も関係があるからと教えられた。
本当に色々教えてもらったし、感謝も尊敬しているが、俺がなりたいのはやっぱり冒険者なのだ。
子供の頃、寝物語に聞いた英雄の様にはなれないことも分かっている。
才能が無いのも、分かっている。工房を訪れる英傑たちに無理言って稽古をつけてもらった時に散々言われた。褒められたのは、目利きと錬金術と鍛冶術位だ。
其処まで分かっていても諦められないのは――朧げになってしまっているが――これが両親との唯一の思い出だからだろうか?
分かっているのに止められないとは、これは正しく呪いなのかもしれない。
(……らしくない事考えてんな。まさかホームシックってやつか?!)
思い至った結論に、恐れ戦いている内に部屋まで着いたらしい。
掌から学生証を出し鍵に近づけると、カチッと音がして鍵が開いた。
この学生証はマジックアイテムであり、入学時にとある儀式魔術によって、魂そのものに関連付けられる。その為自由に出し入れが出来、紛失の可能性が無い。性質が性質なので、この国だけではなく、各国において身分を証明する物にもなる。また、関連付けされていても、学生証側から魂に干渉する事は出来ないの安全である。
他にも、各機関が収集したデータに照し合せて能力を評価したり、スキルの表示も出来る。色んな情報を入れておく事も出来るし、メモ帳としても使える。勿論、他人に見せた時に、勝手に見られない様ロックを掛けることも出来る。
最近では見た目を変える事も出来、古い本の様にしている奴や、ファンシーにしている女子生徒などが見受けられる。
因みに俺は、初期状態の角を落とした半透明の板で、モンスターの情報等を入れている。
優秀なアイテムではあるが、多分これの所為で入学金が跳ね上がっているんだと思う。
部屋に戻った俺は、まず装備から片付ける事にした。
(上着は下着類と一緒に洗濯だな、パンツは……結構破けてるけど、これなら縫えば直るな。武具類はっと……)
盾の方は簡単に直るだろう、問題は鎧の方だ。買い換えるまででは無いが、結構掛かりそうである。
後は剣であるが、無茶な使い方した割には大丈夫そうである。これなら多少研ぐだけでいいだろう。爺さんの所を出る直前に作った自作の品だが、あんな無茶な使い方をしてこの程度の損傷なら中々の出来だろう。
金が掛かるのは鎧位か、もっと上手く躱すなり、盾で防ぐなりしないと、結構ヤバいかも知れんな。
今後の反省をしつつ、今度は戦利品の確認である。現在の収入源がこれしかない為、結果次第では色々考えねばなるまい。
昨日背負っていたリュックの中から、一つ一つ確認していく。
《搭》独特の現象であるが、倒した敵は光の粒子となって消える。その後、アイテムを残したり残さなかったりするのだが、その為アイテムが手に入らなかったり、手に入ってもどうしようも無いゴミであったりと、利益を計算し難いのである。
(案の定、ゴミばっかじゃねえか。骨ってどうすりゃいいんだよ、骨って……)
魔力も何も無い骨など、どう売り捌けというのだ。他の物も、あまり金にはなりそうに無い。
殆ど魔力の無い屑魔石が十五、タダの骨が十、空瓶が一に吸血蝙蝠の羽が三と牙が一、甲殻芋虫の殻が一。
(そのまま売って、大体540銅貨位か。……鎧の修理費用にも足りねえ。錬金術で加工するにしても、この材料だとやり様が……)
手持ちが全く無いわけではないので、それと合わせれば修理費用位は出てくるだろう。
しかし、そうすると消耗品を買う金が無くなってしまう。
だからと言って、修理せずに次の階へは行きたくなかった。
(二階は森林タイプだったか、毒を持ってるモンスターも居るだろうし、余計消耗品が掛かるな。いや、最短距離を突っ切れば行けるか?)
時間が無いから無茶をする、無茶をするには金が無い、金を貯めるには時間が無い。
思考のループに陥った俺は、その日晩飯を食べ損なうのであった。