愕然とした。目の前にある光景が正しく認識できない。それとも認識したくないのか。どっちにしろ目の前の事実は変わりはしないし、変わろうともしない。
目の前にある光景。少し遠くには剣を持った老人がこっちを見ていた。顔を少し驚きに変えて。しかし、それでも油断はしない様に剣を構えていた。普段ならば流石と思うがそれすらも出来ない。
周りの風景には自分が心底守りたい人間がいた。家族、友人、恋人。みんながみんなこっちを心配して、そして驚愕していた。愕然としていたでもいいかもしれない。無理もない。自分も愕然としていたからだ。
そう、その問題とは。
さっき傍観していろと言って離れたところにおいておいた慧君の左腕に灰色に輝く幻想的な剣が刺さっているのだから。
「━━━っ!慧君!?」
「あ~。うん。久々に大怪我だな。」
そんな状態だというのに彼はまだ何時も通りに軽口を言って、そして無表情である。あれだけの怪我だ。かなりの痛みが左腕を中心に走っているはずなのに、その表情には何の変化もない。
しかし、今は彼の表情に構ってなんかいられない。周りからも悲鳴が飛び交っている。どれが誰の悲鳴かなんか解らないし、余裕もない。多分だが、今、この瞬間。俺は人生で二番目くらい焦る出来事を体験している。
一番目は父さんが死にそうになった時。そして二番目が今。目の前の光景。幻想的な剣は、しかし、現実的に彼の左腕を貫いている。そこから血が泡のように噴き出ている。今は刺さっている状態だからドバっとは出ていないが、アレを抜けばすぐさまそうなるだろう。
思考が空回りする。何をすればいいのか解らない。何をどうすればいいか解らない。情けないという考えだけが頭の中で浮かんできた。今まで自分がしてきた訓練が何も行かせていないという頭の中の冷静な声が俺に告げていた。
だからこそ、いきなり体を押されても反応出来なかった。
「……!」
何故押されたのかとようやく回りだした頭が目の前の光景を処理する。押した人間は慧君。どうやら無事な右腕でこちらを押したようだ。押した原因はちょっと離れていた老兵。何時の間にかすぐ近くに来ていて、こちらに斬りかかっていたようだ。それに反応して慧君が助けてくれたという事だろう。
精神は暴走状態なのに体は訓練の習性か。少したたらを踏むだけで直ぐに体勢を取り戻した。慧君は慧君で俺を押して直ぐに避けたらしく、こっちの傍にいた。
そしてようやく、俺は声をかける余裕が生まれた。
「……っ!慧君!無事か!?」
「これで無事に見えるんならその目は義眼に変えた方が良いんじゃないですか?まぁ、別に動くから無事といっても別にいいですけど」
またもや軽口を言って、そしてそのまま自然な動作で左腕の剣の方に右手を近づけ
遠慮なく左腕から剣を引き抜いた
「!!慧君!?」
「邪魔」
比喩ではなく間欠泉のような血が大量に溢れた。周りの皆が、目の前の老兵が息をのむのが聞こえた。しかし、彼はそれには頓着せず、そのまま残った二本を引き抜いた。
血の勢いが激しくなった。そのまま彼は血で濡れた左腕の服の部分を右腕で器用に引き継ぎって、布として止血をする。それは彼の年齢からは似合わないくらい慣れた手つきだった。
彼は大体一、二分で応急手当てを終えた。無論、その間彼は一度たりとも敵から目を離していなかった。だからこそ、相手も攻撃をすることが出来なかったのだ。
でも、俺はそんな事は知ったことではなく、ただ俺は目の前で怪我をしてしまった少年をただ心配するしかなかった。今までこんなにあせって誰かを心配したことはなかったと思う。こういうのは美由希やなのはの役割だったから。何時も俺は誰かに心配をかけてしまう役割だったから。
「馬鹿……!何をしているんだ!無理矢理傷口から抜いたら━━━」
「まぁ、傷ついてない部分も傷つくでしょうね。まぁ、今は別にそんな事はどうでもいいからとりあえず━━━腹喰いしばれ」
「は?」
といきなりの言葉に一瞬頭を真っ白にした瞬間。思いっきり、鳩尾に正拳突きが決まった。剣術をやっているとはいえ拳術が出来ないわけではない。そんな俺でも上手い一撃だと思うものが決まった。
とは言っても鍛えているとはいえ小学三年生の拳。体も出来上がっておらず、まだまだ発展途上の拳だったので、鍛えているので二、三歩たたらを踏むだけで何とか耐えられた。
「な……!いきなり、何をするんだ……」
「何をするんだ?それはこっちの台詞ですよ。あんた何しているんだよ?」
呆れかえったという声を出して、無表情に問い詰めてくる慧君。そうしながらも、油断はしていないから流石というべきかもしれない。この年齢で油断大敵という言葉をここまで再現できているというのは良い事なのかどうかはわからないが。
しかし、今はそれについて考えている場合ではない。何をしているんだ。その通りだ。俺は一体何をしているんだろう?皆を、慧君を守ろうと思っていた人間がこうも無様に負けていること。慧君じゃなくても同じことを言いたくなるだろう。
そう思っていると
「違いますよ。別に負けるのは良いんですよ。」
「……何?」
負けても……いい?そんな馬鹿なと思う。負けては駄目だと思う。負けたら守れないし、死ぬ。それは遊び以外の戦いならば当たり前のルールだ。それが復讐でも同じだ。負けては駄目だ。そう、思うのに━━━彼は何故負けてもいい等と言うのだろうか?
「簡単ですよ。実力や運、戦術。自分たちが最高と思えるようなものでも戦いでならば、時には簡単に負けてしまいます。例え、それが最強とか言われている人間や武器でもね。」
「……それは、そうだが……」
「ええ。だから実力とかで負けるなら仕方がないんですよ。実力ならね。でも、恭也さん━━━何で言い負かされて負けているんだよ」
「……」
「戦って負けるのは良い。運で負けるのもいい。思考で負けるのも仕方がない。でも━━━思いで負けるのはOUTだ」
言い返せる台詞なんてなかった。彼の言う事は全部が全部正しい事だった。その通りだ。力を幾らつけても上には上がいるのがこの世の常。どれだけ万全でも番狂わせなアクシデントが起きるのがこの世の常。どれだけ入念に準備をしても相手がその準備を狂わせてくるのもこの世の常。
彼はそれを仕方がないと言う。当然だ。それは自分が最善を持って努力した結果、そうなってしまったというだけの話なのだから。だからこそ、彼は許せなかった。戦う理由という戦う以前の問題で負けていることを。
「貴方は以前、俺に教えてくれましたね。御神不破流の真髄は人を守るという事だと。その言葉は偽りですか?」
「……違う」
「では、その時にこの力で大切な人を守りたいと言った事。その想いは偽りですか?」
「……違う!」
「じゃあ、何で負けているんですか?」
「……くっ」
彼は瞳の中にそれこそ氷の塊のようなナニカを映しながら。俺に言外に貴方の実力ならばこんなことにはなっていないはずだと告げていた。それを信頼と取るか。単純な事実を告げていると取るか。そんな事を思っている場合ではない。
彼の言っている通りだ。何時もの俺ならばもう勝っているという自惚れはないが、少なくともまだ喰らい付いているはずだ。これでも御神不破流を習得しようとしている者。それぐらいの自負はある。
しかし、それを一切使用できなかった。理由は明確だ。
ただ怖かったんだ。ただ怯えていただけなんだ。ただ震えただけなんだ。ただ苦しかっただけなんだ。ただ辛かっただけなんだ。ただ━━━勝てないと思ってしまったんだ。
本気でそう思った。自分では勝てないと。自分にはこれ程培った感情を持っていない。それが負の感情であってもだ。大体だ。俺は実はそこまで凄いという出来事を以て誰かを守りたいと思ったわけではないのだ。
勿論、そんな事を言えば、事情を知っている人は嘘だと言うだろう。不破家を滅ばされたりもしたし、父さんが死にかけたりもしたし、恋人になった忍の命を狙われ、戦った事もあった。
客観的に見たら、それは普通の人生ではないだろう。それは認める。しかし、自分からしたらそこまで実感はない。不破家が滅ぼされたことが始まりなのかと問われたらそうなのかもしれないが、幼少時だ。ほとんど覚えていないに等しい。
俺が誰かを守りたいと思ったのは簡単だ。単純に誰かを守りたいと思っただけなんだ。使命感で動かされたわけでもない。義理で動いているわけでもない。自分がやりたいからそうしているだけ。
信念と言えば聞こえばいいが、これはそんな綺麗なものではなく、ただの我儘だ。自分がしたいように生きる。そこに理由がないんだ。それを凄いという人もいるかもしれないが、目の前の老兵を見ているとそんな気になんて全然なれない。
いや、それを言うならば、慧君を見ていてもそうだ。彼が経験した地獄。それがどんなものだったかは、俺は想像できないし、共感できない。
だけど、それが今の無表情だとすれば、それは規模がどうあれ地獄に相応しい光景だったのだろう。
そしてそれにより、彼は戦うようになった。不謹慎な事を承知で言えば理由を手に入れたという事だろう。だから、彼は俺と一緒で聞いていたであろう老兵の憎悪を感じても自然体なのだろう。
なのに俺には立ち向かう理由がない。何をしても生き残ろうる理由がない。そんな自分が。敵の彼を。止める資格があるだ━━━
「こんな定番の台詞。言うだけで恥ずいんですけど……生きるのに理由なんているんですか?」
唐突な質問。唐突過ぎて返答に困ってしまう。生きるのに理由が必要かどうか。確かにこの質問は良くある問いだと思う。そしてこの場では最適な質問だと思う。
故に戦闘中だというのに考えてしまう。相手の動向を見るのは普通ならば俺の役割だというのに彼にすべてを任せてしまう。そして考えてみた。そしたら意外とすぐに出た。しかし、それを今、簡単に言葉に出すのははばかれて、結局出た言葉は
「……それは」
だけだった。
だけどそれで通じたのか。彼は老兵を見ながら頷いた。その顔は相変わらずの無表情。その左腕からは止血したとはいえポタポタと血が流れている。血を止めたとはいえ痛みを止められるというわけではないというのに彼は痛がりもしない。
「そうですね。人が生きるには生きる理由がいる。何かしたいことがあるから、家族が、恋人がいるから。まぁ、適当に生きているとかいう人もいますが、それはその人の理由が適当という事だからでしょう。もしくは死ぬ理由がないから。将又は自殺とか苦しいから嫌とかいう人でしょう。さて、この話から解る事があるんですが、解りますか?」
「……いや」
「答えは簡単ですよ━━━生きる理由に上も下もないという事ですよ」
「━━━」
生きる理由に上も下もない。例えそれが適当とかそういう理由だけだとしても、相手の高尚な理由に付き従わなくてもいいと言う事。正論でもなければ、暴論でもない。本当にただの━━━一般論だった。彼らしくもなく。
「こちらの生きる理由が下だから、仕方がないと納得して死ぬんですか?そんなのただ諦めただけだ。敗北して死ぬんならばともかく、諦めて死ぬなんてクズでも出来ます。恭也さんはどっちなんですか?」
「……し、しかしだ。あっちには復讐という正当というわけではないが、それでもここまで突き動かす原動力がある。それを否定するのは俺には難し━━━」
「貴方の名前を叫んだ人の名前を思い出してもそれを言えますか?」
「……!」
自分の名前を叫んでくれた人の名前。恭也と俺を示す名前を叫んでくれた人の名前。ほんの数年前までは余り喋らないクラスメイトという関わりしかなかった少女。しかし、今では最も大切な人と言ってもいい少女の名前。
月村忍
吸血鬼として生を受け、それのせいで他人と繋がりを持つことに恐怖を持ってしまい、孤独を選び続けていた少女。しかし、その心は誰よりも明るく、そして優しかった。月の姓を持っているのにまるで太陽みたいに明るい少女だった。
何時も何が吸血鬼だと思った。何が化物だと思った。こんな少女が化物だったら、俺は怪物だろう。守るためとはいえ人を傷つける俺と他人の血を呑むが、それを嫌だと思う少女。
断言する。あの娘は俺よりも人間らしいと。だから惹かれた。そんな彼女は結界の直ぐそば老兵の目の前にいた。その瞳には心配の二文字と涙の一文字が浮かび上がっていた。
月の加護を受けている少女は今、一人の男を真摯に心配していた。
ドクンと心音が鳴る。否、これは猛ると言ってもいいくらいの暴れっぷりだ。心音は止まらない。外にまで漏れるのではないかというくらい暴れに暴れまくっている。
ギュッと握る音が聞こえる。それは両の手から聞こえる。そこにあるのはあれ程乱打を受けたのにそれでも手放さなかった双剣が折れるのではないかと思うくらい、握られていた。何処にそんな力があったのだと自分で自分を問い詰めたくなるくらいだ。
その俺の姿を見て、彼は呆れたかのように嘆息した。
「ようやく解りましたか?まったく……貴方はそんな小難しい事を考えて行動するような人ではないでしょうが。そういった面倒事は後で考えるのが高町恭也でしょうが」
「……そうだな。その通りだ。高町恭也はもっと単純な人間だった」
「じゃあ、そろそろ相手をしてあげたらどうですか?あっちは待ちくたびれているみたいですよ」
首の振りで相手の方を示す慧君。そこにいるのはさっきから構えを微動だにさせずにこっちを注視している老兵。その体からは闘気が湯気の様に漏れている気がする。戦士という存在を実感する。
復讐の鬼と化した人間。もしかしたら、自分が成るのかもしれない可能性。そうなる事は否定できない。もしも、忍が誰かによって理不尽に殺されたら、そうはならないなんて断定できない。
でも、そうなったら。きっと忍の事だ。夢の中とかに出てきて一言言うんだろうなぁ。
何やってんの恭也と。
その光景を簡単に想像することが出来て、こんな状況だというのに苦笑してしまう。ああ、大丈夫だ。例えそうなったとしても今の俺は有り得るかもしれない未来を笑うことが出来ている。それならば、きっと大丈夫だろう。
それにだ。御神の剣は守護の剣。他人を殺し、しかし、人を守る剣士。そんな未来を起こさないと断言する阿呆と言われても仕方がない人種じゃないか。ならば、俺もその戯言を言い続けなければ御神の名が泣いてしまう。
そもそもだ。不破というのは破れずとかいて不破と読むのだ。ならば、俺はきっと破れない。そう、馬鹿みたいに信じよう。元々俺はそんな頭がいい人間ではないのだから。
しっかりと剣を構え、体勢を整え、前に出る。隣の少年はそれを見てようやくかこの隠れヘタレと言いたげな溜息をつく。それを無視してとりあえず適当に腕を横に振ったら、横から何故かうぉっという声が聞こえてきたが無視。
いけると素直に思った。コンディションはばっちりだ。それが思い込みだとしても思い込みでこう思えるのならばそれは事実と相違はないだろう。ならば、問題は何もない。
口が勝手の微笑を作る。さっきまでの自分を殺し、今の自分を作っていく奇妙な感覚。それが何故か心地良く自分の馬鹿さ加減を自覚する。だから俺はここで言葉を作った。
どこぞの無表情少年みたいに一言を。
「━━━御神不破流の前に立ったことを不幸と思え」
「……」
敵は無言で構えるだけだった。そこに少しの違和感を感じるが、今はそんな事に構ってる場合ではない。今からする事は簡単だ。誰もが人生で一度はすることだ。
すなわち、自分のトップスピードで走るとただそれだけの話。
しかし、それを御神の剣士がすると結果が変わる。その足は一瞬で距離を無とする。その速度に敵も味方の人達でさえ、驚愕の一言である。人のみで神の速度に達した者。それが御神の剣士。
その歩法を神速という。
既に敵は目の前。相手は反応できてさえいない。目の前に現れた俺に驚いているだけで、剣を構えている余裕もないし、避けれる間合いでもない。ここで討ち取った。
と思っていたら
「なっ……!」
自分を止める物があった。それは光のリングであった。それも自然界には存在しない、灰色に光るリングで、それは両手両足にまとわりついていて、動かそうとしても動くことが出来ない。
まるで空間に固定されているような感じがした。足掻きとして何度も力任せに引き千切ろうとしたが動かない。剣で斬ろうにも手首から先が動かないし、その手首が固定されているので、せめて片手が動かないと斬れようがない。
「くっ……!これは……」
「それはこっちの世界ではバインドと言ってな。簡単に言えば相手の動きを止める魔法なのだよ。何、別にこっちからしたらそれは特別な魔法という事ではない。むしろ、何処にでもあるような魔法だ。」
バインド。こっちの言葉で言うと縛るという直接的で簡単に今の状況を示している言葉であった。空間にという違いはあれど確かに今、自分は縛られている。成程、非殺傷を謳う管理局には必須と言ってもいいかもしれない魔法だ。
しかし、そんな魔法ならば何故今まで一度も使ってこなかったのだ。それにバインドに関しては自分達も知っている。時よりなのは達が魔法で
訓練している光景を見ていたからだ。それを相手が知らないとは思えない。
手を隠す為か?それもあるだろう。しかしだ。俺達は魔法という物に適性がない。故に何処にバインドがあるかどうかなんて知らないのだ。それならばとっとと使って俺達を嬲り殺しにすればいいはずだ。
その疑問が顔に出てたのか、彼は苦笑して答えた。
「簡単だよ。さっきも言ったようにね。私はこの剣と加速魔法以外に才が全く無くてね。防御魔法もそうだが、補助魔法も全然能がない。砲撃魔法なんてさっきのしか、使えないのだ。それも加速魔法があっての砲撃だがね。だから、私の補助魔法は余程相手に隙がない限り全く使えない。」
「何だと……俺は油断な━━━」
気付いた。
俺が攻撃をする前にしていた事は何だった。
俺は確かどこぞの無表情少年と話していた。
その少年はこんな事に気づかないような馬鹿ではないはずだ。そもそもだ。彼の事だ。何故加速魔法に反応出来ない自分が相手の事を見張っているのに攻撃してこないのだと疑問に思わないはずがない。
それなのに彼からしたら無駄話を続けた。これではまるで敵を利するかのように。
何故だ?何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ。
「慧君!!どういう事だ!!?」
首だけでも捻って彼がいる方を見る。そこにいるのは相変わらずの彼。説明するのも面倒になる彼。つまりは、今の状況に何の疑問も驚き燃えていないという事だ。
その事実に顔色が変わってしまう事がわかる。
彼は……俺を見捨てたのか?
有り得なくはない。彼は自分の道を塞ぐ相手ならば何が何でも通ろうとする人間だ。その為ならばこうした事をしてもおかしくはない。いや、むしろ彼らしい。
「それにしてもだ……余りいい気分ではないな」
そんな事を考えているうちに老兵が前に進んでくる。前に。つまり、俺の方にだ。はっとして前を見るが、無論。動くことなどできない。それでも動こうとして体を揺らすが、何の効果もない。
コツコツとむしろ静かに近づいてくる兵士。もう距離は目の前だ。それなのに後ろの少年は動いてくれないし、音も出さない。だから思った。
死んだと。
俺の横を通り過ぎた後でも。
「なっ……!」
最早何が起こっているのかさっぱり理解できない。人としての自分は生きていることにホッとしているが、剣士としての自分は自分に問い続けている。
何故殺さないのかと。明らかに絶好のチャンスだ。この状態ならば避けるどころか、受ける事さえできないはずだ。それはさっきの抗いで証明している。そもそも、魔法が使えない俺にはこの魔法を解除できる術はないのだから。
だから止める理由なんてあるはずがないのだ。まさか急に良心の呵責に襲われたなどという事はないだろう。幾らなんでも都合が良すぎだ。それにこんな事で止まるくらいならば復讐なんてそもそもしないだろう。
では、何故だ?さっきまで彼に対して思った事が自分に問いかけられる。そこまで考え━━━凍りついた。待て、さっき老人は俺の横を通り過ぎた。つまりは俺の後ろに行ったという事になる。
ならば、俺の後ろにいるのは誰だ?
バッと後ろに振り向く。勢い良すぎて首を少し痛めたが、構ってられない。それにそんな事はどうでもいい。そして後ろにいるのは案の定、老兵と慧君の2人。それも慧君はこの事も想定していたという感じで臨戦態勢だ。とてもじゃないが、急な展開に焦っているというか前ではない。明らかに想定内という構えだ。
嫌な予感がここで完成直前にまで膨れ上がる。そしてその完成の一言は敵である老人が告げた。
「元から君一人を狙っているつもりだったが……まさか自分から誘ってくるとは思わなかった。」
「別に。誘った覚えはないですよ。それにどうせ誘うならばもっと清らかな美女を誘います」
「慧君、そ━━━」
「すずかの事ではないから安心しろ」
途中で変な言葉が混じったがここに来て嫌な予感は確信へと変わった。彼は俺を囮にしたように見せかけて、俺を安全地帯に移動させたという事をだ。余りの事実に頭が痛みだした。
「どういう事だ……!答えろ、慧君!!」
「さっきから俺がこの人に行っていた台詞を覚えていますか?この人は俺を狙っているんですよ。恭也さんもとは一言も言ってませんよ、面白い事に。」
即座に帰ってきた抑揚がない台詞と共に気づいた。確かに相手は一度も俺も殺すとは一言も言ってない。そう言えばそうだ。彼は何故か自分を殺すと強調して伝えていた。それの理由は相手が誰を狙っているか知る為か?
それを知り、質問する相手を変えた。
「何故だ……何故俺は狙わない……!」
「……復讐者と言っても、私は別に余計な人殺しをしたいわけではないのだ。理由はそれだけだ。」
「それだけならば、俺を殺すという選択肢もあったはずだ!」
「勿論、あったとも━━━この少年に出会う前まではね」
「どういう事だ!」
「……我々大人はね。生きていくと選択をするんだ。どっちを残すべきか。どっちを切り落とすべきか。残念な事に、仕事柄そういうのがまた多くてね。故に助けられない人間は助けられなかった。そして今回は簡単だ。どっちを残したほうが後の世に貢献してくれるか?そういった事を考えれば答えは明瞭だ」
「はははははは、慧眼だね?ちなみに俺の名前とかけたわけではないぞ?まぁ、その読みは外れてはいないね。流石、年を取っているだけあって経験だけはあるようだね」
「笑っている場合か!!この馬鹿無表情!!」
「おやおや、恭也さんらしくない罵倒ですね。まっ、強いていう事があるとしたら━━━俺みたいなクズを信じる貴方が悪い」
彼は無表情に声だけ笑い、それだけを告げた。その声色に後悔の色も焦りの色もなかった。余りの何時もらしさにもう怒りなんてレベルではなくなっている。
ふざけるなと頭が叫んでいる。じゃあ、俺が彼を疑った事は全くの誤解であって、そしてそれを彼は受け入れたという事だ。もう、怒りで視界が真っ赤になりそうだ。声すら出ない。叩きつけたい感情が幾らもあるのにそれを出すために冷静になる事も出来ない。
それを知ってか、二人は俺を無視する。
「それにしてもだ……そんな最低最悪な君でも誰かを思う事はしたかったのか?」
「まさか。全く、よくあるよね。先生とか友人とかが他人の思いを知れ、他人の痛みを知れとかいう発言。全く、馬鹿みたいと思わないですか?人はどんだけ頑張っても、相手の気持ちなんて解るはずがないのに。解るんだったら、今頃、カップルは全員相思相愛でしょうねぇ。人を思うとかそんなセリフは吐き気がするような偽善者しか思わない言葉ですよ。まっ、俺は別にどうでもいいんだけど。それに何ですか?まるで、俺がこの状況を全部わかっていたみたいに言って。よく勘違いされるけど、俺はそんなすごい人間じゃないのだよ。精々ひねくれているガキってとこですかね」
「……よく言う」
老人の言葉は至って同感だ。思えば、俺を慰めたこともこのバインドとかいう魔法に捕まえさせるために動かせる言葉だったのだ。暴論や正論。一般論さえも使った巧みな人心誘導。
えげつないというのは彼を表す言葉だっただろうか。だが、そんな言葉ではなくて、口からは違う言葉が出てきた。
「この……大嘘吐きめ……!」
そんな事しか言えない自分が馬鹿らしく感じたが、それは本心だった。どれが嘘だったかなんて言わない。それでも言うとしたら全部だ。何もかもが嘘だらけだ、彼は。
そんな皮肉に彼は
「悪い意味ならば喜んでその名前を受け入れますよ」
と普通に返してきた。
暫く静寂が辺りを支配する。俺や周りの皆はおろか、慧君と老兵でさえ何も音を発さない。動くことするしない。音を出せばそれが発端になるんじゃないかと思ってしまい、動くことが出来ない。
しかし、その静寂は二人の会話で破られた。
「……では、殺すが、何か言い残すことはあるか?」
「別に。死ぬときは俺は黙って死ぬって決めてるんですよ。それに勝利宣言はまだ早いんじゃないですか?そういうのは負けフラグを生み出す原因になりますよ。」
「後半は無視するが、まさか君はこの状態から勝つつもりか。ならば、先に言っておこう。それはただの希望だ。自分で言うのも何だが、私と気味では実力差が空き過ぎだ。そして私には才はないが魔法がある。そしてその加速魔法は君では反応が間に合わない。どう足掻いても投了寸前だ。」
「お生憎様。そんなんで死んでいるんならば俺はとっくの昔に死んでますし、幾らなんでも勝機がなければこんな風に冷静に立ってませんよ。」
「……下らん虚言だ」
「はははは、疑い過ぎだね。まるで俺の言ってること全部が嘘みたいじゃないか。もう少し人を信じることをした方が良いと思うぞ。御老体」
「……」
最早聞く耳なしという態度で慧君の言葉を無視する。そして剣をまるで居合のように構える。瞬間、ぞくっと体に冷気が刺さるような幻覚。これは予感だ。相手が動くという戦う者ならば絶対に一度は感じる悪寒。
そして今やその悪寒は無表情の少年を貫く刃と化す。駄目だと思うがそれは行為には繋がらない。老人の武器に光が文字として刻印されていく。そこにあるのはシンプルな言葉であり、そのシンプルさが故に絶対の強さの一つとなる魔法の言葉。
『SPEED UP』
その言葉と共に周りからは消えたように見える老人。しかし、剣士として限界まで運動神経を鍛え上げた自分の瞳には彼が余りの速さにむしろ、ゆっくり動いているように見える老人が見える。
その動きに歯噛みしながら体を動かそうと揺り動かす。力を込め過ぎたのか、口と両手から血が流れ出した。しかし、そんな痛みでさえどうでもいい。もう老人は彼の後ろに回ろうとしている。
クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ!!
助けられ━━━
ドカッと何故か間抜けな音が聞こえた。慧君が斬られた音と思い、反射でそれを見たら。
そこには慧君が裏拳で老人を攻撃して倒している図があった。
余りの出来事がいきなり目の前に現れたことで俺は
「……は?」
と間抜けな言葉しか言えなかった。
何があったと
あとがき
まさかの恭也さん戦線離脱。
自分的にはこの頃はまだ恭也さんは実戦はそれこそ忍の時くらいしか無いと思っていたので、戦う時の心構えがまだ未熟という設定で書きました。
その理屈で言うと主人公はどうなんだよと言うでしょうが、それはまた今度という事になります。
申し訳ないですが。
最後はまるで主人公が隠された力を発揮したみたいな終わり方でしたが、そういうのではないので。
更新が遅くなりましたが、出来れば皆さんが楽しんでいただければ幸いです。
というかこんなにこの回が長くなってすいません。