自室の中、鏡に映る自分の顔を見つめる。その中で異彩を放つ金色に染まった左の瞳。
生来の物ではない、自身の性能強化のために施された施術。越界の瞳<ヴォーダン・オージェ>と呼ばれる疑似ハイパーセンサー。眼球内に投与されたナノマシンが感覚器官を生成し、それを脳神経と直結することによって反射能力の増大を図る仕組みだ。
兵器として作られ生み出され、その性能を更に強化するために行われた進化の証にして、失敗作の烙印。制御が効かなくなったこの瞳を眼帯で隠し、いつ廃棄処分されるのかと怯えていた日々が、脳裏によぎる。
『さて、どうなるかねあの検体』
『まぁ、取れるだけのデータをとって廃棄処分が妥当だろうな』
『そうそう表沙汰にもできんしな、あれは』
『……まったく、ここのところの俺の残業は無駄ってか?』
『ぼやくなよ、次ので上手くやりゃあいいってだけだ』
実験室のガラス越しに、私を品評する白衣の研究者たちの声がマイク越しに響く。最早、諦めの感情でしか私を見ていない声。
嫌だった。これまで私の同類が、同じく軍で生み出されていった名前も無い誰かが消えていった。
それはいい。その者たちは、性能が低かったから、失敗作だから消されていったのだ。兵器として生み出された以上、失敗作を保存しておく道理などどこにもない。だから、この目が、金色に輝くこの劣化の証が、自分の瞳だというのが受け入れられない。
「――――いつの世も、頭だけの馬鹿はいる物だな」
教官の第一声は、そんな言葉だった。失敗作である私への非難ではなく、私を作った研究者たちへの非難。
織斑千冬、ISの操縦に関しての第一人者。とある事情によってドイツ軍のIS部隊の教官に迎え入れられた、最強の操縦者。自身が手塩にかけるべき人材を探し求め、ドイツ軍の各基地を回っていた彼女は、あろうことか失敗作である私に目を掛けてくれた。
「………しかし、私は」
「何だ? 失敗作だから私の教えを受ける資格が無いとでもぬかすつもりか?」
「そう……です……」
どう足掻いたところで、最早この瞳<烙印>は消せないのだ。だから、最悪の苦痛であっても、私にはそう述べるしかなかった。
「――――この馬鹿がっ!!」
そんな私に教官は、とてつもない威力を誇るその拳を私の頭に振り下ろした。痛かった。すごく痛かった。はっきり言って私のこれまでの経験の中で一番痛かったと断言できる。
「まぁいい、貴様程度の馬鹿ならこちらも楽だ」
「……あの」
「まだ何かぬかすつもりか? もしや貴様、その程度の馬鹿さ加減で私の手を煩わせるつもりでいるのか? 生憎と身内の極大の馬鹿がいてな、貴様程度に煩わしさなど感じるものか」
「は……はぁ……」
そんな感じで、わけのわからぬ間に私は教官の教え子にされてしまった。とはいえ、その時は何が何だかわからぬままに事態が進行していて、正直言ってあのときどんな気持だったか、未だに思い出せない。
ただ、私を教え子にしようとする教官を諌める軍高官たちを、その怜悧な声で論破してくれた光景だけは、今も鮮明に胸の内にある。
「ふん、どうにもああいう手合いは虫唾が走るな」
そうして、私は遺伝子操作体の失敗作から、あの織斑千冬の教え子という立場になった。批判・やっかみは腐るほどに出てきたが、それを教官は一顧だにせず、私が教え子だという立場を崩さなかった。
「さて、これからは私がしごいてやるからな。覚悟しておけ」
その時になってようやく私は、教官に、拾い上げて頂いたのだと実感した。失敗作となって廃棄処分の決定を聞くことに怯える日々から、厳しくはあれど、一流のIS操縦者になるため邁進する日々。未来に怯えることなく、未来に希望を持てるようになった日々の始まり。
失敗作如きが、などという嘲りもあった。けれども教官の薫陶を受け、結果を残していけばそれも自然と収まった。そうなると最早、私の立場はゆるぎないものとなった。専用機も支給され、多分にプロパガンダの意味もあるだろうが、少佐の地位にまで上り詰め、ドイツ国内における精鋭IS部隊の部隊長に任ぜられた。
幸福、幸せ、そうとしか言いようがないこの結果。自分自身が持て余しそうになるほどのこの結果は、全て教官が与えてくれた物だった。
――――最早、ラウラ・ボーデヴィッヒにとって、織斑千冬の存在はその心の中心に根付くものとなっていた。
そんな教官との日々も、長くは続かなかった。もとより教官は、あくまで特別扱いとしてドイツ軍に招聘された身だ。私がある程度の成長を見せればその役目も終わる。
教官がドイツから去り、日本のIS学園で教鞭をとる。部下からそう聞かされた私は、常の自制心など吹き飛んで教官に詰め寄った。
「教官!! 日本に帰られるというのは本当ですかっ!!」
それが筋の通った現実だとしても、それでも私は、その現実をやすやすとは受け入れられなかった。心の奥底で、もしかしたら教官はまだドイツに残ってくれるかもしれないという、砂糖菓子の様に甘い妄想を抱いていた。
「まぁ、まだまだ完璧とは言えんがな、それなりになった……お前は」
そう言って、無造作に私の頭を撫でてくれた教官の手は、暖かかったが、どこか冷たかった。まるでもうそこまで来ている別れの様に。
「それに、これ以上家を放っておくわけにもいかんからな。お前以上に手のかかる奴もいることだし」
苦笑する教官。口調では面倒だと言っていながら、その裏にあったのは違っていたように思う。その誰かへと向ける感情は、きっと教官にとってすごく大切なもので、だからそのためにも、教官は日本へと帰らなければいけないのだろう。
――――それは、私には向けられていない。
――――教官は、私と“それ”を天秤にかけた。
――――それは、私より――――
しかし私は、教官の教え子なのだ。別れるその時まで泣き顔を晒すわけにはいかなかった。涙をこらえ、嗚咽を飲み込み、心を固める。
「ふふっ、一端の顔をするようになったじゃないか」
「……私は、教官の教え子ですからっ」
「そうか――――これからも頑張れ」
「はいっ!! 今日までのご指導と受けた恩は、一生忘れませんっ!!」
そうして交わした敬礼が、私と教官の、個人的な別れの儀式だった。堪え切れず滲んだ涙を、教官は見ないふりをしてくれた。その時は、それで一応、気持ちの整理がついたのだ。
転機は、それからしばらくたった後に全世界を駆け巡った一つのニュースだった。
世界で唯一、ISを起動することのできる男性が見つかったのだ。それがどこの馬の骨ともしれぬ奴ならば、私は別にどうでもよかった。
――織斑一夏――
よりにもよってそれが、世界唯一の男性操縦者の名前だった。あの教官の弟。あの人にとっての一番。ニュース番組で映し出されるその顔写真を見るたびに、胸の奥が微かに痛んだ。
ズキリ、と日を追う事に強くなっているそれを持て余しているうちに、件の織斑一夏に対する身辺調査も行われていた。
彼のブリュンヒルデの弟という形ばかりの身辺調査ではなく、趣味・嗜好・能力の全てを含めた本格的な調査。何故彼だけが男性でありながらISを起動することができるのか、あわよくばドイツに引き込むための方法を模索するためにも、その調査は微に入り細に入り行われた。
「これが、教官のっ……」
お飾りとはいえ、ドイツ軍の特殊部隊隊長に据えられている私は相応の権限を持っているので、その調査報告書を難なく手に入れることができた。
副官のクラリッサから手渡された書類の束。その拍子に映し出された顔写真から既に、日本人でありながら髪をけばけばしい金色に染め、軽薄な表情を晒していた。
それだけでもう、この男への不信感は募っていく。そうして書類をめくっていき、この男のこれまでの来歴に目を通していった。
それらに目を通したうえで、コイツへの評価を付けるならば、屑、としか言えない。日本での法に触れながらの飲酒・喫煙は当たり前。喧嘩、乱闘騒ぎを起こすのは日常茶飯事、補導回数も両手両足の指の数では収まりが効かないほどだ。
「これが……コイツが……教官の……」
こんな救いようのない屑が、教官の大切な存在なのか!? あの人にああまで気に掛けられながらも、それでもこんな非行を繰り返すコイツが許せなかった。
しかも、教官がドイツに来るきっかけとなったあの事件。コイツが誘拐されたせいで教官はIS世界大会<モンド・グロッソ>の二連覇という偉業を断念せざるを得なかった。
わかっている。それがただの言いがかりだというぐらいは。そもそも教官がドイツ軍に招聘されたのはこの事件においてドイツ軍が助力し、教官がその恩義を返すためにその誘いを受け入れたのだから、この事件こそが私と教官を繋げた一因だ。だからこそ、私がこの事に対して何かを言うのは筋違いもいいところだ。
教官に大切に思われ気に掛けられて、非行を繰り返して教官に迷惑を掛け、そして、私と教官が出会った原因。
「…………くそっ、なんなのだこの気持ちは」
わからない。私はどうしたいのだろうか。それでもわかっていることはただ一つ。
この男が、織斑一夏が、教官の弟という名の寄生虫であることだけだ。これ以上この男をのさばらせておけば、また教官の未来に厄介事を引き込むかもしれない。
だから、軍上層部からIS学園へと転入するように指示されたのは、渡りに船としか言いようがなかった。この目で直接あの男を見定め、正真の屑に間違いないのなら、いかなる手段も辞さないと覚悟を決めた。
「あの時は喧嘩両成敗としたがな、――――これは私の落ち度、か」
そうしてIS学園に転入した初日。織斑一夏と言葉を交わし、下劣な物言いと気配に激昂し、同時にこの男はやはり教官に害悪しかもたらさないと判断した。
しかし数日たったある日の放課後、私は放送で職員室に呼び出された。呼び出されていた先で待っていたのは教官で、隣接している小さな会議室で二人きりになった途端、おもむろに教官はそう口にした。私を責めている様にも、自分自身を責めているようにも感じられる、そんな言葉を。
「ああ、あの愚弟の言い分は筋が通っている。今のお前は木偶人形だ」
その時、時間が停止した。教官はますます意味のわからない言葉を口にする。あの男の支離滅裂な言葉に同調した教官が、本当に今、現実に存在しているのか疑わしくなるほどに。
「教……官……」
「だから、これはお前への宿題だ。アイツの言葉の意味をよく考えろ。――――そして答えを出せ、誰のものでもない、ラウラ・ボーデヴィッヒとしての答えを」
それがいかなる答えでも、お前自身の答えなら私は受け入れてやる。それだけを言い残し、教官は去っていった。
もとより私と論じる気はなかったのだろうか、それだけを伝えるべきとする様な態度に、足元が喪失したかのような錯覚に陥った。地面を踏みしめている感覚がしない。
――――どうして、教官がそんなことをいうのですか。
――――私はただ、教官の為に――――
――――やはり私は、あの男より――――
その後自分がどういう行動をしていたのか、それは全く記憶に残っていない。
とにかく、その場から離れたかった。当ても無く学園の中をさまよい続け、歩き続けた。私は拒絶されたのだろうか、私は結局――――
――――瞬間、身を切るような冷気が襲った。
自失していた思考だからこそ、それに対しては体が思考を占拠した。生物としての生存本能が反射的に体を突き動かし、太ももに巻き付けていたナイフホルダーから愛用のナイフを引き抜く。そしてそのまま冷気の元へとナイフを突き出した。
突き出される刃。順手で握りしめたそれは、最大速度で疾走し、冷気の源、その喉元へと迫った。
「シィッ!!」
「はあっ!!」
だがその刃の腹を茶色の何かが激突し、その切っ先を逸らす。乾いた音を鳴らして空を切る刃をかいくぐり、冷気の源――敵手の拳が私の顔面に迫る。私の初撃を逸らした者は木刀で、その流れのまま両手で握りしめた木刀の柄尻を私の顔面に振り下ろしてくる。
私はそのカウンターをナイフが逸らされた勢いを利用し、そのまま右前方へと進んで回避。視界の左側には無防備を晒している敵の左わき腹。そこへと左腕での肘打ちを見舞う。
相手は木刀を振り下ろした死に体で、今更木刀を引き戻しての防御は間に合わず、振り下ろしの為右足を踏み込んだ状態。回避も防御もままならないはず。
「――――させるかぁっ!!」
そこで敵手のとった手段は迎撃。とは言っても左足を脱力させこちらへと倒れこむ様な変速のタックルだ。威力は望むべくも無く、ただ自身の左肩を柔らかくこちらに押し当てる様な攻撃とすらいえない攻撃。
だが、そうすることによって肘打ちの威力を殺して窮地を退けてみせた。そのまま彼我の体格差――特に私の体は同年代の者と見比べても小柄だ――を利用して私を弾き飛ばし、不利な状況にあった間合いをリセットした。
人気のない校舎裏手の林の中、篠ノ之箒とラウラ・ボーデヴィッヒは向かい合う。得物はそれぞれ木刀とナイフ。間合いの面では箒の優勢であり、スピードの面では箒が手にする木刀が愛用の鉄芯入りの特注品ということもあり、ラウラが有利であった。
「――――しぃっ!!」
短い呼気と共にラウラが再び動く。低く這う様な疾走で剣士の弱点とも言える足元へナイフを走らせる。横薙ぎに振るわれる銀光一閃。
それに対し箒は未だ正眼に木刀を抱えたまま。いきなりの奇襲。そこから続く意味不明の戦闘。だがしかし生来の負けず嫌いの気質は「それでも負けるのだけは勘弁ならん」と闘志を過熱させ、思考を研ぎ澄まさせていた。
どうしてこうなったのかの解明は後回しにし、箒の思考はこの状況下における最善手を模索する。
導き出した手段は、右足の前方への踏み込み。何の変哲も無い、しかし現状においては遅きに失する一手。無論、そんな愚行を箒が犯すべくも無く、常の摺り足以上にその一歩は大地を、その表面の砂利を爪先で抉り取る。飛び散る飛礫は丁度ラウラの顔面に飛来し、その視界を塞ぎ、勢いを削いだ。
――――もらった!!
ラウラの得ていたスピードという優勢は既に無くなり、対して箒は右足を踏み込み体勢は十分。踏み込みと同時に振り上げていた木刀は、今まさに振り下ろされる。
唸りを上げる剛剣が直下にいるラウラの無防備な背中へと迫る。丸みを帯びて刃筋の滑る可能性がある頭頂部を避け、狙うはラウラの右肩。その一撃で骨を砕き、ナイフを振るわせない様にするためだ。
実に手慣れた、一夏に巻き込まれ潜り抜けてきた幾多の乱闘の経験が成せる的確な選択だ。故に骨の一、二本砕くことにも躊躇は無く、今は医療技術も進歩しているのだから骨折程度すぐ治るだろうという意思の元、その一撃は間違いなく箒の本気だった。
その箒の思惑を打ち砕いたのは、無手であるラウラの左手。初めから兵士となるべく生み出された遺伝子操作による高性能な肉体に加え、誇張なく人生すべてを修練に捧げたラウラの身体性能は、その可憐で小柄な体格に反して、まさに常人離れした物だ。
「な……にぃっ!?」
故に左腕一本で自身の体を九十度方向転換する無茶も罷り通る。大地に掌打を喰らわせて、その反動による離脱を成したラウラはすぐさま跳ね起きる。まるで猫のようにしなやかに体勢を整え、箒が木刀を振り下ろした隙を突く刺突を放つ。
「…………」
「ふんっ!! 喧嘩を売るのなら囃してみせろっ!!」
自失による忘我の状態で幽鬼のように刃を振るい続けるラウラを、箒は苦々しい表情を浮かべながら迎撃し続ける。
別段箒は売られた喧嘩を買うこと自体に否は無い性質だが、それは相手の意思が明確であってこそ。こんな意思なき喧嘩を売られては、喧嘩を売られたその事実よりも、その様にこそ苛立ちを感じる。
「ああもうっ、萎えるんだよっ!!」
まるで一夏が言う様な台詞を口にしながら、箒はどうにかラウラの連撃を捌いていく。
とはいえ場所が悪すぎた。二人が戦っている場所は林の中で、お世辞にも剣が振りやすい場所とは言えない。乱立する木々が剣筋を制限し、このような状況下において重要な小回りとスピードはラウラが優れている。
軍人としての修練を収めてきているだけあって、ラウラの格闘戦の技量は並外れている。特に室内での近距離格闘戦などは特殊部隊の軍人にとっては必須の物だ。それを応用しての小回りを重視したラウラの猛攻は、箒にとって厄介すぎる物となっている。
頬や四肢に次々とできる赤い筋。かすり傷とはいえど、こうまで続けばいつかは致命の一撃を喰らいかねない。しかし、こんな状況下において一か八かの特攻などもってのほか。カウンターをとられて自滅するのが落ちだ。
(…………やるしか、ないか?)
今日この時箒がここにいた目的。それを思い返し、それこそが起死回生の一手になるだろうかと思考し、忘我故に研ぎ澄まされ続けているラウラの猛攻がその思考を後押しした。
箒は左手を木刀の柄から手放し、手近に生えていた樹木の枝先をつまむ。そのまましならせラウラが突撃を仕掛けてきたと同時にその枝先を手放した。解放された枝先は、高速で元に戻ろうとしてラウラの視界を遮るコースをとった。ラウラはそれを頭を捻り回避するも、その一瞬の停滞を突いて箒は大きく飛びのいた。
「まあちょうどいい、貴様で試してやる」
そう言って箒は木刀を眼前に掲げ、意識を研ぎ澄ませる。
いつもなら模擬戦に明け暮れる筈の放課後、箒がここにいたのはまず、一夏がいきなり真耶に教えを請いに行くと言いだしたのが切欠だった。
「まぁ、戦い方が似ているみたいだし? ちょっくら美人教師といけない個人授業でもしに行くわ」
そうのたまって去っていった一夏。宙ぶらりんになった放課後の予定をどう潰そうかと模索した時に、ならばこそ自分も独自に修練しようと箒は思い立った。そしてその課題として選んだのが、とある古流剣術の技だった。
篠ノ之箒という少女は、自他ともに認める剣術馬鹿だ。とはいっても強くなること自体が目的ではなく、古流の技を習得することにこそ充足を感じる少々変わり者ではある。
故に時間が空けばどこかの道場に出稽古に赴いたり。両親や千冬の伝手を頼りに武芸者に師事を乞うたりしていた。
(――――宗次郎さんほどにできるとは思わんが、いや、これこそが雑念だっ!!)
そんな毎日の中で出会った一人の剣士。この時勢にありながらも剣に生き剣の為の人生を送り、剣そのものとまで謳われた一人の剣鬼。老齢にありながらも、その剣腕は人後に絶するほどであり、あの千冬ですら現状で引き分けがやっとという人物がいた。
しかも、箒にとっては幸運というべきだろうか、その人物は自身の流派の秘奥について他者に教えることに一切の頓着を見せず、むしろ喜び勇んでその技の数々を教えてくれた。
――――この時勢、剣を学ぶ者の大半がISの為の剣技しか学ばず、僕の技もこのまま消え行くのみかと思っていましたが、それでも正真の、生身の人間が扱う剣技に目を向けてくれるあなたの様な人物がいてくれたことは、素直に嬉しいと感じますよ。
剣を持った時とは似ても似つかない優男の笑顔を浮かべ、その武芸者は親身になって箒に手ほどきをしたのだった。
無論、学業の合間を縫っての事、その全てを習得するには未だ至っていない。故に箒は今日この時をそのための修練に当てることにしたのだ。
まずは彼が得意としていた技を、その階だけでも掴んで見せようと意気込んで、そのために必要な精神を研ぎ澄ませていた。
――――アイツはアイツで前に進んでいるのだから、私も前に進んで見せる。
なぜならば、その技に必要なのは肉体の技量ではなく、余分の一切が無い精神であるのだから。ただ只管に「斬る」という意思のみを刃に、切っ先に込める。
――――斬れないなどとは思わない。思っては駄目だ。なぜならこの一刀は必ず斬るのだから、斬れない道理などどこにもない。
状況としては、修行僧の精神統一に近いのだろう。只管に余分と余白を無くし、精神を一つの意思で染め上げて刃と成す。自己暗示、そう呼ぶのが適切なのかもしれない。
「梵天王魔王自在大自在、除其衰患令得安穏、諸余怨敵皆悉摧滅 」
更に深く自己を変革し研ぎ澄まさせるための祝詞を唱え、いよいよもって身も凍るほどの――ラウラですら反射的に戦闘態勢に移行したほどの殺気を、斬気を切っ先に込める。
その気配に押され、ラウラが反射的に飛びさがる。忘我故にその反応は正しく、そしてまったくの無意味だった。
「石上神道流、首飛ばしの颶風――――蝿声!!」
横薙ぎに振るわれる箒の木刀。ただでさえ開いていた間合いに加え、この瞬間においてはラウラが飛びさがっているが故に、完全にその切っ先は届かず空を切る。これまでラウラの猛攻を捌いていたのと同じ人物の行動だとは思えない、かけ離れた愚行の一撃。
「――――――――ぐぁっ!?」
だがその瞬間、ラウラの首筋から赤い血飛沫が舞った。まるでそう、横薙ぎの一撃がラウラの首筋を襲ったかのように、ラウラの首筋の頸動脈が切り裂かれていた。
普通ならそのまま即死しかねないほどに深い傷だったが、ラウラが専用機持ちだったことが幸いした。自動的にISの操縦者保護機能が働き、止血を施し応急処置を行った。
石上神道流、首飛ばしの颶風――――蝿声
彼の武芸者の得意とする技であり、届かぬ筈の一撃を届かせたその技の正体とは、殺気や斬気、つまりは相手を害する意思による攻撃である。
本来は剣先に凝縮した攻撃意思により、相手を竦ませ体勢を崩す技である。諸般の流派に謳われる気当たりなどに代表される物の剣技版と言えばいいだろうか。
しかし、彼の人物がこの技を振るう際はそれだけに留まらず、実際に対象を「斬る」ことすら可能にしている。
別段それは何か異質な力を使っているということではない。例えば暗示を掛けて、ただの鉛筆を焼けた火箸と認識させれば、ただの鉛筆に触れただけで人間の体は火傷の症状を負う。
それと同じように、常識離れした量を凝縮した殺気と斬気で、対象の体に「斬られた」と誤認させるのだ。そうしてその幻覚の後を体に追わせ、触れずに切るという芸当を成し遂げる。
この技において重要なのは、敵手の、身体の隙ではなく精神の隙を突く事。心の乱れこそがこの技を仕掛ける好機なのだ。
故に今のラウラなど、この技を前にしては隙だらけというほかない。忘我し反射的に暴れる獣に等しいのだから。
「…………………………あ、ヤバ」
とはいえ箒に、マジで首を切り落とすつもりはなく、未だ習得に至らぬ技、致命的な隙を晒させれば恩の字ぐらいにしか考えていなかった。
そもそもラウラが箒に襲いかかったのも、この技の修練の為に研ぎ澄ませていた殺気に、ラウラが過剰反応してしまったのが原因である。完全に箒が悪いとは言えないが、この現状に至ったのは半分ぐらい箒のせいでもあった。
首筋を鮮血で濡らし、一時的な貧血で気を失うラウラを目の前にして、途方に暮れる表情を浮かべる箒。
「…………とりあえず保健室に運ぶか」
あんまりこの技は使わないようにしようと思いながら、箒はラウラを抱えて保健室へと向かったのだった。
<あとがき>
首飛ばしの颶風って、今の箒にはぴったりな技だと思う。何せ箒の中身はあれだからして、いつかはあれを使うから、その時にこれを使ったらいろいろと洒落にならないよなぁ、という電波を受信したのさ(爆
後シャルの名字に関しては、あれは母方の名字で、デュノア家には戸籍上引き取られていないためです。