金曜日。 カリカリカリカリ…… カリカリカリカリカリ………… カリカリカリカリカリカリカリカリ……………… 一夏と千早は、膨大な量の書類をひたすら書き続けていた。「長い……先が見えない…………」「いくら正当防衛でも……無許可のISフル展開には、このくらいの代償が必要ってことか…………」 そんな疲労の色が濃い二人をよそに、他の生徒達はタッグマッチトーナメント3日目、1年生の第2回戦+第3回戦に出場していたり、それを観戦していたりしていた。 なお、この二人と2回戦で当たる予定だった箒+簪タッグは、一夏達が書類処理に追われて出場不可能になったため、不戦勝で3回戦に上がっている。「流石に、お前達も疲れてきたな」「こ、こんな無茶な量の書類を書かされたら、当然ですよ…………」 千早はそう言って、傍で自分達を見守っている千冬に恨みがましい視線を向ける。 彼女はマドカ達に襲われた一夏と千早の身辺を警護すべく、一昨日の襲撃以降ずっと楯無と交代で一夏と千早に張り付いている。 ……とはいえ、もう一回同じ相手に来られたなら、千冬や楯無の腕でも一夏達を守り通す事は不可能だ。 それほど、『白式雪羅』と彼女達の実力差は大きいかった。 千冬は『白式雪羅』との圧倒的実力差を思い起こすと同時に、軽く嘆息した。(何がブリュンヒルデ…… 自分より格上の存在を全く想定しないようになっているとは、我ながら見事なまでの天狗具合だな……クソッ! 今回の襲撃事件、他の何より自分自身の思い上がりに腹が立つ!!)「……千冬姉、どうしたんだ?」 書類を書き続けて千冬の方を一顧だにしていなかったはずの一夏が、そう千冬に尋ねる。「いやなに、自分の馬鹿さ加減に少し嫌気が差してな」 と、千冬はここで何かを思い出したように言う。「ああ、そうだ。 お前達、書類処理が終わったらアリーナに来い。 二次移行を果たした白式と銀華を見せろ、と各方面からせっつかれているからな」「各方面って……今回の襲撃事件と白式や銀華の二次移行って、もうそんなに知れ渡っているのか…………」 千早が呆然と呟くと、千冬はその言葉に答える。「まあ、どのみちお前達のISは、普段の授業でも使うからな。 二次移行した事などすぐバレる」「そりゃ、まあそうですけどね……」===================================== アリーナ。 少女達によるタッグマッチトーナメントが終了しているにもかかわらず、そこは未だに満員御礼だった。 みな、二次移行を果たした白式と銀華を見るために残っているのだ。 と、生身の一夏、千早、千冬、山田先生がアリーナに姿を現す。 山田先生のみラファールリヴァイヴⅡを身につけており、残りの三人は生身だ。「さて。 ではさっそく白式から行こうか。一夏」「ああ」 千冬の呼びかけに応えて、一夏が白式朧月を展開させる。「ふむ、ISネーム『白式朧月』か…… こうして改めて見てみると、思ったほどにはゴテゴテしていないな」 白式朧月は、かつての白式と同様、小型機となっている。 生身が露出している部分は胴体を中心に僅かだが減少しており、より鎧武者という印象が強くなっている。 スラスター関連は純正太陽炉と化した『半月・上弦』を中心に、すっきりとしたレイアイトになっていた。 そして目を引くのが、いかにも「私、着脱可能です」と言わんばかりの円盤状のパーツが両肩、両腕、両足にくっついている点だ。 細々としたデザインの違いに目をつぶれば、この点と『半月・上弦』が太陽炉化している点以外は、白式と大差ないように見える。 もっとも、太陽炉から発せられるGN粒子のおかげで、印象はだいぶ違っているのだが。「さて、まずは運動性能を見せてもらおうか……と言いたい所だが、紅椿の時点で「速すぎて訳が分からん」というクレームがあってな。 明らかにその紅椿より速いであろう白式と銀華の運動性に関しては、もう後で数字だけの資料を配布する予定だから、飛ばすぞ」「あ、そうなんですか……」 そんな千早の呟きに、千冬が答える。「今回は紅椿の時とは違う。 白式と銀華は全くの新造機という訳ではないから、極端な話、基本性能のお披露目は必要ない。 傾向はそのままに、全体的に強化されているのは分かりきっているからな。 だから、二次移行による変更点や追加武装が分かればいいんだ」 と、千冬は一夏に視線を戻す。「そういう訳で、だ。一夏。 白式の新しい武装があれば、それを見せてくれ」「ああ」 一夏は千冬にそう応えると、両腕、両肩、両足から円盤状のパーツを剥離させて展開する。「ふむ、これがGNプラネイトディフェンサー『朧月』か。 高効率かつ高強度のGNフィールドの展開を助けると共に、刃上に展開したGN粒子を纏わせて攻撃にも転用可能。 さらにはGN粒子を溜め込むGNコンデンサー、つまり予備バッテリーとしても機能する、と。 GNコンデンサーとしての機能は、ちょっとここでは検証できんな。 まあいい。まずはGNフィールドがどれほどのものか、見せてもらおうか」「ところで織斑先生。 GN粒子って何ですか?」 と、ガンダム00を見ていない山田先生が、会場中の人々の気持ちを代弁する。 彼女達は、GN粒子なる単語を知らないからだ。 すると千冬が、彼女の疑問に答えた。 「白式の追加スラスターから光の粒子が出ているでしょう。あれですよ。 多様な使い道のある特殊粒子という話ですが、その源であるGNドライブは束でも難儀するような代物なので、詳細は不明です」「そうなんですか。 すみません、織斑先生、話の腰を折ってしまって」「いえ、私の方も説明不足でした」 山田先生への説明を終えた千冬は、改めて一夏の方に向き直る。「それでは本題に戻るか。 一夏。 これから山田先生がお前に向かってアサルトライフルを発砲するから、それをGNフィールドで防いで見せてくれ」「分かった。 んじゃあ山田先生、やってください」「分かりました。 行きますよ、織斑君」 山田先生は、いつの間にか手に持っていたアサルトライフルの照準を一夏に合わせると、おもむろに発砲した。 が、GN粒子の膜がアサルトライフルの弾丸をことごとく弾き返し、一夏にはさっぱり届かない。「ふむ、シールドエネルギーが全く減っていないな。 一夏自身にも着弾によるよろめきが見られない。 太陽炉が生産するGN粒子を、そのまま防御に転用しているからか?」「性質的には、シールドバリアに比べて「ごく普通のバリア」って感じだと思うぜ? シールドバリアの絶対防御みたいな特殊な性質を持たない、単なる防御障壁って所みたいだ」「何を根拠に……と言いたい所だが、過度の期待を排する考えならば大目に見るべきか。 さて、次は攻撃に転用した場合だ。 これから山田先生がターゲットドローンを多数射出するから、それをGNプラネイトディフェンサーで迎撃しろ」「了解」「それでは山田先生、お願いします」「分かりました」 千冬に促された山田先生が、拡張領域からターゲットドローンを多数取り出して一夏にけしかける。 それを、一夏はGN粒子の刃を縁取るように発生させた朧月で、危なげなく迎撃する。「ふむ、最大射程5mといった所か。 非固定浮遊部位にしては異様なほど広範囲で自由に動かせるようだが…… おい、それは本当に非固定浮遊部位なんだろうな? ビットとかではないんだな?」「ああ、そうだけど? ビットなわけねーだろ? あれ制御するには、専用の訓練積んだ代表候補生であるセシリアでも負担なのに、そんなもんド素人の俺の手に負えるわけがねー」「まあ、それはそうだがな」 一応、簪ならば無線誘導制御と自分自身の戦闘を両立させる事ができるのだが、彼女は対暗部用暗部である更識家の人間。 つまりは、生まれついての生物兵器。 一般人であった過去を持つセシリアや一夏の比較対象としては、不適切もいいところだ。 トランザムについては秘密にする方針であったので、一夏の出番はここまでであった。「さて、次は御門。お前の番だ」「はい」 千冬に促された千早は、頷いて銀氷銀華を展開させる。 その瞬間、アリーナの空気が凍りついたように一変した。「へ? え? な、何? 何なんですか?」 千早が一人、戸惑いを見せる中、アリーナ中の人間が彼の美しさに息を飲む。 銀華からさらに洗練されたデザインは、あいも変わらずお姫様のよう。 追加された大型のアンロックブレードは、背中に待機しており、一見すると翼のようにも見える。 そして純正太陽炉と化した半月・下弦から発せられるGN粒子が、神秘的な輝きとなって千早を包み込んでいた。 そこに、銀糸の髪と菫色の瞳を備えた千早の美貌と有り得ないほどきめ細かい白い肌、平坦な胸以外は女性の理想といってよいプロポーションが加わるのである。 もはや、人間である事すら疑わしいほどの、妖精、あるいは女神のような美しさがそこにはあったのだ。「御門さん、綺麗……」 山田先生がうっとりとした表情でそう呟く。「へ? せ、先生……?」 その呟きにギョッとした千早が、辺りを見渡す。 千早にとっては不運なことに、ハイパーセンサーの恩恵によって、観客席にいる生徒や教師、IS関係者達の表情がそれで確認できてしまった。 彼女らの大多数が、目の前の山田先生とほぼ同じ表情をしているのを、ハッキリと判別できてしまったのだ。「えっと、その、あの、えーと…… あ、あの、先生。 僕、一応、男なんですけど…………」 千早がそんな説得力皆無の一言を発したのとほぼ同時に、凍りついたアリーナの空気が解凍されていく。「きゃぁぁぁぁっ、素敵です、素敵すぎますっ、千早お姉さま~~~~」「あ~~~ん、もう憧れちゃうわ~~」「まるで天使、ううん、女神様?」「神秘的な佇まいが素敵すぎるぅぅぅぅ~~~」「まるで妖精、妖精のお姫様だわっ!!」 アリーナが、千早の神秘的な美しさに憧憬の念を覚えた少女たちの黄色い声で埋まる。 当然だが、誰ひとりとして千早の事を男と扱っている少女はいない。 その事実に愕然とした千早は、停止した思考を無理やり再起動させる。(あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛………… そ、そうだっ、箒さんと鈴音さんだっ! 彼女達は、僕のことを男だって分かってくれてるんだから……っ!!) そんな事を考えて千早は箒と鈴音を探す。 するとそこには、今にも首でも吊りかねないほどの絶望的な表情をした箒と鈴音の姿があった。(へ? ええ? 何? 何がそんなにショックなんだ、二人共!?) 当然、女らしさで男である千早に絶望的なほどの大差をつけられた事に対するショックなのだが、千早にはそれが分からない。「御門、もういいか?」「は、へ? あああ、ああ、はい」 千早は千冬に話しかけられたことで、周囲の人間の自分に対する反応を意識の外に追いやることができた。「さて、では二次移行によって銀華、いや今は『銀氷銀華』か、に追加された装備のお披露目をしてもらおうか」「そうですね……プラネイトディフェンサーがない分、白式のものよりもかなり性能が低くなっていますけど、銀華の方にも一応GNフィールドがついているようです。 それと、空間制御能力がだいぶ使いやすくなっていますね」「……第三者には分かり辛い改良点だな…… いや、空間制御の性能の方なら、衝撃砲で確認可能か」 千冬はそういうと、山田先生に向き直る。「山田先生、スモークディスチャージャーはありますか?」 いきなり千冬に話しかけられた山田先生は、千早の美しさに惚けていたのですぐには反応できず、間を置いて慌てて返事をする。「ふぇ? え、あっ。はい、持ってきていますよ」「それなら、煙を出してください。それで銀氷銀華の衝撃砲を可視化します。 また、それとは別に、衝撃砲の射程の観測もお願いします」「分かりました」 そして、千冬は再び千早の方に向き直る。「そういうわけでだ、御門。 スモークディスチャージャーの煙の中で衝撃砲を発射してみてくれ」「分かりました」 千早は千冬の指示通り、スモークディスチャージャーで焚かれた煙の中で衝撃砲を放つ。 煙は爆発音と共に、千早が伸ばした手の延長線上だけ一瞬で吹き飛ばされてしまった。「ふむ、収束率の方も上がっているのか? 山田先生、射程の測定は出来ましたか?」「はい。すごく短いですよ。 大体7mほどのようですね」「7mって、倍以上に伸びてたのか……」 山田先生が言った「7m」という射程に対して、千早がそんな事を呟く。「……ちょっとまて。 お前、今までの銀華の衝撃砲の射程はどれくらいだったんだ?」 千早の一言に、千冬がそんなツッコミを入れる。「へ? 3m程ですけど……知りませんでしたか?」「いや、極端に射程が短いとしか聞いとらんぞ。 それにしても、お前、よくそんな短射程の衝撃砲で戦えたものだな」「いや……得物がコレしかなかったものですから……」 千早は、そう言って肩を落とす。「…………そう言えばそうだったな。 次だ、次に行くぞ御門」 千冬は気を取り直して、千早に次の装備を見せるよう促した。「はい」 そう言って、千早は背中に待機していたアンロックブレードを動かす。「新型のアンロックブレードか。 小さい方がアンロックGNロングブレード『銀氷・氷柱』、大きい方がアンロックGNラージブレード『銀氷・吹雪』……と。 ……ん?」「? どうしたんですか?」「いや、元からあった『銀氷』の方も、何やら名前が変わっているな。 アンロックGNショートブレード『銀氷・改』か」 そう言われた千早は、銀氷・改を動かしてみる。「でも使用感は以前のものと全く変わってませんよ? 単純に二次移行とGN粒子のおかげで性能が上がっているようですから、名前も変わったんじゃないんですかね?」「ふむ。確かに『改』とあるしな。 そんな所か。 それでは御門、残りの『銀氷・氷柱』と『銀氷・吹雪』のテストを行うぞ」「分かりました」「では山田先生。先程の一夏の時と同じように、ターゲットドローンの射出をお願いします」「はい、分かりました」 そういうわけで、千早もまた一夏と同じようにアンロックブレードでターゲットドローンを迎撃していく。「こちらも一夏のプラネイトディフェンサー同様、最大射程は5mほどか。 どちらも非固定浮遊部位とは思えん操作範囲だな」「ええ」 千早の方もトランザムを秘匿する方針なので、新装備のお披露目はここまでだった。「さて、時間も少し余っているようだ。 織斑、御門、軽く模擬戦をしてみてくれ。 それをもって、総合性能のお披露目とする」「分かりました」「分かった。 んじゃあ、千冬姉は山田先生と退避しててくれ」「ああ」「それでは行きましょうか、織斑先生」 その模擬戦は、白式VS銀華の戦いの常で、非常に高い機動性能を駆使した戦いとなった。 一夏と千早の間合いが極端に広くなったせいか、これまでほど両者が最接近する頻度は高くない。 おかげで、待ちに徹する戦い方が通用しなくなっている事も如実に伝わってきていた。「二人共、今日のタッグマッチトーナメントで敵として戦っていたかも知れない、と考えると、かなりめんどくさい相手になったな…… 少なくとも私では、まるで戦力にならず、更識さんの足を引っ張ってしまうことは確実だ」「いや、そうなってたら私だって勝ち目がありませんよ。 二次移行前のありえない機動だって驚異なのに、あんなにリーチが伸びて手数も増えた挙句、機動性能もさらに上がってて…… 待ち戦法が通用しなくなっているのも、確かに敵として想定してみると厳しいですね」 観客席の箒と簪は、そんな事を言いながら模擬戦を見守っている。 箒は紅椿の機動性に対応すべく反応速度を高めようと訓練しているため、簪は『更識家の人間』という生物兵器として育て上げられているため、模擬戦の様子を把握する事ができている。 とはいえ、箒の方はかろうじて把握できる、といった程度だ。 さらに、ほとんどの1年生やIS関係者は、あまりにも早すぎて、まためまぐるしすぎて、全く内容を把握できていない様子だった。 流石に2年、3年と学年が上がるとともに、内容を把握できている生徒の数は増えていっているようであるが。「しかし『ド素人』か……全く、どの口で言っているんだ、あいつは」 自分がついていけない超高速で展開する模擬戦を見ながら、その模擬戦を繰り広げている一夏が先ほど言った一言に対して、箒は呆れの混じった否定の言葉を口にするのだった。=====================================「ふぃぃ、終わった終わった」 模擬戦に敗れ、アリーナから戻った一夏は、そう言いながら『白式・朧月』を待機状態にした。 元々銀華相手には相性的に分が悪い白式なのだが、その力関係は二次移行を果たした現在でも健在のようだ。 そして勝者のはずの千早は、部屋の隅っこで膝を抱えていた。「……僕だって男さ………… だから、女の子達にあんなにキャーキャー言われたら、そんなに悪い気はしない、ハズなのに………… 何かが、何かが違う…………」「いや、もう今更だろ、ソレ」 苦悩する千早に、氷のようなツッコミを入れる一夏。 千早は深いため息をつくと、一夏の顔を見上げる。「……まあ、もういいけどね」 いい加減、このIS学園では自分のジェンダーアイデンティティなど無きに等しい事を学習している千早は、諦めの色を多分に含んだセリフを吐いた。 しかし、千早の浮かべる憂いの表情は、さらに影を深くしている。 千早が選んだ次の話題が、非常に気が重くなるようなものだったからだ。「ん? どうしたんだ?」 怪訝そうな一夏に、千早はプライベートチャンネルで応えた。『いや……一夏、本当に本物の織斑一夏と一人で戦うつもりなのか?』 話題が話題だけに、一夏もプライベートチャンネルで応じる。『……しょうがねーだろ。 事情が事情とは言え、千冬姉すら巻き込めねえんだぞ? 絶対逃げられない俺だけで事に当たるしかねーだろ』 とはいうものの、一夏の顔にも苦悶の表情が浮かぶ。 何故なら……『まず間違いなく殺される上に、奇跡的に助かったとしてももうこの世界にはいられなくなるのに、その上誰にも頼るつもりがない? 痩せ我慢も、そこまでいくと思い上がりだ』『いや、事が済んだらお前の世界に移住するつもりだから、束さんには頼るさ。 それに本物との戦いじゃ、誰かに頼った所でどうしようもねえだろ? 本物はVTシステムのおかげで絶対無敵、しかも素の状態でも馬鹿げて強ぇみてぇなんだぞ。 ……おまけに、俺が偽物である事を承知で味方する奴がいたら、そいつまで俺と同じ抹殺対象になりかねない。 それなのに、お前含めて、誰かを巻き込めるわけがないじゃないか』 本物の織斑一夏と敵として対峙するということは、非常に高い確率で死に直結してしまうからだ。 おまけに『それに、俺と本物の入れ替わりを千冬姉に悟られるわけには行かない。 偽物の織斑一夏なんていない。最初っからずっと本物が千冬姉のそばにいた。 そういう事にする為には、俺が偽物だっていう事や、本物と俺が入れ替わったっていう事を知ってる奴が少ない方が良いんだ』 一夏は、自分と本物の織斑一夏を入れ替えようと考えていた。 つまり、たとえ奇跡的に生き延びたとしても、彼は「織斑一夏」という社会的立場を失うのである。 それはIS学園の生徒でなくなるばかりか、千冬の弟でも、箒や弾、鈴音らの幼馴染でもなくなるという事でもある。 そうなったなら、恐らくは本物と同一の遺伝子を持つ一夏にとって、IS世界は生存不可能なだけの危険地帯でしかない。 その為、知り合いが千早の家族しかいない千早の世界に移住しなければ、一夏は間違いなく遠からず死んでしまう。 家族もなく、住む惑星すら生まれ育った星ではないという、完全な天涯孤独。 一夏は、自分をその状態にしてしまおうと思っているのだが、死の恐怖と孤独への恐怖はまだまだ彼を苛んでいる。「ええと、恋人同士の甘いひと時を邪魔しちゃったかしら?」「「っ!!!!」」 唐突に聞こえてきた第三者の声。 一夏と千早がその声の方に顔を向けると、そこには楯無の姿があった。 どうやら、千冬と交代して一夏の護衛に入った様子である。「さ、さ、更識先輩!?」「ちょ、こ、恋人ってどういうことですか!?」 突然の楯無の登場と、彼女の爆弾発言に動転する二人。 その二人に対して、縦無は軽い調子で応えた。「へ? 違うのかしら? あんまり真剣な顔をして見つめ合っているから、恋人同士としてあーんな事やこーんな事を」「するわけないでしょう。 っていうか、大体あなただったら、僕が男だっていう事くらい分かってるはずじゃないですか。 からかわないでください」 千早本人はそう言っているものの、先程の憂いを浮かべた彼の美貌は、彼を女性にしか見えなくさせていた。 また、楯無は千早の事を「性転換機能で男性化している美少女」と認識している為、この千早のセリフを軽く流す。(まー性同一性障害って奴なんだろうし、彼女を弄るのはこの辺にしておいた方がいいわね) 千早が聞いたら肩を落とす事間違いなしな事を考えた楯無は、本題に入ることにした。「それで今の貴女達の内緒話は、織斑君が偽物だっていう事と関係あるのかしらね?」「「っ!!!」」 楯無の思わぬ一言に、一夏と千早は絶句してしまう。「な、なんでその事を……!?」「図星って奴みたいね。 もし良かったら、詳しい話を聞かせてくれないかしら?」「…………はい。 ただ、千冬姉の耳には絶対入れないで下さいね」「…………となると、ちょっと場所が悪いわね。 二人共、ちょっと付き合ってくれるかしら?」「ええ、いいっすよ」===================================== IS学園敷地内にある遊歩道から、いくらか外れた一角。 木々が生い茂り、遊歩道側からは様子が伺えなくなっている空間。 楯無は、そんな場所に一夏と千早を連れてきた。「さて、ここなら監視カメラや盗聴器の類の心配はないわ」「先輩のお墨付きなら安心ですね。 ……先輩に俺達をハメる気がなければ、ですけど」「信用ないわね」「いや、先輩って一応暗部のお偉いさんですよね? 俺達みたいな一般人じゃ、いくら警戒しても意味ないっつっても、やっぱり、ねぇ?」「確かに、それを言われると弱るけど。 まあいいわ。本題に入りましょう」 一夏と千早、楯無の表情が同時に、いつになく真剣になる。「んじゃあ先に質問して良いですか? 先輩はなんで、俺が偽物だって知ってるんですか?」 重い空気の中、先に口を開いたのは一夏だった。「今回の襲撃犯がどんな相手なのかを知るために、白式と銀華の戦闘ログを調べてたら、あなた自身がそう言った記録が出てきたのよ」「「……あ」」 確かに襲撃犯に遭遇した者のISは、襲撃犯の情報を得るために戦闘ログを調べられるのが当然である。 間の抜けた話だが、あの時の一夏はその事を失念していたようだった。「それで、あなた達はあのクアンタムバースト……で良かったのかしら? アレで何を見たの?」 と、今度は楯無から一夏の方に質問をする。「いや、あれはトランザムバーストで、クアンタムバーストってのはその強化版ですから。 っていうか、もしかして映画版しか見てませんか?」「ええ、1年間続いたアニメを端から端までなんて、確認する余裕なんてなかったから、とりあえず映画版だけで済ませたわよ。 ま、あの現象の名前は今はどうでもいいわ。 問題は、アレであなた達が何を見たのか、よ」「確かに、そうですね」「で、何を見たのかしら」 楯無の顔に真剣さと同時に好奇心が宿る。 彼女にとっては必要だから聞いている事ではあるが、純粋に知りたいという欲求もあるのだ。「……『紅椿』を身につけた襲撃者、織斑マドカの過去が断片的に、って所です。 とはいえ、結構色んな事が分かりましたけどね」「へえ……って、織斑!?」 マドカの苗字に強く反応してしまう楯無。 織斑は非常に珍しい姓だ。 その姓を持つ女性が『紅椿』を身につける。 とても千冬・一夏の織斑姉弟と無関係とは思えなかった。「コードネームみたいなもんです。 彼女は俺と同じで、本物の織斑一夏のクローンなんですよ。 俺と違って戦闘用なんで、ISを使えるように、って女として作られたみたいです。 ……後で本物や俺がIS使えちまう事が分かったんで、無用の配慮みたいでしたけど」「なるほど。それで織斑先生にソックリな訳ね」 とはいえ、少し似すぎのような気がしないでもないが。「それで、あなたは戦闘用じゃない、と?」「はい。 俺と織斑マドカを生産した連中って、本物を誘拐した誘拐犯なんですけど、俺の事は本物の代わりに千冬姉に救出させる為に作ったみたいなんです。 ガチで使うマドカと違って、俺の方は、ほんのちょっとの間だけ千冬姉を騙せれば良かったみたいなんで、相当いい加減に作られてるはずですよ」「そう……それじゃあ、本物のあなたはどうしているのかしら?」 そこで、一夏の表情に陰が表れる。「……本物の俺って、小学生の時点で無拍子のさらに先とされる、零拍子と呼ばれる奥義が使えた化物なんです。 その非常識な強さに目をつけた連中が誘拐した後、人格を完全に破壊して、感情と人格を持たない工作員に仕立て上げたんですよ。 千冬姉に対する人質としての価値なら、本物の記憶を転写したクローンの俺で十分でしたけど、戦力としては恐ろしい程の強さと、その強さを持つに至った積み重ねを持つ本物の俺は得難い人材で、クローンでは代用できませんから」「え、人格を、破壊?」「へ? 裏の世界じゃ普通にあることじゃないんですか?」 楯無の戦慄が意外に感じた一夏は、そう尋ねる。「ん~~、まあ確かにあることはあるけれど、そう大した頻度じゃないわよ? 大体、感情と人格を持たない工作員って、育成に手間がかかる割に下っ端仕事しかさせられなくて、効率が悪いのよ。 裏切りを考えないのが利点だ、なんていう連中もいるけれど、そんなの忠誠心を持ってもらう努力を怠る3流以下の寝言よ。 大体、命令者が誰なのかっていうのを書き換えられたら、あっという間に裏切られてしまうじゃない」「あー、まさに本物がそんな感じになってたみたいですね」「ん? でもちょっと待って」「へ? どうしたんですか?」 楯無はもう一つ、今の話で不可解なポイントがある事に気づく。「今の話だと、本物のあなたは、無拍子のさらにその上が使える達人なのよね?」「はい」「それがド素人のあなたと入れ替わった、と…………」 楯無は、IS学園に来たばかりの頃の一夏の強さを思い起こしてみる。 思えばあの頃、楯無も任務以前に結構なミーハー根性を出して一夏との接触を試みた記憶があった。 諸事情により、結局接触は果たせなかったものの、一夏達の訓練風景を生で見る事は度々あった。 楯無は、その時の記憶を掘り起こす。 数年前までは、無拍子のさらにその先が使えていた元達人。 そう思うには、あまりにも一夏は弱すぎた。 確かに人間、いくら武芸を修めていても、鍛えず放置していれば鈍るのは当然である。 しかし、無拍子のさらに上と呼ばれる奥義を使えるほどの達人が、あの頃の一夏のレベルまで鈍ってしまうのに要する時間は、恐らくだがこれまでの楯無の人生よりも長い。 いや、そもそもそこまで鍛えていた人間が、老化も伴わずにあのレベルまで鈍ってしまうこと自体ありえる話なのだろうか? 今までの楯無は、「一夏は小学生の時点で無拍子はおろか、その更に上とされる奥義・零拍子が使えた」という情報を耳にしていなかった為、この一夏の弱さは大して気に留めていなかった。 しかし、知ってしまった今ならば、話は別である。 ありえないのだ。 千冬ほどの達人が、化物級の本物がド素人の偽物と入れ替わった事に気付かないという事は。「なんで、織斑先生は、本物があなたと入れ替わった事に気づいていないの……?」「俺、いや俺も本物も、千冬姉とは結構疎遠だったんですよ。 ほら、千冬姉ってすげー忙しいですし」「それにしたって……っ!!」 救出した時点で気づくはずなのだ。 達人と素人では、ただ歩くだけで違いが出るものなのだから。「俺、死ぬほど心配した弟をやっと救出できたって事で、むちゃくちゃホッとしている千冬姉の事をよく覚えています。 多分……なんかバイアスっていうんですか? そういうので、俺のことを偽物だと思えなくなったんだと思います」 一夏は痛ましそうにそう言った。 楯無もその説明に納得する。 多分、千冬の脳裏にも、「自分が助け出したのは、本当に本物の一夏なのか?」という疑問が浮かばなかったわけではない。 浮かんだとしても、それが表面化する前に無意識下で打ち消していたのだろう。 ……その問の正解に行き着いた彼女自身の反応を、彼女自身が無意識に恐れて。 だからこそ、一夏の痛ましい表情にも納得がいった。「……ちょっと話し辛い事を立て続けに聞いちゃったみたいね」「いえ、別に、どうせ話す内容ですから」「じゃあ、トランザムバーストとかいうので分かった事を、時系列順に話してくれないかしら?」「はい。 そもそもの始まりは、本物の俺が誘拐された時の事です」 そうして、一夏はトランザムバーストで知り得た、マドカが知っていた情報を時系列順に話しだした。 トランザムバーストで知り得た情報は一夏と千早で少しずつ違っていたので、一夏が知る事ができなかった箇所を千早が補完する。 本物の一夏を誘拐した犯人達は、その遺伝子から偽物の一夏とマドカを作成。 偽物の一夏を本物の身代わりとして千冬に救出させる一方で、本物の一夏から人格と感情を奪い、工作員に仕立て上げる。 マドカは最初から工作員という生物兵器として生を受けたはずなのだが、その生まれの割には非常に反抗的な性格をしていた。 その為、マドカを作った組織は、彼女の体内に埋め込んだ爆弾で彼女を脅して使っていた。 その後、その組織が、マドカや本物の一夏といった工作員に工作活動をさせていたある日。 組織の破局を告げる出来事が起こった。 束が「本物の一夏が人格と感情を持たない工作員にされている」という事実を嗅ぎつけてきたのである。 そして束は、本物の一夏の奪還を決意する。 束はまず手始めに、マドカから爆弾を除去する事で彼女に恩を売り、内通者とした。 また、多数のISを所持していたその組織をそれなりに危険であると感じた束は、箒や千冬を巻き込まぬよう、他の追っ手に対するデコイも兼ねて、人間偽装型無人IS、つまりは自律型アンドロイドを作成して野に放つ。 それが千早の家に出入りしている束のようだ。 そう、彼女もまた、一夏同様偽物だったのである。 その後、技術者であるはずなのに諜報戦において無類の強さを発揮した束は、組織をほぼ全壊させ、本物の一夏の奪還及び命令権の奪取に成功する。 しかし、その後どれほど束が努力しようとも、本物の一夏にマトモな感情や元の人格が戻る事はなかった。 そんな中、「世界初の男性IS装着者」として、偽物の一夏の事が連日報道されるようになる。 本物が人格を奪われ工作員として後暗いことをやらされていたのに、のうのうと織斑一夏として平穏な生活を送る偽物。 束は偽物の一夏の報道を見て、彼に殺意を抱くと同時に、彼の事を「織斑一夏のバックアップ」と考えるようになる。 本物の一夏が過ごすはずだった平穏で幸せな日常。 その記憶を偽物の一夏から、本物の一夏に転写する。 そうすれば、本物の一夏も人格を持たない工作員から、人格も感情も持った一人の人間に戻ることができるだろう。 そして用済みになった偽物の一夏は、束にとって恨み骨髄の相手であるので、彼女はそのまま彼を殺処分してしまうつもりでいた。 もっとも……楯無にこの話を話している偽物の一夏自身、最後に自分が殺されるという一点を除いては、この束の考えに全面的に賛成している。「……とまあ、こんな感じですかね」「それじゃあ、篠ノ之博士にしか作れないはずの無人機が襲ってきたのは、本物の方の篠ノ之博士の差金って事かしら?」「そこら辺は見れませんでしたけど、多分、そうだと思います」 千早の家にいるのは、偽物の束である。 だから、本物の束がした事を感知していなくても不思議ではない。 そうして、楯無は一夏から得られた情報を黙って吟味する。(篠ノ之博士が諜報戦で圧倒的な強さを持っているのは、『インフィニットストラトス』と同じ。 むしろ異世界に脱出してしまって、こちらの世界の世事に疎い千早さん家の篠ノ之博士の方が『篠ノ之束』からかけ離れている)(私を含めて、この世界とこの世界の人間が、『インフィニットストラトス』の登場人物達に似過ぎているのは解っていた。 けれども物語の『篠ノ之束』とはかけ離れていた篠ノ之博士の存在が、「やはり現実と物語は違う」という論拠となっていた。 ……そして、その論拠が崩された。 彼女は篠ノ之束ではなく、本来の篠ノ之束は『インフィニットストラトス』の『篠ノ之束』に類似しているのが確認されてしまったから)(となると、劇中の登場人物としての『私達』が、物語の文法上どういう立場にあるのか、今までよりも真剣に考えないといけないのかも知れない) そこまで考えを進めた瞬間、楯無はとんでもない事に気づく。 『織斑千冬』は死亡フラグの塊であるということに。 その次の瞬間から、楯無の脳は勝手に連想を進めてしまう。(死亡フラグの回収は、あっけない場合も多いけれども、劇的に、そう悲劇的に力のこもった演出がなされる事がとても多い。 ……親友の差金で動く実の弟と、それとは知らずに戦い殺される。 …………充分すぎるほど劇的だわ) となれば、次に本物の一夏と、白式雪羅と戦う時が千冬の最期と考えて良いかもしれない。 死亡フラグ回収にはあまりにも相応しすぎる状況だからだ。 無論、異常なほどの事情通である本物の束なら『インフィニットストラトス』の事は承知しているだろう。 つまり彼女もまた、千冬の死亡フラグ回収を恐れていると考えて良い。 今回の襲撃で本物の一夏が千冬を「回避推奨対象」と呼んでいたのは、千冬の死亡フラグを回収させないようにするための本物の束の配慮の表れなのだろう。 とはいえ……先方が、いずれ偽物の一夏を本物と入れ替えた上で殺害するつもりである以上、遠からず本物の一夏は偽物の一夏の前に立ちはだかる。 その時、偽物の方を自分の弟と認識している千冬が近くにいたなら…… 同じような懸念は、一夏や千早も抱いていた。 しかもこの二人の場合は、より深刻である。 何故ならば、マドカとの戦闘において、主人公補正の存在を確認してしまったからだ。 普通に考えて、あんなに都合の良いタイミングで二機ものISが同時に二次移行する事など考えられない。 ましてや、偽物とは言え自力でISコアを作る事ができるほどの能力を持った束ですら、未だ製造に成功していない純正太陽炉を備えた姿となり、トランザムバーストまで起こすなど、よく考えなくとも100%ありえない事態なのだ。 しかし、物語の中の主人公の逆転劇としてみるなら類型的ではある。 すなわち、白式と銀華の二次移行そのものが、主人公補正が存在するという動かぬ証拠なのだ。 そして、物語の舞台装置であるはずの主人公補正が実在してしまった以上、同じく物語の舞台装置である死亡フラグもまた、実在しているかもしれないと疑う必要がある。 そう考えると、千冬が死亡フラグの塊にしか見えなくなってしまったのである。 無論、主人公補正は存在しているが死亡フラグは存在していない、という可能性もなくはない。 しかし、死亡フラグは主人公補正とは違う。 その存在が確認された時点で手遅れである。 であるならば、「死亡フラグは存在している」という前提で、モノを考えるべきだった。 だが、こちらはこちらで、死亡フラグ回避のための具体的な方策がある。 主人公補正は一夏に働いているようなので、一夏が本物を差し置いて主人公扱いされていると考えられる、というのがポイントなのだ。 その主人公をこの世界から排除してしまえば、そこで『インフィニットストラトス』は破綻し、終了する。 つまり、一夏が本物の一夏と戦って入れ替わり、殺害されるなり千早の世界へ移住するなりして、この世界からいなくなれば千冬の死亡フラグをへし折る事ができる。 万が一、それでも千冬の死亡フラグが生き残っていたとしても、その時に千冬の弟として彼女の傍にいるのは、圧倒的な強さを持ち、工作員として経験によって暗殺の手口にも精通しているであろう本物の一夏である。 彼でもどうにもならないのなら、どのみちか弱い素人である偽物の一夏や千早がいた所で何の役にも立たない。 だからこそ、一夏は本物と入れ替わってしまいたいのだ。 楯無も非常に頭の良い少女である。 なので、熟考の末、偽物の一夏が考えている事にも行き着く事ができた。「織斑君……もしかして、織斑先生には死亡フラグがあって、主人公補正のある自分がいなくなる事で、その死亡フラグを折る事ができる、って思ってるの?」「……はい」 当然だが、一夏にとっても非常に辛い決断である。 正直に言って、実行するのがとても怖い。 一夏の体は、その恐怖に震え、その表情は苦痛に満ちている。 もっとも普段からそんな様子をあらわにしていれば、千冬に勘ぐられてしまう。 なので、普段は何事もないかのように振舞っているし、千早にもその旨口裏合わせをしてもらっている。 とはいえ、自分が偽物である事が絡んだ話題を話す時となると、やはり震えを抑える事ができない。 自分の事ではない千早にしても、平常通りの振る舞いは難しいようだ。「どういうわけか、本物じゃなくて俺の方に主人公補正があるのも、考えようによっては幸運かもしれません。 俺と本物が入れ替わった後、本物の方に主人公補正があれば千冬姉の死亡フラグも生き残ってしまいます。 でも、俺の方が主人公だったなら、俺がいなくなった時点で『インフィニットストラトス』が破綻して、千冬姉は死亡フラグに脅かされる事なく、本物の俺と恙無く暮らしていく事ができます。 本物に主人公補正がある場合よりも、物事が丸く収まってくれるんですよ」「そんな、「自分が死ねば全てが丸く収まる」みたいな事言わないで!!」 楯無は思わずそう叫んでしまう。「そりゃ俺だって死にたかないですよ。 でも……そう遠くない将来、もう一度本物の俺と戦う羽目になるのは、動かしがたい事実です」 その一言に、千早と楯無は辛そうに押し黙る。「俺は、本物の俺との戦いから逃げるわけには、まして千冬姉の陰に隠れて逃げるわけにはいかないんですよ。 それやっちまったら……マジでぶっ殺されても文句が言えない、最低のクズ野郎になっちまいますから……」「助けて欲しいとか、自分が死んだら誰かが悲しむとかは考えないのね」「……俺が偽物で、本物と入れ代わる必要がある、って事を知っちまった先輩や千早には、申し訳ないと思ってます。 でも、それを知らずにいた奴にとっては、俺と本物の入れ替わりは「ある日突然俺が強くなった」って、それだけの話になります。 だから……頼みます。 千冬姉には……俺が偽者だっていう事は、絶対に言わないでください。 偽物の織斑一夏なんていない、織斑千冬はずっと本物の織斑一夏と暮らしていた。 俺は……そういう事にしたいんです」「…………あなたはそれでいいのね?」「ええ……無自覚だったとは言え、俺はずっと千冬姉を騙してきたんです。 これがせめてもの償いになるなら……構いません」 と、ここまでほぼ黙って一夏と楯無のやり取りを眺めていた千早が、口を開く。「……やっぱり、何もできずに眺めているのは、辛いな。 千歳さんが弱っていくのを、何もできずに眺めているしかなかった時の事を思い出すよ」「あー、千歳ちゃんか……そういやお前にゃ、そんな事もあったんだっけな」「千歳って……貴女のお姉さんの幽霊とかいう、妙に明るく振舞っている時の貴女やラウラさん?」 流石に幽霊という存在は楯無としても受け入れ難く、妙な言い回しになってしまう。 だが、幽霊というからには……その千歳という少女は、故人のはずなのだ。 つまりその千歳を姉に持つ千早は、姉と死に別れた経験を持つという事になる。「まあ、そういう風にも見えますよね。 僕だって、千歳さん以外には誰かが化けて出たのを見た事なんてありませんし、ちょっと信じられないのは分かりますけど」「……辛かった?」 楯無は「もし簪に死なれてしまったら」と我が身に置き換えて考えつつ、千早に尋ねる。 そして、そのシミュレートの内容に震えながら、千早からの返答を聞く。 「それはもう……家中の誰も彼もが悲しんで…… そして、これは僕の対処が悪かったせいでもあるんですが、母さんはごく軽度ですけれど精神を病んでしまって、僕と千歳さんを混同して千歳さんの存在そのものを忘れてしまいました。 ……最初からいなかった事にしないと耐えられないほど……姉を、千歳さんを失った悲しみは大きかったんです」 ちなみに、千歳の存在を忘れてしまっているのは、妙子のみならず史も同様である。「……でもよ、だからっつって今回俺に手を貸して、お前までぶっ殺されたらどうすんだよ。 お前、もう一度同じ悲しみを家族に味あわせるつもりか?」 そう言われた千早は、言葉に詰まる。「千早、お前にゃ感謝してるぜ。 『インフィニットストラトス』の話を聞く限り、お前がいなけりゃ、ひたすら弱いくせに思い上がりも甚だしい、とんだ勘違い野郎に成り下がってたみたいだからな。 そいつを防いでくれたお前にゃ、感謝してもし足りない。 でも……お前は『俺が強くなるためのライバル』だ。 ヤバい橋まで、一緒に渡る事はない」「でも、だったらたった一人で本物の一夏に、どう対処するつもりなんだ! まさか唯々諾々と殺されるつもりなのか!?」 楯無もそれが聞きたいとばかりに一夏に視線を送る。 どう考えても、現時点で開示されている範囲の情報では、一夏が殺害される以外の結論には達しないのだ。「……トランザムバーストを使う。 GNプラネイトディフェンサー『朧月』は、GNコンデンサーにもなるみたいだから、俺一人でもやってやれない事はないはずだ。 確か、劇場版のダブルオーライザーが、コンデンサーでトランザムバーストを発動させていたはずだからな」「トランザムバーストで何をするのかしら?」「本物の俺に、俺の記憶を転写します。 ここまでなら本物の束さんも同じ事をしようとしているんですから、彼女からの妨害がない可能性が高いです。 そしたら、俺の記憶をコピーされた本物が味方してくれる事を祈りつつ、全力でトンズラして千早の家に行って、もう二度とこの世界の土を踏みません。 その後、使用しているISから入れ替わりがバレないように、俺の白式を千早経由で本物に渡して終了です。 それで、俺がこの世界から排除された事になるはずです」「結局、あなたがいなくなる事に変わりはないのね」「そりゃあ、「織斑一夏」が二人いる事による政治的混乱、って奴がありますから。 俺はぼんやりと「なんかヤバそうだな」としか思ってませんけど、先輩なら具体的にどんだけヤバいか分かりますよね?」 そう言われると、楯無もグウの音が出ない。 確かに一夏の指摘通り、ヘタをすれば世界規模の大混乱が起こりかねないからだ。「実のところ、いつ奴と入れ替わるのか、ってのも決めてあるんです」「「え?」」 楯無ばかりではなく、千早まで一夏に聞き返す。「7月にある臨海学校なんですけど、アレって期末で赤点食らった奴はいけないみたいなんですよ。 んでもって、千冬姉は引率で臨海学校に行く事が決まってるみたいなんです。 だから、期末でわざと赤点を取ってIS学園に残ります」 これはプランの形を借りた、千早の助力に対する拒絶でもある。 一夏は赤点をとっても不思議ではない成績なのだが、千早は成績上位で赤点をとることがほぼ考えられない。 その為、千早が赤点を取ってしまえば何らかの勘ぐりを受ける事になり、動き辛くなってしまう。 そう、千早は一夏と同じ手段でIS学園に残る事ができないのだ。 そんな側面もある一夏のプランに、楯無が疑問を呈する。「そんな誘いに乗ってくれるかしらね?」「俺の方が圧倒的に格下ですから、誘いである事を承知で俺の事を舐めてくれて動いてくれると思ってます。 本物の束さんにしても一刻も早く、千冬姉に感知されない形で俺と本物を入れ替えたいと思ってるでしょうから、千冬姉と俺が遠く離れている最速のタイミングを逃すとは思えません」「……そう」 一夏は未だ恐怖に震えているものの、その決意は硬い。 どんな形であれ、本物と入れ替わってしまおうとするその決意は、恐らく何人たりとも覆す事ができない。 楯無は一夏と話していて、そう感じざるを得なかった。==FIN== メタ発言満載なお話になってしまった(汗) ……というわけで、一夏はおとボク世界に移住するか殺されるかの二者択一。 IS世界では生存不可能になるので、IS世界の住人であるヒロインズを恋人にする余地がなくなりました。 どーせすぐ別れる羽目になりますし。 そういうわけで、ヒロインの皆様ご愁傷さま、という感じのタイトルになりました。 入れ替わった後の本物を相手に、再チャレンジしてください…………元「感情が欠落した工作員」という結構な難物ですが。 それにしても、言い訳めいた前回の後書きのおかげで、感想欄の荒れること荒れること。 言い訳って、こんな凄い勢いで嫌われるものなんですね。 今後は反省して、なるだけ言い訳をせずに済むよう、言い訳をしないようにやって行きたいと思います……できるかなぁ?