火曜日は月曜日に使用したISの整備が行われた為、タッグマッチトーナメントは行われず、その代わりに座学の授業が行われた。 そしてタッグマッチトーナメント2日目となる水曜日。 この日は、2年と3年の1回戦が行われていた。 1年生で芽が出なかった生徒は2年に上がると同時に整備科に回されてしまう為、2年と3年は1年に比べてタッグマッチトーナメントに出場する者の人数が著しく少なく、2学年まとめて試合を行っても1年生と同程度の試合数となる。 その為、2学年合同で1回戦を行っても、1日で全試合を消化できるのである。 なお、整備科には芽が出なかった生徒ばかりではなく、あえて整備科を選択した生徒もいたりする。 1年生達は、部活や代表候補生仲間の先輩など、思い思いの相手を応援しながら、全体的に1年よりも高レベルな上級生達の試合を観戦していた。 そんな中、一人の女生徒がある懸念を抱いて呟く。「今の所は『インフィニットストラトス』の1巻や2巻のようなトラブルは起きていないけれど……本当にこのまますんなり終わってくれるのかしらね……」 彼女の名前は更識楯無。 17歳にして国家代表の一角、しかもロシアという大国の国家代表を任されている才女である。 国家代表だけあってその戦闘能力は凄まじく、彼女相手に勝ち目があるのは、教員の中でも極少数。 彼女と同じ2年生達では全くお話にならない為、彼女は今回のタッグマッチトーナメントには出場していない。 そんな彼女は、外部から各国のIS関係者が集まっている学園内での警備に駆り出されていた。「? 何か言ったかね?」「いえ、単なる独り言です。お気になさらずに」 楯無は今回の護衛対象であるIS関係者の一人にそう応え、気持ちを切り替えて、試合を観戦する彼等の警備に神経を集中させる事にした。 その為……この日にあった異変に対し、彼女の対応は非常に遅れてしまう事になったのだった。=============== 事の発端は、一夏と千早がIS学園の敷地のはずれにある男子用トイレに向かった帰りの事だった。「まったく、普段は俺達しかいないとはいえ、今回のタッグマッチトーナメントみたいな時には外部から男が沢山やってくるんだから、もう少し男子用トイレを増やしてくれてもいいじゃないかよ」 一夏はそう言ってため息をつく。 基本的に女子校であるIS学園には、男性用トイレが非常に少ない。 しかもその数少ないトイレには、外部からの男性来賓によって長蛇の列が出来上がっていた。 一夏達はIS学園の広すぎる敷地内を、使える男性トイレを探して歩き続け、ようやくアリーナから一番遠いトイレで用が足せるようになった時にはかなり切羽詰っていた。 その為、もっと男性トイレが欲しいという一夏の一言には、普段よりも更に重い実感が込められていた。「まあ、ここは基本女子校だからねえ……」「それにしたって、こりゃねーだろ。 別にトイレに行きたかった訳じゃないお前にだって、俺が結構ピンチなのは分かってただろ?」「う~ん、まあそれはそうだけどね」「……大体千早。お前、何でこんな時にもわざわざ俺に付き合ってくれるんだ?」 一夏はふと脳裏を掠めた疑問を千早に投げかける。「僕達男性IS装着者の単独行動は危険だ、と思ったからだよ。 特に、今日や一昨日は、外部から沢山人がやってきているから、なおさらだ」「……確かに男性IS装着者ってのは、相当な珍獣だもんな。 工作員を使ってでも手に入れたい、って考える奴がいてしかるべきか。 んでもって、もし女生徒の中にどっかの工作員でも混じってたりしたら、俺達の実力じゃそいつに襲われた時点で詰みだわな。 でも2人で行動してれば、どっちかが襲われてももう一人がISで対応できるって訳か」「そういう事」 工作員の強さを非常に強大に想定している一夏達は、自分達の実力と工作員の実力差をウサギ対ヒグマ程度に考えている。 その為、たとえ工作員が10歳にも満たない幼い少年であろうとも、何かをされる前にISを出して有無を言わさず叩き殺さなければ、自分達の敗北はまず動かないと想定している。 もっとも、それを全く躊躇無く実行できるかどうかと言われると、かなり怪しいと本人達も思っているのだが。 この一夏や千早の想定は、いくらかは考えすぎの部分もある。 しかし、これだけ用心深く構えている一夏だからこそ…… キィィィィ……ン どこからともなく一夏目掛けて飛んできた狙撃銃用麻酔弾を、部分展開の要領で展開しておいたシールドバリアによって弾き返す事ができたと言える。「「っ!!!」」 シールドバリアが麻酔弾を防いだ瞬間、一夏達はISを展開し、弾が飛んできた方向に注意を向ける。 ハイパーセンサーによって強化された二人の視覚は、その先にいる狙撃銃を構えていた女性の姿を明確に捉えた。 顔は狙撃銃に阻まれてよく見えない。(女の人の工作員!)(……ってぇ事は、ISを持っていると考えて良い訳か)(マトモにやりあえば、二人がかりでも勝ち目は薄い)((となると、ここは……逃げの一手だ!!)) 一瞬の内にそこまで判断した一夏達の周囲の空間が歪む。 そして、二人は忽然と姿を消してしまったのだった。 一方、一夏を狙撃した女性は嘲るような笑みを浮かべていた。「あの女が作った、ISの展開に反応して空間を歪めるトラップ……か。 まさか、こうもアッサリ嵌める事が出来るとはな。 人間が路傍の石に見えるコミュニケーション障害者に行動パターンを把握されるとは、とんだマヌケもいたものだ」 彼女はそう呟くと、赤いISを展開させて自ら空間の歪みの中へと消えていったのだった。===============「なっ、ここは……って、呆けている場合じゃないか!!」 一瞬前までIS学園にいたはずの一夏と千早は、地面も太陽も存在しない中空にいた。 何もないかのように見える空間の中、はるか遠方に見える人影は、驚いた事に一夏と千早自身のようだった。 明らかにただ事ではないこの事態、タイミングから言って先程狙撃した女性か、彼女とつながりのある敵の差金であることは明白だった。 一夏はその事に気づいて、気を取り直す。 千早の方は、いきなり見知らぬ場所に連れ去られた事はこれが初めてではない為、一夏より早く神経を研ぎ澄ませている。 そして。「一夏っ!!」「つっ!!!」 忽然と姿を現したISを身につけた女性から放たれた光弾に反応して、咄嗟に避ける。 最初は直進していた光弾は突然ホーミングして一夏達を追い回したが、全て振り切られて着弾することなく自然消滅した。 当面の攻撃を凌ぎ切って、敵の姿を確認した一夏達は絶句した。「アイツか……って、なっ!?」「ISネーム『紅椿』? それにあの顔はっ!!!」 二人の前に現れた敵。 それは『紅椿』を身に纏った、千冬に瓜二つの女性だった。 一夏の記憶の中にある高校生時代の千冬が、まさに今回の襲撃者と全く同じ顔である。 驚く二人に、襲撃者は『紅椿』の展開装甲からの光弾や雨月からのレーザー光、空裂からのエネルギー刃を浴びせかけてきた。 我に返った一夏達は回避機動を再開させる。 しかし直進、不規則なカーブ、ホーミングと多様な軌道を描く光弾による濃密な弾幕は、一夏達の技量ではとても避けきれるものではない。 その事が分かっている襲撃者は、弾幕によってシールドエネルギーを根こそぎにされ、戦闘不能になる一夏達の姿を想像して嗜虐的な笑みを浮かべた。 だが。 千早は小刻みに広範囲かつ短射程の衝撃拳を連発する事で光弾の群れを相殺し、一夏がその影に隠れる事で攻撃を凌いでいた。「お前、こんな隠し球があったのかよ?」「アニメとかじゃあ、空間制御は防御に使うのがお約束だったからね。 一人で訓練している時に試してみてはいたよ。 とはいえ、今の状況はぶっつけ本番に近いけどね」「一昨日のラウラ達との戦いに使わなかったのはどうしてだ?」「衝撃拳が攻撃に使えなくなるし、やる事が増えるから、どうしても機動が甘くなるんだ……って、向こうにそれを感づかれたか!」 『紅椿』を身につけた刺客はふとした瞬間に砲撃をやめたかと思うと、銀華もかくやという高速かつ異様な機動で一夏達に迫って来た。 よく見ると、展開装甲をブースターの代わりにしているようだ。 一夏と千早は全速で彼女から離れようとするが、そこへ空裂のエネルギー刃や雨月からのレーザー光が襲いかかり、直進的にバックする事ができないよう牽制されてしまった。 ならばと、襲撃者に向かって接近戦を挑もう、という考えが一夏の脳裏をかすめるが、彼我の実力差から言って、そんな事をしようものなら鎧袖一触にされてしまう事は目に見えている。 もし万が一、襲撃者の実力が自分達と同程度の極めて低い水準だったとしても、全身の展開装甲から放たれる光弾の群れが、まるで至近距離からのショットガンのように避けようがない弾丸の壁となって襲いかかってくるのは必定だった。(くそっ、このままじゃマジでジリ貧だ!)(何か、打開策はないのか!?) 決め手を欠き焦れる二人を、襲撃者はじわりじわりと追い詰めていく。 膨大なエネルギーを消費するはずの光弾の弾幕を放ち続けているにもかかわらず、全くエネルギーが逼迫している様子がない所を見ると、この襲撃者は『紅椿』の単一仕様機能である絢爛舞踏を使いこなしていると見るべきだった。 つまり……彼女が身に纏っている『紅椿』には、エネルギー切れが存在しないと考えられる、という事だ。 襲撃者は余裕の笑みを浮かべながら、一瞬たりとも攻撃を途絶えさせるような事はしない。 そして夥しい数の光の弾丸によって、一夏達から襲撃者の姿が見えなくなった頃。「!! 千早っ、正面!!」「前からも弾幕!? まさか空間がループしているのか!!」 千早は背後の襲撃者からの弾幕を防ぎつつ、新たに正面から襲ってきた弾幕を衝撃で相殺する。 その次の瞬間、背後にいたはずの襲撃者が光弾の群れに紛れて正面から肉薄し、凶刃を振るう。「「っ!!!」」 ただでさえ彼我の実力差がある上、不意をつかれた事もあって、一夏は襲撃者が振るった空裂を雪片弐型で受ける事ができずに直撃を喰らい、返す刀で千早も斬って捨てられてしまった。 IS装着中という事もあって、二人は絶対防御により一命を取り留めるが、この時の衝撃から立ち直る余裕を襲撃者が与えるはずもない。 襲撃者は二人を斬った瞬間に、ホーミングする光弾の弾幕を全身の展開装甲から際限なく吐き出して追撃に使った。 いかに普段、最大相対速度が時速2000Kmを超える事もある模擬戦も行っている一夏や千早であっても、これには反応しきれるはずがない。「「う、うわああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」」 白式と銀華は、なす術もなくシールドエネルギーを全て削り尽くされてしまった。 ……そのハズだった。「さて、こんなものか」 一夏達二人を蹂躙した襲撃者は、今しがた戦闘不能にした一夏を小脇に抱えると、微かな殺気に気付いて一夏を放り捨てた。 それと同時に、彼女と一夏の間に雪片弐型が忽然と姿を現す。 あのまま一夏を抱えていたなら、柄を一夏に、刃を彼女に押し付ける形で雪片弐型が出現し、『紅椿』の絶対防御が発動していた所だった。 一夏はこの一撃のために、ほんのわずかなシールドエネルギーを一時的に別のエネルギーとしてプールしておいたのだが、襲撃者の方が一枚上手だったようだ。「くっ!!」「浅知恵を!!」 もはやマトモにエネルギーが残っていない一夏にダメ押しの光弾を浴びせる襲撃者。 その瞬間、白式は一夏の体から弾かれるように吹き飛んでしまった。 自らと引き換えに一夏を守ったということらしい。 襲撃者は、完全に抗う力を失った一夏の頭を、『紅椿』のマニュピレーターで鷲掴みにする。「さて、私と一緒に来てもらうぞ」「ど、ド畜生……俺ってば、また誘拐されちまうのかよっ!」 かつての誘拐事件で千冬を心底心配させた事を思い出し、忌々しそうにそう吐き捨てる一夏。 その一夏に、襲撃者は意外な言葉を投げかけた。「いいや、貴様が誘拐されるのは、これが初めてのはずだ」「なっ!?」 驚愕する一夏に対して、襲撃者は話を続ける。「貴様は一度誘拐された、と思い込まされているだけだ。 これから連れて行く先で忌まわしい真実を、お前の呪われた出自を知って絶望の中で死んでいけ。 私のクライアントは、それがお望みだそうだ」「じょ、冗談じゃねえ……」「今更そんなことを言っても遅い。 死ぬのが嫌だったなら、今の戦闘で私に勝つんだったな」 しかし、だからといって「はいそうですか」と納得する者などいない。 一夏は、何か逆転の目はないかと考える。 それは、シールドエネルギーを全て失い、浮遊しているのが精一杯の状態で、一夏と襲撃者のやりとりを聞いていた千早も同様だった。 すると、以前にも感じた覚えのある感覚、否それに近いが違う感覚が一夏と千早を包む。 ISとの繋がりが極端に強かった初めて白式や銀華に触れた時の感覚と、一次移行の時の感覚を足して2で割ったような感覚。 白式や銀華から、一夏や千早に向かって語りかけてくるような感覚。 力尽きたはずの白式や銀華が、蘇り再び力を貸してくれようとしているのが分かる感覚。 そして、それに気づいたのは、一夏達だけではなかった。「ここに来て、二人揃って二次移行だと? だが、そんなものを待ってやるほど、私はお人好しではないぞ」 銀華が変貌しつつ修復され、吹き飛んだはずの白式が全く新しい姿に再構築される中、襲撃者は再び全身から光弾を発砲しようとする。「させるか!!」 そう言って突っ込んできた千早に対して、襲撃者は一夏を盾にする。 結果、千早は再構築されつつある白式を身に纏った一夏に体当たりする形になってしまう。 ……が、それが転機となった。 変貌を遂げた半月・上弦と半月・下弦が、同調するように大量の光の粒子を吐き出して、一夏、千早、襲撃者の意識を光に満ちた空間へと誘ったのだ。====================「「「っ!!!!!」」」 三人の意識が戻った時には、もう既に白式と銀華の二次移行は完了していた。 一夏と千早も、光に満ちた空間の作用によりISと深く同調していた為、新たな白式と銀華、否、白式朧月と銀氷銀華の新しい力とその使い方を、頭でなく魂で理解している。「太陽炉っ! まさか本当に実現できるなんて……っ!!」「いいからトランザムが発動している間にケリをつけるぞ、千早!! 多分もう、長くは持たない!!」 何故半月・上弦と半月・下弦が太陽炉に変貌したのか、ましてや量子空間を形成したのかは分からない。 特に量子空間の形成は、もし機動戦士ガンダム00の設定通りだと考えるならば、ツインドライブ用に作られた機体に太陽炉を2基載せなければ発生しない現象のはず。 別々の機体に載せられた太陽炉が同調して量子空間形成を行う事など、ないはずである。 しかし今はそれを考えている時間はない。 既に白式朧月と銀氷銀華は、トランザムの赤い粒子を身に纏っている。 トランザムは制限時間付きのパワーアップである上、時間切れによって今度はパワーダウンをもたらしてしまう。 その為、トランザムが時間切れになる前に襲撃者を、織斑マドカを打倒できなければ、再び彼女に敗北してしまうのは目に見えていた。 考えるのは後回しにして、マドカ打倒を優先するべきだった。「ちぃっ、息を吹き返したところで、雑魚は雑魚! もう一度始末するだけだ!!」 マドカは気を取り直して、再び一夏と千早を戦闘不能にしてしまおうと、弾幕を張りながら一夏達に襲いかかる。 しかし、白式朧月の腕部、脚部、両肩から剥離して展開されたGNプラネイトディフェンサー「朧月」と、銀氷銀華のより簡便に使用できるようになった空間制御能力による湾曲空間障壁が、弾幕を難なく弾き返す。「何!?」 そして二次移行によるスペックアップとトランザムにより、ただでさえ非常識だった白式と銀華の機動力がさらにとんでもない事になってしまっている。 具体的に言えば、時速10Km~マッハ3前後の範囲で速度を乱高下させつつ、小刻みな鋭角機動を行っているのだ。「馬鹿な! 有り得るのか、こんな機動が!!」 驚愕するマドカに、一夏と千早の息の合ったコンビネーション攻撃が迫る。 マドカは一夏が振るった雪片弐型と千早が繰り出した大型のアンロックブレードを両手の刀で受けつつ、様々な角度から襲い来る5つもの千早のアンロックブレードを展開装甲から展開した防御用エネルギーフィールドで受け止めた。 その瞬間、反撃に転じようとしたマドカに対して、千早からの追撃の衝撃砲が直撃し、彼女は一瞬だが怯んでしまう。「しまっ……!!」 その一瞬の怯みさえあれば、一夏にとっては充分。 一夏は零落白夜で彼女を斬り、『紅椿』のエネルギーを完全に枯渇させてしまった。 零落白夜による刀傷から、それなりの量の血を流すマドカ。 今すぐ命に別状があるほどの深手ではなかったものの、決して放置して良い軽い怪我ではない。 彼女の戦闘能力を喪失させるには、充分な傷であった。「さっきお前が言った通り、生きるために勝たせてもらったぜ」「ぐっ……」 一夏&千早対マドカ、2度目の戦いを制したのは一夏たちのほうだった。 そして、一瞬の勝利の高揚から冷めるのに合わせるかのように、白式朧月と銀氷銀華のトランザムも時間切れを迎える。 二次移行とトランザムによって命拾いをしたはずの一夏と千早。 しかし戦闘終了後の二人の顔色は優れない。 一夏の場合は、自分の手で襲ってきた敵とはいえ、千冬にそっくりな血の繋がった女性に刀傷を負わせてしまった事によるショックもある。 だがそれよりも、太陽炉によって発生した量子空間によって、マドカの言っていた「忌まわしい真実」の一部を垣間見てしまった衝撃の方が大きかった。「しっかしよ……さっき見ちまったのが、お前が言ってた忌まわしい真実ってやつかよ。 俺は、偽物の織斑一夏って…………クソが…… 通りでガキの頃に比べて、今の俺がクソ弱いわけだよ……ガキの頃の俺と今の俺は根本的に別人ってことなら、そりゃ強さの齟齬ぐらいあるわな…… しかも、本物があんな事になっちまって……俺の、せいかよ……」「…………一夏……」 自分は本物の織斑一夏ではない、という現実に打ちのめされている一夏を、千早は見守る他なかったのだった。 一夏に対して何一つしてやれることのない千早は、もう一人いる人物に話しかけた。「……マドカさんでしたっけ。 その怪我を抱えたまま、この空間に居続けるわけにもいかないでしょう。 脱出方法を教えてください」 マドカはわずかに逡巡するが、今すぐ死んでしまうほどではないとは言え、彼女が負っている刀傷は決して小さな切り傷などではない。 長時間の放置は非常に危険だ。 なので、彼女は素直に白状する事にした。「……この空間には、綻びがある。 その綻びを通じて、外にある空間を歪める装置に『紅椿』から指示を出す事ができる。 完全には私の事が信用できんのなら、貴様のISにある空間制御システムを使えばいい。 その場合でも、問題なく脱出は可能だろう。 綻びの場所は、私が指示する」「分かりました。 ……行こう、一夏」「……ああ」 千早は口で一夏に話しかけた直後、プライベートチャンネルで一夏に続きを話す。『それと、脱出できたら、そのまま千冬さんの所に直行しよう。 彼女の後詰めがいる可能性も高い。 トランザムが終わった直後の僕達じゃ……多分、彼女の後詰めに対して、ろくな抵抗も出来ない』『…………分かった』 しかし、この千早の配慮は全くの無駄に終わる。 一夏と千早は、通常空間に戻ってきた直後、見えていても分かっていても避けられない斬撃に襲われ、なす術もなく倒れ伏したからだ。 『無拍子』 それが、二人を襲った攻撃の名だった。===================「ま、まさか、私の後詰めが貴様とはな……」「コードネーム『M』の負傷と、IS『紅椿』の破損を確認。 作戦目標との交戦によるものと判断」 傷口を手で押さえているマドカは、一夏達を鎧袖一触にした張本人を見上げる。 全身装甲型のISに身を包んだ彼の言う『M』とは、マドカのコードネームだ。 一夏の誘拐を企てたマドカ達にとって、IS学園は敵地そのもの。 どこに敵の耳があるのか分からない場所なのだ。 迂闊に『織斑 マドカ』などという個人名を言える訳がない。 そう、敵は……「貴様ら、そこで何をしている。 分かっていると思うが、そこに転がっている連中は渡せんぞ」 いつマドカ達を迎撃しに来てもおかしくはないのだ。「やれやれ、こんな体であんな化物に出くわすとはな。 普通だったら絶望している所だが……」 マドカは、自分ソックリの顔をした敵の方に目をやる。 織斑 千冬。 ブリュンヒルデ、地上最強の戦闘力の持ち主とされる女性だ。 もう一人、千冬が担任を務める1年1組の副担任である山田麻耶も、ラファールリヴァイヴを身につけて千冬に随伴していた。 千冬が身につけているISは、彼女のISとして有名な暮桜ではないが、彼女ほどの実力者に低性能なISをあてがうとは考えられない。 相当強力な機体だと考えるべきだったが、刀傷による苦痛に歪むマドカの顔には、余裕が浮かんでいた。 と、マドカが気づいた時には、全身装甲に身を包んだ後詰めが彼女を小脇に抱え、右腕だけで千冬と鍔迫り合いをしていた。 マドカを抱えているのは、千冬と戦っている間にマドカの身柄をIS学園側に確保されないようにする為のようだ。==================「回避推奨対象と遭遇、戦闘状態に突入。 当該目標の無力化を試行」「荷物を抱えた状態で、この私を無力化だと? 面白い冗談だ!! やってみろ!!」 そう言いながら、全身装甲のISと互角の斬り合いを演じる千冬。 ……そう、「互角」だ。 一夏や箒は言うに及ばず、彼らとは次元が違う強さを誇る国家代表の中でも、千冬を相手に真正面からの斬り合いを演じる事ができる者など少数派だ。 それを、この襲撃者は片腕で、しかももう一方の腕に人一人を抱えながら行っているのだ。 無論、世界最強と呼ばれる千冬と渡り合う剣戟が、凡百のものである事など有り得ない。 今この場で行われている剣舞は、一見どうという事のない普通の斬り合いに見えても、その裏には微かな気配や筋肉、眼球の動きさえフェイントにして、本命の攻撃を読み違えればその瞬間に敗北してしまうような、人知を超越した高等技術の応酬が隠されている。 片腕で荷物を抱えたまま、そんなマネができてしまう全身装甲の襲撃者。 只者であるはずがない。 あまりにもハイレベルな戦いに、山田先生は迂闊な手出しが出来ず、一夏と千早の救出に向かう他なかった。(じょ、冗談ではない! コイツ、少なくとも剣の腕ならば、私よりも数段上だ!!) じっとりと嫌な汗をかく千冬だが、とりあえず襲撃者から一夏達の身柄を奪還する事には成功する。 遅ればせながら、他の教員達や楯無といった応援もISを身につけて駆けつけてくれているのが、彼女達のISの反応から分かった。 彼女達と力を合わせれば、この襲撃者ともなんとか戦えそうだ、と千冬が考えた直後。「敵増援多数。 現状のまま戦闘行動の継続は危険と判断。 目標の早期無力化のため、システムを起動」「っ!!!!」 千冬の全身の毛穴から汗が噴出し、一瞬だが呼吸が止まる。 見れば襲撃者は隙だらけだったが、彼女の剣士としての本能が告げていた。 地表の人類に地球の巨大さが今ひとつ実感し辛いように、あまりに凄まじい実力差のために感覚が麻痺しているだけだと。 蛇に睨まれたカエルのようになり、棒立ちになってしまった千冬だったが、襲撃者はそのまま千冬を攻撃する事はなかった。「……了解、システムを解除。 現時点で作戦を放棄、帰投開始」「へ……?」 襲撃者はそう言うや否や、千冬に背を向けて悠々と飛び去っていった。 本来ならば追いすがりたい所ではあるのだが、行けば間違いなく返り討ちにされてしまう。 深追いをするべきではなく、むしろ絶望的なほどの格上から一夏と千早という防衛目標を守り通せた事を喜ぶべきだった。 そう、絶望的なほどの格上。 千冬は、じっとりとかいた嫌な汗を拭いながら呟く。「……何が、地上最強………… 私は、井の中の蛙か……っ!!」 そう吐き捨てた千冬は、改めて今回の襲撃者について思いを馳せる。「奴が小脇に抱えていた私に似た女……あの女のISネーム、『紅椿』だったな。 そして奴は……『白式雪羅』か」 そして全身装甲の襲撃者が言っていた『システムを起動』という言葉。 出てくる答えは一つだった。「……VT、システム…………」==FIN== おひさです。 一夏を襲うのにわざわざ衆人環視な試合中のアリーナに突っ込むばかりじゃアレだよな、という事で、ふっつーに狙いやすいタイミングで襲撃者の方々にご登場願いました。 え? タイトルの意味? それは次回のお楽しみ。 現時点で言える事は「ヒロインの皆様、残念でした。またのチャレンジをお待ちしております」だけです。 んで、今回の話ですが……「一夏が偽物とか、何、その超展開?」っておっしゃる方が相当数いそうな感じですが、ちょっと言い訳させてください。 そもそも、「一夏が偽物」という設定は、この話にちーちゃんを出すと決める前から決まってました。 なんせ「小学生の分際で、無拍子のさらに上位に位置する零拍子を自在に操る小学生一夏」の数年後の姿が、「周り中エリートしかいないとは言え、見るも無残なほど弱い雑魚キャラな高校生一夏」だとは、私にはどーしても思えなかったもので。 1年前までズブの素人だった相手に、「至極読みやすい」と言われるような攻撃しかできない輩が、数年前まで無拍子の使い手だった、なんて誰が信じますか。 生身とISでの戦闘では話が違うという意見もありますが、そもそもISはパワードスーツのはずです。 生身の時の感覚が全く通用しないパワードスーツとか、誰得ですか。パワードスーツの利点が完全に失われてしまうじゃないですか。 確かに腕が鈍って以前より弱くなる事はあるでしょう。 でも一夏の場合、現在のレベルに比べて元のレベルがあまりにも高すぎるんです。 無拍子が使える小学生一夏ほどの達人が高校生一夏のレベルまで落ちぶれるのに必要な時間は、10年程度では到底足りないと思います。 なので、主人公である高校生一夏は、小学生一夏とは別人である、としか思えなかったんです。 おおかた、高校生一夏は小学生一夏のクローンなのでしょう。 一応、原作中でもMことマドカがいる事ですし、オリ設定を持ち込まずとも有り得ない話ではありません。 「一夏は誘拐されたことがある」という設定も、非常におあつらえ向きです。 誘拐されている間に、二人の一夏は入れ替わってしまえますから。 なので、銀の戦姫では「一夏は二人いて、主人公のほうが偽物で弱い」という事にしたんです。 んで、その場合の落としどころを考えた時、太陽炉による量子空間ともう一つの世界という要素が必要な展開が思い浮かび、太陽炉に執着する束と異世界人ちーちゃんが登場する事になったわけです。 ……今にして思えば、もっと別の結末というか解決策があったのかも知れませんが、もう今想定している結末を前提として銀の戦姫をここまで書いちゃったので、変更は効かないと思います。 そんだけ弱い一夏が、なんでチートなちーちゃんと互角に近いのかは、また今度。 ……へ? 異世界人なら他にも色々選択肢はいただろって? 「IS学園で一番の美少女が男」って、腕っ節の強さで調子に乗っているIS世界の女性にはピッタリの皮肉だと思った瞬間、他の人選が浮かばなくなってつい…… ちなみに今回の戦いは事実上のラストバトルですので、「太陽炉はチートすぎる」という人も安心です。 トランザム無双なんて、今回だけです。 なんせラスボスこと白式雪羅がこの強さなんで、一瞬でも戦闘が成立したらその時点で詰みなんですよ。 「インフィニットストラトス」が超兵器ISの活躍を描く話である以上、そのラスボスはISでどうにかできる存在であるはずなので、単純な戦闘力ではこの白式雪羅よりも弱いはずです。 その位、コイツはどーしようもありません。 一応、「インフィニットストラトス」の白式雪羅と同性能という設定ではありますが…… じゃあ、そのどーしようもない奴をどうするか。 流石にそれは話の結末そのものなんで、ここでは話せませんが……まあ、答えは書いちゃってるようなもんですけどね。 それでは、また。