中学2年のある日。
一般的に、ごろごろしたり、父が家族サービスに頑張ったりする、一週間に1度やってくる日曜日というものだ。
それは、神谷家にも変わらずやってきた。
「また遊園地かよ」
さすがに今月入って3回目の遊園地に、優は呆れる。
「あれ?優は遊園地が好きだと思ったんだがなぁ」
「いや、もう子供じゃないし」
いくらジェットコースター好きの優も、さすがに飽きる。
「じゃあ、どこがいい?」
そう、父に聞かれて考える優。
その頭に思いついたのは、レジャーだった。
「釣りとかいいんじゃない?山とかさ!」
反抗期など、全く関係ない神谷家では、休みの日に家族三人で出かけるのが常だった。
「山か……いいな」
見るからに厳しそうな父は、性格は温厚。
殆ど叱られる事はなく、どちらかというと諭して相手に罪悪感を呼び起こすプロだった。
「じゃあ、お弁当作らないとね」
にこにこしながら言う母に、優の顔が綻ぶ。
今時珍しいぐらい、仲のいい家族だった。
それが――――
「あなたっっ!前!!」
「くそっ!!」
どうしてこうなったのか。
最期に聞いた両親の声は、切羽詰まっていた。
次に目を開いて見えたのが、白い天井。
薬の匂いが充満した、病院のベッドの上だった。
何がなにやらわからない。
そして、唐突に思い出す。
悲鳴、怒号、―――衝撃
「ぐっ!?」
思い出した。
両親と山にレジャーに行って、帰りの道で反対から大型のトラックが突っ込んできたのだ。
「ああああああ!?」
絶叫する。
もし、自分が、山へ行こうなどと言わなければ。
もし、もし、もし――――
事故は起こらなかったかもしれない。
両親は死なずに済んだかもしれない。
声を聞きつけ、看護士と医者が飛び込んできた。
押さえつけられ、薬が打たれる。
そして、優の意識が遠のいた。
事故から数ヶ月。
親戚もほとんどいなかった神谷家では、優の面倒を見る人がいなかった。
お金がない、場所がない、そんな大人の押し付け合いを見かねたのか、一人の女性が優を引き取ると申し出た。
神谷唯香、優の従姉であり、ついこの間就職したばかりだった。
もちろん、優を養えるほどの財力があるわけなど無く、優は年齢を隠してバイトを始めた。
初めは塞いでいた優だが、次第に心を開いていった。
そして、もうすぐ中学も卒業だというある日。
仕事が終わって帰ってくる唯香と待ち合わせして、晩ご飯の買い物を買って帰る予定だった。
唯香と合流して、帰宅途中に二人は暴漢に襲われた。
優は奮闘するが、特に身体を鍛えていたわけではなく、呆気なく殴り倒された。
その時は目撃者の通報で、なんとかなったが、優は願った。
力が、大切な人を守れる力がほしいと。
そこから、入学した藤美学園で、優は剣道部に入った。
槍術部などもあったが、剣道部に入部する。
ある人物に会ったからだ。
毒島冴子。入学した頃はまだ部長にはなっていなかった。
見学のあったその日、優は委員会の仕事を押しつけられ、長く引き留められていた。
(今日の見学はもうダメだろうな……)
辺りは暗くなり、生徒も殆ど下校している。
ダメもとで、剣道場を除いてみると一人の女性が、竹刀を振っていた。
胴衣は外した状態で、白い服を身にまとっていた。
「はっ」
気合いの入った声と共に、空気を切り裂いて竹刀が下ろされる。
凛とした空気に、横顔を流れる汗がとても綺麗だった。
練習が終わったのだろう。
下ろしていた竹刀を静かに引き、女性はほうっと息を吐いた。
そして、優に気づく。
「入部希望者か?あいにくと、今日の練習は終わっているのだが……」
怪訝そうな表情を浮かべ、女性は近寄ってきた。
思わず見とれていた優も、我に気づき顔を赤くする。
「えっと、あの……」
「??」
慌てている優に、どうしたのかと不思議そうな顔をする女性。
その優の視線が下へと降りていく。
「し……失礼しましたぁ!」
そういうなり、優は一目散に道場を出て行った。
後には何が何だか分からない女性だけが残されていた。
女性は気づかない。
優が慌てていた原因が、汗で透けた服だということを。
これが、優と毒島冴子との初めての出会いだった。
「剣道部に入ることにしたの?」
平野コータが優に訪ねてくる。
「うん。力つけたいし……」
コータと仲良くなったのは何がきっかけだったのかと。
思い出した。
入学してすぐ、なかなか友達が出来なくて、一人で昼食をとっていた。
元々、誰かとはしゃいだりするような性格でもなかった優は、来るもの拒まず去る者追わずだった。
ある日そんな優に、話しかけてきた奴がいた。
それがコータである。
お互いに一人で、一緒に話す相手もいなかったからか、二人はすぐに打ち解けた。
銃が好きだということだったが、優は何も知らず、ただただコータの知識に感心するだけである。
話の内容は、分からないことも多かったが、それでも優は、適当な返事をせずにちゃんと話を聞いていた。
「コータは部活に入らないのか?」
優の問いに、コータは頬をかいて応える。
「やりたいことって、あんまりないんだよね。それにほら、僕こんなだし」
そう言って自分の胸を叩いた。
確かにコータはオタクだと敬遠されている。
しかし、頭の回転は速く、話すのに退屈しない相手だった。
「優はあれ?あの毒島先輩に憧れて……のタイプ?」
にやにやしながら優に問いかける。
「いや、それもあるかもしれないけど、やっぱり力つけたいのが一番だな」
少し照れて、しかし真面目に優は返した。
「ふぅん」
おもしろくないとコータはむくれる。
そして、二人で笑い合った。
入部してから数ヶ月。
もちろん剣道初心者である優は、型などから入っていた。
目的は強くなること一点だったため、残って練習も続けていた。
人は努力すれば、強くなれると言った人は誰だっただろうか。
優はその人を殴りたくて仕方がなかった。
秋にもなると、三年はすでに引退して、一年の初心者でさえ戦力に数えられる。
優も例外ではなく、他の初心者と共に試合に出るようになった。
しかし、全く勝てない。
他の部員は、いくらか勝ちもあげているのに、優だけは一勝もしたことがなかった。
藤美学園剣道部は全国の中で、強豪中の強豪だと言われている。
部長は全国優勝。団体戦でも優勝するほどだ。
しかし、その中で一勝もできない優は、完全に足手まといと見られていた。
辞めようと思ったことはある。
悔しくて泣いたこともあった。
それでも、強くなりたいの一点で、優は一日も部活を休まなかった。
どれだけ見下されようと、諦めなかった。
しかし結果はどうしてもついてこない。
(主将はあれだけ強いのに……)
焦りが強くなる。
心身ともに限界が近づきつつあった。
コータの慰めも、唯香の励ましも、応えられなくなりそうになっていた、高二の春。
それまでの日常は、たった一日で崩れ去ることになった。