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No.26123の一覧
[0] 戦トロルと三つ目の悪魔[Genitivi](2011/04/11 01:06)
[1] 2[Genitivi](2011/02/24 23:11)
[2] 3[Genitivi](2011/03/17 00:04)
[3] 4[Genitivi](2011/03/17 00:03)
[4] 5[Genitivi](2011/03/21 22:09)
[5] 6【第一部完】[Genitivi](2011/03/29 00:50)
[6] 予告&あとがき[Genitivi](2011/04/01 00:14)
[7] 【短編】十年越しの花見酒[Genitivi](2011/04/11 00:35)
[8] 【短編】心が折れる音[Genitivi](2011/04/25 00:46)
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[26123] 【短編】十年越しの花見酒
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:15df2260 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/04/11 00:35
 まどろみから覚醒して、彼女は寝起き特有のぼんやりとした視界の中で自らの部屋をとっくりと眺め、ため息を付いた。

「ああ、まったく、きったねえ部屋だ」

 事実そのとおり、彼女の部屋はごちゃごちゃと足の踏み場もないほど汚れており、見るに見かねたゲランが月に一回ほどやって来ては綺麗にしてくれるが、それを過ぎるとあっという間に今の有様に逆戻りだった。
 別に、掃除ができないというわけではない、此れでも昔は綺麗好きの洒落者だった。
 が、いつ頃だったか、彼女は悟りを開いた――いや、それはゲランに言わせればたんに開き直ってしまったのであるが。
 それはつまり、「別に汚くてもいいんじゃね」という駄目すぎる悟りである。
 余人が汚染を忌避するのは何ゆえか? 
 それはつまり汚染により発生する病苦を避けるが故である。
 ならば、もとより病苦と無縁の我が身はそんなものを斟酌するいとまなど無いではないか!
 そう以前、気の良い戦トロルの前で力説したときは、呆れたような溜息と共に「俺が勝手に片付けていいか」という返事が帰ってきた。解せぬ。
 それはともかく、腹がへった。
 ふと壁にかけられたゼンマイ時計を見ると、既に時刻は昼前に差し掛かっている。それは腹も減るだろう。
 彼女は帯すら締めない襦袢姿……つまり、殆ど大事なところは丸見えの裸同然の姿で寝床から出ると、ゴミだらけの畳の上をひょいひょいと器用に歩いた。
 やがて台所の保冷庫まで到達すると、扉を開いて中を覗き込む。

「ええと、豆腐が一丁、味噌と、鯵の干物、あとは冷酒……」

 我ながらひどい中身だと苦笑しながら、彼女はそれらを全部取り出して台所の上に並べて暫し熟考する。

「うん、これだ」

 そうおもむろに頷いて、まずは土間に七輪を置いて炭に火を入れる。
 その間に下ごしらえをする。
 まずは豆腐を小さく切り分けて、布巾に挟んで軽く抑えるようにして水気を取る。
 そして豆腐の水気が完全に取れる間に、ブリキの小鍋に味噌と砂糖を加えてよく混ぜて、みりんを適量、酒をほんの少し、更によく混ぜる。
 ここで七輪を確認。炭によく火が通っていることを確かめてから、小鍋を置いて、その隣に干物を置いて一緒に焼いてしまう。
 小鍋の中身が焦げ付かないように弱火でじっくり温めて、木べらでよくかき混ぜる。
 その間に干物も焦げないように眼を配りながら、やがて味噌のいい匂いと干物の香ばしい香りが立ち上がってくる。
 味噌にとろみが付いて、木べらからボタりと下に落ちるほど水気が引いたら、鍋を下げる。
 いい具合に焼けた干物も、皿に移す。
 そうして、水気が十分拭き取れた豆腐を七輪の焼き網でこんがり狐色になるまで焼く。
 焼き豆腐の香ばしい匂いが充満し始めたところで丸皿に全部移し、その上に味噌を塗って、豆腐の味噌田楽が完成した。
 保冷庫から取り出した一升瓶で茶碗酒をよそい、早速竹箸で田楽をつまんで一口。

「あちち、ち、……ふ、ふふ……うまい」

 会心の笑みを浮かべ、ぐいっと冷酒で流しこむと、美貌の剣客は感極まったような溜息をつく。
 いい具合に焼き色の着いた鯵の干物をかぶりと齧る。鯵の旨みが干物になった凝縮されて、かぶりつた瞬間にじわりと口の中に広がる。
 唾液腺が驚いて痛くなるような感覚すら快感で、そのまま二口、三口。
 うまいうまいと呟きながら、さらに茶碗酒を二杯、三杯とおかわりをして、ふとほんのり桜色に色づいた顔で彼女は目の前の窓に引かれたままのカーテンを見た。
 やがておもむろにそれをざっと開くと、窓ガラスの向こうにはララク中央公園の絶景が広がっている。
 本来ならば、その窓の向こうに見えるのはごみごみと汚らしいドブ川だが、目の前の光景に彼女は驚愕ではなく感嘆の溜息を漏らす。

「嗚呼……大家さん、この趣向は……いやぁ、にくいねぇ。たしかに、もう花見の季節でござんす」

 そう言って、彼女は大家の心憎い演出に乾杯して、またしても茶碗酒を空けた。
 ララク中央公園に500本も植わっている槍桜が、その名の通り天を突き刺すような尖った樹木に彼女の頬のように色づいた薄紅色の花を満開にさせている。
 折しも今日はララクの祝日で、大勢の家族連れや友人・恋人連れの一団がわいわいと花見で浮かれている。
 如何にものどかな光景に、彼女は箸を止めてゆっくりと冷や酒だけを傾ける。
 花より団子というけれど、今日はたまさか花を肴に酒を呑むのも悪くない。
 窓の直ぐそばに椅子とテーブルを置いて、初春の穏やかな風に揺られた槍桜の花弁が舞い散る光景に、うっとりと酒精混じりの溜息をつく。
 ふと、その視線が窓の直ぐ側にある外れの槍桜を見た。
 観覧通路を外れた公園の隅にぽつんと植わっている一本の槍桜の袂に、歳のほどは15~6の一人の少年がこれまたぽつねんと佇んでいる。
 その身にまとっている服装に見覚えがある。酒精で頭に栄養を回しながら考えて、漸く思い至る。それはララクでも有名なギルドの制服だ。年は若いが、将来有望な徒弟なのだろう。あいにくと、「何のギルドか」というところはすっぽりと忘れてしまった。
 じっくりと眺めているうちに、その少年は悔しそうに唇を噛み締めながら踵を返した。
 それはつまり、彼女の方を振り返ったということで、足元を睨みつけるような視線をまっすぐ起こして、そこで少年はぎょっと驚いて彼女の方を見た。
 どうやら、こちらが見えるらしい。
 そのことに少々驚きながらも、彼女はニッコリと人好きのする笑顔を浮かべて少年をちょいちょいと招いた。
 窓辺に歩み寄った少年は、彼女がほとんど裸同然の格好をしているのを見て「あっ」と驚くとその視線を四方八方に飛ばし始めた。
 が、ちらちらと彼女の胸や陰部にその視線が通っているのは、ご愛嬌か。
 クスクスと笑って、窓の留め金を外してそれを開け放つと、さっきまで欠片もこちらへ漏れなかった向こうの賑やかな喧騒が、暖かな風とともに部屋の中に流れこんできた。
 赤い顔でいかにも「どうしよう」というような顔をしている少年の手を取ると、左肘を窓枠に乗せて、顔を半分ほど外に出して少年に話しかける。

「よう、少年。せっかくの満開桜の下で、随分不景気な面してるじゃござんせんか。そんなんじゃあ、せっかくかわいい顔が台無しだ」
「よ、余計なお世話だ。て、ていうか、これどうなってんだよ、この塀の向こう、用水路じゃないのかよ」
「うふふ、ふふ、ま、そんな事はどうでもいいじゃあねぇか。さあほら、せっかくの花見だ、一杯どうだ」
「……」

 少年は彼女が差し出した茶碗酒を見て、同時に視線上に飛び込んできた桜色の突起を見て、ぎょっと真っ赤な顔で視線を逸らした。
 その初心な様子に、これ以上揶揄うのも可哀想だと思い、彼女は襦袢の前を確り合わせて兵古帯を閉めて大事なところを隠した。
 そうして漸く少年も人心地ついたのか、ほっと息をついて茶碗を受け取ると、その中身を確かめもせずにぐいっと半分ほど飲み込んでから、思わずむせ返った。

「ごほっごほ、な、なんだこりゃ!?」
「酒だよ、あーあ、こぼしちまってもったいない。なんでぇ、こいつは初めてか」
「げほっ、か、辛い。信じらんねぇ」
「それがいいんで。ほれ、肴もどうだ」

 そう言って、彼女の差し出した味噌田楽を恐る恐る口に運び、はっとその両目が開かれた。

「うまい」
「だろう」

 それ以上、言葉はいらなかった。
 互いに無言のまま、肴を口の中に放り込んでは一つの茶碗で冷酒を回し飲みする。
 その間じっと満開の桜を眺める彼女だったが、少年の方は桜よりも彼女の方に興味が有るようで、チラチラとこちらを覗き見ていた。
 やがて、肴がなくなり、不意に吹いた風で桜吹雪が舞うと、彼女は感嘆の溜息をついて少年のゴツゴツとした手をもう一度手にとった。
 その掌は剣士特有のタコでいっぱいで、少年が文字通り血の滲むような修練を積んでいることを思わせる。
 どうやら、織物ギルドや商工ギルドではなかったか。
 冒険者か、剣士か、はたまた騎士養成中の従士ということも、あるだろう。

「よう、そんな所でずっと突っ立てたら、足が棒になっちまわぁな。ほら、こっちに来ちゃあどうだい」
「……いや、折角だけど、遠慮する」
「へえ、なんで?」
「……部屋が汚すぎる、俺が座れる場所がありそうにない」

 その答えに、彼女は爆笑した。
 ゆっくりと笑いを収めて、少年の手指にこちらの指を絡ませながら、ロクシーは笑いすぎて浮かんだ涙を拭う。

「ふふ、ふ、そいつぁ確かに、汚れ放題ですまんこって。けど、座るところがなくたって、寝るところなら、二人分あいてるじゃあござんせんか」

 そう言って、畳にしかれたままの布団をちらりと示してから少年に流し目を送ると、見ている方が気の毒になりそうなほど狼狽した様子で少年はあわあわと言葉にならない呻き声を上げた。
 その様子に、またも人の悪いくすくす笑いを漏らして、彼女は一升瓶に残った最後の一杯を飲み干してから立ち上がる。

「さて、冗談は此れくらいにしとこうかね。少年、名前は。あっしはロクシーってんだ」
「……ギルバート」
「さて、ギルバート某。あんたがこっちに来ないってんならあっしが行こうかね。ちょいと待ちなせぇ」

 そう言って、ゴミの隙間を器用に歩いて和箪笥の前まで到達すると、一番下の引き出しに収まっていた着流しを引っ張り出す。
 草色の反物に袖口と裾に桜の花吹雪が染め抜かれていて、なんとも春らしい風流な一品だ。
 襦袢の上からそれを羽織って素早く帯を締め、ズルリと伸ばし放題に背中まで流していた髪を簡単に纏めて簪を挿し、窓からぼうっとこちらを見ていたギルバート少年の前まで戻る。

「さ、こんないい日よりだ、部屋の中から眺めているだけって言うのはもったいねぇや。それ、ちょいとごめんなすって」
「うわ、わ」

 窓枠に足をかけて彼女が身を乗り出すと、ギルバートは慌てて後ろに下がる。
 恐らく、乗り越える際に顔がグッと近くに寄ったからだろう。
 その時、少年の目は髪を纏め明るいところに出て顕になった、その額の両角を凝視していた。ついでに、白いうなじと襟ぐりも。
 無論、そんな視線の動きにロクシーは気がついていたが、特に揶揄うでもなく外に出て、ニヤリと笑って少年のガッシリとした肩を抱き寄せる。

「さ、この公園は実は不案内なんで、ギルバート、案内してくれねぇかな」
「な、なんでそんな事」
「それは、ふふ、そうさね、つまみと酒代ってことにしとこうや」
「あ、き、きったねぇ、代金取るなんて言わなかったろうが」
「ロハとも言っちゃあいねぇでござんしょ? ささ、せっかくの小春日和に野暮なこと言いっこなしだ」

 そう言って、自分とさほど身長の変わらぬ少年の肩を抱き寄せてバシバシと叩く。
 ギルバートは怒りと困惑とニヤケ顔が混ざったような複雑な顔で、恥ずかしさのためか顔を赤らめながら「こっちだ」と先にたって歩き始める。
 彼が案内したのは、公園で最も人で賑わう槍桜が道沿いに植わった遊歩道――ではなく、そこから外れて公園の隅の方、随分と人気の薄い場所だった。
 が、その場所に案内されてロクシーは不平を言うどころかその見事さに思わず唸った。
 そこには遅咲きの梅の花と満開の木蓮が連なり、白と紅の織り成す光景に「紅白揃って縁起がよろしい」と彼女は呟いた。

「うふふ、ふ、へぇ、こいつはいい。ギルバート、オメェ若いのに随分通なことで。華やかな槍桜五百本より、梅の香りと木蓮とはねぇ……いや、風雅な趣味だ、こんなところがこの公園にあるとはねぇ」
「そ、そうか? 友達には年寄りくせぇって言われるぜ」
「はは、は、若いうちは理解の出来ねぇもんを何でも貶したがるもんよ。そんな奴らァ、ほうっておけ、ほうっておけ」

 そう言って、家からずっとぶら下げてきた瓢箪の栓を抜くと、中に詰まった冷酒をさも美味そうにぐびぐびと喉に流し込んだ。

「まだ飲むのかよ」
「酒精は百薬の長って言うでござんしょう。さ、どうだい」

 ずいと差し出された瓢箪を、少年は複雑そうな顔で一瞥するやいなや。

「はぁ……いつもは、酒なんて冗談じゃないって言うところなんだけどよ」
「お?」
「今日は、無性に飲みてぇ気分だぜッ」

 そう言って、瓢箪をひったくって中身を空にするような勢いでぐびぐびと喉を鳴らす。
 十秒ほどもそうして飲んでいたか、やがて瓢箪を口から離すと「プッハァアァ」と酒臭い息を吐いて口元を袖口で拭った。
 その男らしい飲みっぷりに、ロクシーはやんややんやと喝采をあげて、ぜえぜえと息を荒らげて俯く少年の頭を撫でながら「いよっ! さすが、惚れちまうね!」などと声をかける。
 もしこの場にノリの良い戦トロルや天然お姫様の少女がいれば、その二人も素晴らしい笑顔で「よくやった、感動した! さ、もう一杯」「すごいです! もういちどみせてくださいます?」という鬼畜発言をプラスしてくれただろう。
 それはともかく、その場にいた観客は彼女と、少し離れたところを散歩していた老夫婦だけで、老夫婦は微笑ましい物を見る顔で二人を眺めながらゆっくりとその場を遠ざかっていった。

「はぁ、はぁ、はぁ……な、なんで、なくならねぇんだよ、これ」
「うふふ、残念。その瓢箪は魔法の品でね、中身は無くならねぇのさ」
「な、なんだそりゃ、ひ、卑怯くせぇ」

 あまりの反則に毒づいて、足元のふらつくギルバートをロクシーはそっと支えて木蓮の袂に腰掛けさせた。
 その隣に自分も腰掛けると、今度は冷たい水の入ったブリキの水筒を差し出す。

「さ、こいつでちょいと薄めな。倒れちまっちゃあ不味い」
「悪い」
「なぁに、若いうちは多少の無理も経験だ」

 ギルバートが冷たい水でのどを潤す隣で、ロクシーは初春の柔らかい日差しの中で咲き誇る木蓮と梅の花に眼を細めた。
 やがて水を飲み終えたギルバートも、ただじっと目の前の風景を眺める。
 そのままどれだけ時間が立っただろうか。やがて、ギルバートがぽつりぽつりと話し始めた。

「俺さ、剣術やってんだ」
「ああ、手ぇ握ったから、分かるよ」
「ギルド長がさ、俺の事すごく気に入ってくれてて、剣も教えてくれるのに、学校も行けって。そんで、ララクの統合学園にも行ってんだ」
「へぇ、そいつぁ凄い。学業もして、その腕なら、大したもんだ」

 ロクシーは少年の体つきと気配の配り方を見て、中級程度の剣士として既に完成していることを看破していた。

「そう言われると、むず痒いな、実はさ、剣を習い始めたのって、不順な動機だったんだ。ほら、剣士って、やっぱかっこいいじゃん? だからさ、女の子にもてるんじゃねぇかなって、そんな軽い気持ちで習ったんだ」
「ま、動機は何にせよ、そこまで鍛えりゃ大したもんだ」
「へへ、有難う。でさ、やっぱ思ったとおり、これだけ鍛えてりゃあ、女子が見る目も変わってさ」
「ほほう」
「でさ、クラスで一番……いや、学年で一番可愛い女の子が、俺のこと「カッコイイ」って、で、俺も舞い上がっちゃって、付き合ってくれって言っちまってさ」
「で、振られたと」
「ちげぇ! オッケーもらったの! 彼女になったんだよ!」
「ふふ、そいつあ良かった、おめでとう」

 そう言って肩を叩くが、ギルバート某の方は浮かない顔付きだった。
 どうやら、続きがあるらしい。

「で、さ、それから俺も嬉しすぎてさ。いろんな試合でメチャクチャ頑張ったわけだよ。で、勝つたびにその子が喜んでくれて、俺も嬉しくって……」
「……」
「それで、この間の春休暇でさ、俺もっと強くなりたいって思って、ギルド長と山篭りに行ったんだ。この時期は腹を空かせた熊なんかがよく出るから、いい修行になるって言われてさ」
「ははぁ、山篭りたぁまた古風な……」
「彼女はさ、休暇中は俺と一緒に旅行に行きたかったらしいんだ。だけど、俺、……くっ……まったく、馬鹿野郎だよな、子供だよ。もっと強くなって頑張れば、彼女がもっと喜んでくれるだろうって、馬鹿な事考えて」
「……」
「そんでさ、山篭りでなんども死にかけて、まあ、たしかに強くなったよ、同年代じゃあ誰にも負けないくらいにさ。だけど、だけどよ、いざ、帰ってきたらッ……さぁ、彼女が……」

 両手が真っ白になるほど握り締め、奥歯が割れそうなほど歯を食いしばり、少年は、泣いた。

「な、なん、で……ッ! なんで、だよ、あ……あんな、チャラ男に、くそっ……な、なんで……畜生ッ」
「……」
「お……俺が、俺が悪いのかよッ!? 「私より、剣のほうが好きなのね」ってッ! クソッ、そんなわけ、ねぇだろうが! 比べる対象が、そもそも違うだろッ。なんで、なんでっ…………!?」
「ほら、我慢すんな。そういう時は、泣いちまえ」

 突然抱きしめられ、一瞬硬直した後、それでも少年は声を挙げず、彼女の着流しを握り締めながら声を殺して咽び泣いた。
 なんで、なんで、と何度も繰り返す涙混じりのその言葉を聞きながら、ロクシーは優しい手つきで傷心の剣士を抱きしめ、撫でさする。
 やがて、心の底にずっしりと溜まった澱を涙と共に吐き出し尽くしたのか、ギルバートは羞恥心がこみ上げてきたのか体を離そうとする、が、なぜかそれが出来ない。
 何故ならば、ロクシーがその細腕からは想像もできない剛力で彼を抱きしめていたからだった。

「え、な」
「うふふ、ふ、ギルバート、おめぇさん、そのアマとは同衾しちまったのかい?」
「ど、どうき……何?」
「つまり」
「うわっ」

 突然地面に押し倒され、ギルバートが悲鳴をあげる。
 そして、彼は見た。
 春の青空のように済んだ水色の瞳が、酒精とその他の何かによって潤んでいる。
 熱く湿った吐息が互いに吹き合うような距離で、それは瞬く間にゼロとなった。
 木蓮の下で、微かに湿った水音と熱っぽい吐息が漏れる。
 三十秒ほどそれが続いたあと、ゆっくりと彼女が唇を離すと、二人の間に銀糸の橋がかかった。

「……こういうことを、しちまったかって、訊いてるのさ……」
「――――――」
「ふふ、うふふ、その調子じゃ、接吻も初めてか……」

 真っ赤な顔で何かを言い返そうとしたその口を、再度己の口で塞ぐと、ロクシーは手慣れた手つきでギルバートのベルトを外す。
 自分が一体どういう状況に置かれたのかそこで漸く悟った彼は、組み敷かれた状態でもがいたが、完全に抑えつけられてどう仕様も無い。
 そして、正直な身体はどんどん元気になっていくのである。

「ぷぁっ……ふふ、嫌がっても、こっちは正直もんでござんすねぇ」
「ちょ、な、なに、なにを!?」
「こりゃまた異な事を仰る、男と女がこうなって、やる事と言ったらナニしかねぇでしょうが」

 そう言って、しゅるりと衣擦れの音がしたかと思うと、彼女は帯を全部抜き去ってギルバートにしなだれかかる。
 決して豊満ではないが、引き締まって見事な曲線を描くその肢体に、彼は思わず生唾を飲み込んだ。
 彼とて性に多感な十代だ、周りで言われるように剣に全てを傾けるストイックな剣士ではない。
 女性との間のアレやコレやで妄想したことも、一度や二度ではなかった。

「さ……嫌なことは、頭の中を真っ白にして忘れちまいな……」

 そうして、再度唇を合わせる。
 今度は、少年も抵抗はしなかった。


――――――――――――――――


 四半刻ほど、中央公園の木蓮と梅林の隅っこで、押し殺した嬌声と荒い息遣いが響いていたが、それに気がついたものは鳥以外にはいなかった。
 やがて、精魂尽き果てたギルバートがギブアップして、ロクシーは「しょうがねぇなあ」と笑って身を引いた。

「ふふ、ふ、初めてにしては、頑張ったねぇ……花丸あげちまうよ」

 そう言って、彼女はギルバートの首筋にもう一つ口付けの痕を残した。
 一方ギルバートはまさに放心状態といったていで、彼女の言葉を聞いているのかどうかも怪しい有様であった。
 さもあらん、初めての相手がこのいろんな意味で伝説の剣客では、正気を失わなかっただけでも及第点である。

「ほら、ギルバート。閨の後は寄り添う女に睦言を呟くもんだよ、黙ってちゃあいけない」
「む、むつごとって、なんだよ」
「ほら、愛してるとか、結婚しようとか、男が真っ白の頭で呟くどう仕様も無い空っぽの妄言のことだよ」
「……それじゃあ、なんも言わないほうがいいだろう」
「うふ……うふふ、ダメダメ……そんなんだから、女を寝盗られちまうんだよ」
「う、ううっ」
「あっ、わ、悪い悪い、なあ、もう忘れちまえって……」
「ううっ……」

 ぶわわっ、とギルバートの目に涙が溢れる。
 慌てたロクシーは己の失言を必死に謝った。

「全く……臥床も共にしてねぇ相手によくそこまでのめり込めるもんだ」
「……ああ、全くだな」
「お?」
「何か、全部阿呆らしく思えてきたぜ」
「そうそう、そんな尻軽なんてあっさり忘れちまいなよ」

 そう言ってケラケラと笑い、ロクシーは彼の頬を優しく撫でて体を起こした。
 徐々に傾き始めた光りに照らされて、透けるような肌に己が残した幾つもの赤い鬱血の後を見て、先程までの嬌態を思い出したのか、ギルバートは羞恥に顔を染めて目をそらす。
 そんな仕草に「今更なんだい」と笑いながらロクシーは乱れた髪を直してから帯を締めた。

「さ、少年。色々吹っ切れちまっただろう? そろそろ返ったほうがよござんしょ」
「…………なあ」
「うん?」
「あんた、ロクシーって、名前、偽名だろ」
「へえ。なんでそう思う」
「だってよ……額の二本角で、水色の眼で、ロクシーなんて……そんな、馬鹿な話が……」

 そう言って口ごもるギルバートに、彼女は「にいっ」と笑い、その頬に軽く口づけた。

「さあて、どうだかね。なあ、ギルバート、こう考えるんだよ」
「なんだよ」
「お前は今日、生まれ変わったんだ。死ぬ前のちょろちょろした色恋沙汰なんて、あの世にケツを蹴っ飛ばして忘れっちまいな。今日からだ、今日から全部新しく始まるんだ。死の門をくぐった奴らは、死ぬ前の荷物なんてどっかに捨てちまってるもんさ」
「……」
「そう考えたら、こいつはどうも楽しい毎日になるってえもんだ。あっしの体験談さ、オススメだ」

 ギルバートは無言で様相を整えると、真剣な顔で彼女を見た。

「なあ」
「なんだい」

 そう答えながらも、彼女は薄々何を言われるか気づいていた。

「もし……もし俺が、あんたと肩を並べるほどの剣士になったら、その時は……」
「その時は……?」

 ギルバートは視線を落としてじっと考え、やがて何かを決心したように彼女の両目をキッと正面から見た。

「その時は、あんたの部屋で、酒を呑む」
「――――」
「だから、掃除はしとけよッ!! あんたの部屋、あんた以外は汚すぎるぜ!!」

 そう言うやいなや、少年は抜群の瞬発力で飛び上がって、そのまま脱兎の如く駆けて彼女の視界から消えた。
 暫し呆然とその後姿を眺め、やがて笑いの発作が彼女を襲った。
 予想していた言葉とは、全然違った。
 肩を震わせてひいひいと笑った後、大の字に寝転がって上空を舞う鳶を眺めた。

「ふふ、ふふふ、さあて、大家さんに掃除を頼もうかね」

 自分でする気は、もとより無い。


――――――――――――――――


「……」

 無骨な右手で、彼は同じように凸凹した石壁を撫でさする。
 十年前、ここにはまるで魔法のように……いや、事実魔法だったのだろう、ぽつんと壁に張り付いた窓があり、その向こうに生活環溢れるどこかのアパルトメントの一室があったのだ。
 だが、この十年間、その光景をもう一度見れた試しはない。
 そして、つい先日、あの白昼夢のような一時を共に過ごした相手と、思いも寄らない再開をした。
 『ロディ・ジマー、あんたはあっしを殺せる。今のまま腕を磨けば、間違い無くそうなる』
 かすれるような、甘い声。
 十年前と何一つ変わらない、あの時のままの姿だった。
 彼女は、自分に気がつかなかったらしい、それも無理のない話だろう、あの時彼は偽名を名乗ったし、十代の少年からの十年といったら、顔つきを変えてしまうのに充分な時間だ。
 そうは思いつつ、やはり、寂しい。
 常識では分かるわけがないと思いながらも、どこか心の隅に残っていた少年の心が、もしかしたらという淡い期待を抱かせていたのだろう。
 ポツリとため息を突きながら、そう思う。
 もしそんな内心をミレディアナ団の面々が聞いたら、恐れおののいて我が耳を疑うだろう。
 副団長が鬼気迫るように剣の道に傾いているのは、彼が生まれながらの剣客だからだと、彼らは信じているのだ。

「ふっ……それも、ある意味正解か」

 事実、彼はあの時に一度死に、新しく生まれ変わったのだ。
 あの日、稽古場で剣をとった彼を見て、師匠は重々しく頷いて奥義の技を彼に伝授した。
 それからが、彼の第二の人生の始まりとなったのである。

「俺は……まだあんたを倒せるほど、至っちゃいないって事か」

 そう呟いて、何の変哲もない石壁に背を向ける。
 そうして、腰にぶら下げていた瓢箪の栓を開け、あの時回し飲みしたままこっそり持って帰ってきた茶碗に溢れるほど注ぐ。
 この辛口の東方の酒は、今や彼が唯一口に含む酒精になっていた。
 なみなみと注がれた茶碗を一本桜に掲げ、「乾杯」と呟いて一気に飲み干した。

「ッはぁ……」
「いよっ! 相変わらずの良い飲みっぷりだ! 惚れ直したよ!」
「!?」

 生涯で、此れ以上無いほどの身のこなしで後ろを振り返る。
 そこには、あの時と同じく忽然と姿を表した窓を開け放ち、その窓辺に肘を付いた美貌の剣客が、優しい笑顔を浮かべて彼を見ていた。
 もしここで逢えたら、話してやりたいと思っていたことが、山ほどあった。
 が、彼の頭の中はこの不意打ちに真っ白だった。
 そんな彼を、優しい顔の幽鬼はあの時と全く同じふうに手招く。

「ふふ、ふ、この間は、気づいてやれなくて悪いねぇ。いや、まさか十年もズレてるとはねぇ。大家さんも、憎らしい演出には定評があらぁな」
「な、なに……?」
「うふふ、うふ、なあに、こっちの話。そんな所で突っ立てたら、足が棒になっちまわぁな。ほら、こっちに来ちゃあどうだい」

 十年前と全く同じ。
 ギルバート……そう名乗っていた剣士は、ゆっくりと目の前のそれを理解しながら窓辺に歩み寄った。

「俺は……」
「うん? なんだい?」
「俺は、約束を守れただろうか?」

 呆然と、そう呟いた彼に、ロクシーはニカリと笑った。

「今のとこ、あっしと肩を並べる剣士は、お前だけさ、ギルバート……いや、ロディって、呼んだほうがいいかい」
「好きな方で、いい」
「うふふ、じゃあ、そうするよ。ほら、今日は綺麗にしてあるだろう? あっしも、約束は守ったよ」
「ああ、そうみたいだな」

 そう言って、ギルバート――ミレディアナ団の副団長ロディ・ジマーは十年前よりずっと小さく思える窓枠を屈みこみ、部屋の中に消えた。
 そして、窓が閉まると、やがて窓自体も霞のごとく初春の空気に溶け消えたのだった……。























――――――――――――――――
時間軸が少しねじれています。分かりにくかったらすみません。
花見……行きてぇなぁ……。
あと、いきなりですけど今回から板移りました。


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